圓楽と談志それぞれの美学
2月25日の国立演芸場の名人会終了後、三遊亭圓楽が引退を発表した。予想はしていたので、昨夜はどうしても行きたかったのだが、前売りチケットは瞬間蒸発でとれず、まことに残念。
圓楽は2005年10月に脳梗塞をわずらい、以後リハビリを続けていて、先月高座に復帰したばかりだった。
噺家としては引退とのこと。未だやれると惜しむ声もあるが、こればかりは本人が決めることだから。
発病の5ヶ月前に圓楽の高座を見たが、「中村仲蔵」を1時間の長講でたっぷり聴かせてくれた。
圓楽の芸の特長は、スケールの大きさである。高座に品がある。姿が良い。
それと泣かせの圓楽だ。オハコの人情話「浜野矩隋(はもののりゆき)」を聴いて、何度も涙した。
「芝浜」「文七元結」も一級品だった。
それでも私は圓楽に点数がからいのは、“笑点”出演を引っ張り過ぎたことだ。
もっと早めに番組をおりて、高座に専念して欲しかった。この点が惜しまれる。
大喜利などというものは、所詮は余興であり、大看板がやるべきことではない。
三遊亭円楽は、圓生の一番弟子として入門、若い頃は全生という名前であったが、その頃から抜きん出て上手かった。
師匠である圓生は、八代目林家正蔵(前の名前は圓楽だった)と犬猿の仲だったことは有名だが、その正蔵も全生の才能は認めていて、圓楽を名乗ることを許可したというエピソードが残されている。
協会を脱退して以後圓楽一門を率いて、自ら「若竹」という寄席を作ったが、閉鎖してしまった。余談だが、その後「若竹」は中華レストランになっていたが、私の職場が一時近くにあった。その当時は毎日のように昼飯を食べに行ったので、何となく親しみを感じる。
先日のある週刊誌での対談で、圓楽は最近の落語家で名人は誰かと訊かれ、先ず古今亭志ん朝の名前をあげた。
その時、立川談志は年をとってからダメになったと評していた。師匠である圓生でさえ、晩年は噺のテンポが落ちていたとも言っていた。それを読んで、圓楽の引退を確信した。
その談志、確かに衰えが隠せない。
昨年の高座でも、最初の2,3分は殆ど何を喋っているのか、聞き取れなかった。しばらくして立ち直ったが、全盛期の喋りとは、ほど遠い。
圓楽から見れば、そういう談志の姿に批判的なのだろう。
しかし寄席に来る客は、噺家の芸を観るというより、芸人そのものを見に来る人も多い。
家元の顔を見ただけで満足して帰る客がいても、それはそれで良い。
恐らく談志は、ファンが通ってくる内は、最後まで高座に上がり続けるだろう。
誰でも年をとれば、芸が落ちてくることは避けられない。加齢は残酷だ。
どう処するかは、その芸人の生き方、人生の美学の問題だろう。
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