« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

2006/08/28

「反テロ」の方が恐ろしい

Northwest
8月23日オランダのアムステルダム・スキポール空港からインド・ムンバイへ向け出発した米ノースウエスト航空の旅客機が緊急着陸し、インド人乗客12人が逮捕された事件で、地元検察は24日テロなどと関係がないことが明らかになったため全員の釈放を決めたと発表しました。
発生当時、「又もやテロ事件」と世間は色めき立ち、日本のマスコミ各社も大きく報道していました。
こういうのを昔から我が国では「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」と表現しています。

私は第一報を聞いた時から、これはテロとは無関係だと確信していました。
機内で12人の若者が、携帯電話で騒いでいたということでした。周りの乗客も「まるで宴会のような賑やかさだった」と証言しています。
どこぞの世界に、航空機を爆破しようとする犯人が集団で大騒ぎする人間がおりますか。本当の犯人なら爆弾を仕掛けて息をひそめてますよ。
まあ機内マナーとしては誉められた話じゃありませんが、テロ容疑で逮捕は狂っています。
インド政府は、オランダ当局に行き過ぎを抗議したようですが当然です。
でもオランダでまだ良かったかも知れません。アメリカやイギリスだったら、射殺されていたでしょう。

イギリスのロンドンで7月21日、27歳のブラジル人電気技師が警察官に射殺され事件は、まだ記憶に新しい。
当初英国警察は、行動と服装(爆弾を隠し持っていたようだ)が不審だったと発表しました。
その後の地元TVが現場検証写真や目撃者の証言に基づいて報じたところによると、事件当時は薄いデニム姿で、地下鉄駅の改札を定期で通過。列車がちょうど入ってきたため走って車内に乗り込んだということです。着席してまもなく、追いかけてきた警察官に至近距離から射殺されました。
行動も服装も、何も不審なことはない。
地下鉄の座席に座っていたこの青年は、頭に7発の銃弾を受け殺害されました。7発ですよ。
こうなってくると、8月10日に起きたロンドン・ヒースロー空港での爆破未遂事件も、本当だったかどうか分かったもんじゃない。

この件に関してブレア首相は、「もし男性がテロリストで、その行動を警察が阻止できなかったら逆の批判が出ただろう」とコメントし、警察当局を擁護しました。
この論理でいけば、テロリストと間違えられる方が悪いのであって、捜査当局が疑わしいと判断すれば殺しても構わないということで、とても民主国家とは思えませんな。

「反テロ」を口実に、アフガニスタンでイラクでレバノンで数万人、数千人の罪の無い民間人が殺されました。
イラクでは大量破壊兵器は見つからず、反対にアメリカやイスラエルがその大量破壊兵器でもって沢山の人々を殺害しました。
テロによる犠牲者より、「反テロ」による犠牲者の方が遥かに多いのは歴然としています。
イスラエルのように宣戦布告も無しに他国に侵入し爆弾で民間人を殺戮する、これこそ国家による「テロ」ではないか。

テロかどうかはアメリカが決めるというのも変な話です。
反米=テロとう論理は、どう考えてもおかしい。

もう一つ心配なのは、一連の事件の影響で、欧米でのアジア人に対する差別や蔑視が一段と強まるのではという懸念です。
以前JTBの添乗員から聞いた話ですが、9・11以後この添乗員の扱いだけでも、日本人ツアー客が米国入国を拒否された例が2件あるそうです。
本人たちも特に心当たりが無く、強いていえば一人は中東へ頻繁に旅行していたこと、別の一人は数十年前の学生時代に反米デモで逮捕されたこと、それしか原因が思いつかないそうです。
何だかアメリカも、昔のソ連みたいになってきましたね。

私も好きでよく海外に出かけますが、どう考えてもテロにあうより、「反テロ」の被害にあう確率の方が高そうです。
「なにせ目付きが悪いアジア人だったので・・・」などと後になって言われないように、気をつけます。
なに? 悪いのは目付きだけじゃないだろうって?
放っといてくれ!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/08/26

「それでも安倍さん」ですか?

