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2006/03/31

「中野島」界隈

Nakanosima
3月20日川崎市多摩区中野島のマンションの15階から、小学校3年生の男の子が転落死した事件は、殺人事件の可能性が高いということで本格的な捜査が始まりました。事実とすれば大変痛ましい事件で、一日も早い解決が望まれます。
中野島は私の母親の生家があり、戦争中は家族が疎開していた場所であり、その後我が家が建って私も20歳から4年間その家に住んでいました。母方の親戚も多くは中野島周辺で暮らしていますので、今でも年に数回は行く機会があります。この辺りの地域は、私が物心ついてから現在までの記憶が詰まっています。

多摩川の流れに沿って、立川から川崎までJR南武線が走っています。そのほぼ真ん中辺りにこの中野島があります。地元の人は「なかんしま」と発音していました。立川寄りと多摩川の向こう岸は東京都という、変わった地域です。私が幼少時には、この地域の殆どの家は農家でした。子供たちもある年齢に達すると農作業を手伝うので、地元の小中学校も農繁期には学校が休みでした。
母の生家は中野島駅から歩いて10分程度ですが、その間数件の家しかありませんでした。
一戸当りの田畑が小さく、決して豊かとはいえない生活でした。それでも都市近郊農業と、関東地方では有数の梨の産地という特徴を生かした農業経営で、当時の農村としてはまずまずの生活を送っていたと思います。

かつては多摩川の堤には沢山の桜が植えられていて、特に近くの稲田堤は東京近郊では桜の名所として知られていました。それと夏には京王多摩川の花火大会がありましので、住民はお花見と花火大会が最大の娯楽でした。
住民はお互いを屋号で呼び合い、ドアに鍵を掛ける家など1件も無かった。祝い事や寄り合いがあれば、自家製のドブロク(もちろん違法)を持ち寄り、どんぶりであおるという生活です。

JR中野島の駅の傍に佐吉という中年の男性が住んでいました。苗字は誰も知らず、さきっちゃんと呼ばれていました。さきっちゃんは恐らく知的障害者だったと想像されます。
時々物乞いに各家を周っていましたが、貧しい農村であったにも拘らず、殆どの家ではさきっちゃんに食べ物を渡していました。その度に、さきっちゃんは「お貰い申します」と丁寧に頭を下げていました。
当時の日本では、障害のあるひとにを周りが助けるという、地域コミュニティが存在していました。
今年1月ミャンマーに行った時、ある観光地で現地ガイドが「絵葉書を買うなら、この人から買ってあげて」と声が掛かりました。物売りは若い知的障害者でした。一人暮らしですが、こうした物売りと近所の手伝いで生活を維持しているそうです。本人は自分が軍人だと思っていて、顔を会わせる度に階級が上がったと得意になって話してくるのだそうです。様子を見ていると、地元の人々から可愛がられていることが良く分かりました。
かつての日本の姿を思い出しました。

戦後日本の経済復興に合わせて、南武線沿線に大きな工場が立ち並び、中野島の子供たちも中学を終えると皆そうした企業で働くようになりました。同時に中野島地区も、東京や川崎、横浜への通勤者のベッドタウンに変貌します。
1960年代に入ると、農家はこぞって田畑を宅地として売り払い、あるいは土地にアパートを建てて、億万長者が続出します。農家の多くは、不動産管理会社へと転換しました。もっとも子弟が農家を継がず、サラリーマンになったので後継者がいなくなったという事情もあります。
地元の話題も、あの家は今度何階建てのマンションを作っただの、親父さんが亡くなって遺産が何億円だったとか、どこそこの家は相続税3億円を現金で払ったとか、そうした話題が主になりました。後はお定まりの遺産争いが続発し、兄弟や親族が仲たがいするようになります。
地元で商店や勤め人をしていた家から見れば、農家は濡れ手で粟の大金を得ていくのが面白くない。かくして地域コミュニティが次第に壊れてゆきました。
さきっちゃんは、そうした地域の変化を見ることなく、1950年代に亡くなりました。

中野島は今でも多少田畑が残っていますが、新しいアパートと高層マンションが立ち並ぶ光景に一変しています。
昔あれほどあった子どもの遊び場は、今は殆ど見当たりません。数十億円を手にした土地成金の中で、児童公園のために用地を提供する人は誰も出てきません。
当時と比べ遥かに豊かになった今、もしさきっちゃんが生きていたら自活が出来ないでしょう。

地域コミュニティの破壊に経済格差の拡大と、中野島地域の変貌は日本社会全体の姿だと思います。
この中で、セイフティネットが破壊され、その矛先が子供や弱者に向けれれていく、こうした社会を変えてゆかない限り、これからも同様な悲劇が繰り返されると思います。

2006/03/30

「医師は加害者」ですか-射水市民病院での延命措置中止

Hosp
近所に病院があって、余り規模は大きくないのですが親切な診療をしてくれますので、罹りつけにしています。入院したこともあって、医療に関する話題を聞いたことがあります。
私たちは普段は専ら患者の立場から医療機関を眺めるわけですが、一方医療機関の側から患者の側を見ると、別の面が見えてくるようです。

この病院に年配の女性が入院していて、容態が変わり緊急手術が必要となりました。家族として一人成人した息子さんがいるのですが、一度も見舞いにも来ないし、連絡が取れない。しかし手術承諾書にサインして貰わないと手術は出来ないので、連絡のため八方手を尽くしたが、最後までその息子の居場所が分らなかったそうです。
しかし患者の容態は待ったが利かないので、止むを得ず承諾書のないまま手術を行いました。手術そのものは成功したのですが、その後の経過が思わしくなく、暫くしてその患者が亡くなりました。
そしておよそ半年過ぎたこと、一人の中年男が病院を訪れて来ました。その行方が分らなかった息子で、暴力団員だったそうです。「手術承諾書を見せて欲しい」と要求してきて、病院側は経過を説明して承諾書が無いと答えたところ、その男は病院のミスだから裁判を起こすと言い出し、それがイヤなら2千万円出せと脅かしてきたそうです。
仲間を引き連れて何回も病院に脅しに来たそうですが、病院側は決して屈することなく要求を拒み続けました。幸い彼らも脅迫を諦めて落着したそうですが、肉親の面倒を見て貰ったことに感謝するどころか、世の中には母親の死させ金にしようとする不心得者もいるわけです。

小児科で一人部屋に入院していた女の子が、深夜侵入してきた男にイタズラをされるという不幸な事故がありました。
病院側としては警察に届ける一方家族に謝罪し、補償についても和解が成立していたのですが、何者かがこの件をネタに病院の管理体制を批判するビラを作り、病院の周辺にビラをまいたそうです。
更にTV局や週刊誌記者が取材にくるなど、一時は騒然となりました。
被害者が小学生の少女だったため、病院側は身元が特定されないよう相当神経を使ったようです。
ここは救急指定もされていますので、外部から侵入しようとすれば、これを完璧に阻止することは極めて難しいのです。他の医療機関でも同様の問題を抱えています。
管理体制うんぬん言われても、入院患者がいる以上は、夜間でも家族が駆けつけてくるケースもあるし、夜間完全シャッタアウトしたら、急患の人が困ってしまいます。

