2017/04/28

鈴本演芸場4月下席・昼(2017/4/27)

鈴本演芸場4月下席昼の部・7日目

前座・春風亭朝太郎『真田小僧』
<  番組  >
金原亭馬久『元犬』
林家楽一『紙切り』
金原亭馬治『強情灸』
橘家圓太郎『浮世床(本)』
ホームラン『漫才』
金原亭世之介『堪忍袋』
柳家三三『お血脈(序)』
だるま食堂『コント』
春風亭一之輔『化け物使い』
─仲入り─
花渡家ちとせ『浪曲・大久保彦左衛門』
古今亭菊春『宮戸川』
花島世津子『奇術』
金原亭馬生『包丁』
出演者全員『高座舞』

寄席というのは、先ず楽しくなくてはいけない。
鈴本4月下席は、落語以外にも紙切り、漫才、コント、浪曲、奇術、そして大喜利は高座舞と、実に多彩なプログラムで楽しませてくれた。
なので個別に感想を述べるのは大した意味がないのだが、いちおう参考までに。

馬治『強情灸』、この人の高座で客席が温まってきた。惣領弟子だが師匠とは異なる芸風。腕に乗せた灸を我慢する姿が可笑しかった。

圓太郎『浮世床(本)』、市馬の代演だったが、この日は圓太郎が正解。姉川の合戦で「あね、あね、あねはカワラケ」、「じゃ、妹は毛深い?」。最前列のお嬢ちゃん、分かりました?

ホームラン『漫才』、勘太郎が郷ひろみと同じ年で、客席から「えー!」。たにしが62歳で、また「えー!」。たにしが藤木孝のツイストの物真似で受けていたが、藤木はなぜ人気絶頂で歌手を引退したのか、謎だ。

世之介『堪忍袋』、石原慎太郎が堪忍袋に「小池百合子のバカヤロー!」と吹き込んでいた。高座舞ではパンダのかぶり物で活躍。

三三『お血脈(序)』、前半の善光寺の由来までで切る。クスグリでは、物部尾輿(もりやのおとど)が「日本は神国であるから仏法はまかり成らぬと」と、まるで森さんみたいな事を言って。森さんといえば歴代首相の中で体が一番大きく、脳みそが一番小さいと。

だるま食堂『コント』、初めて見る人も多かったようだが、「ウー、サンバ」では手拍子したり腕を振り上げたりと、盛り上がっていた。
この人たちは寄席の高座でも違和感がない。

一之輔『化け物使い』、仲入りで高座を落ち着かせる。最近の一之輔は風格さえ感じる。短い時間に手際よくまとめる手腕はさすがだ。隠居がのっぺらぼうの女に好みの顔を描こうとするのは独自の演り方か。

菊春『宮戸川』、身体の動きが独特。お花に言い寄られて、避けようとして半七が座布団からはみ出す動きは初めて見た。そんなに嫌がらなくてもいいのに、替わって上げたいくらいだ。高座舞でも活躍。

世津子『奇術』、この人のネタであるカードを3枚客に引かせて、それぞれを切り抜いた紙の形で当てる技は見事だ。あれはどういうカラクリなんだろう?

馬生『包丁』、演じ手が少ないネタだが馬生は得意としている。常から頼まれた寅が清元の師匠を口説くが、頭をポカポカと殴られ、怒って悪だくみをみな喋る。真相を知った師匠が今度は寅と夫婦になるのを持ちかける所が山場で、師匠の品のある色気がよく出ていた。

大喜利の高座舞、上手い人も下手な人も、恰好いい人もそうでない人も、賑々しく舞い踊る姿に会場は大喜びだった。

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2017/04/26

「城塞」(2017/4/25)

「城塞」
日時:2017年4月25日(火)13時
会場:新国立劇場 小劇場THE PIT
作:安部公房 
演出:上村聡史
<  キャスト >
山西惇:男
椿真由美:男の妻
松岡依都美:若い女
たかお鷹:従僕
辻萬長:男の父

