2009/07/10

【鳩山献金偽装】”自共”共闘は「次」への予行演習

民主党鳩山由紀夫代表の献金偽装、ウラ金なんだかマネーロンダリングなんだか脱税なのか、ますます闇の中だ。
東国原知事への出馬要請がかえって世論の反発をかった自民党としては、この疑惑追及に一発大逆転を賭けている。よく調べれば自民党の中に似たような議員は沢山いるのだろうが、最早そんなこと言っちゃあいられないのだ。
鳩山代表の参考人招致も視野に入れて徹底追及する構えだが、共産党もほぼ同じ方針で臨んでいるようだ。この問題では「自・共」共闘に進みそうな成り行きである。

さてモタモタしている総選挙だが、今のままいけば民主党を中心とした連立政権が誕生する可能性が高い。
そうなると次に与党となりそうなのが、民主党、社民党、国民新党、その他名前が思い出せない政党などだ。
しかしよーく見れば、民主党の主流と国民新党はもともと自民党であり、ようは自民党離党組と旧社会党残党との連立政権というのが実体だ。
今の自公政権に比べ「よりましな」政権になるかどうかは、成ってみてのお楽しみである。

メデタク民主党中心の政権が誕生したアカツキには、連立に加わらない政党はどうなるのだろうか。
先ず公明党だが、こちらは不透明だ。なにせ前回自民党が野党だった時でも、ちゃんと与党に納まっていた党である。公明党はその時々の政権になびく風見鶏みたいな性格をもっているので、フタを開けてみたら与党に加わっていたという可能性は否定できない。
自民党、これは野党でしょう。一部民主党に走る議員は出るかもしれないが、全体としては野党だ。
残る共産党、こちらはどんな政権になろうとも野党になるのは確定だ。なにせ万年チェッカーである。
そうなると確実に野党になるのは、自民党と共産党ということになる。

鳩山献金偽装で自共が足並みを揃えているのは、来たるべき新政権に対する予行演習なのかも知れない。
今回の衆院選では、共産党が候補者を立てられない選挙区が多数でてくる。そうした選挙区では、支持者の大半が民主党に投票すると見られているようだが、小沢一郎に続き鳩山由紀夫まで金にまつかわる疑惑が生まれてくると、民主党の皮算用どおりになるかはビミョーになってきた。

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2009/07/08

「京教大事件」記事への補足

京都教育大学集団準強姦事件についての前回掲載に記事にいくつかのコメントが寄せられ、改めて謝意を表します。
当ブログで最初にこの事件をとりあげたキッカケは、事件全体を通しての警察や検察の不審とも思える不自然な捜査過程に疑問を持ったからです。
コメントの多くは6人の容疑者に対する検察の処分内容によるもので、これが不起訴だったのか、それとも起訴猶予だったのかが問われていました。

先ず予備知識として、不起訴と起訴猶予についての用語を簡単にまとめてみます。
【起訴】裁判所に対し原告の請求について判決をするよう法定の手続に従って求めること。通常は検察官による公訴の提起を指して用いられることが多い。
【不起訴・起訴猶予】検察官の判断により、終局処分として公訴の提起(公判請求や略式命令請求)がされない処分をいう。
【不起訴】下記の場合不起訴となる。
・訴訟条件を欠く場合
・被疑事件が犯罪を構成しない場合
・犯罪の嫌疑がない場合
・嫌疑が不十分な場合
【嫌疑不十分】捜査を尽くした結果、犯罪の成立を認定すべき証拠が不十分な場合
【起訴猶予】情状が軽く訴追の必要がない場合。
より具体的には、証拠上被疑事実が明白であっても、被疑者の性格・年齢および境遇・犯罪の軽重および情状・犯罪後の状況により、訴追を必要としないと判断される場合
起訴猶予は前歴として記録に残される。
起訴猶予処分を受けた者が不起訴処分に変更するよう求めることはできない。

ややこしいのは、起訴猶予を含めて一般に不起訴と称されることが多いのです。被疑事実があったかなかったかは別として、法的利益としてはともに「起訴されない」という点では共通だからです。

