2009/11/06

【機密費】平野「ウソつき」官房長官

「そんなの、あるんですか。まだ、まったく承知をしておりません」、これは9月17日午前の会見。
同じ日の午後には「私は説明を受けていないし、承知していない」と発言。
いずれも平野博文官房長官が記者会見で、内閣官房報償費(機密費)について尋ねられたときの回答だ。
しかしこれは真っ赤なウソだった。
9月17日の午前に、平野長官は河村建夫前官房長官から業務引き継ぎを受けていたことが分かっている。
その後に、平野官房長官は「報償費として引継ぎを受けたが、機密費という概念のカネがあるとは思っていなかった」と釈明したが、こんな子ども騙しが通用するはずがない。
ウソにウソを重ねているのだ。

なぜ平野長官がウソをついたと断言できるのかというと、民主党は平成14年に、機密費の支払い記録作成や公表義務づけを盛り込んだ「機密費流用防止法案」を国会に提出し、上野公成内閣官房副長官(当時)に官房機密費の執行停止を求めていたからだ。
では、なぜそんな見えすいたウソをついてまで隠蔽しようとしたか。
それは「官房機密費」に対する民主党の方針が変わったからだ。

では官房機密費とはどういうものだろうか。
2001年5月の政府答弁書によれば、官房機密費は、国の事務を円滑に遂行するために「機動的に使用する経費」とされ、取り扱い責任者は官房長官となっている。
これではサッパリ分からないって、そうでしょう、分からないから「機密費」なんですよ。
でも幸いなことに、一部は公になっているし、歴代の官房長官の中には引退してからの気安さもあって、実態をバラシテいる例もある。

先ずは、宮澤内閣当時の資料の一部が2002年に公表されているので、そのデータから。
議員の背広代など国会対策費:3574万円
議員のパーティー券購入費:3028万円
もちろん、これはほんの一部。

なにせ官房長官室にある金庫の中には、常時8000万円の現金が入っていたというのだから、スゴイ。
使うと、ちゃんと翌日には補充されるのだそうで、まるでドラエモンの不思議なポッケですな。
証言などを綜合してみると、およそ次のような使い道になっていたようだ。
・国会対策費。法案を処理するために、主に与野党の国対族に渡す。
・国会議員のパーティー券の購入。こちらも与野党を問わず。
・議員が国際会議や海外視察(外遊)するときの餞別、1回に1議員あたり百万円単位というから驚く。
・マスコミ対策費。政府に都合の良い記事を書いてもらうために渡す。
ざっとこんなところで、なかには首脳会議に同行した首相夫人の買い物代約1000万円なんてぇのもあった由。
要は、表沙汰にできない金だから「官房機密費」なのだ。
どことは言わないが、一切受け取らない政党もあるそうで、一応名誉のために。

では年間でいくら位使っているのかだが、2009年度の予算は14億6165万円だ。
これからの民主党の方針だが、平野博文官房長官は11月5日午前の記者会見で、官房機密費の使途について「相手のあることであり、オープンにしていくことは考えていない」と述べ、公開しないことにした。
きっと金庫に入っている札束を見て、気が変わったんだろうね。
5日の会見で平野氏は
「国民から疑念を持たれないよう、担当であるわたしが使途について責任を持って使っていく」
「わたしを信頼していただきたい」
と述べた
ハッキリ言うが、あなたは信用できない。
ウソつきは信用しないことにしているからだ。

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2009/11/05

岡田外相の「言い訳と放言」

11月2日から始まった、鳩山新内閣のもとで始めての衆院予算委員会の質疑だが、期待に反して全般に低調だった。
先ずは民主党委員の八百長質問がいけない。
せっかく本会議で代表質問をしなかったのだから、予算委員会でも質問を見送れば良かったのだ。
これは自民党政権の時からそうだったのだが、総理というのは与党の党首がなっている。そうなると、部下が上司に質問するわけで、これでは馴れ合いになるのは当然なのだ。
それなら与党第一党の質問時間は野党に譲って、実のある議論を進めたらどうかと思う。
こういう改革なら大賛成だが。

