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2006/04/23

「凶暴」な法律、「共謀罪」法

Ishiharanobu
「共謀罪」法案の審議が4月21日衆院法務委員会で始まりました。正式には「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」という長い名称だそうですが、与党はGW前の28日にも採決を行う方針でいます。この法案の中身を見ると、大変問題の多いというよりは極めて危険性の高い法案だと言えます。
2000年11月、国連総会で「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」が採択され、日本も署名しました。これを受けて国内法の整備もしなければいけない、ということで提案されたのが「共謀罪」法案です。確かに国境を越える組織犯罪に対して、国際的な協力体制を作って対処しなければならないのは事実でしょう。
しかしこの法案が通れば、4年以上の懲役・禁固刑を定めるすべての犯罪(600以上)を対象とし、その犯罪を「団体」(二人以上)が「共謀」(つまり相談や合意も含む)した場合、最高5年の懲役に問われることになります。

元々の条約では、対象となる犯罪は、金銭的利益その他の物質的利益を得ることを目的としたものに限定されるなど、いくつかの限定条件がついています。
処が今回の法案にはそうした限定がなく、4年以上の懲役・禁固刑を定めるすべての犯罪(600以上といわれる)を対象としています。日本の刑法では法定刑の幅が広いので、重大な犯罪とまではいえないものまで含まれてしまいます。
例えば万引きは窃盗罪ですので、刑罰は10年以下の懲役です。この他選挙演説の邪魔をする(4年以下の懲役)、選挙ポスターに落書きする(4年以下の懲役)、著作権侵害(5年以下の懲役)、無免許で酒をつくる(5年以下の懲役)、相続税逃れ(5年以下の懲役)などの、およそ国際的組織犯罪とは関係なさそうなものまで、全てが含まれることになります。
我が国には「組織的犯罪処罰法」がありますが、対象となる犯罪が11に限定されています。これに比べても余りに対象が広すぎるといえます。

共謀というと、何となく一味が集まって悪巧みをするという響きがありますが、今回の「共謀罪」法では政府は、暗黙の了解で共謀罪が成立する場合があると認めています。一同に会した話し合いがなくても、計画を知っていて黙認しただけでも、あるいは、目配せをしただけでも、共謀罪が成立する可能性があるともいっています。
しかも、じっさいに犯罪行為も準備もしていない段階でも罪となります。いったんやろうという合意ができて、あとでやめることにしたとしても処罰の対象となる、という答弁がありました。
つまり共謀罪は、特定の犯罪がまだなにも実行されていない段階で成立してしまいます。ここにこの法律の恐ろしさがあります。

日本の刑法では、「犯罪を実行し結果を発生」させた段階ではじめて処罰するのが原則です。「思想ではなく行為を罰する」という大原則があるからです。
従来の刑法では、あいつをやっつけようと友人と相談しただけでは、犯罪として罰せられることはありません。実際に暴力をふるい相手に怪我をさせた段階で、始めて処罰を受けるのです。
今回の「共謀罪」は、600を超える犯罪に対して、「犯罪を合意した」段階で処罰しようというものですから、「思想ではなく行為を罰する」という刑法の原則を根本から崩すものだといえます。

「共謀」罪を立証するためには、「共謀」を行った証拠が必要ですが、その証拠は、主に会話や通信の記録です。そのために捜査当局は会合に潜入して録音したり、盗聴したりせざるを得ないでしょう。自首した場合は刑が減免される規定があるため、密告の奨励につながる可能性もあります。
「共謀罪」が成立すると、「組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪から国民をより良く守る」どころか、多くの国民を、いつ自分も検挙・処罰されるかわからないという疑心暗鬼、相互監視の社会におとしいれる恐れが高いと思われます。

この法案の法務省のQ&Aを読むと、この法案の目的はあくまで国際的な組織犯罪の対処するためと強調していますし、上記の意見は少し考え過ぎだという声もあるでしょう。
しかし法律は一度成立すると、当初の思惑や目的を越えて、一人歩きするものです。戦前の治安維持法や、戦後の破壊活動防止法の運用がそれを示しています。
現に暴力団を処罰するためと言っていた「組織的犯罪処罰法」ですが、弁護士法違反を問われている西村真悟議員は、組織的犯罪処罰法でも起訴されています。
警察が、過去に「中央公論」の読者名簿を作成していた事があったことを、私たちは忘れてはならないと思います。