Koizumi_abe
自民党総裁選はこれから本番というのに、秋風が吹いています。
安倍絶対優位にもってきて、対立候補が対抗馬というより当て馬という様相で、いよいよ盛り上がりに欠けます。
24日の小泉―安倍会談で、9月20日の総裁選の二日後の22日には臨時国会を召集、その日に組閣することで合意しました。
麻生、谷垣もナメラレタものです。

さて、小泉総理の靖国参拝を機に、俄か靖国ファンが増えてきたようです。
ネットでは「日本人なら靖国参拝は当然」という文字が躍っています。以前私が参拝に行った頃は、人影チラホラでしたたから、大変な変貌でご同慶に堪えない。
同じく「中国や韓国は不当な内政干渉をやめろ」と、こちらもヴォルテージは上がる一方です。
こうした主張をする人々にとって、「靖国問題が外交、政治問題化している以上、行くか行かないか、参拝するかしないかについて申し上げるつもりはない。」などという発言は、最も唾棄すべき発言でしょうし、さぞかし糾弾されているかと思ったら、逆に支持を集めているのだから世の中分からない。
いうまでもない、安倍官房長官のことです。

安倍晋三は従来、
―よく参拝の日にちを外せという意見がありますが、八月十五日に先ほど言ったような思いが集約されていますから、その日に行くことが非常に大切なんです。
―私は今でも靖国神社には参拝している。国の指導者が、国のために殉じた方々のために尊祟の念を表するのは、当然の義務だと思っている。
―まさにその後は自らを制約する外交が、“習い性”となった。こうしたら相手を刺激するだろう、怒り出すかもしれない、ならばやめておこうという悪しき展開です。
―摩擦を避けるために汲々としてきたツケが回ってきている。今こそ摩擦覚悟で国益を追求していかなければならない。
といった、ごリッパな発言を繰り返してきました。
こうした発言と、4月の“抜け参り”と、どう整合するのでしょうかね。

こうした安倍の“変心”について、マスコミの分析は対中国との関係改善を理由にあげています。
しかし私は、それとは違う解釈をしています。
むしろ、韓国に対する配慮ではないかと思っています。
それは祖父岸信介、父安倍晋太郎からの血です。

岸信介、安倍晋太郎共に、自民党の中では最右派に属していました。そして韓国政府との結びつきが非常に強かった。
今では右派が韓国と・・・というと、意外に思われる方がいるでしょうが、以前は右派はことごとく親韓でした。
韓国は、1961年から1987年まで長期に亘って軍事独裁政権でした。言論は統制され、政府を批判しただけで投獄されたり、時には殺害・処刑されました。
当時韓国から日本へ来た人でも、日本滞在中の言動は全てKCIAを通じて、本国へ報告されていた時代です。
こうした当時の独裁政権のやり方に、岸信介ら右派の人々は親近感を抱いたわけです。

こうした思想的な側面と、もう一つは経済的側面がありました。
韓国への経済援助や輸出に絡んで、裏金が商社を通じて一部は韓国政府首脳へ、一部は日本の有力政治家に流れていました。こうした親韓政治家を当時は韓国ロビーと呼んでいました。
日韓にまたがって問題化した「ソウル地下鉄汚職」などはその典型です。
つまり当時の「韓流」は、思想と利権が絡んでいたわけです。

韓国とのつながりは、悪名高い統一教会との関係にも表れています。
下の写真は、岸信介が統一教会の本部を訪問し、会長である文鮮明と会談した時のものです。
岸信介は統一教会の政治部隊である国際勝共連合を設立し、つながりを強めてゆきます。
安倍晋太郎も勝共議連の一員で、選挙では統一教会の応援を得ていました。

先日行われた統一教会の合同結婚式で、真っ先に安倍晋三の祝電が読み上げられていました。
やはり岸、安倍家のDNAは脈々と繋がっているわけです。

自民党右派の人々の主張は、しばしば美しい言葉で飾られています。
しかし彼等の軍事独裁政権への傾倒から推し量れば、彼らが理想とする「国作り」の行く末が見えてきます。
私は日本が、かつての韓国や現在の北朝鮮のような国家になるのだけは、真っ平ゴメン蒙りたい。
(文中敬称略)

Kishi_1


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/08/22

「われら愛す」を知っていますか?

