米原万理さん、さようなら
また追悼文をエントリーすることになりました。ロシア語通訳の第一人者であり、作家の米原万理さんが、5月25日に亡くなりました。56歳の若さでした。
私が尊敬する職業の一つに、通訳があります。Aが言ったことを、正確にBに伝える、これは日本人の間同士でも難しいことです。まして国が違えば、言語はもちろんのこと、政治、経済から文化、人情や風俗、全てが異なりますので、ロシア人のAが本当に言いたいことを、日本人であるBに伝えるのは、至難の業です。
それにロシア語の通訳の場合、ある時は日露首脳会談、ある時は宇宙ロケットの国際会議、ある時は芸能人へのインタビュー、ある時は農業技術交流といった具合に、一人の人があらゆる分野をカバーしなくてはなりません。
これが英語なんかですと、予め鉱物資源に関する技術会議の通訳と頼めば、その専門の通訳の人が派遣されてきます。
こうした専門分野での通訳を依頼された時は、先ずはその分野について勉強し、最新情報を集め、テクニカルタームを見に付ける、最低限これらを準備しなければ、マトモな通訳は出来ません。
米原万理さんの書かれたものを読むと、実に幅広い分野に知識を持っているのに驚かされますが、通訳という仕事を通しての不断の努力の賜物だったわけです。
もう一つ米原万理さんを特徴づけるものに、国際感覚があります。
彼女はいわゆる帰国子女だったのですが、帰国子女が全て国際感覚を持てるかといえば、そんなことはありません。異文化の衝突、摩擦といった経験を、自身の中で熟成させた人のみが、国際感覚を持てるのだろう思います。
米原万理さんの代表作に、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」というノンフィクションがあります。
その本について、以前私がamazon.comにレビューを書いた拙文を、以下に紹介します。
「著者の米原万理さんは、父親の仕事の関係で1960年代にプラハ・ソビエト学校に通っていました。生徒は全員社会主義運動家の師弟で、ヨーロッパを中心に世界各地から集まっていましたが、この本は当時の学校生活、生徒達の日常生活、そしてその子供達がその後どのような変遷をたどったかが、著者自身の生活を含めていきいきと描かれています。
生徒達は例外なく自国に対する愛情と憧れを抱いており、それも貧困や混乱状態にある国の子供ほど愛国心が強かったという著者の指摘には、胸が打たれます。
喜び勇んで帰国したものの動乱の中で命を絶たれた子、祖国に失望して再び外国に脱出した子、理想とあまりにかけ離れた現実の中で懸命にもがいている子。この子供達のその後の人生は、20世紀後半の東ヨーロッパの激動の歴史に重ね合わされます。
後年著者が同級生を訪ね歩く場面は、まるで推理小説を読むようなハラハラドキドキと感動が味わえます。何よりも著者の他人を見る目の温かさが、ともすると深刻になりがちなテーマに、ユーモアと希望を与えています。
ソ連崩壊を挟んだ東欧を描く優れたドキュメンタリーとして、多くの方に読んで欲しいと思います。」
ご本人は自分の容姿に、あまり自信が無かったようですが、TVなどでお見受けする限りでは、どうしてどうして見た目も大変魅力的な方でした。思いを寄せた男性もいらしたでしょう。
米原万理さんがある著書の中で、少女時代「世界中の人が敵になっても、父親だけは自分を守ってくれる」と確信したと書いています。
どうやら偉大な父親に対するファザコンがあり、生涯独身を通したのではと、これは私の勝手な解釈です。
熱烈なファンの一人として、彼女の56歳での死はあまりに惜しい、口惜しい。
米原万理さん、沢山の著作ありがとう。
そして悲しいけど、さようなら。
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