新国立劇場の演劇新シリーズ「重なる視点―日本戯曲の力―Vol.2」は、1962年に初演の安倍公房作の「城塞」。
あらすじは。
時代は昭和30年の半ば。一方では安保闘争の全国的な拡がりの中で騒然とした雰囲気に満ちていて、その一方では戦後の高度経済成長の真っただ中だった。
舞台はコンクリートに囲まれた部屋、中央にスライド式の扉が床と水平に設置され、そこが地下室への出入り口となっている。左右の壁にはそれぞれドアがある。正面後方には大きな窓があり外の景色も眺められるが、普段は赤いカーテンが下りている。ここが寓意的な意味でも物理的な意味でも「城塞」という事になる。
ソ満国境でで終戦を迎えた男の父は、全財産を持って日本に戻ろうとしている。手配した飛行機には二人しか乗れない。そこで父は妻と娘を置き去りにして、息子と二人だけで逃げることを決心する。病に伏せる母親と、絶望のあまり自殺してしまう妹を前に、男は激しく父に抗議し言い争いになる。
しかし、これはこの家族の中の儀式だった。今は正気を失い時が止まってしまった父が正気に戻る時だけ、男とその妻、従僕、そして金で雇った若い女(ストリッパー)が協力し合って、昔を再現している。
父親にとって国家が全てであり、彼の恐怖は革命によって国家が消滅することにあった。一方、男は父から継いだ会社が兵器産業に組み込まれてゆくことを怖れていた。
男は若い女との性的関係に溺れ、妻との間は険悪になってゆく。
やがて儀式は質的に変わってゆく。戦争が「国民の血だけ流され、国家の血はもと通り」と憤っていた男は会社を兵器産業に組み込み、大きく発展させていた。
成金の父が築いた城塞は、今や資本家となった男の城塞と化した。
儀式の終わりに男は父に現実を突きつけ、父は狂気の中に沈み、若い女は裸になって自らを解放する。

ざっと、こんなあらすじにして見たが、正確かどうかは分からない。抽象的な表現が多く、解釈が難しいのだ。
私の見立てとしては、こうなる。
・妻や娘を置き去りにして日本に戻り大儲けする父親の姿は、戦争責任を曖昧にしながら経済復興だけを優先させていた当時の日本の姿を暗示している。
・当初は兵器産業を忌避しながら結局は兵器産業で会社を大きくする男の姿は、不戦を誓いながら再軍備から安保体制へと突き進んだ日本の姿を象徴している。
これも正解かどうかは自信がない。
観客の入りが悪かったのは、当時は神のごとき存在だった安倍公房を知る人も少なくなってきたのでは。内容が難解なことにも原因があるように思う。

出演者、特に男性陣は実力派揃いで、素晴らしい演技を見せていた。この演技を見るだけでも観劇する価値がある。
ストリッパー役の松岡依都美の躍動感も魅力的だった。

公演は30日まで。

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2017/04/25

立川志の輔独演会(2017/4/24)

「立川志の輔独演会」
日時:2017年4月24日(月)18時30分
会場:銀座ブロッサム中央会館
<  番組  >
立川志の輔『やかん』
立川志の輔『高瀬舟』
~仲入り~
ダメジャン小出『ジャグリング』
立川志の輔『宿屋の富』

久々の志の輔だ。
この日は前方を使わず、開口一番から本人が出て、色物を挟んで3席演じた。
独演会と称しながら2席で終える噺家が多い中で、こういうサービス精神は是非見習って貰いたい。

志の輔『やかん』
サラだったので、前座噺を選んだのだろう。
マクラで今年は1月、2月、森友、4月だったと。今年の流行語大賞は「忖度」で決まりだろう。最近の閣僚らの失言をとりあげ、あれは思っていたことをポロリと言ってしまったもので、失言とは言えないと。その通りだ。
「キリンの首って、どうしてあんなに長いんです?」
「そりゃ、お前、頭があんなに高い所にあるから、首は長くなるだろう」
そんな問答を繰り返しながら、「水わかし」から「やかん」になった訳を。
1席目は軽く流す。

志の輔『高瀬舟』
ご存知森鴎外の代表作を一席にまとめたもの。ただ、落語化とうよりは原作を若干変えて粗筋を語ったという印象だ。
ストーリーは忘れていたので、改めて紹介する。
徳川時代に京都の罪人が流刑を申し渡されると、高瀬舟にのせられて大阪へ送られる。護送するのは京都町奉行の配下にいる同心で、罪人の親類のうち一人が同船させる事を許された。
同心羽田庄兵衛は豊かな商家から妻を娶ったため、経済的には苦労が絶えなかった。
ある時、弟を殺めたという喜助という罪人の護送を命じられた。他に身内がいないようで同船者はいない。
流刑の罪人というのは通常は泣いたり喚いたりと落ち込む表情を見せるのだが、この喜助という男は珍しく周囲の景色を眺めながらいかにも楽し気に見える。
庄兵衛は不思議に思って身の上話しを訊くと、喜助兄弟は早くから両親を亡くし、二人は同じ所で働き寄り添うように暮らしていた。
処が、弟が大病を患い働けなくなり、喜助一人の稼ぎで食べて行くようになる。弟はこの事でたいそう気を病んでいた。
ある日、喜助が弟のために食べ物を買って家に戻ると、弟は自刃をはかり喉に刃物を刺して状態で苦しんでいた。
医者を呼ぼうとする喜助を弟は止め、それり早く喉に刺さった刃物を抜いてくれと頼まれ、抜いてしまうとそのまま弟は死んでいった。
その姿が近所の人に見つかり、喜助は弟殺しの罪で流罪となったのだ。
喜助は、島流しになっても食べ物と寝る所は頂けるし、流人には御上から200文という金子が与えられる、生まれてから持ったことのない大金で、自分は今とても幸せだと言う。
庄兵衛は我が身を振り返り、喜助の心情に思いを馳せ、掟を無視して喜助の縄目を解いて、二人並んで高瀬舟は黒い水面をすべって行った。   
志の輔は語りの確かさでじっくり聴かせていた。