もう一つは野党となった自民党委員のフヌケぶりだ。
与党ボケなのか戦意喪失なのかは分からないが、迫力の無いこと、見ていてイライラしてくる。
後藤田正純だったか、亀井静香に恫喝されたぐらいで怯んでいたのでは話にならない。やられたら2倍3倍にしてやり返すような気構えがないと、野党はつとまらない。
辛うじて及第点だったのは、加藤紘一ぐらいだろうか。

だらけた空気を一変させたのが共産党の笠井亮の質問だった。さすがは「万年野党」だ。
普天間基地移設の問題を中心に攻めていたが、選挙公約との違いを追求された岡田克也外相が次第にエキサイトしてきて、ついに「公約と選挙中の(党幹部の)発言はイコールでない。公約とはマニフェストに書かれたことであり、選挙の時の発言は公約ではない。」と口を滑らせた。
岡田発言をかみ砕いていえば、「選挙の時の演説は口から出かませであり、信用して貰ったら困る。選挙が終わったらみなチャラね。」ということだ。
岡田克也の「放言」通りなら、これからは民主党の議員の演説は、全て信用できないということになる。
この人は次期総理のよび声が高いのだが、自分が何を言ったのか分かってるのだろうか。

笠井亮が、かつて岡田外相が「普天間基地の県外、国外への移設に政治生命をかける」という発言をしたことを問いただすと、「あの時と今とでは状況が違う」と言い出す始末。
もはや答弁不能。
あとは鳩山首相と並んで、言い訳のオンパレード。
最後には、「これでは自民党と同じではないか」と一喝されていた。

岡田外相の放言は、これから高くつくことになるだろう。

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2009/11/03

「落語家の襲名」への提案

当代の橘家円蔵に「円鏡から円蔵へ」というネタがあります。1982年に円蔵を襲名する前後のエピソードを綴ったもので、落語家の襲名の舞台裏をチラリと見せてくれます。
この噺の中で円蔵は、「(死んだら)自分の名前は協会に返すようにしたい」と語っています。襲名の時のゴタゴタがいかに大変だったかを暗に指しているのです。

この中身に入る前に、円蔵をめぐる師弟関係について見ておきましょう。
八代目・桂文楽―七代目・橘家円蔵―初代・林家三平
                     ―八代目・橘家円蔵
この系図を見て、少し詳しい落語フアンなら「この師匠と弟子、全然似てないじゃん」と思われるでしょう。
名人・文楽と、その弟子の先代・円蔵とは、芸風も得意ネタも全く異なります。むしろ対照的と言ってもいいでしょう。それ位違います。
そのまた弟子の先代・三平や当代・円蔵、これも師匠にも大師匠にも全く似ていないし、影響すら感じません。

古典芸能の世界というのは、通常は師匠から弟子に芸を伝えることにより継承されていきます。
なにせ「一子相伝」という言葉もあるくらいですから。
落語家の世界でも師匠は弟子に稽古はつけますが(なかには師匠に稽古をつけて貰ったことがないと公言する人もいる)、自らの芸の真髄を弟子に教え込もうというわけではありません。
だから名跡を継いでも、芸風は全く違うということがおきるのです。
先代と当代の文楽の芸風を比べれば分かりますよね。

名跡を継ぐということになると、これが更に複雑になります。
実は、六代目の円蔵というのが、六代目・三遊亭円生の前名でした。従って七代目の円蔵が襲名する際は、文楽の弟子だったにもかかわらず、円生の許しが必要だったのです。
ヤヤコシヤ、ヤヤコシヤ。

