東京大空襲
今年は東京大空襲60周年にあたりますので、今回はシリアスな話題です。
1945年3月9日深夜から10日未明にかけて、米軍は東京の下町を中心に大規模な爆撃を行いました。被害が広い範囲に及び、戦時下ということもあって、正確な死者の数は今もって分かりません。色々な統計資料から、8万人とも10万人以上とも推定されています。
第一次世界大戦までの戦争というのは、主に兵士同士の戦闘でした。
これが最初に破られたのは、1937年のナチスによるスペインの小さな村ゲルニカへの爆撃だといわれています。この爆撃は、当初から非戦闘員である村人の殺戮だけを目的にしたもので、これ以後の戦争の形態に大きな影響を与えました。
つまり早く戦争に勝利するために、一般市民を殺傷することを目的とした爆撃が次第にエスカレートしてゆきます。この延長上に東京大空襲がありました。
東京大空襲が、なぜこれほどの被害になったのかは、その後の調査や当時の記録、体験談の掘り起こしの中で、次第に明らかになっています。
米軍の方にはかなり詳細な記録が残されており、爆撃に加わったB29は325機、投下した焼夷弾は361855発となっています。これは毎秒45発の焼夷弾を2時間15分間落とし続けた計算になります。
先ず、目標とした下町の外周に石油を撒き、その上に焼夷弾を落とします。すると周りが全て火の海となり、逃げ道がふさがれてしまいます。その後に住宅密集地を狙って膨大な焼夷弾を投下したため、逃げ場を失った多くの市民が命を失いました。
いくら戦争とはいえ、ずい分ひどい事をしたものです。
子供たちの犠牲も多かったのですが、実は東京の子供たちの多くは学童疎開で、既に地方に移っていたのですが、なぜかこの年の初め頃から東京に戻されていました。小6だった私の兄も大空襲の直前に東京に戻っていました。なぜこんな危険な時期に、敢えて学童を東京に戻したのか、真相は不明なようです。
この大空襲を指揮し、さらに広島、長崎の原爆投下にも深く関わっていたのが、米軍爆撃隊司令であったカーチス・E・ルメイ将軍です。彼は前任者が市街地爆撃に消極的だったことを批判し、この作戦の責任者に抜擢されました。
ところが1964年に日本政府は、ルメイ将軍に対して勲一等旭日大綬章を贈っています。こんなことをしたのは、世界中探しても日本だけでしょう。
人間は悲しいかな、成功体験に引きずられるものです。恐らく米軍は現在イラクで、同じ様な事をしてるんでしょうね。
« 懐かしの銭湯 | トップページ | ”ほめく”開館1ヶ月 »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 海外は右翼、国内は保守のダブスタ(2024.08.25)
- 日本のウクライナ支援は立ち止まってみてはどうか(2024.08.14)
- Terrorism by Israel and NATO(2024.08.11)
- イスラエルによるテロとNATO(2024.08.11)
- 株の乱高下で右往左往(2024.08.07)
コメント