又本法案については、与党修正案が出されるようですが、内容を見る限りでは、元の法案の趣旨を変えていないようです。

自由とか平和というのは、手に入れるまでは大変な苦労を伴いますが、いったん手に入ると次第に有難味が薄れてきます。
このような問題の多い法律を、与党が「共謀」して強行しないよう、監視の目を強めていく必要があると考えます。

2006/04/20

春歌が溢れる映画「寝ずの番」

Nezunoban
4月15日に鈴本演芸場へ、桂三枝が鈴本初登場ということで満員の客でした。豪華な顔ぶれの割に中身が薄く、全体としては不満が残りましたが、お目当ての三枝だけは、さすがでした。私は三枝は2回目でしたが、今回の高座は少々お疲れの感がありましたが、そのサービス精神だけは客席に十分伝わり、お客は満足して帰ったと思います。
東京ではなかなか見る機会が少ないのですが、上方の落語家は総じてサービス精神が旺盛で、とにかく愛嬌があります。高座の出でも、東京の噺家は横向きに出てきて、座布団に座った時に客席を眺めますが、上方の噺家は三枝のように、高座に出た段階で客席に一礼する人が多い。
演芸の主体が漫才だという大阪と、落語が主役の東京の違いなのでしょう。
その上方の落語家の世界を描いた映画「寝ずの番」が、現在公開されています。

原作は一昨年52歳の若さで急逝した異色の作家中島らもの小説で、監督はマキノ(津川)雅彦です。マキノの祖父省三は日本映画の父ともいうべき名監督でしたし、叔父雅弘は監督として生涯261本の作品を映画史に残した娯楽作品の名手でした。
マキノ雅彦は日本映画の伝統である「洒落と粋」を再現させたいと、この映画作りに取り組んだそうです。

ストーリーは寝ずの番つまりお通夜をテーマに、上方落語家の重鎮、その一番弟子、師匠の女将さんが次々と亡くなり、そのそれぞれの通夜の席で、所縁の人々が故人の思い出話をするというものです。その大半がいわゆる猥談ですから、ボッカチヨの「デカメロン」のような趣です。
又映画の作りは、かつて伊丹十三が監督した「お葬式」に似ていて、遺体の目から会葬者を見上げるショットは、同じ手法を使っています。
R-15に指定されているのは、映画の始めから最後まで、放送禁止用語がマンサイのせいでしょう。
この映画の本当の主役は春歌(春の歌ではありません。ワイセツな歌詞の歌、Y歌です。)です。
私たちが若い頃は、宴会といえば春歌が定番でした。しかし最近は、とんと聞く機会が減りました。多分若い人は、耳にする機会も無いでしょうね。
このまま行けば、日本の伝統文化の一つである春歌が、絶滅しかねない。今回の映画制作者には、そうした危機感があったのではないでしょうか。
特に最終シーンで、昔売れっ子芸者だった女将さんの通夜に、昔の馴染客であったタクシー運転手が弔問に来て、落語家とその奥さんたちと、延々と春歌合戦を繰り広げ、歌い踊り狂うシーンは圧巻で、可笑しくて可笑しくて涙がでました。

この映画のもう一つの魅力は、キャスティングの妙です。
中井貴一や木村佳乃といった俳優に、春歌や隠語を連発させている意外性もありますが、師匠を演じる監督の実兄長門裕之(久々にスクリーンで見ました)、一番弟子役の笹野高は揃っての名演。
そして何と言っても女将さんを演じた富司純子のなんという上品な色香。自分の通夜に芸者姿で登場して、春歌版「十三夜」を舞うその美しさと香りたつような色気、短いシーンでしたがウットリと見とれていました。

日本映画の良さを残して行きたいという、映画作りの熱気が感じられる作品でした。

2006/04/18

「高利貸し」とはナンギな商売

Aifuls
高い金利で他人に金を貸すことを、かつて「高利貸し」と言っていました。名は体を現すとても良い表現だと思っていましたが、最近はあまり聞かれなくなりました。
1970年代の「サラ金」と云われていた時代から、1980年代には「消費者金融」に看板を書き替えました。
私は事業者向け貸し出しの「商工ローン」を含めて、「高利貸し」と呼ぶのが最も相応しいと思います。