以上の点を頭において、今回の事件の処分内容をみていきましょう。
先ずは当方のコメントでも補足したように、6月22日に容疑者6人が釈放された段階では、各報道機関は一斉に「釈放、起訴猶予処分へ」という見出しを打っていました。
各メディアが同一の報道をしたということは、恐らく京都地検の担当検事か誰かのリークだったのでしょう。検察側のアナウンスというところでしょうか。
では6月26日に出された検察の処分内容はどうかですが、報道は下記の通りバラバラで、肝心な点が「薮の中」なんです。
・不起訴処分としたもの
・起訴猶予処分としたもの
・不起訴処分として、「嫌疑不十分か起訴猶予かについて、『今後の6人に対する大学の指導に影響を与える』(プライバシーを配慮という記述もある)として、明らかにしていない。」と付記しているもの
京都教育大学に実際に電話で問い合わせもしましたが、電話に出た人の答えの要旨は次の通りです。
(1)処分の内容について検察からの連絡や説明はされていない。報道機関からの情報だけだ。
(2)不起訴か起訴猶予かとの問い合わせに対しては、大学としては「起訴猶予」と答えている。
(3)その理由についてたずねたが、回答は無かった。
以上の通りで、検察の処分内容についての正式な大学又は学長の見解は出されておらず、電話での応対だけでは検察の処分内容を正確に推し測ることはできないと判断されます。
様々な情報を勘案すれば何が事実か分からず、現時点では前回の記事に書いた内容をそのままにしておきます。
勿論、今後検察の処分内容が正式に公表されるならば、その段階で再考したいと思います。

起訴猶予と考えるべきという指摘もありますが、集団(準)強姦事件というような重罪が、被害者との示談の成立だけを理由として、かくも簡単に不起訴にしてよいのか、これも大いに疑問です。
こんなことが罷り通れば、どんな犯罪を起こしても、金を積んで示談にさえ持ち込めば罪が許されることになり、それこそ司法制度の崩壊につながりかねません。
従って、起訴猶予だったという断定も適切ではないように思えます。

今回、改めて事件の経緯を見直す中で、一つ気付いたことがあります。
それは容疑者6人が揃ってなぜ最後まで否認を続けたのか、逆にいえばなぜ警察や検察が拘留中の取り調べの中で「落さなかった」(罪を認めさせなかった)のかという疑問です。
一般に逮捕後の取り調べは苛酷で、やっていない人間までついつい「自白」してしまう程です。
ましてや相手は大学生、しかも逮捕時には一人は容疑を認め、三人は性行為を行ったと認めていたとされていたのが、なぜ取り調べ中に全員が否認に回ったのでしょうか。
取り調べ官の怠慢なのか、それとも警察と検察が故意に容疑者を「落さなかった」のか。
あるいは一般に公表できない、なんらかの事情があったのか。

もう一つ、取調べで頑強に否認すればするほど、通常は罪状が重くなります。
例えば電車内の痴漢事件でも、罪を認めれば執行猶予が付くか、軽い場合は罰金刑になりますが、これが否認を貫くと悪質で反省がないと判断され、実刑になるケースが多い。だからつい「やりました」と認めてしまうのです。
今回の事件こそ裁判にかけ、審理を通して事実を明らかにして欲しかったと思います。
しかし本件は、既に刑事事件としては決着しました。
最後まで釈然としない気持ちの残る事件でした。

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2009/07/07

前記事へのコメントについて

京教大事件に関する弊エントリーに、多数コメントをお寄せ頂いており、感謝いたします。
様々ご気付きやご意見、大変参考になります。
できるだけ早めに弊方の見解をまとめたいと思いますので、しばしのご猶予を。
それからお願いですが、できればハンドルネームを記入して頂けると、整理の都合上助かりますので、ご協力をお願い申し上げます。

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「京教大集団強姦事件」警察と検察は正しかったのか

京都教育大学の学生による集団準強姦事件は、不自然とも思える形で一応の決着を見たが、世の中の関心はなお続いているらしく、当サイトの関連記事にも日々コンスタントにアクセスがある。
当ブログでは当初から大学側の対応は概ね妥当だったと主張していたが、ネットの世界では少数意見である。
実はこの記事をエントリーした際に、かなりの批判が寄せられることを覚悟していたが、アクセス数の多さに比べ、批判のコメントは僅かだったのはむしろ予想外だった。
先日、この記事にコメントが寄せられ、それに対するレスという意味を含めて、この事件の再論をしたいと思う。