ダメジャン小出『ジャグリング』
初見。一つ一つの技はさほど高度とは思えないが、見せ方が上手い。

志の輔『宿屋の富』
通常の演じ方といくつか違いがあった。
・宿に泊まった男の自慢話を宿の亭主があまりに信用してしまい、男がせめて「自宅の門から家まで宿場を三つ通る」の所で止めてくれなかったと嘆く。
・男の出身地が鳥取ではなく越前。
・富籤を売りつける際に、100枚売るのに1枚だけ売れ残った。この1枚をかぶると99枚の儲け分が飛んでしまうのでと言って、富籤を無理やり買わせる。
・富籤に当たったら半額を宿の亭主にという約束を、亭主の方から申し出て約束させる。
・富籤を売る段階で、籤の番号「子の1365番」を言わずに売る。
・一番富が当たった時に、賞金は富籤の所有者と売った人間が揃わないと受け取れないからと、男はいったん宿に戻る。
志の輔の高座はいくつか細部の変更はあったが、大筋やサゲはオリジナル通り。
見せ場の、師匠譲りの2番富が当たると信じた男の妄想や、一番富が当たった時のリアクションを中心に熱演。
彩の異なる3席で、志の輔ファンは満足したと思う。

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2017/04/24

露の新治落語会(2017/4/23)

「露の新治さん落語会」
日時:2017年4月23日(日)10時30分
会場:ギャラリー&スペース弥平(菊名)
<  番組  >
露の新治『人権落語』
露の新治『紙入れ』

4月21日の「共謀罪」を審議している衆院法務委員会で、質問者の民進党議員が他の議員と相談していると、自民党の自民党の土屋正忠理事が大声でこう叫んだ。
「あれは、テロ等準備行為じゃねえか!」
正に語るに落ちるとはこのことで、共謀罪について政府の本音が出た。
この法案の怖ろしさは、政府に反対るするような行為をテロ準備行為として取り締まることにあり、最初に標的にされるのは沖縄の反基地運動だろう。
以前の記事にも書いたが、「テロ」というのは曖昧な言葉で、為政者によって如何様にも解釈が出来てしまう。
これが「共謀罪」の本質だ。

さて、昨日の三田落語会に行けなかったので、23日午前に行われた露の新治落語会へ、
この会は、横浜近現代史勉強会が主催したもので、主催者が新治と高校の同級生だった縁で実現したらしい。
菊名の駅は初めておりたが、この辺りは坂道が多い。駅から会場までは上り坂で、坂を上がりきった所から右折すると、露の新治の垂れ幕が見えてきた。
早めに会場に着いたら、まだ新治が普段着で会場造りを手伝っていた。
40名ほどで一杯になる会場は満席で、殆どが知り合いの人のようだった。
主催者の挨拶と新治の紹介のあと、「金毘羅船舟」の出囃子にのって、盛大な拍手で新治が登場。

