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2006/09/29

中国「上海汚職事件」で見えてくるもの

Kokinto_kotakumin_1中国で9月25日、上海の社会保険基金の不正流用汚職事件に関与したとして、同市トップの陳良宇・党委書記(59)が解任されたことが明らかになりました。
また同事件にからみ黄菊副首相(党中央政治局常務委員)の妻らが軟禁されたことも明らかになっています。
中国共産党で政治局員が解任されたのは11年ぶりですから、今回の上海汚職事件は大きな政治問題です。

このブログでも、中国政府の汚職問題は何回か採りあげてきました。
中国共産党の過去の党大会の中でも、再三にわたり幹部の不正・汚職の撲滅が訴えられてきましたが、一向にその効果が上がっていません。それどころか、ますます深刻化するばかりです。
昨年1年間で、全国で1万1000人が汚職で党籍をはく奪され、うち7000人が刑事処分を受けています。
もちろんこうした摘発は氷山の一角に過ぎません。
党中央規律検査委員会は、今回の事件に関連し、「職責の高低にかかわらず、誰であろうと法律にのっとり調査し、腐敗分子を厳しく処分する」とコメントしていますが、本気でそんなことをしたら、中国政府の幹部は皆いなくなってしまう。

現在の中国が抱える最大の政治課題は
①幹部の不正・腐敗
②格差(都市と農村、沿岸部と内陸部、北と南)の拡大
の二つです。今回の事件はその双方に絡んでいます。
北京の胡錦濤政権は国内の格差を是正するため、経済成長率を抑えようとしています。
それに対して上海市の幹部はあくまで経済成長を第一にしたい、この対立があります。中国の昔からの政治の北京、経済の上海という構図が、未だに生きているわけです。

もう一つ今回の事件に見え隠れするのは、権力争いという側面です。
胡錦濤政権の基盤は未だ弱いですから、ここで上海閥である江沢民・前総書記の力を殺いでおきたいという思惑が背景にあります。
そうした意味で、今回の汚職摘発は「政変」と見ても良いでしょう。

今の中国が社会主義国家などと思う人はいないでしょう。確かにかつて社会主義を目指していた時期もありました。
しかし現在はむき出しの資本主義、いうならば原始資本主義国家が実態です。所得の再分配が行われず、富める者や権力者にばかり有利なルールが作られ、格差は拡がる一方です。
もう一つ重要なのは、社会全体に倫理が欠けている点です。
「改革開放」以前の中国に旅行した時はチップにボールペンを渡しても丁重に断られたのに、今では10元(150円)渡してもフンという顔をされると、古くからの旅行者が言います。
金が大事=金が全ての社会 になってしまい、かつては国民の中にあった倫理観もすっかり捨て去られました。
倫理無き資本主義がどこに向かうか、その将来は決して明るいものではありません。

経済は改革され資本主義になっているのに、政治形態、社会のシステム、法整備、公正な徴税ルール、社会規範、これらが全くといって良いほど手が付けられていない、ここに中国の根本問題があります。
現在の「もぐら叩き」のような不正・腐敗摘発では、何も解決されません。

もう一つ、経済格差の拡大をナショナリズムを煽ることによって、国内の不満を逸らそうとしている政策も気になる所です。
しかしこの点は現在の日本政府も同様で、一方で「改革」の名のもとで格差拡大を進め、もう一方で民族主義を煽る、正に小泉―安倍政権は中国政府と同じ手法をとっています。
政治に倫理観が欠けていること、中央官庁や地方自治体での不正・腐敗が止まる所を知らないのも、何か似ておりますなあ。

「他山の石、以って玉を攻むべし」です。

2006/09/27

「負け組」ブログ

昨夜の安倍晋三新総理の記者会見を聞いて、空疎な言葉の羅列というものがいかに人の心を打たないかということを、シミジミと感じました。

さて、いきなりヤケクソなタイトルで恐縮です。

現在ブログを開設している人は延べ約9百万人といわれていますが、実際には開店休業のところも多く、実数はその数分の1と思われます。それにして多くの人が日々利用しているわけです。

ブログランキングなどというものを時々見ると、毎日数千、数万のアクセスを誇る驚きのブログがあります。こうした一部の「勝ち組」ブログがある一方、当方のブログ同様の超零細サイトである大多数の「負け組」ブログに別れる格差社会になっているようです。

人気の上位を占めるのは「タレント」や「芸能情報」のイロ物系ブログが圧倒的な強さを示しており、次いで一時の勢いは衰えてはいるものの、反中反韓を掲げる民族蔑視系ブログが高い人気を保っています。

時々人気ブログにも目を通すことがありますが、なかにはナットクの充実サイトがある反面、ナンデこのようなものが・・・と首を傾げたくなるものも多いですね、こっちの方が未だマシじゃないかと。

極論や単純な決め付けが好まれるのは、ネットの性格上致し方ないのかも知れませんが。

記事を読んでいて、これを書いた人は過去によほど不幸な人生を歩んできたのだろうなと、思い巡らしてしまうサイトも散見されます。

あまり他人のことは言えませんけど。

当方のブログを開設して以後に、私が愛読していた多くのサイトがクローズしました。

その原因の一つにいわゆる「荒らし」、執拗なイヤガラセの書き込みがあげられます。何が楽しいんでしょうね。

こういう事でしか自己表現できないとしたら、実に気の毒な人々だと思います。

さて、niftyのココログを利用している方はご存知の通り、今年5月18日よりサイトのアクセス解析が導入され、当ブログのような無料サイトでも時々刻々アクセス状況が表示されるようになりました。

それまではどの程度の方がどの記事を見ているのか全く見当がつかなかったのですが、現在は日ごと時間ごと記事ごとのアクセス数がリアルタイム表示され、どのサイトからどのようなキーワードを使って飛んでくるのか、あるいはリンク元のURLや移動履歴まで分かってしまうという実にオソロシイことになりました。

そうなるとやはり人情、どうも日々のアクセスデータが気になってくるんですね。

アクセス頻度という項目もあり、6名の方が毎日欠かさずアクセスされているようです。管理人でさえ毎日は見ていませんのに、涙が出ますね。住所とお名前が分かれば、手土産を持参し1軒1軒お礼に参上したいくらいです。