ネットの主張の多くは、一部の加害者擁護論を除けば、学生6人が逮捕された際のマスコミの報道(つまり警察発表)内容が100%正しいことを前提としている。
次いで、批判の矛先の大部分は京都教育大学側の事件への対応に向けられているという特徴がある。
しかし私は、もしマスコミの報道が正しいとするならば、批判されるべきは警察と検察の捜査機関ではないかと考える。
(1)京都府警の捜査
被害者の家族が警察に被害を通報してから容疑者の逮捕までに、なぜ2ヶ月間もかかったのだろうか。
それに対して大学側は、家族からの訴えがあって1週間後には処分を決めている。この警察の捜査の遅れこそ問題にすべきではなかろうか。
今回のような集団による事件では、逮捕が遅れればそれだけ証拠隠滅や口裏合わせが容易となり、加害者側に有利な情報の流布や被害者への圧力も可能になる。
場合によっては容疑者の逃亡や自殺という可能性も出てくるので、身柄拘束は迅速にやらねば意味がない。
しかし不思議なことに、ネットの世界で事件を厳しく糾弾している人たちの多くは、この警察捜査の遅れをあまり問題にしていない。
仮に警察の捜査に問題が無いとするならば、それはこの事件がそう単純なものでは無かったことを認めることになりはすまいか。
(2)京都地検の処分
6月1日 容疑者6人を逮捕。
  22日 容疑者全員否認のまま釈放
  26日        を不起訴と決定。なお起訴猶予か嫌疑不十分なのかは公表せず。
この京都地検の処分には、多くの人が驚いたと思う。
今まで報道されていた内容と処分の落差が、あまりに大きかったのだ。
集団(準)強姦事件というのは極めて重罪で、しかも親告罪ではない。
取り調べの中で容疑者全員が罪を認め深く謝罪し、再犯の可能性も低いと判断されたのならともかく、容疑者全員が一貫して否認している中で、釈放後に被害者との示談が成立したから不起訴にするとは、あまりに常識外れではなかろうか。
こうした事件では捜査機関は容疑者に対して極めて苛烈であることは、冤罪の疑いの強い「御殿場事件」での警察と検察の対応をみれば分かる。それが普通なのだ。
しかもプライバシーを盾に、起訴猶予か嫌疑不十分なのか公表もしない。これは一体どういう事なのだろう。
処が、ネットであれだけ加害者を卑劣な強姦魔などと書き立てていた人たちの中から、意外や検察への批判の声は小さい。
これも検察の処分を適正と認めるのなら、事件の報道の信憑性に疑いが持たれることになる。

なぜこの事件では、警察や検察の捜査・処分がヌルク、アイマイだったのか、先ずそっちを検証すべきではなかろうか。大学側の対応は次の問題だと考える。
犯人を捕まえて監獄に入れるのは警察や検察の仕事であり、大学の仕事ではない。

もう一点付け加えるならば、性的暴行事件の場合、事件を告げられた人が先ずやらねばならないことは、秘密を守ることだ。
直ぐに警察に通報などと簡単に言える人は、周囲にこうした事件に遭遇した経験がないからだろう。
犯罪の申告率といって、被害にあった中でどれ位の人が捜査機関に届け出たかの割合を示す数値があるが、性的暴行事件では平成16年のデータで15%を切っている。つまり被害者の7人中6人は被害届けを出していないことになる。
これが平成12年以前では1割未満という数字になっている。
正義感だけでは割り切れない問題が、この種の事件には横たわっている。

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2009/07/06

胃カメラ検査に朗報

何がイヤだって、あの「胃カメラ」検査、これが実に苦痛です。
以前に一度、検査中に嘔吐したモノが肺の中に入ってしまい、それが原因で肺炎に罹ったことがあります。それ以来、医者から胃カメラという言葉を聞くだけで、身体全体が緊張するんです。
それで医者に、胃カメラを飲むくらいなら胃ガンで死んだ方がマシですと訴えたら、それなら「経鼻内視鏡」なら楽だと勧められ、本日その検査に行ってきました。

普通の胃カメラ(内視鏡)が口から入れる(経口)のに対し、こちらは鼻から(経鼻)カメラを入れます。
一番の違いは、カメラの大きさです。経口用の直径が約10mmあるのに対し、経鼻用はその半分の約5mmです。
なんだ半分かと思うでしょうが、直径が半分なら面積は4分の1になりますから、これは大変な違いです。

