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石原慎太郎という男が、我が国の自治体首長に相応しくないと思うのは、石原知事の本音には民主主義に真っ向から反する思想があると思うからです。
二つ例をあげます。
・1960年に社会党浅沼委員長(当時)が、右翼の少年に刺殺されたテロ事件についての、石原知事の評価です。この事件のテロ行為を、石原氏は次のように肯定しています。
「(浅沼の訪中に関係して)人民服や人民帽を贈られて喜んでいる。こんな軽率浅はかな政治家はその内天誅が下るのではないかと密かに思っていたら、果たせるかなああしたことにあいなった」
・2003年9月10日には、外務審議官(当時)の田中均氏の自宅に、「建国義勇軍国賊征伐隊」を名乗る右翼団体が爆発物を仕掛けた事件がありました。このテロ行為についても石原知事は、次のように肯定しています。
「(拉致問題に関する言動を批判し)何やってんですか。田中均というやつ、今度爆弾しかけられて、あったり前の話だ。」
このように石原知事の考え方というのは、自分と反対の意見を持つ人間は、殺されて当然という思想があります。
もう一つ、北朝鮮のミサイル発射に関しての、石原知事の発言から。
「本当をいうと、北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んでくれたらいいと思っている」
ここには政治家として、自治体首長として、日本国民の生命と安全を守るなどという考え方は、カケラもありません。
結局、石原慎太郎氏が描く国家像というのは、民主主義とは正反対のテロ国家であり、簡単にいえば、今の北朝鮮の金正日に代わって石原慎太郎が元首になる、そういうイメージではないかと推察されます。
石原氏の「暴言癖」は今に始まったことではありませんが、都知事に就任してからいっそう顕著になったと思われます。
国会議員時代は、キャリアでいけば派閥の領袖に納まるべき立場でしたが、なにせ人望が無かったばかりにその任にあらず、勤続25年を目前に突如辞職しています。
都知事になってからは、周囲に彼を抑える人間がいなくなり、完全に「言いたい放題 やりたい放題」になってしまいました。
石原都知事をここまでつけあがらせ、のさばらせたのは、本人の責任はもとより、周囲の責任も大きいと思います。
先ずは東京都議会です。
この2年間に石原知事が都議会に提出した議案は489件ありますが、自民、公明、民主の3党はこれに100%賛成しています。この3党で都議会の議席に大半を占めていますから、事実上のオール与党、翼賛議会となっています。
もちろん反対するばかりが能じゃない。良い法案であれば賛成するのは当然でしょう。
しかし中味を見てみると、特に福祉関連の切り下げや切り捨てが目に付きます。
寝たきり高齢者の老人福祉手当の廃止、老人医療費助成の廃止、シルバーパス全面有料化、母子保健院の廃止など、それこそ盲導犬のエサ代にいたるまで削られてきています。
石原氏に言わせれば「何がぜいたくかといえば、まず福祉」だそうですから、こうした施策を勧めるのは当然のことなのでしょう。
私に言わせれば、「何がぜいたくかといえば、石原知事とその家族と側近たちの、税金による飲み食い」と答えますが。
こうして都議会は、本来求められるチェック機能を果たしていない。
ここで特に問題としたいのは、都議会民主党です。
選挙になると石原氏への対立候補を立て、石原都政を批判しておきながら、普段は知事提案に1から10まで賛成するという、民主党の2枚舌です。
とりわけ2005年には、当時石原氏側近で横暴を極めていた副知事の浜渦武生氏から依頼を受けて、民主党議員がやらせ質問を行っています。
今日の石原知事による乱脈都政に手をこまねいてきた民主党の責任は大です。
石原氏の暴走を許した責任の一端は、マスコミにあります。
都知事の記者会見で痛い所をつかれると、石原知事は決まって声を荒げ、質問した記者を恫喝します。
そうすると、記者の方から反論したり、知事の態度を注意したりする場面を見たことがありません。大概はシュンとなってそれでオシマイ。見ていて実にハガユイ。
石原知事の都政私物化だって、今に始まったことじゃない、昔からです。
