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2005/09/30

こんなものイラナイ「政党助成金」

aoki
「隗より始めよ」、この言葉を何より小泉首相に求めたい。最大のムダであり、その気になれば今の国会で直ちに実現できる改革があります。それは、「政党助成金」の廃止です。これこそ、「こんなものイラナイ」の典型です。

「政党助成金」、正式には政党交付金といいますが、1994年から始められてもので、国が税金から政党へ資金を出す制度です。金額は毎年総額317億3100万円と決められています。各政党への配分は、国会議員の数や直近の選挙での得票率から決められますが、国会議員数が5人であるか国政選挙での得票率が2%以上の政党のみが受け取ることができます。

私がなぜこの制度がムダかというと、1993年以前はこんな制度が無くとも、政党は運営されてきました。現に日本共産党のように、交付金を受けずに運営している政党もあります。
足りないのは資金ではなく、知恵と工夫でしょう。
政党というのは、政治上の主義・主張を同じくする者によって組織され、その主義・主張を実現するために活動を行う団体です。従って政党の運営費は、その政党員や支持者からの寄金で運営されるべきものです。
こんなことは、中学生でも知っていますね。
国民の税金から政党を養うということは、政党の国営化です。
民主主義の世の中に、これほど理屈に合わない制度は、他に無いでしょう。

問題は未だあります。
この政党助成金は税金から出るので、支持していない政党へも資金を提供しなければならないこと、参政権はないが税金は払っている永住外国人や未成年者も、政党の資金を負担しなければならないことです。
助成金が国会議員数に応じて支給されるため、事実上は議員への給料の二重払いとなります。
国会議員に対しては、多額の歳費、活動費、調査費、秘書給与が国から支給されており、それ以上のお金を渡す必要はありません。
共産党が返上している交付金(推定で年間約30億円)を、他の政党が山分けしているというのも、実にひどい話です。

それでも政治には金は掛かるのだから、という意見もあるかと思いますが、政党助成法第4条では、その使途について制限してはならないとあり、その使い道に制限はなく、政党の裁量に任せられています。
飲食代・人件費・テレビのコマーシャル代・・・等々使い方は、勝手し放題と言うことです。
一切制約の無い公金支出、こんな制度は「政党助成金」だけでしょう。

では、なぜこのような悪法が、成立してしまったのか。
この法律が成立した1994年当時は、日本中が「政治改革」熱に浮かれていました。何か今とチョット世情が似ているような・・・。当時次々と汚職や政治腐敗が明るみに出て、それなら政党に国からお金を出す代わりに、政治腐敗の温床になっている企業からの献金を無くしていこうという謳い文句で、この制度が導入されたのです。
その後企業献金が無くなり、汚職や政治腐敗が無くなったかどうか、今回の日歯連のヤミ献金問題に見られる通り、一向に跡を絶ちません。

小泉総理は国民に痛みを説く前に、先ず国会議員に痛みを強いるべきです。

話は変わりますが、
阪神タイガース優勝万歳!

2005/09/23

阪神ファンの軽~い憂鬱

okada
阪神タイガースのリーグ分裂後5回目の優勝が、目前に迫ってきました。ところがトラキチ暦50年の私は、どうも今年はワクワクしない。自分自身でも、ああ優勝か、良かったなあという程度の感想です。先日、大阪の方数名にお会いしたのですが、やはり同じような反応でした。
以前の優勝の時のような、爆発的なヨロコビが無いのです。
UFJ総合研究所は22日、阪神タイガースがセ・リーグで優勝した場合、全国で1455億円の経済波及効果があるとの試算を発表しましたが、2年前の優勝時に比べ半分以下に止まっており、やはり盛り上がり不足の感は否めません。