次に、口からカメラを入れるとどうしても舌根部を通過させるのですが、この舌の根の部分に嘔吐反射のスイッチがあるのだそうです。
たいたい胃カメラをやるような人は元々胃の調子の悪い人が多く、気分が悪い。そこを更に刺激されるものですから、ゲーゲーとやってしまうわけです。
これが鼻からですと、舌根部を通らずに食道に入れられるので、嘔吐感が生じないというわけです。
実際に経験してみての感想ですが、苦しさは4分の1くらいに小さくなり、かなり楽になりました。嘔吐感もほとんどありません。
これだったら、年に1回位なら辛抱できそうです。

経鼻内視鏡には欠点があり、それは視野がやや狭いことです。だから検査の完全性を求めるなら今までの経口法がベターです。
それから胃がんの摘出など内視鏡を使った手術は、やはり経口のカメラでないと出来ないそうです。
そうした制約はあるものの、検査自体が楽だということは病変の早期発見にもつながりますので、こうした利点は生かすべきでしょう。

なお経鼻内視鏡は発売が2002年なので、まだ備えていない医療機関もありますので、実際に検査を受けるときは医師に相談してみて下さい。
検査なんぞやらやないに越したことはありませんが、どうしても胃カメラを飲まなくてはならない時の、ご参考までに。

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自民党じゃもうダメだ

静岡県知事選は6月5日投票、即日開票の結果、無所属新人の経済学者川勝平太が接線の末、初当選を確実にした。今回は民主党側が分裂選挙だっただけに、自民の敗戦ショックは大きい。
これで自民党は、名古屋、さいたま、千葉各市長選に続く大型地方選挙4連敗で、麻生政権はいよいよ苦境に立たされた。
最近の自民党を見ていると、「貧すれば鈍する」という言葉がピッタリとあてはまる。
その典型的な例が、東国原知事への「おべっか」使いである。

「僕が行けば自民党は負けない。負けさせない。」
「民主党は次期代表選で私を選ばないだろう。自民党総裁になる方が可能性、確率は高い」
芸能人時代に犯罪を繰り返してきた人間にこんなことまで言われりゃあ、一笑に付すか窘めるのが普通だろう。
それがどうだ。
膝を屈し揉み手までして、政策は丸呑みします大臣の椅子も用意しますと、立候補を懇願する始末だ。
こうした自民党の姿に呆れて、民心はますます離れていっている。
麻生首相や自民党執行部は、なぜそうした事が分からないのだろう。
麻生太郎総理は漢字だけでなく、空気も読めなくなってきている。

北九州市の北橋市長が東国原英夫知事に対し、「地方自治体の台所は火の車で困難な状況に直面しており、短期間に自治体の首長として十二分に仕事をしたと本当に思っているのか」と指摘したのは、まさに正論だ。
こういうマトモな感覚の持ち主が、今の自民党にはいない。

もうこの党には期待できない。
取り敢えず政権の座を明け渡して、下野するしかなかろう。

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2009/07/05

どうでも「鳴る」、劇場の携帯音

ご存知のとおり寄席や落語が好きですが、その他の大衆芸能・芝居・音楽・舞踊など、なにせ雑食系男子なので、色々な催し物を見にいきます。
こうした劇場で相変わらず周りにメイワクをかけているのが、携帯電話の呼び出し音です。経験上、1回の公演で、必ず1回以上携帯が鳴るといってもよい。
開演前に係員が客席をまわって注意しても、それでも誰か鳴らすのですから処置なしです。

最近のコンサートホールは音響が良いので、またよく響くんです。
ピアノ・ソナタや歌曲に酔っている最中にあの音が鳴ると、全てがブチ壊しにされたような気分です。
寄席や芝居では演者の集中力を殺いでしまうし、時には舞台を中断させてしまう場合もあります。

私が見た中で最も悪質だと思ったのが以下のケースです。
・寄席で、呼び出し音で携帯に出て会話をしていた客が二人いた。その内の一人は周囲が注意したら、電話の会話を続けたままロビーに出て行った。
・これも寄席で、最前列で30分以上携帯のメールをやりとりしている客がいた。
・これは航空機内だが、離陸の途中で携帯の呼び出し音が鳴ったら電話に出てC.A.に注意された客がいた。
・クラシックのコンサートで、同じ客が2度繰り返し鳴らした。
こうした客は厳重注意の上、全ての劇場への入場を禁止して欲しいところです。

