2022/12/08

中国を侮ってはいけない

西側(日本を含む)の報道だけを見ていると、中国は世界から孤立しているように見えるが実態はどうだろうか。
先日のG20では、ロシアのウクライナ侵攻に対し明確な批判をしたのはEU,日本、韓国、オーストラリアだったが、アルゼンチン、ブラジル、インド、インドネシア、メキシコ、サウディアラビア、南アフリカ、トルコの8ヶ国は中国の立場を支持した。ほぼ半分に分かれた。発展途上国がこぞって中国を支持したので、習近平はすっかり気を良くしたという。
中国は豊富な資金を世界にばらまき、今や100ヶ国ほどが中国から融資を受けている。
G20でみれば、インドネシア、アルゼンチン、ブラジル、南アフリカが中国から借金していて、東南アジア諸国も同様だ。なかには債務が膨らんで財政危機に陥ってる国も出てきているが、米国など西側からは誰も助けてくれない。
習近平はバイデンとの首脳会談にあわせて各国を歴訪し、30ヶ国の首脳と会談したが、それぞれが各30分ほどだった。会談というよりは、まるで朝憲を受ける皇帝のようだ。
では、中国が世界のモデルになるような体制を敷いているだろうか。
旧憲法にあった、国家主席は連続して2期を超えてはならないという規定を削除して、習近平は事実上の終身独裁体制を築いた。
また、「監察委員会」を新設して、あらゆる公職者を監視下におくようにした。これは習近平だけの直属の権力機関だ。
ここまで個人独裁を憲法で正当化している国は、G20の中では中国だけだ。他国にとって中国モデルは参考にならないのだ。
それでも親中国が支持を拡げているのは、先に書いた各国への融資が大きく作用しているからだろう。
その他に、西側諸国で性的少数派の人々の権利拡大が進んでいることに、アジアやアフリカの国々に当惑が拡がっていることがあげられる。
いま開催されているW杯の開催国であるカタールに、同性愛に不寛容であることを理由に、EU各国が強く抗議した。
だがイスラム各国にとっては明らかに行き過ぎだった。
FIFAの会長(スイス人)は、「偽善の極み」と西欧を批判しカタールを擁護した。
このように西側の価値観(それが正当であったとしても)を相手国に一方的に押し付けるような態度をとれば、反西側の勢力を増やすだけだ。
中国と対峙している日本にとって、いかに相手国を孤立させ、味方の支持を増やすのかにもっと知恵を絞らねばなるまい。
それが無理なら、相手との宥和を図るしかない。

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2022/12/06

【ウクライナ】これは戦争なんだぜ

ロシアが発電所などのウクライナのインフラへの攻撃を強めていることに対して、ゼレンスキー大統領はこれはテロだと強く反発している。
劣勢に立たされているロシアは戦争に勝つために必死だ。
ロシアにとって冬季こそ味方に出来ると考えるのは、過去のナポレオンやヒットラーとの戦争の記憶が残っているせいだ。こうした勝利の経験の記憶というのは国民の間にも深く根付いているだろう。太平洋戦争の時に、日本国民の多くが神風を期待していたように。
ウクライナのインフラを破壊し、国民が冬の寒さに耐えられなくなってネをあげるのをロシアは期待しているのだ。
また、ウクライナの国土の泥濘がロシアの戦車の進軍を阻んできたが、冬季になって国土が凍結すれば戦車にとって有利に働くという計算もある。
もちろん、ロシアの行為は非人道的であるのは論を俟たない。
しかし、人道的な戦争というのは過去にあっただろうか。
1945年の米国は日本に降伏を迫るため、焦土作戦を行った。空爆で日本の都市を焼き尽くし、住民を殺害するという作戦だった。
都市は焼け野原となり、数十万人の人々が殺害された。
最後に広島と長崎に原爆を投下し、日本は降伏した。
この非人道的な行為を誰か非難しただろうか? 当時は誰も非難しなかった。
それどころか、被害にあった日本は空爆した米国の指揮官に勲章まで授与している。
戦争というのは、かくも非人道的なものなのだ。
人を殺してはいけないという大原則さえも、戦争になれば敵は殺してもいい、否やむしろ殺さねばならないとなる。
こうなると、人間の倫理観のタガが外れてしまう。
だから絶対に戦争してはいけないし、国の指導者は戦争を回避するためにあらゆる努力をせねばならない。
ロシアの暴走を止めるためには、ウクライナとロシアの間で早期の停戦交渉を進めるしかない。
数か月前にこういう事を主張すると叩かれた。
しかし今は、西欧各国の首脳の中からもこうした声があがっている。
一つには「支援疲れ」という現象が起きている。自国の物価高騰でそれどころじゃないというのが本音だ。ロシアへの経済制裁の影響が、国民の生活にジワリと響いてきていることもある。
プーチン大統領の失脚を期待する声もあるが、仮にそうなるとしてもロシアがウクライナから全面撤退することはないだろうと見ている。
戦況が有利なうちに、ウクライナはロシアとの停戦交渉を早めた方がいい。今なら仲介の労をとってくれる国や指導者が出てくる筈だ。

