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2023/09/24

私の好きな曲(洋盤)

好きな曲を集めてみました。今回は洋盤です。
リストアップしたところ、大半の曲がスタンダード・ナンバーになりました。
()内は日本語のタイトル、グループ名の定冠詞「The」は省力しています。
太字は特に好きな曲です。

Ames Brothers「Moonlight Serenade」(ムーンライトセレナ-デ)
Andrea Bocelli 「Quizas Quizas Quizas」(キサス)
Andy Williams「The Shadow Of Your Smile」(いそしぎ)
Barbra Streisand「Woman In Love」(ウーマンインラブ)
Barry Manilow「Copacabana」(コパカバーナ)
Beatles 「While My Guitar Gently Weeps」 (ホワイルマイギタージェントリーウイープス)
Bee Gees「Massachusetts」(マサチューセッツ)
Billy Joel「Honesty」(オネスティ)
Bing Crosby「Siboney」(シボネ-)
Bobby Darin「Mack the Knife」(マックザナイフ)
Bonnie Guitar「Dark Moon」(ダークムーン)
Carol Sloane「hush-a-bye」(ハッシャバイ)
Carpenters「Yesterday Once More」(イエスタデイワンスモア)
Celtic Ladies「Greensleeves」(グリーンスリーブス)
Cesaria Evora「Besame Mucho」(ベサメムーチョ)
Chase Webster「Moody River」(涙のムーディリバー)
CLAUDIO VILLA「La novia」(ラノビア)
Diamonds「Little Darlin'」(リトルダーリン)
Domenico Modugno「Nel Blu Dipinto Di Blu」(アルディラ)
Eagles「Hotel California」(ホテルカリフォルニア)
Edith Piaf「Sous le Ciel de Paris」(パリの空の下)
Edmundo Rivero「El choclo」(エルチョクロ)
Ella Fitzgerald「Misty」(ミスティ)
Elvis Presley「Can't Help Falling In Love」(愛さずにはいられない)
Engelbert Humperdinck「QuandoQuandoQuando」(クアンドクアンドクアンド)
Frank Sinatra「Strangers In The Night」(夜のストレンジャー)
Harry Belafonte「Venezuela」(恋のベネズエラ)
Marceau Camille「Jambalaya」(ジャンバラヤ)
Jerry Vale「Al- Di- La」(アルディラ)
John lennon「imagine」(イマジン)
Jose Carreras「Ah! Maria, Marí」(マリアマリ)
Julie London「Cry Me A River」(クライミアリバー)
Kingstone Trio「Where Have All The Flowers Gone」(花はどこへ行った)
Mamas & The Papas「California Dreamin'」(夢のカリフォルニア)
Matt Monro「Love is a many splendored thing」(慕情)
Maurice Chevalier「I love Paris」(アイラブパリ)
Michael Martin Murphey「Red River Valley」(レッドリバーバレー)
Nat King Cole「too young」(トウヤング)
Patti Page「Lover Come Back To Me」(恋人よ我に帰れ)
Paul Robertson「Oldman River」(オールドマンリバー)
Pedro Infante「Cielito Lindo」(シェリトリンド)
Peggy Lee「journy gitter」(ジャニーギター)
Perry Como「The Rose Tattoo」(薔薇の刺青)
Peter, Paul and Mary「Blowing in the Wind」(風に吹かれて)
Platters「Twilight Time」(トワイライトタイム)
Queen「Bohemian Rhapsody」(ボエミアンラプソディ)
Righteous Brothers「Unchained Melody」(アンチェンドメロディ)
Simon & Garfunkel「The Sounds Of Silence」(サウンドオブサイレンス)
Brothers Four「The Green Leaves Of Summer」(グリーンリーブスオブサマー)
Four Lads「Istanbul」(イスタンブール)
Tony Bennett「I left my heart in San Francisco」(想い出のサンフランシスコ)
Yves Montand「Les Feuilles Mortes」(枯れ葉)
Д.Хворостовский「Очи черные」(黒い瞳)