1席目『人権落語』
今日はお互い志が同じなのでと、最初から安倍批判がポンポンと飛び出す。こうして落語会を開いて皆が笑えるのも平和があればこそで、これが共謀罪だの治安維持法が通るようになれば笑っていられなくなる。
憲法を守るというが、私たちが憲法に守られている。
痴漢防止の標語で東京は「気を付けよう、甘い言葉と暗い道」、大阪は「痴漢、アカン!」。これは加害者の行為を禁止した大阪が正しい。東京の場合は被害者が気を付けろという意味になり、問題のすり替えが行われている。性犯罪では事件が起きると被害者の落ち度が問題視され、加害者の責任が曖昧にされてしまう事が少なくない。
管内の引ったくりが日本一の尼崎署の標語は「引ったくり、するな!」。これも加害者側を禁止しているので、正しい。
競争は人間同士の連帯を壊してしまう。新治の孫の保育園での運動会で、4歳児の徒競走で一人の子が早くスタートしたら、父親の一人が大声で「フライング!」と抗議し、スタートをやり直させた。子ども同士の微笑ましい姿が、競争になると親の意識も変えてしまう。
手段の自己目的化は避けねばならない。議員の当選するのは手段であって目的ではない。それを自己目的化すると、今の自民党議員の様な不祥事が起きる。
「老化」を確実に防ぐ方法は「若死に」しかない。「老化」は誇るべきことだ。
「頑張る」はやめて、「願生る」でいこう。
まあ、ざっとこんな具合の教訓的な話しだが、これが新治の手にかかると抱腹絶倒。会場は終始笑いに包まれた。
精子と卵子に関わる新説も聴けたし、とにかく楽しい高座だった。
来られなかった方は、残念でした。

2席目『紙入れ』
マクラは色気をどう出すか。会場の女性方には大いに参考になったろう。「あなたと一緒だと、何を食べても美味しいわ!」なんて、一生に一度でいいから言われてみたいね。
「人の女房と枯れ木の枝は、登りつめたら先がない」、これも経験がないが、きっとそうなんでしょうね。
若い男をたらし込む女房と、やめようやめようと思っても誘惑に勝てない新吉の心理描写が毎度のことながら鮮やか。
「町内で知らぬは亭主ばかりなり」の亭主、鷹揚なのか鈍感なのか。これならまた安心して浮気が続けられるというもの。
「その時に、紙入れはそっと返すわ」で新吉も一安心。でもますます泥沼に入ってゆく予感もするのだが。
2席目は、うってかわっての艶噺で、新治の十八番。
この2席を聴けた今日のお客は幸せだ。

三遊亭圓歌の訃報に接した。
『中沢家の人々』で知られるが、私は『坊主の遊び』『西行』がベストだと思っている。
ご冥福を祈る。

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2017/04/22

#455花形演芸会(2017/4/22)

第455回「花形演芸会」
日時:2017年4月22日(土)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・笑福亭希光『のめる(二人癖)』
柳家緑君『初天神』
三笑亭小夢『長命』
しゃもじ『漫才』
桂佐ん吉『佐野山』
ー仲入りー
ゲスト・三遊亭遊雀『堪忍袋』
丸一小助・小時『曲芸』
雷門小助六『木乃伊取り』

緑君『初天神』、久々だが上手くなっているようだ。金坊がウソ泣きしながら、飴の購入を周囲に訴える姿が良く出来ていた。

小夢『長命』、初見。独特の語りのリズムとセリフの間がかみ合わず、客席が冷めていた。若奥さんに色気が感じられない。

しゃもじ『漫才』、沖縄出身の漫才師は珍しいのでは。ツッコミが振る話題をボケが聞き違えるというのが笑いのパターン。ネタも練られているしテンポも良く面白かった。

佐ん吉『佐野山』、一之輔と同期だそうで、マクラは専ら先日のNHK番組のプロフェッショナル。一之輔の年間900席一日に7席には、月に7席という噺家もいると。
ネタは東京でもお馴染みだが、内容は幾分異なる。大きな違いは大横綱が谷風ではなく小野川で、大阪相撲の出身だからだろう。小野川が若い頃は極道で親孝行をせぬまま両親を早く亡くしていて、佐野山の親孝行のために一肌脱ぐというストーリー。
佐ん吉の明解で確かな語りが生きていた。
この日の若手の中では格の違いを感じさせる出来だった。

遊雀『堪忍袋』、このネタは東京では3代目金馬や8代目柳枝が十八番としていて、現役の人もその流れで演じているケースが多い。
対する遊雀の高座は、最初の夫婦喧嘩の場面からサゲまで上方落語版で演じている。遊雀の眼力が活きた高座で、この日一番受けていた。

小助・小時『曲芸』、撥を斜めにくわえて先端にマリを挟んで五階茶碗を立てる芸は初めて見た。糸渡りで茶碗が落下してしまったのは残念。

小助六『木乃伊取り』、やや短縮版だったがテンポが良く面白く聴かせていた。飯炊きの清蔵が、かしくの手練手管にメロメロになってゆく過程も丁寧に描かれていた。
ただ、この人は強い声を出すと声が割れるため、聴き取りづらい時があった。清蔵が途中で標準語になる演じ方も、評価が分かれるだろう。

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2017/04/20

「春風亭正太郎・入船亭小辰二人会」(2017/4/19)