携帯鳴らし屋には、二つのタイプがあると思います。
一つは、電源を切ることができない、極度の携帯依存症ともいうべき人です。
携帯だけが社会との接点で、これを切ることは人間社会から遮断されてしまうという恐怖心でしょうか。こういう人は一種の病気ですから、医療機関で適切な処置をとって貰いたいですね。
もう一つは、ついウッカリの注意力散漫な人です。
なかでも困るのは、自分は電源を切ってあると、勝手に信じ込んでいる人です。まるで東国原知事みたいな性格ですね。
こういう人はコールが鳴っても自分ではないと思っていて、いつまでも鳴らしっ放しにするので、大迷惑です。いつか周囲が注意しても、「私じゃない」と言い張る客がいました。
開演前にもう一度電源を確認する、こんな簡単なことで解決できるんですけどね。

この他に注意して欲しいことが二点。
一つは、劇場内ではマナーモードにせず、必ず電源を切ること。「ブルブルブルブル」という振動音が出るので同じことです。
それと、妨害電波を出しているので携帯がつながらないという劇場でも呼び出し音は鳴ることがあるので、やはり電源はオフにしてください。

たった一人の不注意のために、数百人や千人単位の人が迷惑をこうむるので、是非ルールを守って欲しい。
こうした最低限のマナーが守れない、あるいは守る意志が無い人は、劇場には足を運ばないでください。

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三越納涼寄席(7/4)@三越劇場

梅雨の中休みだろうか、久々に青空が顔をのぞかせた7月4日、三越落語会特別企画の「三越納涼寄席」に出向く。
中高年の女性の姿が多く、寄席というよりは明治座に近い客層だった。同じ演芸でも、小屋が違えば客も違ってくるのが面白い。
仲入りに25分間とたっぷりの時間をとり、終演時間も午後4時と、いずれも三越で買い物をして貰おうという商魂ありあり。
どれもネダ出しで、納涼寄席にふさわしい演目が選ばれていた。

【番組】
前座・柳家小んぶ「子ほめ」
三笑亭可龍「粗忽長屋」
五明楼玉の輔「辰巳の辻占」
柳家三三「藪入り」
~仲入り~
ロケット団「漫才」
柳家花緑「竹の水仙」

こうした落語会には珍しく前座が開演前に上がって一席伺ったが、これは良い。他の会でも見習って欲しい。
可龍は、粗忽だが対照的な2人の演じ分けに不満。その分、平板な出来になってしまった。
玉の輔は「辰巳の辻占」、筋が「星野屋」と良く似ているせいか高座にかかる機会が少ないが、オチはこちらが洒落ている。
女郎に色気が欠けていて、薄い出来となった。
玉の輔はそろそろ中堅どころとして活躍しなければいけない位置にいるのだが、足踏みをしている。
三三の「薮入り」、しっかりとした語り口の中に親子の情愛が描かれていて、途中無神経な携帯電話の呼び出し音による中断があったにもかかわらず、良い出来だった。
この人は近ごろすっかり風格が出てきた。
将来は圓生のような芸風の大看板に成ることを期待している。

長めの仲入りの後、ロケット団が相変わらずのネタで場内を沸かす。
トリの花緑の「竹の水仙」だが、本来の語り口そのままに演じた方が良かったのではなかろうか。
花緑の語りは人情噺にむいており、このネタの中でも甚五郎が宿の主に金を渡しながら、これからも泊り客には親切にして上げてくれと頼むシーンは心を打つ。
それだけに、急に言葉使いが現代風になったり、余計なクスグリを入れ過ぎたため、このネタのゆったりとした風格が損なわれた感がある。

顔ぶれの割にはやや物足りなさが残る落語会であった。

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2009/07/03

「幽霊献金」鳩山代表らの参考人招致を

民主党・鳩山代表の個人献金に関する疑惑は、後から後から出るわ出るわである。
鳩山由紀夫の資金管理団体「友愛会政経懇話会」への個人献金は、1998-2007の10年間で約5億9000千万円にのぼっている。
鳩山代表が記者会見で弁明していた「個人献金が少なかった」というのは、嘘っぱちだった。
しかもその内、約3億4000千万円は匿名の献金なので、およそ6割は誰から貰ったのか調べようもないものだ。

