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2006/04/13

「ユダは裏切り者」だったか?(その1)

Juda
最近「ヤッパリソウダッタカ」と、膝を打った出来事がありました。それは4月7日マスコミ各社が、「ユダは裏切り者でなかった?」という古文書について、一斉に報道したことです。
ユダといえば、キリストを裏切って敵側に引き渡した人物として知られ、裏切り者の代名詞ともなっています。ダヴィンチの有名な絵画「最後の晩餐」でも、ただ一人光冠(聖人の印である頭の上の輪)が描かれていません。
それが裏切りでなかったとしたら、歴史を書き換えなければなりません。

このブログの別館(My Link参照)で、昨年の9月6日から10月30日にかけて、「イスラエル紀行」を21回にわたり連載しましたが、その中でユダがキリストを裏切ったとされていることに、疑問を投げかけていました。
詳細は別館の記事(2005年10月掲載)を読んで頂くことにして、その疑問の要点は次の通りでした。

①最後の晩餐でのユダの席が、キリストの直ぐ近く、多分隣の席であったと推定されます。この時の晩餐は宗教的行事として行ったものなので、席順は教団内部の序列に従っていた筈です。ユダは高い地位についていたか、あるいはキリストの信任が厚かったか、いずれにしろ重要なポストにいたことが窺われます。

②晩餐の席上でキリストがユダを裏切りを予告するのですが、その後の逮捕・処刑を回避する態度が見えないこと。それどころかユダが退席した後、キリストは自分の流される血が、神との新たな契約となることを予告しています。全てが「想定内」だったのではという疑問です。

③その直後キリストはゲッセマネの園で最後の祈りを捧げるのですが、ここでも自らが十字架で死ぬことを受け容れています。この時最も信頼する使徒3名を伴うのですが、キリストが祈っている最中に、3人ともぐっすりと眠りこけてしまうという暢気さが気になります。

④イエス処刑当日の12名の使徒の行動が、余りに不可解です。教団トップが処刑されるという天下の一大事なのに、誰一人として何もしようとしません。
特に最も忠実な使徒ペテロに至っては、イエスに「死ぬまであなたについて行きます」と言うと、イエスは「お前はニワトリが鳴く前に、私のことを知らないと3回言うだろう」と言われてしまいます。翌朝イエスが捕らえられ、周りから「あなたの知り合いでしょ」と聞かれると、ペテロは「いや知らない」と本当に3回言うことになります。そこでニワトリが「コケコッコー」と鳴き、ハッと気が付くというボケぶりです。
この使徒たちの緊張感の無さは、何なのでしょう。

⑤その一方、キリストの裁判から処刑、遺体の安置に至る過程で、キリストに手を差し伸べる人も出てきます。ただし活躍するのは、アリマタヤのヨセフ、クレネ人シモン、ベロニカ、マグダラのマリアなど、使徒以外の人々ばかりです。

キリスト教の正典である聖書が、その日の使徒たちの行動を書き留めなかったのは、何か理由があったのでは、というのが私の疑問です。
この疑問を解く鍵は、旧約聖書のイザヤ書にあると思います。
イエスは、イザヤが預言していた救世主の通りに生き、そして死んでいったと考えれば、イエスの処刑はその完成を意味しています。
ユダの行動はキリストの意向に沿ったものではないだろうかというのが、これが私の推論でした。

この項、次回に続きます。

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コメント

大変、興味を持って記事を読ませて頂きました。
次回にも大いに期待しております。

キリストに関する記事は、そのほとんどがキリストは偉大なりとする人たちによる記述で、キリストは全てお見通しの預言者ということが前提になっているのではないでしょうか?
ですから、キリストは自分が処刑されることも先刻ご承知でユダと接していた。
そのような記述になるのでしょう。
でも真実はどうなんでしょうか?
私は、今回話題になったパピルス文書の冊子が約1700年前のもの、すなわちキリスト没後約300年のものだからやはりなぁと感じています。
でも実際にエルサレムの旧市街を歩き、キリストが十字架の重さに耐えかねて、よろめいて手をついたとされる壁に触れたり、実際にゴルゴダの丘を見たりすると、あるいはとも思います。

タケチャンマン様
聖書は宗教書ですが、そこに描かれている人物というのが大変人間臭い。キリスト自身の言動から、一方でカルトのリーダーとしての人物像と、同時にあの時代に生きた一人の青年の息吹が伝わってきます。
そこが聖書の魅力であり、人によって様々な解釈が生まれる所以でもあります。
昨年出版会では”ダヴィンチコード”が話題になりましたが、聖書の謎についてはこれからも新説や新たな発見が提示されるでしょう。
私のは珍説に近いもので、どうか気楽に眺めて下さい。

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