金融庁は14日、強引な取り立てなど違法行為が多発したとして、消費者金融大手「アイフル」に業務停止命令を出したと発表しました。
以前にもやはり業界大手の「武富士」に不祥事がありましたが、上場する消費者金融大手に対する全店の業務停止命令は初めてですから、よほど手口が悪質だったのでしょう。
金融庁によると、顧客に無断で委任状を作って所得証明を取ったり、債務者に第3者から資金を調達するよう執拗に要求したり、債務者の母親や勤務先に電話して債務者らを困惑させた行為があったとされており、これらはいずれも違法な取立てです。
消費者金融各社のCMでは、なぜかグラビヤアイドルが「ご利用は計画的に」と微笑んでいますが、あれは止めた方がいい。ここは時代劇の悪役スターに、「借りた金は返せよ」とすごんで貰うCMに差し替えて欲しいですね。

消費者金融が急成長したのは1990年代の初めで、TVコマーシャルの規制緩和と無人契約機の導入が追い風となりました。同時にその時期がバブル崩壊と重なり、利用者が一気に増えたこともあります。又利用者個人の情報を、業者間で共有するシステムが出来上がり、与信が厳しくなりました。
一方で金利や取立てに対する規制が強化された結果、中小の業者が撤退して大手に集約される傾向が強まりましたが、同時にそうした業者から借りられない人々が「ヤミ金」に流れ、暴力団の資金源となっています。

一方「借りたものは返す」ということは、社会生活の大事な約束で、このルールが無視あるいは軽視されるなら、モラルハザードが起きます。
金銭の貸借があり返済が滞れば、「取立て」は避けられません。銀行だろうと一般企業だろうと、必ず取立ては行っています。
企業の営業部門にいた方なら、債務の返済を求めに行く、つまり取り立ては誰でも経験しているでしょう。債務者が倒産でもすれば、相手先の会社に乗り込んで、商品を回収した経験もあるでしょう。倒産企業の経営者の身柄を押さえて、返済を迫ったことも経験されたかも知れません。
経済活動を行う上で、「取立て」行為そのものは避けられない行為です。
金貸しを業として行い、しかも無担保で連帯保証人も不要となれば、取立ては重要な業務です。仮に返済できない人に、そうかそうかと言って取立てをしなかったら、金融業は成り立ちません。直ちに倒産です。
もし低利でお金を貸してくれ、取り立てもしない金融機関があったら、とても便利でしょうが、そんな所には誰もお金を預けないでしょう。

では「高利貸し」というものは、社会にとって百害あって一利なしであれば、いっそ廃止したらよい。借金をする人がいなければ、高利貸しは自然と消滅しますが、そうは簡単にいかない。
そのためには、消費者金融を利用する人がなぜお金を借りるのかを調査する必要があるでしょう。原因は生活苦に決まっているだろうと言われるかも知れませんが、私の周辺で見る限りは、原因の第一位はギャンブルです。
ギャンブルー生活苦ー借金ー返済ー生活苦ー借金のスパイラルです。そうであれば、ギャンブルに対する規制を強化しなければ、消費者金融問題は解決しません。
あるいは家族の病気が引き金になったケースも多いかも知れません。この場合は医療制度とつなぎ資金の融資制度の検討が求められることになります。
とにかく利用者の実態を調査し、原因を分析し、具体的な対策を講じる、この事が一番肝心なのではないでしょうか。

金融庁は現在、出資法の最高年利29.2%と、利息制限法での最高金利(元本10万円以上100万円未満であれば年利18%)との食い違い、いわゆるグレイゾーンの解消を目指しているようです。この政策だけでは、金利引下げ→与信の厳格化→ヤミ金の増殖 を招きかねないという観測もあります。
モグラ叩きのような個別企業取締りや、小手先の金融政策だけでは解決になりません。

俗に犯罪の原因は、「痴情、怨恨、もの盗り」と言われていますが、多くはお金の貸し借りが絡んでいます。
犯罪の抑制のためにも、抜本的な対策が必要でしょう。

2006/04/15

「ユダは裏切り者」だったか?(その2)