2023/09/22

私の好きな曲(邦盤)

好きな曲を集めてみました。今回は邦盤です。
誰もが知ってる有名な曲から珍しい曲まで、順不同でリストアップしました。
太字は最も好きな曲です。

エト邦枝「カスバの女」
コロムビアローズ(初代) 「渡り鳥いつ帰る」
ザ・タイガース「花の首飾り」
ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」
ディック・ミネ「夜霧のブルース」
テレサテン「つぐない」
トワ・エ・モア「誰もいない海」
ハイファイセット「フィーリング」
はしだのりひことシュ-ベルツ「風」
ビリーバンバン「さよならをするために」
ピンキーとキラーズ「涙の季節」
フランク永井 「こいさんのラブ・コール」
ペドロ&カプリシャス「別れの朝」
もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」
ラッツ&スター「街角トワイライト」
井上陽水「いっそセレナーデ」
岡晴夫「青春のパラダイス」
岡本敦郎「リラの花咲く頃」
音丸「船頭可愛や」
加山雄三「旅人よ」
灰田勝彦「鈴懸の径」
岸恵子「ハワイの夜」
岸洋子「希望」
岩崎宏美 「すみれ色の涙」
近江俊郎「南の薔薇」
五輪真弓「恋人よ」
荒木一郎「いとしのマックス」
高峰三枝子「湖畔の宿」
坂本九「サヨナラ東京」
三橋美智也「リンゴ村から」
山口百恵「秋桜」
舟木一夫「花咲く乙女たち」
小畑実「星影の小径」
小林旭「惜別の唄」
松島詩子「マロニエの木陰」
織井茂子「君の名は」
森進一「襟裳岬」
水原弘「黄昏のビギン」
菅原洋一「今日でお別れ」
西田佐知子「エリカの花散るとき」
青木光一「柿の木坂の家」
石原裕次郎「鷲と鷹」
石川さゆり「天城越え」
大橋純子「シルエット・ロマンス」
竹山逸郎・藤原亮子「誰か夢なき」
中森明菜「セカンド・ラブ」
天地真理「若葉のささやき」
島倉千代子「からたち日記」
藤山一郎「夢淡き東京」
奈良光枝・近江俊郎「悲しき竹笛」
二葉あき子「巴里の夜」
倍賞千恵子「瞳とじれば」
美空ひばり「ひばりの佐渡情話」
霧島昇「夢去りぬ」
来生たかお「夢の途中」
李香蘭「夜来香」
林伊佐緒「麗人草の歌」
増田多夢(パラキン)「カプチーナ」

2023/09/19

誰がカダフィを殺したのか

北アフリカのリビアで甚大な洪水被害が出て18日で1週間がたった。世界保健機関(WHO)は3958人が死亡し、9千人以上が行方不明だとしている。現地では遺体の身元確認を待たず、集団墓地への埋葬が始まった。国連は既に1千人以上が集団埋葬されたとした。
人口約10万人のデルナでは市内を流れる川の上流にあるダム2つが決壊し、大洪水が人々や建物を襲った。統一政府の不在でダム補修が滞り、被害が拡大した可能性が指摘されている。
また早期警報・防災システムが適切に運用されていなかったことも被害を拡大した要因という指摘がある。警報があれば事前の避難で犠牲の大半を防げていただろうと思われる。
今回のリビアの洪水被害は、直接的には地中海のハリケーンを指す「メディケーン」という低気圧が大雨をもたらしたものだが、被害がここまで拡がったのは「人災」が原因だ。
私は2005年7月にリビアを訪問しているが、遺跡の数々に目を奪われた。ローマ遺跡が残存状態といい、スケールといい、他国を圧倒していた。
現地ガイドの説明では、教育費は大学まで無料、家賃も安く、福利厚生も充実しているとされていた。豊富な石油資源を背景にした豊かな国という印象だった。
街の至る所にカダフィ大佐の肖像画が飾られていて、T-シャツにはカダフィの写真がプリントされていたのが印象的だったが。
しかし、2011年にカダフィの独裁政権に反対する反政府勢力と政府軍との間に内戦が勃発し、国内は混乱状態となった。
カダフィ独裁政権による人権弾圧が国際問題となるに従い、米国とNATOの一部の国が内戦に介入し、米英仏を中心とした多国籍軍がカダフィ政府軍への空爆を開始した。
やがてカダフィが殺害され、内戦は一応反政府側の勝利となった。
その後、親カダフィ勢力およびイスラム国の台頭を招き内戦は現在まで継続し、現在に至っている。
もともとリビアは、反目しあいがちな多数の部族をカダフィが巧みに統制することによって一国家として成立していた。カダフィというタガが外れてことにより、部族間や都市間の対立が激しくなり、収集がつかなくなっている。
「独裁=悪」という西側の常識は、常に成り立つわけではない。
最後まで責任を負えないような支援や介入は、却って相手国を不幸にすることを肝に銘じておかねばなるまい。