新・春に船「春風亭正太郎・入船亭小辰二人会」
日時:2017年4月19日(水)18:45
会場:内幸町ホール
<  番組  >
春風亭正太郎・入船亭小辰『挨拶』
前座・春風亭きいち『桃太郎』
入船亭小辰『代脈』
春風亭正太郎『百川』
~仲入り~
春風亭正太郎『厩火事』
入船亭小辰『井戸の茶碗』

冒頭の挨拶で、この会は昨年5回開き一応終了の予定だったが、今年も継続となったとのこと。中身は変わり、ゲスはト無し。その影響か、後方に空席が目立つ。
現在の二ツ目で一番上手いのは誰か、アタシの知る限りでは春風亭正太郎。それも頭一つ抜けている。
改変や余計なクスグリを入れずに、古典をそのまま演じて面白く聴かせる技術は大したもので、十分に真打クラスの実力を備えている。
入船亭小辰、語りは師匠に似ているが、高座での姿は大師匠・扇橋(柳家さん八)の若い頃を思わせる。
そんな事いうと、年がバレるかな。

きいち『桃太郎』
一之輔がこのネタを演るとこんな感じかなと思って聴いていたら、やはり弟子だった。未だ落語家のしゃべりになっていないが、不思議な可笑しさがある。このネタで久々に笑ってしまった。
有望。

小辰『代脈』
主人公の銀南の描き方として、与太郎風な愚か者として描くやり方と、関心が専ら色欲と食欲に向いた若者として描くやり方があるが、小辰は後者。
ただただお茶菓子の羊羹に異常な関心が向けられ、お嬢さんの診察では下腹部に触れることだけを楽しみしている。
でも良玄先生だって、さして必要があるとは思えない下腹部に触っていたのだから同類かも。
小辰はテンポの良い語りで面白く聴かせていた。
オリジナルでは往診に駕籠で行き、途中で銀南と駕籠かきとの珍妙なヤリトリがあるのだが、最近の高座ではカットすることが多い。小辰もそうだった。

正太郎『百川』
百兵衛の造形が秀逸で、この点に尽きると言っても良い出来だった。ただ純朴だけではない、強かさも感じさせる。クワイの飲み込み方は、今まで見た中でベスト。
各登場人物それぞれの演じ分けも十分で、貫禄さえ感じる高座だった。

正太郎『厩火事』
マクラでフランス映画の『髪結いの亭主』を話題にしていたが、このネタの髪結いのお崎と亭主との間も映画同様、濃密な愛で結ばれていたのではなかろうか。
仲人から別れなさいと言われた時の、お崎の反応の官能的なこと!
彼女は亭主が可愛くて仕方ないし、亭主の方もお崎とは離れられない。
その愛を確かめ合って、目出度し目出度しというストーリーだと思う。
正太郎の高座は、刻々変わるお崎の表情変化が巧み。この人、案外女性修業をつんでいるのかもと思わせる一席。

小辰『井戸の茶碗』
落語には珍しいほどの、登場人物が全員真っ直ぐな人ばかりだ。
いかにも小辰らしい真っ直ぐな高座だが、清兵衛のアクションを少し大きくしてアクセントを付けていた。
小辰さん、「子午線」を知らなくても恥じることはありませんよ。言葉は知ってるが、意味を説明出来る人は少ない筈ですから。

二人とも正に「上り坂の芸」、これからも注目したい。

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2017/04/19

ダフ屋行為(営利目的の転売行為)の禁止

国立劇場などのチケットをネットで購入する会員(NTJメンバー)に、下記のようなメールが送信されてきた。 
【引用開始】
昨今、国立劇場・国立演芸場・国立能楽堂・国立文楽劇場の主催公演において、チケットの不正購入や営利目的の転売が疑われる事例が発生しています。
その対策として、インターネットでご購入いただいたチケットのお受け取り方法を以下のとおり変更いたします。
なお、国立劇場あぜくら会及び国立文楽劇場友の会会員としてご購入いただいたチケットは、今回の変更の対象ではございません。
■対象となるチケット
平成29年3月28日(火)午前6時以降にインターネットでご購入いただいたチケット
■対象となるお客様
NTJ会員のお客様(国立劇場あぜくら会及び国立文楽劇場友の会会員を除く)
■変更内容
インターネットでのご購入完了から72時間経過していないチケットにつきましては、自動発券機でのお受け取りができなくなります。
ただし、それより前にチケットをお受け取りになる場合には、決済にご利用いただいたクレジットカード(ペイジー決済の方はインターネットバンキングの取引明細やATM利用明細票等お支払いが確認できるもの)をご持参の上、チケット売場窓口でお受け取りください。
【引用終り】
いわゆる「ダフ屋行為」への対策として、「インターネットでの購入完了から72時間経過していないチケットは、自動発券機で受け取りができなくなる」というもの。
購入して直ちに転売しようとする者にはある程度の規制がかけられるが、「国立劇場あぜくら会及び国立文楽劇場友の会会員を除く」とされており、有効性には疑問もある。

