2019/12/14

「人形町らくだ亭」(2019/12/13)

第87回「人形町らくだ亭」
日時:2019年12月13日(金)18時50分
会場:日本橋劇場
<  番組  >
前座・三遊亭ぐんま『初天神』
立川こはる『金明竹』
三遊亭歌奴『掛取り』
柳家さん喬『二番煎じ』
~仲入り~
五街道雲助『夢金』

12月も半ばになってきたが、今年もいい事は何もなく、来年も期待できない。生きていることだけがメッケもの、なのかね。
「人形町らくだ亭」は師走公演で、仲入りを挟んで師走に相応しいネタが並んだ。

こはる『金明竹』
プログラムの演者紹介に「少年のような風貌」なんて書かれていたが、確かに一度会場の階段ですれ違った時に、珍しく着物をきた少年に出会ったと思った。酒場で店員から年齢証明を求められたこともあるそうだ。
久々の高座だったが、一段と上手さが増していた。ただ、ちょいと上がっていたのか、肝心の言いだての時に息継ぎが合わずカンでしまったのが惜しまれる。

歌奴『掛取り』
場内がパッと明るくなるのはこの人の人柄か。フーテンの寅さんの物真似も登場させていたが、芝居好きな番頭の場面では古典を忠実に演じていた。

さん喬『二番煎じ』
この噺、以前から宗助が格下に見られているのが不思議と思っていたが、さん喬の高座では宗助だけが主人の身代わりという、これで納得した。夜回りの場面では、辰つぁんが吉原の火の回りをしていた頃の思い出話しをたっぷりと聞かせていた。
見回り同心が番小屋に入ってきて詰問するたびに、月番「この宗家さんが・・・」に、宗助「あたしの名前をだすのはおよしよ」の繰り返しは、定番ながら欠かせないところ。同心が「何か鍋のようなものを・・・」で、「ちょっと出所が悪いんで向こうを向いてくれませんか」と言いながら、股の下から鍋を出すのは丁寧な演りかた。
近ごろ、番小屋で宴会のように騒ぐ演じ方も見られるが、さん喬のように抑制するのが正解。

雲助『夢金』
雪の中を大川に漕ぎ出す船頭、船中の侍が「どうだ、ここらで一服せぬか」と声を掛ける。「へい、ただいま」と言いながら船頭は、凍えた指先にフーっと息を吹きかけて蓑の紐をほどき、蓑に積もった雪を払い落してから船中に入ってゆく。こういう細部の描写が、凍えるような寒さを実感させてくれる。
侍が船頭に斬り捨てると脅した際に、船頭が「震えてるんじゃねえ、体が小刻みに動いてるんだ」と強がり、「いざとなりゃ船をひっくり返しちまうぞ」と反対に脅すと、侍は「それは困る、みどもは水練の心得がない」と弱音を吐く。ここで両者の立場は逆転する。
この後、侍を中州に置いてきぼりにするのは船頭の計略通り。
最後に全ては夢となる所を、船宿の主人が煙草を吸いながら2階に向かって「静かにしろ」の一言で締めたのも印象的。
雲助ならではの計算され尽くした高座、結構でした。

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2019/12/11

「青鞜」を描いた『私たちは何も知らない』(2019/12/10)

二兎社公演43『私たちは何も知らない』
日時:2019年12月10日(火)13時30分
上演時間:2時間40分(休憩含む)
会場:東京芸術劇場 シアターウエスト
脚本:永井愛
演出:永井愛
<  キャストと人物紹介  >
朝倉あき:平塚らいてう(本名は明)/「青鞜」編集と執筆の中心人物。女性を抑圧する家制度に反対し、夫婦別姓、シングルマザーを貫いた。後に、婦人参政権運動を展開。
藤野涼子:伊藤野枝/親の決めた結婚相手に拒み「青鞜」に参加。平塚から「青鞜」を譲り受けるが後に廃刊。高女時代の恩師・辻潤と結婚し二人の子をもうけるが、大杉栄の元へ奔る。関東大震災の際に大杉らと共に憲兵にに斬殺される。
大西礼芳:岩野清/妻子ある男に失恋し投身自殺を図るも漁師に救われ、「青鞜」に参加。作家の岩野泡鳴と結婚し出産するが、夫の不倫で別居。日本初の離婚訴訟で勝訴するも、養育費は得られず困窮する。
夏子:尾竹紅吉/日本画を修行していて、平塚に惹かれ「青鞜」に参加。平塚との間に恋愛感情を持つが、その奔放な言動が世間のスキャンダルとなり「青鞜」を退社。陶芸家の宮本憲吉と結婚し、その後は子育てをしながら婦人運動に加わり反戦を貫く。
富山えり子:保持研(やすもちよし)/平塚と共に「青鞜」を創刊、編集など実務で支える。丸善社員の小野東と結婚し「青鞜」を退社。小野と愛人との間に生まれた子を養育した。
枝元萌:山田わか/単身アメリカに出稼ぎに行くが、騙されて娼婦になる。サンフランシスコで語学塾を開いていた山田嘉喜と知り合い結婚、夫の元で語学や哲学を学ぶ。帰国後、嘉喜の弟子だった大杉栄の紹介で「青鞜」に参加、翻訳や評論を手掛ける。「母性保護法」の成立に取り組んだ。
須藤蓮:奥村博/画家。平塚とは当時として珍しい事実婚の夫婦となる。

