2021/04/19

環境ポピュリズム

先般の記事で、環境省が使い捨てのプラ製スプーンやフォーク、ストローなどを対象に有料化を進めることや(ナイフを含めてない所がミソ)、小泉大臣の「スプーンを持ち歩けば良い」発言ととりあげた。
これで思いだしたのだが、30年くらい前に「my箸」運動というのがあった。森林保護のために割り箸を使わないようにと、自分用の箸を持ち歩くという運動だが、あっという間にしぼんでしまった。森林保護のためには木材を伐採しなくてはいけないし、切った木は何かに有効利用せねばならない。いずれにしろ割り箸を減らす程度では、森林保護には貢献しない。その一方、箸を常に持ち歩くというのは面倒であることが分かったのだろう。
水の汚染を防ぐために合成洗剤を使わず、粉石けんを使うという運動もあった。化学物質より自然のものを(石けんは天然品ではない)という口当たりが受けたのだろうが、試験の結果ではむしろ合成洗剤の方が汚染が少なかった様で、これもいつの間にか下火になってしまった。
小池百合子が環境大臣のころ、レジ袋の代わりに風呂敷の利用を薦めていたが、スーパーで商品を風呂敷に詰めている人を見たことありますか?
このように科学的根拠が無いにも拘わらず、環境保護の名のもとに口当たりの良い政策や運動を、仮に環境ポピュリズムと呼ぶ。
環境省のプラスチック製スプーンなどの有料化も、その典型といえる。

昨年、入院して感じたのは、医療用の器具は殆どがプラスチック(正確にはポリマー《プラスチック、合成繊維、合成ゴムなど》だが、分かり易くプラスチックと総称する)で出来ている。今マスクの着用が義務付けられているが、大半は不織布でこれもプラスチックだ。プラスチックが無ければ今の医療は成り立たない。家庭用品、オフィス用品から、乗用車や航空機の内装や機器の多くはプラスチックだ。
プラスチックの持つ軽い、強い、液体を通さないといった特性が活かされている。
プラスチックによる海洋汚染が問題となっているが、それは材料のせいではなく投棄する人間が悪いのであって、プラスチックに罪はない。
紙コップ、紙パックと呼ばれているものも、純粋な紙(パルプ製品)ではない。紙は水を通すし、濡れると極端に強度が落ちてしまうという欠点があるため、紙とプラスチックフィルムを貼り合わせた(又はコーティングした)ものを使っている。廃棄する際には性質の異なる物資が密着しているので、却って仕分けが困難になる。
将来、プラスチックに代る物質が開発される可能性はあるが、どの物質にせよ必ず原材料は必要だし、加工にはエネルギーが消費される。そこは不変だ。

昨今、原発の処理水について人体に無害で飲むことも出来るという主張が安易になされているが、これもまた環境ポピュリズムの一種かも。

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2021/04/17

菅首相は、いつ「東京五輪のスローガン」を入れ替えたのか

菅首相は16日午後(日本時間17日未明)のバイデン米大統領との首脳会談で、今夏の東京五輪・パラリンピックについて「世界の団結の象徴として開催を実現する」と決意を語った。バイデン氏は支持する考えを表明した。(中略)
会談後に発表された共同声明では、バイデン氏が「今夏、安全・安心な五輪・パラリンピックを開催するための菅首相の努力を支持する」と明記された。
(讀賣新聞オンライン 2021/4/17の記事より)

あれ?今年の1月の施政方針演説では、菅首相は東京五輪を「人類がコロナに打ち勝った証」として開催することを宣言し、その後の首脳会議でも言明して各国の支持を得たと言っていたのだが。スローガンがいつ入れ替わったんだろう。
しかも、国民に対して何も理由を明らかにせず、いきなり日米首脳会談で言い出すなんて、非常識ではあるまいか。
それに「世界の団結の象徴」を本気で考えているのかね。今回の日米首脳会談では、中国への対決姿勢を明確にしたばかりだ。日本政府も旗幟を鮮明にしたことで、今後は中国と厳しい関係になることは覚悟せねばなるまい。
「世界の団結」なんて所詮は絵空事で、これから米中対決を軸に世界各国のせめぎ合いは激しさを増すばかりだ。
五輪を開催する場合でも、取り敢えず政治とスポーツは切り離して、と割り切るしかないのが現実だろう。
最悪のケースでは世界を二分して、東京五輪がかつてのロスアンゼルス大会の、北京の冬季五輪がかつてのモスクワ大会の、二の舞になりかねない。
日本政府にそこまでの覚悟があるかどうか。
「人類がコロナに打ち勝った証」だの「世界の団結の象徴」だのと、そんな空疎なスローガンは無意味であることを知るべきだ。
最初の讀賣の記事だが、バイデン大統領は「五輪を開催するための菅首相の努力を支持する」とは言っているが、開催そのものを支持するとは言ってない。そこを間違えてはいけない。

