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2006/05/30

米原万理さん、さようなら

Mari
また追悼文をエントリーすることになりました。ロシア語通訳の第一人者であり、作家の米原万理さんが、5月25日に亡くなりました。56歳の若さでした。

私が尊敬する職業の一つに、通訳があります。Aが言ったことを、正確にBに伝える、これは日本人の間同士でも難しいことです。まして国が違えば、言語はもちろんのこと、政治、経済から文化、人情や風俗、全てが異なりますので、ロシア人のAが本当に言いたいことを、日本人であるBに伝えるのは、至難の業です。
それにロシア語の通訳の場合、ある時は日露首脳会談、ある時は宇宙ロケットの国際会議、ある時は芸能人へのインタビュー、ある時は農業技術交流といった具合に、一人の人があらゆる分野をカバーしなくてはなりません。
これが英語なんかですと、予め鉱物資源に関する技術会議の通訳と頼めば、その専門の通訳の人が派遣されてきます。

こうした専門分野での通訳を依頼された時は、先ずはその分野について勉強し、最新情報を集め、テクニカルタームを見に付ける、最低限これらを準備しなければ、マトモな通訳は出来ません。
米原万理さんの書かれたものを読むと、実に幅広い分野に知識を持っているのに驚かされますが、通訳という仕事を通しての不断の努力の賜物だったわけです。

もう一つ米原万理さんを特徴づけるものに、国際感覚があります。
彼女はいわゆる帰国子女だったのですが、帰国子女が全て国際感覚を持てるかといえば、そんなことはありません。異文化の衝突、摩擦といった経験を、自身の中で熟成させた人のみが、国際感覚を持てるのだろう思います。
米原万理さんの代表作に、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」というノンフィクションがあります。
その本について、以前私がamazon.comにレビューを書いた拙文を、以下に紹介します。

「著者の米原万理さんは、父親の仕事の関係で1960年代にプラハ・ソビエト学校に通っていました。生徒は全員社会主義運動家の師弟で、ヨーロッパを中心に世界各地から集まっていましたが、この本は当時の学校生活、生徒達の日常生活、そしてその子供達がその後どのような変遷をたどったかが、著者自身の生活を含めていきいきと描かれています。
生徒達は例外なく自国に対する愛情と憧れを抱いており、それも貧困や混乱状態にある国の子供ほど愛国心が強かったという著者の指摘には、胸が打たれます。
喜び勇んで帰国したものの動乱の中で命を絶たれた子、祖国に失望して再び外国に脱出した子、理想とあまりにかけ離れた現実の中で懸命にもがいている子。この子供達のその後の人生は、20世紀後半の東ヨーロッパの激動の歴史に重ね合わされます。
後年著者が同級生を訪ね歩く場面は、まるで推理小説を読むようなハラハラドキドキと感動が味わえます。何よりも著者の他人を見る目の温かさが、ともすると深刻になりがちなテーマに、ユーモアと希望を与えています。
ソ連崩壊を挟んだ東欧を描く優れたドキュメンタリーとして、多くの方に読んで欲しいと思います。」

ご本人は自分の容姿に、あまり自信が無かったようですが、TVなどでお見受けする限りでは、どうしてどうして見た目も大変魅力的な方でした。思いを寄せた男性もいらしたでしょう。
米原万理さんがある著書の中で、少女時代「世界中の人が敵になっても、父親だけは自分を守ってくれる」と確信したと書いています。
どうやら偉大な父親に対するファザコンがあり、生涯独身を通したのではと、これは私の勝手な解釈です。

熱烈なファンの一人として、彼女の56歳での死はあまりに惜しい、口惜しい。
米原万理さん、沢山の著作ありがとう。
そして悲しいけど、さようなら。

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2006/05/29

「大山鳴動して・・・」ライブドア裁判

Horiemon
「大山鳴動して鼠一匹」、多くの方々の頭の中にこのことわざが浮かんだのではないでしょうか。他でもない、5月26日のライブドア(LD)事件初公判での検察による冒頭陳述です。今年初めの強制捜査、堀江社長などLD役員の逮捕で幕を開け、政財界を巻き込んだ戦後最大の経済事件とも言われたこのLD事件ですが、フタを開けたら何が出てきたのでしょうか。