Papers
今回このテーマを選んで、ただいま後悔しているところです。
しかし書きかけで放り出すのもナンですから、続けることにしましょう。
今回米国ナショナル ジオグラフィック協会から発表された文書によれば、初期キリスト教文書『ユダの福音書』の現存する唯一の写本を含むコプト語のパピルス文書が、専門家チームによる鑑定、修復、翻訳を経て、その一部が公開されました。

コプト語の写本の元になった『ユダの福音書』のギリシャ語の原典は、正典福音書の成立期から紀元180年までの間に、初期のグノーシス派に属する人々によって書かれたようです。
しかしこの原典は、存在は当時の文献から推定されているようですが、実物は発見されていません。グノーシス派は、真の救済はイエスが側近たちに伝えた秘密の知識を通じてもたらされると考え、この秘密の知識は魂を物質的な肉体から解放し、人間の内部にもともとあった神とのつながりを復活させるものだと主張しました。さらに彼らは、イエスの父である神は、物質世界を創造した旧約聖書の神より、上位の存在だと信じていました。
「ユダ福音書」は、グノーシス派の考え方が色濃く反映されたもののようです。

このコプト語のパピルス写本は、紀元300年ごろに書かれたとみられます。この写本は1970年代にエジプトのミニヤー県付近の砂漠で発見され、エジプトからヨーロッパを経由して米国に持ち込まれました。その後複雑な変遷をたどった後、専門家チームが結成され、調査が始まりました。
パピルスの放射性炭素年代測定や、インクの成分分析から、この写本が当時のものであることが確認されました。

さて「ユダの福音書」の冒頭には、「過越(すぎこし)の祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」と書かれています。つまり最後の晩餐を行う以前の1週間に、イエスとユダがさしで話し合いをしたというわけです。
福音書の初めの部分で、イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。

イエスはユダにこう語ります。「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」。ユダはイエスから物質である肉体を取り除くことによって、内なる真の自己、つまり神の本質を解放するというのです。
この福音書からは、キリストがユダに対してと格別の信頼感を持っていたことが、窺われます。
たとえばイエスはユダに、「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」と語っています。
また「お前はこの世代の他の者たちの非難の的となるだろう――そして彼らの上に君臨するだろう」とイエスは言っていますが、非難は当っていますが、君臨は外れてしまったようです。
福音書の最後には、「彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した。」と書かれていますが、その後のキリストの磔刑や復活については触れられていません。

この記述通りであれば、キリスト処刑当日の使徒たちの行動は、辻褄が合います。キリストの意図を、当初は彼らが理解できなかったということなのでしょう。

私は前回に記したように、旧約聖書のイザヤの預言を、キリストが実行しようとしたのではないかと考えていました。
「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。」
「彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」
「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」
イザヤの預言は、キリスト自身の死によって実現されたと考えます。

いずれの理由にせよキリストの死は避けられないし、教祖の死は教団の消滅を招きかねません。とすれば、弟子たちがこぞって反対したかも知れません。
処刑当日、彼らが姿を見せなかったのも、そうした理由からでしょう。
しかしキリストの死と復活を経て、初めてその死の意味を理解し、キリストの思想に深く帰依した使徒たちは命がけで布教活動を開始し、その後の教団の隆盛をもたらしました。
教団組織の側から見れば、教祖の命と引き換えに、繁栄を手に入れたことになります。

それがユダという一人の使徒の裏切りの結果なのか、キリスト個人の意思によるのか、キリストと一部の弟子による計画なのか、あるいは教団全体の合意によるものか、2000年前の出来事にはまだまだ謎が多いようです。

2006/04/13

「ユダは裏切り者」だったか?(その1)

Juda
最近「ヤッパリソウダッタカ」と、膝を打った出来事がありました。それは4月7日マスコミ各社が、「ユダは裏切り者でなかった?」という古文書について、一斉に報道したことです。
ユダといえば、キリストを裏切って敵側に引き渡した人物として知られ、裏切り者の代名詞ともなっています。ダヴィンチの有名な絵画「最後の晩餐」でも、ただ一人光冠(聖人の印である頭の上の輪)が描かれていません。
それが裏切りでなかったとしたら、歴史を書き換えなければなりません。

このブログの別館(My Link参照)で、昨年の9月6日から10月30日にかけて、「イスラエル紀行」を21回にわたり連載しましたが、その中でユダがキリストを裏切ったとされていることに、疑問を投げかけていました。
詳細は別館の記事(2005年10月掲載)を読んで頂くことにして、その疑問の要点は次の通りでした。

