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2005/02/27

立川志の輔独演会

shinosuke2/25に、横浜にぎわい座の立川志の輔独演会に行きました。
志の輔は落語家の集客力としては、今や5本の指に入ろうかと言われる人気者です。TVの人気番組の司会をしていることと、とに角この人の噺が面白いことが、人気の源泉です。
当日は新作と古典2席演じましたが、一席目のマクラは今話題のフジテレビとライブドアとの株買占め騒動と、西武の堤義明の疑惑を、日本人の金持ち嫌いということに結び付けて、自身の新作であるマツキヨをモデルにした本題”買い物ぶぎ”へ入っていく呼吸が見事です。
落語家の経歴には2つのタイプがり、多数派が若い時から落語が好きで好きで、大学のオチ研を出ると直ぐに憧れの師匠に入門する人達です。この他に一旦別の職業に就いてから、落語家になる少数派の人がいるのですが、志の輔は後者で、彼は広告代理店などサラリーマンを経験して30歳近くになって落語家になっています。この人のマクラの振り方や新作には、一般社会を経て形成されて感覚が、うまく生きています。
中入り後はお馴染み“妾馬”でしたが、これも能の魅力を語りながら、日本人文化論を語りつつ、すっと江戸の長屋の世界に入って行きました。“妾馬”という噺は、一見滑稽噺にみえますが、実は親子、兄妹の愛情がテーマの人情噺だと思います。志の輔の“妾馬”はオリジナルからは相当デフォルメされているのですが、噺の骨格はちゃんと残されています。この辺のアンバイが絶妙です。

志の輔の高座の魅力は、顧客満足度が高いことが上げられます。以前の彼の独演会で、風邪による高熱のためか、デキが今一つだったのですが、予定終了時間を15分もオーバーした熱演で、お客さんは完全に満足していました。こうしたサービス精神が、志の輔の魅力です。

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2005/02/25

堤さん、観念なさい!

tsutsumi西武グループの株不正疑惑の捜査が最終局面を迎えています。
西武グループは長年にわたり、上場企業である西武鉄道の株式の大半を小さなコクドという会社が保有し、そのコクドの株式の3分の1を堤義明個人が保有してきました。この結果、堤義明個人が巨大な西武グループ全体を支配できる構造を作ってきたのです。
しかしこのままだと西武鉄道が上場廃止になってしまうため、コクドの持っていた株を個人が保有していたように偽装したり、又こうした事実を隠したまま、西武の株を取引先に売却していたものです。
堤元会長逮捕は時間の問題でしょう。
彼の部下であった会社幹部が、この件で二人も命を投げ出したのですから、それ相当の責任を取るべきです。

西武鉄道の創業者は父堤康次郎です。
東京大空襲の最中に、ビルの地下に何本も電話を引いて、土地を買いまくり、西武鉄道の基礎を築きました。
戦後は、没落した元皇族や華族に金を貸し、そのカタに彼らの持っていた土地を取り上げて、プリンスホテルを次々と建ててきたのです。
東急グループを創業した五島慶太が、その強引な手口から”強盗けいた”と呼ばれていましたが、創業時には相当エゲツナイことを皆さんして来たんですね。
これに比べれば、ホリエモンなどは実に可愛いモンです。

その父堤康次郎の側近だった人が書いた“西武王国その炎と影”という本があるのだそうですが、この中で、康次郎自らの指示で、『遺産も殆ど義明が相続出来るように、一応、株を信頼出来る人々に、分散して持たせておいて、後で義明の元に全部戻してもらった』と書かれているそうです。
彼は衆議院議長にまで上り詰めた人だったのですが、そうした人物が陰でこうした不正を指揮していたのですから、驚きです。
結局息子の義明もこのDNAをそのまま受け継いで、数十年間も不正を続けてきたわけです。

加えて、元フィギュアースケート選手であった渡部絵美さんに行った仕打ちは、暴力団顔負けの卑劣な行為です。こんな男がごく最近まで巨大グループを支配し続け、あまつさえ五輪組織委員会のトップという要職まで勤めていたのですから、呆れ返ってモノも言えません。
堤義明の周辺、まだまだ叩けばホコリが出てきそうです。

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2005/02/23

ヤクザの話

mannen突然ですが、ヤクザの話しです。
多くの方にとっては、ヤクザは塀の向こう側、別世界の存在と思われますが、私の場合はかなり身近な存在でした。

生家が中野駅の近くで、太平洋戦争の前後に水商売をやっていたのですが、あの辺は昔からヤクザの住まいが多かった。特に終戦直後、飲食店に出入りするような人たちには、まっとうな人は少なかったわけです。
家のすぐ近くに、万年東一(左上の写真の中央の人物)という人が住んでいたのですが、この人は日本のヤクザ史上に残る大親分でした。
日本で初めて愚連隊を作った人で(あまり誉められた話じゃあ無いですが)、以前勝新太郎が主演の映画シリーズ”兵隊やくざ”のモデルになった人物です。
でも何故か組を作らず、最後まで一匹狼を通した人でもあります。当時の暴力団組長たちも、この人には頭が上がらなかったとされる大物です。
万年さんのことは、宮崎学ら数人の作家が評伝を書いてますので、興味のある方はそちらをどうぞ。

その万年さんですが、私達の店に殆ど毎日来ていました。未だ幼かった私を大変可愛がってくれて、姿をみると必ず抱き上げてくれました。
彼がいるのでどうしても関係者が集まってくる。どうも店の客の大半がそのスジの人だったようです。
いつも店の中でお兄さんたちが注射を打っていたので、母にあれは何してんのとたずねると、ヒロポンだと教えてくれました、代表的な覚せい剤ですから、今なら持っているだけで逮捕ですね。大人になるとみんなヒロポンを打つのかと、純真な私はその当時そう思ってました。
母から、もし街で人に刺されたら絶対その場を動くな、傷口を押さえてじっとしていないと出血多量で死ぬからと教えられましたが、今から考えると小さな子供にそんなこと教えてどうする、と思います。

万年さんは、地元ではごく普通の生活を送っていたので、彼の素性を知っている人は殆どいなかったそうです。
当時のヤクザには、堅気には迷惑を掛けないという矜持があったのでしょう。

最近、世の中を騒がしている振り込め詐欺も偽札も、暴力団の資金源であったことが判明しましたが、情けない話しです。
庶民相手に詐欺をやってシノギをするなんざぁ、ったくヤクザの風上にも置けねぇ。

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2005/02/21

放浪記

morimi”人間は3種類に分かれる、男と女と女優である。”だそうです。この言葉を聴く度に、森光子を頭に描きます。

私が初めて森光子の舞台を見たのは1960年で、17歳の高校生の頃でした。あれからもう44年経ったわけですね。その舞台では八千草薫がまだ娘役で、中山千夏は子役でしたから、まさに隔世の感があります。
当時彼女は40歳前後でしたが、今でも見た目は余り変わらないのですから驚きです。確かにアップされると、さすがに年齢は隠せませんが、むしろ現在の方がキレイになっているのではとさえ思います。

その舞台ですが、“がしんたれ”という菊田一夫の自伝を芝居にしたものです。森光子は林芙美子の役を演じてましたが脇役で、ほんのワンシーンの出演であったと記憶してます。ただその時、何と上手い役者だろうと感心したことだけは覚えています。
結局この時の演技が認められ、放浪記の主役に抜擢されて、今日の森光子があります。歌手で売れず、映画女優でもパットせずでしたが、舞台女優で花を咲かせたわけです。

孫のような年のタレントのエキスを吸って、いつもでも若く美しい森光子、やっぱり女優は化け物ですね。

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2005/02/19

ホリエモン

horie今や時の人、ライブドア堀江社長の愛称です。
プロ野球新規参入をケラレたら、今度はニッポン放送の株を買い占め、業務提携と経営参加を申し入れしました。もちろんその先のフジテレビへの参画も視野に入れているのでしょう。
この人の”不思議なポッケ”からは、いきなり800億円出てくるのですから、ドラエモン顔負けです。
今のところ、フジサンケイグループからは猛反発を受け、おまけに森前首相や閣僚、財界からも批判され、四面楚歌の状態になっています。ホリエモンの策謀が成功するかどうか、予断を許しません。

サンケイ新聞といえば、自民党が幹事長名で全国の支部に、党を挙げて普及活動するよう要請していた新聞ですから、政府としてもお家の一大事なのでしょう。
株の買い集めが、市場の時間外取引であったことから(これは違法ではないのですが)、今後こういうことが起きないよう今の国会で規制法を作るという、普通では考えられない対応の早さです。

日本のマスコミの経営体質は、前近代的な企業が多いのですが、特にフジサンケイグループは、鹿内ファミリーによる一族支配と私物化→鹿内一族失脚→現体制への移行、の権力闘争の過程で、とても不自然な株主構成になりました。
ちょうどコクドが西武グループを支配したように、小さなニッポン放送が、大きなフジサンケイグループを支配できるような構図になってしまったのです。
ですから今回の堀江社長の企てはこの隙をついたもので、元はといえば身から出たサビです。

確かにあの風貌、T-シャツ姿、そして”世の中、金で買えないものなんて無い。”の発言が、マスコミ経営者らしかぬという声もあります。でも読売の総帥、ナベツネさんの言動が、マスコミ経営者らしい風格を備えているかと云われれば、大いに疑問ですが。

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2005/02/17

ミラーマン

uekusa早大教授で売れっ子エコノミストであった植草一秀氏が、手鏡を使ったノゾキで逮捕された事件は、当時大きな話題となりました。
ご本人は無罪を主張し、現在裁判が進行中ですから、判決がどうなるか未だ分かりません。しかし検察側から痴漢の前歴があったこと、制服マニアであったことなどが論証され、植草氏の方がどうも旗色が悪いようです。
ミラーマンとかテカガミストとか週刊誌に書かれてますが、ちょっと下品。私なら、エロノミストと名づけますけど。

世間の反応は概ね二通りありました。一つはあれだけ高名な学者が、なぜあんな事をというものでした。社会的地位が高いことが、必ずしも人格の高さを表しません。
更にヤッカイなのは、しばしば(女性のことは良く分かりませんが)男の人格は下半身には及ばないという事実です。上半身と下半身の人格が分かれている男は度々見かけます。世間から尊敬を集めてる人が、しょっちゅう浮気を繰り返したり、風俗店通いをしたりなどという例はザラですね。

二つ目には、有名でお金持ちだろうに、結構イケメンだし女性に不自由してないだろうになぜ、という反応です。
痴漢など性犯罪は、単に性的欲望を満たすことが目的ではありません。むしろ相手を辱める、貶めることに目的があります。ですから既婚者とか、すごくモテルとか、そうした事と性犯罪を起こす事とは全く別の問題です。
普段女性から相手にされない男が、電車の中でついつい近くの女性のお尻を触ってしまうと言う事では決してありません。だから痴漢行為は許せないのです。

それにしてもノゾキというのは、そんなに楽しいものでしょうか。性的嗜好の問題というのは実にオクがフカイ。

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2005/02/16

血液型

blood血液型のお話しです。
外国ではあまり聞きませんが、日本人は血液型の話が好きですねえ。
性格診断、相性、占いなど色々な分野に顔を出しています。
私の場合35年連れ添った愛妻の血液型を最近知ったくらいの血液型音痴ですが、酒席での話題には加わりますし、飲み屋のオネエサンとの会話では盛り上がることもあります。
”血液型は?”と聞かれると”O型”と答えることにしてます。”ヤッパリね”なんて言われますが、本当はB型なんですから実にイイ加減なものです。
しかし世の中には本気で信じて、結婚相手の選択やら、時には企業の人事まで影響する場合があると聞いてはオダヤカではありません。最近ですと血液型のTV番組によって学校でイジメを受けた子供がいると聞いてはなおさらです。

日本で初めて血液型と性格は関係があるという学説(?)は、大正時代にある心理学者が言い出したことですが、その際は他の研究者からコテンパンに批判され、一時は影をひそめました。ところが昭和40年代になって 能見正比古の“血液型でわかる相性”がベストセラーとなり、再び脚光を浴びたのです。その後も科学的な装いをこらした珍説が次々と披瀝されています。

人間の血液型は数十種類あるらしいのですが、なぜか性格と関連づけられるのは、いつもABO血液型だけです。輸血などで重要なRH型など他の血液型は無視されています。
日本では昔から干支と性格のしばしば関連づけられます。“巳年の女は執念ぶかい。”なんてよく言われますよね。
この他に、出身地別の性格判断なんていうのも良く聞きます。“薩摩男は、”とか“上州の女は、”とかその手の類です。
血液型ではあっさりしていて、干支では執念深く、出身地から見れば思いやりがある人は一体どういう性格になるんでしょうか。もう多重人格になるしかありません。

若い女の子同士がA型だ、O型だと話している分には良いのですが、いい年したオッサン同士が“あいつはAB型だから、”なんて喋ってるのは、どうもミットモナイですね。

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2005/02/14

寄席ー新宿末広亭二月上席

rakugo2月9日末広亭に行ってきました。
当日は春節ということで真にお日柄も良く、昼の部は小朝がトリに出るので平日というのに立ち見がでる超満員でした。中入り前にこぶ平(この日がこぶ平としての最後の舞台で、3月には9代目林家正蔵を襲名する)が珍しい”ぞろぞろ”を演じましたが、上出来でした。
3年くらい前からこぶ平が急に良くなってきましたが、ちょうど正蔵襲名を視野に入れてきた頃だったんでしょう。久々に見たお客さんは、やあこぶちゃん上手くなったなあと、さかんに感心してました。

小朝はくるわ噺の”三枚起請”を演りましたが、この人は滑稽噺、人情噺、怪談、何を演じさせても上手い。何よりとても器用な噺家なんですね。時にこの器用さがアダとなって、少しもの足りない印象を与える事があります。独演会に行っても、軽く流しているような感じを受けることがあり残念です。

夜の部は、あいにくW杯予選の日本ー北朝鮮の一戦と重なり、昼の部に比べ2割くらいの入りでした。まあ、こんな時に落語を聞いているのですから、戦時中なら非国民でタイホされてますね。しかし実力者揃いで熱演が続いたのに、演者には気の毒なようでした。この日の出演者の中では、やはり権太郎、さん喬二人の実力が目立ってました。普段からこの二人は絶対に手抜きしないところがリッパです。
落語協会では、円歌、円蔵、金馬、こん平の長老達がパッとせず、志ん朝が亡くなり、小朝、小三冶がめったに定席に出ない中で、現在の寄席はこの二人によって支えられていると言っても過言ではありません。

夜のトリは爆笑落語の歌之介でしが、この辺りの中堅どころが確実に力を付けてきており、まだまだ今後の落語界には明るさが見えます。

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NHK問題

NHKNHK教育TVで放映された番組に政治介入があったかどうかが、大きな問題となっています。今のところNHK側は圧力は無かったし、政治介入による番組の改変は無かったとの見解です。

私が小学校に入った昭和25年ごろ、当時NHKラジオで“日曜娯楽版”という人気番組がありました。視聴率100%と言われていたほどの大人気で、もちろん我が家でも日曜日夕方になると家族揃って聞いていました。
ところがある時この番組が突如打ち切りとなり、世間を驚かせました。後に関係者の証言で、番組中の政治風刺コントが時の与党幹事長の逆鱗にふれ、中止させられてことが明らかにされています。
この後も、折りにふれ政治介入の噂は絶えません。音楽でフォークソング全盛期には、いわゆる反戦歌をNHKは放送禁止にしていました。

今回の件も含めて、NHKに対する政治介入、圧力は日常的にあったと考える方が妥当でしょう。
今回安倍、中川両氏の面談の時期がどうとか、内容がどうとかいう話になっていますが、元々有力政治家に事前に番組内容を説明していたこと自体が、既に問題です。通常事前説明するというのは了解を得る、あるいは気付きを貰うと同意義であり、事前検閲を受けていたと思われて当然でしょう。

NHKニュースは政府広報の色が濃いと感じるときもありますが、優れたドキュメンタリーの多くや教育TV番組などは、やはりNHKしか製作できないでしょう。
不祥事の件も含めてNHK側の対応に納得がいかない点も多々ありますが、NHKが公共放送本来の姿に再生してくれることを期待し、受信料を払い続けることにします。

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2005/02/13

中途半端主義

chuutoこのサイトのサブタイトルは、中途ハンパ主義宣言です。

世界的にはどうか分かりませんが、こと日本では一つのことに打ち込んで長期間続けることが賞賛の対象となるようです。いわゆるこの道うん十年というやつですね。
特に様々な困難を乗り越えついに目標を達成した男達、などというのはNHKがプロジェクトXで採り上げてくれたりします。これも先日NHKの別の番組で、醤油だんご作りでこの道40年(30年だったけか?)という人が紹介されていましたが、果たしてどんな意味があるのでしょうね。

しかし世の中、色んなことに興味を持ちあれこれ手を出すが結局何一つモノにならない、一つのことが長続きしない、目標を立てて取り組むが必ず途中挫折してしまう、こういう人が多いのではないでしょうか。こうした世間からあまりホメラレナイ生き方を中途ハンパ主義と呼んで、ポジティブに評価しようという宣言です。
多分、圧倒的多数の方々から支持が得られるだろうと勝手に決めています。

これから日々さまざまなことをチョコチョコと採り上げ、あまり深く掘り下げることなく、中途ハンパにテキトウに書いてゆこうと思ってますので、気楽にお付き合い頂ければ幸いです。

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2005/02/12

宮澤賢治

kenjiこのサイトのタイトル”HOME★9(ほめく)”は、宮澤賢治の詩”雨ニモマケズ”の中の、
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
から採りました。
小学生の時に初めてこの詩に出会い、強い衝撃を受けました。
ああ、こういう人間の生き方もあるんだなと、自分もやがてこうした生き方をしていこうと、真に単純ですがそう決意して今日に至っています。

賢治の作品の中では”セロひきのゴーシュ”と”グスコーブドリの伝記”が特に気に入って、それぞれ10回以上は読んだでしょう。
”銀河鉄道の夜”は、当時まだ理解できない箇所もありましたが、とにかく星空を見上げてはこの作品の世界に浸っていました。
賢治の作品は、それまで読んだ童話とは全く種類が違うもので、生まれて初めて人生や死という問題を真剣に考えたような気がします。

サラリーマン時代も仕事で壁にぶつかると、よく賢治の詩の
 我等ハ黒キ 土ニフシ
 マコトノ草ノ 種マケリ
を口ずさんで、自らを励ましていました。

ですから宮澤賢治とのお付き合いも、もうかれこれ50年程にもなります。

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