Saji 先日岐阜の飛騨高山と白川郷に旅行した際、中央自動車道をバスで行ったのですが、途中長野県に入って、やっぱり信濃の国は良いなあとしみじみと感じました。諏訪湖から松本にかけての景色は実に美しいものです。

中学時代の親友の実家が信州で、夏休みに2週間彼の実家に泊めて貰ったことがありました。

私としては初めての東京を離れた生活だったのですが、それ以来長野の魅力にとりつかれました。

長野県は湖や沼が多く、そのことから「みすずかる」が信濃にかかる枕詞になっています。本来は「みこもかる」が正しく「みすずかる」は誤読だそうですが、「みすずかる信濃」の方が遥かに語感が宜しい。

恐らくは現在60歳以上の方ならメロディに聞き覚えがあり、それより若い方なら知っている人は少ないだろうと思われる歌があります。

それは「われら愛す」という歌です。

曲は次のサイトにアクセスすると聞きことができます。

http://bunbun.boo.jp/okera/mawa/warera_aisu.htm

どこか甲子園に流れる高校の校歌のようなメロディで、親しみが感じられると思います。

歌詞を下に書きましたが、「アア、アレか」と気が付かれた年配の方もいるでしょう。

われら愛す(新国民歌)
        作詞=芳賀秀次郎
        作曲=西崎嘉太郎
        編曲=高浪 晋一
一、われら愛す
   胸せまる あつきおもいに
   この国を われら愛す
    しらぬ火 筑紫のうみべ
    みすずかる 信濃のやまべ
   われら愛す 涙あふれて
    この国の 空の青さよ
    この国の 水の青さよ
二、われら歌う
   かなしみの ふかければこそ
   この国の とおき青春
   詩(うた)ありき 雲白かりき
    愛ありき ひと直かりき
   われら歌う おさなごのごと
    この国の たかきロマンを
    この国の ひとのまことを
三、われら進む
   かがやける 明日を信じて
   たじろがず われら進む
    空にみつ 平和の祈り
    地にひびく 自由の誓い
   われら進む かたくうでくみ
    日本(ひのもと)の きよき未来よ
    かぐわしき 夜明けの風よ

1953(昭和28)年、洋酒の壽屋(現在の「サントリー」)社長佐治敬三氏が、新しい憲法のもと、国民自身の手で新生日本にふさわしい国歌をつくろうと、「国民の誰もが愛唱し、勇気づけられる歌を」と新聞広告で「新国民歌」を全国に公募したもので、当時実に作詞に約5万点、作曲に約3千点の応募があったそうです。

審査員の顔ぶれが、これまた豪華でした。
《作詞》 堀内敬三・土岐善麿・大木惇夫・西条八十・サトウハチロー・佐藤春夫・三好達治
《作曲》 堀内敬三・山田耕筰・増沢健美・古関裕而・サトウハチロー・諸井三郎

そして審査の結果選ばれたのが、この「われら愛す」という曲でした。

1953年といえば、終戦から8年後、米軍占領下から日本が独立した翌年です。

未だ戦争の爪跡が残されていて、国民の大半は自分達が生きることに精一杯の時代でした。

その時代に国を愛し、平和を祈り、自由を誓うといった希望に溢れたこの歌は、多くの人々に新鮮に受け止められたと思われます。

全国各地で発表会や演奏会が行われ、ラジオからは毎日のようにこの歌が流れていました。

サントリー美術館やサントリーホール設立など、日本の文化芸術活動に貢献した佐治氏としては、国民自身が愛唱する歌を、戦前の「君が代」に変わる新しい国歌としたいという意図があったと思われます。

それは審査員の顔ぶれからも窺えます。

作詞家:西条八十、作曲家:古関裕而といえば、共に軍歌を最も沢山作った人物です。

しかも、その中にはこんな曲もありました。

比島決戦の歌(1944年3月)

(西條八十作詞・古関裕而作曲)