平塚らいてうを中心とする「新しい女たち」の手で編集・執筆され、女性の覚醒を目指した『青鞜』は世間から大きな反響をよぶ。支持する意見がある一方、当時は親の許しがなければ結婚できない時代で、「姦通罪」や「堕胎罪」など制度的にも女性が一方的に不利な時代だった。彼女たちが家父長制的な家制度に反抗し、男性と対等の権利を主張するようになると、逆風やバッシングが激しくなり、やがて編集部内部でも様々な軋轢が起こる。
本作品は、「青鞜」に集まった女性たちの像を、平塚らいてうを中心に描いたものだ。

伊藤野枝「処女ってそんなに貴いのだろうか。男子の不貞はとがめられないのに女子だけ責めるのは女の人格を無視している」
平塚らいてう「貧困や親になる資格がないということだけが避妊や堕胎の理由だろうか。勉強したり考えたり、自分の内面を高めるゆえの避妊や堕胎が罪になるとは思えない」
山川菊栄「私娼は自己責任ではなく、原因は社会にある。売笑婦を処罰するなら、共犯者である男子も同等に処すべき。」
これらの意見は今の時代では極めて妥当に見えるが、それでも女性がこうした発言を行うとネットの世界では叩かれる。当時は実名で批判していたが、今は匿名でバッシングするのだから余計に始末が悪い。
「青鞜」や平塚らいてうの戦いは今も続いている。

公演は12月22日まで。

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2019/12/08

文楽公演『一谷嫩軍記』(2019/12/6)

『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』
「陣門の段」
豊竹咲寿太夫
竹本小住太夫
豊竹亘太夫
竹本碩太夫
竹澤宗助
「須磨浦の段」
豊竹希太夫
野澤勝平
「組討の段」
豊竹睦太夫
鶴澤清友
「熊谷桜の段」
豊竹芳穂太夫
鶴澤藤蔵
「熊谷陣屋の段」
竹本織大夫
豊竹靖太夫
鶴澤燕三
野澤錦糸

「主な人形役割」
熊谷次郎直実:吉田玉志
無冠太夫敦盛:吉田一輔
平山武者所:吉田玉翔
玉織姫:吉田蓑紫郎
相模:吉田蓑二郎
藤の局:吉田勘彌
石屋弥陀六:吉田文司
源義経:吉田玉佳

源氏と平家が激突した「一の谷の合戦」で、平家の公達・平敦盛は十六歳で討死したが、討ち取ったのは源氏方の武将・熊谷次郎直実であった。「平家物語」に出てくるこの物語は数々の芸能に採り上げられきた。本作品もその一つで、この合戦にまつわる伝説や様々なエピソードを加え創作したもの。
全部で5段の構成になっているが、全ては最後の「熊谷陣屋の段」に物語は収斂されている。
源平の合戦で平家には安徳天皇という錦の御旗があったが、源氏にはそれがなかった。
かつて都で御所づとめの侍と腰元だった直実と相模は、私的な恋を咎められ罰せられるところを、藤の局の情けで都を逃れていた。二人にとっては藤の局は命の恩人ともいえる。その藤の局は平経盛に嫁ぎ、一子・敦盛をもうけたが、実は敦盛は後白河法皇のご落胤であった。そうした経緯を知った義経は、敦盛を安徳亡き後の皇位継承者としたいと考え、熊谷直実に敦盛を救出するよう命じる。しかし戦場の味方の前で敵将を助けることなど不可能だ。そこで直実の一子・小次郎がたまたま敦盛と同じ年齢でよく似ていたことから、初陣で負傷した小次郎の首を落とし、それを敦盛の首として差し出すというストーリー。