粉飾決算と情報操作、株式分割による株価操作、つり上げた株価を元手にした株式交換による企業買収、傘下に収めた企業の利益の付け替え、粉飾決算・・・・・を繰り返して、企業の時価総額を膨らませてきた、LD社堀江前社長の手口を明らかにする筈の裁判でした。
更に堀江前社長は、ニッポン放送買収を通じてのフジTV放送事業への進出、近鉄や広島カープなどプロ野球球団への参加、そして極め付けは政界進出です。
時の総理、金融担当大臣、自民党幹事長がマスコミを総動員して支援したのですから、空前の大物新人候補扱いでした。
こうした数々の行為が短期間に実現するためには、一新興企業の経営者の力だけでは到底無理で、大きな政治のチカラが背後にあったことは、明らかでしょう。

今回の公判は、否認を続ける堀江被告を分離し、宮内前取締役ら6名と、LD社などの法人2社を対象として行ったものですが、検察側の意図は、堀江被告の主導的役割を強調することに向けられました。
しかし、その中身は・・・、
「そんなもうかっちゃうの。じゃあ、予算にも乗せなきゃ。上方修正だねえ。それで20億いくねえ。その金額、乗せといて」
「いいんだよ。強気、強気。ケイツネ(経常利益)50(億円)のがかっこいいじゃない。50のが、大台乗ったって感じでいいじゃん」
「やるしかないだろう。やりきるしかないよね」
「頑張って」
「頭痛いなあ。まあ、頑張って」

冒頭陳述で、堀江前社長の言葉として紹介されたのは、こうした子供同士のような会話です。幼児語なみですね。果たしてこれが企業トップとしての指示や、了解と受け取れるでしょうか。明確な犯意すらうかがえないと思いますが。
この発言が犯罪なら、TVで活躍しているインチキ占い師の妄言など、みんな詐欺や脅迫罪になるでしょう。
検察側は、こうしたナマの言葉で堀江被告の犯意を立証しようという意図なのでしょうが、私には事件を矮小化しているとしか見えません。

検察の冒頭陳述は、いうなれば成果発表です。検察側が総力を上げて半年間取り組んだ結果は、この程度のものですか。
耐震偽装事件でもそうですが、最近の検察はヌルサが目立ちます。偽装が明るみに出た段階で、ヒューザー小島社長は国交省に対してモミケシと、被害者への補償の肩代わりを工作しましたが、一連の工作に伊藤公介・元国土庁長官が同行しています。他にも何人かの国会議員の名前があがりましたが、議員はボランティアではないですから、動かすには金が要ります。
しかし耐震偽装事件でも、政界ルートへの解明は不発に終わりそうです。
かつて大事件ともなれば、「バッジ(議員)を獲る」の意気込みで、捜査に当っていた検察の志は、どこに行ったのでしょう。

ホリエモン事件は、このままでは竜頭蛇尾に終わりそうですが、これには例の「偽メール事件」も相当影響しているのでしょう。あれで何となく、政界ルートに手を出しづらくなったというムードは否めません。
この偽メール、一見アタマのおかしな情報提供者と、それにウカツにも乗った軽薄な議員という構図に見えますが、どうして背後でこの絵を描いた人物は、なかなかのおヒトとお見受けします。

「悪い奴ほど良く眠る」、ですか。

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2006/05/26

犬は年金を支えない

Parc
ここ数日、子供への犯罪や事故に関する報道がが目立ちます。少子化の中で、社会全体が大事にしていかなければならない子供たちの周辺に、常に危険が存在しているという事実に、心を痛めています。
ほぼ毎日、夕方になると近くに住む孫の面倒を見ているので(こちらの方が見て貰っているのかも)、いきおい近くの児童公園に行く機会が多い。幸いこの地域には、大小沢山の公園があり助かっています。しかしそうした公園の現状を見ても、小さな子供たちを巡る環境は大いに問題ありです。

最近近くの公園で、こんな手書きのカンバンを見つけました。大きなダンボールに太マジックで、こう書いてありました。
「飼い犬を公園に入れないで下さい。子供たちが迷惑しています。犬は年金を支えてくれませんよ!!」。
公園には犬を入れてはいけないと、入り口に区注意書きが立っていますが、犬を連れた人が入ってきます。中には公園の中では、首輪を外す飼い主もいます。
公園には砂場がつきものですが、やはり犬の心理としても、砂場を見ると用を足したくなるのでしょうね。きちんと後始末する飼い主ばかりとは限りません。年配者が多いので、年金支えてくれる子供の方を大切にしろと、カンバンで訴えているわけです。

