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2005/12/21

ES細胞から外れて著作権のお話し

takemura
韓国の黄禹錫(ファン・ウソク)ソウル大教授の研究成果のねつ造疑惑の続報ですが、黄教授は今年5月に科学誌サイエンスに提出した論文では採取した185個の卵子から11株のES細胞の作製に成功したとし、17分の1の高確率で抽出に成功したとされていました。
ところが共同研究者から、実際には1000分の1程度の低確率だったとの指摘があり、更に苦しい立場に立たされています。
偶然出来たというのは科学とは言えませんから、再現性は重要な要素なのです。

ここで一句、“「黄」教授 「レッド」カードで 「青」くなり”、オソマツでした。猪口山人さんに叱られそうですね。

さて前回の記事は、ES細胞の話から脱線して、著作権や工業所有権の話になってしまいました。ハズレついでにこの話題、もう少し続けて見たいと思います。

「代作」を辞書で引きますと、「他人に代わって作ること。また、その作品」とあります。本来の著作権はその作品を作った人のものですが、本人が了解した上で他人の名前で発表された場合は、その他人が著作権を有することになります。
柴田晴廣さんから寄せられたコメントから推察しますと、こうした行為は「著作権法121条の対象となると解され」ますが、「公衆を欺くというような実質的な違法性、反社会性がない場合は、本条に規定する処罰の対象とならないと解され」るようです。

古い話ですが私の高校時代の友人が、レコード大賞を受賞したことがある高名な作詞家に弟子入りしたことがありました。その彼から聞いた所によれば、その作詞家の先生が一つのテーマを与えて、大勢の弟子達に詞を書かせ、中で良い作品をピックアップして、先生の名前で発表する仕組みだそうです。
作曲の世界も、恐らく似たようなものなのでしょう。
いわゆるタレント本は、大半がゴーストラーターが書いています。
以前安部なつみというアイドル歌手が盗作問題を起こした際に、芸能界内部は概して同情的だったのは、この辺りに原因があるのでしょう。

年に数十点も出版しているような売れっ子作家の場合も、やはりゴーストライターの存在は不可欠なようです。
以前TVのコメンテイターをしている評論家の作品に盗作問題が起きたとき、ご本人が「忙しくて自分の作品を読んでいない」と、堂々と釈明していて驚いたことがあります。
昔文藝春秋の社長だった池島信平さんが、菊池寛の作品のいくつかは自分が書いたと後年述べていましたが、文学の世界でもこうした代作というのはあるわけです。

学術分野でも前回書いたように、弟子や部下が書いたものを自分の論文として発表するということは、普通に行われています。
これはある理系の大学教授から聞いた話ですが、A教授とその弟子のBが書籍を出版する際に、Bが全文書いた場合は著者はA,Bの共著、一部をAが書きその他をBが書いた場合はA単独の著作として刊行されるそうで、これは学術分野で暗黙のルール化されているとの事でした。
ある大学の助手が長期にわたる研究の結果をレポートにして教授に提出したら、後日その教授の論文として発表され、とても口惜しい思いをしたと聞かされたことがあります。
こういうのは代作でもないし、盗作ともいえず、なんと呼んだら良いのでしょう。

前回の記事で、企業における職務発明の場合、本当の発明者がその特許の発明者になっていない場合があると指摘しました。工業所有権そのものは出願人(通常は企業)が有するのですが、最近のように発明者に高額な報奨金が支払われるケースが増えてくると、大きな問題になると思われます。

こうした事例を耳にすると、そもそも著作権というものをどう考えたら良いのか、特に企業や学校など組織と個人の著作やアイディアとの関係をどのように考えるのか、難しい問題を孕んでいます。