今年の優勝(もう決まったも同然)の最大の要因は、岡田監督の用兵です。
私が最も注目していた選手は、鳥谷遊撃手です。今年は大きな補強が無く、戦力は殆ど昨年と変わりません。変わったのは、選手の配置転換です。
昨年のルーキー鳥谷を、二塁手からショートにコンバートし、打順を二番に定着させました。
野球をやられた経験が無い方は、あるいは内野手などどこをやっても同じだろうと、思われるかも知れません。しかし実際に守ってみると、二塁、三塁、ショートでは、全く要求される守備の技術が違います。
最も実績の無い鳥谷のコンバートを中心に、他の実績のある選手のポジションを動かすということは、相当な冒険、はっきり言えば無茶な用兵と批判されかねないのです。
これにより、ショートの藤本を二塁に、二塁の今岡を三塁に、本来はショートだったシーツを一塁に、内野手全員をコンバートしました。
この結果、チャンスに強い今岡が打撃に専念できて5番を打つようになり、現在得点王を独走しています。1-3番がチャンスを作り、アニキ金本と今岡が返すという、今年の得点パターンとなりました。
現在鳥谷選手は、打撃面でやや打率が低く、エラーが多少多いという欠点はあるものの、年間通して出場していますし、二番バッターとしてチャンスメーカーの役割も果たしています。
もし、鳥谷がダメであったら、チーム内にコンバートに対する不満が渦巻き、とても優勝争いどころでは無かった筈です。鳥谷選手は隠れたMVPだと、私は見ています。

投手陣も、大きく動かしました。
昨年までやや中途半端な使われ方だって福原、安藤を先発ローテーションに固定し、抑えにやや衰えが見えていたウィリアムスを中継ぎに、球の速い久保田を抑えに、実績の無かった藤川をセットアッパーの軸に、それぞれ据えました。これもかなり思い切った冒険であったといえます。
しかし結果は見事に的中、J(ジェフ・ウィリアムス)K(久保田)F(藤川)、JFKという磐石な勝ちパターンを確立しました。

岡田監督の采配の特長は、一昨年の優勝の記憶を消し去り、キレイに作り変えた点にあります。

では何故阪神ファンの喜びがイマイチなのでしょう。
やはりニックキ巨人の不振が大きいと思います。阪神ファンとしては、強い巨人を、戦力に劣る阪神が倒すことに、快感を感じるのです。それが相手が弱体化して、今や野球界の盟主は阪神だなどと言われると、どうも座り心地が悪い。何だか妙に落ち着かない。
もしこのまま、阪神が毎年優勝を続けたら、却って球場に足を運ぶファンが、減ってくるのではないでしょうか。
何だか、強い巨人に果敢に挑んで、思い出した頃に優勝する昔の阪神の姿が、懐かしく憶えてきました。
ガンバレ、原監督。

2005/09/20

「改憲シフト」に特化する前原民主党

maehara
9月17日の民主党の新代表に前原誠司氏が選ばれ、幹事長に鳩山由紀夫元代表、松本剛明氏が政調会長に(愛妻が、え、松本清張が会長になったの?と、ボケておりました)、国対委員長には野田佳彦元国対委員長が各々就任しました。
旧社民党と旧民社党から、一人も党三役が出なかったのは、民主党結党以来初めてです。前原氏のいうシガラミの無い人事です。

就任演説や記者会見、TV出演での発言をずっと見ていますと、前原氏は目指すものというのが、自民党の政策とどこが違うのか、どうも私には分からない。
小泉総理と、改革を競うんだという発言がありました。郵政民営化は元々賛成だが、自民党の民営化法案では中途半端で、もっと徹底した法案にするとのことです。現在の郵便貯金と簡易保険は廃止すべきだとも発言していました。
しかしこうした考え方は、自民党も基本的には同じです。ただ政府としては、一気に理想形にもってゆかず、徐々にステップアップしようということで、単に方法論の違いにしか過ぎません。