午前中に公園に行くと、カップめんや飲み物、スナック類の袋が散乱していることが多い。前夜に、ここで飲食する若者がいたのでしょう、こうしたゴミがそのまま放置されてしまいます。
子供を遊ばせる前に、先ずはゴミ掃除をすることになりますが、最近はゴミ箱を撤去した公園がほとんどなので、今度はゴミの捨て場所がない。管理する自治体は、こうした現状を全く把握していないのでしょうね。

自宅から100mほどにあった公園では、朝から近所のご老人が集まって、毎日酒盛りです。最初は折りたたみ椅子を持参で来ていましたが、そのうち自宅から椅子やらテーブルやら運んできて、常設宴会場になってしまいました。
私同様、サンデー毎日の人々らしく、入れ替わり立代り朝から晩まで、不良老人の酒盛りが続きます。
ゴミの片付けはしていますし、場所も公園の隅ではありますが、そうなると次第に子供たちは寄り付かなくなります。いつのまにか、「老人公園」と化してしまいました。

別の公園に、一時期ホームレスの人が一人居つくようになったことがあります。別にテントやダンボールで小屋を建てるのでもなく、ただベンチに横になっているだけですが、やはり子供たちは公園に近づかなくなります。
ホームレスになった方というのは、個々にみれば大変お気の毒な方もいるのでしょうが、やはり公共の場を占拠するのは違法です。
今より遥かに貧しかった時代でも、戸外で寝泊りする人というのは、終戦直後の混乱期を除いては、殆ど見かけなかった。なぜ貧しかった時代にいなくて、豊かになった今日ホームレスが増えているのか、これは別のテーマとして考えていく必要があるでしょう。

公園の安全性で、更に悪質な例としては、砂場の中にガラスの破片や、時にはカミソリのような小さな刃物が入れられていることがあります。こうなると犯罪でしょうが、公園の砂場で子供を遊ばせない親がいるのは、そのためです。
滑り台に糞を塗って子ども達の衣服を汚したり、ブランコをねじって使えなくしたり、一体ナニが楽しくてそんな事をと、怒りの前に呆れてしまいます。

親にも問題ありです。10歳くらいの子供を茶髪に染めさせている親がいますが、そうした母親は例外なくいかにもというヤンママです。「テメー、いくら言ったら分るんだよ」と怒鳴りながら、子供を蹴飛ばしている母親を見ると、ヤレヤレこれでは非行少年の拡大再生産だなと、ため息が出てきます。
ああした光景を見ると、親になる資格審査が必要ではないかとさえ思えてきます。

良い例もあります。公園の植え込みが雑草で覆われていたのを、周辺の住民が協力して整備し、花壇をこしらえた公園もあります。四季折々の花が咲き、荒れた感じの環境がすっかり変わりました。
そうなると自然に、ゴミの放置も無くなります。

私の住む地域でも、住民有志による安全マップの作成が進められ、子供行動範囲全体をカバーするチェックが行われつつあります。
子供たちの安全確保は、登下校の監視だけではありません。子ども達の主な遊び場である公園の整備と安全性の確保は、極めて大事な課題であると思います。
そのための地域コミュニティ作りと、自治体の支援活動が急がれます。

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2006/05/23

前進座五月公演@国立劇場

Umenosuke
ここの所歌舞伎に少々ご無沙汰で、久々の観劇となりました。5月の国立劇場は、前進座75周年記念公演です。5月21日の昼の部です。
前進座は、昭和の初期に行われた歌舞伎の革新運動の中で誕生しました。下級俳優(家柄が下級であり、演技力とは別問題)中心に結成された経緯からか、世話物が得意で、座員に女優がいるという特色もあります。
1980年頃までは、座員が集団生活していたこと、時には鞭が飛んだという厳しい稽古が、この劇団に独特のアンサンブルを生んでいました。

今回の公演は、通し狂言「謎帯一寸徳兵衛(なぞのおびちょっととくべえ)」と「魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)」の2本で、作者が前者は鶴屋南北、後者は河竹黙阿弥です。
「謎・・・」は、「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわのかがみ)」を南北が改作したものです。登場人物や場所はそっくり借りて、ストーリーは全く書き替えたものです。
南北の作品としては余り上演されてこなかったもので、前進座も戦後初めての再演となりました。
登場人物の多くが、いかにも南北らしく極悪非道な人間として描かれていて、特に主役の大島団七は、後の南北作品である「東海道四谷怪談」の中の、民谷伊右衛門を彷彿とさせます。