救急指定病院というと、直ぐに“たらい回し”が問題となります。患者の側からすれば、医師がいるのに診て貰えなかったと不満が出るのでしょうが、当直医師が内科医であれば、手術を伴う患者は受け入れられないし、小児科の救急患者にも応じられません。
数日前に、1999年に幼児が喉に割り箸をさして頭蓋骨を損傷させ死亡した事故で、救急搬送された病院の医師が十分な検査をせずに見逃し、業務上過失致死罪で起訴されていた事件で、無罪を言い渡されました。この医師も耳鼻咽喉科が専門でしたが、もしこの症状なら脳神経外科の医師の診療が必要でした。
しかしすべての救急病院で、夜間あらゆる専門医を揃えておくことは、採算性が前提の現状では不可能です。まして医療事故で時には逮捕投獄されるケースも出てくるのでは、専門外の患者の治療には慎重にならざるを得ないでしょう。
この結果、公立病院でさえ救急指定を外す事態が生まれています。
救急で運ばれてくる患者の中に、いわゆる“行き倒れ”の人もいます。健康保険には入っておらず、生活保護の申請もしていない、身分証明も無い、勿論現金は持っていない。入院させて衣服まで病院が用意して治療し、2-3日して少し回復すると勝手に病院から出て行ってしまう。そうした患者を相手に診療する医療機関は大変だと思います。
救急医療体制を確立するには、公費支出が避けられないでしょう。

現在富山県射水市の射水市民病院で、患者7人が人工呼吸器を外されて死亡した問題で、呼吸器外しを指示した外科部長が県警から事情聴取を受けています。
この件は全容がつかめておらず、事件性があるのかどうかはっきりとしていません。しかしTVのニュースショーの中には、頭から殺人事件の容疑者扱いしていた局もあります。
終末期医療での回復不能か否かの判定、延命措置と中止、本人又は家族の同意の確認方法など、我が国では未だ多くの点が法制化されておらず、現場医師の裁量に委ねられているのが現状です。
末期で、しかも患者が激しい苦痛を伴うような場合、従来は医師と家族の“あうんの呼吸”で、延命治療が中止されることが多かったのは事実です。
同意文書が無かったと言いますが、家族の死を決する事柄に同意したことを文書に残すのは、一般に相当抵抗感があります。
私は、医師と本人または家族に加えて第三者が立ち会って(例えば遺言の公証人のような立場の人)、同意を確認する方法がとれないかと思っています。

警察や検察、マスコミなどが、医師側が悪と決め付けて世論を煽っても、何も解決しません。
むしろこうしたやり方は、現在の医療制度を崩していくのではないかと危惧します。
これを機会に、終末期医療のあり方や尊厳死のルール化について、医師も家族も禍根を残さず、双方が納得しうる法制化を真剣に取り組むべきと考えます。

2006/03/27

大相撲をいっそ「WSC(World Sumo Classic)」にしたら

hakuho
大相撲春場所は、横綱朝青龍の16度目の優勝で終わりましたが、最近になく楽しめました。1年前にこのブログでとり上げた白鵬ですが、2場所続けて優勝争いに絡んできて、場所終了後の大関昇進が当確となりました。元々大器として期待されていたのですが、攻撃性に欠ける面があり、ケガもあってやや足踏み状態が続いていました。先場所から積極的に攻める取り口に変わってきたのが、良い成績に結びついています。
昨年1月のあるパーティ会場で握手した、当時まだ平幕だった琴欧州(実物は映画俳優のようなイケメン)がその後大関になりましたし、応援している力士が出世するというのは、何となく嬉しいものです。

白鵬は大相撲入門を目指して、2000年に数名のモンゴル人青年と共に来日しましたが、当時体重が軽くて、他の仲間が次々入門を決めた中で取り残されてしまいました。諦めていよいよモンゴルに帰国する数時間前に、モンゴルの先輩である旭鷲山の口利きで、宮城野部屋への入門が許されたというエピソードがあります。
白鵬は、「数時間で人間の運命が変わることがあるんだ」と思ったそうです。
父親はモンゴル相撲の横綱で、5年間一度も負けたことが無いという大記録を持っています。レスリング選手としても活躍し、オリンピックのメキシコ大会で、モンゴルに初めてメダルをもたらした国の英雄でもあります。
そうした格闘技の選手としてのDNAを、しっかりと受け継いでいるわけです。
朝青龍が以前から、「大関には琴欧州が先になるかも知れないが、横綱は白鵬が先になる」と言ってましたが、この予想どうやら的中しそうな気配です。

話題の多かった春場所ですが、千秋楽が終わってみれば横綱昇進が絶望視されていた栃東が12勝3敗となって、辛うじて来場所の綱取りに期待をつなぐことが出来ました。協会としては、何としても若乃花(お兄ちゃん)以来という日本人横綱を誕生させたいでしょう。
又場所中に引退をほのめかしていた魁皇は、ファンからの「ヤメナイデ」コールに背中を押され、千秋楽で勝ち越し大関の地位を死守しました。
相撲協会としては、場所全体が出来過ぎと思われるほど万事うまく収まって、ホッと胸を撫で下ろしていることでしょう。

今場所も外国人力士、特にモンゴル勢の活躍が目立ちました。幕内最高優勝と三賞は全てモンゴル力士が独占しましたが、これは無論史上初です。又現在幕内7名十両2名合計で9名のモンゴル人関取がいますが、全員が勝ち越しました。
千秋楽にはモンゴルの首相が来ていましたし、14日目は琴欧州の出身であるブルガリアの国民会議議長が観戦していました。大相撲もすっかり国際化したものです。
十両はというと、エストニア出身の把瑠都(ばると)が全勝優勝しましたが、これは43年ぶりの記録だそうです。下から上がってくる有望力士も又もや外国人というわけです。
グルジア出身で黒海という力士がいますが、あれは”鋼鉄山”とかなんとかにして欲しかった。グルジアといえば、スターリンの国ですからね。
このままいくと、そのうち加寿美海(かすぴかい)とか栄気海(えいげかい)、地宙海(ちちゅうかい)などという四股名が出てくるのも、時間の問題でしょう。
狩武海(かりぶかい)なんざあ、いかにも強そうな名前です。

アメリカと違って、日本人の行司は外国人に不利な”誤審”はしません。一昔前の小錦の時代には、昇進の時に外国人力士が差別されることがありましたが、今は全くその気配がありません。そういう意味では既に国際化が進んでいるのです。

以前の記事にも書きましたが、ここまで来たのならいっその事、大相撲を国際試合にしたらどうでしょうか。WBCの向こうを張って”WSC(World Sumo Classic)”とか。大相撲春場所をWSC大阪大会にするんです。
今場所の場合なら、優勝式はモンゴルの国歌が演奏され、モンゴル国旗がするすると下りてきます。外国人力士は、自国の名誉にかけて更に力が入るでしょう。
「こう毎場所モンゴル国歌を聞かされるんじゃ、たまったもんじゃないね。俺達日本人力士も、ここいらで本家の意地を見せようじゃないか」ってな調子で日本人も頑張って、ますます充実した土俵を見せてくれると思いますよ。
どなたかこのアイディア、採用してくれませんかね。

