「皇位継承」への一提案
皇室典範に関する有識者時会議の論点整理が、7月26日発表となりました。当初は、女性天皇容認論で固まるかと予想されていましたが、両論併記という「議論をする土俵」という段階に留まっているようです。
「女性天皇」に対しては、皇室の伝統が崩れるという反対意見が、「旧皇族の復帰」に対しては、皇族と一般国民との区別があいまいになるとの反対意見が、各々上げられています。
一長一短、帯に短し襷に長し、というのが目下の結論です。
王(皇)室というのは、国にとって絶対に必要なものではない。世界的に見ても、王室があるのは少数派であり、ロシア、中国、ドイツ、フランスなど、伝統的な王室や皇帝が存在した国でも、近代化民主化に伴い、廃止されています。
ここでは、皇室の存続を前提に、進めてゆきます。
皇室の拠って立つ基盤というのは、国民の支持と、アリガタミではないかと思います。それと天皇の重要な行為の中に、神事(まつりごと)があるのですが、ここではケガレという概念から、女性は避けられます。
何を今時古臭いとの批判はあるでしょうが、宗教や文化というのは、時に民主主義思想とは、相容れない存在です。大相撲や歌舞伎の世界を見れば、分かりますね。
「女性天皇」がすんなり認められないのも、そうした事情もあるのでしょう。
私は、皇位継承問題を考える際に、もう一つ重要なことがあると思っています。
それは、人間の心の問題です。
皇室の継続にとって、皇族以外の人を皇族に受け入れるというのは、必要条件です。従来は結婚のパートナーですが、これからは養子という形も有り得るでしょう。
その時に、今後果たして、「なりて」「きて」がいるのか、ということです。美智子皇后、雅子妃二代続いて、民間から皇室に入るのがどれだけ大変なことか、国民は身に沁みて感じています。
女性であれ男性であれ、皇族や宮内庁のオメガネに適う身分の人で、果たして今後皇室に入る希望者がいるのかという事が、本当は一番大きな問題だと思います。
皇族の生活というのは、我々外側からしか、分からないわけですが、どう考えても楽しそうには見えません。四六時中監視の目が光っていて、プライベートなど無いに等しい。いわゆる「ご公務」も、年間スケジュール管理されていて、個人の事情や意志が通る余地は無いでしょう。
それでいて、日本の皇室は世界一質素な王室だと言われているように、贅沢な生活ができるわけじゃあ無い。事実上、離婚の自由も無い。
ある程度の経済力と、社会的地位のある人で、一体誰がこんな生活、すき好んでしますかね。
第一、皇族の中でさえ、過去皇籍離脱を希望した方がいるのですから。
いくらセレブ婚がトレンディーでも、王妃になりたいと思う女性は、先ずいないでしょうね。仮にいても、今度は先様がお断りになりますしね。
結局、外部から見ても魅力のある皇室にすることが、先決だと思うのです。
花嫁あるいは花婿を募ったら、門前市をなす状態になるのが、望ましい。
公務を大胆にカットし、個人の自由時間を増やす、警備を簡素化する、ある程度贅沢な生活も容認する、離婚の自由も認めるなど、見直しが必要です。
いずれにしろ、「周囲の状況から、やむなく」とか、「泣く泣く」という状態は、決して長続きしないと思いますよ。
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