『リンゴの唄』と日本の戦後
作家の片岡義男が書いた『歌謡曲が聴こえる』を読んだ。以前に出版された本だが、月刊誌『図書』に片岡がジャズやシャンソンのディスクについて連載しているので、歌謡曲についてどういう関心を持っているかが興味があった。
片岡は私より5歳年上なのでほぼ同時代といって良く、本書でとり上げた曲の大部分は私にとってもお馴染みだ。
なかには物心のつく年齢以前の曲もあるが、子どもの頃は生活の中心がラジオであり、それも一日中つけっ放しの状態だったから、歌謡曲は常に耳慣れていた。
戦後の歌謡曲が『リンゴの唄』に始まるのは衆目の一致するところだろう。敗戦からわずか3か月後の昭和45年11月に映画『そよかぜ』が公開され、その主題歌として『リンゴの唄』が作られた。
『そよかぜ』はGHQ(実質は米軍)が検閲許可した日本映画の第1号で、『リンゴの唄』も検閲許可されたものだ。
映画『そよかぜ』は、元々は終戦間際の戦意高揚映画『百万人の合唱』として制作されたものだったが、こちらは当時の軍部の検閲に撥ねられ公開されずに終わっていた。その原因としてサトウハチローが書いた主題歌の作詞が、時局に相応しくないとされたようだ。
映画会社『松竹』は、お蔵入りだった『そよかぜ』をそっくり戦後の物語に改め、GHQの検閲に引っかからぬよう細心の注意を払って作り直した。一億総玉砕から一億総懺悔へ、軍国主義から民主主義への大転換に時流に乗ったわけだ。
主題歌『リンゴの唄』の作詞はサトウハチローだが、これは映画『百万人の合唱』の主題歌の歌詞をそのまま使ったもののようだ(異説あり)。片岡によれば、この詩には戦時中に犠牲になった多くの子どもたちへの鎮魂の意味が込められているという。
作曲は万城目正。
歌手は並木路子だが、レコードの吹き込みは霧島昇とのデュエットだ。これは霧島が強く希望したもので、コロムビアレコードとしても霧島の要望は受け容れざるを得なかったのだろう。
並木路子は松竹歌劇団(SKD)の団員として、兵士の慰問活動を行っていた。東京大空襲の際は東京の自宅で被災し、母親は死亡。彼女は火に追われて隅田川に飛び込んだが泳ぎが出来ず溺れていたところを助けられた。兄は出征したまま死亡している。
そんな状況の中でのレコーディングは並木にとって辛い思いがあったのだろう。万城目正から何度も「もっと明るく歌うように」という指示が繰り返されたという。
かくして行進曲風の明るい歌でありながら、どこかもの悲しい部分をも感じさせるこの曲は空前の大ヒットとなった。
『リンンゴの唄』は、その制作過程から作詞作曲家や歌手の人生そのものを反映したものであり、戦後日本の大転換を象徴した作品となっている。
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