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2021/04/15

無計画な「政府のワクチン接種」

東京五輪・パラリンピックに出場する日本人選手を対象に、新型コロナウイルスワクチンを優先的に接種する案が政府内で浮上していることが4月8日、分かった。来日する外国人選手らと接触する機会が多く、安心して大会に臨むことができる環境を整備するのが狙い。ただ、ドーピング規定との関係や体調管理への影響などの課題もある。
(JIJI.com 2021/4/8 より引用)
この件について、加藤官房長官は政府として検討していないと答えていたが、自民党の下村博文政調会長は14日の記者会見で選手への優先接種をすべきだと述べている。こんな事さえまだ決まってないのだ。
医療従事者への優先接種をうたいながら、4月から高齢者への接種を開始し、そのため医療従事者への接種がさらに遅れると懸念されている。
かかり付けの医師によれば、3月末時点でコロナの重症患者を受け入れている病院でようやく接種が始まったと。自分の所に回ってくるのは5月になるかなと言っていた。毎日、数十名の患者を診察している医師がこのような状態なのだ。
全て政府のワクチン接種が無計画であることから、端を発している。

全国民を対象にワクチン接種を行うというのは国家的プロジェクトだ。大事なことは、「何を、いつまでに実施するか」を明確にすること。それが全く見えてこない。
1.先ずゴール(最終目標)を決める。いついつまでに全国民を対象にした接種を終了すると決める。
2.接種の優先順位を決める。例えば ①医療従事者②高齢者施設従事者③高齢者施設入居者(②と③は同時も可能)④65歳以上の高齢者⑤持病のある人⑥65歳未満の人、と決め、順位は崩さない。
3.①から⑥までの、それぞれの期限を定める。
4.目標に基づき工程表を作成し、各地方自治体とのすり合わせを行う。
5.進行状況をチェックし、遅れが出た場合は原因を確かめ対策を講じる。また遅れが全体に影響する場合はその時点で計画を修正する。
6.担当大臣(プロジェクトリーダー)を一人決め、権限と責任を集中させる。
以上は常識的なことなのだが、国会での論議を見る限りでは、実施しているとは思えない。
従って、次に重要なことは、
7.上記の全てを国民に公開する(可視化する)。

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2021/04/14

「原発処理水」閣僚の皆さんに飲んで貰う、ってどうですか?

昨日、麻生副総理が福島の原発処理水について「飲んでも何てことはない」と発言されました。
副総理がそうおっしゃるのだから、きっと飲めるのでしょう。
それなら、閣僚の皆さんに飲んで貰ったらどうでしょうか。
放出は2年先だそうですから、それまで閣僚会議のたびに全員で飲んで貰うんです。2年間飲み続けても「何てことはない」なら、国民も安全性に納得するのではないでしょうか。
ご検討ください。

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2021/04/13

オフィスマツバ感謝祭(2021/4/12)

「オフィスマツバ感謝祭~いつも心に落語を~」
日時:2012年4月12日(月)18時30分
会場:日本橋劇場

前座・入船亭   『狸の札』
【  番組  】
入船亭小辰『高砂や』
林家たけ平『宗論』
入船亭扇辰『三方一両損』
~仲入り~
柳亭左龍『花筏』
柳家喬太郎『居残り佐平次』

都のまん延防止対策の初日の日の開催。本公演は、当初は昨年5月に開催予定だったのが、この日に延期された。主催者によると、昨年のチケット購入者の大半はこの日に入場したとのこと。
入場の際に、噺家の家紋が印刷されたチケットフォルダーが配られた。出演者が口々に主催者のオフィスマツバの対応をほめていたが、きっと行き届いた人なんだろう。
この日の顔付けでも、柳家2人と入船亭2人の間に林家を挟むといった工夫が見られる。