山場の熊谷直実の陣屋に、直実の妻・相模が息子・小次郎の無事を心配してやって来るが、そこに藤の局も訪れ相模に「我が子の敦盛を討ったのは、おまえの夫・直実である。その仇を討たせよ」と迫り、相模は困惑する。
やがて直実が館に戻るが、陣屋の前には桜の木があり、そこには立て札で「一枝を切らば一指を切るべし」と書いてあった。その制札を直実は深い想いで見つめる。
陣屋に戻った直実が妻の相模に戦で敦盛を討った手柄話をすると、奥から藤の方が「我が子の敵!」と直実に斬りかかる。直実は敦盛の最期を語り、戦場では致し方がなかったことと、藤の方に言い聞かせる。
直実が討ち取った敦盛の首を携えて義経の元へ向かおうとすると、その義経が陣屋に現れ、敦盛の首実検を行なう。すると首桶の中に敦盛の首はなく、そこにあったのは直実と相模の子・小次郎の首だった。
制札の文言にあった「一指を切るべし」とは「一子を斬れ」という意味で、義経が直実に下した「身替り差し出せ」という命令を意味していたのだ。
この有様を見た藤の局は安堵し、相模は我が子を失った悲しみにくれる。
主の命令とはいえ、我が子を手に掛けた直実は世の無常を感じ、出家して僧の姿となり、相模と共に戦場を去る。

総大将の命令とはいえ我が子を手に掛けた直実の苦しみ、それを命じておきながら直実の心中を慮る義経。首実検で死んだのは敦盛ではなく小次郎と分かった時の、藤の局と相模の天国と地獄の逆転。武将には勝ち負けはあるが、妻たちには夫や息子を失う悲しみしかない。いつの時代でも変わらぬ戦争の惨禍を形で示していることが、この芝居が長く愛されている理由だろう。
「熊谷陣屋の段」での、太夫と三味線、そして人形が一体となった舞台は感動的だった。

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2019/12/07

「大手町落語会」(2019/12/7)

第58回「大手町落語会」
日時:2019年12月7日(土)13時
会場:日経ホール
<  番組  >
前座・柳亭市坊『寄合酒』
柳亭市楽『お血脈』
瀧川鯉昇『鰻屋』
柳家さん喬『福禄寿』
~仲入り~
柳家三三『磯の鮑』
柳家権太楼『文七元結』

市楽『お血脈』
来春に真打昇進とか、大丈夫か?

鯉昇『鰻屋』
こうした会では常に落語協会の噺家の、それも柳家の比重が高い。この日の鯉昇もそうだったが、少数派の芸協の人がしばしば芸協を自虐的に語る。確かに受賞歴を比較すれば両者の差は歴然としている。しかし、個々の技量にそれほどの差があるとも思えない。むしろ普段の寄席で感じるのは、芸協のベテランの中には明らかに手抜きするのがいる。それもトリの高座でさえ平気で手抜きするんだから呆れてしまう。この悪弊を断ち切ればもっと差は縮まるのでは。
鯉昇はいつもの脱力マクラからネタに入ると一気に熱演。額に赤十字マークの付いた病気の鰻や、秋葉原から仕入れた電気鰻を登場させ、最後は鰻が逃げるのを指先の動きで示し爆笑。

さん喬『福禄寿』
圓朝作だが、全体に暗い雰囲気が漂う噺のせいかあまり演じ手がいない。福徳屋の妻と二人の息子の物語で、実子で長男の福太郎が放蕩息子であるのに対し、養子で次男の禄太郎は働き者で親孝行。この二人の対比をどう演じるか、それに対する母親の心理状態を描き出す所がポイント。ここをさん喬が上手い。
古くは圓生は得意としていたが陰気臭いのが欠点で、福太郎が自分の技量の限界を悟り一念発起する事で未来の明るさを強調して終わるさん喬の高座の方を好む。

三三『磯の鮑』
三三の十八番。与太郎の造形が良く、会話の間もテンポも挟むクスグリも真に結構。こうした肩の凝らないネタを挟んだのは正解。

権太楼『文七元結』
フルバージョンだが、各場面の寸法を少しずつ短くして演じた。
通常と異なる点は、長兵衛が借りた50両の返済を半年後として、それも全額ではなく少しずつ返済するというもの。佐野槌の女主人は、長兵衛が真面目に働き返済の意志さえはっきりすれば娘お久は返すと約束する。これだと長兵衛がきっぱりと博打と手を切り回心するだろうかと疑問に感じるのだが。やはりオリジナルの返済方法が自然ではなかろうか。
吾妻橋の場面で長兵衛が長く泣きすぎるのも気になった。ここは50両を文七に渡す時に、お久の身の上を嘆く所だけ涙を見せる方が効果的かと思う。
達磨横丁の長兵衛宅での最後の場面では、権太楼らしい笑いの多い演じ方でお開き。ただ、長兵衛夫婦とお久が再会する山場で電話が鳴ってしまったのは惜しまれる。

