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2006/03/31

「中野島」界隈

Nakanosima
3月20日川崎市多摩区中野島のマンションの15階から、小学校3年生の男の子が転落死した事件は、殺人事件の可能性が高いということで本格的な捜査が始まりました。事実とすれば大変痛ましい事件で、一日も早い解決が望まれます。
中野島は私の母親の生家があり、戦争中は家族が疎開していた場所であり、その後我が家が建って私も20歳から4年間その家に住んでいました。母方の親戚も多くは中野島周辺で暮らしていますので、今でも年に数回は行く機会があります。この辺りの地域は、私が物心ついてから現在までの記憶が詰まっています。

多摩川の流れに沿って、立川から川崎までJR南武線が走っています。そのほぼ真ん中辺りにこの中野島があります。地元の人は「なかんしま」と発音していました。立川寄りと多摩川の向こう岸は東京都という、変わった地域です。私が幼少時には、この地域の殆どの家は農家でした。子供たちもある年齢に達すると農作業を手伝うので、地元の小中学校も農繁期には学校が休みでした。
母の生家は中野島駅から歩いて10分程度ですが、その間数件の家しかありませんでした。
一戸当りの田畑が小さく、決して豊かとはいえない生活でした。それでも都市近郊農業と、関東地方では有数の梨の産地という特徴を生かした農業経営で、当時の農村としてはまずまずの生活を送っていたと思います。

かつては多摩川の堤には沢山の桜が植えられていて、特に近くの稲田堤は東京近郊では桜の名所として知られていました。それと夏には京王多摩川の花火大会がありましので、住民はお花見と花火大会が最大の娯楽でした。
住民はお互いを屋号で呼び合い、ドアに鍵を掛ける家など1件も無かった。祝い事や寄り合いがあれば、自家製のドブロク(もちろん違法)を持ち寄り、どんぶりであおるという生活です。

JR中野島の駅の傍に佐吉という中年の男性が住んでいました。苗字は誰も知らず、さきっちゃんと呼ばれていました。さきっちゃんは恐らく知的障害者だったと想像されます。
時々物乞いに各家を周っていましたが、貧しい農村であったにも拘らず、殆どの家ではさきっちゃんに食べ物を渡していました。その度に、さきっちゃんは「お貰い申します」と丁寧に頭を下げていました。
当時の日本では、障害のあるひとにを周りが助けるという、地域コミュニティが存在していました。
今年1月ミャンマーに行った時、ある観光地で現地ガイドが「絵葉書を買うなら、この人から買ってあげて」と声が掛かりました。物売りは若い知的障害者でした。一人暮らしですが、こうした物売りと近所の手伝いで生活を維持しているそうです。本人は自分が軍人だと思っていて、顔を会わせる度に階級が上がったと得意になって話してくるのだそうです。様子を見ていると、地元の人々から可愛がられていることが良く分かりました。
かつての日本の姿を思い出しました。

戦後日本の経済復興に合わせて、南武線沿線に大きな工場が立ち並び、中野島の子供たちも中学を終えると皆そうした企業で働くようになりました。同時に中野島地区も、東京や川崎、横浜への通勤者のベッドタウンに変貌します。
1960年代に入ると、農家はこぞって田畑を宅地として売り払い、あるいは土地にアパートを建てて、億万長者が続出します。農家の多くは、不動産管理会社へと転換しました。もっとも子弟が農家を継がず、サラリーマンになったので後継者がいなくなったという事情もあります。
地元の話題も、あの家は今度何階建てのマンションを作っただの、親父さんが亡くなって遺産が何億円だったとか、どこそこの家は相続税3億円を現金で払ったとか、そうした話題が主になりました。後はお定まりの遺産争いが続発し、兄弟や親族が仲たがいするようになります。
地元で商店や勤め人をしていた家から見れば、農家は濡れ手で粟の大金を得ていくのが面白くない。かくして地域コミュニティが次第に壊れてゆきました。
さきっちゃんは、そうした地域の変化を見ることなく、1950年代に亡くなりました。

中野島は今でも多少田畑が残っていますが、新しいアパートと高層マンションが立ち並ぶ光景に一変しています。
昔あれほどあった子どもの遊び場は、今は殆ど見当たりません。数十億円を手にした土地成金の中で、児童公園のために用地を提供する人は誰も出てきません。
当時と比べ遥かに豊かになった今、もしさきっちゃんが生きていたら自活が出来ないでしょう。

地域コミュニティの破壊に経済格差の拡大と、中野島地域の変貌は日本社会全体の姿だと思います。
この中で、セイフティネットが破壊され、その矛先が子供や弱者に向けれれていく、こうした社会を変えてゆかない限り、これからも同様な悲劇が繰り返されると思います。

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