前座の『狸の札』、この日のようなメクリに名が出てない時は、客に覚えて貰うために名前ははっきり言った方がいい。ちょっと聞き取れなかった。

小辰『高砂や』
見る度に腕を上げているという印象。独自のクスグリを入れて面白く聴かせていた。当初は師匠に似ていたが、今は異なる芸風になりつつある。この人、出藍の誉れになるかも。

たけ平『宗論』
他の演者から「爆笑派」と呼ばれていたが、あれは結構プレッシャーかもね。常に爆笑させなくちゃいけないんだから。楽屋話しなどの長いマクラで、このまま終わるのかと思ったら『宗論』だった。ギャグ満載で受けていた。

扇辰『三方一両損』
対照的にこちらは「本格派」。描写が細やかで古典をきっちり演じるのが特長。ただ、野球選手に例えるなら、守備範囲が狭い感じがする。もう一段ステップを上げるには何かが欲しい。

左龍『花筏』
「花筏」は、森林に自生する低木で、葉の上の中央に小さな花をさかせるので、花を筏に乗った人に見立てて「花筏」。又は、水面にたくさんの桜の花びらが散って集まり、流れていく姿を筏に見立てて「花筏」。春の季語なので、このネタも季節に合わせて選んだのか。相撲取りの四股名にしては粋な名前を付けたものだ。左龍らしい抑え気味の喋りだが、最後に向って盛り上げていた。

喬太郎『居残り佐平次』
短いマクラから本題へ。このネタ、多くの演者が手掛けているが、圓生と志ん朝の高座がベストだと思う。共通するのは、佐平次という人物は明るい反面、どこか影のある所を引きずっている。似ているように見えるが、幇間(たいこもち)とは異なる人物像だ。この辺りに演者の難しさがあるのだと思う。
喬太郎が描く佐平次は、そうした影の部分はすっかり潜めて、チョイ悪だがひたすら明るい。それが如実に現れているのは、佐平次と「紅梅のいい人の勝つぁん」との会話だ。ここで佐平次は、もし女に生まれたら勝つぁんに嫉妬して死んでいたかも知れないと、相手をくすぐるのだ。もはや幇間の域である。
オリジナルとは離れた『居残り佐平次』喬太郎ヴァージョンの趣き。

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2021/04/12

ミャンマー軍による市民虐殺と日本の責任

ミャンマー軍による市民虐殺のニュースに心を痛めている方が多いだろう。虐殺の映像を見るたびに心臓が苦しくなってくる。軍隊が自国の市民に発砲するという事件は過去にも起きているが、この度のミャンマーの事態はそれを大きく上回るものだ。武器はロケット砲や機関銃も使われていて、デモ隊の周囲を取り囲み一斉射撃するなどの虐殺行為により、既に数百人の死亡と多くの行方不明者を出している。
欧米諸国は軍の関係者に対する制裁を行い、国連の安保理での決議を目指しているが、中国やロシアの反対にあって実現に至っていない。
では、日本政府はどうだろうか。
今のところ、非難声明は出しているが、制裁に踏み切るまでには至っておらず、これでは静観ととらえられても仕方ない。
その原因は、日本政府によるODA経済援助と、それを通じてのミャンマーの政府と軍との深い関わり合いがあるからだ。
例えば、「ニューズウイーク日本版」で、クーデターから2ヶ月ちかく経つ3月25日付ロイター通信の、「日本の官民連合、ミャンマーで不動産開発」と題する記事を紹介している。

ミャンマーで総額300億円以上の不動産開発事業を進める日本の官民連合が、ホテルやオフィスなど複合施設を建設する用地の賃料を支払い、それが最終的にミャンマー国防省に渡っていたことが分かった。ロイターが取材した複数の日本企業、政府関係者が認めた。
「ヤンゴン市内都市開発(Yコンプレックス)」と呼ばれるこの事業が、ミャンマー国防省の利益につながっていたことを日本側が認めたのは初めて。日本側は賃料の支払い先が国防省であり、ミャンマー政府だと認識していたが、国防省は2008年に制定された憲法上、国軍の支配下にある。
同事業には日本から大手ゼネコンのフジタコーポレーション、大手不動産の東京建物のほか、日本政府が95%を出資する海外交通・都市開発事業支援機構(JOIN)が参画。政府系金融機関の国際協力銀行(JBIC)も融資をしている。
賃料を支払うのは違法ではないものの、事業が始まった2017年は、ミャンマー国軍によるイスラム教徒の少数民族ロヒンギャへの人権侵害が問題となっていた。国際司法裁判所は虐殺について調査を進めている。国軍は今年2月には軍事クーデターで政権を奪い、これまでに、抗議活動に参加した市民260人以上を殺害している。
ミャンマー国防省、国軍のコメントは得られていない。
JBICが2018年に発表したニュースリリースによると、融資は三井住友銀行、みずほ銀行との協調で実施。両行ともロイターの問い合わせにコメントを控えた。