団七は嵐圭史が演じましたが、序幕の第一場では集中力を欠いた演技で心配しましたが、以後は立ち直り、二枚目の極悪人という難役を演じ切りました。
特に二幕目で、大雨の田圃の中で女房お梶を惨殺する場面は、凄みと迫力がありました。
もう一人の主役吾妻屋徳兵衛は、中村梅雀が演じましたが、ここの所すっかり貫禄を増してきて、大詰で団七と対決するシーンでは一歩も引かず、腹の据わった演技が舞台を締めました。
立女形のお梶とお辰は、河原崎国太郎が二役を演じました。姉妹でありながら、お梶は幸せ薄い人生を送り、姉のお辰は鉄火な芸者という好対照の性格ですが、国太郎はきちんと演じ分けていました。
特にお梶が殺害されるシーンは、美しくも凄惨で、魅せてくれました。
国太郎は、見る度に進歩をしています。
「謎・・・」は、実に良く出来た芝居で、余り上演されないのが不思議なくらいです。

「魚屋宗五郎」は、お目当ての中村梅之助の一人舞台です。
本来はもっと長い芝居ですが、今回はその中のクライマックスシーンである魚屋内の場面が上演されました。
旗本の家に妾奉公に出ていた宗五郎の妹おつたが、無実の罪で惨殺されたのを知った宗五郎が、酒を飲むうちに次第に怒りが爆発し、旗本の家に向かうというストーリーです。
当初は妹の不義密通が原因と聞かされ、懸命に自分を納得をさせていた宗五郎が、腰元から真相を聞かされ、怒りがこみ上げてきます。
梅之助の演出は、事実が分った段階で、妹の仇を討とうと腹に決めて、その後に禁酒の誓いを破って酒を飲むという解釈のようです。
決意を固めた瞬間の目の鋭さに、思わずこちらがぞっとしました。
やはり役者は“目”です。
それと梅之助が、次第に酒に酔ってゆく演技も、この芝居の見所です。

脇役の演技もそれぞれ手堅く、特に「謎・・・」の女郎お磯と、「魚屋・・・」の腰元おなぎを演じた女形、山崎杏佳の不思議な色気が眼につきました。

久々の歌舞伎観賞は、十分満足のいくものでした。
ただ残念なのは、観客の高齢化です。前進座としては、今回のような埋もれた名作に光を当てながら、いわゆる“女子供”にも満足して貰う構成を考えることが、興行的には求められるでしょう。
大変な難題ではありますが。

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2006/05/18

「田村高廣」の死去を悼む

Tamura
2回続けて、追悼文をエントリーすることになりました。
俳優田村高廣が死去していたことが18日判明しました。享年77歳でした。故人の遺志で葬儀日程などは公表されておらず、通夜も既に近親者で終えているようです。
田村高廣には、私が勝手にご縁を感じていました。

田村高廣は、大学卒業後一度は商社に勤めていたのですが、そのご映画界入りしたという経歴の持ち主です。
世間から注目されたのは、木下恵介監督の「二十四の瞳」で、戦争で視力を失う男子生徒の役を演じてからです。

1965年には、映画「兵隊やくざ」でのインテリ役で、主演のやくざの親分役勝新太郎と名コンビを組んで、大ヒットし、シリーズ化されました。
この兵隊ヤクザの親分のモデルになったのが、戦前から戦後にかけて、日本やくざ史上に燦然と名を残す(適切な表現かどうか、疑問ですが)万年東一です。
万年東一とは、私の家族ぐるみの付き合いがありました。私の従姉が一時期、万年東一の愛人の一人だったこともあり、幼少時に度々顔を合わせています。
そんな関係もあって田村高廣に、一方的に親しみを感じておりました。

しかし、何といっても田村高廣の演技で印象に残るのは、1981年の映画「泥の河」で演じた、食堂の主人でしょう。厳しさと温かさを併せ持ち、繊細でいてで人情味溢れるこの役は、田村高廣以外のキャスティングが思い付かないほどの、適役でした。
生前ご本人も、代表作としてこの作品をあげていたそうです。