決戦かがやく アジアの曙 

生命(いのち)惜しまぬ若櫻

いま咲き競う フイリッピン

 いざ来いニミッツ、マッカーサー

 出てくりや地獄へさか落とし

そうしたら本当にニミッツとマッカーサーが出てきて、日本がさか落としになってしまいました。

そのマッカーサーは占領軍総司令官として、戦後6年間日本に君臨したのですから、西条と古関の両氏は周囲から「戦犯」と騒がれ、本人達も生きた心地がしなかったようです。

こうした人たちを審査員にしておけば、後で国歌として選定する際に、保守政治家や国粋主義者の反対も起きないだろうと踏んでいたのかも知れません。

私も当時、いずれこの歌が新しい国歌になるのだと、そう考えていました。

その後政府と文部省が、「君が代」を国歌とする方針を固めたため、この新国民国歌構想は立ち消えになってゆきました。

佐治敬三氏も1999年に死去し、今ではこの歌の存在自体も忘れ去られようとしています。

「君が代」の斉唱が強制されるという報道に接するたびに、私はこの「われら愛す」を思い出します。

そして今でも長野を訪れるたびに、“♪みすずかる信濃のやまべ・・・♪”を口ずさんでしまいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/08/15

「グレート・東條」

Tojo
古いプロレスファンなら、「グレート東郷」というレスラーを覚えているでしょう。ヒール(悪役)を売り物にしたレスラーでしたが、ユーモラスなしぐさで人気がありました。
窮地になると、手を合わせて許しを請うと見せて、油断した相手レスラーの股間を攻撃するというのが得意技でした。塩を使った目潰し攻撃という技もありました。
彼が終戦後アメリカでは、グレート東條と名乗っていたのを知っている人は少ないと思います。
卑劣な悪人=東條英機というイメージが、米国ではウケタのでしょう。
最近、東條英機の孫娘という人物が頻繁にマスコミに登場しますが、その度にこのグレート東郷を思い出してしまいます。

私は戦争を直接知らない世代ですが、その爪跡は覚えています。
小学校の時は、履物が無くて裸足で登校してくる生徒がおりました。傘が無くて、雨が降ると学校を休む生徒も。
高校ではクラスの3分の1が母子家庭でした。皆父親が戦死した人です。
戦時中実兄は学童疎開していましたが、昭和20年の1月に東京に戻されています。当時兄は12歳でしたが、本土決戦に備えて首都を守るんだと、教師から説明を受けたそうです。
東京大空襲では多くの学童が犠牲になりましたが、こうした背景があったためです。
そんな時代の空気は、鮮やかに記憶に残っています。

さてその東條英機、この人の肩書きが実にすごい。第40代内閣総理大臣兼内務大臣・陸軍大臣・陸軍大将、更には外務大臣・文部大臣・商工大臣・軍需大臣・参謀総長を兼任しています。
戦争の最高責任者として、全ての権力を手中にしていたわけです。
軍部は、支那などちょっと脅かせば直ぐに降参すると公言し日中戦争に突入し、勝てる勝てるという根拠の無い見通しでアメリカとの戦争を始めました。

東京裁判(正式には極東国際軍事裁判)は間違っていたという論調がありますが、戦争で勝者が敗者を裁くのは、法律上の正当性の是非はともかく、現在でもごく普通に行われています。
米国のブッシュ、イラクのフセイン、どっちの方がより悪人かというのは議論が分かれるでしょうが、戦争で勝利したブッシュが、一方的に敗者フセインを裁いています。
勝敗が逆転していたら、ブッシュが裁かれたでしょう。
これが不条理というなら、それは戦争が本来持っている不条理さによるものでしょう。

東條英機については、多くの人が様々な評価を行っています。
官僚としての手腕を評価する声がある一方、彼の行いに対して多くの批判があります。
軍部の中でも、東條の意見に反する人間や嫌いな人物は、次々と危険な前線に送られ命を落としました。
軍人だけではありません。「竹槍では戦争に勝てない」と書いた新聞記者を、硫黄島に送ろうとしました。批判が出ると、記者と同年配の人を多数招集して激戦地硫黄島に送り、全員が戦死したと伝えられています。
東海大学を創設した松前重義は東條ににらまれ、42歳で二等兵召集され、中国戦線に送られています。
陰湿で小心な人間が権力を握れば組織を誤る、東條はその典型です。

こうした人物を最高責任者に任命した者の責任はどうかと問われれば、これはあると考えてよいでしょう。
東京裁判は、東條らA級戦犯の責任を裁くと同時に、天皇の戦争責任を棚上げにした裁判でもありました。結論はともかく、この点はもっと議論しておくべきでした。
東京裁判について惜しまれるのは、出来れば日本人の手によって裁判が行われていれば良かった。
しかし、当時の国内外の状況がそれを許さなかったと思われます。