戦後、日本はODA(政府開発援助)を通じて東南アジア諸国に経済援助を行ってきた。それにより各国が経済発展してきたが、同時にODAの多くはヒモ付きで、日本企業の東南アジア進出と、それに伴う各国政府との結び付きも強めた。また対象国の多くは軍の力が大きく、軍に対する経済援助という結果を招いた。
毎日新聞の永井浩記者によれば、民主化運動指導者のアウンサンスーチー氏が6年間におよぶ自宅軟禁から解放された1995年11月から、毎日新聞に週1回の手紙を寄せ、それをスーチー氏の連載エッセイ『ビルマからの手紙』として掲載した。
驚くべきことに外務省は「日本・ミャンマー関係がこじれる。ひいては日中関係にも悪影響を及ぼす」と、再三にわたって毎日新聞に連載の中止を要請してきた。木戸湊編集局長は「『毎日』は民主主義を大切にする新聞である」と言って、彼らの要求を突っぱねた。
これでは日本政府が共犯者と言われても仕方ない。
私たちはミャンマー軍の蛮行を止めるのは難しいは、日本政府の姿勢を変えさせることは出来る。

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2021/04/09

M子とKの結婚問題(敬称略)

M子とKの結婚問題が又ぞろメディアを賑わしている。とりあげたTV番組は視聴率が上がり、新聞や週刊誌は売り上げが上がるという、オイシイ話題なのだ。それだけ国民の興味を惹いているという事だろうが、自分の息子や娘でもなく、見たことも合ったこともない人の結婚に、そんなに関心が持てるものだろうか。議論はまさに百家争鳴。ヒマなんだね、きっと。そう言うコッチもヒマだけどさ。
共通しているのは二人への非難の声だ。要約すれば、こういう事だ。
M子に対して:国民の税金で暮らしてきて、結婚費用も生活費も税金で賄われるんだから、国民の納得いくような相手を選べ。
Kに対して:母親とその交際相手だった人との金銭問題が未解決であり、相応しくない。
いずれも「金」にまつわる下世話な理由である。
先ずM子の問題について、税金うんぬんは国の制度で決められた事柄であり、見方を変えれば国民の側が勝手にに押し付けた事ともいえ、M子自身には何の責任もない。
Kの問題について、本人には責任がない。こういう事を言い出せば、家族の誰かがトラブルを抱えている人は結婚が出来なくなってしまう。
こうして見ると二人の結婚に格別の障害はなさそうだ。

Kへの批判者は何か勘違いしているのでは。
王子様やお姫様の結婚相手など門前市をなすほど溢れかえり、選り取り見取りなんて、それこそお伽話の世界でしかない。
昨今の畏き辺りの婚姻事情を拝察するに、相手を探すのに苦労し、あの手この手で説得しようやく結婚にこぎ着けるというのが実態のようだ。つまり、あまり贅沢は言えない状況にあるということ。さもなくば政略結婚か。
男系だろうが女系だろうが、あまりヤカマシイ事を言ってると結婚相手が決まらず、結果として系統は絶えてしまう。
かの国では、皇太子が永年にわたり人妻と不倫関係を続け、挙句にその相手と再婚するのを許されているではないか。
我が国でも今の制度の永続を願うなら、結婚相手にはもっと寛容であらねばなるまい。
♪M子 甘えてばかりでゴメンね Kはとっても幸せなの~♪

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2021/04/08

「陽春四景」(2021/4/7)