処で、1987年に落語協会の分裂騒動がおきて、円生一門は協会を脱退してゆきます。
先代の円蔵も円生に従って一度は出ていったのですが、直ぐに協会に戻ってしまいました。
怒ったのは円生とその夫人で、あの裏切り者めがというわけです。
円生が亡くなった後、七代目円蔵が死去したその通夜の席に円生の未亡人が乗り込んできて、「名前を返せ」と持っていってしまったというんですから、穏やかじゃない。
でも名前をどうやって持ち帰ったんでしょうね。風呂敷にでも包んだのでしょうか。
かくして橘家円蔵の名前は、円生未亡人の所有となってしまったというわけです。

なんだかこのストーリー、落語みたいですね。

そこで当代の円蔵は襲名にあたり、せっせせっせと柏木の円生未亡人宅に通い、ついにお許しを得て晴れて襲名の運びとなったとのことです。
襲名を許した当の噺家が口出しするのならともかく、関係の無い未亡人が決定権を握るというのは、明らかにおかしいですよね。
これは過去の話でもなんでもない。
七代目・林家正蔵の息子が初代の三平だったというだけで、当代の正蔵も三平も、襲名の許可は海老名家、具体的には故三平の未亡人である海老名香葉子さんが握っています。
過去には未亡人が障害になって、襲名できない名跡もあったそうですから、バカバカしい話です。

襲名については、先日亡くなった五代目三遊亭円楽についてもエピソードがあります。
八代目林家正蔵(彦六)の前名が円楽でしたが、この正蔵と円生は昔から犬猿の仲だったのです。
本来は襲名の許可が下りないところですが、先代の正蔵は円楽の若い頃から才能を高く評価していたので、円生との間柄には目をつぶって名前を継ぐことを許可したと言われています。

ますます、ヤヤコシヤ、ヤヤコシヤ。

そんな襲名にまつわる厄介な経験をしたからこそ、冒頭の円蔵の「名前は協会に返したい」という発想が生まれたのでしょう。
私もこの考えに大賛成です。
落語家の名跡は個人のものではありません。落語界全体の共有の財産であるべきです。
空席となっている名跡は全て協会が管理する、これが最も納得がいくと思います。
その上で、実際の襲名には師弟関係などを考慮して、協会が決めていくようにしたら良い。
特に「止め名」(最高位の名前)と呼ばれる、桂文治、三笑亭可楽、三遊亭圓生、柳家小さん、古今亭志ん生、林家正蔵については、そうした措置が必要だと考えます。

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2009/11/02

横浜にぎわい座#23上方落語会(11/1)

11月1日は横浜にぎわい座「第二十三回上方落語会~天満天神繁昌亭 見参!~」へ。
出演者全員が繁昌亭の何らかの賞を取っているので、こういうタイトルにしたのだろう。
日曜日の会にしては会場は随分と淋しい入りだった。
この日の夕方の「立川志らく百席」の会もまだチケットを販売していた。
近ごろは特定の人気落語家が出演しないと、客が少ないという傾向が顕著だ。

<番組>
桂吉坊「月並丁稚」
桂歌之助「片棒」
桂かい枝「堪忍袋」
桂三風「振りこめ!」
~仲入り~
桂文華「河豚鍋」
林家染二「天下一浮かれの屑より『紙屑屋』」

以前より東京と上方の垣根が低くなったとはいえ、同じ演目でも中味が違う。
落語家の気風も違うようで、上方落語家は一様に声が大きく元気がいい。それに常に客を笑わせようとする。
大阪の落語界の関係者からきいた話では、大阪の落語家に鬱病が多いのはそのためで、客が笑ってくれないとガックリと落ち込むのだそうだ。
そこいくと東京の落語家は、「笑わないのは客が悪いんだ」で片付けるから、病に罹らないのだろうか。その方が健康的かな。