だが大手マスコミは、どこもそれを見逃してきた。やはりチェック機能を果たしてこなかったのは明白です。
都政を私物化し、乱脈を尽くした石原都政は、知事周辺と東京都幹部、都議会、マスコミが、寄って集って作り上げたと言って良い。
ことここに至っては石原氏に対し、東京都民の審判により、掣肘を加えるしかないようです。
裁判員制度が始まったら、真っ先に志願して、悪い奴を片っ端から死刑にしようと張り切っていたのに、そういう制度ではないんですってね。
裁判員に選ばれる確率は、宝くじ並みだそうで、老い先短いわが身にとっては絶望的。
選ばれても辞退したい人が多いそうなので、出きるなら喜んで代理を引き受けますけど。
処で、極悪非道な犯罪が起きると、「死刑にしろ」と言うくせに、誰それの死刑が執行されたと聞くと、死刑を命じた法務大臣がケシカランと怒るのは止めましょうね。ムジュンです。
さて裁判の判決を見ていると、どうも量刑に納得いかないことが、ままあります。
最近の例ですと、2005年12月京都府宇治市の学習塾で、塾の講師だった男が小学6年の少女を刺殺したとして殺人罪に問われた事件の公判が、3月6日行われました。
判決は懲役18年です。
判決の中で裁判長は、「余りに残忍で極めて悪質。何の落ち度もない、被害者が感じたであろう恐怖心は想像を絶するものがある」と述べていますが、それでも18年ですか。
ご遺族の無念は、察するに余りあります。
もう一つ、こちらは2000年山口県下関市の安倍首相宅や後援会事務所に火炎瓶を投げつけたとして、放火未遂罪などに問われた指定暴力団工藤会系組長と幹部など3名に対する公判が、3月9日行われました。
こちらは懲役20年を最高に、13年、12年です。
この事件では、被害は乗用車3台が全半焼しただけです。
後者の事件は、加害者が暴力団員だったということがあるのかも知れませんが、それにしても、人が殺されて18年、車が焼けただけて20年、どうも納得いきませんね。
殺人事件の方の被害者が少女であり、放火未遂事件の方は被害者が総理大臣であったというで、高度の政治的判断があったのではないのかと、ついつい勘繰ってしまいます。
放火未遂事件の判決では、「被告らは下関市長選で安倍首相が支持する候補の選挙に協力した見返りに金を要求したが、断られ、その恨みを晴らそうと」共謀して犯行に及んだとあります。
さて安倍首相側と被告たちとの間で、選挙協力に当たり事前にどんな約束があったのか、大いに気になるところです。
話題は変わりますが、昨日、厚生労働省のキャリアと、元会社社長で現NPOの代表代行ら3名が、詐欺の容疑で逮捕されました。
厚労省のキャリアが鹿児島県保健衛生部長時代に、研究費の予算が余った分210万円を、元社長の会社口座に振り込んだというもの。
2001、2002年度に行われたものであり、元社長はともかく、社員まで逮捕とは、随分と大がかりな捕り物です。
国費を愛人のお手当てや、暴力団への謝礼に使っていた国会議員にはなんのお咎めも無いのに、こうした雑魚に対しては、官憲は厳しいんですね。
ただこの事件は、ちょっと国策捜査の匂いがします。
容疑者の一人がNPO「レインボーブリッヂ」の設立者ですが、このNPO法人はかつて北朝鮮に食料や医薬品を援助していた団体です。どうもこちらの方が本命ではないでしょうか。
ついでながら、もう一つケチな事件を。
神奈川県警の警部補が、窃盗事件で留置中の男に、自腹を切って11回も食事を与えていたという事件です。容疑者が留置所で食べ物を残していたので、可哀想に思ったとのことです。
このお巡りさん、よほど優しい人だったって、そんなわきゃ、無いだろう。
そうしなければいけない理由があったと考えるのが、常識っていうもの。その理由こそ知りたいですね。逮捕して、厳しく追及すべきでしょう。
それが給料1か月分の10分の1をカットの処分で終わりですか。
どうして警察はこう、身内に甘いんだろう。
農水大臣の松岡利勝氏が、連日の国会審議で攻めたてられています。
無料の議員会館に事務所をおきながら、5年間で3千万円近くの光熱費を計上していた疑惑です。
松岡農水相のこの疑惑ですが、本当は与野党誰もが理由を知っているのに、これを疑惑として追求しているところが特徴ですね。
いつ本人が白状するのか、ここだけに関心が集まっています。
