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2007/03/01

今日は何の日「ビキニデー」

Bikini_5今日3月1日は「3・1ビキニデー」です。と言ったって、写真のようなビキニの話題ではありません。もっともビキニの水着というのは、ビキニの水爆のように衝撃的な姿であるということで、フランス人が名づけたものなので、全く無関係ではありませんけど。

1954年のこの日、アメリカがミクロネシアのマーシャル諸島内・ビキニ環礁で水爆実験を行いました。
朝の4時ごろ、静岡県焼津港のマグロ漁船「第五福竜丸」は、ビキニ島の東約150キロの海上にいました。
乗組員の証言によれば、西の方が日の出のように明るく輝き、水平線から真っ赤な玉がすごい速さで上昇したかと思うと、様々な色の混じった白い煙がもくもくと上がりました。
1時間半ぐらいした時、甲板に空からパラパラと灰が落ちてきました。
放射能を帯びたこの死の灰を浴びたことで、乗組員23名全員が放射能被害を受け、この年の9月23日に無線長の久保山愛吉さんが、「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」という遺言を残して亡くなりました。

広島、長崎に続き、三度核兵器による犠牲者を出したということで、国内の世論が沸騰し、この事故を機に原水爆禁止運動が全国に広がりました。
こうした経過から、被爆した3月1日を「3・1ビキニデー」としたものです。

さて、このビキニ水爆実験については、当時からいくつかの謎が残されていました。
この海域で操業していた日本の魚船は、第五福竜丸だけでは無かったのではないか、他の漁船は被害を受けなかったのかという疑問です。
このときの水爆実験で、死の灰を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられていますが、被害の全容は未だに把握されていません。

この事故を、一人のアメリカ人が調査しました。詩人のアーサー・ビナードさんです。
米国人であるビナードさんが、最初に不思議に思ったのは、なぜ第五福竜丸の乗組員が生きて日本へ帰れたのかということでした。彼らの被爆の事実は、実はアメリカにとっては重要な軍事機密だったわけです。
米軍がなぜこの船を撃沈しなかったのか、ビナードさんはこの点に興味を惹かれたのです。

ビナードさんの調査によると、この謎を解く鍵は、犠牲になった無線長の久保山愛吉さんたちの行動にありました。
戦時中、久保山さんは軍属として徴用された漁船の乗組員として、米軍の艦船の偵察活動をしていました。とても危険な任務で、久保山さんの兄と弟は戦死しています。
その時の経験から、もし被爆の事実を焼津母港に無線で知らせれば、爆心地の周辺にいる米軍に傍受されて、撃沈されることが予想出来ていました。だから本土への無線連絡は取らなかった。
その結果、船員全員が被爆しながらも、2週間かけて自力で母港の焼津に戻って来たのです。

ビナードさんは彼らの勇気に感動し、絵本「ここが家だ」を出版しました。
久保山さんたち第五福竜丸の乗組員は、単なる被害者ではない。
自らの知恵と勇気で、危機を脱して見事に生還を果たし、核実験の被害を世界に伝える生き証人となった英雄であると、ビナードさんは言っています。

これから毎年3月1日の「3・1ビキニデー」が来たら、第五福竜丸の悲劇と、こうした勇気ある日本人がいたという事実を、思い出して下さい。

なお第五福竜丸のその後ですが、夢の島で廃船になっていた所を、たまたま都の職員が見つけのをきっかけに、保存運動が起きました。
その結果、東京都が船を修復・保存し、現在は江東区の夢の島公園内に展示(下の写真)されています。
当時の都知事が石原慎太郎さんでなくて、本当に良かったですね。

Photo_1

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