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2019/12/01

舞踊公演「京舞」(2019/11/30)

Miyako

「京舞」
日時:2019年11月30日(土)11時
会場:国立大劇場
だいぶ以前のことだが、一度京都祇園の「都をどり」を観にいって、その煌びやかさに感心した。
今回、国立劇場で21年ぶりに井上流による「京舞」が上演されると言うので出向いた。
国立のHPによれば、18世紀末頃、初世井上八千代に始まる井上流は座敷舞ならではの高雅で匂い立つような風情と、能や人形浄瑠璃の影響を受けたダイナミックな表現力を併せ持つ。
また、祇園という土地に深く根を下ろしながら磨き上げられてきた豊饒な魅力を通じて、京都の伝統文化の一翼を担っているという。
今回の公演は、五世家元・井上八千代を中心に総勢約60人の祇園の芸妓、舞妓が出演している。

上方唄「京の四季」
上方落語にも登場する京都を代表する唄で、祇園周辺の四季の風情を唄ったもの。今回は大勢の舞妓(全員衣装の色が異なる)によって舞われた。オープニングにふさわしい華やかな舞。
なお、歌詞の中に「そして櫓の差し向かい」とあるが、かつては四条通りを挟んで北座と南座の櫓が差し向かいに立っていた。これを炬燵を挟んで男女が差し向かいの姿と重ねていると。これは桂米朝による解説。

地唄「水鏡」
井上小りん
井上豆涼
一転して芸妓の正装による舞。琵琶湖の水面を鏡に見立て、近江八景を詠み込みながら水鏡のように揺れ動く女性の恋心を詠ったもの。「艶物」ではあるが、琵琶湖の広々とした情景が思い浮かぶように舞うとのこと。
しっとりとした舞。

義太夫「弓流し物語」
井上小萬
屋島の合戦っで、義経が弓を海中に流したとされる逸話に基づく有様を描いている。男踊りで、衣装も義経を思わせる着付け。ダイナミックな動きは歌舞伎の踊りを思わせる。勇壮な中に戦った武者たちへの悲しみも表現されていた。

地唄「正月(まさづき)」
元旦から注連飾りを解くまでの祇園の風景の中に恋人を待つ女心を描いたもの。新年の浮き立つような華やかな舞。

一中節「千歳の春」
井上和枝
春を迎えて終わりなき代を寿ぐ舞だが、四世井上八千代が古希の祝いに踊ったことからしっとりを落ち着いた舞。

義太夫・上方唄「三つ面椀久」
椀久:井上八千代
面売:井上安寿子
江戸時代に実在した大阪の商人・椀久が遊女恋しさのあまり発狂し、大阪の街を狂い歩いたという姿を描いた「椀久物」の一つ。
椀久が、大尽・太夫・太鼓持ちという三つの面を被り替わしながら、それぞれの所作を舞う分けるというコミカルな舞。踊りには詳しくないが、切れがあるのに柔らかいというか、とにかく素晴らしい舞だった。
これが観られただけでも来て良かった。

上方唄「十二月」
「十二月」といっても、落語の「いちがちーは、まちゅかじゃり」じゃありませんよ。
1月から12月までの紋日を詠ったもので、黒紋付の晴れ着の芸妓衆が稲穂の簪を刺して踊る目出度い舞。
これまたフィナーレにふさわしい華やかな中にも落ち着いた姿を見せていた。

いやー、良かった良かった。
華やかにみえる祇園の芸妓、舞妓の世界も、その裏ではこれだけの厳しい修行をしているんだと実感させられた。

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2019/11/29

「羽衣」をテーマとした能と組踊(2019/11/28)