2006/03/24

新国立劇場オペラ「運命の力」

unmei
3月21日新国立劇場にオペラを観に行ったのですが、ロビーの隅が黒山の人だかりでした。WBC9回表の日本代表の攻撃中で、点が入るたびに歓声と拍手が巻き起こっていました。
それ程関心の高かったWBC、スモール野球が功を奏して見事優勝の栄光に輝きました。しかし私のスモールライフは、栄光とは無縁でしたねえ。スモールなら何でも良いわけではないんですね。
それとMLB関係者の心境は、大相撲関係者と似ているでしょうね。大相撲も国別対抗戦をやれば、モンゴルの優勝間違いなしです。

さてその久々のオペラは、ヴェルディ「運命の力」。
イタリアオペラですが、18世紀のスペインを舞台にしています。インカの血を引く青年と、父親から反対されても彼への愛を貫こうとする女性、父の復讐のために青年を追う女性の兄、この3人のそれぞれの運命と、悲劇的な結末を描いたこの歌劇は、オペラには珍しくストーリー性があります。運命と闘い、自らの幸せを求める主人公の姿は、現在の観客にも十分共感が得られると思います。

オペラの魅力は一にも二にもソリストの歌唱力、それも先ずは声が良くて声量があることだと思います。
今回の公演では、何より主役のレオノーラを演じたアンナ・シャファジンスカヤ(ソプラノ)の声量に驚かされました。オーケストラの音量に負けていません。ウクライナ出身で、どちらかといえば小柄ですが、どこからあのパワーが出るのかと思う程です。
そして声も美しい。ウットリと聴き惚れました。
もう一人の主役ドン・アルヴァーロを演じたロバート・ディーン・スミス(テノール)、声量も声の美しさも申し分なしです。特に劇中で、病院のベッドに真横になってアリアを歌うシーンがあるのですが、劇場全体に声が響いていて感心しました。
レオノーラの兄ドン・カルロ役のクリストファー・ロバートソン(バリトン)、グアルディアーノ神父役のユルキ・コルホーネン(バス)の二人も、声量豊かに歌い上げていました。
終幕でのレオノーラ、ドン・アルヴァーロ、ドン・カルロの三重唱は、切なく胸に響きました。
今まで見たオペラの中でも、最終場面の美しさで際立っていたと思います。

井上道義指揮の東京交響楽団の演奏も、ヴェルディの曲の美しさを十分表現していたと思います。
惜しむらくは日本人ソリストの歌唱力、声量・声の艶共に外国人ソリストと比べ見劣りしていました。彼らが活躍する場面になると、途端につまらなくなる。この辺りは新国立劇場オペラの課題でしょうか。

凝った舞台装置は美しい照明効果と共に、ヴェルディの世界を舞台に再現させようとした演出家エミリオ・サージの意図を反映したものと思われます。オペラが総合芸術であることを実感させてくれました。

全体としてとても印象的な、そして十分満足のいく出来栄えのオペラでした。

2006/03/22

この逮捕はおかしい「福島県立病院・産婦人科医の医療ミス」

fukushima
子供の頃、近所の罹りつけの開業医が口癖のように言っていた言葉を覚えています。「医者は3人くらい殺さないと一人前になれない。私も何人も殺してきましたよ。」と言うのです。患者の方はあまり良い気分にはなれなかったが、事実なんだろうなと受け止めていました。
この医師が言った“医者が患者を殺す”は、医療過誤により患者を死に至らしめたことを意味しているのでしょう。つまり当時は、医療行為に誤りは付き物であるし、医療関係者も患者の側も、ある程度そうした事実は容認していたと言うことです。
わずか数十年の時代の流れの中で、現在は全く事情が変わってきました。

2月18日福島県立大野病院の産婦人科医である加藤克彦医師が、帝王切開中の大量出血により患者が死亡した医療事故(2004年12月17日死亡)に関して、業務上過失致死罪および、異状死の届出義務違反(医師法違反)で逮捕されました。
新聞各紙は、「帝王切開のミスで死亡、医師逮捕 福島の県立病院」(産経新聞2月17日)の見出しで報道しましたが、実際には帝王切開そのものが失敗したのではありません。
この患者の場合は、胎盤が子宮に癒着又は食い込む胎盤癒着と言う症状でした、通常は分娩が終わると胎盤は子宮から剥離して体外に排出されます。それに伴い子宮が収縮して出血が止まるのですが、この症状の産婦の場合は胎盤が剥離しないので出血が止まらず、死に至るケースがあるわけです。
全分娩中に、1万件に僅か数件という確率で発生する稀有な症例です。

実は私の妻が、実の母親をこの症状で亡くしています。こうした場合、出産したばかりの赤ちゃんと父親が後に残されますので、その後の家族は大変苦労します。従って今回の事件のご家族の辛さは、十分理解できます。
しかしこの件は、本当に刑事事件として逮捕勾留するような必要性があったのでしょうか。
このブログでは以前も医療事故の問題をとり上げた際に、警察や検察の行き過ぎた捜査を批判してきました。問題の医師は事故発生後も病院での診療を続けており、逃亡や証拠隠滅の恐れがあったとは思えません。
例えば耐震偽装事件などへの対応と比べても、今回の処置は納得がいきません。

この胎盤癒着という症例の難しさは、分娩が終わった後でしか分からない、つまり事前に検査で分かっていて準備できる性質のものでないという点です。
ここからは想像に過ぎませんが、帝王切開で胎児を取り出した後に胎盤癒着が確認されたため、医師はクーパー(手術用ハサミ)で剥離を試みました。癒着が軽いものであれば、それで隔離できるのですが、この患者の場合は強い癒着であったため剥離に失敗して、出血により死亡させたものと思われます。
結果としては、子宮を全部摘出する(全摘)手術を施すのが正解だったと思われますが、帝王切開と子宮全摘手術とは違う施術となります。その当時の病院に、即応できる体制があったのかどうかが分かりません。
それと子宮全摘を行うと、その後の出産が不可能となりますので、医師としてはできるだけ避けたいという気持ちが働いたとも想像されます。事実、以前に子宮筋腫で全適を受けた患者が、医師を訴えたケースもありました。
今回の事件にしても、もし結果として軽い癒着だったのに子宮を全摘していたら、逆に患者の家族からクレームがつく可能性があったと思います。
つまり今回のケースは、結果としては医療ミスになってしまいましたが、業務上過失致死として刑事事件で逮捕されるような性格のものではない、これが私の意見です。

もちろん理想的には、いかなる処置に関しても、医療機関は常に最悪の事態に備えて体制を作り上げておくべきでしょうが、その負担は誰がするのか。
一方で医療費の削減が声高く年々叫ばれていく中で、その両立は可能でしょうか。
大都会や、地方でも都市部であれば、そうした体制を構築することは可能かも知れませんが、過疎地を含む全国至る所にそうした体制を作るには、今の医療制度を変えていかねばならない。
「小泉改革」とは正反対の政策を進めなければなりません。

今全国で産婦人科がない医療機関、あっても今回の福島県立大野病院のように、医師が一人という医療機関が増えています。
一人医師では、今回のような不測の事態が起きたときの対応には無理があります。
原因は採算が合わないのと、医療事故による訴訟が急増しているという事が背景です。同じ問題は小児科救急診療にも起きており、乳幼児の急病に対する不安は、都市部でも起きています。
大学側が今後一人医師の病院に医師を派遣しないとの方針を決めたとなると、今後ますます産婦人科の無い病院が増えていきます。