今回の総選挙で、民主党は郵政民営化反対を掲げて運動をしてきました。
選挙で、民営化反対だから民主党に投票した有権者も多いと思います。
それが終わってみたら、民主党は民営化に反対ではなく、逆にもっと徹底した民営化をするんだと言われたら、投票した人は果たしてどう思うでしょうか。私なら、騙されたと思いますが。

小さな政府ですが、小泉政権の主張する小さな政府は小さくない、もっと効率化した政府を目指すとの発言がありました。この点も、効率化という修飾語を除けば、考え方は一緒です。
公務員にスト権を付与すると主張していましたが、公務員の人員整理をしようとするのですから、当たり前の話です。

消費税率のアップ、これも政府は2007年には実施できるよう準備したいと言っているわけですから、後はアップ率、7%なのか10%なのかの選択で、これも政策上の差異はありません。

安保防衛問題、憲法9条を改正し、集団的自衛権を含む自衛権を明記せよという主張です。
ご存知の通り、自民党の綱領に、憲法改正が明記されており、9条の改正は自民党の党是です。但し、集団的自衛権を明記するかどうかは、党内でも意見が分かれていて、少なくとも現時点ではそこまでは踏み込まないというのが、大勢になっています。
前原氏は、NHKとテレビ朝日の報道番組で、イラク南部サマワで活動する自衛隊の武力行使について、「自衛隊を守ってくれている国が攻撃されても、反撃できないという形でいいのか、タブー視せず議論していく」と語っています。イギリスやオランダ軍が攻撃を受けたら、自衛隊が武力を行使できるようにするという主張です。
この点だけは、自民党より遥かに戦闘的です。

前原氏はインタビューでは、盛んに「闘う党」とか「対峙する」とか、勇ましい言葉が出ていましたが、いままで見た通り、基本政策において、自民党との差が殆ど無く、闘いの矛先は専ら憲法9条改正に向けて、自民党の尻を叩く役割を負うことになりそうです。
私は、前原民主党のウリは、「改憲シフト」と見ています。

2005/09/18

不可解な「アマゾン・ドットコム」の対応

takenaka
9月17日付のネット・ニュース“ZAKZAK”に、気になる記事が載っていました。ロングセラーで、通常の書店で入手できるある書籍が、ネット書店最大手の“アマゾン・ドットコム”で、1年以上品切れになったまま、購入できない状態が続いているという記事です。
実は私もその本を、アマゾンで申し込んだのですが、発売間も無く突然品切れとなり、2週間後にようやく購入できました。処が、その後直ぐに再び品切れとなり、そのまま放置されていたので、不自然さを感じていました。
その本の名は、『拒否できない日本』(関岡英之著、文春新書)です。

内容は、米国政府が毎年10月に日本に提出する、「年次改革要望書」の存在を暴いたものです。この本で、現在小泉政権が進めている郵政民営化法案などの構造改革、規制緩和政策などが、この「要望書」通りに実現されていることが、指摘されています。
この「要望書」ですが、1994年以来毎年、米国政府より日本政府に渡され、毎年3月その進捗状況が米国連邦議会に報告されています。
「要望書」はアメリカ大使館のHPでも公開されていて、誰でも見ることが出来ます。

「要望書」の中身は、通信、エネルギー、金融、流通から医療制度、公正取引委員会と独占禁止法、商法、司法制度改革、郵貯・簡保など公益法人の民営化政策。個別産業分野から法制度、行政と司法のあり方まで、一国のあらゆる分野を網羅しており、米国政府による、「日本改造計画書」と呼べるものです。
著者によれば、この10年来、日本政府はほぼこの「要望書」に従って政策を立案しており、「要望書」を見れば、日本政府の方針が分かると言うのです。