桂吉坊の「月並丁稚」、テーマが「粗忽の使者」によく似ている。

桂歌之助の「片棒」、東京と違って三人の息子が最初にズラリと顔を揃えて、親父の前で一人ずつ葬儀のアイディアを披露する。
歌之助の高座は明るく華やかで、息子たちの語る情景が鮮やかな色彩となって浮かんでくる。上出来だったと思う。

桂かい枝の「堪忍袋」、東京の演出に比べて夫婦喧嘩が派手でしつこい。
後口が、モツ鍋をたらふく食ったような濃厚スープの味が残る。
英語落語が得意なのだそうだ。

桂三風の「振りこめ!」は唯一の新作。
振りこめ詐欺を題材にしたもので、楽しく聴かせてくれた。
「大阪のオバチャン」の存在感が前提で、東京では成り立たないかも知れない。

桂文華の「河豚鍋」。
マクラで、フグ鍋のことを大阪では「てっちり」というが、「てつ」は鉄砲、「ちり」は鍋料理を指し、鉄砲もフグも当たると死ぬからという洒落だそうだ。
一つ勉強になった。
「フグは食いたし命は惜しし」がテーマのネタで、鍋を食うさまが良く出来ていた。

林家染二の「紙屑屋」、このネタは東京とは全く違う派手な内容だ。
居候の若旦那が紙屑屋をさせられるというのは共通だが、大阪の演出は「はめもの」といわれる賑やかなお囃子が入り、「義経千本桜・吉野山」の狐忠度の軍語りやら、「娘道成寺」の鞠つきの踊りやら、賑々しい演出となる。
後半は座布団を片付けて、高座中を踊りまくる。
熱演だったが、さて東京の落語フアンにはどう映っただろうか。

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「鳳楽を円生に」なら協会へ復帰して

10月29日死去した三遊亭圓楽の一番弟子である三遊亭鳳楽が「圓生(円生)」を継ぐようだ。
円楽が今春、自宅に鳳楽を呼んで「(楽太郎の)六代目円楽襲名が終わった後、ゆっくり円生を継いでいけばいい」などと話したといい、鳳楽は「先代・円生の遺族と相談して進めていきたい」としている。
鳳楽は数年前から「三遊亭圓生への道」というタイトルの独演会を続けており、圓生襲名のウワサはあった。また圓楽一門会の会長にもなっており、圓生襲名はかなりの現実性をおびている。

これを機会に、圓楽一門は協会に復帰したらどうだろうか。
1978年に真打の昇進制度をめぐって、圓生一門が落語協会から脱退したのだが、もう当事者の圓生とその後継者である圓楽が亡くなった今、独立して運営する理由も無くなったのではなかろうか。
一番大きな問題は、三遊亭圓生は大名跡であり、その名前は落語界全体の財産だからだ。
それを特定のグループが所有するのはいかにもマズイ。
そのためにも協会に復帰し、寄席に出演できるようにすべきでは。圓生が寄席(定席)に出ないのはおかしいでしょう。

これは個人的な希望ではあるが、復帰先は落語芸術協会(芸協)が良いと思っている。
いま落語協会優勢の傾きがあるが、圓楽一門が芸協に加わることにより、両者のバランスが取れるようになるのを期待している。
「香盤」をどうするかなど難しい問題もあるが、そこは大局的な立場で解決して欲しい。
なにせ、「圓生の名跡」復活のためなんだから。

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2009/11/01

チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団(10/31)

日時;10月31日(土) 14時
会場:横浜みなとみらいホール
<演奏者>
指揮者:レオシュ・スワロフスキー
管弦楽:ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団
ピアノ:ベン・キム
<プログラム>
スメタナ;交響詩「モルダウ」
ラフマニノフ;ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:ベン・キム)
ドヴォルザーク;交響曲第9番「新世界より」
(他にアンコール2曲)

チェコといえばチェコ・フィルハーモニー管絃楽団が有名だが、こちらはチェコ第二の都市ブルノの本拠をおくブルノ・フィルハーモニー管弦楽団だ。
欧州の中堅楽団という位置になるだろうか。
協奏曲で共演したベン・キムは新進の米国人ピアニストで、国際的コンクールで優勝をしているとのことだ。

