第16回「鈴本夏まつり」
1年の盆と正月くらいは、毎年同じ行動をしようと、ここ数年はお盆は鈴本演芸場に行っています。タイトルは「さん喬・権太楼特選集」として、毎年二人の噺家が一日置きにトリを務める趣向です。
今年の演者の顔ぶれを見ると、現在定席に出演している噺家の、ほぼベストメンバーと言って良いでしょう。当日も期待に違わぬ熱演を繰り広げていました。
さん喬門下の柳家小太郎は「羽織の遊び」、来春真打に昇進する若手ですが、手堅くまとめていました。
柳家三太楼は「初天神」、この噺、無理やり子供を連れて天神参りに行く父親と、駄菓子をねだる子供の掛け合いがテーマですが、三太楼は半分壊れかかった親子を演出して、場内の笑いを誘っていました。この人のとぼけた味が良く出ていた演目です。
柳亭市馬は「高砂や」、この噺はやや地味で、笑いが採り難い演目ですが、私が今迄に聞いた「高砂や」の中で、一番面白かった。市馬の魅力は、様子が良いことで、ちょっと若い頃の円楽を、髣髴とさせる所があります。私はこういう品のある噺家が好きなのです。
柳家喬太郎は「国民ヤミ年金」、当日ただ一人の新作落語です。国民年金が民営化され、ヤクザが年金滞納者の家へ、督促に押しかけるという筋ですが、最近の郵政民営化の話題を織り込みながら、軽快に演じていました。喬太郎は、つい先日までは若手と思っているうちに、いつの間にか中堅の落語家としての貫禄がついてきました。
中トリは古今亭志ん輔の「お見立て」、廓噺の古典です。女に嫌われているもも知らず、一途に通い続ける田舎のお大尽、さんざん金を使わせておきながら客を冷たく袖にする花魁、その二人の間にたって右往左往する若い衆、この3人の演じ分けが、この出し物の眼目です。
この光景は現在にも通ずるものがあり、客は笑いながらもこのお大尽に感情移入し、哀れさえ感じてしまいます。志ん朝の名演には遠く及ばないものの、志ん輔は熱演で盛り上げました。
中入り後は、漫才の昭和のいる・こいる。ここ最近、売れ出した頃の勢いを感じませんし、高座が少し雑になった印象を受けます。ひろし・順子と共に東京の漫才の屋台骨を支えているのですから、もっと精進して欲しい。
お目当ての柳家権太楼は「試し酒」、師匠柳家小さん譲りの噺です。権太楼の良さは、常に全力投球することで、下男が大きな杯で酒を飲み干す仕草がとても良い。杯を重ねる毎に段々酔いが回っていく姿は、実にリアルで、権太楼の芸風は、こうした明るい豪快な噺が向いてます。
寄席の踊りを挟んで、トリの柳家さん喬は「鰍沢」、近代落語の中興の祖というべき三遊亭園朝作の人情話。三遊亭円生の名演があるが、その円生にしても高座により出来不出来があった、難しい演目です。殆どが道に迷った旅人と、昔吉原で花魁をしていた女、この二人の会話で成り立っているのですが、話し込む内に、以前この旅人がお客であったこと、胴巻きの金に眼をつけ、旅人を殺そうと決意する女の心理描写が、この噺の眼目です。
さん喬の熱演に拘らず、女に色気と凄みが欠けており、それと後半の女が鉄砲で旅人を追い詰める場面で、緊迫感に欠けるうらみがありました。今後、一層噺を練り上げ、さん喬の十八番になることを期待します。
他に太神楽の鏡味仙三郎社中、曲独楽の柳家とし松が、名人芸を披露しました。
8月18日の鈴本は上客が多く、芸人と高座を大いに盛り上げていました。
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