アメリカ政府が、こうした要求を日本政府に行うこと自体は、必ずしも不当なものとは言えません。
問題は日本政府が、当初からこの「要望書」の存在を、国民に明らかにしていないこと、そして何故か新聞など報道機関も、この問題に触れてこなかった、この点を著者は指摘してわけです。
例えば竹中平蔵郵政民営化担当相は、平成16年10月19日の衆院予算委で「存じ上げております」と答弁しながら、郵政法案の審議が大詰めを迎えた今年8月2日の参院郵政特別委では、「見たこともありません」と、答弁を一転させています。
郵政民営化を進める理由の一つに、米国政府からの強い要請がありますが、どうも政府はこのことに触れたくないようです。何か、やましいことでもあるのでしょうか。

先のアマゾン社の品切れについては、出版元の文藝春秋社や著者の関岡氏が、度々問い合わせを行いましたが、アマゾン社から回答が無いし、改善もなされていないそうです。
関岡氏は「アマゾンは、私の本が読まれると、要望書の存在が広く知られ、嫌米論調を刺激することになるのを避けたいのでしょうか」と、コメントしています。

ことは言論・出版に関わる問題です。アマゾン社は、積極的に真相を明らかにし、利用者に説明を行う義務があると思います。

2005/09/13

「聖書」の楽しさ

moses
私のブログ「別館」は、従来自分史的なものを中心に、ここ数年の旅行記などを載せていましたが、先日訪れたイスラエルの旅行記を、現在掲載し始めてから、アクセスが増えてきました。
イスラエルでは、必ず現地ガイドが聖書を携え、観光スポットで説明する度に、その一節が読み上げられ、一層の興味と、アリガタミが湧いてくる仕掛けになっています。そのため、旅行中アタマの中は、結構「聖書」漬けになります。
いきおい旅行記も、「聖書」との関わりに触れることが多く、それが読者の興味を惹いているのではと、推察しています。
もとより、聖書の研究家でも、信者でもありませんから、相当いい加減なことも書いているのでしょうが、この点はご容赦願っておきます。

「聖書」が世界一のベストセラーであることは、論をまたないでしょう。印刷機を発明したグーテンベルクが、最初に印刷したのが聖書だといわれていますし、キリスト教圏の国や、クリスチャンの家には、必ず家に一冊の聖書が備えられているでしょう。
今では、インターネットでも公開されているので、いつでも読むことができます。
しかし、そうでない一般の日本人にとっては、余りご縁が無い。私も若い頃は、新約聖書のことを、旧い訳の聖書を「新訳」したものと思っていました。
キリストにつぃても、紀元0年の12月25日に生まれ(これも根拠が無いようです)、その後磔刑となって亡くなった程度の知識でした。

ヨルダンやイスラエルへの旅を契機に、聖書の中の興味のある部分や、解説書に目を通したのですが、これが実に面白い。ベストセラーの「ダ・ヴィンチ・コード」など、目じゃない。文学書として読んでも、大いに惹かれます。
1947年に発見された死海文書によって、紀元前2世紀頃には、今日の旧約聖書が完成されていたようですから、恐らく世界最古の長編文学と言っても良いでしょう。

私が大好きな、次のようなシモネタもあります。
長男が若くして亡くなり、残された奥さんは次男の嫁になります。戦前の日本の農家などでも、よくあった話ですね。
当時のイスラエルの相続制度では、その場合次男が相続人になるのですが、長男の未亡人が子供を生むと、相続権がその子に移ってしまう。だから次男は、自分が跡継ぎになろうとすると、その奥さんとの間で子供は作れない。
処が、この奥さんというのが大変な美人だったらしい(この部分は、私の推測)。なにせ避妊具など無い時代ですから、もう次男は毎夜悶々とするわけですね。その気持ち、よーく分かるなあ。
その結果どうしたか、多分賢明な読者の方は、もうお分かりですね(旧約聖書、創世記)。
この次男の名前オナンの行為から、オナニーという言葉が生まれました。
どうですか、読んでみたくなったでしょう。

