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2006/10/18

奈良県の意識不明妊婦の死亡事故

Ooyodo_1本来大変おめでたい出産が、一転して不幸な事態を招いてしまった医療事故が明らかになりました。
奈良県の町立大淀病院で今年8月、出産中の妊婦が意識不明の重体に陥り、この女性(32)は脳内出血のため転院先の病院で8日後に死亡したというものです。

経過は次の通りです。
この女性は出産予定日の約1週間後の8月7日に大淀病院に入院。主治医は妊婦に分娩誘発剤を投与したところ、この女性は8日午前0時ごろ頭痛を訴え、約15分後に意識を失いました。
主治医は分娩中にけいれんを起こす「子癇(しかん)」発作と判断、けいれんを和らげる薬を投与する一方、同日午前1時50分ごろ、奈良県立医大付属病院などに受け入れを打診しましたが、19ヶ所の病院に「ベッドが満床」などと拒否されました。
最終的に妊婦は、約6時間後に約60キロ離れた大阪府吹田市の国立循環器病センターに搬送され、脳内出血と診断されて緊急手術で男児を出産しましたが、妊婦は8月16日に死亡したものです。

詳しい経緯が分かりませんので一般論になりますが、大淀病院の担当医の判断は確かに誤りであったと思われます。
しかし妊婦が頭痛を訴えけいれんを起こして意識を失えば、医師としては先ず子癇(しかん)発作を疑うというのは、ごく自然なことだと思われます。
妊婦が血圧が高いという症状があれば別ですが、陣痛の際に脳内出血を起こす例は稀であり、当初子癇発作を想定したことに大きな誤りはないと考えます。
問題は、その段階で検査をして確かめたかが問われますが、この場合大淀病院に深夜の検査体制があったかどうかが問題です。

そしてこの大淀病院には子癇発作を処置する設備が無かったのでしょう、他の病院へ転送を打診したわけです。
しかしこの処置が出来る病院となると、先ずは産婦人科があって、更に夜中の午前2時に緊急手術が行える医療機関というのは、極めて限定されます。
この事故をマスコミ各社は「18病院が転送を拒否」と報じ、とかく世間からも医療機関が冷たいという批判が生じますが、受け入れ態勢が不十分のまま処置を引き受ければ、そちらの方が余程無責任だし、罪が重い。病室が満床なら、拒否して当然なのです。万全の体制がとれる病院を見つけ出すのに時間がかかったのは、ある程度止むを得ないでしょう。

国立循環器病センターに移送されて始めて脳内出血という正確な診断が出来たのですが、既に陣痛が始まっていますから、先ず出産(恐らく帝王切開と思われますが)を先に行い、その後脳内出血の手術を試みたのでしょうが、しかし患者さんの命は救えなかった。
もし最初の病院で正しい診断が出来ていたら、この女性の命は助かった可能性はありますが、いずれにしろ陣痛開始後の脳内出血の発症は、極めて危険な状態であったと思われます。

医療は結果が全てですから、大淀病院の担当医の診断ミスは責任が問われます。今後刑事事件に発展する可能性もあります。
しかし、この担当医のミスを責めるだけで、果たして今後こうした事故は防げるのでしょうか。
“医者タタキ”“病院タタキ”だけでは、何も問題は解決しません。

当ブログでは医療事故のテーマを幾度か採りあげてきましたが、この中では現在の医療制度の下で、特に地方の医療機関において、産婦人科や小児科が次々と廃止に追い込まれていること、残された医療機関の医師に、過重な負担がかかっている現状を指摘してきました。
その一方、そうした劣悪な条件により引き起された医療ミスに対して、殺人罪など重罪を科して担当医を逮捕・起訴するケースが目立ちます。
こうした事を続けていれば、一方でますます専門医の空洞化を招き、他方では緊急手術を要するような患者の受け入れに、医療機関がさらに慎重にならざるを得ない。
こうした医療制度を改革しなければ、これからも今回のような悲劇が繰り返されるのは必至です。

安心して子供を生み育てることが出来ない社会にしておいて、何が「美しい国」でしょうか。

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コメント

「病院の傲慢だ!」

「それでも医者か!」

「『医は仁術』は死語になったのか」

「命より金儲けのほうが大事なのか」

「患者を受け入れられない病院は看板を返上しろ」

「殺人病院だ!」

「病院が妊婦を殺した!」

「ベッドが無い?そんなの理由になるのか!」

「ベッドが無ければ廊下に寝せればいいじゃない」

「熱意が欠如している!」

「救いたい!という気持ちが無い!」

「ドラマのような熱意のある医者はいないのか!」

そういう、今の医療の窮状に無理解な輩の暴言が、限界状況で頑張っている医師の心を折った事で、医師不足(具体的に言うと、勤務医不足)に拍車をかけているんですよね…。

こうして救急受け入れ問題は更に悪化する…と。

「たらい回し」「受け入れ拒否」じゃなくて「受け入れ不能」なのにね…。

都筑てんが様
コメント有難うございます。
私は医療の門外漢ですが、一般に医療の実態について知らな過ぎると思います。特に事実を正確に伝えるべきマスコミが、「たらい回し」などという表現を平気で使う神経を疑います。
私見ですが、救急患者を搬送する救急車も、本来は医療機関の組み込むべきだと考えています。そうなれば、もう少し搬送段階で適切な医療機関の選択が可能になるのではないでしょうか。
無責任な批判が救急医療体制をかえって破壊するというご指摘は、その通りです。

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