2023/09/14

祝!阪神タイガース2023年セ・リーグ優勝!

2023年9月14日、阪神タイガースは4:3で巨人を破りリーグ優勝を果たした。おめでとう!
今シーズンは岡田監督を迎えて選手の守備位置を固定化し、内外野の連携プレ-を重視した守りの野球を目指した。
打者には選球眼の向上により四球による出塁を増やし、走塁を絡めた機動的な攻撃を行ってきた。木浪を8番に置き上位打線につなぐ役割を負わせ、1、2番の出塁を中軸が返すという繋がりが成功した。
投手陣では、昨年まで一軍出場が無かったような、あるいは国内FAで獲得した投手をエース格に育て、中継ぎの投手の数を揃えて、質量ともに投手王国を築いた。
こうした努力が9月に入ってからの連勝を生み、ブッチギリの優勝を導いた。
このまま日本シリーズも制覇して欲しい。

2023/09/13

アメリカは特別な存在だった

ボクらにとってアメリカは特別な存在だった。生まれた時はアメリカと戦争中だった。やがて敗戦となり、小学3年生になるまではアメリカの占領下だった。当時のボクらにはアメリカは仰ぎ見る存在だった。
10代後半になると、砂川や立川の米軍基地反対運動に加わったりし、米軍の横暴さに次第に反発するようになった。
海外旅行は数えていないが数十回(もしかしたら3桁かな)に及ぶが、最も印象的だったのはやはりアメリカ旅行だった。訪米は3回で、うち出張が2回、兄と二人で個人旅行が1回。
1回目はボストン、ロードアイランド、シアトル。
2回目はサンフランシスコ、ウイスコンシン州の地方都市、ワシントンDC、ニューヨーク。この時は一人で出張だったが、ロクに英語を喋れないのに何とか乗り切った。もっとも散々恥をかいたのだが。
3回目は、兄が癌の手術をして5年経ち、初めての海外にどこが良いかとたずねたら、アメリカに行きたいということで最初で最後の兄弟旅行となった。兄としては若い頃のアメリカ映画への憧れがあったのだろう、指定コースとしてナイアガラ、ワシントンDC、ニューヨーク、フィラデルフィアを巡った。ブロードウェイのミュージカルを観劇したのもこの時だった。
たまたまニューヨークのメトロポリタン美術館に知ってる人がいて、最上階のレストランでランチをご馳走になり、館内を案内して頂いた。お陰で良い兄貴孝行ができた。この数年後に兄はあの世へ旅立った。
数々の海外で最も感激したのは、ニューヨーク(マンハッタン)の中心に立った時だった。アメリカへの屈折した思いが一気に出たのだろう、大げさに言えば、これで死んでもいいとさえ思った。
孫娘を連れてもう一度ニューヨークを訪れたいと願っていたが、ボクの健康状態では到底無理だ。
これも思い出のアルバムとして仕舞っておくしかない。