松岡農水相の顔が、日に日に弱り目になってきていますが、柳沢厚生労働大臣の時のように、「もういい加減にカンベンしたれや。」という同情の声が上がらないのは、松岡センセイの不徳に致す所でしょうね。
巷間伝えられているところによれば、筋の悪い女に手を出して脅かされていたのを、別の筋のお兄さんに解決して貰った。それに大きな金がかかった。
身銭を切れば良かったのに、「政治資金」を付け替えたものだから、こういう辻褄が合わない結果になってしまったという事ですかね。
中川自民党幹事長が官房長官当時、コレで辞めたのと同じシチュエーションのようです。
♪どこの女か 知らないけれど
誰もがみーんな 知っている・・・♪
議員「大臣、この事務所経費って、なんですか?」
大臣「これは・・・、その・・・、暴力団『事務所』の『経費』でして・・・。」
議員「じゃあ、この光熱費っていうのは?」
大臣「これは・・・、つまり・・・、連日追求されるんで、『火』のような『高熱』が出てきて・・・。」
議員「この前の答弁で言われた、還元水というのは、一体なんですか?」
大臣「これはですね、ええと・・・、つまり政治資金を口利き料に『還元』したというわけで・・・。」
議員「大臣、還元水の『水』の説明がないですよ。」
大臣「それは・・・、つまり・・・、私がノー『水』大臣ですから。」
この小咄も、松岡大臣も、お後がヨロシイようで。
日本人というか、ワイドショーや芸能(ゴシップ)ニュースが好きな人は、骨肉の争いの話題を最も好むんだそうですね。有名人の家族、親戚、知人友人間で親しかった同士が憎み合うという構図、堪えられないんでしょうね。
そういえば過去の大ヒットした話題、例えばロス疑惑やミッチー・サッチー騒動も、この分類に入ります。
幸せそうに見えた人が、実は大きなトラブルを抱えていた。それに比べて、私は名誉も財産も無いけど、幸せな生活を送っているんだわと安心できる、これがいいんです。
他人の不幸は蜜の味。
現在ワイドショーを賑わしている森進一の「おふくろさん」騒動や、叶姉妹の持ち逃げ事件などは、正にピッタリのネタで、ここしばらくは、ワイドショーはこれで視聴率を稼げます。
その「おふくろさん」騒動、作詞家である川内康範センセイのお怒りの形相、雪の舞う八戸に佇む歌手の森進一、実に絵になるし、ドラマを見ているような気がします。
それに持ち逃げ事件などとは違い、こちらは詩の命がどうの、著作権がどうのという、多少なりとも芸能っぽい話題であることが、話のグレードを高めています。
昨日あたりから、川内康範センセイのコメントは、遂に日本人の精神論(そんな大袈裟なことか?)にまで発展し、ますます格調が高くなってきました。
例によって他の芸能人たちも次々と参戦し始めてきて、久々の大型ヒット作品になりそうな気配です。
森進一が、大好きな「おふくろさん」を歌えない、このままでは封印されてしまうかも、というシチュエーションが、これ又良いですね。
歌いたいけど歌えない、ひたすら耐える森進一。ファンにはタマラナイ姿でしょうな。
話はガラリと変わりますが、米国産牛肉のBSE問題で輸入がストップしていた時、吉野家が限定で牛丼を復活させたことがありました。
あの時、店によっては数百人の行列ができて大混乱となり、TVのニュースでは待望の牛丼が食べられて、感激している人々の表情が映し出されていました。
もう吉牛に夢中! などと言う人は、私の周囲に一人もいませんけどね。
あれは、しばらく食えなかったことの反動なのでしょうね。いつでも食べられるとなれば、あんな大騒ぎにはならない。
見事に吉野家の戦略にハメラレテしまったというわけです。
さて、「おふくろさん」騒動の結末を予測してみましょう。
この騒動のお陰で、何はともあれ森進一のメディア露出度は圧倒的に高まりました。宣伝広告費に換算すれば、相当の金額になるでしょう。
ここのところヒットに恵まれず、森昌子との離婚以外にはこれといった話題が無かった森にとっては、正に僥倖。
やがて川内康範センセイとの和解が成り、「おふくろさん」の封印が解けたアカツキには、森のコンサートにはどっとファンが押し寄せる。「これで待ちに待った『おふくろさん』が聴ける」と、TVカメラの前で感激の涙を流す人の姿が、今から見えるようです。
吉野家の牛丼と同様に、森進一と「おふくろさん」の復活作戦大成功!