行きたいと思っていたのにチケットが取れず、そのチケットがネットのサイトで転売されていると腹が立つ。
人気公演のチケットを購入し、高額で転売して利益を得る者が後を絶たない。
こうした転売目的のチケット購入は迷惑防止条例で禁止されていて、最近では逮捕者も出ているが氷山の一角だ。

東京都条例第103号
第二条 何人も、乗車券、急行券、指定券、寝台券その他運送機関を利用し得る権利を称する物又は入場券、観覧券その他公共の娯楽施設を利用し得る権利を称する物(以下「乗車券等」という。)を不特定の者に転売し、又は不特定の者に転売する目的を有する者に交付するため、乗車券等を、道路、公園、広場、駅、空港、ふ頭、興業場その他の公共の場所(乗車券等を公衆に発売する場所を含む。以下、公共の場所という。)又は汽車、電車、乗合自動車、船舶、航空機、その他の公共の乗り物(以下、公共の乗り物という。)において、買い、またはうろつき、人につきまとい、人に呼び掛け、ビラ又はその他の文書図画を配り、若しくは公衆の列に加わって買おうとしてはならない。

この法律の前半部分によれば、「転売目的でチケットを買う行為」そのものが「ダフ屋行為」だと規定している。
しかし、購入している時点では転売目的かどうかは判断できないため、実際にはザル法になっている。
チケットを購入したが急に都合が悪くなり、他の希望者に有償で譲渡したいというケースもあり、これをも禁止するわけには行かない。
では、どうしたら「転売目的」だと見做せるだろう。
そこで提案だが、

正規料金を超える金額でチケットを不特定の者に転売した者は、転売目的で購入したと見做す

と規定したらどうだろうか。
「東京都迷惑防止条例」第二条に違反した場合は、以下のように罰則(抜粋)が取り決められている。

第八条 次の各号の一に該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
一 第二条の規定に違反した者
8 常習として第一項の違反行為をした者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。

こうしたリスクを冒してまでダフ屋行為をする者は、いなくなるだろう。
もちろん、急に行けなくなってチケットを正規料金以下で譲渡する行為は、転売目的には当たらない。

ダフ屋行為を根絶するには、これ以外の方策はない気がするのだが。

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2017/04/17

喬太郎の『居残り』でハネた「扇辰・喬太郎の会」(2017/4/16)

第70回「扇辰・喬太郎の会」
日時:2017年4月16日(日)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
柳家喬太郎『小政の生い立ち』
入船亭扇辰『百年目』*
~仲入り~
入船亭扇辰『道灌』
柳家喬太郎『居残り佐平治』*
(*ネタ出し)

ここ10年位は皆勤賞となるこの会だが、会員向け発売日を逃がしてしまい、一般発売日に何とかチケットが取れた。
扇辰と喬太郎がネタ下ろしを各1席披露するという趣向の会だが、今回は特に二人とも大ネタに挑んだ。
少し遅れて、前座が下りてから入場。

喬太郎『小政の生い立ち』
講談の『清水次郎長外伝~小政の生い立ち』を落語化したもの。
次郎長というと広沢虎造の浪曲で有名だが、本家は講釈。次郎長モノの特長は、次郎長はどちらかといえば狂言回しで、それぞれの子分たちの銘々伝の様な形式になっている。
「清水港は鬼より怖い、大政小政の声がする」と謳われた小政が次郎長と出会って清水に行くまでの物語だ。
母親が死んで清水に向かう小政は餞別に受け取った資金で居合抜きの道場に通い、腕を磨いてから次郎長の元を訪れる。これは非常に賢いやり方で、だからこそ幹部にまでのし上がったのだろう。実際には、代貸を務めた大政に比べると、かなりランクは下だった様だが。
落語にしにくい物語を、クスグリを散りばめて1席にまとめた喬太郎の力量は大したものだ。

