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2007/04/28

近ごろの民族蔑視の風潮ってナンなんだろう

Syngman私が小学校5年生に時に、辛という名の朝鮮人(韓国籍)男子生徒がクラスに転入してきた。
父親の仕事の関係で転校してきたとのことで、年齢は1つ上だが、日本語の学力の関係で5年生に編入したと担任から紹介があった。
辛はもともと身体が大きい上に年も上なので、体格は私たちをふた回り位うわ回っていたが、いつもニコニコしていて性格の優しい少年で、すぐにクラスに溶け込んだ。
男子生徒の間で相撲が流行っていて、始業前と休み時間に校庭で、相撲を毎日のようにしていたが、辛はダントツに強く、私たちは全く歯が立たなかった。
相撲の時間になると、辛はヒーローだった。

当時は週に1度くらいホームルームがあり、クラスに起きた問題を話し合うことが常だった。
そこで同級生のNが、「辛クンは言葉使いが乱暴なので注意して欲しいと思います」と発言した。
辛は日本語が未だあまり上手くなく、朝鮮人独特のイントネーションがあるのを捉えたものだが、それによって誰かが傷付いたわけでもないし、明らかなイジメであった。
同級生の中でNに同調する者は僅かで、多数の生徒はNの発言に批判的で、Nもその場を引き下がった。
ところがその後もNは同じ発言を執拗に繰り返し、次第に他のクラスメイトから非難されるようになる。
それでもNは懲りなかった。

私たちがそうした議論をしている間中、いつも辛は大きな背中を丸めて、小さくなって俯いていた。
今でも、その時の辛の悲しそうな顔を忘れることができない。
結局、辛は小学校を卒業すると、中学は朝鮮人学校に進んでしまった。

当時の日本は、「李承晩ライン」(*註参照)の問題が生じていて、韓国との関係がちょうど今の北朝鮮との関係のように、トゲトゲしいものとなっていた。
大人たちの間では、近いうちに韓国が日本に攻めてくると、本気で心配している人もいた。日本の再軍備が叫ばれ始めたのもその時期であった。
それより何より、大人たちの間では、戦前の朝鮮やシナへの蔑視感情が根強かった。
しかし私たちの世代にはそうした影響は少なく、民族や人種による差別はいけないという意識の方が強かった。

*李承晩ライン問題―当時の韓国の李承晩(イ・スンマン、左上写真)政権が一方的に竹島を支配下におき、そのため近海で操業していた日本漁船が次々拿捕されていた。

人気ブログの多くがそうであるように、ネットの世界では「反中国」「反韓国(朝鮮)」の空気が強い。
私もそうした話題のサイトには目を通すことが多く、細かなことまで良く調査しているし、なかなか面白く読ませる工夫もしている。文章の歯切れが良いので、鬱憤がたまっている時に読むと、一種の爽快感さえあるのは事実だ。
しかし何でもかんでも悪いのはシナや朝鮮で、日々彼の国とその国民の悪口だけを書くという姿勢には、大いに疑問がある。
その執拗さは、小学校の時のNの態度を連想させられる。
私よりはずっと若いであろう執筆者たちの、激しい民族蔑視はどこから生じたものだろうか、考えさせられる。
文章の中身と共に、そうした人たちが今までどういう人生を送ってきたのだろうか、そちらに興味がひかれる。

当ブログでも度々、中国政府やアメリカ政府の方針を批判する記事を書いてきた。
だからといって、中国やアメリカを蔑視したり、その国民を侮辱したことは一度もない。それは別物だからだ。
どこの国だって、立派な人もいれば悪い奴もいる。それだけの話ではなかろうか。
国が違えば文化が違い、社会のルールや法制度も異なる。ある国では正しいことが、別の国へ行けば不法行為になることなどザラだ。
我が国だけを基準にして、他国を非難することは出来ない。

最近、満州からの引揚げ体験を持つ、あるお年寄りの話を聞く機会があった。
その方は戦争が終わるまでは、シナ人は人間ではないと思っていたと語っていた。人間として扱っていなかったそうである。
戦後60年以上が経過し、国際化の進行とそれに伴う人権意識の醸成が進んだはずの今日、こうした民族蔑視感情が新たに生まれていることに憂慮している。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 私は中学高校時代の友人にも韓国籍の者がいましたし、愛知大学の三河民俗談話会において韓国人や中国人の先生や留学生とも会う機会があります。
 また、私自身、中国語は理解できませんが、韓国・朝鮮語については、不自由しません。
 近隣だからこそ、国家レベルでは摩擦も多いかと思いますが、島国とはいえまったくの孤島ではありませんから、東アジアにおけるわが国の位置づけができなければ、わが国の成り立ちそのものも理解できないと思います。そうした意味でも彼らと会話することは必要だと思います。
 また、戦前に右翼といわれた人たちは、韓国・中国はじめアジア諸国の人々との共存を掲げていた人も多かった。
 その点から見てもいわゆるネット右翼といわれる人々は矮小ですね。