聖書に登場してくる人物というのは、キリストを含めて極めて人間的です。
処女だった筈の婚約者マリアが、キリストを身篭ってしまい、離婚まで考え悩む父ヨセフの姿は(マタイ伝)、今回ツアーの男性参加者の共感を、大いに呼んでいました。
ペテロといえばキリストの一番弟子ですが、どうも愚直な性格であったらしく、度々叱られ役になっています。これも上司にとっては、真面目だが少し抜けたところがある部下の方が扱い易く、重宝されるという、今の企業にもある上下関係の典型です。

キリストが捕らえられ、十字架で磔になる時に、12人の使徒は誰一人助けようとしない。それどころか、最も忠節なペテロなどは、「キリストの知り合いか」と尋ねられると、「そんな人は、知らない」と答える始末。
十字架で息絶えたイエスの遺体を引き取ったのは、アリマタヤのヨセフという人物です。遺体を清拭したのは、元は娼婦(多分)でその後イエスの弟子となった、マグダラのマリアを始めとする女性陣です。この時も使徒達は誰も現れません。
男性諸君、やはり最後に頼れるのは、女性ですぞ。
どんな高い地位にいた人物でも、いったん失脚すると、誰も寄り付かなくなるというような光景と考えれば、結構身につまされる話です。

そのせいか、3日後に復活したキリストが、最初に現れるのは使徒達のところではなく、マグダラのマリアの前です。イエスも人の子ですね。
使徒達も、さすがに復活したキリストに出会ってからは罪を悔い、再び忠誠を誓って、キリストの教えを広めることに命を捧げます。そして彼らの尽力で、今日のキリスト教の隆盛をみるわけです。

ともかく、西欧の思想、文化を理解しようとするなら、聖書のサワリ程度はアタマに入れておく必要があるでしょう。易しい解説本くらいは、一度目を通すことをお勧めします。

2005/09/10

米国ハリケーン被害と日本の近未来

haricane
団塊の世代より上の年代の方なら、飯田久彦の「ルイジアナママ」という歌を、覚えているでしょう。
♪あの娘はルイジアナママ
やって来たのはニューオーリンズ♪
そのルイジアナ州ニューオーリンズに、8月29日ハリケーン「カトリーナ」が上陸、市の8割が水没する大災害となりました。死傷者の数は未だに把握できず、避難した人は50万人に達します。

ハリケーンは元より天災ですが、被害の拡大と米国政府の対応には、イラク戦争下の米国の影の部分が、浮かび上がっているようです。
先ず、ニューオーリンズのハリケーン被害については、5年前から連邦政府と州当局が想定していました。昨年の演習は、FEMA(米国土安全保障省連邦緊急事態管理庁)、連邦、州、地方当局の合同で行いました。大型ハリケーンが同市を襲い、堤防から水があふれ、100万人が避難、市民の半数は屋根の上に取り残されるという想定で、今回の被害を引き写したようなシナリオだったと伝えられています。
こうした具体的な被害まで想定していながら、テロ対策優先で予算が無いということで、防災対策がとられなかった。

テロ対策とイラク戦争は、その後の救援活動にも影を落としています。被害の最もひどかったルイジアナ州では、州兵の3分の1をイラクに送っています。それにより州兵が不足し、救助活動や治安維持が遅れたと指摘されています。
市内の食料品店などで略奪行為が発生している他、放火と見られる火災も起きました。市内では他にもレイプ、救援車両・医薬品輸送車への狙撃なども行われており、市内は無法地帯と化しているとも、報じられています。
老人ホームの職員が真っ先に避難したため、取り残されたお年寄が亡くなったり、救援・医療物資が不足していて、老人、乳児、病人の死亡が増え、更には伝染病も蔓延しています。