2023/09/10

日本は身の丈に合った海外支援を

ここの所、岸田首相は国際会議や要人との会見などで海外を飛び回ることが多い。国内では批判が多いが、海外では歓迎を受けるので気分が良いせいか表情も緩んでいるように映る。
支援を約束してくるケースも増えて、先方から感謝されるから気分が良いのだろう。自分の懐が痛むわけじゃないしね。
しかし、国民の経済実態からすると、日本は先進国とは言えない。
1人当たり名目GDPの世界ランキングでは31位で、韓国や台湾より少し上でイタリアより下だ。
1人当たり購買力平価のGDP世界ランキングでは38位で、チェコとアルバニアの間に挟まれている(以上はいずれも2022年IMF統計より)。
とても海外に大盤振る舞いする余裕などない。
先日のニュースで、ウクライナ支援についてアメリカ国内では反対が賛成を上回ったと報じられていた。
トランプはウクライナを支援しないと公言しており、そういう主張が一定程度浸透していることを窺わせる。
いま林外相がウクライナを訪れ、復興支援を約束しているようだが、戦争はどう終結するかの見通しがないまま、安易な約束は避けた方が良い。
第二次世界大戦後には日本やドイツをはじめ各国は、焼け野原の中から自力で復興してきた。誰も助けてくれなかった。ウクライナもそれは覚悟してもらわねばなるまい。
岸田は各国に福島の処理の安全性を科学的に説明しているようだが、真向から反対しているのは中国で、それも専ら政治的意図によるものだから聞く耳を持たない。
いずれ中国自身が不利な立場に追い込まれれば、方針を変えざるを得なくなる。それまで待つのが最善の策だろう。

2023/09/07

クズ

いわゆる「部落」への差別が依然として横行していると報じられている。ネット社会になってから却って酷くなったという見方もあるようだ。確かにそうしたサイトが存在するし、アクセスする人も少なからずいるようだ。
私の経験では、以前から部落が話題になることはなかった。部落の存在を知ったのは10代の半ば頃で、小説や映画存在を通して初めて知ったくらいだ。だから差別意識は皆無だ。
元々、部落自体は人為的なもので、差別を受ける理由などない。
しかし、差別する連中は、どの地域に多いとかどの名字が多いとか、そんな事をほじくり返して喜んでいる。

関東大震災で多くの朝鮮人が殺された、これは歴史的事実だ。
私の両親は二人とも関東大震災を経験していたので、子どもの頃から震災の話は聞いていた。その中であまり詳しくはなかったが、朝鮮人たちが酷い目に逢ったということも聞かされていた。
処が、これを否定する人たちがいるようで、そういう連中がグループを組んで行動していると報じられている。9月1日に行われた朝鮮人犠牲者の法要祭に押しかけて妨害したとある。

こうした言われなき差別でしか自己のアイデンティティーを保つことができない人は、クズとしか言いようがなく、同じ日本人として恥ずかしい。
言論の自由は保証せねばならないが、同時に差別は唾棄すべきものだ。
明らかなヘイトに対しては、人権保護の立場から取り締まりの対象にすべきだ。

2023/09/05

門田隆将という「作家」

門田隆将(かどた・りゅうしょう)は、ベストセラーを連発する人気作家として有名で、2012年に福島第一原子力発電所の事故について書いた『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(2012年11月刊行、PHP研究所)はその後に「Fukushima50」として映画化されて大きな反響を呼んだ。
また、門田は右翼の論客として産経系などのメディアにその主張が頻繁に取り上げられていて、眼にした方も多いだろう。
その一方、門田は過去に盗用・剽窃を告発する著作権侵害訴訟を起こされ、東京地裁・東京高裁・最高裁で連続敗訴している。
「門田隆将グローバルクラブ」というサイトに、そのパクリの手口が詳細に紹介されている。
ここでは、
①池田知加恵『雪解けの尾根』(ほおずき書籍、2008年9月刊行の第3刷)
②門田隆将『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』(集英社、2010年8月に出版)
の文章の一部を比較対照したものを引用した。