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2022/12/04

「落語家」談志と、「噺家」小三治と

月刊誌「図書」12月号に、写真家の橘蓮二が「落語家と噺家」というタイトルで、立川談志と柳家小三治の思い出を書いている。
業界以外の人の目で、しかも二人を撮り続けた写真家という目を通して、二人にどういう印象を持ったかという点で興味ある記事だ。
タイトルの由来は、談志が「噺家なんぞと呼ばれたくない。俺は落語家だ」と言っていたのに対し、小三治は「私は話を語って聴かせるだけの噺家」と語っていたことによる。
同じ5代目柳家小さん門下でありながら、対照的な芸風だったいう点が面白い。
橘によれば、二人の「落語家」と「噺家」を別の表現に置き換えるなら、「表現」と「描写」だと言う。
談志が「伝統を現代に」を実践すべく、落語を一度解体、再構成して、演者がどう表現するかに重きを置いていた。
小三治は、言葉のデッサン力で、物語の起伏よりも光景を描くことに注力した。感情を使い過ぎぬよう落語の世界に溶け込む。演者の気持ちを優先するのはなく、登場人物の了見になる。
二人は全く別の落語世界に生きているように感じるのだが、表現の根幹は共通することが多かった。共に人間の営みや滑稽さや切なさに向きあい続ける、答の出ない人生への問いかけを生涯やめることはなかったと、橘は言う。

橘が談志を撮り始めて最初の2年間は全く口をきいてくれず、挨拶してのもチラリと一瞥されるだけだったが、ある日「オイ橘、お前はもう好きにしていい、いつでも撮らせてやる」と言われた。
周囲が求める立川談志として振舞い続ける首都圏の会に比べ、地方公演では自分のペースで過ごすリラックスした姿が撮れる。
自問自答を繰り返し、それまでの信念すら勝手な思い込みと疑い、既存の人間の本質を落語によって証明しようと格闘を続ける姿は鮮烈だったと言う。
無頼で奔放なイメージで語られることが多かった談志だが、ファインダー越しに受けた印象は繊細な心配り人。誰よりも他者の感情の揺れを察知する能力に長け、もっと鈍感であれば楽だったのにと思う事があったが、それこそ持って生まれた業、良くも悪くも世界が見え過ぎていた。
世界と自分とのバランスを取るために選んだのは、破壊と創造が同居したトリックスターであり続けることだったと言う。
私自身は、多くの高座に接した小三治に比べ、談志をライブでみた回数が圧倒的に少なかったで(好きじゃなかったから)、橘の言っていることは理解できない事も多いのだが、優れた談志論であると思う。