3月3日未明に衆院を通過した予算案の採決をめぐって、民主党の対応に対して他の野党から批判の声が上がっています。
今回の採決では、民主党が伊藤達也財務金融委員長への解任決議案を取り下げ、予算案可決で自民党と妥協したもので、この結果、予算案が年度内に成立する見通しとなりました。
これに対して、例えば国民新党の亀井久興幹事長は「徹底して戦う姿勢を示すべきだった。腰砕けのようになり大変残念だ」と民主党を批判しています。
もう一つ、本会議での採決に小沢代表が欠席したことも、与野党双方から批判の声が上がっています。
理由は遊説日程との関係とされていますが、野党第一党党首の敵前逃亡と見られても仕方がない。
民主党都議団は、都の来年度予算案の採決で、石原都政で初めて反対する方針を決めました。
前回の記事に書いたように、過去民主党は石原都知事が提出した法案に100%賛成してきました。
今回の豹変について田中良幹事長は「来年度の事業すべて否定する気はない。反対はある種の政治的判断」と語っています。
早くいえば都知事選を目前にして、対決のポーズを取ったということでしょう。
この件について石原都知事は、民主党の主張も取り入れた予算案なのに、どうして反対するのかと疑問を投げかけています。
大嫌いな石原慎太郎ですが、この点だけは正論です。
今国会では、政治と金の問題が大きなテーマでした。
殆ど費用がかからない筈の事務所経費に、年間数千万もの支出を行っている議員が、多数いることが判明しました。
領収書を添付する必要のないという制度を悪用し、その多くは裏金などの不透明な資金として使われていたと目されています。
これを機に法律を改正して、資金の透明性を高めるように法律を改正する絶好の機会であったにも拘らず、政府自民党の逃げ切りを許してしまいました。
民主党の議員の中にも、こうした法を悪用した人物がいたため、中途半端な追求で終わらせてしまったのが原因と思われます。
同じ穴のムジナでは、追求の手も緩むというものです。
格差是正に関しては、確かに今国会で民主党は国会審議で政府を追及してきました。
しかし格差の拡大を生んだ原因である新自由主義的経済政策に関しては、元来は民主党が主張していたものです。
小泉政権がいわばそれを先取りした感があり、当時の民主党の主張も、そうした経済政策を批判するのではなく、むしろ政策の不徹底を指摘していました。
自民・民主の党首討論で、当時の小泉総理が再三にわたり、民主党もこっちに来て一緒にやろうと呼びかけていたのは、まだ記憶に新しいところです。
教育基本法改正案についても、自民党案より民主党案の方が「自民党」的でした。
民主党は、党首を始め主な幹部の大半が、元々が自民党の出身ですから、当然といえば当然です。
誤解を恐れずに言わせて貰えば、現在の日本の議会の実態は、事実上「大自民党」という政党の一党支配で、その他にいくつかの少数党が存在していると思えば良い。
その「大自民党」の中で、たまたま安倍晋三派が率いる主流の「自民党」、小沢一郎派が率いる反主流の「民主党」というグループがある。今は「自民党」が主流派であるため閣僚を出していて、「民主党」は冷や飯を食っている、こういう構図と考えられる。
低調な国会論戦と、何かといえば審議拒否という国会戦術、これも「大自民党」内部のコップの中の嵐と考えれば理解し易い。
政策や主張に差が無ければ、「物理的抵抗」ポーズに頼るしかない。
自民・民主揃っての支持率低下も、「大自民党」離れが進んでいると考えた方が良いのかも知れません。