まあそういうことより、土曜日の午後にノンビリと名曲の数々を楽しもうという趣向である。
今回演奏されたようないわゆる名曲は耳に親しんでいるという利点はあるが、反面数々の名演、名盤が存在し、そういう音が耳に残っているため、どうしても比較してしまう。
これは演奏者にとっては、なかなか苛酷なことなのかも知れない。

ラフマニノフという作曲家の名前が一般に知られるようになったのは、おそらく映画「七年目の浮気」ではなかろうか。
マリリン・モンロー扮する女優の卵が、階下の中年男の部屋を訪れ、ピアノ協奏曲のレコードを聴いて「ラフマニノフ!」とつぶやく有名なシーンだ。
少々オツムの弱い女の子が知っている位だから、これはきっと有名な人なんだと、当時の人は思ったに違いない。私もその一人だった。
ピアノ協奏曲第二番が一般に知られたのも映画のおかげだ。
「アラビアのロレンス」の砂漠のシーン全編に流れたこの曲の「サビ」が、観客に強いインパクトを与えた。
クラシックといえども、他のメディアの影響は常に受ける。

ただラフマニノフの第二番をナマ演奏で聴くと、オーケストラの響きにピアノの音が負けてしまい、特に第一楽章ではピアノ・パートが聞き取りづらいという問題がある。
どうもこの曲だけは、CDで聴くのに向いている気がする。

ドヴォルザークの「新世界より」はさすがに自家薬篭中のものという演奏ぶりだったが、金管楽器の強音に不満が残った。

公演は11月22日まで各地で。

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大分のホーバーが運航に幕

Photo大分空港を利用された方ならご存知だろうが、ここには空港と大分市を結ぶ全国唯一のホーバークラフトがあったが、10月31日運航最終日を迎え、39年の歴史に幕を下ろした。
現役当時、外注工場と取引先が大分市内にあり、それこそ数十回はホーバークラフトに乗船した。
最初のころは50-60人乗りぐらいの小さな船で船体も低く、少し波の高い時は波間に揺られているような感じがして、特に日没を過ぎると恐かった。
やがて大型船に切り替わると船体が高くなり乗り心地も良くなった。
海が荒れると欠航となるのだが、朝の第一便だけは欠航の場合、タクシーで大分空港まで送ってくれるサービスがあり、一度だけ利用した。
前の晩に飲みすぎて二日酔いのまま翌朝乗船したりすると、地獄の苦しみを味わうことになる。自業自得だけど。

ホーバーは空港から大分市内まで30分で着けるので便利だが、
・運賃が高い。
・船着場から大分駅まで距離があるため、連絡バスかタクシーを利用せねばならない。
という欠点があった。
だから大分駅や市の中心部に行く時は、ホーバーはあまり便利ではない。

空港から市内まではリムジンバスが出ている。
当初は大分駅まで1時間20分以上かかっていたのが、高速道路が整備されて時間が短縮され、1時間で着くようになった。
それにバスだと別府湾をグルリと回るコースをとるため、晴れた日はとても海岸の景色が美しく、これもバスの魅力のひとつだった。
こうなるとホーバーの優位性はうすれてくるようになり、乗客はバスに移ってゆく。
1971年に就航、乗客数は90年度の約44万人をピークに、昨年度は約25万人まで減少した。
経営する大分ホーバーフェリー(大分市)の負債額は8億円強に達し、運航が続けられなくなったものだ。

これから高速料金が無料になったり、ガソリンにかかる暫定税率が廃止になってくれば、大分と同じようなことが全国のアチコチで起きるのだろう。
31日のホーバー最終日には、乗り場は朝から記念乗船する人などであふれたそうだ。
そんなに廃止を惜しむなら、普段から乗ってあげればいいのにさ。

