懐かしの銭湯
昭和30年代の前半の頃までは、東京ではうち風呂を持っている家は少なかった。
だから大抵の人は、銭湯に行ってました。
私は母親と一緒に風呂に行ってたので、小4くらいまで女湯に入ってました(スミマセン!)。
今の方ご存知ないでしょうが、その頃はまだ和服で風呂に来る女性がいました。
下着は腰巻なのですが、紐を解くときタオルを口にくわえてまして、腰巻を下に落とす瞬間、口のタオルがストンと下に落ちてきて、それを身体の中央部あたりで片手で受け止めるんです。それはもう目にも留まらぬ早さでした。昔の日本女性は、実に慎み深かったのです。
当時女性が髪を洗う時は別料金でして、金を払うと木の札と楕円形の桶が渡され、それで髪を洗えるんです。男は洗髪がタダなのですから、おかしな話しでしたね。
”流し”という制度がありました。
お金を払うと木の札が渡され、頃合を見計らって、サンスケと呼ばれる男の人が来てくれます。それで背中を流して、肩をマッサージしてくれるんです。肩に手ぬぐいを掛けて、その上からパーンパーンといい音を出して、叩いてました。
サンスケは勿論女湯にも入って来ます。格好は白い海水パンツのようなビチッとした下着1枚でした。そんな格好の男が、女湯の中を歩き回っているのですから、妙な光景でした。
当たり前ですが、周囲は全員が全裸の女性ですから、噂によると余り敏感な男は、この職業には向かなかったそうです。
女湯では、やはり若くて色白で、男前のサンスケに人気がありました。今で云うと、多少ホストみたいな要素があったのかも知れません。
男湯と女湯の間は仕切りがあるのですが、上の方が少し空いていました。
家族で風呂に来ている場合は、”もう出るぞー”と相手方の風呂場に声を掛け合っていました。
たまには、“オーイ、せっけん貸してくれー”などという声も掛かります。
”赤ちゃん頼むわよー”と母親が女湯から声をかけると、父親とおぼしき男の人が風呂場から脱衣場に向かいます。しばらくすると、風呂屋の女中さんが、女湯からバスタオルに包まれた赤ちゃんを男の所に運んできます。母親の方は、それから自分の身体を洗うのです。
中学に入ったころ、銭湯の開店時間に合わせて、一番風呂に入りました。これには訳があって、普通では人が入れない位熱い湯に、一人で平気な顔で入っています。すると後から大人の人がきて、何気なく入ろうとすると、これが熱くて入れない。水でうめようにも、目の前に子供が入っているので、湯船の前でマゴマゴする、その格好を見るのが楽しかったんですね。
風呂屋の中に中庭があり、周囲に縁側がありました、夏などはそこに扇風機が置かれてました。
涼みながら世間話に花が咲きます。銭湯は一緒のサロンであったわけです。
銭湯で 上野の花の 噂かな
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以前、志の輔の記事でコメント&トラックバックいただいたものです。
銭湯はいいですねぇ。うちもモチロン内風呂はあるのですが、狭い浴槽に足を曲げて入るのも窮屈なんで、家ではシャワーしか浴びません。
そのかわり週末の土日は銭湯で一週間の垢を落とします。
常湯はあるのですが、たまには知らない町の湯屋に足を伸ばしたりして、それが結構レジャー&リフレッシュになったりもします。
また、こちらのblogに寄らせていただきます。
投稿: 盥アットマーク | 2005/03/08 21:51
盥アットマーク様
コメント有難うございます。
これからも折りに触れて、昭和20年代の東京の姿を記事にしたいと思います。
また是非お立ち寄り下さい。
投稿: home-9 | 2005/03/08 22:04