医療行為というのは、殆どが人手で行われます、である以上ミスは避けられないし、要は出来るだけミスが起きぬような体制作りが肝要です。
無論今回のような悲劇が繰り返されぬよう、ミスの原因と再発防止を医療サイドが検討することは必要ですし、ご遺族への補償も行わなければならない。
しかしそれは、医師を逮捕拘留し、刑事事件として処罰することとは別の問題です。

全国どこに住んでいても安心して赤ちゃんが産める、乳幼児が育てられる医療体制は、公費でまかなっていかねばなりません。これからの少子化対策としても、極めて重要な課題だろうと思います。
経済大国の我が国に、この程度の費用負担ができないことは無い筈ですし、こうした事に税金が使われることに対しては、恐らく多くの国民の納得が得られると思います。

2006/03/19

家事のこと 家計のこと

usagi
とかく世の亭主族というのは、家事に対する理解が薄いものです。
家事というと直ちに思い浮かぶのは、料理、掃除、洗濯ですが、それは家事全体から見ればそう大した仕事ではありません。
広義の家事を一口に定義するなら、「家(家庭)の管理(management)」であり、それに係わる仕事だと思います。その中には住居や衣服をを整理整頓して清潔に保つという仕事があり、家族の生命と健康を維持するための仕事があります。
子供たちの成長と教育に係わる仕事や、家庭内の相互の人間関係を円滑にするための仕事も重要です。

家事でもう一つ大事なのは、家計の管理です。家計が維持できなければ、家庭は破綻します。
一般には家計簿をつけて月別の収支をチェックし、赤字であれば支出を見直したり、収入を増やす方策を講じたりして、健全な経済状態が維持できるように改善していく、この辺りは会社経営と一緒ですね。
これらは短期計画ですが、ライフプランに基づく長期の計画も必要です。ライフサイクルに会わせた家計の収支予測と資金計画です。

よく男性の中には、「男は外でクタクタになるまで働いてるのに、女房は三食昼寝付きで気楽なもんだ。」などという人がいますが、とんでもない。家庭の主婦は、家では社長としてマネージメントを行っていて、毎日大変なのです。
きっと部屋の本棚の隅には、”〇〇家2004年度貸借対照表と損益計算書”とか、”〇〇家長期経営計画書”などと書かれた分厚いファイルがあるはずですから、一度目を通しておいてください。
え、無いですか、オカシイですねえ。その場合は、ご自分で作るしかないですね。
それと自分に掛けてある保険金くらいは、知っておく必要があります。知らないうちに1億円の生命保険に入っていて、朝起きたら急性心不全で冷たくなっていたなんてこと、時々ありますからね。

さて前置きが長くなりましたが、ここから先が前回の記事の続きと、寄せられたコメントに対する所感です。
家計にとって、資産運用も大切な仕事です。
2005年の調査で、1世帯当りの金融資産の保有高は平均1085万円だそうです。と言っても中央値は400万円ですから、こちらの方が実態に近いのでしょう。単身者はその半分以下の金額になっています。
2004年度の日銀「資金循環統計」における家計の金融資産動向によると、次のような比率になっています。なお( )内は米国の統計です。
現金・預貯金 54.0%( 9.6)
株式・出資金  8.1%(37.3)
債券       7.7%(20.4)

ここから明らかのように、日本の家庭での貯蓄というのは圧倒的に預貯金、それとせいぜい国債を買う程度、要するに元本が保証されていて金利が安い(今はゼロ同然です)商品が大半です。ノーリスク・ノーリターンのこうした商品は条件は平等ですし、預金者間には互いの損得が生まれません。
しかし今後の動向としては、次第に米国型、つまりハイリスク・ハイリターンの株式など証券の比重が高くなって行くとの推測がなされています。こうした傾向を、苦々しく思っている日本人も多いと思いますけど。
コメントに書かれているような金融先物取引の商品、外国為替証拠金(FX)取引などの手持ち資金の数十倍もの取引(レバレッジ=てこの効果)が出来る商品も出ており、更なるハイリスク・ハイリターンになるわけです。
この世界は一方が儲かれば、もう一方は損するという勝負の世界です。それにFX取引のガイドを読むと、勝率6割ならプロ、勝率7割なら世界のトッププレイヤーだそうですから、そうした厳しい現実を十分認識しておく必要があります。

コメントにあるように、現在の「功名が辻」の千代は、こうした金融商品についての知識を見につけ、積極的な運用で利益を上げて家計を助けるということでしょうか。
でもそんな勝った負けたの世界は真っ平だ、清く貧しく美しく生きようという方は、せいぜい郵便貯金で、これもまた人生。
とにかく金融機関の甘言にダマされないよう、信念をもって資産運用することが肝要でしょう。

元手が無い方は、何も悩む必要がなくて楽チンです。

2006/03/18

金融機関にはダマされまい

acom
TVで強盗や窃盗のニュースを聞いていた私の奥さんが、「物騒ね、うちもアコムしようかしら」と申しておりました。「それはSECOM(セコム)の間違いでしょ」と突っ込みながら、いやそちらが正解かもしれないなと考え直しました。
玄関に“SECOM”のシールが貼ってあると、泥棒がこの家には余程金があるなと思って、却って狙われるでしょうね。処がアコムのシールなら、ここの家は余程金に困っているだと思って避けてくれる、きっとアコムの方が泥棒除けになりますね。

TVを見ていて気が付くことは、サラ金と医療保険のCMが朝から晩まで流されていることです。サラ金と保険業、余程儲かるのでしょうね。「少ない保険金で大きな補償」「80歳までは入れます」「しかも掛け捨てではない」なんて一日中やってますが、本当ですかね。この通りなら、保険会社は潰れますけどね。
一昨年ちょっとした手術をして、当時2社の医療保険に加入していたので申請したところ、日本の保険会社からは保険がおりたのですが、米国系保険会社の方は、支給対象にならないの一点張りで、とうとう支払いがされなかった。
入院費の補償も、保険加入以前に罹っていた病気だと、支払いを拒まれるという話も聞きましたし、「手軽でガッチリ」などという甘い言葉に騙されないように。

「フォーブス」が3月に発表した2005年度版世界の長者番付を見ると、日本人で上位にランキングされているメンバーで最高位は77位サントリーの佐治信忠の58億ドルですが、以下上位は次の通りです。
80位  福田吉孝(アイフル)     57億ドル
84位  武井保雄(武富士)      55億ドル
103位 糸山英太郎(新日本観光) 49億ドル
111位 毒島邦雄(SANKYO)    47億ドル
111位 木下恭輔(アコム)      47億ドル
(以上敬称略、一族の資産を含む)
いずこもカタギの商売の方とは思えませんね。
ナンノカノ言っても、日本は「金」本位制の国ですかね。
近頃、「お金がすべて」という風潮は戦後の教育が悪かったせいだ、だから教育基本法を改正するという声を聞きますが、先ずこうした経済の仕組みを変えることが必要なのではないのでしょうか。