都知事選で、「大自民党」の自民・民主が揃って独自候補を立てられなかったのは、国会では大多数を占めているものの、必ずしも国民の支持基盤が強固ではない表れです。
先の宮崎知事選にも、その傾向が出ていました。
今後我が国の政局は、引き続き「大自民党」一党支配が続くのか、それとも「大自民党」支配が崩れてゆくのか、この点を注視してゆきたいと思います。
ここのところ寄席の記事が続くんで、もういい加減にヨセと言われそうですが、もう一席お付き合い願います。
3月3日桃の節句の花形演芸会、いつもより着物姿の女性が目につきました。それに花緑(NHK教育TVの幼児番組に出演中)が出るということで、子どもの数も多かった。
子どもを寄席に連れて行くのは、とても良いことですよ。大きくなったら、きっと私のようなリッパな大人になること請合い。
前座の柳家小きち「牛ほめ」
喬太郎いわく、ポケットに入るくらい小さい。でも声は大きく、元気良く「牛ほめ」を。
オリジナルなギャグを入れたり、なかなかヤル気のある前座です。
古今亭菊六「幇間腹(たいこばら)」
多分初見だと思いますが、昨年二ツ目に昇進したばかりにしては、しっかりとした高座でした。
何せ幇間という職業が、地球上の絶滅種になりかけている時節柄、この手の噺が段々難しくなっています。
菊六は折り目正しく古典を演じて、とても好感が持てました。将来、期待できそうです。
声が大きいのは良いのですが、もう少し場面に応じて加減すると、もっと良くなるでしょう。
カンカラ「時代劇コント」
初めてカンカラを見た時は、これはとても寄席に出られる芸じゃないと思いましたが、次第に腕を上げてきました。
何より、セリフの間が良くなってきました。
ロケット団「漫才」
東京の若手漫才のホープです。
若いし勢いもあって良かったが、もう少し客席の反応を見て喋る工夫が必要です。喋りが一方通行になっています。
それと向かって右側に立つ倉本剛、顔を右に向けて喋ると、マイクに入らない。
三遊亭遊雀「花見の仇討ち」」
お目当ての遊雀、なんか出てくるだけでワクワクしました。
遊雀jの良さは、噺にムダが無いことです。最近の落語家の特徴として、余計なギャグをいれたり、過剰な説明をしたり、冗漫に流れる傾向があります。
遊雀は正当な演出で、なおかつ聴いていて腹の底から可笑しくなる、これが本物の芸です。
昨年は一身上にゴタゴタがありましたが、それも芸の肥やしにして欲しいと思います。
=仲入り=
ブラボー中谷「マジック」
秋田弁丸出しのコミカル・マジックです。
喋りはそこそこ面白いですが、もう少しマジックの技を上げないと、飽きられるでしょう。
鏡味正二郎「曲芸」
私は、現在の寄席の曲芸師の中で、この人が一番ではないかと思います。
何せ、一人で全て演じるのですから、大したものです。
ただしこの日は、ジャグリングのバーを何回か落とし、珍しく調子が悪かったのですが。
トリは柳家花緑「天狗裁き」
マクラで客席の子どもをいじって、「天狗裁き」へ。
花緑は、今回で花形演芸会を卒業だそうだが、そのネタが「天狗裁き」とは。
ダラダラと冗漫な喋りで、途中客席もダレ気味でした。正直言って、退屈。
1年前のこの高座で演じた「紺屋高尾」が良かっただけに、落差に失望しました。
花緑の高座は、今回のようにガッカリさせられる時があります。
この日は、遊雀の芸が光った会となりました。
昨日の談春の記事で、可楽の「らくだ」が絶品だったと記しましたが、今回はその八代目三笑亭可楽の思い出を書きます。
先ずは、その可楽の「らくだ」の魅力について述べる前に、このネタの粗筋を紹介します。