陽春四景(上)
日時:2021年4月7日(水)18時45分
会場:国立小劇場
<   番組  >
三遊亭萬橘『新聞記事』
柳家権太楼『幾代餅』
~仲入り~
三遊亭兼好『粗忽の使者』
柳家さん喬『百年目』
客席はソーシャル・ディスタンスをとっているので、ゆったりした気分になれる。兼好、萬橘ともに二ツ目時代から注目していたので、人気者になった姿は喜ばしい。

萬橘『新聞記事』
存在そのものが可笑しい「フラ」がこの人の特長だし優位な点でもある。押したり引いたりする間合いの取り方が巧みだ。
お馴染みのネタだが、「天ぷら屋の竹さん」の他に「下手な噺家」のギャグを入れてサゲた。

権太楼『幾代餅』
前方の萬橘を、この会場に相応しくない芸風とイジリながら、協会の若手にない明るさがあると褒めていた。
このネタは古今亭のお家芸のイメージが強かったが、昨今は流派に関係なく演じられ、権太楼も得意としている。
清蔵と店の主人夫婦とのヤリトリの可笑しさに権太楼らしさが出ていたが、他はオーソドックスな演じ方。ただ、幾代が清蔵との結婚を約束する際に支度金として50両渡し、清蔵に二度と吉原に足を踏み入れてはいけないと諭す場面がカットされていたが、何か意図があったのだろうか? 幾代が覚悟を示す重要なシーンだと思うのだが。

兼好『粗忽の使者』
いつもの辛口のマクラや、前方の権太楼が「萬橘ともう一人は・・・」と兼好の名前が出なかったのをイジッテ本題へ。大工の留っこの描写にこの人らしさが出ていた。

さん喬『百年目』
さん喬といえば人情噺と相場が決まっているが、私はむしろ寄席で短い時間に演じる軽い滑稽噺にこの人の真骨頂があると思っている。反対に長講には首をひねる事が多いのだ。
このネタで言えば、店の主が番頭と面談する山場の前に、主が「番頭さんのお加減は・・・」と大声で言いながら、煙管を強くはたく場面。小僧の定吉の口の利き方に主が「バカ野郎」と怒鳴る場面。これでは肝心のこの主の風格が台無しになってしまう。番頭との面談の中で、主が前夜に帳簿を調べたが、全く穴が空いてなかったので嬉し泣きしたと告げるも疑問だ。番頭に来年には店を持たせると約束するのも、ここは従来の余韻を残す演じ方の方が正解だと思われる。
色々疑問を持ちながら聴いていたので、山場で感情移入が出来なかった。

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2021/04/06

「レジ袋」の次は「スプーン」かよ

政府は3月9日、事業者にプラスチック製品の削減を義務づけるプラスチック資源循環促進法案を閣議決定した。今国会に提出し、2022年4月の施行を目指す。環境省は成立後、省令でコンビニエンスストアのプラ製スプーンや飲食店のストローの有料化などを検討している。
販売段階では、コンビニなどの小売店やレストラン、カフェなどの飲食店に対し、プラ製品の使用削減を義務づける。事業者が取り組むべき対策は成立後、省令で定める。環境省は、使い捨てのプラ製スプーンやフォーク、ストローなどを対象に〈1〉有料で提供〈2〉受け取らなかった客にポイントを還元〈3〉代替素材への転換――などの対策を示し、いずれかの対応をとるよう義務づける方向で検討している。
対策を講じない事業者には、国が指導や命令ができ、命令に違反した場合は50万円以下の罰金が科せられる。
プラスチックを巡っては、昨年7月から容器包装リサイクル法に基づいて小売店のレジ袋が有料化されている。小泉環境相は新法案について「コンビニでスプーンなどが有料化されれば、自分でスプーンを持ち歩く人が増えていく。こうしたことでライフスタイルを変化させていきたい」と述べた。
(「讀賣新聞オンライン 2021/3/9」記事より)