①最後の晩餐でのユダの席が、キリストの直ぐ近く、多分隣の席であったと推定されます。この時の晩餐は宗教的行事として行ったものなので、席順は教団内部の序列に従っていた筈です。ユダは高い地位についていたか、あるいはキリストの信任が厚かったか、いずれにしろ重要なポストにいたことが窺われます。

②晩餐の席上でキリストがユダを裏切りを予告するのですが、その後の逮捕・処刑を回避する態度が見えないこと。それどころかユダが退席した後、キリストは自分の流される血が、神との新たな契約となることを予告しています。全てが「想定内」だったのではという疑問です。

③その直後キリストはゲッセマネの園で最後の祈りを捧げるのですが、ここでも自らが十字架で死ぬことを受け容れています。この時最も信頼する使徒3名を伴うのですが、キリストが祈っている最中に、3人ともぐっすりと眠りこけてしまうという暢気さが気になります。

④イエス処刑当日の12名の使徒の行動が、余りに不可解です。教団トップが処刑されるという天下の一大事なのに、誰一人として何もしようとしません。
特に最も忠実な使徒ペテロに至っては、イエスに「死ぬまであなたについて行きます」と言うと、イエスは「お前はニワトリが鳴く前に、私のことを知らないと3回言うだろう」と言われてしまいます。翌朝イエスが捕らえられ、周りから「あなたの知り合いでしょ」と聞かれると、ペテロは「いや知らない」と本当に3回言うことになります。そこでニワトリが「コケコッコー」と鳴き、ハッと気が付くというボケぶりです。
この使徒たちの緊張感の無さは、何なのでしょう。

⑤その一方、キリストの裁判から処刑、遺体の安置に至る過程で、キリストに手を差し伸べる人も出てきます。ただし活躍するのは、アリマタヤのヨセフ、クレネ人シモン、ベロニカ、マグダラのマリアなど、使徒以外の人々ばかりです。

キリスト教の正典である聖書が、その日の使徒たちの行動を書き留めなかったのは、何か理由があったのでは、というのが私の疑問です。
この疑問を解く鍵は、旧約聖書のイザヤ書にあると思います。
イエスは、イザヤが預言していた救世主の通りに生き、そして死んでいったと考えれば、イエスの処刑はその完成を意味しています。
ユダの行動はキリストの意向に沿ったものではないだろうかというのが、これが私の推論でした。

この項、次回に続きます。

2006/04/10

「アニキ」金本選手の世界記録

Kanemoto
「アニキ」の名でファンに親しまれている、阪神タイガースの金本知憲(かねもとともあき)選手が、4月9日の横浜伝戦で、連続試合フルイニング出場を904試合に伸ばし、世界新記録を達成しました。
これまでの記録は、米大リーグのカル・リプケン内野手が1982年~87年に作った903試合です。大リーグとは同じ条件で比較できないものの、前人未到の大記録であることは間違いありません。
野球選手にとって、約7年間1日も休まず、連続して試合に出るだけでも大変なことですが、金本選手の場合は全イニングに出ているわけですから、これはもう超人的としか言いようがない。

記録達成には不可欠な要素がいくつかあります。
先ずレギュラーとしての実力があること、極端な好不調の波がないこと、打つだけではなく守りも良いこと(試合途中から守備要員と交代されない)、足が速いこと(代走をだされない)、これらが先ず必要です。
加えて病気や怪我をしないこと、そしてもし怪我をしても、痛みに耐えて試合に出る不屈の精神があることが要件です。
今回の大記録にとって最も大きなピンチは、2004年7月に死球で左手首を骨折した時でした。金本はその時も一日も休まず、右手1本で打撃を行い、骨折した左手にグローブをはめて守備につきました。どうやってボールを捕るかと聞かれると、金本は腹で捕ると答えたそうです。

金本選手は1992年に広島カープに入団しましたが、身体は決して大きい方ではなく、体力に恵まれていたわけではありません。それを筋力トレーニングによって鍛え、怪我をしない、又怪我に強い身体に作り変えていきました。
そうして広島カープの中心選手となり、FA移籍後2003年のシーズンから阪神の選手として活躍しています。プロデビュー戦も、大記録のスタートとなった試合も、相手は阪神タイガースでしたから、元々阪神とは運命的な出会いがあったのでしょう。