ある長屋に、周囲誰からも嫌われていた“らくだ”と呼ばれた男が、ふぐにあたって死んでしまう。“らくだ”の兄弟分の男が、通りすがりの屑屋をつかまえて脅し、長屋を回らせて通夜の準備をさせる。
最初はどこへ行っても協力を拒まれるが、兄弟分の男の「『らくだの死体を担いでいって、かんかんのうを踊らせる。』 と、言え!!」という言葉を伝えると、長屋の連中は恐れをなして言う通りなり、支度が整う。
兄弟分の男が無理やり屑屋に酒を飲ませるが、屑屋の酔いがまわるに連れ気が大きくなり、今度は屑屋の方が、その兄弟分を脅し始める。
殆どの演者はここ迄で30分間を費やし、この場面で切ります。
実はこの噺、これから二人で“らくだ”の遺体を樽に詰め、火葬場に運ぶ場面に続くのですが、滅多にやらない。
可楽の「らくだ」は、最後まで演じて30分弱で終わります。つまり無駄な部分をそぎ落とし、凝縮した演出にしているのです。
例えば、可楽の「らくだ」の出だしは、次の通りです。
――ある長屋に本名を“馬”と申しまして、あだ名を“らくだ”といいますから、どっちみち大きな柄の男だったようで。
「おい、馬、起きねぇ。」
(しばらく間をおいて)
「野郎、めえってるな。」――
この冒頭部分だけで、“らくだ”がどういう男でどのような死に様だったか、兄貴分がどういう人物で又“らくだ”との人間関係がどうだったのか、観客に分かる仕掛けになっています。
可楽の演出は、余計な説明をカットすることにより、ストーリー全体の緊張感を持たせています。
そして、何より圧巻なのは、屑屋が次第に酒に酔って、兄弟分に絡むシーンです。
いつまでも酒を飲み続ける屑屋に兄弟分が、そろそろ稼ぎに行った方が良いと勧める場面で、屑屋が低い声で「ふざけんねぇ。ふざけんねぇ。」と、二度つぶやきます。
この短かなセリフの中に、屑屋が今までどれほど世間から蔑まれ、惨めな人生を送ってきたか、その口惜しさが込められています。
死んだ“らくだ”からはいつも非道い目にあってきて、しかもその葬儀を兄弟分の脅しで手伝わせられる、この屈辱感がこの後一気に爆発します。
同時に死んでいった“らくだ”を弔ってやりたいという優しさを、この屑屋は持っています。
社会の底辺にいたもの同士のある種の連帯感、これが屑屋の怒りの中に見ることができます。
可楽の「らくだ」は、人生の深い所を見ており、ここが他の演者との大きな違いです。
八代目三笑亭可楽は、落語家としては売れない長い不遇の時代が続きました。
恐らく生活も困窮していたのでしょう。
屑屋の怒りの中には、可楽自身の人生が反映しているのだと思います。
八代目可楽の高座というのは、顎を引きギョロッとした目を上目づかいに客席に向け、ボソボソと喋るのが特徴でした。後ろの席では、やや聞き取り難いほど、声が低かった。
良く言えば渋い、悪く言えば暗い感じで、あまり人気は高く無かった。
しかし独特の節回しでの喋りが、ミュージシャンには受けていて、特にジャズメンの贔屓が多かったと記憶しています。歌手のフランク永井は、可楽の大ファンでした。
初めて可楽のレコードを聞いた時、随分とナマの高座とは印象が違うなと思いました。
マイクを通すと、声が大きく明るくなり、聞き易くなっています。
可楽は、ラジオに出演するようになってから人気が高まったのは、そのせいかも知れません。
八代目三笑亭可楽は、昭和39年に66歳で亡くなりましたが、今でも可楽を愛するファンは多い。
いやに長いタイトルだが、要は立川談春の独演会。横浜にぎわい座で、今年は7回公演を行うということである。「色」をテーマにして、その色に因んだネタを披露しようという趣向。
