元禄忠臣蔵[第三部]@国立劇場
今年10月から3ヶ月かけて上演された元禄忠臣蔵、今月で終演となります。
前に書いた通り元禄忠臣蔵の特徴として、松の廊下と吉良邸討ち入りの場面がありません。
それに加え、今月上演の第三部は討ち入りが終わってから、赤穂浪士たちの切腹の直前までという構成になっています。つまり通常の忠臣蔵が討ち入りで終わるのに対し、元禄忠臣蔵は全体の約3分の1が討ち入り後の物語に充てられているわけです。
では第三部を構成する4つの幕の見所を紹介します。
第一幕「吉良上野介屋敷裏門前」では、吉良の首級をあげた後の浪士たちの放心状態、大事を成し遂げた直後に襲われる虚脱感が描写されています。
第二幕「芝高輪泉岳寺浅野内匠頭墓所」では、墓前に討ち入りの報告を行った後に、心ならずも浪士の連判を抜けた高田郡兵衛が駆けつけてきます。
親友だった堀部安兵衛は高田に、「武士には3部の愚かさが必要」という言葉を投げて去って行きます。
あまりに目端が利きすぎる人より、どこか愚直な部分を持つ人の方が大事を成し遂げるということは、私たちサラリーマンの世界でも度々目にしてきました。
第三幕「仙石屋敷」では、大石らが大目付の仙石伯耆守に対し、討ち入りの詳細を説明します。
ここで仙石伯耆守は大石に、浅野を切腹は公儀の裁きであり、吉良を敵と狙うのは誤りではなかったのかと問います。これに対して大石は、天下の法に従って浪士となった者が、ただ亡き主君の一念をはらすために討ち入りを果たしたと主張します。
第四幕「大石最後の一日」では、浪士の一人である磯貝十郎左衛門と許婚のおみのとの悲劇をからませながら、切腹に向かう浪士たちの姿が描かれます。
最終シーンで大石は、万感の想いをこめて「初一念が届きました」と言い残し、花道を去ります。
この長大な戯曲を、作者の真山青果は、最後の幕である「大石最後の一日」から書き始めました。
今回の芝居を観て、この理由が分かりかけてきました。
作者が言いたいことは最終編に提示されており、そのメインテーマに沿って前半部分を書き進んだものと想定されます。
人間は聡明であることは必要です。しかしそこに3部の愚直さが備わらないと大望は成就できない。そして事に当たり最初に浮かんだ、損得抜きに最初に思い立ったこと、即ち「初一念」を貫くことが、人間にとり最も大事なことだと、作者は訴えているのでしょう。
芝居の出来栄えですが、残念ながら11月の第二部は見損なってしまい比較は出来ませんが、10月の第一部に比べると遥かに良く仕上がった舞台となっています。
先ず大石内蔵助役の松本幸四郎が断然良い。腹から絞り出すような声色が、観客の胸を打ちます。凛とした気品がありながら、役者としての華やかさがあります。
大石内蔵助役としては、幸四郎が現在最高の役者なのかも知れません。
今回は松本幸四郎の芝居だ言っても、過言では無いでしょう。
助演の仙石伯耆守役の坂東三津五郎が、さすが貫禄で舞台を締めていました。
この人は大河ドラマなどTV映像ではくすんで見えるのですが、舞台に立つと俄然引き立ちます。
堀内伝右衛門役の市川左團次、セリフを二度も咬んでいるようでは、心もとない。
この元禄忠臣蔵は、もとはといえば2世市川左團次のために書かれた芝居です。
左團次の名前が泣きます。
他におみの役の中村芝雀の可憐な美しさが、涙を誘っていました。
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