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2009/10/31

三遊亭圓楽の死去に想う

三遊亭圓楽(円楽)が29日に亡くなった。享年76歳だった。
最後に見た高座は昨年11月末で、「板つき」というよりは、洋服で机と椅子という恰好だった。
トークが中心で二、三小咄を披露したが、思ったより元気な姿を見せていた。
落語となると、脳梗塞で倒れる2005年11月の数ヶ月前の圓楽一門会で「中村仲蔵」を演じたのを観たのが最後となった。
この時は既に調子が悪かったらしく、しばしば手拭いで口元を拭いながらの高座だったが、1時間近くの長丁場をよどみなく演じ、感動させてくれた。

私が在職していた会社のオフィスが一時期江東区にあり、昼食に通っていたレストランがたまたま元の「若竹」だった。
以前寄席だったせいか、レストランとしては天井が高かったのが印象的だった。
ただあまり便利な場所とはいえず、寄席のロケーションとしてはどうだったのだろうか。

圓楽の高座を実際に見たというのは、落語フアンでもそう回数は多くないと思われる。
活躍の舞台はTVの“笑点”司会者が中心で、あれだけの大御所でありながら独演会は圧倒的に少ない。
つまり落語家というよりは、実際にはTVタレント中心に活躍した芸人だったと思う。

落語家としての圓楽の特長は、明解な語り口と大らかな芸風にあった。
よく師匠である六代目三遊亭圓生に似ているといわれたものだが、圓生が陰なら圓楽は陽だ。
だから、どんな人情噺をやらせても湿っぽくならない。
「唐茄子屋政談」という演目があるが、めったに演じられない後半はやや陰惨な展開となるのだが、圓楽が演じると暗くならず、後口も爽やかな印象となる。
「文七元結」では他の演者と比べて、長屋での夫婦喧嘩の場面に重点をおくので、全体がカラッと明るいものとなる。
芸に艶と品もあって、「短命」のような艶笑噺をやらても全くいやらしくならない。
絶品といわれた「浜野矩随」については、他の追従を許さない。
同世代の志ん朝や談志とはまた違った魅力のある噺家であり、それだけにもうちょっと本業で活躍して欲しかったと思うのは、私だけだろうか。

五代目圓楽は、2010年に予定されている楽太郎の六代目圓楽襲名を見ることなく亡くなり、さぞかし心残りだったろうと推察する。
合掌。

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2009/10/30

中年の女狂い

「男はね、若いとき遊んどかないと、中年になってから女に狂うんだよ。」とは、私の母の言葉だ。
「お前みたいな堅いのが危ないんだから、今のうち遊んでおきな。」とも。
20歳ごろまで女っ気がなかった私の行く末を、母は真剣に心配していた。
幸か不幸か、私は母が予測したようにはならずに済んだのだが、その後の人生の中で、中年や熟年になってから特定の女性に入れあげる男を実際に見ることがあった。
母親の言葉は一面の真実をついていたのだ。

結婚詐欺容疑で逮捕された無職の女(34)の周辺にいた男性4人が不審死していたとされる事件が、いま話題になっている。
この女が男性たちの連続不審死に関与していたのかどうかは、今後の捜査の進展を待つしかないのだが、世間の関心はもう一つの、女が男性らから総額1億円近くを貢がせていたことも関心をよんでいる。
なかには7400万円近くを女に渡していた例もあったという。
なぜそんな大金をと思われるだろうが、これがあるのだ。
会社の同僚だった男が50歳過ぎてからある女性に入れあげ、結婚してくれるなら貯金していた5000万円をそっくり上げると申し出た。
その男は既婚で妻子があったんだから、世のなか分からないねえ。
幸い相手の女性が「良心的」な人で、断わられたから事なきを得たものの、悪いのに引っ掛かったら大金を騙し取られた可能性もあったわけだ。
夢中になってしまうと、相手のことも周囲も全く見えなくなってしまう。
そこが恐いし、悪いのにつけ込まれるスキを与えてしまうことになる。