この他、ほぼ100名の方が固定読者として当ブログを訪問頂いているようで、感謝に堪えません。

ページ別アクセス数という項目もありまして、これによりどんな記事が読まれているのかが分かります。これはなかなか参考になりますね。

因みに5月18日~9月25日の当ブログの記事に対するアクセス・ベスト5は、次のようになっています。

①米原万理さん、さようなら

http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_eecf.html

同時通訳者にして作家の米原万理さんへの追悼文で、この記事がダントツの1位でした。

優れた国際感覚と上品なシモネタ、米原万理さんがいかに多くの方々から敬愛されていたか分かります。

②この逮捕はおかしい「福島県立病院・産婦人科医の医療ミス」

http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_59c3.html

当ブログでは、医療過誤・事故問題を再三にわたり採りあげています。この事件は明らかな医療ミスとは決め付けられない微妙なケースにも拘らず、医師が殺人容疑で逮捕されたものです。

小児科や産婦人科の医師が少なく、特に地方の医療機関では深刻な問題になっています。

医師の方々からのコメントも読んで頂きたいエントリーです。

③「村上世彰」だけが悪いのか

http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_6ce2.html

一時期世間を大きく騒がせた村上ファンド事件を扱ったもので、そもそもそんなに重大な事件なんだろうかという疑問を呈しています。

もし不正があったなら、村上被告のバックにいた日銀の福井総裁や、オリックスの宮内会長はなぜ裁かれないのかという問題を投げかけた記事です。

④柳家喬太郎独演会

http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2005/05/post_6747.html

固定読者の中に落語ファンの方がおられるようですが、やはり柳家喬太郎ファンが多いようです。

彼が出演する落語会に行くと、前方の席には女性信者がずらりと並び手を合わせています。だから入場料とはいわず拝観料といいます。冗談です。

当分はキョンキョンの時代が続くのでしょうか。

⑤ある女の物語(後編)

http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_38f1.html

秋田で起きた小学生米山豪憲君殺人事件の畠山鈴香被告のことを書いたもので、この後実の娘彩香ちゃんまで手にかけていたことが分かりました。

この事件は決して特殊なケースではなく、これからも全国でいつでも起こり得る事件だと書きましたが、不幸にもその後同様な事件が繰り返されています。

周囲から犯人に同情的過ぎるとお叱りを受けました。女性のこととなると、なぜか筆が鈍るのが私の欠点であります。

末筆ながら当ブログにご訪問の皆様のご多幸と、そうでない方々のご不幸を、心よりお祈り申し上げます。

2006/09/25

「上海総領事館員自殺事件」の検証(下)

Shanhai一時は中日で決まりかけていたセ・リーグペナントレースですが、5連勝した阪神が首位に3ゲームと肉薄、逆転優勝の可能性が見えてきました。
自民党総裁選のサル芝居とは大違いで、こちらは最終盤まで激烈なトップ争いが続きます。
強いぞ阪神タイガース! フレー フレー フレー!

さて前回の記事で、くだんの上海カラオケ店が売春店であることを指摘しました。
どこへ行ったって、入り口に「売春店」などと看板を出している国はありません。必ずカモフラージュが行われていますが、実態は誰もが知っている。
日本でも昔は、銭湯や蕎麦屋の2階が売春宿だった時代がありました。
台湾では理髪店が有名でした。ブラックバーバーなどと呼ばれていて、一見すると床屋さんですが、中身は売春宿です。
インドではホテルの地下にあるディスコが高級売春店で、交渉が成立すると上階の部屋に移動する仕組みです。
タイではマッサージ店がそうですね。
ああこれ、みんな他人から聞いた話ですけど。

中国では売買春は重罪で、最高刑は死刑です。時々思い出したように摘発―検挙―裁判―処刑が行われます。ですから風俗店を続けるためには、公安当局からのお目こぼしが必要です。
又こうした店の営業許認可も、公安当局が握っています。
つまり風俗店の生殺与奪の権限は公安の手にあり、店は絶対に当局には逆らえないわけです。
ことによると、日本でも同じような事情があるかも知れませんね。
つまり自殺した領事館員は売春店に出入りしていて、親しくなった売春婦が摘発されたのをきっかけに、これをネタにして公安当局から脅されたというのが真実と思われます。

なぜご本人の身分ガ分かってしまったのか、この点は詳らかではありません。
店の女に気を許して自ら身分を明かしたのか、あるいはこうした店で名刺を渡すと全て店のオーナー経由で公安当局に渡されるそうですから、そうしたルートで領事館員であることが分かったのでしょうか。

大使、公使、領事など在外公館に勤務する人たちにとって、重要な職務は相手国の情報収集活動です。諜報活動と言い換えても良いでしょう。在外公館に配属された外交官は、常に情報戦の最前線にいるわけです。
これは世界共通であり、各国とも情報収集や諜報活動に必要なスタッフを配置しています。無論我が国も例外ではありません。
在外公館に勤務する人たちは、給料がそっくり残るくらいの海外勤務手当てや経費が支給されているそうですが、これは危険手当的な側面もあるでしょうが、それより外国で国益にかなう情報活動をして貰うための必要経費と考えて良いでしょう。

最近公務員の給料が高すぎるという声が聞かれます。給料を下げろという主張ですね。
そうではなくて、高い給料に見合う仕事をして貰うことのほうが大事だと、私は思います。

外務省職員には服務規程があり、在外公館の職員が女性を買うことは当然禁止されているはずです。
外交官であろうと自衛官であろうと、中国での買春行為は、摘発を受ければ処罰の対象になるし、弱みを握られ脅迫を受けるという高いリスクを負っているということは、自明のことです。
身を律することが出来ない人間であれば、そうした職業には不適格です。

今回の事件に関して、外務省は本来は表沙汰にしたくなかったのでしょう。
しかし1年半が経過した後、どこかの政治的判断でマスコミに情報をリークし、週刊誌に取上げさせたものと推測されます。
公になってしまった以上、自殺した館員にはお気の毒ですが、こうした事件を繰り返さないために、外務省は事実を明らかにすべきです。

弱みを握って相手から情報を引き出す、これは日本であれ外国であれ、世界共通の公安当局の常套手段です。

2006/09/23

「上海総領事館員自殺事件」の検証(上)

Karaoke防衛庁が内局職員や自衛官を対象にした内部調査を実施し、無断で海外渡航した経験のある職員、自衛官は合計575人にのぼることが明らかになりました。まあ実際にはもっと沢山いるんでしょうけどね。
今回の調査は、海上自衛隊の一等海曹が機密資料を持ち出す一方、無届けで8回も上海への渡航を繰り返していたことが発覚したことが引き金になったものです。
上海では、先般領事館員の自殺で問題となったカラオケ店に通っていたのですが、まさかカラオケを歌うためにわざわざ上海に行くヤツはおりません。
目的は唯一つ、女性を買うためでしょう。
先の無断渡航にしても多くが買春目的と思われます。だから無断にならざるを得ない。
ここで発端となった上海総領事館員自殺事件を、改めて検証して見たいと思います。
私はあの事件は、日本政府や外務省にとって決して名誉な事件ではない、むしろ不祥事と考えるべきではないか、少なくともこの領事館員を悲劇のヒーロー扱いするのは間違いだと思っています。