組踊『銘苅子(めかるしー)』 
天女:宮城能鳳
銘苅子:嘉手刈林一
おめなり:末吉元気
おめけり:當間剛琉

能・観世流『羽衣(はごろも)和合之舞(わごうのまい)』 
シテ/天人:坂井音重
ワキ/漁師白龍:森常好

11月の国立能楽堂の企画公演は、「羽衣伝説」をテーマにした「能」と沖縄の「組踊」で、特に「組踊」は初見だったので興味を持った。

組踊『銘苅子』
【あらすじ】
農夫・銘苅子に羽衣を隠された天女は銘苅子の妻となり二人の子どもをもうける。やがて羽衣を見つけた天女は子ども達を寝かしつけて天界へと帰っていく。残された子どもたちは来る日も来る日も母を捜し悲しみにくれる。伝え聞いた国王が姉を首里城中で養育、幼い弟は成人後に廷臣に取り立て、銘苅子には位階を与える。
【感想】
「組踊」という名称からいわゆる舞踏を想像していたが、能に似て動作は静かだ。囃子が三線、笙、笛、胡弓、太鼓という構成。
ストーリーは羽衣伝説というよりは、かつての国王(15-16世紀にかけて在位した尚真王)の善政を賛美する内容になっているようだ。
見所は、天女の佇まいや髪を洗う時の動きの美しさ、二人の子どもと別れる場面の静けさといった所。
ただ、詞章が沖縄の言葉なので全く分からない。訳も出ているが、それを追っていたら舞台が見えない。「組踊」の上演の難しさを感じた。

能『羽衣』
【あらすじ】
漁師・白龍が三保の松原で見つけた羽衣は天女のもの。舞を見せれば羽衣を返すと言う白龍の言葉に、天女は月への祈りを捧げつつ舞い、昇天する。
【見所】
天女から羽衣を返してくれれば舞を舞うと言われた白龍が、羽衣を返してしまうとそのまま天に帰ってしまうのではと怪しむと、天女は「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と言って、純粋無垢な天人の魂を示す。終始変わらぬ気高さを示すシテの姿が見所。
それと囃子方の音が素晴らしかった。
解説によればこの物語は、天女が礼拝する月天子はインドの月神チャンドラーが仏法守護の十二天の一つに変じたもので、その本地が勢至菩薩。月世界に宮殿があるというのは道教の発想であり、この『羽衣』は神道、仏教、道教が融合した世界観に基づいているとのこと。またワキの白龍は中国式の名乗りにもなっているそう。ウーン、グローバルで、深いね。
久々の能、結構でした。今回は寝落ちしなかったぜ。

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2019/11/27

「志ん陽・文菊 二人会」(2019/11/26)

「古今亭志ん陽・古今亭文菊 二人会」
日時:2019年11月 26日 (火)19時30分
会場:らくごカフェ
<  番組  >
古今亭志ん陽『猫と金魚』
古今亭文菊『富久』(ネタ下ろし)
~仲入り~
古今亭志ん陽『肝つぶし』

落語協会期待の若手真打、古今亭志ん陽と古今亭文菊の二人会、それぞれの持ち味を十分に発揮した充実の会だった。
通常は二人で2席ずつ演じるが、この日は文菊が長講のため1席となった。

志ん陽『猫と金魚』
言葉が通じない主人と番頭の会話、
「金魚鉢を棚の上に上げとくれ」「はい、上げました」「それでいい」「金魚はどうしましょ?」
「金魚を棚の上に上げとくれって言ってんだよ」「はい、上げました」「それでいい」「金魚鉢はどうしましょ?」
「だから、金魚を金魚鉢の中に入れて棚の上に上げとくれよ」「はい、上げました」「それでいい」「水はどうしましょ?」
亡くなった橘家円蔵が得意としていたが、二人の会話のズレが志ん陽だと微妙に違っていて、この外し方が面白いのだ。
真面目に恍けている番頭の表情も良かった。

文菊『富久』
最初に、ネタ下ろしでどう収まるか分からないと断って本題へ。
結論から言うと、ネタ下ろしと思えぬほど完成度が高い。
先ず幇間の久蔵の造形が良い。色気と愛嬌のある遊び人風情が出せる所が文菊の優れた点だ。
火事見舞いに来た客に帳付けしながら愛想を言う場面は、先代文楽を彷彿とさせる。久蔵が女中に酒をお酌させるとき、「あんた綺麗になったね、あたしはね以前からあんたを口説こうと思ってたんだよ」と言う時の目つきがいい。
次第に酔っぱらってきて、「火事が段々近づいてきたのを、あたしがこう仁王立ちになってフーっと息を吹きかけたら、火事が飛んでちゃった」なんてホラを吹き出す辺りの描き方も良い。
久蔵が富が千両当たったのに札が無いから金を渡せないと言われて、それなら500両、100両、50両、10両、5両、最後は1両でもいいと縋る久蔵には、借金まみれの売れない芸人の侘しさが表現されていた。
『富久』をこれだけのレベルで演じられる若手は、他にいないだろう。