橘にとって最も印象的だった小三治の高座は、2008年3月の、まるで演者と観客が物語の中で一つに溶け合ったような圧巻の、「千早ふる」だった。
「自分で言うのもおこがましいが、小三治落語の完成形だった」と言っていたように、その日の高座は言葉一つ一つが優しい音になり、柔らかく舞うような所作と共に描いた空間はまるで異次元にいるようだったと言う。
こういう高座に出会ったフアンは幸せだね。
橘にとって最後の撮影になったのは、昨年9月23日の三鷹公会堂での「錦の袈裟」だった。珍しく小三治の方から声がかかり、「身体に気をつけろよ、元気でな」「ありがとうございます、また伺います」が最後の会話となった。
その10日後に演じた「猫の皿」が小三治の最後の高座になってしまった。弟子によると、高座を降りてからも「今日のサゲは上手くいったよ」と終始ご機嫌だったとのこと。
予定調和でない人生の、日々を愛で、人は何かの加減で生きているだけと、風に吹かれる柳の如く飄々と生きていた小三治の人生。
権威を嫌い、人間国宝になった時も弟子を前に、「芸人は芸がすべて、肩書などいらない」と言った。
高座では、聞き所をことさら強調せず、登場人物の想いがこぼれ落ちるのを待つように意識を手放し、感情のグラデーションで物語を彩った。台詞で想像力を掻き立てる表現力だからこそ掬いとれない秘めた心の内は、敢えて言葉に出すことことなく伝えた。
その研ぎ澄まされた感性こそが小三治落語の真骨頂だと、橘は言う。

長引くコロナ禍による閉塞感と、分断を煽る不穏な空気。気持ちの均衡が崩れそうになった時こそ、他者を許容する「落語的発想」が必要になる。
二人の稀代の芸人が愛した落語を通じて時代を見れば、きっと世知辛い日常も別の顔になって現れる、と橘は締めくくっている。

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2022/12/02

元祖ジェンダーフリーは幕末の女性だった

近ごろジェンダーフリーという言葉を耳にするようになったが、その元祖ともいうべき人は幕末の女性だった。
その名は「高場乱(おさむ)」、天保2年に福岡で広く知られた藩医であった高場正山の次女として生まれた。
父の正山は娘の資質をみて「男にする」と決め、医学と漢学を教えこんだ。10歳で元服した時は、藩にも男子として届けて認められ、帯刀、男装の許しを得た。
この時代で、しかも男尊女卑で名高い九州でこういう事が許されたというのは驚きだ。
高場乱は元服後には男言葉を使い、髷を結い袴つけて牛や馬に乗って往診に出かけた。また漢学にも磨きをかけた。
高場の従姉に勤王派の歌人である望東尼がいて、高杉晋作を匿った罪で流罪となったが、その後救いだされ高杉が亡くなるまで面倒をみた。
高場はその望東尼から強い影響を受け、福岡で勤王の思想を広め若者を育てようと、明治6年に「興志塾」を設ける。
入塾希望者が殺到したが高場は血気盛んな若者を好んで受け入れ、型にはまらない生き方を奨励した。その中の一人が後に右翼の頭目となる「頭山満」だった。
熟生達は学問の延長から次第に政治行動をとる様になる。
明治の初期には士族の不平が爆発して九州各地でも様々な乱が起きる。
特に西郷隆盛が政府と対立すると、興志塾生はその支援に乗り出す。これが「福岡の変」となり、福岡県令の渡辺清は直ちに次々と人を捉え、死罪など厳しい措置を取った。
この時、高場も捕らえられ、死罪に値すると尋問されるが、こう言い返したという。
「拙者の白髪頭と県令渡辺清の首を刎ねた上で、一緒に並べて頂きたい」
高場はその後釈放されたが、死罪となった塾生もいた。
生き延びたと頭山らが「玄洋社」を結成し、高場もこれを支援した。
明治22年には玄洋社の来島恒喜が大隈重信に爆弾を投げ付け、その場で自害するという事件を起こす。
その2年後に、高場は59歳の生涯を閉じる。
福岡の崇福寺境内には高場の墓があり、勝海舟の書による「高場乱先生之墓」が建っている。
生涯を男として生き抜いた女性の数奇な人生だった。
(本稿は、月刊誌「選択」10月号の記事を参考にした)

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2022/12/01

"中国共产党"应该改变其党名

今天的中国正在推行在政治和经济上与共产主义截然相反的政策。 然而,它自称 "中国共产党 "是没有道理的。
这对其他国家的共产党来说是一种滋扰。
将党的名称改为 "中国强国党",是符合实际情况的。