ここで、事件全体をちょっとおさらいしてみます。
2003年当時、上海領事館員が地元のカラオケ店に出入りしているうちに、ある中国人女性と親しくなりました。この文脈で“親しく”といえば、女性との間に性的関係にあったと考えるべきでしょう。
ところが6月にその女性が、中国の情報当局により売春容疑で拘束されます。これを機に中国情報当局は、この女性を連絡係として、館員との接触を始めます。
2004年に入ると、当局は電信官であったその館員に対して、日本側の情報を提供するよう迫るようになります。
この館員は、一度は情報提供に同意しますが、これから先要求がますますエスカレートすることを苦慮し、同年5月6日遺書をしたため自殺したものです。

事件発生直後、外務省は中国に対して、ウィーン条約に違反するとして口頭で抗議および真相の究明を要求したとのことです。しかし遺族への配慮となどの理由から公表は差し控えていました。
また外務大臣や官邸へは報告しなかったとされています。
処が、今年初めの週刊文春に掲載された記事をきっかけに、メディアがこの事件を大々的に取上げるようになり、日中両国間の問題に発展していきます。
外務省は、この自殺が中国当局からの脅迫が直接原因であった旨の声明を発表、中国側はこれを完全否定し今日に至っています。
経緯から見れば日本側の主張通りであり、中国側が嘘をついているのは明白です。
問題なのは、脅迫されるに至るプロセスでしょう。

私が最初にこの事件を知った時真っ先に考えたのは、外国からの情報収集に関して映画やドラマ、あるいは書籍に書かれているのは本当なんだなという感想です。つまり女性をエサにして秘密を聞き出すという、あの古典的手口です。
現に外務省OBへのインタビューでも、この種の事件は過去にもあったとの証言がありました。
男をたらしこむには、昔から「飲ませる、抱かせる、握らせる」と相場が決まっています。酒食でもてなし、女性を提供し、金品を渡す、これが相手を落とす3原則ですね。
何も外交問題だけではありません。通常の商取引の接待の世界でも、まま見られることです。
日本だって、外国から要人が来た時に、高級ソープランドに案内する場合がありますよね。よく大手商社などがアレンジしていますが、
違いますか?

問題は、この上海総領事館員自殺事件に登場する日本人向けカラオケ店の実態です。
先日TVのある番組で、問題となった上海カラオケ店に潜入した映像が放映されていました。
店に入ると、番号札を付けた若い女性がズラリと勢揃いして、三つ指つぃてお出迎えです。客は気に入った女性を指名し、そのまま二人で個室に消えてゆきます。
これは誰が見たって、この店が売春店であることは分かります。
中国の一部のカラオケ店が売春の隠れ蓑になっていることは、元上海総領事の杉本信行氏が書いた「大地の咆哮」(PHP研究所)でも指摘されています。
事件当時杉本氏の部下であった館員も、当然そのことは承知していた筈です。

次回へ続きます。

2006/09/21

寄席な人々【観客編】

Yose田舎芝居の興行も昨日で終わり、台本通りの新総裁の誕生。これから1週間位はご祝儀番組が続くでしょうから、少々ウンザリ。

芝居だろうと音楽だろうと、ライブというのは演者と観客が作り出すハーモニーです。良い舞台には良い観客が必要です。
特にお客の反応で演目まで変える寄席の世界では、観客の役割は大きい。
それ以前に、ある程度の客が小屋に入っていなくてはいけない。
私が経験したひどいケースで、お客が4人ということがありました。こうなると、どうしたって熱演は期待できません。芸人よりお客の方が緊張してしまう。
昨今の寄席ブームでは考えられないことですが。

寄席芸人にとっては、客が笑ってくれるかどうかは一番気になりところです。
私が子供のころ寄席に行き始めた当時、近所にいた若林さんという中年の女の人がよく一緒でした。
この人は、絶対に笑わない。なん時間寄席にいてもニコリともしない。周りが大爆笑している時、ついつい若林さんの顔を見てしまうのですが、やはり笑っていない。
それでも若林さんは、寄席が大好きなんです。

当時の末広亭の常連に、もう一人中年の男の人で絶対に笑わない人がいました。ああいう人は、後ろから行って、腋の下をくすぐるしかないですね。
一緒に見てるこっちも気になって、ちょくちょくその人の表情を観察するようになります。まして高座の芸人は気になって仕方がないでしょうね。
笑わないのに寄席は好き、色々な人がいるものです。

反対に笑い過ぎる人、これも又困ったものです。
先日鈴本演芸場ですぐ後ろに中年のご婦人たちが座っていましたが、この人たちが実によく笑う。というより、殆ど笑い続けていまして、そうなるとこちらが高座に集中できない。
演者の方だって面白くない場面で大笑いされると、やりにくそうです。
私が持っている古今亭志ん生のCDで、一人の女性客の甲高い笑い声が殆ど切れ目なく続いていて、好演がぶち壊しになっています。

ちょっとタイミングがずれて笑う人、これも噺の流れを妨げます。
三遊亭圓生の高座で、マクラで圓生が小咄を入れた時のことです。
中国の老子という人は80年間母親の胎内にいました。ある時弟子が、「先生、母の胎内というのは、どういうところですか?」と聞くと、老子いわく「まるで秋の季節の様なところだ」との答え。
「そりゃまた何故に」という問いに答えて老子いわく、「時々下から松茸が生えてきた」。得意の艶笑(圓生)噺です。
これを聞いていた女性客が、2-3分過ぎてから意味が分かったらしく、次の話題にはいって後に急に大声で笑い出し、圓生が困っていました。

昔の落語の録音を聴いていると、子供の笑い声が聞こえます。
私も小学校2年生のとき、初めて寄席に行きましたが、以前は小さな子供がよく寄席に来ていたものです。
人形町末広は桟敷でしたので、親子4人連れがお握りとポット(当時は魔法ビン)持参で見に来ていたりすると、微笑ましかったですね。
ああいう子は、絶対に非行になりません。
教育基本法ウンヌンより、先ず子供を寄席に連れて行きましょう。
人生で大切なことは、全て寄席で教えてくれます。