志ん陽『肝つぶし』
男が病で寝込んでいる義弟の民のもとを訪れると、恋煩いだという。だが話を聞いて見れば相手は夢に出てきた女。医者に診てもらったら、「夢の中の女に惚れて寝付いた場合は、年月そろって(=生まれ年と生まれ月の十二支が同じに)生まれた女の生き肝を煎じて飲めば治る」と言われたが、無理な話しだ。だがこのままでは民はどんどん弱っていくばかり。
男が9歳で妹が5歳の時に両親に死に分かれ途方に暮れていた所を、民の父親が二人を引き取り我が子同様に育ててくれた。その父親も今は亡くなった。せめてもの恩返しに何とか民を救ってやりたい。
そこで男はふと妹が年月そろって生まれた事を思い出した。
妹を殺し生き肝を民に食べさせようと、寝ていた妹の上に出刃包丁を振り上げるが、ついつい涙を妹の頬の上にこぼしてしまう。目が覚めた妹が驚くと、男は芝居の稽古だと言い訳をする。
「ああ驚いた。本当に、肝をつぶしたわ」
「肝がつぶれた? ああ、それでは、薬にならない」 でサゲ。
この噺は、前半が夢の女に恋煩いしたという滑稽噺から、後半は一転して人情噺風の展開になる。
志ん陽の高座は、その双方のバランスがとても良く取れていて好演だった。
志ん陽、いよいよエンジンが掛かってきたか。

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2019/11/25

「桂春若 独演会」(2019/11/24)

「桂春若 独演会」
日時:2019年11月24日(日)13時
会場:お江戸日本橋亭
<  番組  >
前座・立川かしめ『子ほめ』
笑福亭茶光『田楽喰い(ん廻し)』
桂吉坊『胴斬り』
桂春若『植木屋娘』
~仲入り~
柳家小菊『粋曲』
桂春若『三十石』

ロケット団の向こうをはって「四文字熟語」を。
”一つの事を疑うと全てが疑わしくなること”「安倍晋三」。
総理が税金を使って選挙運動をやるなんて前代未聞だ。仮に周囲にそうした動きがあればそれを制するのが指導者のあるべき姿だ。こういう人物が永年首相を続けていることがこの国の悲劇といえる。

先週はどこか寄席に行くつもりが雨や寒さで二の足を踏んでしまった。典型的な日和見だね。
さて「桂春若 独演会」、1970年3月に3代目桂春団治に入門というから上方でもベテランに属するだろうが、東京の落語ファンにはお馴染みが薄いと思われる。師匠の他に桂米朝や5代目桂文枝に稽古をつけて貰っていて、今回は、その文枝から教わったネタを演じた。
ネタに入る前に、マクラ代わりに珍しいジョークを披露するというスタイルが特長。

茶光『田楽喰い(ん廻し)』
鶴光門下で今秋二ツ目に昇進。このネタは前半が『寄合酒』で後半が『田楽喰い』としてそれぞれ独立して演じられるが、東京では後半も『ん廻し』の名で通っている。
師匠譲りの明るい芸風だが、人物の演じ分けは未だ未だだ。

吉坊『胴斬り』
侍の試し斬りで胴と足に分かれてしまい、胴は風呂屋の番台に、足は麩屋に奉公して麩を踏む仕事に就く。お蔭で一人で二人分の給金が貰えるという楽天的な噺。足が口をきくと、「どこで喋ってるんやろな・・・まあ、大概そんなとこだろうと思ってはいたが」が可笑しい。短いながらこの人らしいきっちりとした高座。後席の春若の『三十石』では舟歌をスケ。

春若『植木屋娘』
資産家の植木屋の親父さん、そそっかしいが18になる娘・お光が可愛くてしょうがない。字が書けないので近くの寺に居候している500石取りの跡取りの伝吉に頼んで請求書を書いて貰う。その伝吉、姿も性格もとても良い男で、親父さんとしては娘の婿にしてと一計を案じ、伝吉に酒を飲ませて袖を引くよう娘に命じるが、オボコの娘は恥ずかしがって上手くいかない。諦めかけていると、ある日お光が妊娠していることを知り、相手はと問いただすと、これがなんと伝吉だという。喜んだ親父さん、早速寺に駆け付け、和尚に伝吉を婿にしたいと頼む。
「しかし伝吉は、500石の跡目を・・・」
「娘に子ができたら、その子に継がせばええ。 伝吉は貰う。」
「そんな無茶な。侍の家を勝手に取ったり継いだりできるかいな。」
「大丈夫。 接ぎ木も根分けも、うちの仕事ですがな。」
でサゲ。
上方でも高座にかかる機会が少ないネタだそうだが、粗忽者だが娘への一途な愛情を注ぐ父親の姿が描かれていた。
サゲを含めて、文枝より米朝に近い演じ方だったように思う。
東京では、三遊亭歌武蔵が持ちネタにしている。

