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2005/09/13

「聖書」の楽しさ

moses
私のブログ「別館」は、従来自分史的なものを中心に、ここ数年の旅行記などを載せていましたが、先日訪れたイスラエルの旅行記を、現在掲載し始めてから、アクセスが増えてきました。
イスラエルでは、必ず現地ガイドが聖書を携え、観光スポットで説明する度に、その一節が読み上げられ、一層の興味と、アリガタミが湧いてくる仕掛けになっています。そのため、旅行中アタマの中は、結構「聖書」漬けになります。
いきおい旅行記も、「聖書」との関わりに触れることが多く、それが読者の興味を惹いているのではと、推察しています。
もとより、聖書の研究家でも、信者でもありませんから、相当いい加減なことも書いているのでしょうが、この点はご容赦願っておきます。

「聖書」が世界一のベストセラーであることは、論をまたないでしょう。印刷機を発明したグーテンベルクが、最初に印刷したのが聖書だといわれていますし、キリスト教圏の国や、クリスチャンの家には、必ず家に一冊の聖書が備えられているでしょう。
今では、インターネットでも公開されているので、いつでも読むことができます。
しかし、そうでない一般の日本人にとっては、余りご縁が無い。私も若い頃は、新約聖書のことを、旧い訳の聖書を「新訳」したものと思っていました。
キリストにつぃても、紀元0年の12月25日に生まれ(これも根拠が無いようです)、その後磔刑となって亡くなった程度の知識でした。

ヨルダンやイスラエルへの旅を契機に、聖書の中の興味のある部分や、解説書に目を通したのですが、これが実に面白い。ベストセラーの「ダ・ヴィンチ・コード」など、目じゃない。文学書として読んでも、大いに惹かれます。
1947年に発見された死海文書によって、紀元前2世紀頃には、今日の旧約聖書が完成されていたようですから、恐らく世界最古の長編文学と言っても良いでしょう。

私が大好きな、次のようなシモネタもあります。
長男が若くして亡くなり、残された奥さんは次男の嫁になります。戦前の日本の農家などでも、よくあった話ですね。
当時のイスラエルの相続制度では、その場合次男が相続人になるのですが、長男の未亡人が子供を生むと、相続権がその子に移ってしまう。だから次男は、自分が跡継ぎになろうとすると、その奥さんとの間で子供は作れない。
処が、この奥さんというのが大変な美人だったらしい(この部分は、私の推測)。なにせ避妊具など無い時代ですから、もう次男は毎夜悶々とするわけですね。その気持ち、よーく分かるなあ。
その結果どうしたか、多分賢明な読者の方は、もうお分かりですね(旧約聖書、創世記)。
この次男の名前オナンの行為から、オナニーという言葉が生まれました。
どうですか、読んでみたくなったでしょう。

聖書に登場してくる人物というのは、キリストを含めて極めて人間的です。
処女だった筈の婚約者マリアが、キリストを身篭ってしまい、離婚まで考え悩む父ヨセフの姿は(マタイ伝)、今回ツアーの男性参加者の共感を、大いに呼んでいました。
ペテロといえばキリストの一番弟子ですが、どうも愚直な性格であったらしく、度々叱られ役になっています。これも上司にとっては、真面目だが少し抜けたところがある部下の方が扱い易く、重宝されるという、今の企業にもある上下関係の典型です。

キリストが捕らえられ、十字架で磔になる時に、12人の使徒は誰一人助けようとしない。それどころか、最も忠節なペテロなどは、「キリストの知り合いか」と尋ねられると、「そんな人は、知らない」と答える始末。
十字架で息絶えたイエスの遺体を引き取ったのは、アリマタヤのヨセフという人物です。遺体を清拭したのは、元は娼婦(多分)でその後イエスの弟子となった、マグダラのマリアを始めとする女性陣です。この時も使徒達は誰も現れません。
男性諸君、やはり最後に頼れるのは、女性ですぞ。
どんな高い地位にいた人物でも、いったん失脚すると、誰も寄り付かなくなるというような光景と考えれば、結構身につまされる話です。

そのせいか、3日後に復活したキリストが、最初に現れるのは使徒達のところではなく、マグダラのマリアの前です。イエスも人の子ですね。
使徒達も、さすがに復活したキリストに出会ってからは罪を悔い、再び忠誠を誓って、キリストの教えを広めることに命を捧げます。そして彼らの尽力で、今日のキリスト教の隆盛をみるわけです。

ともかく、西欧の思想、文化を理解しようとするなら、聖書のサワリ程度はアタマに入れておく必要があるでしょう。易しい解説本くらいは、一度目を通すことをお勧めします。

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コメント

私もイスラエルには仕事絡みの出張でしたが6~7回、行きましたのでとても興味深く拝見致しました。
観光旅行と違って名所・旧跡を訪問するチャンスも少なかったのですが、土曜日の休日や色々な機会を作ってエルサレムの旧市街、ベツレヘム、死海、マサダの砦、エイラート、ゴラン高原などをほっつき歩きました。
確かに、聖書を読んで多少の知識を身に付けておかないとイスラエルで名所を見物しても理解できませんよね。
「あぁ!ここがイエスキリストが十字架を担がされてゴルゴダの丘を向かう時に疲れからよろめいて手をついた壁なんだ」なんて!!

イスラエルだけでなくヨーロッパの美術館に行って宗教画を見る時にも聖書を、キリスト教を、多少知っているのと知らないのでは全然違います。

同じことがインドの叙事詩ラーマヤーナについても言えそうです。
あまりにも長編で私もまだ序の口しか読んでいませんが・・・・!
これを読んで概略を理解しておくとインドだけでなくタイ、カンボジア、インドネシアなんかの遺跡が面白く見られるそうです。

私も、もう少し読んだ後でもう一度、これらの遺跡を見てみたいなと思っています。

タケチャンマン様
コメント有難うございます。
私も今回のイスラエル旅行で、聖書への理解が深まった事を感じます。
どの国のどの宗教施設を見ても感動できるのは、無宗教者の特権であるのかも知れませんが。

小生もキリスト者ではありません。昨年Newsweek誌の伝えた‘Passion'と‘イエスからキリストへ’の記事を読んで以来、聖書に一段と興味を覚えています。ちょっとでもいいからキリストの謂れに触れていればキリスト文明のこの世の中にも興味が増します。又貴殿の中学時代の先輩となられる方と、上記Newsweekを読む会なるクラスを続けております。いま、貴殿の先輩氏に紹介を受け、「私の喧嘩作法」を読んでおります。痛快、豪快そして面白い気持ちいっぱいです。

桟幸彦様
コメント有難うございます。
現在「別館」で「イスラエル紀行」を連載していますが、聖書の魅力を再認識しています。
クリスチャンでない人間が、聖地で何を感じたかという視点で雑文を書いていますので、一度ご覧下さい。

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