田村高廣といえば、父親の阪妻こと阪東妻三郎のことに触れないわけにはいかないでしょう。日本映画初期の大スターであり、名優です。
私が生まれて始めて観た映画は、その阪東が主演した「無法松の一生」です。映画そのものは私が生まれる前に製作されましたが、終戦後に再上映されたのを見たのでしょう。
この映画で主人公の車夫が、未亡人への思いを告げる一番のクライマックスシーンが、出征中の兵士の士気に影響するという理由から、当局によりカットされてしまいました。太平洋戦争末期という、時局の反映です。それでもこの映画は、日本映画史上に残る傑作となりました。
余談ですが、この時の名子役が、現在の長門裕之です。

阪妻は1953年に急逝しましたが、私は遺作となった映画「あばれ獅子」も観ています。撮影中の死であったため、最終シーンの後ろ姿は吹き替えでした。
独特の台詞回しと、ちょっと背中を丸くして歩く阪妻の姿は、今でも心に残っています。

よく田村高廣が、父阪妻にそっくりと言う人がいましたが、私はそう感じません。
親子ですから顔は似ていますが、阪妻という人が豪放磊落な人柄であったのに対し、田村高廣は繊細、誠実な人柄であったと思われ、顔つきにもそれがはっきり出ていました。
そして何より最も大きい違いは、阪妻にはこぼれんばかりの色気と愛嬌がありましたが、田村高廣にはそれが欠けていました。
それが方や常に主演であり続けた大スターであり、方や名脇役であった差だと思います。

得難いバイプレイヤーとして、まだまだ活躍をして欲しかった田村高廣の死は、とても残念です。
ご冥福を祈ります。

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2006/05/16

惜別「松山恵子」

Keikoconsert
歌手の「おけいちゃん」こと松山恵子(本名、岡崎恒好(つねこ))が、5月7日肝臓癌のため亡くなりました。1937年生まれで、享年69歳でした。同時代の人が、といっても彼女の方が年上ですが、亡くなるというのは、とても寂しい気分になるものです。

歌手デビューが1955年ですから、芸能生活52年ということになります。私はほぼデビュー当時から、名前を知っていました。
当時ラジオでは、各レコード会社が競って自社の宣伝番組を持っていました。彼女の所属した日本マーキュリーレコードという会社はマイナーな会社で、世間に知られている歌手というのが、当時は松山恵子と藤島恒夫(♪包丁いいっぽん、晒しに巻いてへ・・♪の歌手です)しかいなかった。従って毎週彼女のレコードが必ずラジオから流れていました。

故郷の宇和島市で、小学校から歌のレッスンに通い始め、風の吹き荒れる台風の夜、停電になってもロウソクの火の下で、ただ一人練習を続けていたというエピソードがありますが、根性もあったのでしょうが、芯から歌が好きだったのでしょうね。中学卒業後全国歌謡コンクールで優勝し、プロの歌手となっています。

主なヒット曲は、「未練の波止場」「お別れ公衆電話」「「バックナンバー1050」「アンコ悲しや」「だから言ったじゃないの」などですが、その大半は歌手活動の初期です。通常こういう歌手は世間から忘れ去られるケースが多い。
それとご本人には失礼ですが、決して美声の持ち主ではないし、特に歌唱力が優れているわけではない、いうなればB級歌手でした。偉大なるB級です。
それでいて半世紀以上にわたり第一線で活躍できたのは、偏に彼女のキャラクターがファンに愛されたからでしょう。

小柄な身体をカバーするような、舞台一杯に広がる巨大な落下傘ドレスを身に纏い、片手にハンカチを持ち、甘ったるい声で観客に話しかける、見方によってはクサイ印象を与えますが、ファンにはそのクササがたまらない。歌をじっくりと聴くというより、ナマ「おけいちゃん」に会いに行って満足する、そういう歌手であったと思います。
何より60歳を越えても、なお可愛らしい女性であり続けた、ここが最大の魅力でしょう。

今年2月に収録し、昨日NHK・BSで放送されたコンサートで、松山恵子は自ら癌と闘っていることを、始めて告白しました。
涙を流しながら話す姿に、会場全体がすすり泣いているように、私は感じました。
体調不良の中を、アンコールで3曲歌い、フィナーレでは「又会いに来てね」とトレードマークのハンカチをグルグル回していた姿が、眼に焼きついています。