小菊『粋曲』
いつもと三味線の音が違うと思っていたら、ご本人から、この日の様な湿気の多いときは糸が伸びて調子が狂うんだそうだ。相変わらずいい喉を聴かせてくれた。

春若『三十石』
このネタ、フルバージョンだと1時間以上かかるので、演者によって、あるいは持ち時間によって始めと終わりが変わる。この日の春若の高座では船宿から始まり、乗船して舟歌が入り、夜明けの枚方の農村風景までを演じた。
春若の2席は、余計なクスグリやケレンはなく、上方の古典をじっくり聴かせるという高座だった。

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2019/11/20

『通し狂言 孤高勇士嬢景清』(2019/11/19)

『景清』という落語があるのはご存知の方が多いと思う。盲人の定次郎が赤坂の日朝さまに願掛けして目があくというストーリーだが、このタイトルがなぜ景清なのか、以前から不思議に思っていた。
昔から平家の勇将である悪七兵衛景清が活躍するという「景清物」と呼ばれる芝居があり、平家再興のために頼朝の命を狙うが、後に断念して自ら目を突いて盲目になるという一連の物語を指す。だから当時の人は景清といえば盲人だと分かったのだろう。
今回、国立劇場で上演された芝居もその「景清物」の一つだ。なお、景清の名は平家物語にも出ているので実在の人物と思われる。

通し狂言『孤高勇士嬢景清(ここうのゆうしむすめかげきよ)』 四幕五場
西沢一風・田中千柳=作『大仏殿万代石楚』
若竹笛躬・黒蔵主・中邑阿契=作『嬢景清八嶋日記』 より
序幕  鎌倉大倉御所の場
二幕目 南都東大寺大仏供養の場
三幕目 手越宿花菱屋の場
四幕目 日向嶋浜辺の場、日向灘海上の場
<   主な配役   >
悪七兵衛景清:中村吉右衛門
源頼朝/花菱屋長:中村歌六
肝煎左治太夫:中村又五郎
仁田四郎忠常:中村松江
三保谷四郎国時:中村歌昇
里人実ハ天野四郎:中村種之助
玉衣姫:中村米吉
里人実ハ土屋郡内:中村鷹之資
和田左衛門義盛:中村吉之丞
俊乗坊重源/花菱屋遣手おたつ:嵐橘三郎
梶原平三景時:大谷桂三
秩父庄司重忠:中村錦之助
景清娘糸滝:中村雀右衛門
花菱屋女房おくま:中村東蔵

時は鎌倉時代。源平合戦で勝利した源頼朝は、仏の教えを守ることが国家安寧の基礎と説き、平家によって焼き討ちされた東大寺大仏殿の再興を図る。ここでは頼朝の名将ぶりと慈悲深さが示される。
落慶供養の日を迎えた奈良の東大寺では、鎌倉から頼朝一行が訪れ、いよいよ大仏殿で読経が始まる。その時、悪七兵衛景清が現れ頼朝に挑もうとする。しかし景清は、平清盛の非道を説く頼朝の言葉に返答を詰まらせる。頼朝は景清に臣従するよう求めるが、景清は自らの目を剣で刺し盲目となる。
駿河国手越宿にある遊郭・花菱屋に、景清の14歳の娘・糸滝が遊女を斡旋する肝煎の左治太夫と共に現れる。糸滝は花菱屋の夫婦を前に、身を売らなければならない訳を切々と語る。父の窮状を救おうとする糸滝の健気さにうたれた花菱屋が、糸滝と左治太夫に餞別を渡し、二人は日向へ出立する。
日向国の浜辺では、亡君・平重盛の位牌を供養しながら貧しく暮らしている景清のもとへ糸滝が訪ねて来る。二人は再会を喜び合うが、糸滝が大百姓に嫁いだと聞いた景清は、激高して娘を追い返す。しかし、娘を乗せた船が沖に出ると名残惜しそうに見送り、娘の幸せを願う本心を明かす。さらに残された手紙から糸滝の身売りを知ると驚愕し、娘を犠牲にしたことに我が身を責める。
景清は娘を身売りから救うため源氏に帰順することを決意し、船中から海へ平重盛の位牌を投下し祈りを捧げる。