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2022/11/30

来年は誰が大関を奪取するか

大相撲九州場所は3者の決定戦のうえ、平幕の阿炎が12勝3敗で優勝した。平幕力士が3場所続けて優勝したのは史上初。また大関正代の陥落に伴い、来場所は番付が一横綱一大関となるが、これは125年ぶりだ。
上位に飛びぬけた存在がいないことで、良くいえば「群雄割拠」、悪くいえば「どんぐりの背比べ」が現状だ。
先ずは、来年以降に誰が大関に昇進できるかが大きな焦点になる。
今のところ一番手は、東関脇の若隆景で今場所こそ8勝に終わったが、年間最多勝を取ったのは大きい。大関には安定性が求められるので、年間を通して勝ち越す力量がある点は大きな優位性だ。はず押しという型を持っているが、もう一回り体重を増やしたいとこ。
次は西関脇で11勝をあげた豊昇龍で、来場所に二桁勝利があげられるなら三役で33勝以上という大関昇進の条件がクリアする可能性が出てくる。ただ、特定の型を持っていないのが欠点で、今場所も勢いで勝つ相撲が目立った。
若手で期待されるのは、西前頭筆頭で9勝をあげた琴ノ若だ。父親譲りの大きな体と柔軟性を兼ね備えており、未だ相撲は粗いが素材は一級品。
東前頭筆頭で12勝をあげた高安の大関復帰がなるかも注目だ。今年は3場所にわたって優勝争いに絡んでいて、実力は誰もが認めるところ。来年こそ待望の優勝と大関復帰を期待したい。
このところ急速に力をつけてきた霧馬山、翠富士、若元春や、これからの伸びしろが期待される王鵬が楽しみな存在だ。
来年は熾烈な大関争いで、大相撲を盛り上げて欲しい。
【追記】
もう一人、来場所の十両復帰が決まった朝乃山を忘れていた。来年の今頃には三役に戻っていることだろう。

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2022/11/28

カタール批判への疑問

現在開催されているサッカー・ワールドカップの開催国カタール国に対して主に西欧諸国から批判が起きている。理由は、同性愛など性的マイノリティの存在をカタールが禁止しているからだ。
それぞれの国の法律や慣習は、宗教や固有の歴史、地政学上など様々な経緯の上に成り立っている。国によって違いがあるのは当たり前のことだ。
西欧諸国の主張は正当だとしても、それに反するからと言って批判するのは大いに疑問だ。
こういう事を言い出せば、これからイスラム教の国々では国際大会が開けなくなる。
今では西欧諸国では性的マイノリティを承認しているが、長い歴史からみればごく最近のことだ。
国の発達段階にも違いがある。そこは認めなくてはいけない。

ロシアがスポーツの国際大会から閉め出されているのも賛成できない。
もちろんドーピングなどの不正が理由であれば、除外は当然だ。しかしウクライナ戦争を理由としているのは正当とは思えない。
それなら、米国がベトナムや湾岸やアフガン、イラクとの戦争の時に、国際大会から除外されただろうか。
これは完全なダブルスタンダードだ。
政治とスポーツを切り分けろとまでは言わないが、節度が必要だ。

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2022/11/27

「ふるさと納税」制度は間違っている

「ふるさと納税」は、日本で2008年(平成20年)5月から開始された、地方と大都市の格差是正・人口減少地域における税収減少対応・地方創生を主目的とした寄附金税制。
地方出身者は、医療や教育等の様々な住民サービスを地方で受けて育つが、進学や就職を機に生活の場を都会に移し、現住地で納税を行うことで、地方で育った者からの税収を都会の自治体だけが得ることになる。そこで寄付先を納税者自らが選択できるようにした。
寄附額を確定申告することにより寄附分の一部が控除されることから、希望自治体へ住民税の一部を納税するというもの。
別に地方出身者でなくても、旅行などで思い出となった地方や、その地方自治体の取り組みに共感して寄付をしたいという方もあるだろうし、趣旨自体は賛成できる。
問題は、寄付に対して「返礼品」が贈られる点だ。
寄付というのは飽くまで善意に基づくものであり、私も少額ながら毎年NPOなどの組織に寄付を行っている。大半の組織からは領収書と丁重な礼状が送られてくる(日本赤十字の様にそれすら省略というケースもあるが)。それで十分なのだ。
寄付に返礼品を贈ると言う制度は、倫理観や道徳観の退廃を招きかねない。
現に、ふるさと納税がその趣旨に反して自治体間の返礼品競争に陥っている。都市部の自治体の中でさえ、返礼品をエサにしてふるさと納税を呼び込む所も出ている。
日頃から倫理道徳の大切さを説いている自民党が、この制度の旗振りをしているのは呆れるしかない。

