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2007/04/25

思い出の落語家④ 「笑い」と苦闘していた林家三平

Sanpei林家三平、日本芸能史の残る人気落語家であり、「昭和の爆笑王」としてその名が知られている伝説的芸人です。
最盛期は1960年代であり、1980年に亡くなっているので、ナマ三平を見た人は少ないのですが、先日旅行先で一緒だった中学生が三平の物真似をしていました。いまだに人気があるんですね。
本当は三代目だそうですが、ご本人も初代を認じており、三平といえばこの人しかいないと言って良いでしょう。
父親は7代目林家正蔵、長男が9代目正蔵を継いだことはご存知の通りです。

寄席で三平の高座を見たのは一度だけで、真打になって間もない人気絶頂期でした。
高座の“めくり”に「林家三平」と出ただけで、場内は爆笑の渦です。後にも先にも、名前だけで客を笑わせたのは三平だけでしょう。
すべるように高座に出てきて、お辞儀する時にいきなりマイクにオデコをぶつけて、そこで大爆笑。
「え~」と言いながら中腰で場内を見渡すと、また爆笑です。

噺というのは実に他愛のない、ストーリー性のないもので、ただただ小咄をつなげて行くという芸風です。
新作落語に分類されるでしょうが、例えば桂文珍の「老婆の休日」や春風亭柳昇の「結婚式風景」とは異なり、どちらかというと今なら綾小路きみまろが近い。
ただ一つ一つの小咄は、決して面白いものではありません。
その時の高座でも、余りにバカバカしいので今でも覚えていますが、こんな具合です。
「最近交通事故は増えてもう大変、この前も女の人がはねられて倒れていて、身元が分からないからもう大変。スカートがめくれちゃって、パンツが見えて。そしたら、お巡りさんが来て、お尻の脇にあったアザを押したら、いきない女の人がブーとおならをして、ああ、この人はアザブー(麻布)の人だ。」
ね、面白くも何ともないでしょう。

だけど皆んな笑うんですよ。
静まったと思うと、中腰になって拳を額に当てて「え~」、これで笑わせる。
小咄の間に挟むギャグ、「どうもすいません」「身体だけは大事にして下さい」「もう大変なんすから」「ゆうべ寝ないで考えたんすから」で笑わせるんです。
客席の右側が笑っていないと、そちらに体の向きを変えて「じゃあ、こちらを重点的にやりますから、こっちから向こう休め!」とやります。
客席に人が入ってくると、「どうもいらっしゃいませ」。トイレから客が戻ると、「どうもお帰りなさい」。

常に客の反応を気にして、いつでも笑わせていないと気が済まない、笑わないと気になって仕方がない。
客席の人の出入りを気にするのも、三平の神経質な一面なのでしょう。
笑いが少ないと見ると、高座でデングリ返しをしたり、時には高座からすべり落ちて、腰をさすりながら高座に戻る姿もありました。そこまでやるか、です。
そこには、爆笑王として常に笑いを期待され続け、苦闘していた芸人の姿を見ることができます。
いつ頃からか「笑いを取る」という表現が使われるようになりましたが、三平は文字通り笑いを取るために奮闘していました。

およそ人を笑わせるほど、難しいものはありません。
同じことをやっても、ある時は大笑いするが、ある時は全く反応しない。
ブームを起こしたお笑い芸人が、2、3年すると全く面白くなくなり、やがて消えて行く、そんな姿を見るのはザラですね。
お笑い芸人が、年齢を重ねると普通の俳優に転向するのは、良く理解できます。
森繁久彌がかつてお笑い芸人だったなんて知らない人が多いです。藤田まこともそうです。
しかし落語家は、そうはいきません。

歳をとってから、改めて古典落語に取り組むという選択肢もあったのでしょう。
人によっては、三平はその気になれば立派に古典が出来たと言う人がいますが、私はそう思わない。
三平の真打襲名披露がラジオで中継されたというのは、今でも語り草になっています。
その時のネタは、「湯屋番」でした。古典の中では、比較的易しい部類の演目です。
しかし出来は、真打の水準には程遠いものでした。
50歳を過ぎてから、本格的に古典に取り組み、一流の噺家を目指すのは、三平には無理があったと思われます。

三平の芸は、落語家というよりは、コメディアン、ボードビリアンに近い。
多くの物故した落語家のCDが発売されている中で、三平のものは「源平盛衰記」のDVDがあるくらいではないでしょうか。残らない芸なんです。
長年の「笑い」との戦いが、あるいは三平の健康を蝕んでいったのかも知れません。
1979年に脳溢血で倒れ、翌年に亡くなっています。享年54歳でした。
ご家族には申し訳ない言い方ですが、私は三平が若くして泉下に入られたのは、結果としてご本人には良かったのだと思います。
伝説となって、人々の記憶の中に永久に生き続けているのですから。

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コメント

林家三平 = 昭和の爆笑王

この図式はなんとなく理解できるのですが、テレビで彼の芸を見ていて面白いという感じはまったくありませんでした。
それは、home-9さんも指摘しているので敢えて言わせていただきます。
ただ、「めくり」で林家三平と出ただけで笑いが起きた。
これには頷けますね。
あのヌーっとした風貌だけでも存在価値がありましたからね。

それに比べ、先日も言いましたが、関根勤など存在価値はもちろんのこと、芸もまったくありませんね。

昭和の芸人としてはちょっと毛色の変わった感はありますが、タモリが最後ではないでしょうか?
彼に芸風があるかといっても、ないのかもしれません。
しかし、「今夜は最高」の進行役とトランペットの演奏など、素人ではありません。
そして、私が尊敬してやまない、団進也。
彼が真似るディーン・マーチンやサミー・デイビス・ジュニア。
もう、本当に最高でした。
彼が真似たそのご当家たちも今では棺に眠る存在となり、真似られる大家も滅んでしまいました。

お笑いとはドリフターズであり、ペーソスとユーモアにあふれたのがクレイジー・キャッツだったような気がします。
この違いも分からない阿保な奴らがテレビ界に蔓延しててはどうしょうもない^^;

投稿: dejavue | 2007/04/25 21:27

dejavue様
コメント有難うございます。
かつては芸があるから芸人でした。芸が無ければ
タダの人、英語でタレントと呼んでいます。
団進也、彼のようなボードビリアンが本当にいなくなりましたね。

投稿: home-9 | 2007/04/26 09:12

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