春歌が溢れる映画「寝ずの番」
4月15日に鈴本演芸場へ、桂三枝が鈴本初登場ということで満員の客でした。豪華な顔ぶれの割に中身が薄く、全体としては不満が残りましたが、お目当ての三枝だけは、さすがでした。私は三枝は2回目でしたが、今回の高座は少々お疲れの感がありましたが、そのサービス精神だけは客席に十分伝わり、お客は満足して帰ったと思います。
東京ではなかなか見る機会が少ないのですが、上方の落語家は総じてサービス精神が旺盛で、とにかく愛嬌があります。高座の出でも、東京の噺家は横向きに出てきて、座布団に座った時に客席を眺めますが、上方の噺家は三枝のように、高座に出た段階で客席に一礼する人が多い。
演芸の主体が漫才だという大阪と、落語が主役の東京の違いなのでしょう。
その上方の落語家の世界を描いた映画「寝ずの番」が、現在公開されています。
原作は一昨年52歳の若さで急逝した異色の作家中島らもの小説で、監督はマキノ(津川)雅彦です。マキノの祖父省三は日本映画の父ともいうべき名監督でしたし、叔父雅弘は監督として生涯261本の作品を映画史に残した娯楽作品の名手でした。
マキノ雅彦は日本映画の伝統である「洒落と粋」を再現させたいと、この映画作りに取り組んだそうです。
ストーリーは寝ずの番つまりお通夜をテーマに、上方落語家の重鎮、その一番弟子、師匠の女将さんが次々と亡くなり、そのそれぞれの通夜の席で、所縁の人々が故人の思い出話をするというものです。その大半がいわゆる猥談ですから、ボッカチヨの「デカメロン」のような趣です。
又映画の作りは、かつて伊丹十三が監督した「お葬式」に似ていて、遺体の目から会葬者を見上げるショットは、同じ手法を使っています。
R-15に指定されているのは、映画の始めから最後まで、放送禁止用語がマンサイのせいでしょう。
この映画の本当の主役は春歌(春の歌ではありません。ワイセツな歌詞の歌、Y歌です。)です。
私たちが若い頃は、宴会といえば春歌が定番でした。しかし最近は、とんと聞く機会が減りました。多分若い人は、耳にする機会も無いでしょうね。
このまま行けば、日本の伝統文化の一つである春歌が、絶滅しかねない。今回の映画制作者には、そうした危機感があったのではないでしょうか。
特に最終シーンで、昔売れっ子芸者だった女将さんの通夜に、昔の馴染客であったタクシー運転手が弔問に来て、落語家とその奥さんたちと、延々と春歌合戦を繰り広げ、歌い踊り狂うシーンは圧巻で、可笑しくて可笑しくて涙がでました。
この映画のもう一つの魅力は、キャスティングの妙です。
中井貴一や木村佳乃といった俳優に、春歌や隠語を連発させている意外性もありますが、師匠を演じる監督の実兄長門裕之(久々にスクリーンで見ました)、一番弟子役の笹野高は揃っての名演。
そして何と言っても女将さんを演じた富司純子のなんという上品な色香。自分の通夜に芸者姿で登場して、春歌版「十三夜」を舞うその美しさと香りたつような色気、短いシーンでしたがウットリと見とれていました。
日本映画の良さを残して行きたいという、映画作りの熱気が感じられる作品でした。
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「寝ずの番」は久しぶりに見る面白い日本映画ですね。
臨終間際の長門裕之が「そとが見たい」と言い出したのを「そそが見たい」と言っていると勘違いして、木村佳乃がスカートの中を見せるシーンがありすね。
それもパンティーを下ろして!!!
当然ですが普通このようなシーンの撮影にはパンティーを2枚履いて臨むそうですが、忘れて1枚しかパンティーを履いてこなかった木村佳乃は、それでも平然とこのシーンを演じたそうです。
このことを取り上げて彼女の女優魂を誉める文章を目にしましたが、筆者はどのようにしてこの事実を知りまた確認したのでしょうか?
本人または長門裕之に聞いたのでしょうか?
いくつになってもスケベ心が抜けず、余計な想像をしてしまうタケチャンマンです。
投稿: タケチャンマン | 2006/04/20 10:37
タケチャンマン様
私も実はシモネタが大好き人間なんですが、ブログの品位を落とすので、あまり記事にしないだけです。
男は歳をとると、体が言うことを利かなくなる分言語中枢が活発になり、猥談好きになるそうです。
この方が他人様に迷惑を掛けないですから、始末に良いかも知れません。
投稿: home-9 | 2006/04/20 14:44
タケチャンマン様
一つ言い忘れていました。
木村佳乃、やはり穿いていなかったそうですよ。
だって「美人穿くめい」、オソマツでした。
投稿: home-9 | 2006/04/20 23:26
HOME9さんに、座布団2枚!!
投稿: タケチャンマン | 2006/04/22 08:52
home-9さんとは、世代違うはずなんですが、私もよく歌いました。
地元の祭礼青年やっているときに、芸者会や祭礼当日に歌いました。
今月の初め、その地元の祭礼があったんですが、今の若い衆も歌うんですが、歌詞はあってるんだけど、節が違う。
節がおかしくなったのは、ここ二十年のことのように思います。
私は、祭礼青年を抜けてから、上若組大山車の笛をやっていましたが、この大山車の宴会でもよく歌いました。
大山車は、上若組と西若組の二輌があって、宴会は合同でやる。
同じ大山に乗っていてもうちは、大山車師匠、向こう(西若組)は、大山車係と呼び名が違う。
師匠といえば聞こえはいいが、ようは好きでやっている。向こうは、町内の係の一つ。
だから、向こうは、大山車に乗っていれば、町内のほかの役は免除になる。
というわけで、向こうは、結構年配の人もいる。
で合同で宴会やっても私たちの歌は、いま七十ぐらいの人の節とあっていました。
そういうことで、ここ二十年ぐらいで節が乱れたように思います。
ひとつには、芸者会をやるにも芸者がいなくなったというのが、原因のように思います。
今の若い連中、音感はいいわけですから、やはり接する回数ということでしょうか。
投稿: 柴田晴廣 | 2006/04/24 10:45
柴田晴廣様
コメント有難うございます。
そうですか、そうすると愈々春歌保存運動でもしないといけなくなりますね。
一つには、コミュニケーションツールとしての宴会が若い人から避けられ、全体に廃れてきつつあるということでしょう。
もう一つは花柳界の衰退があげられます。市民生活への花柳界の影響力が、どんどん減退しています。
伝統文化を守るという点から、考えさせられます。
投稿: home-9 | 2006/04/24 16:04