阪神といえば、金本に破られるまでの日本記録(700試合)は、元阪神の三宅内野手が持っていました。三宅は名三塁手で、当時吉田遊撃手(元監督)と鉄壁の三遊間を形成して活躍していました。不幸なことに、練習中ボールを目に受けて選手生命を絶たれてしまい、記録も途絶えてしまったのですが、金本選手が後を立派に受け継ぎました。
広島カープにはもう一人鉄人がいました。17年間にわたり2215試合に連続出場した衣笠選手です。
プロ野球の鉄人が二人とも広島カープ出身であるのは、偶然ではないのかも知れません。

長期に亘って自己を律するというのは、大変な精神力です。金本の場合既に38歳で、引退してもおかしくない年齢です。その中にあって、依然として中心選手として活躍する「アニキ」金本の姿に、多くの中高年の人々が励まされるでしょう。若い人たちには、「継続は力なり」を身をもって示してくれたと思います。
オリンピックの金メダルとは、また別の価値のある大記録です。コイズミさんも良く聞いておいて下さいよ。

これからも金本選手には活躍を続けてもらい、阪神タイガースの連覇達成という悲願も、是非実現して欲しいと思います。

2006/04/09

三遊亭圓丈独演会in横浜にぎわい座

Enjou
三遊亭圓丈、知る人ぞ知る噺家。つまり知っている人は良く知っているが、知らない人は全く知らない、そんな存在です。
名人圓生の直系の弟子ですが、まあ異端児といって良いでしょう。古典落語が多い落語協会の中にあって、新作落語の雄です。
この人の「新寿限無」などは一聴して抱腹絶倒、正に無形文化財ものです。
圓丈の作った新作は、多くの落語家によって演じられていますから、昨年国立演芸場で行われた還暦祝いの落語会では、沢山のゲスト噺家が出演しました。
4月7日に横浜にぎわい座で行われた独演会のゲストは、柳家喬太郎でした。
客席は空席が目立ちましたが、客の多くは圓丈の熱心なファンで、さすが知る人ぞ知る、です。

1席目は「手紙無筆U.S.A.」。お馴染みの「手紙無筆」をアレンジしたもので、10年前に他の噺家向けに作ったそうですが、当時受けずにお蔵入りしていたのを、9年ぶりに自演してみたとのことです。
手紙がFAXに変わり、しかも英文という設定で、英語が全く分らない人間と、しったかぶりする兄いとの掛け合いの面白さで聞かせます。所々に圓丈らしいナンセンスギャグが散りばめられて、笑いを誘います。

ゲストの喬太郎、当日は池袋演芸場昼の部のトリが圓丈でしたが、この日の独演会のために休演して、喬太郎が代演したのだそうです。そうしてこの横浜にぎわい座に駆けつけたら、未だ圓丈が来ていなかった。私は何のために代演したのだろうとマクラを振っていました。
ネタは「寿司屋水滸伝」、この噺、大して面白いネタではないのですが、喬太郎は雰囲気で聞かせてくれます。

圓丈の2席目は、古典のしかも大ネタ「居残り佐平次」でした。圓丈が未だ二ツ目というからぬう生の時代でしょうか、それ以来30年ぶりだと言ってました。
なぜ60歳を過ぎて古典に再挑戦なのかその理由ですが、師匠の圓生が持ちネタ400席を、日々絶えることなく稽古していた姿を思い出したとのことです。その直弟子たちも次第に衰えてきて、三遊亭の看板を背負っているのだから、やはり古典に挑戦してみようということで、今回の高座となったようです。
古典を演じると、さすが師匠圓生と口調が似ています。主人公佐平次の厚かましくてお調子者で、そしてワルという人物がくっきりと描かれていました。

3席目は、名作「肥辰一代記」。全編糞尿まみれの話でスカトロファンには堪りませんね。
これでもかこれでもかというギャグの連発で、客席は笑いに包まれました。
こうした題材の噺でも決して下品にならない、この辺りが圓丈の芸の力です。
久々に圓丈を堪能した一夜でした。