被災者の大多数は、貧しいアフリカ系黒人で、こうした層の人々に、政治の手が差し伸べられていないという現実と、人種差別というもう一つの米国の影を感じてしまいます。

私は、阪神・淡路大震災の年に、台湾に旅行しました。その時の台湾人の現地ガイドが開口一番、「やあ、大震災の時の、日本人の態度は立派でしたね。日本の被災者は整然と行動していて、感動しました。台湾なら暴動が起きていたでしょう。TVのニュースを見て、みな日本人を尊敬しましたよ。」と言ってくれました。
人情が薄くなっただの、近所付き合いが減っただの、言われていますが、まだまだ日本社会のコミュニティーが、しっかり維持されていた証拠です。

私は昨日の記事で、小泉政権が向かおうとする先は、結局のところ弱者切捨てと弱肉強食に社会ではないかとの、危惧を表明しましたが、今回の米国ハリケーン被害を、我々は他山の石とすべきでしょう。

2005/09/09

気をつけよう 甘い言葉と 小泉総理

koizumi
今回の総選挙、各報道機関の予想では、自公合わせて300議席に迫る勢いだそうで、小泉政権の大勝利に終わりそうです。
私の周辺でも、俄か郵政民営化論者が目立ちます。いつもながら、小泉首相の世論操作の巧みさには、舌を巻きます。
今回の総選挙には、「小泉劇場選挙」と名付けられているようですが、「小泉レトリック選挙」と言ったほうが相応しいと思います。
以前は「痛みを伴う改革」を標榜していた総理が、こと郵政民営化に関してはその「痛み」に触れず、甘い言葉ばかり羅列するのが、どうも気に入らない。

郵政民営化により公務員を減らすと言ってますが、元々郵政の職員に給与は、全額郵政事業から賄われています。勿論このことは、当の総理自身よくご存知の筈ですが、恐らくは広告代理店あたりの入れ知恵で、主張しているのでしょう。
私も公務員の数を減らすべきだと思っていますが、それなら税金から100%支払われている職員を、先ず対象にすべきです。
第一は省庁の機構改革、そして省庁間の人事異動を活発化させ、全ての職員がどこの省庁の仕事でもできるようにする。業務を標準化する。省庁毎の採用を止めさせ、職員の採用を一元化する。これだけで、相当な効率化が可能となるでしょう。
管理職昇進にあたり、複数の省にまたがったキャリアを持つことを条件にする。これで、天下りが激減するでしょう。
まあ民間企業なら、どの会社でもやっていることですが。
改革を口にするなら、先ず一番困難な課題、最も効果が大きな課題から、手をつけるべきだと、私は思います。

郵政民営化により、資金が「官から民へ」移動すると言ってますが、これもおかしい。
民間金融機関の資金の動向を見れば一目瞭然ですが、ここ数年民間企業への貸し出しは減り続けています。民間企業の財務体質とキャッシュフローが改善され、資金需要が減ったためです。
銀行が貸し渋りしているのではなく、企業が借りてくれないのです。
その余剰資金は、主に国債など公債の購入に充てられています。
不要なマネーサプライは、かえって経済を混乱させるだけです。
それより、国債発行高を減らす努力こそが、先決です。
又、郵便銀行が、国債を買い控えし始めたら、確実に長期金利が上昇し、それこそ日本経済に大きな打撃を与えることになります。

郵政民営化により、特殊法人などの無駄使いがなくなる、うん? そうでしょうか。
昔と違って今は、郵貯資金が直接特殊法人に流れないように、制度が改まっています。
現在、金融機関が購入した国債などの資金が、特殊法人に流れているのですから、政府自身が不要な特殊法人を整理し、不要な公共投資を止めさせるしかありません。
これは、郵政民営化とは、関係無い問題です。

民営化後の郵便局は、常識的に考えれば減るでしょう。それも、地方の過疎地から。
ここ数年で、民間金融機関の店舗数は、4000店程度減ったとの試算があるようです。自分が預けていた銀行が、いつも間にか無くなったり、近所にあった支店が廃止・統合されたというのは、多くの国民が経験しています。
今度は、郵便局の番ですね。
郵便局を統廃合して効率化を図り、全国一律ユニバーサルサービスを見直すことこそが、郵政民営化の真のネライなのでしょう。

それでも小泉総理は、郵政民営化は絶対やると言ってます。
郵政民営化は、改革の入り口だとも。では、「出口」はどこにあるのでしょうか、なぜか小泉首相は語りません。
私は、この「出口」は、今までの共同体的ムラ社会から、弱肉強食のシステムへ、日本の制度・在り方を変えることだと睨んでいるのですが、小泉さん、当りですか?