柴田晴廣様
コメント有難うございます。
いわゆるネット右翼の人々の民族蔑視については、論評に値しないものとして、問題視してこなかったのですが、最近のキナクサイ動きを見て、あまり無視してもいけないと感じています。
先の大戦について、日本が正しかったと主張する彼らですが、その大義名分であった大東亜共栄圏について、どこまで理解しているのやら。
日本は先進国の中で、右翼が国会に議席を持っていない例外的な国といえますが、それだけ国民からの支持が得られていないという証拠です。
戦時中は「鬼畜米英」を叫びながら、戦後になると途端に「アメリカ万歳」に豹変する、この思想的無節操だけは今の右翼にも受け継がれているということではないでしょうか。

home9さん
 戦前の右翼の起源を遡れば、自由民権運動と密接に関係しています。右翼といいながら、全体主義的な中にも自由主義的な臭いの中でアジア主義という理想に邁進しているような感じがあります。
 こうした自由民権に身を投じた者が時代遅れの代表と見ていたのが平田学派。
 この平田学派の影響を強く受けているのが、教派神道。この教派神道(特に竹内文献で有名な天津教)のシンパだったのが皇道派です(大本はじめ一連の教派神道の弾圧の直後に2.26事件が起きる)。
 大東亜共栄圏という発想はアジア主義より、むしろ平田の外八洲(そとやしま)思想に立脚しているように思います。
 平田の思想も攘夷という排外主義ですから、自由民権という経験(挫折)から生まれた戦前の右翼より彼らが時代遅れとした平田の思想に現代の右よりは近いのかもしれませんね。
 平田学なんていうのは一種のオカルティズム、中韓蔑視のBlogの著者なんかもオカルティズムの洗礼を受けている者が多いように思います。
 その意味では彼らもオウム信者の若者も同じ穴の狢というべきかも知れません。
 とにかく、私は戦前の日本や現在の北朝鮮のような全体主義だけは御免です。

home9さん
 ここまで書いて("「幇間(タイコモチ)」評論家・記者どもへ "のコメント含む)、少し見えてきました。
 そもそも「尊王攘夷」という思想は、異民族(漢民族でない)たる元朝支配の中国対立で生まれました。
 わが国が歴史上初めて異国の支配(占領)を受けたのが、第二次世界大戦後です。
 また、上記のとおり平田の生きた時代は、占領こそされませんでしたが、異国の侵略に脅かされた時代でした。
 戦前と戦後の右翼の思想的断絶もここにあると思います。
 さらにいえば、高度成長期からバブル後の今日までは、ある種、幕末の外圧とも似た状況にあるのではないかと思います。
 中韓のみならず、石原のように米国に対する批判なども考えれば、いわゆる進駐軍時代(闇市等でのいわゆる三国人の台頭というのもこの時代)というのが、今日のこうした発想の原点ではないかと思います。
 それが、上述のようなバブルの崩壊、韓国・中国の経済的成長とあいまって別紙につながったのだと思います。
 ただ、両国が儒教的呪縛から開放されてもその地理的環境に由来する技術的側面において日本を越えられないのではというのが、私が彼らと話した中での感想です。
 「敵を知り」というのが戦略の鉄則ですが、敵を蔑視(侮って)し、直視しない姿勢こそ、私は彼ら(中韓国人)に先を越されるのではないかと心配になります。
 

柴田晴廣さま
コメント2通頂き、有難うございます。
「『敵を知り』というのが戦略の鉄則ですが」という指摘、正に同感です。
多くの「反中国」「反韓国」ブログに見られる共通点は、相手国を客観的に分析する、そのためには相手の事を良く知ることを避けている。私は、結局は彼らが一見勇ましい言葉を並べているが、その実は中国や韓国への恐怖心が根底にあると見ています。
これでは戦前アメリカの力を過少評価して、無謀な対米戦争へと突入したことと同一です。
私はその根底に、彼らの生活実感のなさ、社会を見る目のリアリティのなさが原因ではなかろうかと推定しています。

home9さん
 要は虚勢を張っているだけで腹が据わってないってことですね。
 home9さんがたびたび批判している石原慎太郎なんてその典型例のような気がします。
 付け加えれば、アメリカを仮想敵国としていた者よりソ連を仮想敵国としていた者の感覚に近いように思います。

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