カフェの女給さん
戦前に生家がカフェをしていた関係で、戦後も母と当時の女給さんたちとの交流がありました。父は水商売の自営業者らしからぬ人間嫌いで、家の外交は、姐さん肌の母の仕事でした。ですから元女給さんたちも、母を慕って家に出入りしていました。
女給さんになる人は色々な事情を抱えていて、地方から上京してきた身寄りの無い女性もいたし、中には女郎さんが歳をとったので卒業して女給になったという人もいて、結婚して子供もいましたが、見たところはごく普通の家庭の奥さんでした。
驚いたのは、相手の旦那、これも例外なくサラリーマンなどカタギの人たちでしたが、その女性の素性を知っていて結婚していたんです。
まあ考えて見れば、昔の娼婦は合法であったわけですから、彼女たちも一職業婦人だったのです。この辺りの感覚、特に娼婦に対する偏見と差別意識は、現在のほうがずっと強いですね。
戦後その内の一人が旅館を開いたというので、母が小学校1年生の私を連れて訪問したことがありました。その旅館というのが、当時でいう連れ込み旅館(今のラブホテル)だったようなのですが、女性従業員が沢山いた所を見ると、むしろ赤線に近かったんだと思います。
そのうち母が急に帰ろうと言い出して、早々に帰宅したのですが、後で聞いたら母がたまたま通りかかった部屋で、旅館の人が女性従業員へお仕置きしている現場を見てしまったんだそうです。
別の女性で芸者をしていた人がいたのですが、旅回りの役者に入れあげて金を貸し、返してもらえないと母に泣き付いてきたことがあります。この時も母はなぜか私を連れて、その大衆演劇の座長をしていた役者の家に取り立てに行きました。そうしたら、病気で寝ていた無精ひげの風采の上がらない男が出てきました。それが座長だったんです。
結局手持ち無いということで、そのまま帰ってきました。後で母が、なんであんな男に入れあげたんだろうと嘆いてました。
元女給さんたち一人一人の行く末は、まるでドラマを見ているような気がします。
私も母のお陰で、幼い頃から随分と社会勉強をしてきました。
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何か当時の事を描いた風俗小説を読んでいるがごとくです。幼少の頃のお話とはいえ、実体験としてこうしたエピソードをお持ちであることがすごいですねぇ。とてもイマジネーションを刺激されます。
投稿: 盥アットマーク | 2005/03/22 19:13
盥アットマーク様
今考えると、とても貴重な経験をしたと思います。でも、私の母は何を考えて、そんな体験を私にさせたのでしょう。
もう、ずっと以前に鬼籍に入った母に、聞く術もありません。
投稿: home-9 | 2005/03/22 21:02