①の17ページ
朝、元気に家を出た人間が、その夕刻に死ぬなんて、私にはどう考えても信じられない。悪夢でも見ているのではないか、そうであってほしいと思った。今まで、夫のいない生活を考えたこともなかった。これから一人になって、どんな楽しみがあるのだろうと思ったら、涙が止めどなく溢れて仕方がなかった。私は、周囲に気づかれないように涙をそっとふいた。
②の131ページ
朝元気に家を出ていった夫が、その夕刻に死ぬなんて、知加恵にはどうしても信じられなかった。これは悪夢に違いない。そう何度も思おうとしていた。夫のいない生活など考えたこともない。これから一人になって、自分は何を頼りに生きていけばいいのだろうか。
 考えれば考えるほど、止めどもなく涙が溢れてきた。周囲に悟られまいと、知加恵は何度もハンカチで涙を拭った。

①の20ページ
日航側の家族受け入れ態勢はこの時まだ不備を極め、あちこち市内をひっぱり回された家族と日航の間はさらに険悪になった。中には、いらだちが高じ日航の社員の胸を足げにする人もいて、本当に恐ろしかった。
②135ページ
しかし、まだ日航の受け入れ体制は整っておらず、引っぱりまわされた家族は、日航の職員に罵声を浴びせた。いらいらして日航の社員の胸ぐらを摑む人や、なかには、実際に胸を蹴り飛ばす人もいた。

①の20~21ページ
私は若い警官の前に腰かけた。
「ご主人の事故当日の服装、所持品、肉体的特徴についてくわしく話して下さい」
と聞かれたが、背広の色さえ記憶していなかった。若いころから着替えは自分でしなければ気のすまない人だったし、空港までの車中も助手席の夫と顔を合わすことがなく、前日自分で買ったと言っていたネクタイの柄もよく見ていなかった。覚えていたのはニナリッチのカフスボタン、朝磨いてそろえた靴の色くらいである。身体的特徴については次のように説明した。人並み以上に頭が大きいこと、髪の毛が多く、ヘアトニックをたくさんつける習慣のあること、色白だが、このところゴルフ焼けをしていること、足の水虫のことなど
②の136ページ
聴取を担当したのは、若い警官だった。
「事故当日の服装、所持品、肉体的特徴を詳しくお話し下さい」
二人は、警官からそう尋ねられた。典正には、ほとんどわからない。しかし、知加恵も、あまり答えられなかった。
知加恵は、いざ聴かれると隆美が着ていった背広の色さえ記憶していなかった。若い頃から着替えなど、準備は自分一人でやってしまう夫だった。十二日の朝、空港へ送る車中でも助手席の夫とは横向きの位置関係にあり、前日に自分で買ったと言っていたネクタイの柄もよく見ていなかった。知加恵が覚えていたのは、わずかにニナリッチのカフスボタンとタイピン、あとは、朝、磨いて出した黒靴の型くらいのものだ。
身体的特徴も人並み以上に頭が大きいこと、髪の毛が多くてヘアトニックをたくさんつける習慣があること、色白だが、このところゴルフ焼けをしていること、足の水虫のことなど

①の21ページ
家族は、アイウエオ順で数か所の市内の小中学校の体育館に分散、待機させられた。私たちの第二小学校は市内の繁華街から西北にあった。体育館は、折からのひどい暑さの中に立錐の余地もないほどの人いきれで、まるで蒸しぶろのようである。昨晩から着ていたブルーのTシャツも汗まみれであったが、この際なりふりなど構っていられなかった。
②の137ページ
乗客の家族は、姓名のアイウエオ順で数か所の市内の小中学校の体育館に分散、待機させられていた。市の繁華街からやや西北に位置する藤岡第二小学校で知加恵たちは待機した。
体育館は折からの酷暑で、まるでむし風呂だった。知加恵が前夜から着つづけている洋服も汗まみれだったが、仕方なかった。

