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2006/02/19

イスラム諷刺漫画と表現の自由

muhammad
米国に対する批判が多いこのブログですが、今回はアメリカ政府の見識を評価したいと思います。
デンマークの新聞がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載した問題で、イスラム教徒による抗議行動が世界的広がりを見せています。
概して西側のジャーナリズムの反応(日本を含む)は、表現の自由を理由にして、こうした抗議行動に批判的な論調が目立ちます。
先日米国務省のヒギンズ報道官が会見で、「このようなやり方で宗教的、民族的な憎悪を煽ることは受け入れられない」「これらの漫画はまさにイスラム教徒への侮辱だ」「我々は皆、言論・表現の自由を完全に尊重しているが、その自由には言論側の責任も伴う。すべての社会およびその宗教上の信条・行為に対する寛容と尊重を呼び掛けたい」と語っています。〔AFP=時事〕

こうした見解と、米国のアフガニスタンやイラクに対する武力行使と、どう整合するのか疑問ではありますが、それはそれとして先ずはこの発言を支持します。

私が問題にしたいのは、ムハンマドが爆弾の形をしたターバンを巻いている図柄を描いたこの諷刺画の作者が、「イスラム教の信仰がテロリズムの『精神的な弾薬』になっているとの思いを漫画にしたと」と主張している点です。この作者はどの程度イスラム教やコーランを勉強しているのかと、疑問を持ちます。
確かに現在一部のイスラム教徒が神の名の下に自爆テロを行って、毎日多数の犠牲者を出しています。しかしこのテロにより死亡したり傷ついたりする人の中には、多くのイスラム教徒やその支援者、米国のイラク戦争に反対している人も含まれています。
こうした無差別テロは厳しく批判されなくてはいけませんが、それとイスラム教そのものを冒涜することとは全く別の問題です。

テヘラン在住の日本人が書かれているブログ『イランという国』(http://malicieuse.exblog.jp/m2006-02-01/#4146257)の記事の中から、コーランについての記述を引用したいと思います。
「いけないのは、他人に不当なことをして、むやみやたら日常で横暴を働く者ども。こういう者どもは今にひどい天罰を蒙ろうぞ。だが本当は、害されてもじっと堪え、赦してやるのが誠の道というもの」(コーラン相談章第37-42節)
「人を殺したとか、あるいは地上で何か悪事をなしたとかいう理由もないのに他人を殺害する者は、全人類を一度に殺したのと同等に見なされ、反対に誰か他人の命を一つでも救った者はあたかも全人類を一度に救ったのと同等に見なされる、とした」(コーラン食卓章第32節)
「自分の敵とする人々を憎むあまり正義の道を踏み外してはならぬ。常に公正であれ。それこそ真の敬神に近い。アッラーを懼れまつれ。アッラーは汝らの所行一切に通暁し給う」(コーラン食卓章第8節)

悪いのは、コーランの片言隻語を取り出して捻じ曲げ解釈し、無差別テロを煽る一部の指導者であって、諷刺画の作者が言うようにイスラム教がテロの精神的な弾薬ではないし、この点は作者の曲解ないしは無知によるところでしょう。

言論・表現の自由は大事ですが、同時にマスメディアは、「人情あればご先祖様や尊敬する先人を公衆で貶されたアラブの方々やイスラームを信仰する方々に同情せざるをえません。この事件をきっかけにマスコミ各社が主張している『言論の自由』は『無知やら無縁を理由にできる公衆での嘲笑』の権利を含むのでしょうか」という指摘に(ブログ『Tant Pis!Tant Mieux!そりゃよござんした。』〈http://malicieuse.exblog.jp/m2006-02-01/#4146257〉より)、耳を傾けるべきでしょう。

日本もこれから少子化対策として、いずれ海外から労働力を受け入れることになります。
その際そうした人々の宗教や民族、祖先に対する敬愛、誇りに対して、十分な配慮が必要になると思います。
(今回の記事は、性格上引用が多くなりましたが、ご了承下さい。)

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宗教」カテゴリの記事

コメント

言論の自由を錦の御旗に押し立てて、他人を傷つけるような事を表現するのが許されないのは言うまでもありません。
特に宗教に関するものは、その宗教に帰依しない者には理解できない面もあり、より慎重な配慮が必要になると思います。

一方、多くのイスラム国家では結婚式のような吉事にも、怒りの矛先をどこかに向けたデモ行進でも、誰かが死んだという悲しみの表現の時にも、かなり頻繁に空に向けて銃を乱射するなどの光景が見られ、それが非イスラム社会も含めた全世界に報道されています。
銃を始めとした武器を扱うのが男らしさの象徴だという論理もイスラム教が一般的なアラブ世界では頻繁に見られる風潮です。
このような事柄と最近、頻繁に見られる自爆テロのイメージとが結びついて、イスラム教徒は暴力的だとのイメージが醸成され、件の風刺画になったのでしょう。

たまに裃と袴姿の侍と思しき日本人がハラキリをせんとするような風刺画も目にしますが、それほど宗教的ではなく、しかも狂信的でもない日本人の間では、深刻には受け取られず、怒りの対象にもなりません。

状況は異なりますが結局のところ、お互いの自制が必要というある意味では無難な結論になるのでしょうか。

と言う事は「どっちも、どっち?」

投稿: タケチャンマン | 2006/02/21 17:01

タケチャンマン様
コメント有難うございます
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教いずれも一神教であり、人間は神の創造物であり、祖先を辿れば同じ人物に行き着きます。
ムハンマドは預言者であると同時に彼等の祖先でもあるわけで、諷刺の対象とするには配慮が必要と考えます。
今回の諷刺漫画はいささか節度を越えたものと思われ、西欧の表現の自由だけで押し切るのは無理があるのではないでしょうか。

投稿: home-9 | 2006/02/22 06:36

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font size=3 ムハンマドを諷刺した漫画が世界に波紋を広げている。私は、戦後民主主義を信奉される憲法研究者が表現の自由を巡ってこの<事件>をどう論評されるのか、毎日、楽しみに資料を集めている所だ。それらを検討吟味した論稿のエントリーは他日行うとして、今日はこのBLOGを開設して1周年記念日でもあり、文字通り、「Web日記」の記事として表題のテーマについて筆に随い論を進めたい。その主張の核心は、普遍なる人権思想と有限なる人権内容である。 まず諷刺画事件の簡単な整理。..... [続きを読む]

受信: 2006/02/21 05:08

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