扇辰『百年目』
マクラで、ネタ下ろしは完成品ではないので、その心算で聴いてほしいと言っていた。そう言いながらも、扇辰のことだから相当な稽古を重ね、完成度を高めて高座に臨んだと思う。
前半のお花見で番頭の冶兵衛が大旦那と鉢合わせする場面までは快調に飛ばしていたが、後半でダレてしまった。
冶兵衛が二階で眠れず悶々とする場面の時間が長すぎた。夢のシーンは蛇足で、もっとあっさりと演じて良かった。
翌朝の大旦那が冶兵衛を呼んで諭す場面も、同じセリフの繰り返しがあったりして冗長に感じた。
一番いけないのは、最後に二人が涙にくれる場面で、この噺の品位を壊してしまう。
次回からは、後半はかなり刈り込んで演じた方が良いと思う。

扇辰『道灌』
仲入り前が相当時間をオーバーしたので、軽めのネタを選んだと思われる。
前座のお手本になるような高座だった。

喬太郎『居残り佐平治』
「スーダラ節」の出囃子で登場。
時代とともに言葉が変わるというマクラを振って、この噺のサゲの「おこわにかける」の意味を解説した。
一人二分の割り前で佐平次とよったりが品川の貸し座敷に上がってドンチャン騒ぎする所から話が始まる。通常演じられる品川宿で店をさがし、牛太郎に声をかけてのヤリトリはカットしていた。
居続けする佐平次に若い衆が勘定の催促をする場面では、もう少し厳しいヤリトリがあった方が良かったのでは。ちょいと、若い衆があっさりと引き下がり過ぎる。この辺りは薄味だった。
佐平次が座敷を回り始め、先ず勝つぁんに取り入る辺りから俄然「らしさ」が出てくる。花魁が手紙を書く時に、好きな人と嫌いな人とでは手つきが違う所を身振りで見せる所は秀逸。
祝儀が入ってこず困った若い衆の直訴で、店の大旦那が佐平次に帰宅するよう促すが、佐平次は自分がお尋ね者だと居直り、金や着物をせしめる場面では佐平次の小悪党ぶりが巧みに描かれていた。
このネタは過去に錚々たる顔ぶれの名人上手が手掛けており、喬太郎としては恐らくはそれらに挑むというよりは自分流の『居残り』を目指していると推測する。
そう見れば、ネタ下ろしとしては一応成功と言えるのではなかろうか。
喬太郎の持ちネタに加わる日が近いかも。

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2017/04/16

「正雀・菊志ん二人会」(2017/4/15)

「林家正雀・古今亭菊志ん 二人会 その2」
日時:2017年4月15日(土)14時
開場:橘家(四谷荒木町)
<  番組  >
前座・林家彦星『つる』
古今亭菊志ん『黄金の大黒』
林家正雀『中村仲蔵』
~仲入り~
林家正雀『一眼国』
古今亭菊志ん『黄金餅』

就寝前に落語のCDを聴きながら寝るのを日課としているが、ここ3ヶ月ほどは桂米朝だけを聴いている。
米朝の語りの魅力はいくつもあるが、それを裏付ける話芸の要素は次の様だ。
・計算され尽くしたセリフの「間」
・セリフの緩急
・声の高低
・声の強弱
こうした要素の組合せによって、米朝独特の語りの「艶」や「ドラマ性」を生んでいるのだと思う。
プロの噺家でも語りに魅力がない人がいるが、米朝の高座から学ぶべき所、大だろう。

この会の会場となった四谷荒木町は高級料理店の多い所で、私も現役時代に何度か足を運んだことがあるが、敷居の高い店だった記憶がある。
「橘家」も元は料亭だったようで、今は貸座敷となっている。詰めて30人ほどが座れる座敷と舞台があり、緞帳が設備されているのには感心した。
アクセスは地下鉄四谷三丁目駅から数分で、曙橋からも近いようだ。

正雀と菊志ん、双方の師匠同士が親しかった(もっとも彦六の方が圓菊よりずっと先輩だが)こともあって、そうしたご縁から二人会を開くことになったようだ。
菊志ん、二ツ目当時から注目していて、何度か高座を見てきた。明るい芸風で噺も上手く好感が持てた。むしろ、真打になってからあまり高座に接する機会がなくなった。
正雀、芝居噺の継承者として貴重な存在。正蔵はこの人が継ぐべきだった。
この日は二人とも、師匠の十八番を演じるという趣向。

菊志ん『黄金の大黒』
寄席だと時間の関係から途中で切ることが多いが、この日はサゲまで。聴かせ所の店子が大家を訪れ羽織をとっかえひっかえしながらお祝いの口上を述べる場面、この人らしい陽気な語りが活きていた。
悪戯した大家の倅の頭を金づちで殴ったというエピソードや、座敷に上がってからの宴会の場面もスピーディで、良い出来だった。