もっとも、芸人から見ると子供はあまり歓迎されないようです、「ジャリ(子供の符牒)はうるさいね」ってな具合でね。
色物で大変な人気があった、柳家三亀松という有名な芸人がおりました。この人は音曲の芸人ですが当時の大看板で、寄席で度々トリを取っていました。

ある時三亀松が、末広亭で昼夜のトリに上がって、全く同じネタをやったことがあります。
まだ8歳くらいだった私が最前列で立ち上がり、隣の母に「この人、昼と同じことをやっているから帰ろう」と、退場しました。
その後高座でこの三亀松が、「子供がいるとやりにくい」とよくぼやいていましたが、あれは私のことだなと思いました。
子供は権威なぞ認めず、感じた通り行動するので、芸人としてはやりづらいのでしょう。

酔っ払った観客が減ってきたのは良いことです。
酔ってヤジを飛ばし、時には芸人と口喧嘩になったり、客同志が怒鳴りあうという光景は、すっかり影をひそめましたね。
その代わり、時々携帯電話が鳴る、これは困ったものです。
携帯が初期のころ、客席にかかってきた携帯電話をとり、落語家が一席伺っている最中に座席で通話しているのを2度見ました。
先日の内田光子リサイタルでも、演奏中に携帯の呼び出し音が鳴っていました。
ああいう人は、今後劇場への立ち入り禁止処分にして欲しいですね。

良い芸人を作るのも、良い舞台を実現するのも、偏に観客の力です。
お金を払って芸に貢献する、これぞ贅沢の極みです。

2006/09/18

ミックス寄席「歌の入る噺の会」

9月17日練馬文化センター小ホールで「歌の入る噺の会」が。
全席自由席とのことだが、開場20分前に到着すると、玄関ホールは満員。整理券が配られ、番号順に呼び込みというシステムに戸惑う人もいたようだ。もちろん満席。
落語家が余興に歌ったり、噺の中にちょっと歌を入れることはあるが、歌入りの落語と銘打って会が催されるのは、初めての試みかも知れない。

三遊亭白鳥「牛丼晴れ舞台」
圓丈の弟子らしく、どこかトンダところのある白鳥の芸風と、この新作落語は良く合っていて楽しめた。
自作の「牛丼音頭」(?)の完成度も高く、客席を沸かせていた。歌う前は自分はオンチだと謙遜していたが、どうしてどうして結構歌唱力有り。

Ichiba_2柳亭市馬「掛取り」
今回の企画に市馬が入るのは、他の落語家から見ると規則違反に見えるだろう。それほど市馬の歌はプロ級の折り紙付き。
相撲甚句の後は、得意の三橋美智也のメドレー、ア・カペラで歌っても十分聞かせる喉は大したもの。
歌入りということで、噺の方はややいい加減にしていた傾向がある中で、市馬の「掛取り」はしっかりと。
今後は春日八郎バージョンとか、三波春夫バージョンとか、市馬のオハコになりそうな予感。

昔昔亭桃太郎「子ほめ」
独特の芸風で人気の桃太郎だが、この日は風邪なんだろうか、咳がひどく聞いているほうが集中できない。
ミュージカル風にふんだんに歌を取り入れていた工夫は認めるが、いかんせん音痴。
ご愛嬌といってしまえばそれまでだが、途中から客席もダレていた。

仲入り後
柳家喬太郎「井戸の茶碗」
まさか歌入りをこのネタでと意表をつかれた。
随所にウルトラマンやモスラの主題歌を入れながら、ちゃんと「井戸の茶碗」をまとめたあたり、さすがは喬太郎。
この人は客へのサービス精神、特に若い女性客を喜ばせる術は、断然群を抜いている。
しばらくは喬太郎の時代が続くか。

柳家権太楼「一人酒盛り」
マクラで我が一門はこんなことしてる場合じゃないと言っていたが、当代柳家小さん襲名披露のことだろう。確かにその通り、林家正蔵と比べても、今回の小さん襲名に対して落語協会、少し冷た過ぎやしないだろうか。
酒好きの権太楼にとって打って付けのネタで楽しめた。
権太楼得意の「ジャンバラヤ」は前座がやってしまったし、どんな歌を入れるかと思っていたら、「東京ホテトル音頭」とは意外な選曲。
もっとも途中から「本家」喬太郎が加わって、どうりで喬太郎の高座でこの歌が出なかったのか納得。

本日の勝負、予想通り市馬の一人勝ち。
でもこの企画、なかなか良かったですよ。

2006/09/17

憧れの「内田光子」を聴きに行く

竹中平蔵の突然の議員辞職ですが、どうやら安倍新内閣からお呼びがかからないと見ての行動のようですね。
大臣を目指して議員になる人は多いですが、大臣のためだけに国会議員になったのは、憲政史上この竹中が初めてでしょう。こうした職業倫理観がない人物が国政を牛耳っていたということは、呆れるしかありません。
これからは、国会議員になるためにプロレスラーになんてね、それも何だかなあ。

閑話休題。
Mitsuko_uchida今最も海外で活躍している日本人演奏家といえば、先ず内田光子の名が上げられます。モーツァルトのピアノ曲では、世界最高の弾き手の一人であることに異論がないでしょう。
9月16日サントリーホールで、その内田光子ピアノリサイタルが行われ、初めて憧れの内田光子さんをナマで見てきました。
チケットが入手し難いとよく言われていますが、今回は1階のほぼ中央という絶好の席が確保できました。

会場入り口で、演奏者と演奏曲目解説とが書かれた小さなプログラムが配布されましたが、これは良いですね。他の演奏会でも是非見習って欲しいところです。
ただ音楽評論家というのは、難解な文章を書く人が多いのには閉口します。例えば今回の解説書でもこんな一節がありました。
「アダージョ部分の冒頭はユニゾンと溜息音型の対話からなる。ここで現れる『嬰へート』の動きとバスの半音階進行は主調のハ短調を脅かしているといえるが、アダージョ全体も調的な安定をことごとく拒んでいく。」
ナンダこりゃあ、今日来たお客さんは皆、この文章を理解できるんだろうか。まるでコンピュータで和訳したような文章で、マトモな日本語になっていない。音楽の研究もいいが、日本語の勉強をして欲しい。
内田光子さんとは関係のない話ですけど。