2006/04/06

世に偽ブランドの種は尽きまじ

Brand
2005年に全国の税関が差し止めた偽ブランド品など(知的財産権の侵害品)が、約13500件で過去最高となり、2004年に比べ47%も増加しています。これは数量が増えたのか、税関の取り締まりが厳しくなったのかは分かりませんが、いずれにしろ実際に輸入された偽ブランド品は相当な金額となっているのは間違いありません。
中国と韓国からの輸入が全体の9割を占め、中でも中国品は前年より87%増えて韓国を抜いてトップとなり、躍進ぶりを示しています。

私自身はブランド品に全く興味がありませんが、家族に頼まれて海外のブランド店で買い物をしたことは数回あります。どこに行っても、日本人の女性客が多いのが目に付きました。血相を変えて目的の品物を探す人、大きな袋に買い漁ったバッグを次々詰め込んでいる人もいます。
フィレンツエでイタリアブランドのバッグを買った時に、価格が2-3万円の小さなバッグが売られていました。店員に何に使うのか聞いたところ、日本人のお土産用として販売している商品で、実際に日本人しか買わないとの答えでした。欲しいのは商品では無く、ブランド(印)ということなのでしょう。
海外のブランド店で、日本人はあまり歓迎されていないと聞いたことがあります。確かに商品を沢山買ってくれるのですが、庶民的な格好の客が増えると、店の高級感が薄れるのだそうです。当店のバッグは、それに相応しいお客様に持って頂きたいということなのでしょう。
売り上げに貢献しているのに、迷惑がられているのですから、日本人はいい面の皮ですね。

数年前に中国の青島に行った時に、初めて偽ブランド品を買いました。中国人に同行をお願いして、現地の人が買い物をする偽ブランド店に連れて行って貰いました。大きなショッピングセンター内に数店ありましたが、案内してくれた中国人が推薦してくれた店に入ると、中は現地に若い女性で一杯でした。
店員から希望の商品は何かと聞かれたので、取り敢えずルイヴィトンのバッグと答えたら、1級品か2級品かと聞かれ、1級品と答えました。そるとルイヴィトンの最新カタログを持ってきて、この中のどれが希望かと聞かれました。最新の商品まで全て取り揃えてあるのだそうです。
そこで1年前に娘に頼まれて購入したタイプと同一のバッグ、中年女性向けの落ち着いたデザインのバッグと、定番の財布を指で示しました。

店員はそれぞれの商品を数点ずつ取り出してきて、気に入ったものを選んでくれと言いました。偽ブランドと言っても出来不出来があるそうで、客自身が1点1点品質チェックする必要があるそうです。なかなか商売が良心的ですね。
良くわからないので、適当に3点選んで購入しましたが、合計で1万円でおつりがきました。ルイヴィトンのマークの入った布袋やダンボールに包まれ、丁寧に製造番号まで入っていて、この辺り実に芸が細かい。
更にローレックスの時計を1万円でどうかと勧められましたが、そちらはお断りしました。
とにかく安い!という印象は受けました。

せっかくの機会ですから、店員に中国の偽ブランド事情を聞きました。
先ず製造工場ですが、現在世界各国のブランド品の多くが、コストの安い中国で生産されているそうで、製造技術も必要な資材も手に入るから、これだけ精巧な物が出来ると言ってました。又韓国や他の東南アジアで売られている偽物も、殆ど中国から供給しているとの説明でした。

その後日本へ持ち帰って、そのうちの1点は娘が本物を持っているので、早速彼女に比較して貰いました。隅々まで検査した結果、本物との違いは細かな所数ヶ所が見つかっただけで、普通に使っているぶんには区別がつかないという結論でした。
本物は確か12万円ほどでしたから、3000円との価格差は余りに大きい。売値が3千円ということは、メーカー出荷価格は1500円以下でしょう。とすればコストに対する売価の比率は100倍近いことになります。ブランド品の製造原価がいかに安いか、流通コストと利幅がいかに莫大なものかが、これで窺われます。
ブランドの付加価値は当然としても、売価が適正レベルかどうかは大いに疑問です。

一部日本人の盲目的なブランド信仰と、ブランド企業側のいびつな価格体系が共存する限りは、法の網をかいくぐっての偽ブランドの輸入は、これからも続くでしょう。
世に偽ブランドの、チョ~ン、あっ、種は尽きねえ。

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