この芝居には、勇壮な立廻りが楽しめる二幕目、一転して庶民の人情を描く世話物風の三幕目、親子の情愛を綴る四幕目と、場面ごとに見どころがある。
最大の見所は、中村吉右衛門の熱演と奮闘ぶりだ。武士としての信念と娘への情愛の間に揺れる心を見事に描いて見せる。
対して、観客の入りが寂しいのが残念。
脇では以前から注目している中村米吉の可憐で一途な玉衣姫の演技が印象に残った。10年以上前に見たときは、未だセリフも少ない村娘の役だったが、段々良い女形になってきた。

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2019/11/17

ザ・きょんスズ30(2019/11/16)

「ザ・きょんスズ30」
日時:2019年11月16日(土)19時
会場:ザ・スズナリ
<  番組  >
柳家やなぎ『金明竹』
柳家喬太郎『綿医者』
三遊亭兼好『氷上滑走娘』
~仲入り~
柳家喬太郎『本当は怖い松竹梅』

柳家喬太郎落語家生活30周年記念落語会「ザ・きょんスズ30」は、11月1日より30日まで30公演が開催されている。その折り返しの16日夜の部へ。本人によれば30周年記念というより31年目に踏み出すための落語会とのこと。
ネタ出しされているラインナップを見ると、古典から新作にいたる喬太郎の代表的な演目が並んでいるので、今の時点での集大成ということになろう。
柳家喬太郎という噺家は極めて特異な落語家だ。古典と新作の両方を演じる人は多いが、喬太郎はその双方ともに高いレベルにある。
古典でいえば、軽い滑稽噺から圓朝作の人情噺まで幅が広く、また演じ手が絶えていたような古典の掘り起こしも行っている。
新作では、従来の新作落語ではあまり扱ってこなかった様な男女の切ないラブストーリーといったテーマのものから、SFやミステリーっぽいものまで実に多彩だ。
こんな噺家は恐らく過去にいなかったろうし、今後も出てこないかも知れない。
だから喬太郎と同時代を生きているというのは幸せなことなのだ。

やなぎ『金明竹』
古典に手を入れてという気持ちだろうが、方向性が間違っている。客が来たらお茶請けを食べさせるとか、店番の与太郎が呼び込みをしたり「ご指名は?」と訊いたりと、訳が分からない。そのくせ肝心の上方弁の言い立ては滑舌が悪い。妙に捻ろうとするより、まずは古典を真っ直ぐ磨くことだ。

喬太郎『綿医者』
二ツ目になって2,3年の頃に髄膜炎という大病を患い入院した時の思い出をマクラに。入院した時に同じ思いをしたと、ニヤッと笑ってしまう様なエピソードもあった。とかく男と言うものは、である。
このマクラが全体の3分の2位を占めて、ネタは短い。元は上方落語のネタだったが、近年の演じ手がなく絶えていたのを喬太郎が復活させたもの。内臓がいかれた患者の手術で、取り出した内臓の代わりに綿を詰めた。身体が治ったので強い酒を呑んで、煙管の煙草の火を思いきり吸い込んだもんだから内臓の綿に火が付いた。慌てて水を飲み消した所で「胸が焼けた」サゲ。医者が内臓を取り出す場面をユーモラスに描いてみせるブラックな演出。

兼好『氷上滑走娘』
マクラで喬太郎への思いをたっぷり語ってネタへ。
兼好の新作のようで、足の悪いおばあちゃんが医者に運動を勧められフィギュアスケートを始めるという他愛ないストーリーだが、座布団の上で3回転の真似をする動作が秀逸。高座で滑って客が喜ぶのは兼好だけか。

喬太郎『本当は怖い松竹梅』
古典の改作というよりは新作。
マクラの披露宴での余興の話から『松竹梅』の終わりまでは古典の本編通りの演じ方。式をあげたばかりの新郎が刺されて命に別状は無かったが刺した相手については口をつぐむ。一方、梅さんが式の後で行方不明になる。この謎を隠居が金田一ばりに推理し、遂に真相を突き止めるというミステリー仕立て。
カギは本編での梅さんのセリフで、隠居が教えた渡りセリフの「なったなった蛇になった当家の婿殿蛇になった。なに蛇になあられた。長者になあられた」という謡の文句を、
①梅さんが、謡(うたい)と屋台と間違え、横丁の屋台のおでん屋を引き合いに出したこと。
②式の最後の3人のセリフの最後で梅さんが「亡者になあられた」と間違えてしまったこと。
所から隠居の推理が始まり真相が明らかになって、事件は意外な結末を迎えるというもの。
この滑稽噺を推理劇に仕立てたという創作力は大したものではあるが、結末が陰気な印象で落語として暗さが気になった。

喬太郎の2席はいずれも喬太郎ならではの高座。
31年目からどのように変貌してゆくのか、大いに楽しみだ。

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