今日8月15日、62回目の終戦記念日です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/08/07

やはり警察の先走り「羽幌病院」事件

Haboro
秋田県藤里町の児童連続殺人事件で、被害者の米山豪憲君の父親が秋田県警に提出していた質問状に対し、8月3日県警より、一切お答えできないと電話で回答があったことが判明しました。
質問状は、畠山彩香さん殺害事件の初動捜査が、適切に行われていなかったことに関するものです。
現場の状況から他殺の可能性が高く、又県警の捜査員の中にも他殺の可能性を指摘する声があったにも拘らず、事故として処理されてしまいました。

売春を業としていた容疑者の客に、県警の関係者がいたとの噂が絶えないし、そのために彩香ちゃん事件での捜査方針が曲げられたという記事が週刊誌に書かれています。
しかも豪憲君殺害事件では、父親が怪しいとの情報を報道機関にリークしていたわけで、実に手口が陰湿かつ悪質です。
事実に反するのであれば、回答を拒否して逃げ回るのではなく、警察はきっぱりと自らの潔白を証明すべきです。

さて、以前このブログに「これは「殺人事件」だろうか」(http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2005/05/post_f1a1.html)というタイトルでとり上げた、道立羽幌病院の医師が殺人容疑で書類送検された事件の続報です。
北海道羽幌町の道立羽幌病院で2004年2月、無呼吸状態になった男性患者(当時90)の人工呼吸器を取り外し死亡させたとして、当時勤務していた女性医師が殺人容疑で書類送検された事件です。

事件の経緯は、自発呼吸を停止し、瞳孔が開いた状態で人工呼吸器を付けられていた男性患者に対し。医師は「脳死状態」と判断して、家族の同意を得た上で呼吸器を外したものです。
男性患者は約15分後に呼吸不全で死亡しました。

旭川地検は8月3日、この医師について嫌疑不十分で不起訴処分にしたと発表しました。
理由について、人口呼吸器の取り外しと死因との因果関係が薄いとした上で、呼吸器を外さなくても、男性の余命が十数分程度だった可能性は捨てきれず、取り外しが死期を早めたと認めるのは難しい、との見解です。
死亡した男性患者の家族は、「いい先生だった。不起訴になってよかったと思う。処罰感情はなかった」と話しています。

私が以前書いた記事では、次のようにコメントしておりました。
『この事件の場合、脳死判定を担当医個人で行ったことには問題がありますが、家族の同意を得て人工呼吸器を外していますし、故意で人を殺した殺人事件とは、どう考えても馴染みません。
これを立件化した北海道警の判断は、誤りだと思います。』
今回の検察の判断も、同様の見解でした。

私のような素人でも判断できることを、一体全体警察は何を考えて殺人事件と判断したのでしょうか。
そもそも、最初から事件性など存在しなかったのではないのだろうか。
警察は、自らの使命と責務をもう一度真剣に考えて欲しいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006/08/05

柳家喬太郎独演会@横浜にぎわい座

Kyotaro
みなとみらいの花火大会と重なり、身動きの取れない桜木町駅をようやくすり抜けて、8月1日横浜にぎわい座へ。
今回の柳家喬太郎の趣向は、「前座噺特集」。開演のハナにいきなり喬太郎が登場、めくりは「開口一番」で、終われば自らが座布団を返して引っ込むという演出。
いかにも女性ファンが喜びそうなニクイ演出。

客演は柳亭左龍で「風呂敷」。今年真打に昇進した左龍、おかみさんの描写にやや色気が欠けるが、正統派の好感が持てる高座だった。
左龍は、着実に上手くなっている。

喬太郎は当日三席ご機嫌を伺った。
先ずは「たらちね」。上手い噺家が演ると、これ程面白く聞かせるものかと感心。「あーら我が君」の女房に、上品な色気を感じさせるのは、さすが喬太郎。

二席目は「道灌」。マクラで花火の見物客をさんざん揶揄して、ここからいつもの喬太郎節。言いたい放題で、観客を爆笑に誘って本題。
別に奇をてらった演出をしているわけではないが、面白く聞かせてくれた。
こうしたネタで、客を楽しませるところに、喬太郎の実力を窺わせる。