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コメント

 「ソウル大「黄」教授の「灰色」論文疑惑」の記事にコメントしたところ「お気付きがありましたらお寄せ願います」との返信を頂き、そのお言葉に甘え、コメントさせていただきます。
 「偶然出来たというのは科学とは言えませんから、再現性は重要な要素なのです」とのことですが、特許法上の発明としては成立します。
 特許法上の発明について定義する特許法2条1項は、「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう」と規定しています。ここにいう「自然法則を利用した」とは、一定の確実性をもって、同一結果を反復できるものでなければならないことを意味しますが、必ずしも百%の確実性は必要としません。一般に基本発明ほど確実性が低いからです。
 真珠王といわれた御木本幸吉翁の真珠の養殖法の発明では、1000分の一以下だと思います。
 話が脱線しますが、当時の特許法では、特許要件として産業上の利用可能性(現行29条1項柱書)ではなく、意匠法のように、工業上の利用可能性と規定していたことから、真珠の養殖は、工業ではなく、漁業に属するものだから特許要件を満たさないという議論もあったようです。

 つぎに作詞家が門下生の作品を自己名義で発表するという件について
 Home-9さんの前回の記事で職務発明について言及していましたが、著作権法でも職務著作という規定があります。
 職務上作成する著作物の著作者について規定する著作権法15条1項は、「法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする」と規定します。また、著作権法では、法人について2条6項で「この法律にいう「法人」には、法人格を有しない社団又は財団で代表者又は管理人の定めがあるものを含むものとする」と規定しています。
 作詞家が門下生の作品を自己の名義に発表することが「法人等が自己の著作の名義の下に公表」に該当するか否かということになります。上述のように、著作権法では、法人格を有しない社団又は財団で代表者又は管理人の定めがあるものを法人に含む旨が規定されています。
 したがって、作詞家個人も○○作詞教室の代表者ということであれば、門下生の作品を自己の名義で公表することについては、法人著作の規定により認められることになります。その要件として「作詞家の発意に基づくこと」、「その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがないこと」を満たすことが必要です。
 「その作詞家の先生が一つのテーマを与え」というのは、「作詞家の発意に基づく」という要件を満たしますから、弟子になる際に、そうした場合に門下生の名義で公表するとの契約がなされていれば、なんら問題がないということになります。
 また、芸能界ということになれば、映画の著作物の著作者については、著作権法16で一般の著作物とは別個に規定され、さらに、著作権法2章3節4款(29条のみであるが)で映画の著作物の著作権の帰属を規定しています。著作権法29条1項は、「映画の著作物の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する」旨を規定します。そうしたことから、芸能界では、著作権の帰属意識が甘いのではないかと推測されます。

 最後に職務発明については、青色発光ダイオードでの判決を受け、特許法35条に4項及び5項が追加され、基準が明確になっています。ただし、プログラムについては、著作権法と特許法で帰属が異なる場合が想定される点などの問題はあります。

訂正及び補足

 法人著作の用件について説明した「弟子になる際に、そうした場合に門下生の名義で公表するとの契約がなされて『いれば』、なんら問題がないということになります」は、「弟子になる際に、そうした場合に門下生の名義で公表するとの契約がなされて『いなければ』、なんら問題がないということになります」の誤りです。
 なお、大学教授と弟子については、大学教授が法人格なき社団の代表者に該当するとは、考えづらいですから、これは、著作権法121条の罰則の対象行為です。
 著作権法上は、盗作とか代作とかの規定はありませんが、121条の罰則行為の対象になる場合は、一般には、盗作ということになります。したがって、弟子の論文を自己の名義で発表する大学教授の行為は、著作物の盗作にほかなりません。


 

柴田晴廣 様
詳細な解説を頂き感謝します。
職務著作については、ご指摘の規定があったのですね。
そうすると法人の定義が緩やかであれば、徒弟制度の中で弟子が製作した作品は、基本的には親方の名義になってしまう。その際に「発意」に基づくものかどうかがポイントになるわけですか。
そうしてみると確かに大学で教授が法人の代表と見るのは無理がありますが、例えば学部、学科、ゼミなど一つのを法人と見なして、それらの代表者である教授が著作権を保有するという解釈が行われているのかも知れませんね。かなり強引な解釈ですが。
職務発明では、発明者の権利が保護されていますが、職務著作にはそうした権利保護も無いというのが現状でしょうか。
解釈に幅があると、権利は力関係で決まってしまいますからね。