最近銀行窓口やダイレクトメールで一つ気になることは、銀行がやたらに投資信託や外貨預金を勧めることです。ゼロ金利状態が続いていて利息が増えないので、他の有利な商品への乗り換えをPRしています。
考えて見れば、ゼロ金利は銀行自体が演出しているわけだし、金利が自由化されているのも拘らず、横並びの低金利に抑えているのが銀行自身ですから、今更何を言っているのかと思いますが。
皆さんから預金を集め事業資金への貸し出しなどで運用して、利ざやで利益を得るのが本来の銀行業のはずですが、それより投資信託の販売手数料の方が儲かるのでしょうかね、これも考えものです。

心配なのは、銀行が勧めるからと安心して、こうした商品のリスクを十分認識しないまま、契約する人が出るのではという危惧です。
窓口で客に説明するのを傍から聞いていると、一応「この商品は元本保証はありません」と断っていますが、それは付け足しのようなもので、専ら高金利であることを力説していました。聞き手がどこまでリスクを理解していることやら。
顧客としては銀行が勧めるのだからと、信じて疑わない人も多いだろうし、騙されたと後でモメなければ良いですけど。
バブル崩壊当時の変額保険では、全国的に訴訟が相次ぎましたが、金融機関というのは懲りないなあと、つくづく感心します。

さて、個人が保有する外貨預金の残高が、2005年9月末で5兆円を越えました。銀行や証券会社が営業に力を入れていることもあり、今後も確実に増加するでしょう。
外貨預金といえば、直ぐに為替変動リスクを頭に描きますし、金融機関のパンフレットにも必ず書かれています。為替レートは毎日変動しますから、円が高くなれば損失となり、外貨が高くなれば利益が得られる仕組みです。
この他のリスクとして為替コストがあるのですが、これについては説明が抜けていることが多いので、要注意です。

外貨預金をする場合、預け入れ時の円貨から外貨への換算レートにはTTSレート(電信売相場)、引き出し時の外貨から円貨への換算レートにはTTBレート(電信買相場)が、それぞれ適用されます。
例えば高金利で人気のオーストラリアドルの定期預金をした場合、現在金利は半年物で3.67%です。
一方、日本円/豪州ドルのTTS=87.16円、TTB=84.66円ですから、往復の為替コストは4.59%となります。
仮に100円預けて半年後に引き出すと、税引き後の元利合計は約97円となり、高金利のはずが却って元本割れをしてしまいます。
為替コストは一定ですから、短期のものや中途解約は不利となりますので、騙されないように。

「ハイリターン」どころか「ノーリターン」にならないよう、金融機関に騙されないよう、お互いに注意が必要です。
♪この世はもうじきお仕舞いだ マリリンモンロー・ノーリターン♪
(最後は意味不明)

2006/03/16

武部幹事長様への激励「メール」

Takebe
拝啓 武部幹事長様
この度は民主党永田議員の「偽メール」問題で、武部様とご家族の名誉が著しく傷つけられたこと、ご心痛をお察し致します。
その反面このメール騒動のお陰で大した抵抗も無く、予算案などの重要法案が順調に国会を通過して行きましたことは、まことご同慶に堪えません。
15日の主要新聞各紙に、民主党と永田議員連名で謝罪広告が掲載されましたが、国民の中には新聞を購読していない者や東京スポーツしか読まない者もいて、こうした人々は今回の謝罪の事実が知らされていません。これでは武部様の名誉が完全に回復したとは、言い難いものがあります。

「偽メール」問題の決着がついた後も、依然として週刊誌などが、ホリエモンから武部様周辺に金が流れていたなどと報道しています。
公認候補でもない堀江氏に選挙運動を指導して現地の自民党票を取りまとめ、武部様自ら現地に赴いたばかりか、竹中大臣を始め数々の大物議員を応援に送り込み、公認候補以上の支援を行ったわけですから、その見返りを求めるのは当然の行為です。それをあたかも、堀江被告と武部様の間に黒いつながりがあったがごとき推測は、それこそゲスの勘繰りというものです。

国会でメールがニセモノだと断定された段階で、武部様が民主党と永田議員を刑事及び民事両面で告訴するとの発言があり、私たちはそれを心待ちにしておりました。
処が新聞報道によりますと、今回の謝罪記事をもって、武部様は提訴を止めるかのご発言があった由、事実とすれば極めて遺憾であります。
ここは、ご自身とご家族に向けられた疑惑を晴らし、完全なる身の潔白を証明するために、永田議員及び武部様のスキャンダルを書き立てるマスコミを断固として告訴すべきであるし、多くの国民がそれを期待して見守っております。

もし万一提訴を見送るようなことがあれば、武部様の側に何か不都合な事情でもあるのかと、それこそ疑惑の目を向けられかねません。
武部様におかれましては、速やかに提訴の手続きを開始されるよう切に希望するものであります。
@ほめく

2006/03/14

ライブドア株主の損害賠償請求、ん?

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ライブドアの東証上場廃止が決まり、株主(あるいは株主だった)が、同社及び堀江被告ら経営者が決算を粉飾したため、「株を不当に高い価格で買わされた」ということで、損害賠償の提訴を行うべく準備が進められています。
確かに「高値で買わされた」のであれば、損害賠償を求めることができるでしょう。しかし本当にそうなのでしょうか。
買わされたというのは、次のケースが考えられます。
①強く勧誘を受けて買わされた。
②取引関係やM&Aなどで、株を買わされた。
こういう方々は当然損害賠償を請求できるでしょう。

これが数年前でしたら、証券会社から無理に勧められてということもありましたが、ライブドアの場合個人株主の割合が高く、現在個人で株を売買する人の大半はネット取引です。
ネット取引での株の購入は、強制でも勧誘でもなく、自らの判断で行ったものではないのでしょうか。

もう一つネットの時代になって変わったことは、様々な情報が容易に入手できるという点です。
ライブドアについて、確かに同社や堀江前社長を持ち上げる風潮がありましたが、同時に同社に対する批判的な情報もネットでは流されていました。
例えば「フォレスト・コンサルタンツ」のホームページ(http://consul.mz-style.com/)で、山根治さんという公認会計士が、公開されていたライブドアの有価証券報告書を分析し、同社が粉飾決算を行っていたことを指摘してきました。「ホリエモンの錬金術」の連載を開始したのが、1年前の2005年3月15日でした。

売る人は株価はもう上がらないと判断し、買う人はこれから上がると判断する、誰かが得をした分、他の誰かが損をする、株式市場はゼロサムゲームです。
ライブドアを1株700円で買った人がいるとすれば、同じ数だけ売った人がいます。買った人は損失を出し、売った人は利益を得る、しかしそのトータルはゼロになるというわけです。

私は今から30年ほど前に、株に興味を持ったことがあり、「株式入門」というようなタイトルの本を購入しました。そこに書かれていたことは、
①株は余裕資金で買う
②手持ち資金の3分の1以下に抑える
③複数の銘柄に投資し、リスクを分散する
④信用取引には手を出さない
でした。ここに書かれていたことは、現在でも当てはまりますね。

日経平均は、1989年末に3万8915円の最高値をつけて以後、2003年4月29日には7607円のバブル後最安値をつけました。この14年間に株を購入した殆どの人は、価格の値下がりだけを経験しました。
又1999-2000年に掛けて起きたネットバブルでは、株価が100分の1以下になった例もありました。
株式投資にリスクは避けられません。