演奏家の紹介の冒頭で、シカゴ・トリビューン紙の記事が掲載されています。
「内田は、内田以外の何ものでもない。何を演奏しても、そのエレガントで深遠な音楽の解釈が、知性と情感の絶妙なバランスを現出させる。」
ふんふん、これなら低レベルな私でも、そうかそうかと納得できます。
難しい理屈はともかく、内田光子のディスクを聴くと、真っ先に感じるのが音の美しさです。

当日の演奏曲目は、いずれもモーツァルトのピアノ曲です。
幻想曲 ハ短調K475
ソナタ ハ短調K457
アダージョ ロ短調K540
(休憩)
ソナタ ヘ長調K533/K494
ソナタ ニ短調K576
それにアンコールの小品2曲を加えて、正味2時間を越す演奏会となりました。
休憩後、美智子皇后が来場、盛んな拍手を受けていました。

内田光子さん、一口でいえばとにかくカッコイイ、歩き方、お辞儀の仕方、演奏の姿勢、どれをとっても優雅で洗練されています。
演奏家といえども、やはり見た目は大事です。

演奏技術をウンヌンしたり、個々の曲ごとの解説をする力はありませんから、全体印象にとどめます。
ソナタにせよ、協奏曲にせよ、モーツァルトのピアノ曲はいずれも美しい旋律を有しています。
人間というものは、かくも美しい音楽を創り出せるものかと思ってしまいます。
それでこの日の内田光子の演奏ですが、今まで経験したことのないような音に感動しました。
人間というものは、かくも美しい音を紡ぎ出せるものかと。
美しい音楽を、最高の演奏で聴ける贅沢さです。

昨夜は久々に幸せな気分で家路につきまました。

2006/09/14

帰ってきた「ミラーマン」

Uekusa以前女子高生のスカートの中を手鏡でのぞこうとしたとして有罪判決を受けた、「ミラーマン」こと植草一秀教授(45)が、電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして、現行犯で逮捕されていました。
股(また)してもです。

植草容疑者は今月13日午後10時10分ごろ走行中の京浜急行の電車内で、高校2年の女子生徒の下半身を触った疑いjが持たれています。女子生徒が声を上げたため、周囲の乗客に取り押さえられたものです。

植草容疑者は一昨年4月、JR品川駅構内のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡でのぞこうとしたとして逮捕・起訴され、罰金50万円の有罪判決が確定しています。
裁判では「誤認逮捕」として無罪を主張しましたが、痴漢の前歴があったことや制服マニアであったことなどが、裁判官の心証を悪くしたようです。
今回も調べに対して「覚えていない」と否認しているそうですが、仏の顔も三度、もうその言い分は通らないでしょう。

前の事件で植草容疑者は早大大学院教授を解任されましたが、今年4月から名古屋商科大大学院の客員教授に迎えられていました。
経済学者としては優秀で業績も残しており、今でも彼の冤罪を信じて支援を続けている人がいるにも拘らずで、再び愚行を繰り返してしまったわけです。

以前このブログでこの問題を取上げた時に、男は上半身と下半身の人格が違う場合があると書きましたが、「エロノミスト」植草教授は、どうやらこの典型のようですね。

2006/09/12

「ニセ有栖川宮」事件の闇

Arisugawa1_1かなりの年配者ならご存知でしょうが、明治後期から昭和初期にかけて人気があった葦原金次郎という人がいました。自らを将軍、晩年には天皇であると信じて、葦原将軍葦原天皇を自称した人物です。統合失調症患者で、人生の大半を松沢病院で過ごしました。
周りの囚人や看守をみんな家来扱いし、記者会見を開いて「勅語」を発表するなど奇行を繰り返しましたが、なぜか国民的人気が高かったそうです。
こういう人物ならご愛嬌で済みますが、こちらの事件はそうはいきません。

一時世間を騒がした「ニセ有栖川宮」事件、9月11日東京地裁で判決が行われ、北野康行と坂本晴美両被告に対し、詐欺罪として懲役2年2月を言い渡しました。
公判でも本人達は自分は皇族であり詐欺ではない、これからも有栖川宮を名乗ると主張したため、実刑となったようです。判決ではこの点を、「北野被告の供述は旧宮家をかたるための荒唐無稽な作り話であるのは明らか」として、ばっさりと切り捨てています。

当初は被害額もたいしたことないし、騙した方も騙された方も冗談半分、ことさら大騒ぎするような事件ではないと思っていたのですが、調べていくうちに、そうでも無いかと思い始めてきました。
被告の北野康行は、自身が設立した「有栖川宮記念」という政治団体の総裁「有栖川識仁」として活動していましたが、同時に「日本青年社」の名誉総裁でした(ただし逮捕前に退任)。
「日本青年社」といえば、泣く子も黙る広域暴力団・住吉会が作った右翼団体で、日本最大の構成員を誇ります。
しかし、こうした事実を報道したマスコミは皆無であったようです。

小泉総理が靖国参拝をした8月15日、加藤紘一自民党元幹事長の実家兼事務所が全焼した事件で、堀米正広容疑者が逮捕されました。
堀米は、東京都内の右翼団体「忠孝塾愛国連盟」の常任参与でしたが、「忠孝塾愛国連盟」というのは「日本青年社」系列の政治結社だそうです。
私の知る限り、このことを報道したマスコミはありません。
マスコミだけではありません。この放火事件について政府の反応が鈍かったこと、警察がいち早く個人的な犯行であり背後関係が無いと断定したのも、奇妙な印象を持ちました。

もう一つ住吉会の関係で忘れてならないのは、北朝鮮との関係です。
1998年8月、住吉会系暴力団の組長らが、日本漁船を使って北朝鮮籍の船と東シナ海上で接触し、覚せい剤300キログラムを密輸入しようとしました。暴力団側は覚せい剤を受け取ったものの、海上保安庁などの追跡に気づいて高知県沖で海に投棄しています。
これは当時の扇千景国土交通相が、記者会見で明らか にしています。

「ニセ有栖川宮」「加藤氏自宅放火」「北朝鮮麻薬密輸」、一見何の関係もないように見える事件ですが、住吉会=「日本青年社」という共通項で結ばれています。

更にこの先には総裁選の・・・、
まあ、ここいらでヤメテおきましょう。
ただこの背後関係は面白いけど恐ろしい、「オモオソ」の世界が控えていそうです。
近頃流行りの表現でいえば、しばらくは目が離せませんね。

2006/09/11

「9.11」事件とは何だったのだろうか

Wsc2001年9月11日にアメリカで起きたいわゆる同時多発テロ事件から、今日で5年になります。
この事件は、私自身にも強い思い出があり、恐らく生涯忘れることは無いでしょう。