3月1日は「山吹」で、お金に関係した演目ということ。
立川談春「木乃伊取り(みいらとり)」
―仲入り―
立川談春「らくだ」
談春の独演会の魅力の一つは、プログラムがシンプルであること。前座も抜きで、本人しか出ない。
処で、通常の独演会というのは、大体こういう構成になっている。
前座
弟子(0~2人)
本人
―仲入り―
ゲスト
本人
こうなると時間の関係から、本人2席の内1席は軽めのネタになる。
せっかく独演会に行ったのだから、滅多に寄席で聴けないネタをじっくり聴きたいというのが、大方の客の心理。
談春の場合は、1時間の長講を2席、これが魅力。
「木乃伊取り」
引退宣言の直後ということもあり、三遊亭圓楽のエピソードがマクラで振られる。
談春の初高座が「圓楽・談志二人会」(今なら夢のような顔合せ)だそうで、圓楽への思い入れも強い。
圓楽は、見かけによらずそそっかしい一面や、ちょっとエキセントリックな一面もあった模様。
ある時、白の上下のスーツにブルーのネクタイという出で立ちで、寿司屋に現れた圓楽が、カウンターにいた談春の隣に座り、いきなり「春ちゃん、ボクが山本五十六だったらねえ、あの戦争勝ってたよ。」と一言だけいって、出て行ったとか。
光景が目に浮かぶよう。
さて本題の「木乃伊取り」だが、あまり普段の寄席にかからないので、ざっと粗筋を紹介する。
大店の若旦那が吉原に出かけたきり戻らない。旦那は、最初は番頭、次に出入りに頭領に頼んで迎えに行かせるが、これが揃って戻らなくなる。
そこで無骨者の飯炊きの清蔵を差し向ける。
清蔵の説得が功を奏して、一同帰ることになったのだが・・・・・。
諺通り、「木乃伊取りが木乃伊になる」という結末。
談春は珍しくノーミスで、集中力と緊張感を感じさせる、良い出来栄えの高座であった。
特に飯炊き清蔵の酔いっぷりが良い。無骨な男が、次第に花魁に篭絡される描写が見事だった。
「らくだ」
このネタは、八代目三笑亭可楽のものが絶品で、現在に至るまで可楽の「らくだ」を越えた者がいない。
この演目だけは、名人志ん生や圓生も、可楽の足下に及ばない。
周囲の誰もから嫌われていた「らくだ」という男が死に、兄貴分が通りすがりの屑屋を脅かし、通夜の仕度をさせるが・・・・。
古典的な演出では、屑屋が酔った勢いで、蔑まれたウップンを一気に吐き出すというものだが、談春は、かつては道具屋の若旦那だったのが屑屋にまで落ちぶれて、その口惜しさを爆発させるという手法であった。ここでは兄貴分は泣き上戸という設定で、次第に立場が逆転してくるという演出だった。
これはこれで、聴いていて楽しかった。
談春流が良いか、可楽流が良かったかは、それぞれの好みに拠るだろう。
細かい点では、屑屋が名乗る前に、兄貴分が屑屋の名前を呼んだりというミスが数ヶ所あった。
こういう古典の代表的演目だけに、キッチリと演じて欲しい所。
談春という落語家は不思議な芸人だ。
複数で出演する会は気分が乗らないのか、およそ薄味な高座になる。独演会となると気合が入り、別人のような姿を見せる。
独演会に人気が集まるわけだ。
来月の会のチケットも、発売日に完売していた。
なお、横浜にぎわい座は5月を記念公演として、
1日―志らく
2日―小朝
3日―鶴瓶
4日―権太楼
7日―笑志
8日―志の輔
9日―喬太郎
という豪華メンバーが揃う、
楽しみだが、チケットの争奪戦が今から思いやられる。
今日3月1日は「3・1ビキニデー」です。と言ったって、写真のようなビキニの話題ではありません。もっともビキニの水着というのは、ビキニの水爆のように衝撃的な姿であるということで、フランス人が名づけたものなので、全く無関係ではありませんけど。