2005年は1年間で平均株価が40%上昇しました。これならサラ金から借りても儲かります。
これが続くようなら、日本国民はみんな仕事を辞めて、株で生活できます。そんなバカなことがあるわけないし、異常事態と言わざるを得ない。
金儲けで頭に血がのぼっていたとしたら、ライブドアショックで株式市場が調整場面を迎えたことに、むしろ感謝が必要でしょう。
「濡れ手でアワ」が国民の規範になっては困りますからね。

ライブドア事件については、政治的背景を含めた原因究明と、旧経営陣の責任追及は当然必要ですが、株購入者の損害賠償請求に対しては、率直に言って違和感があります。
自民党を信じて、小泉首相や武部幹事長を信用して株を買ったという声もありますが、そもそもそれが間違っていたということです。

2006/03/10

「2年半を返せ!」-痴漢事件の逆転無罪判決

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男「何で拳銃を持ってるだけで逮捕なんだ。」
警官「銃を持ってれば、殺人未遂容疑だ。」
男「じゃあれか、世の中の男は全員強姦未遂で捕まるのか。」
という小咄があります。
3月8日東京高裁で、電車内で痴漢をはたらき強制わいせつ罪に問われていた男性に、地裁の有罪判決が破棄され、逆転無罪判決が出されました。男性は逮捕されて2年半一貫して無罪を主張していました。
この男性は105日間も拘留されて起訴された結果、会社は休職、預貯金をはたき、アルバイトでしていた作業中の事故で複雑骨折を負い、現在は生活保護を受けているそうで、奥さんも心労がたたって体調を崩しているそうです。実にお気の毒としか言いようのない状況です。

私はサラリーマン時代42年間電車通勤を行ってきましたが、痴漢をしたこともされた事も無い(当たり前か)、又痴漢の現場を見たことも無いので、自分の体験は披露できませんが、他人の経験から今回の事件を考えてみたいと思います。

会社の同僚で、通勤電車内で痴漢で捕まった友人がおりましたので、その話を紹介します。
いきなり痴漢だと騒がれ言い争いになり、友人は駅員に事情を説明して誤解を解いてもらおうと、友人自身が率先してその被害者と共に駅の事務所に行きました。
処が駅員は被害女性の話しか聞かず、直ぐに警察に連絡したそうです。警官はというと、これまた女性の言い分しか聞かず警察に連行され、ここでも終始犯人扱いだったそうです。
警官から否認すれば逮捕・勾留して裁判となり、罪を認めれば起訴猶予となるか、仮に起訴されても罰金刑で済むと脅かされ、結局罪を認めて帰宅を許されました。
友人は、処分が決まるまでは会社に連絡されないか、家族(妻と、二人の娘)には通知されないか、起訴されたらどうしようかと、毎日悩んだそうです。
結局、起訴猶予となり事なきを得ましたが、心に大きな傷が残りました。

被疑者が「痴漢していない」と否認し裁判を争い続けたものが、2000年までに203件あったのですが、すべて有罪判決だったそうです。むしろ先の男性のケースのように、否認して裁判で争う行為自体が、裁判では反省の色が見えないと判断されてしまうわけです。
警察は、女性からの供述をすべて鵜呑みにして取調べをし、実況検分などはしません。

こうした事件が起きると、被害女性にたいしての非難が起きたり、痴漢被害に対する女性の過剰反応を指摘する声も出てきますが、これはこれでとんでもない意見です。
統計データでは、電車内で痴漢にあった女性は50-70%と極めて高く、そのうちの80%の人は繰り返しの被害にあっています。これ程多くの人が日常的に被害にあう犯罪は、痴漢だけです。
又痴漢にあう女性の側に原因を求める声もありますが、こうした統計を見る限りでは、年齢さえ若ければ殆ど無差別に被害にあっているわけで、こうした主張は根拠がありません。
愛妻は今から数十年前に、車内で胸を摑まれたことがあるそうで、「あれはきっと私が余りに魅力的で、バストの形が良かったからだわ」と申しておりますが、もちろん妄想に過ぎません。

電車でちょっと触られたくらいで痴漢だと騒ぐのはおかしいと主張する人もいますが、これもおかしい。
知り合いの男性で、痴漢被害にあった人が複数います。加害者はいずれも男(WOW!)だそうです。
被害を受けた瞬間というのは、先ず屈辱感だそうで、とても声を上げたり制止したりする心の余裕は無いそうです。
精神的なショックが大きく、そのうちの一人の男性は、その日会社を休んでしまいました。
これだけ痴漢被害というのは、被害者にとって大きなダメージとなります。

今回の事件にしても、悪いのは先ず痴漢を働いた犯人です。痴漢の加害者は女性の敵だけでなく、男にとっても敵です。
それに105日間も勾留しておきながら、ロクな取調べを行ってこなかった警察官と検事であり、こうした杜撰な捜査を見抜けず一方的に検察の言い分を通してしまう裁判官が悪いのです。
ここは間違えないで欲しい。

私は電車通勤で、心がけていたことが二つあります。
①極力若い女性の近くに行かない。止むを得ず近づいた時は、背を向ける。
②常に片手にカバンを持ち、もう一方の手はつり革を握る。
李下に冠を正さず、痴漢の冤罪を被せられることも無く済みました。こんな苦労が必要ないように、女性専用車両を増やすなどの対策を講じるしか、方策は無いのでしょう。

2006/03/08

柳家花緑の「紺屋高尾」は最高でした

karoku
国立の「花形演芸会」は、ここのところとみに充実してきています。若手から中堅の落語家が腕を上げており、ベテランもうかうかしていられません。3月4日も内容のある会となりました。

ハナは立川志ら乃で「粗忽長屋」、立川流の有望な若手であり、2005年度NHK演芸大賞の受賞者で実力派の期待が高い。
一口に言えば、可も無く不可も無い平凡な出来で、技量はまだまだです。
古今亭菊朗は「兵庫舟」、二ツ目ですが既に真打の力があります。若手に似合わず、高座に落ち着きがあるのが良いですね。
最近ではあまり高座に掛からないネタですが、船中で講釈師が講談を語るところが聞かせ所ですが、菊朗の熱演に観客から大きな拍手が沸いていました。こうした若手が次々育っているところに、今の落語協会の層の厚さを感じます。

学ランに鉢巻といういでたちで、リズミカルにコントを繰り出すオオカミ少年、初見ですが楽しめました。
三遊亭円馬は「妾馬」、全盛の落語協会に比べ、近頃の落語芸術協会は全般に見劣りします。この花形演芸会も、落語協会の芸人が圧倒的多数を占めていて、芸協の円馬は孤軍奮闘の感があります。
この人の良さは何より噺が丁寧です。前日聞いた志らくの「妾馬」と比べて全体に落ち着きがあり、登場人物の演じ分けもしっかりとしていました。

仲入り後、ゲストの漫才昭和のいる・こいるが沸かせたあと、曲芸の鏡味仙三。扮装に凝り、踊りも入れて、客に見せる工夫をしている努力を買います。落語界同様に、曲芸などの色物の世界でも若手の進出が目覚しいのは喜ぶべきことです。