 一度、職務発明及び職務著作について整理します。
 まず、特許法の職務発明や著作権法上の職務著作の規定は、民法3編2章8節の雇用契約の特則と捉えることができます。
 民法623条は、「雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる」と規定します。
 この規定により使用者側は、従業者が創作した著作物や発明についての権利は、すべて労働の成果として、使用者に属すべきと主張することが考えられます。しかし、特許法29条1項柱書では「発明をした者は、その発明について特許を受けることができる」旨を規定し、著作権法17条1項は、「著作者は、著作者人格権及び著作権を享有する」旨を規定します。従業者は、この規定により著作物や発明についての権利は著作者や発明者に帰属すべきと主張することが考えられます。
 そうしたことから特許法や著作権法では、職務発明及び職務著作の規定をおいています。
 簡単に違いを整理すれば、法人の従業者等が、著作物を創作した場合、法人等の発意に基づき、その法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物については、著作物の作成時に別段の契約がない限り法人等が著作者となります。一方、発明については、従業者等から特許を受ける権利を譲り受けなければ、法人等は、特許出願をすることができず、特許を受ける権利を譲り受けるためには、相当な対価を従業者等に支払わなければなりません。
 つまり、民法の原則からいえば、特許法などの産業財産権法の方が創作者をより厚く保護していることになります。
 つぎに、大学教授との関係について言及すれば、大学教授と大学は、雇用関係にあり、大学教授が発明や著作物を創作したときは、職務発明や職務著作の規定が適用されることになります。
 職務発明についての通常実施権について規定する特許法35条1項は、「使用者等は、従業者等がその性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至った行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明について特許を受けたとき、又は職務発明について特許を受ける権利を承継した者がその発明について特許を受けたときは、その特許権について通常実施権を有する」と規定します。「職務」とは、従業者等が、使用者等の要求に応じ、使用者等の業務の一部の遂行を担当する責務をいいますから、大学教授がその専門の研究の結果、発明が完成されたときは、職務発明に該当することになります。しかし、こうしたいわゆる大学発明については、教員の学術研究の特質等を考慮して、慎重に対処すべきとするのが、判例などの立場です。つまり、大学教授は、大学との関係において一般の従業者よりさらに厚い保護が認められているわけです。
 一方、home-9さんの指摘のようにゼミは、法人格なき社団の要件を満たしますからその代表者として大学教授が学生の論文を自己の名義で発表することも著作権法上の職務著作の要件を満たすように思われます。しかし、上述のように職務発明において大学教授が他の従業者と比べ厚く保護されるのは、学術研究の特質等を考慮してのことです。このことは、職務著作にも当てはまりますから、学術研究の成果としての学生の論文もやはり他の職務著作より著作者立つ学生の保護を厚くすべきとの結論が導けるのではないかと思います。
 最後に、「権利は力関係で決まる」という点に言及すれば、先のコメントで書いた追加された特許法35条4項及び5項の規定は、同条2項に規定する「契約、勤務規則その他の定めの条項」の公正を担保するために設けられたものです。著作権法15条1項に規定する「契約、勤務規則その他に別段の定め」についても同様な公正を担保する必要があることから特許法35条4項及び5項と同様の条項を著作権法15条に追加することが公正性を担保するために必要かと思います。

柴田晴廣様
再度詳細な解説を頂き深謝致します。
今回のコメントを拝読して、頭の中がかなり整理できました。
振り返ると今回の記事は、私が何かを主張するというよりは、柴田さんからコメントを頂くために書いた記事になってしまった様です。

 親記事より、コメントが目立つような出すぎた真似に恐縮しております。
 ただ、「ソウル大「黄」教授の「灰色」論文疑惑」の記事のコメントでも書きましたが、日本もでたらめな国のひとつには違いありません。しかし、そのでたらめなことがわかっていない点で日本は救いようがない。
 home-9さんは、でたらめだということには気付いております。そのでたらめなところがどこかを具体化しようと思い、今回のhome-9さんの記事に出すぎた真似をと思いつつ、知的財産権法からの視点でアプローチさせていただきました。
 そうした私の出すぎた行為を好意的に捉えてくれたhome-9さんには、感謝します。

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