先ずこの年の5月に兄と共にニューヨークに旅行し、昼間自由の女神像があるリバティ島から(左上写真)、あるいは夜はブルックリン橋から、世界貿易センタービル(WTC)を何回も眺めました。崩壊の4ヶ月前です。
ですからWTCの崩壊も映像には、とても強い衝撃を受けました。

事件発生直後、メトロポリタン美術館の職員である知人にメールで連絡したのですが、夕方まで連絡がとれず随分と心配しました。その後ようやく返事が届き、市の中心にあるアパートは立ち入り禁止となって、その間友人の家に身を寄せていたとのことでした。家族ともども無事との知らせで、ホッとしたことを覚えています。

日本で暮らす私のような人間でさえ、それだけの衝撃を受けたのですから、アメリカ国民や在米の方々のショックは、計り知れないものがあっただろうと思います。
米国は今に至るまで、数々の戦争の当事国になりながら、独立戦争以降は本土が外敵から攻撃されたことがありませんから、

もう一つ忘れられないのが、反テロのための戦争を宣言した時のブッシュ大統領の表情です。この事件の直前までブッシュの支持率が低迷していて、映像を見ていても何となく元気がないように見えていました。
しかし事件後の大統領の表情は一変し、よく言えば決意が漲る、見方によれば俄然張り切った顔に一変していました。

米国民の世論も一気に変り、報復戦争を肯定する愛国的な世論が形成されました(どっかの国とチョイと似てます)。
特にTVが、事件とは無関係の、アラブ人たちが喜んでいる映像を繰り返し流し、彼らに対する憎悪をかきたてました。
この事件の首謀者は、2004年11月はじめ、オサマ・ビンラディンがビデオを通じて犯行を指揮したと証言し、公式的には彼等の犯行ということになっています。

しかし米国政府は、事件直後からオサマ・ビンラディンが首謀者と断定し、アフガニスタンのターリバーン政権に身柄の引渡しを要求、これが拒否されるや10月7日にはアフガニスタンへの侵攻を開始しました。
次いでイラク政府がオサマ・ビンラディンとつながっていること、フセイン政権がいわゆる大量破壊兵器を所有していることを口実に、2003年3月19日イラクへの侵攻を開始します。
両国とも現在まで米軍の武力攻撃は継続され、アフガニスタンの犠牲者は明らかになっておらず、イラクでは数万人の市民が(調査機関によれば10万人以上とも言われる)が殺害されました。

しかしその後の調査で、米上院情報特別委員会は、「フセイン政権がオサマ・ビンラディンと関係を築こうとした証拠はない」と断定し、大量破壊兵器計画についても、少なくとも1996年以降はイラクに存在しなかったと結論付けました。
これはブッシュが主張したイラク戦争の大儀は全く存在していなかったし、偽りの説明をしていたことになります。

ブッシュ政権は、反テロ戦争への支持と引き換えに、ロシアではチェチェンの、中国では新疆ウイグル自治区に対する過酷な弾圧を黙認しています。
米国国内では、市民の自由と民主主義が、反テロの口実のもとで何かと制限され、最近明らかになったように世界各地の収容所において、暴力や拷問が日常化しています。
米国は一方で中東の民主化をさけびながら、他方民主主義に逆行する政策をとっています。
残されたものは、世界的な国家、民族、宗教間の対立の激化と、社会的混乱です。

9・11事件以後、この事件が実はブッシュ大統領らが仕組んだ陰謀だったという説が流布されています。アメリカ国内でもそうした考えに共鳴する人がいるようです。
この事件により最も利益を受けたのは、ブッシュ大統領と軍需産業を中心におくコングロマリットでした。9.11事件がなければブッシュの再選はなかったでしょうし、過去のブッシュ・ファミリーとオサマ・ビンラディン一族との深い関係も、疑われる根拠になっています。
しかし私は、一連の事件を米国政府主脳が仕組んだとは思っていません。
ただ現在までに明らかになった情報から推測すれば、米国政府は9.11事件を未然に防ごうと真剣な努力はしていなかったこと、起きた事件を自らの政権基盤の強化のために積極的に利用しようとしたことだけは、先ず間違いないでしょう。

イラク開戦の根拠とされた大量破壊兵器などの間違った情報判断に関しては、ブッシュ大統領やパウエル国務長官(当時)、イギリスのブレア首相らは、誤りを認め一応の釈明をしました。
処が、イラク開戦を支持した我が国の小泉首相とその周辺からは一言の釈明も無いし、未だに誤りを認めようともしません。
こうした政治家としての倫理観に欠ける人物を国のトップに置いているということは、国民として大変不幸なことだと思います。

9・11事件は、事件そのものより、「反テロ」を錦の御旗としてそのためなら何をしても許されるという風潮を蔓延させてしまった、こちらの影響の方が深刻です。
我が国でも、反テロを口実として市民生活の自由を奪おうとする動きがあることは、十分注意する必要があります。
「他山の石もって玉をみがくべし」です。

2006/09/09

第4回夕刊フジ平成特選寄席

Shiraku
若手の人気落語家が中心のこの落語会、9月8日の今回も華やかな顔ぶれとなりました。最近女性ファンが目立つ寄席ですが、会場が赤坂というせいなのか、この会は特に女性比率が高く感じます。

開口一番は立川志らべ、志らく門下の前座ですが、「牛ほめ」をしっかりと。いつも感じるのは立川流の前座はレベルが高い。
この一門は高学歴でも知られていますが、近頃の入門者は大半が大学出、それも国立や早大など一流大学が増えているのだそうです。
そのうち東大を出ないと落語家になれない時代が来るでしょうな。そうなると楽屋とは言わず、「学屋」と呼んだりして。
で、総理大臣になるには成蹊大学、何だかワケ分かりませんね。

立川笑志は「壷算」。
会場で貰った案内によれば今回がネタ下ろしだそうですが、上出来です。
師匠談志の芸風を継ぐ芸人が多い一門の中で、この人あまり家元の影響を受けていない。芸風はむしろ柳家権太楼に近いと感じました。
笑志は、独演会をやれば満員になるという、「偉大なる二ツ目」です。
唄が下手で、入門して18年間、未だに立川流の真打昇進試験に落ち続けていますが、噺の実力はどうして十分真打をクリアーしています。
落ちるのは仕方がない、だって「落伍家」なんだから。

柳家花緑で「目黒のさんま」。
マクラ20分本題10分というところでしょうか、時間が長すぎてややマクラが間延び気味。
ネタの方は、ふんだんにギャグを入れて面白く聴かせてくれました。
花緑は滑稽噺より人情噺が向いていると思います。「紺屋高尾」など実に良い。この点では祖父小さんとは芸風が随分と違います。