正雀『中村仲蔵』
ほぼ師匠の演出通りだったが、仲蔵が花道の「申し上げます」で相手の名前を失念したとき、咄嗟に本舞台の4代目團十郎に訊きにいって事なきを得て、それを機に團十郎から認められ名題に取り立てられるというエピソードを冒頭に持ってきていた。
五段目の場面では、師匠譲りの芝居の場面を忠実に再現していた。
ただ、五街道雲助や露の新治の高座に比べ、蕎麦屋で浪人風の旗本に出あって定九郎の衣装を思い立つ箇所や、日本橋の魚河岸で観客の一人が仲蔵の工夫を褒め称える箇所といった山場の盛り上げに欠けていたように思う。
サゲは師匠とは異なっていた。

正雀『一眼国』
これもマクラの向う両国での見世物小屋の風景から、師匠の演出通り。香具師が六部に珍しい話しをせがむ時には炊き立てのご飯を勧めるが、思いつかないとなると途端に冷や飯と言い出す所は先代正蔵には無かったのではないかと。
このネタ、逆転の発想の面白さがある。

菊志ん『黄金餅』
このネタの最大の聴かせ所は、なんと言っても下谷山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺までの道中付けの言い立てだ。こればっかりは、今も志ん生の型を踏襲している。勿論、菊志んも同じ。
一歩間違えると陰惨な話になりかねないのだが、菊志んはカラリと演じていた。その分、貧民街から何とか這い上がろとする金兵衛の凄まじいまでの執念は薄目だったと思う。

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2017/04/14

「町内会(町会、自治会)」って、必要なのか

私が住んでいるマンションでは、管理組合の理事長は町内会の役員になることになっている。
これも自分たちで決めたことではなく、入居当初から町内会側が勝手にルール化したものらしい。
町内会の役員の主な仕事は、
・役員会の出席(無視している)
・町会費と近くの神社の氏子会会費の集金
・区の会報などの配布
・分けの分からぬ回覧
・赤い羽根などの募金の集金
・防災訓練などへの参加
といった所だ。

管理組合の役員の方は大変なことも多いが、こちらもお世話になることがあるのでお互い様と割り切れる。
しかし、町内会となると40年近く会員になっているが、何か世話になった記憶がない。
その一方で、会費の集金や上から配布物、各種回覧物などが一方的に持ち込まれる。だから、どうも釈然としないのだ。
特に回覧、この必要性が全く分からない。
先ず、読まない。私も読まないが、周囲の人に訊いてもやはり読まないと言っている。読まなくても誰も困らないし、作り手も読ませる工夫をしていない。
恐らくは、各団体の広報予算の消化に使われているんだろう。
そんな回覧物が毎月数種類も持ち込まれる。

ウウィキペディアで「町内会」を引くと、「日本の集落又は都市の一部分(町)において、その住民等によって組織される親睦、共通の利益の促進、地域自治のための任意団体・地縁団体とその集会・会合」とある。
しかし町内会の歴史を振り返れば、戦時下では大政翼賛会の末端組織として戦争遂行の役割を果してきた。
戦後はGHQにより禁止されていたが、サンフランシスコ条約の発効にともない自治組織として再組織化されるようになり、今日まで続いている。
私の住んでいる地域については、同じ町内なのに番地が違うと別の町内会に分かれていたり、その一方で別の町と同一の町内会を形成している。
区内の他の町内会も似たような形態だ。
どうやら、戦前の町内会組織がそのまま継続しているようだ。

加えて、この町内会は近くの神社の氏子たちが中心となっている。だから、町内会の役員が氏子会の会費の集金をやらされるのだ。
私の様に信教の自由を理由に氏子会の入会を拒否していても、町内会の役員になると氏子会費の集金は手伝わされる。
地元の神社への信仰を否定するわけではないが、神社本庁が「日本会議」の中心であったり、神社が憲法改正の署名を呼びかけたりしている実情を見る時、どうしても戦前の悪夢を想起してしまう。
別の神社が経営している幼稚園では、かなり以前から毎朝の朝礼で君が代を園児に歌わせている。安倍政権の教育政策の先取りである。

少なくとも私の町の町内会を見る限りでは、住民自治とは程遠い。
地方自治体との連携を言いながら実態は一方通行で、「御上から下々へ」の気分が抜けない。
こんな町内会なら不要だろう。
町内会など脱会したいのだが、震災など大きな災害に遭ったときはそれなりの役割もあるかも知れないと思って、疑問を持ちながら会員は継続しているのだが。

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