若い時だって失敗はあるし、騙されることだってある。しかしお金がないから被害は少なくて済むし、立ち直りも早い。
一度痛い目に遭ってあけば、中年になって誘惑されても対処ができる。
つまりインフルエンザのワクチンと理屈は一緒である。

巧妙な詐欺師から身を守るのは、とても難しい。
男性諸氏は中年になって悪い女に引っ掛からぬように、若い時にしっかりと遊んで「免疫」をつけておくことが必要かも知れない。

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2009/10/29

医師が患者をつくりだす(上)

いま介護に携わっている関係者の中で、密かに話題になっている薬品があるという。
その薬の名前は「リスパダール(一般名;リスペドリン)」という。
元々は「統合失調症」の治療薬なのだが、高齢者の認知症の治療薬として、抗うつ剤として、時には不眠症や精神安定剤としても処方される薬だ。
「リスパダール」を高齢者が服用すると、しばしば、
(1)手足が硬直し身体が動かなくなる
(2)唇の動きが悪くないヨダレが増える
(3)食欲が極端になくなり食べなくなる
(4)床に虫が這いまわるなどの幻覚を訴える場合もある
といったような副作用を呈するそうなのだ。
こうした副作用情報は公開されているのだが、処方している医師の知識不足が問題を引き起している。

症状が重くなってホームヘルパーが気付くケースや、家族が気付いて介護福祉士やケアマネージャーに相談が持ち込まれるケースとがある。
その副作用例は、ある一つの地域で数十例に達するというから穏やかでない。
前記の(1)から(4)の症状を訴えるので、「もしかしてリスパダールを飲んでいませんか」と訊くと、「そうです」という答えが返ってくることもあるという。
時には生命の危険性にさえ及ぶこともあるそうだから、深刻な問題なのだ。

なぜこのような事が起きるのだろうか。
ある症状を訴えて高齢者が医師を訪れる。
治療薬として「リスパダール」が処方され、患者は指示通り服用する。ここまでは良い。
処が、症状が改善されないと、あるいはもっと重くなったと訴えると、知識の乏しい医師の中には、単純に用量を増やしてしまう。
そうすると患者の副作用がさらに強くなり症状が悪化する。それに対して、医者はさらに薬剤の用法用量を増やす。
こうして悪循環におちいっていく。

どこかで歯止めがかかれば良いのだろうが、これがなかなか難しいという実情がある。
元々患者が持っていった症状と副作用が似ているため、原因が薬だと気付きにくいのだ。
まして高齢者の場合、本人が気が付くというのは先ず有り得ない。
もう一つ、これも大きな問題として、患者やその家族が、医師に治療法にモノ申すことはとても困難なのだ。
副作用ではないかなどと訴えると、能力の低い医師ほど治療法が非難されたと受け止め、露骨に嫌な顔をされたり、時には逆切れされることもある。
お世話になっている医者との間が気まずくなるのを避けるため、黙って治療に従って重症に陥っていくというパターンが多いのだ。

相談を受けたケアワーカーやケアマネージャーは、とりあえず家族を説得して、「リスパダール」の服用を止めさせる。
そうすると殆んどの患者の症状が改善し、通常の日常生活に復帰できるのだそうだ。
医師によってはこの薬品に対する知識がなく、「1日量は12mgをこえないこと」という注意書きがあるにも拘らず、その3倍も処方していたケースがあったという。
こういう医者が堂々と看板をだして営業しているのだから恐ろしい。

主に高齢者の副作用が問題となっているようだが、今の日本の医療制度では、上記のような民間の副作用情報がフィードバックできるシステムがないのだ。
例えばイギリスのように、患者や家族、介護者などの個々の副作用情報がフィードバックできるシステムになっていれば、情報の共用が可能になるのだが。
(続く)

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