2005/09/08

イスラエル国家と「マサダコンプレックス」

masada 「マサダコンプレックス」という言葉があるのを、今回のイスラエル旅行で、初めて知りました。イスラエル国民の精神を知る上で、ユダヤ教は欠かせないものでしょうが、私のような無神論者には、イマイチ理解できない。しかし、この「マサダコンプレックス」の説明を聞いた時に、ああそういうことなのかと、胸にストンと落ちました。

この言葉の由来は、死海の南西部にあるマサダ要塞にあります。紀元70年、ローマ軍によってエルサレムは陥落し、エルアザル・ベン・ヤイルに率いられた、967人の熱心党員がこの要塞に立てこもり、10倍以上の兵員のローマ軍の攻撃を凌いで、マサダで戦いつづけました。

しかし西暦73年、最後は砦が攻め落とされることが確実となって、自分や自分の家族が奴隷としてローマに連れて行かれるよりは、集団自決を選びます。その方法も、家長はその家族を殺し、そして10人のグループをつくり、1人が9人を殺し、又、10人グループのうち1人が9人を殺し、最後の一人は自害するという凄惨なものでした。

この内、7人だけが逃げ延びてローマ軍に捕えられ、彼らから聞いた話を、その後ユダヤ人の歴史家ヨセフス・フラビウスが、「ユダヤ戦記」に記述しました。ところが、このヨセフスがローマに寝返った人物であったため、ユダヤ人の間では、この史実が全く無視され続けたのです。

近年のイスラエル建国以後に見直され、遺跡の発掘によって、ヨセフスの記録が正確なものである事が、分かりました。イスラエル政府が、自らの政策遂行に、この史実を積極的に活用したと、考えるべきでしょう。

現在マサダでは、イスラエル軍の入隊式が行われるそうです。「マサダは、再び陥落させることはない」と、誓うわけです。イスラエルの人々は、再び国を失い、 離散させられるぐらいなら、死ぬまで進んで戦おうという精神を保持しています。更にこの事から、敵の攻撃に任せていては、結局マサダの悲劇をまた繰り返す。もし攻撃される恐れがあるならば、先に相手を倒すことでしか、身を守ることが出来ない、という理論に帰結してゆきます。

つまり、先制攻撃論ですね。

1981年、イスラエルはイラクに対して、イスラエル攻撃用の核兵器をつくっているとし、バグダッド付近の工場を爆破しました。

翌年12月には、シリアのゴラン高原を占領、併合しました。

2004年3月、イスラエル軍がハマス創設以来の指導者アハメド・ヤシン師を、武装ヘリコプターからのミサイル攻撃によって暗殺し、さらに4月には、ヤシン師のあとをついだハマスの新指導者、アブドルアジズ・ランティシ師をも、同様の攻撃で暗殺したのは、未だ記憶に新しいところです。

これらの軍事行動の背景に、私は「マサダコンプレックス」があると思います。

しかし、個人の問題に置き換えて考えてみれば、自分を殺そうとする人間がいたら、先に殺してもよいのか。犯罪を起こす可能性が高い人間は、予め捕まえて刑務所に入れておけば、安心なのか。

やはり社会的なルール違反と、いわざるを得ません。

こうしたイスラエルという国の行動原理と、大国、特にアメリカの思惑が絡んで、中東問題を深刻化させていると考えます。

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