仲入り後は、林家彦いちの新作「青畳の女」。
頭から終わりまでハイテンションでぶっ飛ばす彦いちの芸風は、すっかりお馴染となりました。
この日は女子柔道を題材にした新作ですが、座布団を抱えて高座で巴投げを披露、体育会系の彦いちの面目躍如というところです。
この人の高座を見ていると、こっちまで肩に力が入ってきます。

トリは立川志らくで「宿屋の仇討」。
言い間違いややや粗っぽい点が気になりましたが、勢いに任せて一気呵成にまくし立てて、あっという間に終わりました。
江戸っ子の描写はさすがですが、隣室の侍はもう少し風格が欲しい。

この会は毎回、旬の噺家の聴き比べが出来て楽しめます。
でも次回12月8日は都合が悪く、見に来られません。
喬太郎と菊之丞が出るのに、残念!

2006/09/08

「ライブドア裁判」に見る検察の腰砕け

Horie
最近の選挙では開票前に当確が打たれることがありますが、今回の自民党総裁選は告示前に「当選確実」が出ました。これはもう選挙というよりは芝居と言った方が良い。

さて9月4日一連のライブドア事件の中の、堀江貴文被告に対する公判が始まり、久々に公の場所に姿を見せた堀江前社長は余裕の表情を浮かべていました。
「裁判は晴れの舞台」ということで、いつもはとらない朝食を食べ、昼食もウニやカニが入った海鮮丼の弁当を食べ、「あすは焼き肉弁当」とリクエストし、初公判後の弁護士らとの打ち合わせでもビールを飲みながら、牛肉や羊肉、魚のグリルを平らげたそうです。
何だか食い物の話題ばかりですね。
少なくとも堀江被告の中では、この裁判は終わりが見えているという証でしょう。
検察もナメラレタものです。

ナメラレタのも無理はありません。予想はされていたとはいえ、検察側の冒頭陳述はおよそ迫力に欠けるものでした。
ご存知の通り、堀江被告の容疑は、証券取引法違反の有価証券報告書の虚偽記載(粉飾決算)罪と偽計、風説の流布罪です。
しかし堀江主導で行われたというこうした違法行為ですが、冒頭陳述では「そんなにもうかっちゃうの。そりゃーすごいね。」とか、「やるしかないだろう。やりきるしかないよね。」という堀江の発言が引用されているに過ぎません。
後は、宮内らかつての堀江の部下の証言に期待するしかないとしたら、真に心許ない。

ここで今年1月16日に行われたライブドアへの強制捜査、23日の堀江らの逮捕の頃を思い起こして頂きたい。
東京地検特捜部は、捜査員100人体制で捜査を行いましたが、これは30年前のロッキード事件以来の大掛かりな規模でした。
粉飾決算や風説の流布というのは入り口にすぎず、検察はこの事件の背後にある真相を暴くのが本当の目的だと言われていました。
そうしてこの事件は、戦後最大の経済事件との喧伝がなされていました。

株価をつり上げ企業を乗っ取る、こうした時に暗躍するのは政治家と暴力団と、昔から相場が決まっています。
企業は彼らの力を借りてビジネスを成功させ、利益の一部を彼らに還元する、こうして持ちつ持たれつの関係が生まれるのです。
折から、ライブドアの幹部で事件の重要人物と言われていたエイチ・エス証券野口英昭副社長が、強制捜査の直後に沖縄県那覇市内のホテルで急死する事件があり、暴力団の影が浮かんでいました。
又、主犯格の堀江被告が前年の衆院選に立候補し、自民党の幹事長を始め大物議員が次々と応援に駆けつけたことから、政治家との係わりは当然の事と受け止められていました。
そういえば、偽メール事件というオマケまでありましたね。あれで武部幹事長殿はメデタシメデタシとなりましたっけ。
海外の口座を使ったマネーロンダリングのことも話題となり、国際的な経済事件という様相も呈していました。

あれはみんな何だったのでしょうね。
綺麗さっぱり全ての疑惑はウサンムショウし、結局入り口の容疑だけが残ってしまったわけです。
原因として2つ考えられます。
一つは、捜査の見込み違いで、元々これだけの事件であり、意外に堀江被告が小物だったという可能性です。
もう一つは、事件の真相に迫れば迫るほど、権力の中枢にいる人物にぶつかってしまう。その結果自己規制したのか、あるいはその筋から圧力がかかったのか、検察側が一方的に幕引きをしてしまった可能性です。
私は後者の可能性が高いと見ています。
堀江被告の余裕も、この事件の真相が永久に暴かれることが無いという安心感なのでしょう。

そうして後に残ったのは、ライブドアの市場からの退場とグループの解体であり、それに伴う投資家達の損失です。
ライブドアや経営者に対して、損害賠償を求める動きもあります。
しかし損をした人がいる反面、得をした人が出るのが証券市場の宿命でもあります。
捜査情報を事前にキャッチし、高値で売り抜けた人もいるでしょう。捜査直前で空売りを掛けて大儲けした人もいる筈です。
1株700円で買って70円で売った人がいれば、同じ数(株数)だけ70円で買って700円で売った人がいる、これが株式の市場原理です。大きく見れば全体の利益と損失を合計するとゼロになる、いわゆるゼロサムの世界だということは認識しておいた方が良いでしょう。

堀江被告に対して有罪判決が出るかは微妙だと思います。
有罪になったとしても形式犯であり、堀江以外の被告は執行猶予が付くでしょう。
結局このライブドア事件というのは、検察が国策で捜査を開始し、国策で幕を閉じるという事件になりました。
検察の腰砕けには失望するばかりです。
ライブドア裁判は、総裁選と同様「芝居」で終わるのでしょうか。

2006/09/05

柳亭市馬の会with立川談志@横浜にぎわい座

Danshi
中堅落語家としてメキメキ頭角を現している柳亭市馬の会、今回は「落語と昭和歌謡ショー」と題して、ゲストに家元こと立川談志を招いての落語会が、9月2日横浜にぎわい座で行われた。
談志が一門の噺家以外にゲストで出るのも珍しければ、落語をやるのも尚珍しい。
1ヶ月前に予約した時点では席がガラガラで不思議に思っていたが、さすが当日は大入り満員、半分はナマ家元目当てと推量。