トリは柳家花緑で「紺屋高尾」、紺屋の職人が雲の上の存在である吉原の高尾太夫に惚れて一心に金を貯めて会いに行き、高尾もその一途な心に魅かれて夫婦になるという人情噺です。
花緑の凄さはこの噺に手を入れて、滑稽噺風に脚色して観客を楽しませつつ、肝心な所はシンミリとさせて、会場全体を引き込んでいったことです。
私の一つ置いた隣の席の女性客などは、もう手放しで泣いていました。
聴いていてジーンと感動する高座にお目に掛かるのは、年に1回あるかないかです。
花緑の高座も、「紺屋高尾」も、過去最高のものを見ることができました。

2006/03/05

「志らく百席」in横浜にぎわい座3/3

shiraku
人気落語家立川志らくが、古典落語の百席に挑む「志らく百席」も、今回で11回目になります。1回に3席の割合で演じていますので、今回で3分の1が終わる勘定になります。
古典落語と一口に言っても、滑稽噺から人情噺まで、前座噺から大ネタまでと幅広いジャンルが含まれています。
噺家にも二つのタイプがありまして、一つは先代の桂文楽に代表される、自分の得意のネタしかやらないタイプ、もう一つは三遊亭圓生に代表される、敢えて不得意なネタにまで挑戦するオールラウンドプレイヤータイプに別れます。
志らくは後者を目指しているのか、それとも百席全部を自家薬籠中のものとする意気込みなのか。

志らくの落語の特長は、テンポの良さと歯切れの良さです。兄弟弟子の立川談春に比べると、同じネタでも半分位の時間で演じてしまいます。従って威勢のいい江戸っ子が活躍するような、アップテンポの演目は得意ですが、しんみりと聞かせるような演目は難があります。
そういう意味でこの回のネタでいえば、「幇間腹」「妾馬」は期待できるが、「包丁」はどうかなと思っていましたが、出来はほぼ予想通りとなりました。

「幇間腹」、若旦那が凝っている針を腹に打たれえる幇間の噺ですが、志らくはテンポ良く演じていました。
ただこれは志らくに限らず、最近の落語家は本物の幇間を見たことがないせいでしょうか、どうも“らしく”ない。実物を見ているのは、亡くなった志ん朝あたりが最後の世代だったのかも知れません。

「妾馬」、妹が大名の側室となって世継ぎを産んで、その祝いに八五郎が大名に会いに出かけるというお馴染みのネタ、随所に志らくらしいクスグリを入れて楽しませてくれました。笑いの中に親子、兄妹の情愛に触れてホロリとさせられます。
しかし、八五郎。大家、大名、家臣の人物描写がやや平板で、私としては今一つでした。

「包丁」、枕で昔談志が独演会で予定していたが高座にのせられず、三遊亭圓生に代演を頼んだと言うエピソードを紹介していましたが、それだけ難しい演目です。
新しい愛人が出来た男が、女房である清元の師匠と別れるために、友人に師匠を口説かせるという噺です。
先般桂文珍の口演も聞きましたが、このネタの眼目は師匠の色気と、男の凄みです。名演として知られる三遊亭圓生にはそれがあり、文珍やこの度の志らくには欠けています。

出演は他に、頭の上でゴム手袋を膨らませたりしぼませたりする怪演を披露した「3バカヘッズ」(WAHAHA本舗)、ストローを使った流鏑馬は意表をつかれました。良い子は真似をしないように。

総じて今回の志らく百席は、期待を裏切らない反面、“想定の範囲内”の出来に留まっていました。

2006/03/03

鈴本演芸場2月下席昼の部2/25

kikumaru
毎日毎日TVでは朝から晩までメールメール、これがホントの“迷惑メール”。
さて2月25日鈴本の昼の部は、土曜日で出演者全員が代演なしという珍しい日のせいか、開演時には立ち見が出る満席となりました。早めに並んだので、久々に最前列の中央の席を確保、やはり寄席は前の方で見たいものです。

寄席でしかお目に掛かれない芸人というのがいますが、この人達の芸を見るのが一番の楽しみです。
この日の出演者でいえば、先ず落語家の「川柳川柳」、75歳になる落語家ですが、歌とジャズの楽器の音まねを得意とします。歳に似合わぬ若い声で、戦中から戦後にかけての歌謡曲やジャズを歌いまくります。
「ジャズ息子」このネタはもう何十回聞いたでしょうか、それでも戦前から戦中の外国の歌を禁止され軍歌ばかり歌わされていた重苦しい時代の空気と、戦後にジャズが一斉に流された時の解放感が十分伝わってきて、毎回楽しんでいます。
この人の芸は、国宝に指定して欲しいですね。

もう一人はギター漫談の「ぺぺ桜井」、この人も偉大なるマンネリで、いつも同じネタです。お笑い芸人としてはチョット暗目ですし、そんなに爆笑するような芸じゃないんですが、これが何とも言えず味があります。
ギターを弾きハーモニカを吹きながら歌う歌が「若者たち」、イヤー選曲が実に渋い。そこが又良い。

奇術の「アサダ二世」、年寄りの詐欺師という風貌で、マジックより喋りの時間の方が長い。そのマジックも、最近では素人でもやらないような古典的なネタばかりですが、こういう客席をリラックスさせるB級芸人が寄席には必ず必要なのです。こうした脇役が、主役を盛り立てます。
やはり私が好きな芸人の一人です。

紙切りの「林家二楽」、クラッシック音楽を背景にストーリー性のある紙切りを行うなど、意欲的な活動をしている芸人です。
当日も“荒川静香”の注文を見事に切っていましたが、「安藤美姫でも同じ」といって笑わせていました。
この人はトークも達者で、昔は噺が下手で落語家を断念した人が紙切りに転向したのですが、時代が変わりました。

その他の出演者は、「柳家三太楼」が軽い漫談で一席を伺い、「柳家喬太郎」はお馴染みの新作「白日の約束」で、それぞれ客席を沸かせました。この二人は常に安心して見ていられます。
「古今亭菊之丞」はお得意の「棒鱈」、この噺は何回聞いても面白い。何より菊之丞が演じる料亭の女将に色気があります。
彼は30代半ばですが、近頃すっかり風格が備わってきました。

仲入り後の漫才の「すず風 にゃん子・金魚」、東京で数少ない女性同士のコンビですが、さっぱり面白くない。ここ10年くらい見ていても、進歩の跡が見られません。
「桃月庵白酒」というちょっと変わった名前の落語家ですが、この人の「壷算」は収穫でした。数字のマジックに騙される店の主人の表情がとても良い。時間を短くしていましたがその分テンポが良くて、結構な出来でした。
トリは「古今亭菊丸」で「うどんや」。
良く言えば端正な芸風、悪く言えば面白味に欠ける芸と言えるでしょう。
年齢的に脱皮が望まれるところです。

