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2006/06/26

「死刑制度」は必要です

Motomura
山口県光市で1999年に母子を殺害したとして、殺人や強姦致死罪などに問われた当時18歳の元少年(25)の上告審で、最高裁第3小法廷は20日、広島高裁の無期懲役判決を破棄し、審理を高裁に差し戻しました。判決は「無期懲役の量刑は甚だしく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」と述べた。最高裁が無期懲役判決を破棄・差し戻した3例目で、差し戻し後に死刑が言い渡される公算が大です。

この事件、母親と幼児まで殺したという残虐性と共に、犯人とされている被告の事件後の言動が問題となりました。
自分は未成年だから7年程度で出所できるとタカを括っていたばかりか、「被害者さん(遺族の本村洋さんのこと)はちょうしづいている。」「犬がある日かわいい犬と出会った。・・・・・そのまま『やっちゃったた』・・・・・これは罪でしょうか」という手紙を友人に出していました。
この点が最高裁から、更生の可能性について「罪の深刻さと向き合っていると認めることは困難」と判断されたと思われます。

被告は、最高裁での判決を直前にして、殺意を否認する旨を弁護士に伝えました。殺すつもりは無かったというわけです。又反省の言葉を口にするようになり、遺族への謝罪の手紙も書いたようです。

この事件で思い出されるのは、1988年に起きた名古屋アベック殺人事件です。この時の主犯だった被告も19歳、未成年でした。
やはり死刑にはならないと決め付けており、法廷で共犯者たちと目配せするなど反省の態度が無かった。
1989年名古屋地裁は予想に反して主犯に死刑判決を下し、その後被告は反省の態度を示したことから、1996年の高裁判決では無期懲役に減刑されました。

これらの被告は、国家が自らの生命を絶つという事態に直面して、初めて自らの罪と向き合ったと言えるでしょう。逆にいえば、死刑になる可能性がなければ、反省することも無かったし、一生自己が起こした犯罪と向き合う事は無かったと思われます。
ただしこうした態度が、本当に本人の意思によるのか、弁護人からの入れ知恵で態度を装っているのかは、本人しか分からない。
光市の母子殺人犯の場合は、マヤカシと見られたということでしょう。

「死刑廃止」につぃて、その一つに、死刑制度が犯罪の抑制になるかという議論があります。先に上げた事例を見ると、やはり一定の抑止力はあると考えて良さそうです。
勿論、大阪の池田小学校児童殺傷事件や奈良県での幼女誘拐殺人事件の被告のように、自らが早く死刑になることを望むようなケースがあり、こうした犯人たちには死刑制度は抑制にならない。
その反面これらの犯人たちは、出所後に再犯を繰り返す可能性が非常に高いわけで、現在に刑法では、死刑以外の選択はないでしょう。

「死刑廃止」論で度々目にするのに、死刑を執行する人(刑務官)の心情を考えよという意見があります。しかし実行する人が辛い思いをするから、大変だから、制度そのものを廃止するというのは、本末転倒の議論だと思います。
確かに刑務官(看守)の場合、長期に亘って受刑者との付き合い、時には心の交流があるでしょう。そうした人に、命令とはいえ首に縄を掛けるというのは、大変辛いことであるのは十分理解できます。
それをどうしても避けたいのなら、刑務官以外の職の人が執行することを検討するしかないでしょう。例えば死刑を求刑した検察官とか・・・、勿論冗談です。

先進国では死刑廃止が主流であり、死刑制度は遅れた国に多いという議論があります。
私は国別の死刑制度の有無を見て気が付いたのは、キリスト教徒が多数を占める国に死刑廃止国が多い(全部では無い)傾向があるということです。
あるキリスト教のHPに、死刑制度について次のように解説されていました。
「加害者もまた被害者であることに、われわれは気づいているであろうか。そして、加害者の死を求める被害者もまた、加害者になるということにも気づいているであろうか。」
「有名なカインとアベルの物語で、殺人者として罰を受け、追放されるカインに対して『主は、彼に出会うものが、誰も彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった』(創世記4:15)と言われている。」
私は決してこうした考え方を否定しませんし、大多数の国民がそう信じて死刑制度を廃止することに異論はありません。
又罪を犯した人が、こうした考えに共鳴し悔い改めることは、当然望ましいことです。
しかし我が国では、こうした宗教上のイデオロギーを持つ人は、限られています。

国際的な人権団体が、中国に対して死刑が多いという非難を行っているのをよく耳にします。確かに世界の死刑執行の90%以上が、中国で行われています。
しかし私は、こうした問題はその国の現状や国民の意識、その国の歴史的過程を考慮すべきであって、死刑の数だけで判断すべきではないと思います。
但し、中国の裁判の公正さには大いに問題有りで、この点で非難されるのは当然ですけど。

将来的に我が国で死刑制度をどうすべきか別にして、刑法を改正して無期刑を廃止し、終身刑を導入することは早期に行うべきだと考えます。
恐らくは、多くの国民の支持も得られるものと想定されます。
死刑制度を廃止するかどうかという議論に向かうのでは無く、どうしたら死刑になるような残虐な犯罪を無くすことが出来るかを、もっと議論すべきではないでしょうか。

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