1954年のこの日、アメリカがミクロネシアのマーシャル諸島内・ビキニ環礁で水爆実験を行いました。
朝の4時ごろ、静岡県焼津港のマグロ漁船「第五福竜丸」は、ビキニ島の東約150キロの海上にいました。
乗組員の証言によれば、西の方が日の出のように明るく輝き、水平線から真っ赤な玉がすごい速さで上昇したかと思うと、様々な色の混じった白い煙がもくもくと上がりました。
1時間半ぐらいした時、甲板に空からパラパラと灰が落ちてきました。
放射能を帯びたこの死の灰を浴びたことで、乗組員23名全員が放射能被害を受け、この年の9月23日に無線長の久保山愛吉さんが、「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」という遺言を残して亡くなりました。
広島、長崎に続き、三度核兵器による犠牲者を出したということで、国内の世論が沸騰し、この事故を機に原水爆禁止運動が全国に広がりました。
こうした経過から、被爆した3月1日を「3・1ビキニデー」としたものです。
さて、このビキニ水爆実験については、当時からいくつかの謎が残されていました。
この海域で操業していた日本の魚船は、第五福竜丸だけでは無かったのではないか、他の漁船は被害を受けなかったのかという疑問です。
このときの水爆実験で、死の灰を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられていますが、被害の全容は未だに把握されていません。
この事故を、一人のアメリカ人が調査しました。詩人のアーサー・ビナードさんです。
米国人であるビナードさんが、最初に不思議に思ったのは、なぜ第五福竜丸の乗組員が生きて日本へ帰れたのかということでした。彼らの被爆の事実は、実はアメリカにとっては重要な軍事機密だったわけです。
米軍がなぜこの船を撃沈しなかったのか、ビナードさんはこの点に興味を惹かれたのです。
ビナードさんの調査によると、この謎を解く鍵は、犠牲になった無線長の久保山愛吉さんたちの行動にありました。
戦時中、久保山さんは軍属として徴用された漁船の乗組員として、米軍の艦船の偵察活動をしていました。とても危険な任務で、久保山さんの兄と弟は戦死しています。
その時の経験から、もし被爆の事実を焼津母港に無線で知らせれば、爆心地の周辺にいる米軍に傍受されて、撃沈されることが予想出来ていました。だから本土への無線連絡は取らなかった。
その結果、船員全員が被爆しながらも、2週間かけて自力で母港の焼津に戻って来たのです。
ビナードさんは彼らの勇気に感動し、絵本「ここが家だ」を出版しました。
久保山さんたち第五福竜丸の乗組員は、単なる被害者ではない。
自らの知恵と勇気で、危機を脱して見事に生還を果たし、核実験の被害を世界に伝える生き証人となった英雄であると、ビナードさんは言っています。
これから毎年3月1日の「3・1ビキニデー」が来たら、第五福竜丸の悲劇と、こうした勇気ある日本人がいたという事実を、思い出して下さい。
なお第五福竜丸のその後ですが、夢の島で廃船になっていた所を、たまたま都の職員が見つけのをきっかけに、保存運動が起きました。
その結果、東京都が船を修復・保存し、現在は江東区の夢の島公園内に展示(下の写真)されています。
当時の都知事が石原慎太郎さんでなくて、本当に良かったですね。
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