とにかく大変充実した、そして楽しい昼席となりました。

2006/03/02

「寄席」カンタンガイド

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落語のような芸は、日本にしかないそうです。そして寄席もまた日本独特のものでしょう。
寄席に行かれたことが無い方のために少し解説しますと、現在定席(1年中寄席をやっている劇場)は都内に4軒で、1ヶ月を10日ごとに区切り、それぞれ上席、中席、下席と呼び、更に昼の部と夜の部の2部制となります。10日間は出演者の顔ぶれが同じです。
上野鈴本演芸場の例ですと、一回の出演者は15人程度で、時間は3時間半から4時間程度ですから、一人(一組)あたり数分から15分位の持ち時間となります。
1軒の定席に出演できる芸人の数は、およそ1ヶ月で100人程度という計算になります。

現在定席に出られる芸人は、「落語協会」か「落語芸術協会」のいずれかに所属している芸人だけで、鈴本演芸場は落語協会のみ、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場は、2つの団体が交互に出演します。
出演者は日によっては代演になることがあり、当日の顔づけは寄席か各協会のHPで確認できます。
落語家の団体としてはこの外に三遊亭圓楽率いる「圓楽党」と、立川談志率いる「立川流」がありますが、いずれも定席には出演できません。従って独自の落語会や独演会を開いています。
定席以外に、国立演芸場や横浜にぎわい座などの劇場があり、こちらには所属団体に関係なく芸人が出演できます。

昨日入門した前座から、明日死ぬかも知れない長老まで含めて、落語家の数はおよそ600人だそうですから、平均すれば4軒の定席の一つに出演できるのが1ヶ月半に1回の割合になります。
出演者は席亭(劇場のオーナー)と協会との間の話し合いで決まりますので、やはり人気のある芸人、笑いの取れる芸人に声が掛かりやすい。
人気や実績が出てくれば、TV出演や地方公演、独演会、各種落語会と活躍の場が広がります。
その反対に、余り出番のない芸人も出てくるわけです。
こう見ていくと結構厳しい競争社会であることが分ります。

寄席には落語以外に色物という分野の芸人がいます。講談、漫才、漫談、物まね、浪曲、奇術(手品)、コント、紙切り、太神楽、俗曲などなど、実に多彩な芸人たちが、文字通り色を添えるわけです。

寄席の最大の特徴は、一人一人(あるいは一組)の芸を見せると同時に、その興業全体が団体として集団芸になっているという点です。
最後に出てくる芸人を主任又はトリといいますが、その興業の出演者は全員でトリを盛り立てるように演じていく、これが寄席の真骨頂です。
前座から最後のトリまで、出演者は自分の後の人、後の人を立てて演じなければならない。
トリより上手の芸人が前に出ることも多いのですが、決してトリを食ってはいけない。しかし自分を目当てに来る客もいるわけですから、そうした客には満足させなければいけない、実に難しい技術が要求されます。
それが出来ない芸人は、やがて寄席から声が掛からなくなる、こういう厳しい世界でもあります。
この辺り、実に日本的な世界と言えますね。

定席は通常は全席自由席でチケットは当日売りですから、正月や特に人気が高い芸人が出るとき以外は、いつでも好きな時にフラリと入れます。
先ず開口一番で前座が出てきます。羽織や袴を着けていないから直ぐ分ります。最近の前座の多くは、大学のオチ研から入門してきますので、それなりに聞かせてくれますし、又この中から将来の大物を見定めるという機会でもあります。
「あいつは若い頃はさっぱりだったが、歳を取ってからはヤッパリ駄目だ。」なんて言える楽しみがあるわけです。

それから二ツ目や真打の落語家、色物の芸人が入れ替わり立ち代り登場し、仲入り(途中で15-20分の休憩がある)前に登場するのが前半の締め、仲トリと呼ばれる落語家で、この芸人が当日のトリに次いで大事な役目を負います。その日の高座の出来不出来は仲トリで決まるといわれる重要な役割です。

仲入り後“くいつき”と呼ばれる芸人が登場します。別に客席に下りてきて食いつくわけではありません。仲入りでざわついた客席を鎮めながら、後半の高座につなげる役割があります。
その後に膝前と呼ばれる落語家が出てきますが、しばしばトリより大物や協会幹部クラスが出演します。しかしここはあっさりと短く演じて引っ込むのがお約束です。
そして膝替りと呼ばれる色物の芸人を挟んで、最後にお目当てのトリが出てきます。この人だけは20-30分程度の長い噺ができます。逆にいえば、長い噺が出来なければトリにはなれません。

落語家というのは決してバカではなれないし、利口な人は決してならないというビミョーな職業です。
そして寄席は世界中探しても日本にしかない空間です。是非足を運んでください。

2006/03/01

前原民主党代表は辞任すべきです

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民主党・前原代表は辞任すべきです。そう思う理由は二つあります。
その一つは、昨日永田議員が謝罪会見した“偽メール”問題への対応です。本来この問題は、良く言えば軽率、悪く言えばオッチョコチョイの一議員が功を焦って起こした判断ミスです。間違いではあるが悪事を働いたわけではないですから、党首脳部がいち早く誤りを認め謝罪すれば良かった。

2月18日に民主党は問題のメールを公開しましたが、一見しただけでニセモノと分かるお粗末なものでした。このメールを国会で取り上げた時、数時間後には小泉首相が「ガセネタ」と断じましたが、この言葉の品格は別として、短時間にニセモノと結論が出されてしまうような代物であったわけです。
しかし前原代表を始め党執行部は、確かな証拠と強弁を続け、日に日にキズを深めてしまった。
ここに至ってはもはや一議員のミスではなく、党全体の判断ミスとなりました。
これを指揮してきた前原氏の責任は免れません。

もう一つは、2月22日に行われた党首討論です。
当時メール問題がテーマになるとのことでしたので、今回党首討論というものを初めて見ました。
結論は、あれは討論ではありません、例えていうなら大人と子供、教室で生徒が質問して先生が答えている、そうとしか見えません。質問側の論旨は不明快であり、総理の側から「前原代表も大変でしょうが頑張って欲しい」と激励される始末です。
この映像を見て感じたことですが、小泉総理と前原代表は同質の人間です。質が同じなら、識見やキャリアが上位の人物が優勢となります。小泉首相嫌いを自認する私から見てもそう映るのですから、まず間違いないでしょう。
前原氏が代表を続けるなら、民主党の政権など“夢の又夢”です。

ホリエモンと武部ファミリーとの関係は、ただならぬモノがあることは容易に想像つきます。
メール問題が発生してから以後、勝者のはずの武部幹事長の顔色がなんとなく冴えないのは、その辺りに理由があるのでしょう。
無所属候補の立候補声明に党本部を使わせたり、自民党の大物を次々応援に送り込んだり、まして堀江被告の広島カープ買収にまで手を貸すなどということは、通常の自民党幹事長と一無所属議員との間ではありえません。
ただ両者の間で実際に金銭の受け渡しがあったかどうかは分りませんし、確実な証拠が無い以上は国会など公の場で取り上げるべきではありません。

今国会は、耐震偽装、ライブドア事件、米国産牛肉輸入、防衛施設庁の汚職、在日米軍再編問題、公務員制度の見直しなど、大きな課題が山積みです。
それもこれも、この偽メールがぶち壊しにした感があり、何よりいけないのは今後野党の追及の矛先が鈍ることでしょう。
民主党の責任は重大です。

今回の偽メール問題の責任をとって、潔く前原氏は代表を辞任すべきです。
何にせよ、総理の引き立て役となって、総理から激励されるような野党党首は不要です。

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