三遊亭圓楽一門、勢揃い
圓楽一門の圓之助が四代目三遊亭小圓朝を襲名し、その披露口演が5月10日横浜にぎわい座で行われました。33年前に他界した三代目小圓朝は、記憶にあります。あまり人気はなかったが、渋くて端正な芸風の噺家でした。むしろ指導者として功績があり、この人に噺を教わった芸人は数えきれない。
当日は、お賑やかに圓楽一門の人気者勢ぞろい(つまり“笑点”メンバーが出演)ということで、補助席も出る満席となりました。
圓楽一門は普段定席に出られないのと、肝心の圓楽があまり独演会を開かないので、生で見られるチャンスが少ないのです。
私は、圓楽が未だ二つ目の全生の頃から、若いのにしっかりした噺をするなあと注目していました。その後、若手四天王に数えられ、落語会を背負ってゆく人材と期待されてきました。その4人も柳朝、志ん朝が世を去り、圓楽と談志が現役で残っています。
芸風は、六代目三遊亭圓生を正統に継いでいますが、残念ながら圓生の持っていた艶っぽさに欠けます。それに浄瑠璃や音曲の素養がないのでしょうか、圓生と比べると芸域が狭い。
圓楽の失敗は二つあると思います。一つは、60歳を前に“笑点”の司会を降りて、独演会を中心に落語に精進すべきでした。もしその道が選べないのであれば、潔く圓楽党を解散し、協会に復帰すべきでした。そうすれば、少なくとも一門の噺家たちが定席寄席に出演できたからです。
若い頃からの期待が大きかった反動でしょうか、私の圓楽に対する評価はどうしても辛くなります。
それでも、現在の落語界にあって、実力者の一人であることに違いありません。
さて当日ですが、新しい小圓朝の師匠である圓橘は“小言念仏”でした。圓橘は決して下手な噺家ではないのですが、一口で言うと“華”がないのです。落語界には、真打になって随分と時が経っていて、芸もそこそこなのになぜか人気が出ない、そんな噺家がぞろぞろいます。その最大の原因は“華”です。芸人の場合は、色気と言い換えても良いでしょう。
まあこういう事は、どの世界でもありまして、サラリーマンでも身に覚えのある方が大勢いると思います。
好楽は、“浮世床”でした。軽く演じていましたが、笑いのツボは心得ていて、観客を楽しませていました。好楽は、予想していたよりも噺が上手い。
鳳楽は、艶笑噺の“目薬”。圓楽一門の中では、最も芸がしっかりしているという評価を受けているようです。出囃子も六代目三遊亭圓生と同じですし、将来七代目を継ぐのでしょうか。もしそのつもりなら、いっそうの精進が必要です。
楽太郎は、5分位の短い噺でご機嫌伺い。時間が押していたので、止む得なかったのでしょうが、もう少しマトモな高座を見たかった。3年ほど前に、NHKの日本の話芸で“船徳”を演りましたが、水準に程遠かった。その後、成長しているのかしら。
圓楽は、長講“中村仲蔵”、ノーカット口演でタップリと演じました。さすがに磨かれた芸の力で、一時間近くの噺を、飽きさせず聞かせました。最近衰えが指摘されていますが、どうしてどうして、まだまだ気力体力ともに立派なものです。この日の観客は、これで元が取れたでしょう。
さて圓之助改め四代目三遊亭小圓朝は、トリで“天狗裁き”を元気よく演じました。この人は初見でしたが、明るい芸風で好感が持てます。圓楽一門にいると、こういう噺家が定席に出られないということが、実に惜しまれます。
ブログを検索しても、他の落語家に比べて、圓楽一門の記事が圧倒的に少ないのは、寂しい限りです。それだけ熱心な落語ファンから、正当な評価を受けていない証拠でしょう。
伝統ある三遊派の看板を背負っているのですから、圓楽自身、もっと弟子たちの将来を考えておく必要があるでしょう。
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こんにちは。久しぶりに落語の記事を見つけてコメントさせていただきました。どうやら9日,10日と2日連続でいい落語を聴かれたようですね。うらやましい限りです。
円楽師匠は(略字表記で失礼します),真っ白のスーツを着て「星の王子様」としゃれていたころに知りました(なもは小学生だったか)。大学生くらいまでは一番のお気に入りの一人でしたが,だんだん「説教臭さ」が好きになれなくなりました。
先日,生まれて初めて「笑点」の公開録画を見に行ったのですが,確かに少し年を取られたなあという印象を持ちました。(年齢と言えば,最近の円菊師匠の元気のなさがちょっと気になっています。)
とはいえ,「中村仲蔵」のノーカット版はぜひ聴きたかったです。「仲蔵」を初めて聴いたのが円楽師匠の口演,確かNHK-FMが夏にやっていた「長講一席」というシリーズでだったように思います。
NHKの玉置さんの番組で,円生師匠の「超長講版」を聴いたことがありますが,当時の芝居小屋の上演システムの説明から始まって,いわば「江戸歌舞伎概説付き」という体裁でした。1時間版だとどんな感じになるのでしょうね。
今は北関東に居て,なかなか生の落語に接する機会が少ないので,またいろいろお聞かせいただければ幸いです。
追伸・栃木県那須郡馬頭町という所にある広重美術館で,今「写楽登場展」というのをやっていて,先日見に行ったら初代仲蔵の役者絵がありました。
投稿: なも | 2005/05/13 06:37
なも様
東京に住んでいて、唯一恵まれていると感じることは、地の利です。東京に育って、寄席も歌舞伎も行ったことが無い人に合うと、ナント勿体ないと思ってしまいます。
寄席、芝居(歌舞伎)、魚料理、そしてこれは残念ながら廃止になりましたが吉原(廓)は、江戸時代からの伝統文化です。
圓生の芝居噺は、いずれも珠玉のだしもので、”なめる”を聞いていると、江戸時代の芝居小屋へタイムスリップしたような気分に浸れます。”なめる”も、最近の噺家が演ると、単なる艶笑噺になってしまい、台無しです。
”鰍沢””掛取万歳””三十石”など、圓生がみな、墓場に持っていってしまったのでしょうか。
投稿: home-9 | 2005/05/13 15:44
圓楽師匠の高座は、浜野・・しか聴いた事がありませんが、淡々とした中にじっくり聞かせる説得力があって感嘆しました。立川流のように、良くも悪くも三遊亭を印象付けるお弟子さんが出てほしいですね。
投稿: comomaru | 2005/05/13 21:46