それだけではない。
2005-2007の3年間を見ると、実名で献金されていた内の約8割は虚偽だったことがはっきりしている。
ざっと計算すれば、正常な献金は全体の1割にも達していないことになる。
これら「幽霊献金」全てを、秘書の事務処理のミスで片付けるわけにはいかない。
なぜこのような不明朗な会計処理を行ったのかだが、素直に考えれば何かの事情があって、表に出せない金を「幽霊献金」として処理したということではなかろうか。それはヤミ献金なのか、マネーロンダリングなのか、いずれにしろ得体に知れない出所なのだろう。
鳩山代表が自ら会見を開き、事実をあきらかにするのが一番良いのだが、まず期待できない。
それなら国会へ参考人として招致し、真相を究明するしかなかろう。
「幽霊資金」だけに「足がつかない」と思ったって、そうはさせない。

せっかく参考人として招くなら、この際、西松建設からの違法献金で関係者が起訴されている民主党の小沢一郎代表代行と自民党の二階俊博経済産業相も一緒に国会に呼んで、真相を語ってもらおう。
必要なら、本人と関係者らを証人喚問しても良いではないか。
なんらやましいことがないと言われるなら、当人たちにとっても弁明の絶好の機会である。
早期に実現することを期待している。

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2009/07/02

「春歌」は文化

先日の「鈴本四騎の会」の記事に書いたように、柳家喬太郎が行きつけの飲み屋の主に面白い歌を教わったというんで披露したのが、あの有名な「ゆうべ父ちゃんと寝た時に」だったのは、チョット驚きました。私の認識では、日本の成人男性であれば大半の人が知っていると信じていたからです。
近ごろは「春歌」が巷間で歌われなくなってきてしまったのでしょうか。

「春歌」ったって、別に春の歌じゃないですよ。「猥(ワイ)歌」ともよばれる、簡単にいえば歌詞にヒワイな言葉や表現が含まれる歌とでも定義しておきましょう。
かつて春歌は宴会には欠かせないアイテムでした。
文書に残すような性格のモノではなく、人から人へ伝えられ耳で覚える歌ですから、いうなれば「口伝」あるいは「相伝」みたいなモノです。

ではどんな歌があるのかですが、春歌は大きく三つに分かれます。
(1)昔から民謡として唄い継がれたもの
(2)お座敷で芸者や幇間が唄ったもの
(3)宴席などで一般の人々により唄われたもの
ここでは(3)に分類される代表的な作品を、下記にピックアップしてみました。
本来は全ての歌詞をご紹介したいのですが、そうすると当ブログの品格を著しく傷つけてしまうので、ごく一部のみ書いておきます。

「青い山脈」の替え歌:♪早くしないとママーが来る♪
「ヨサホイ節」:♪ひとつでたホイノヨサホイノホイ♪
「よかチンチン」:説明不要、踊りが付く。
「東京音頭」の替え歌:♪桜踏み分け真ん中に♪ 
「アルプス一万尺」の替え歌:♪上に乗鞍 槍ヶ岳♪
「娘十七八」:♪エンヤラヤの声聞きゃ歌い出す♪
「真っ黒けのけ」:♪お嬢さん ブランコ乗りもいいけれど♪
「軍艦マーチ」の替え歌:♪せ・せ・せがれの七不思議♪
「めんこい仔馬」の替え歌:♪ゆうべ父ちゃんと寝た時に♪
「雪」(童謡)の替え歌:♪男は萎んで丸くなる♪
註)歌詞は他にも多数のバリエーションがある。

企業の忘年会や歓送迎会、農村の青年団の集り、学生のコンパなど、男が集まる酒席では必ずといって良いほど春歌が唄われていました。一種のワークソングだったと言っても良いでしょう。
もちろん会社の宴会などでは、女子社員も一緒に合唱することも珍しくはなかった。少なくとも、春歌を聞いて怒り出す女性はいなかったですね。
大事なことは列席者が円く車座になって、みんなで手拍子をとり唱和することでした。
これによって組織やグループ内に連帯感が生まれ、コミュニケーションの成立に寄与していたのです。

最近になって春歌が唄われなくなったとしたら、それは次の理由からでしょう。
(1)宴席で大勢の人が一同に車座になるという光景自体が少なくなってきた。少人数のグループに分かれて座ったのでは、春歌は盛り上がらない。
(2)女性が同席していると、セクハラだのなんだのとヤカマシイ問題が起きかねないので、唄うのを避ける。
(3)宴席や二次会で唄うのはカラオケが主体となった。つまりカラオケ文化が春歌の文化を駆逐した。

大衆文化として存立の基盤を失ったとしたら、やがて春歌は時代の波と共に消え去ってゆくのでしょう。
年配者のノスタルジーとしてのみ残る運命なのでしょうか。

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