故郷のJR宇和島駅の改札口の脇に、「お別れ公衆電話」に因んだ電話ボックスが置かれているそうです。左上の写真は、その前で歌う松山恵子の姿です。

ご冥福をお祈りします。

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2006/05/14

「テロ対策」は水戸黄門の印籠か

Bush
アルジェリアに出掛けていて少し休みを取っていましたが、今日から再開致します。「9・11」以後海外に出られた方々が並べて経験されているのは、空港での検査体制強化ではないでしょうか。靴まで脱がされたり、大勢の人の前でカバンの中身を全部広げられたり、中にはボディチェックで下着の中に手を入れられたという人もいて、嫌な思いをした方も多い。女性検査官から指でサワラレタ幸せな男性もおりましたけど。
今回の旅行でも先方では搭乗までに最低3回の手荷物検査があり、その度に手荷物の中を開けさせられました。

以前米国内の空港でトランジットするだけなのに、入国審査と手荷物検査で2時間以上待たされ、もう少しで乗り継ぎ便に乗り遅れるところでした。その時は待たされていた乗客をトイレに行かせないと言い出し、米国の係官に激しく詰め寄る人もいました。こうなると人権問題です。米国の空港では預け入れのスーツケースの鍵を掛けないよう指示がされていて、知らずにいて鍵を壊された人もいます。
これらは全て「テロ対策」です。
しかし、真剣に検査しているのはイスラエルの空港くらいなもので、他は規則だから形だけと言う所が大半です。

今や「テロ対策」は錦の御旗であり、水戸黄門の印籠です。何を云われても、ヘッヘーと頭を下げるしかありません。
しかし良く考えてみると、ここ数年で本当にテロが増えているのでしょうか。本当にテロに対する危険性が増加しているのでしょうか。私は納得できる数値的な裏付けデータを見た事がありません。
確かに現在イラクでは毎日のように自爆「テロ」が起きています。しかし過去の歴史を見れば、外国の軍隊に占領された国で抵抗運動、武力闘争が起こるのは極く当たり前のことです。
今回訪問したアルジェリアでも、長期にわたってフランス軍に対する抵抗運動が行われ、その結果独立を勝ち取りました。第二次大戦中にドイツに占領されたヨーロッパ各国では、ナチスに対する抵抗運動が行われました。しかしその当時は、こうした抵抗運動を「テロ」とは呼んでいなかった、レジスタンスと呼んでいました。
処が最近では、民族独立闘争でさえ「テロ」のレッテルを貼り、その結果あたかも世界中に「テロ」が横行しているかのような印象を与えているのでないでしょうか。

「テロ対策」に便乗、悪乗りする者も出ています。
米国では、国家安全保障局(NSA)がテロ対策のため、数十億件、数千万人の市民の通話記録を極秘に収集していたと報じられましたが、ブッシュ大統領は「わたしの承認した情報活動は合法的だ」と述べ、NSAの活動を正当化しています。
盗聴事件がきっかけで大統領が辞任した国とは思えない状況に至っています。

中国では、新疆ウイグル自治区で当局は、過去半年の間で数千人の人びとを拘禁した上、宗教の自由や文化的権利に対して新たな制限を導入しました。長期刑に処された人びともいますし、処刑された人びともいます。
これも「テロ対策」の一環です。
米国は以前はこいうした中国政府の人権抑圧に厳しく抗議していましたが、「テロ」防止への協力という名目で、現在では事実上黙認する姿勢に転じています。

ロシアではどうでしょう。「テロ対策」の名の下に、チェチェンに対する弾圧が一層過酷になっています。
テロ情報を市民が治安機関に簡単に密告できる法案が上院で可決されました。これまでは情報提供者の氏名・年齢・職業などの明記が必要でしたが、完全に匿名がゆるされることで、簡単に密告することができるようになりました。
何だか昔のソ連時代に戻ったような気がしてきます。
更にプーチン大統領は、現在メディアに対する新たな規正法を企んでいます。政府がテロリストと認定した人へのインタビュー、あるいは「反テロ戦争はかえってテロをよぶ危険性はないのか・・」というような「疑問」を提示する論文を掲載すれば、その報道機関を閉鎖させることもできるものだそうです。
いかにもKGB出身のプーチンがやりそうなことです。

こうした潮流は、我が日本も決して無縁ではありません。
前回の記事に書きました、現在国会で審議中の「共謀罪」法案は、まるでロシアの後追い、又は魁とも思える悪法です。

私達はもういい加減に、ブッシュが掲げる「テロ対策」という印籠に、頭を下げ続けることを考え直しましょう。
「テロ対策」の美名の下に、各国政府が何を企んでいるのかを見抜く時期に来ていると思います。

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