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2022/11/25

だから右翼は嫌われる

レッキとした右翼言論人でも、右翼と呼ばれるのを嫌がり否定する人が多い。
「左翼崩れ」という言葉はあるが、「右翼崩れ」という言い方はない。崩れようが無いと見られているからだろう。
右翼の中でも真剣に取り組んでいる人もいるが、少数のようだ。
戦前あれほどの影響力を持っていた右翼が戦後に凋落したのは、戦前は「鬼畜米英」の旗を振りながら、戦後は一転して「アメリカ万歳」に転向したためだ。しかも、なぜ心変わりをしたのかの説明もない。そのため一気に信用を失ってしまった。
その理由は、戦前戦後を通じて右翼の頭目だった「児玉誉士夫」の生き方にそのヒントがありそうだ。
戦時中、児玉は海軍航空本部に納入する資材を独占的に納入し、莫大な資産を得た(今の金額にしておよそ1兆円という試算もある)。敗戦の直前に中国大陸に置いていた資産を密かに飛行機で日本に持ち帰った。大半は金銀財宝と見られ、元はいえば政府が国民から強制的に徴収したものだが。
それを資金として政治工作を行い、戦後はフィクサーとして君臨する。
A級戦犯容疑者として収監されるが釈放となり、CIAのエージェントなど米国の協力者になる。
ロッキード事件で明らかになったように、ロッキード社の日本人代理人となり暗躍する。この事件では専ら田中角栄が悪者になっているが、本当の巨悪は児玉誉士夫だった。
戦前は海軍相手に商売していたから鬼畜米英で、戦後は米国の代理人になったからアメリカ万歳と、実に分かり易い。
要は、金のある方へ転ぶ「不見転(みずてん)」だったという分け。
愛国が聞いて呆れる。

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2022/11/23

島倉千代子「からたち日記」

先日あるNHKの歌謡番組で、坂本冬美が島倉千代子の「からたち日記」をカバーして歌ったが、あれこんなツマラナイ曲だったっけと思った。これだけツマラナク歌った、先輩歌手のへのリスペクトの欠片もない坂本冬美の歌唱には、妙に感心したのだが。
「からたち日記」は1958年の発売で、この曲を歌う時に島倉が一筋の涙を流すのが評判になったが、未だTVが一般に普及する前で、これを自慢げに話すクラスメイトが羨ましかった。
島倉の歌唱の最大の特徴は歌への感情移入だ。「泣き節」とも称されるが、単なる泣き節だと歌が臭くなってしまう。そうならないのは島倉の品の良さだ。
「口づけすらの思い出を」残してくれないまま去って行った愛しい人への一途な思いが聴き手に伝わってくる。
これは、「逢いたいなァあの人に」「哀愁のからまつ林」「夕月」などの曲の歌唱にも共通している。
この特徴を最も端的に表しているのが、東海林太郎の曲をカバーした「すみだ川」だろう。オリジナルとは別ものと思われるほどだ。
芸者に身をやつしたために逢えなくなった人を求めて、毎日すみだの畔をさまよい歩く一途な娘心の姿が心に沁みる。やっと逢えた二人に、こちらも「良かったねぇ」と共感してしまう。
これだけ聴き手の心を動かす歌手は、島倉以外には思い浮かばない。

話しは変わるが、NHKの歌謡番組に音程すらまともに取れない歌手が出てくるが、あれは何とかならないものか。素人のど自慢じゃあるまいし。
NHKは受信料を徴収しているのだから、出演させる歌手には品質保証する義務があるべきだろう。
それと司会者が、歌手が歌い終わるたびに「有難うございました」と礼を言うのは間違っている。司会者も歌手も同じ出演者なんだから、視聴者を前にして仲間内で礼を言うのは変だろう。

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