トリは「金明竹」。これも前座噺の典型だが、意外と難しいネタだと思う。
最大の眼目は、次のセリフだ。

『ごめんやす。旦那さん、おいでですか? 私、中橋の加賀屋佐吉方から参じました。先度、仲買の弥一が取り次ぎました道具七品のうち、祐乗・光乗・宗乗三作の三所物、ならびに備前長船の則光、四分一ごしらえ横谷宗民小柄付きの脇差、柄前は、旦那さんが古鉄刀木と言やはって。やっぱりありゃ埋木じゃそうに、木が違ってますさかい、念のためちょっとおことわり申します。次は、のんのこ茶碗、黄檗山金明竹、寸胴の花活、「古池や蛙とびこむ水の音」と申します、あれは風羅坊正筆の掛物で、沢庵・木庵・隠元禅師張交ぜの小屏風、あの屏風は、わての旦那の檀那寺が兵庫におましてな、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、兵庫にやり、兵庫の坊主の屏風にいたしますと、かようお伝え願います』。

これを立て板に水のごとく、歯切れ良く一気に言い立てなくてはならない。
しかも4回繰り返すが、少しずつ言い方を変えなくてはいけない。
先代の三遊亭金馬が得意としていたが、名人と言われた6代目三遊亭圓生の口演は見るも無残であった。
並の前座ではとても勤まらない前座噺といえる。

喬太郎は、使いの男がセリフを繰り返す度に段々キレテいくという演出で、客席を沸かせた。

一日に喬太郎を三席聴けるという贅沢さ、十分満足の独演会だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/08/02

ミックス寄席「柳家三三と古今亭菊朗」@日本橋亭

長雨の後は一気に秋の気配で、これじゃ海水浴場はあがったりですね。こういう時は寄席に限ります。
そんな訳で、7月30日はお江戸日本橋亭での「柳家三三と古今亭菊朗」の会へ。
実は日本橋亭は初体験でして、小屋が小ぶりなのと、今時床に座って聴けるという嬉しい会場になっています。
最前列の中央に座ると、何だかサシで落語を聴くような気分になります。

三三(さんざ)は今年真打に、菊朗は来春真打昇進が決まっている、共に落語協会期待の若手噺家です。
タイプは二人大きく異なり、三三が師匠小三治譲りの端正でいてどこかトボケタ味わいがあるのに対し、菊朗はハイテンションで常に精一杯の熱演と、好対照な高座です。

Sanza
1年先輩の三三は「道具屋」と、トリの「お神酒徳利」の2席。
「道具屋」は典型的な前座噺ですが、最近前座があまり演らなくなりました。
単純なストーリーの割に登場人物が多く、結構難しい演題なのかも知れません。
三三の独特のトボケタ感じがネタと合っていて、楽しめました。

一方の「お神酒徳利」、6代目三遊亭圓生が得意とした大ネタです。
長講ですが、「文七・・」のような泣かせる人情噺ではないし、さりとて笑いの取れる滑稽噺でもない、演者の話芸だけで長時間をもたせると言う、難しいネタです。
高座に掛かる機会も多いのですが、いずれも圓生の名演には遠く及ばない。
三三はやや勉強不足か、細かなミスが目立ちました。
それと途中でギャグを入れていますが、この噺はそのまま真直ぐに演じた方が良いと思います。
いずれにしろ、もう少し稽古を積んで再挑戦して欲しいと思います。

Kikurou
菊朗は、「三味線栗毛」と「小言幸兵衛」の2席。
盲目の按摩が主人公のためか、電波に乗りにくいネタで、寄席ファン以外にはお馴染が薄い演題です。
落語に出てくる按摩というのは、とかく嘲笑の対象とされるのですが、この噺の按摩は目出度く検校に出世するという、お目出度いストーリー展開です。
菊朗は按摩と部屋住みの武士(後の大老酒井雅楽頭)の人物描写がしっかりとしており、最近聴いた「三味線・・」の中では出色の出来でした。
どんなネタでも、常に真直ぐに演じる菊朗の姿勢は好感が持てます。

「小言幸兵衛」、これも良い出来で十分楽しめました。
菊朗は間もテンポも上々で、もしかすると現在の演者では最高の「小言幸兵衛」ではと、思わせてくれました。

この日の二人会は、後輩の菊朗の好演が目立ちました。
とかく真打になってから足踏みする噺家が多いので、このお二人の更なる精進を期待します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »