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2005/03/28

終末期医療―ある裁判から―

kawasaki何とも切ない事件で、何ともすっきりしない結末だなというのが、この裁判の印象です。今回は、少々深刻なテーマを採り上げます。
1998年に川崎共同病院に入院した気管支喘息の重症患者に、担当医師が患者への延命治療を中止し、筋弛緩剤を投与して死亡させたという事件の裁判です。医師と検察側、患者家族との見解は、真っ向から対立しました。医師は家族の要請と了解の下に行ったと主張し、検察側と家族は医師が勝手に判断して行ったと主張していました。
この事件が不可解なのは、患者が死亡して3年経って、しかも家族からではなく同僚医師の内部告発から、事件が表面化したことです。

この裁判は、回復の見込みの無い終末期医療と安楽死という重要なテーマをはらんでいます。
回復の見込みが無くて、激しい苦痛に絶え間なく襲われる患者に対しは、ある意味主治医と家族との間のあうんの呼吸で、延命措置が止められ、死を迎えるというのは、過去にはそれほど珍しい話ではありません。
入院が長期にわたれば、患者の苦しみ、付き添い家族の肉体的、経済的負担を全く無視は出来ません。患者の生命の尊厳と、どこで折り合いをつけるかという決断を迫られるのです。
そこに家族から、“先生お願いですから、楽にさせて上げて下さい。”と言われれば、医師としては、これは家族が死を覚悟していると判断するでしょう。しかし後になって、家族は了承していなかった、そんなつもりではなかったと証言されれば、法的には今回の裁判のように、殺人罪が適用されてしまう、これは医師の側からすれば、厳しい判決だと思います。

一方では、体中にチューブを巻かれて無理やり生きさせているといった、家族から病院の延命治療に対する苦情も良く聞かれます。医師が最善を尽くし、患者が一命をとりとめたが後遺症が残り、あの時死なせてくれたほうが良かったなどと、家族から嫌みを言われるケースもあるそうです。患者の延命について、家族や親戚間で、意見が対立することもあります。
家族側にも、建前と本音があるのです。

25日に出された横浜地裁の判決は、懲役3年執行猶予5年でした。終末医療での的確な診断と患者や家族との意思疎通を指摘した判決理由は、妥当なものでしょう。今後生命に係わることは、暗黙の了解やあうんの呼吸は認められないということになります。

高齢化社会を迎え、終末医療、病院の医療体制、尊厳死、安楽死の問題は、私たち一人一人が避けて通れない問題です。
今回の裁判は、こうした課題を社会全体につきつけたものとなりました。

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