政府は、レジ袋の有料化が終わったら今度はスプーンなどの有料化を狙っているらしい。
一連のプラスチックごみを減らすという政策は、海洋汚染を防ぐという目的に端を発している。つまり、汚染の原因はプラスチック→プラスチックを減らせ、という所が出発点になっている。
先ず、この構図を疑ってみる必要がある。
海洋には日々膨大な量の物質が投棄(廃棄、流出)されている。原発から出た放射性物質を含む液体などもその一つだ。投棄されたものの内、重い物(比重が海水より大きい物)は水面下に沈殿し、水に溶けやすい物は海水に混入してしまうので人の眼につかない。この中でポリマーと呼ばれる物質の多くは水に溶けず、軽い(比重が海水より小さい)ので海面に浮かび、眼につきやすい。ポリマーは合成樹脂(プラスチック),合成繊維,合成ゴム等に分類される。従って、
①海水表面に浮遊している物質が何かを分類、分析して特定する
②水面下に沈殿する物質と水溶性物質を含めた全ての投棄物の有害性を検討する
事から先ず出発すべきなのだ。
そうした作業をすっ飛ばして、海洋汚染=プラスチックという議論はあまりにお粗末だし、主要な要因を見落としてしまう恐れがある。

次の問題は、レジ袋有料化の効果の検証が行われていないことだ。私は当ブログで以前に、プラスチックの廃棄量にも海洋汚染の改善にも寄与しない可能性が高いことを指摘してきたが、そうした検証が行われた形跡はない。
前にも書いたことだが、コスト低減対策で理屈上は効果が明らかなのにも拘わらず、実施してみたら却ってコストが上がってしまったという苦い経験を何度もしている。「勘定合って銭足らず」である。だから何かをなした時は、必ず検証することが大事だ。
これは政府の政策全般に言えることだが、いわゆる「P(プラン)ーD(実行)ーC(チェック)ーA(アクション)」のサイクルに回すことにより、初めて政策の成否が判断できる。
特に、有料化のように消費者に負担をかけるような場合は、結果の検証を公開すべきだ。
ボンボン大臣が、スプーンを持ち歩けば良いなんてほざいているようだが、使い終わったスプーンをどうやって持ち帰るつもりだろうか。店で洗うのか?
環境大臣として、もっと頭を使うことが他にあるだろうに。

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2021/04/03

「文化大革命」を描いた中国映画

数年前、中国に観光で行った際に、現地ガイドに「今の中国国民は毛沢東についてどう思っているか?」と訊いたところ、ニコニコしていたガイドの顔色が一瞬で変り「みな尊敬してます」との答え。そこで「中国政府は文化大革命を正式に否定してますよね。それを引き起こしたのは毛沢東でしょう?」とツッコムと、ガイドの顔はさらに青ざめ少し間を置いてから、「毛沢東は国民にとって象徴なんです」という答え。
このガイドの反応を見て、中国では未だに文革の話題はタブーなのだと悟った。
文化大革命や天安門事件が公に語れるようになるには、今の中国の政治体制が大きく変わる時になるだろう。

今の若い方には馴染みがないだろうが、「文化大革命」とは、1966〜76年中国における毛沢東の奪権闘争とそれに伴う政治的社会的動乱である。
大躍進の失敗で国家主席をしりぞいていた毛沢東は,劉少奇・鄧小平らを「資本主義の道を歩む実権派」と批判し,1966年から全国で紅衛兵を動員して大衆運動による奪権闘争を開始した。これに国防相林彪指揮下の人民解放軍も加わり,各地で「造反有理(反逆には必ず道理がある)」のスローガンのもと,武闘がくりひろげられて,政治的迫害や職場・学校・地域内でのつるしあげが横行して社会は大混乱におちいった。毛沢東は林彪国防相と結んで軍を味方につけながら青少年を〈紅衛兵〉に組織して実権派批判に向けた。〈四旧〉(旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣)打破をかかげて打ち壊しが行われ,著名な学者・芸術家らも攻撃された。1969年林彪が毛の後継者とされたが,1971年には毛と対立して国外逃亡中に墜死。周恩来らによる脱文革の動きに対して,江青ら〈四人組〉が文革を主導し,周を攻撃。1976年9月の毛の死を契機に〈四人組〉は逮捕され,文革は実質的に終わった。間接の被害者も含めて死者2000万人に及ぶといわれる文革を,中国共産党は1981年の中央委員会で〈指導者が間違ってひき起こした内乱〉として全面的に否定した。
約10年間に及ぶ混乱は、経済のみならず、多くの知識人が迫害や投獄を受け、また若い人たちがまともな教育を受けられなかったことから知識や倫理が欠如するなど、その後の中国社会に大きな影響を与えている。
反面、文革は欧州やアジア、中南米諸国の政治運動にも大きな影響を及ぼした。
日本もその例外ではなく、1970年前後の青年・学生運動の中には毛沢東思想や文革から刺激を受けた層もいた。知識人の中にも文革を支持する人がいたし、新聞などメディアも(産経と赤旗を除き)総じて中立的あるいは好意的な報道をしていたと記憶している。
その文革を描いた中国映画2本を紹介する。

