「元禄忠臣蔵」第一部
忠臣蔵ほど日本人に愛されている物語は他にないでしょう。歌舞伎や映画、落語、浪曲、講談からTVドラマ(NHK大河ドラマ、年末年始の長時間ドラマの定番)まで、あらゆるジャンルで採りあげられ、日本人の思想や精神にも多大な影響を与えてきました。
忠臣蔵というと通常は「仮名手本忠臣蔵」を指しますが、それに比べやや知名度は落ちるものの、他に「元禄忠臣蔵」という名作があります
作者である真山青果が昭和10年から16年にかけて書き上げたもので、戦前から度々舞台にかけられました。前進座が得意とし、歌舞伎界では2世市川左團次が当たり役でした。
執筆された時期は日中戦争の真っ只中、対米開戦の直前という時期ですから、物語の思想に当時の世相が反映されています。
何せ全10編と長大なもので、従来は部分上演が殆どでした。
今年国立劇場が開場40周年を記念し、10、11、12の3ヶ月に分けて全編を上演することになりましたが、これは初の試みだそうです。
「仮名手本」に比べ「元禄」は史実に近いストーリーになっており、唄や踊りが一切入らず、登場人物が長いセリフをしゃべるという、歌舞伎というより時代物の新劇と言ったほうが分かり易いでしょう。
この芝居の主人公の大石内蔵助は、主君の仇を討とうとすれば幕府に歯向かうことになる、二つの選択肢の間を揺れ動く人物として描かれています。
そして最終的に、「天下のご正道に反抗する気だ」として、主君の仇討ちをすることを決意します。
浅野家の断絶、城明け渡しという事態になっても、幕府中枢や天皇周辺の反応に気を配り、開城に向けて事務処理を粛々と進め、領民の生活の安定を第一にと考える官僚としての顔を覗かせます。
10月公演の第一部は、内匠頭の刃傷から赤穂城明け渡しまで。
忠臣蔵でありながら、幕が開くといきなり松の廊下の刃傷が終わったところから芝居が始まり、内匠頭の切腹の場面もありません。名場面がみんなカットされた忠臣蔵です。
周囲からは、「あっさりして物足らない」とか「歌舞伎らしくない」という、歌舞伎ファンからの戸惑いの声が聞こえてきました。
しかし第一部終幕で、赤穂城を明け渡し退出するに際し、それまで胸の内に秘めていた万感の思いを一挙に吐き出すがごとく、城に向かって泣き伏す内蔵助の姿に、共感を覚えた観客も多かったと思われます。
肝心の芝居の出来ですが、全般に云えることは、大作上演の割に役者の層が薄いということです。
というよりは、主役の中村吉右衛門の一人舞台といった方が分かり易い。吉右衛門が舞台に出ているときは締まり、いないときはダレる。声良し姿よし器量良しです。
圧倒的な存在感といってしまえばそれまでだが、他の出演者との格が違い過ぎます。
中村吉右衛門は、今や大石内蔵助役の第一人者と言って良いでしょう。
「元禄」の舞台の主役は、11月は坂田藤十郎、12月は松本幸四郎に替わりますが、さて出来映えはどうなるでしょうか。
他では、多門伝八郎役の中村歌昇が良い。内匠頭への幕府の裁定に激しく抗議する姿は、気迫に満ちていました。
内匠頭役の中村梅玉は淡白過ぎる。切腹を控えた場面で、無念さが伝わってこない。
井関徳兵衛役の中村富十郎は決して悪い出来ではないが、明らかなミスキャスト。死を覚悟してきた無骨な浪人というイメージに似合わない。
私は昔この幕を2世尾上松緑の大石、坂東彦三郎(後の17世市村羽左衛門)の井関で見ましたが、そちらの舞台はもっと緊張感が漂っていました。
倅の井関紋左衛門役の中村隼人は失格。泣き声になると声が割れ、客席から失笑を買っていました。配役を交代すべきです。
全体に脇役の層が薄いため、印象の浅い舞台となってしまったのが惜しまれます。
他の劇場との兼ね合いもあるのでしょうが、歴史に残る記念公演として、歌舞伎界がもう少しバックアップすべきでしょう。
(22日に鑑賞)
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