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2005/04/09

”子供を宗教活動”への反論を掲載します

前回の記事“子供を宗教活動に巻き込むな”について、ree さんと言う方から反論(コメント欄にも公開されてますが)が送られてきましたので、全文を掲載します。
一点だけ excuse させて貰えば、”パウロ永田”のパウロがキリストの使徒の名であることは、十分承知しています。しかし本人の行った行為との落差が余りに大きく、又パウロ永田という言葉の響きが、お笑い芸人のようでしたので、軽口をたたいたものです。軽口は本性なので、ご容赦を。
信仰を持たれている方から見れば、私のような神仏を含めて世の絶対的権威を認めていない人間のこうした意見は、恐らく天下の暴論と映るだろうと、掲載前から予測しておりました。
私の意見が絶対正しいなどとは、爪の先ほども思っておりません。皆様から広くご意見を伺えれば、幸いです。


プロテスタントの教会に通うクリスチャンです。今回の事件には心を痛めますが、日本人の中に聖書に対する知識のなさとそれを平気で”信教の自由”につなげて発言してしまう方の多さに驚いています。
「パウロ永田」という名はおそらくイエスの弟子から付けられたもので、この牧師以外にも「ペテロ○○」とか、「ヨハネ○○」といった名を付けられて牧会を行っておられる先生は多くおられます。
子供に宗教を・・と問題提起されていますが、子供が自己の意志をはっきり確立させる12~3歳くらいまでは(あくまでも平均的に、ですが)着る物、食べる物、住むところなどはほぼ親の意志で決定して与えているのに、人の命や人生観や魂の行く先まで関わる信仰の問題はもっと親が真実に信じているなら強く勧めるのは当然ではないでしょうか。
我々プロテスタント教会のほとんどは、12~3歳くらいまでの子供には嫌がらない限り「幼児洗礼」を受けさせ、一緒に礼拝に出たり聖書を読み聞かせたりお祈りをしたりします。それ以降は自分の意志で信仰するのかどうかを決めさせ信仰を続ける意志のある子供にはもう一度洗礼を受けさせます。
「お前は・・・」というフレーズを書かれたおかげで、すべての誠実なコメントが汚れて浅はかに見えてしまうことが残念です。

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宗教」カテゴリの記事

コメント

とても読み応えのあるブログですね。
さて、子供を宗教活動に巻き込むことについてですが、
私は小さい頃から親の信じる宗教の活動をさせることは
問題ないと思います。
特定の宗教は信じていなくても、たとえば子供に神様の存在を教えることは大事なことじゃないかと思います。人間は所詮はちっぽけな存在なんだって私は教えたいですから。
キリスト教信者は日曜日に家族で朝から礼拝にでかけますが、それは休みの日でも早起きするとか、近隣の人との交流をはかるとか、親と子供が同じ時間と空間を過ごすとか、宗教を超えた大事な意味があるからではないでしょうか。
宗教とは突き詰めれば、人が道を踏み外さないように
周囲から守られるシステムなんじゃないかと私は思っています。
ただ、残念なことに、中には子供を虐待しているような宗教もあり、また日本人は宗教アレルギーみたいなものもあって、子供に宗教なんて、、、、と後ろ向きにとらえられてしまうのかもしれません。

投稿: honma | 2005/04/14 05:20

もし、万物の創造主であり所有者、全知全能ならば、「罪」そのものも又、神の創造物であり神の所有物であり、「全てが神から創られた」というならば、「罪」もまた神によって創られたもの。その「罪」の伝播を放置しているのも、主権者たる神・・・所有者責任を果たせぬところ、全てを人間の責任に被せる、このヤリ口の方が汚れた存在ではないか。

投稿: サウロ永田 | 2005/06/30 19:17

文書や言葉では、

「人は神と富とに兼ね仕える事はできない」
「金持ちが天国に入るよりはらくだが針の穴を通る方が容易い」

とかヌケヌケとホザきながら、やはり唯一絶対神ヤーヴェが遍く世に蔓延させたかったのは、その「建前」とは裏腹の「本音」、、

資本原理主義社会の実現であった。
世の中、神にも富にもその都度ケースバイケースで柔軟性に富み、兼ね使えられる器用な種が発現し始めたのである。

この唯一神ヤーヴェの「裏」の意志を読み取れなかった者は、神の御心を行わなかったとして、「怠惰な僕」と見なされ、審判の日に裁きを下されるであろう。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050409i105.htm

しかし、唯一絶対神も、最初は猿並であった人類が、このような能力を備えた非直線的、非二者択一的人類となって緩慢な速度ではあるが確実に進歩し、地上を席捲するに至るとは予測し得なかったであろう。

そして、実際富める者は益々富んで、神に祝福されるのである (プ

「人の法によって裁かれさえしなければ」

逆に、貧しいものは蔑まれ、疎んじられ、進歩しない。
何者にも教育されず、ある何らかの価値判断を全くナチュラルに行う能力を身に付け、その基準に満たないと判断された者は、正しく神の審判を受け、落伍者の烙印を押され、死ぬまで「ヤーヴェの目」に宿る多くの思い込み、決め付け、先入観と戦い続ける事を宿命付けられる。

神が真の唯一全能者であり、且つ美辞麗句の建前とは懸け離れた「裏」の、本来の神の意図の下では絶対に貧しい者は救われんが (オプ

表の奇麗事だけ、信じようとしても到底納得のいく現実ではない。
もし神の意図が、神の言葉とされる文献にあるような奇麗事だけならば、その価値基準の大変化、或いは大逆転が存在して良い筈である。又、本当に神と銭が相反するものであるならば、神が資本主義の「人類の総体的価値基準のスタンダード」化を黙認する事は、神自身の違法行為とも言える。全能者の癖に、自ら発した言葉と異なる現実化に対して「黙認」という態度しか取り得ていないからである。

金保は、「神の創造した」現実世界に極めて忠実な下僕であったのかも知れない。その神の黙認する資本パラダイスも、日本人ごときの法によって裁かれてしまった (オプ

投稿: サウロ永田 | 2005/06/30 19:20

サウロ永田様
折角のコメントですが、私には全く意味不明です。恐らくは、このブログを読んでおる大多数の方々も、同様かと推察します。
仰りたい事を、平易かつ簡明に表現して下さい。

投稿: home-9 | 2005/07/01 00:53

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