サイトでは、数十か所に及ぶパクリが紹介されているが、字数の関係でここまでで止めておく。
またサイトでは、門田の他の著作についてもパクリの手口を紹介しているので、興味のある方は直接「門田隆将グローバルクラブ」を参照されたい。
上記の例でも分かる通り、門田の文章はパクリというよりは「コピペ」と表した方が近い。
これは果たして「作家」と言えるのだろうか。

2023/09/03

(続)この演者にはこの噺

前回より対象者を少し拡げて選んでみました。
演者と『演目』、()内の数字は「代目」を表しますが一部は省略しています。

桂かい枝『堪忍袋』
桂吉朝『質屋蔵』
桂文華『近日息子』
三遊亭圓歌(3)『坊主の遊び』
春風亭一朝『淀五郎』
春風亭小朝『牡丹灯篭よりお札はがし』
桃月庵白酒『松曳き』
隅田川馬石『明烏』
入船亭扇橋(9)『麻のれん』
入船亭扇辰『匙かげん』

2023/09/01

関東大震災と亀戸事件

以前、街を歩いていてたまたま「亀戸事件犠牲者之碑」というのが眼に入った。不勉強で全く知らなかったのだが、調べたら関東大震災のなかで起きた虐殺事件の一つだった。
関東大震災のドサクサに、この機に乗じて軍や警察は敵対していた人たちの抹殺を計画し、その中で起きた事件だった。
東京府南葛飾郡亀戸町(現・東京都江東区亀戸)で、社会主義者の川合義虎、平澤計七、加藤高寿、北島吉蔵、近藤広蔵、佐藤欣治、鈴木直一、山岸実司、吉村光治、中筋宇八ら10名が亀戸警察署に捕らえられ、9月3日から4日(あるいは9月4日から5日)に習志野騎兵第13連隊によって亀戸署内あるいは荒川放水路で刺殺された事件だ。
彼らが日頃から労働争議で警察と敵対関係にあった事から目を付けられたのだ。
大正12年10月11日付の各新聞は、そろって亀戸事件に関する警察発表を大きく報道した。警視庁官房主事正力松太郎(後の讀賣新聞の社主)らの談話のとして報じた概要は次の通り。
1.9月4日深夜から5日早朝にかけて平沢計七、川合義虎、山岸実司、北島吉蔵、鈴木直一、近藤広造、加藤高寿、吉村光治、佐藤欣治、中筋宇八の10名の労働運動者は、亀戸署の演武場横の広場で習志野騎兵第13聯隊の兵士によって殺害された。彼らは、震災後おれ達の世がきたと革命歌をうたい、「朝鮮人が毒薬を井戸に入れた」など流言を放っていると附近の者が密告してきたため3日夜検束した。彼等は留置場内でも革命歌をうたい、多数の留置人を煽動して手がつけられないので、軍隊に制止方を依頼したところ、更に反抗したため殺されたものである。
2.死体は附近の空地にはこび出し、他の多数の死体とともに石油をかけて焼いてしまった。家族からの問い合わせには「既に釈放した」と答えさせた。事実を言えば一層騒ぎが大きくなると考えたからである。
3.軍隊の処置は衛戌勤務令第12によつた適法のものであると認めた。
しかし、彼らの検束や殺害の理由としてあげられたものは全て噂や密告によるもので、証言や証拠は何もない。
大杉栄らの虐殺と同様、大震災の混乱の中で社会主義者や労働運動家を狙い打ちしたことは明白だ。
大震災から今年で100年を迎える。
また流言飛語によって多数の朝鮮人が殺害された。
今後発生する災害に備えて、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう教訓としたい。
(以上は、二村一夫『亀戸事件小論』を参考にした)

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