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『活きる』
監督:張芸謀(チャン・イーモウ)
脚本:余華(ユイ・ホア)・蘆葦(ルー・ウェイ)
主演:葛優(グォ・ヨウ)、鞏俐(コン・リー)
1940年代の中国。資産家の息子だったフークイだが、賭けに負けてしまい全財産を失う。身重の妻チアチェンは愛想をつかして実家へ戻ってしまった。しかし、半年後、長男が誕生したのを機に夫フークイのもとへと戻ってくる。心機一転、困窮する一家の家計を支えようとフークイは得意の影絵の巡業を始める。そんな矢先、フークイは国民党と共産党の内戦に巻き込まれてしまう。フークイがやっと家族のもとに戻ってきたのは、共産党の勝利が決まり内戦が終結した後だった。50年代は共産主義の躍進期。国の推進する集会で、息子が事故死。60年代に聾唖の娘は結婚し、妊娠。しかし文化大革命により医者はすべて摘発されており、病院は素人の若い女性ばかりで娘は出産は果たすものの、合併症を起こして死んでしまう。数年後、年老いたフークイとチアチェンは、孫息子の面倒を見ながら生活し、彼らの人生は続いていく。
戦前戦後を通じて中国の内戦から共産主義国家の誕生、経済再建を経て文革の時代を生き抜いた中国人家族の物語。期待していた文革の場面は、フークイの友人が弾劾され自殺に追い込まれる場面と、病院の医師や看護師が追放されてしまい紅衛兵らの治療によってフークイの娘が死亡する場面のみだった。文革の本質的な部分はすっぽり抜けていて、やはり今の中国ではこの程度が限界なんだろう。
作品としては、この時代を生きた人間の辛苦が描かれていて、良く出来ていたと思う。

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『妻への家路』
監督:チャン・イーモウ
脚本:ヅォウ・ジンジー
主演:チェン・ダオミン、コン・リー、チャン・ホエウェン
教師の婉玉とバレエを習っている娘の丹丹が共産党員に呼ばれ、追放中の夫・焉識が逃亡したが、連絡があったら通報することといわれる。丹丹は「革命模範バレエ」の主役に決まりそうだった。父から母と駅で会いたいという連絡を丹丹が受けるが、駅には追っ手が来ていて婉玉の目の前で焉識は捕まる。丹丹は逃亡犯の娘ということで主役から外される。1977年、文化大革命が終わって焉識が右派分子の罪を解かれ、20年ぶりに帰宅する。しかし妻の婉玉は焉識のことは全く忘れ、方という男と間違える。周囲は説得にあたるが、思い出してくれない。丹丹はバレエを諦め、家を出て紡績工場の寮に住んでいて、焉識はその守衛室の隣で暮すことになる。婉玉は毎日、駅へ夫を迎えに通う。医者から心因性の記憶障害だとされる。写真を見せて婉玉に思い出さそうとしたり、焉識が懐かしいピアノ曲を弾いてみせるが、自分を思い出してくれない。西域から大量の手紙が入った荷物が届き、焉識が読んであげるが、「手紙を読む人」としか理解されない。新しく手紙を書き、丹丹と和解してくれと頼み、婉玉はようやく娘を許し同居を再開する。しかし訪れた焉識に、婉玉は「方さん、出ていって」と狂乱状態になる。それから何年も経って、雪の中、焉識が幌付きの自転車で婉玉を迎えにくる。二人で駅へ焉識を迎えに行くが、今日も虚しく待つだけだった。
文革のために夫が20年間も収容された結果、妻は心因性の記憶障害により夫の顔を忘れてしまう。夫も娘も記憶を取り戻させようと必死に努力するが、最後まで妻の記憶は戻らない。そうした妻を優しく見守り、妻が夫を迎えに駅に立つのを付き添う。
これ以上ないような夫婦の純愛物語で、泣かせる。作品としては同じ監督の『活きる』より優れている。
悲劇の原因は文革だが、その背景がほとんど描かれていないので、文革の非人間性への訴求は弱い。
この辺りは、中国映画の限界なんだろう。

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