市馬は古典一筋で、端正な高座が特長。私は噺は勿論だが、この人の高座に上がり下りする時の歩く姿のファンである。
それと普段寄席に出ている時に絶対に手抜きしない。出来の悪い市馬を見た事が無い。当たり前のようでいて、実際には難しいことだ。
歌謡曲(懐メロ)が得意で、最近ではTVの歌番組に出演しているほどだ。
さすが定席では唄はやらないが、独演会では大喜利代わりに歌のコーナーを設けているようだ。

先ずハナは市馬で「高砂や」、オハコである。現役の落語家で「高砂や」をやらしたら市馬の右に出る者はいないだろう。ゆったりとした間が、この噺によく合っている。
マクラで市馬は「今日は人生最良の日」「死んでもいいと思った」と言っていたが、談志のゲスト出演が余程嬉しかったのだろう。
共に柳家小さん門下とはいえ、談志は雲の上の存在だろうから。

続いてお待ちかね家元の登場で、艶笑噺の「短命」。
第一印象は「衰えたな」であった。出だしの2-3分間は、聞き取れない箇所があった。
無理もない。かつての四天王といわれた噺家の中、既に柳朝、志ん朝は鬼籍に入り、圓楽はリハビリ中、健在なのは談志ただ一人になってしまった。
それでもさすがである、次第に立ち直り観客を談志の世界に引き込んでいた。

市馬の「歌謡ショー」、声の良さを活かして、戦前から戦後にかけて流行った歌謡曲を熱唱。なかなかの美声で声量もたっぷり。
歌もともかく、談志の曲目解説が面白かった。
つくづく感じたのは、長い間第一線で活躍する芸人というのは、客への気配り、サービス精神が旺盛だということ。
それとこの日の家元は、実に楽し躁(そう)だった。
市馬とは初共演だが、余程“馬”が合ったのだろう。
軍国歌謡の「建設の歌」が終わると、談志が突然マイクを握り、「満州を返せ。元々はこっちのもんだ。大体あいつら生意気だ。」と吼えた。座興半分、本気半分というところか。
自身いつ死んでもと言ってたけど、あの元気があるうちは、当分あの世に行くことはなさそうだ。

仲入り後は、市馬で「寝床」。
名人文楽の形をなぞった丁寧な演出で、大変結構でした。
欲をいえば、是非義太夫を聴きたいと迫られた旦那が、「みんなも好きだねえ」という時に、もっと腹の底から笑いが込み上げるように演じてほしい。
その方が、面白うてやがて哀しきこの旦那への心情が、よりくっきりとさせられたと思う。

ともかく私を含めてこの夜の客は、何より談志の健在ぶりを見て満足した人が多かったと思われる。

2006/09/03

「石原慎太郎」その存在の耐えられぬ軽さ

Ishihara
去る8月30日に東京都が2016年の夏季五輪国内候補都市に決まりました。
石原都知事は、今回の候補地の競争相手である福岡市をバカにしたような発言を繰り返してきました。一都民として、まこと慙愧に耐えない。
東京は過去にオリンピックを開催しているのだし、将来もまだまだチャンスがあります。もし次回日本で開催するなら、私は東京以外の都市でと思うのですが。

この選考会議の席上石原知事は、「さっき、どこか外国の学者さんが東京は理念がないとおっしゃっていた。何のゆえんだかわかりませんが。」と発言しました。
その後の祝賀パーティーの挨拶でも、「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは。」などと述べています。
これは福岡市の応援演説をした姜尚中・東大教授を指したもので、因みに姜教授は在日韓国人2世で、熊本で生まれ育ちました。
およそ文学者とは思えない、品性のかけらも無い発言です。
石原知事はしばしば自分の意見に反対する人を侮辱したり人格攻撃をしますが、これは精神的に大人になれない、典型的な幼児性です。

石原慎太郎の中国、韓国嫌いは今に始まったことではない。
国会議員当時、石原陣営が同じ選挙区から出ていた自民党候補者(在日の帰化人)の選挙ポスターに、一夜にして「朝鮮人」というシールを貼った事件もありました。
私の兄は石原知事と同年代ですが、確かに終戦後そうした人たちから「お前ら敗戦国民」と蔑まれ、口惜しい思いをしたそうです。恐らくは彼の第三国人発言も、そうした体験からきているのでしょう。
しかしこのような個人的な思い出をいつまでも引きずって、公の場でも侮蔑発言を行っているのであれば、これまた一人前に成長しきれていない幼児性の特徴です。
それほど憎んでいる韓国ですが、選挙では「統一教会」から応援を受けていたのですから、ワケが分からない。

石原知事のもう一つの特徴としては、民主主義に対する敵愾心です。
一例をあげれば、2003年に外務省の田中均外務審議官の自宅で発火物とみられる不審物が見つかった事件について、石原慎太郎は次のように発言しています。
「爆弾を仕掛けられて、当ったり前の話だ。彼がそういう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないですか。」
この発言がテロ行為を認めるとして問題になると、次のような釈明を行っています。
「起こっちゃいけないああいう一種のテロ行為がですね、未然に防がれたかもしれないけれど、起こって当たり前のような今までの責任の不履行というのが外務省にあったじゃないか。」
つまり自分が気に入らない意見や行動をする人間は、テロにあっても止むを得ないというのが真意です。

因みに、ここで石原知事が言っている外務省うんぬんというのは、北朝鮮の拉致問題です。
拉致問題が初めて国会で取上げられたのは1988年で、当時石原慎太郎は大物国会議員でした。彼の選挙区に私は長く暮らしていますが、彼が国会議員当時、拉致問題の解決のために奔走したというのは聞いたことがありません。

以前このブログの「”小皇帝”都知事の綻び」という記事で書いたように、石原都知事が公約で掲げた政策に関して殆ど実現していませんし、中には本人でさえ忘れてしまったのではないかと疑うものもあります。
25年間も国会議員を務めていた割には、これといった実績を残していません。
記憶にあるとすれば、運輸相時代に宮崎県にあったリニア実験線を「豚小屋と鶏小屋の間を走っている」と評したことぐらいでしょうか。どうも都知事殿は、もとから九州がお嫌いと見えます。
その昔「ネッシー探検隊」を組織したり、最近では沖ノ鳥島に上陸したりといったパフォーマンスには熱心ですが、自らの政策を着実に実行に移すという政治家の資質には欠けているように思えます。

今回の五輪立候補についても、経過を見れば都知事三選出馬とセットになっていると思われます。
もうそろそろ小皇帝は願い下げにしたい。
自由と民主主義を尊重するような良識を持った、口先で無く、着実に政策を遂行できるマトモな都知事を望みたい。

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