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2007/05/31

「落語家」は女に向かない職業

Poppococologのアクセス解析の中に検索ワードという項目があり、このブログに何のキーワードでアクセスしたかが分かる仕組みになっています。
この4ヶ月間で見ると、「春風亭ぽっぽ」というキーワードが多いのに驚きます。落語家の中では、柳家喬太郎に次いで2番目ですから、これはスゴイ。

ブログ内の記事で名前が出てくるのは一度だけ、師匠・小朝の独演会での前座として紹介しているのですが、その中にはこう書いています。
【前座は春風亭ぽっぽ「平林」
学園祭だったら大受け間違いなし。女流の噺家は妙に上手いと、かえって痛々しい。】
せっかくキーワード検索して辿り着いたら、この素っ気ない文章にぶつかり、ガッカリした方も多いでしょう。

多少言い訳をさせて貰うと、この表現は私としては最高の誉め言葉です。
通常は前座は無視するのですが、春風亭ぽっぽの高座を見た印象が、芸が素直でスジが良さそうだと感じたので、記事にしました。
ただ私は、落語家という職業は、最も女性に向かない職業だと確信していますから、これから先いくら修行したって大成しないのになぁと思って、痛々しいと表現しました。

落語家がなぜ女性に向かないのか、一番の理由は元々落語が男の世界だからです。吉原へ女郎を買いに行く噺を女性がしたって面白くないでしょう。
落語の中にだって女が登場するじゃないかと思われるかも知れませんが、あれは男の眼から見た女です。決してナマの女は出てきません。女流落語家が演じる女性が、却って不自然になるのはそのためです。
歌舞伎の世界も同じです。だから前進座のように、芝居に女優が出てくると、ひどく違和感があります。
とにかく女流噺家は大成しない。

落語だけではありません。漫才やコントなど、とにかく全般に「お笑い」芸は女性には向きません。
漫才には女性がいるではないかという反論があるかも知れませんが、相方が男だから成り立つ。女同士の漫才師もいるけど、総じてこれが面白くない。
例えば大阪の今いくよ・くるよ、私はあの芸の面白さが分からない。

これが同じ古典芸能の世界でも、他の分野になると全く話がガラリと変ります。
浪曲でいえば、澤孝子。現役の浪曲師では、恐らくこの人がナンバー・1だと思います。余りの迫力に、椅子から落ちそうになりました。他にも女流浪曲師で、上手な人が沢山います。
講談の世界だと、神田京子のような若い有望な講釈師が出てきています。
平曲(平家琵琶)も、素晴らしい女性奏者がいます。

古典芸能を志す女性の方は、是非落語以外の芸に世界に行かれることをお勧めします。
余計なお世話でしょうけど。

2007/05/30

大阪府警の談合ビジネス

Oosakafukei大阪府枚方市が発注した清掃工場建設工事の談合事件で、大阪地検特捜部は大阪府警捜査2課の警部補・平原幸史郎容疑者を逮捕し、所属する府警本部近くの分室などを家宅捜索しました。
逮捕された警部補は、工事の発注者側の市と大林組などゼネコンとの橋渡しを行い、談合に加わったものと見られています。

談合の仲介ですか、最近の警察は手広く商売してはりますなあ。
これじゃあ、犯罪の検挙率が低くなるわけだ。

警官「署長、ただ今より家宅捜査が始まります。」
署長「ご苦労。それで現場はどこだ?」
警官「いや、本署が家宅捜索されるのであります。」
署長「バカモノ、ナンで警察が捜索されなくちゃいけないんだ。」
警官「ハイ、枚方市の建設工事で、平原警部補が市とゼネコンの橋渡しをして、逮捕されたのであります。」
署長「お前なあ、橋を渡すのはゼネコンの仕事だろ。何で警察官が橋渡しなんかしたんだ?」
警官「それがその、枚方(ひらかた)市もいい加減だったからであります。『枚方』日の丸と言いまして。」
署長「しゃれなんか言ってる場合か。」
警官「署長、こうした場合、警部補はナンの罪になるんでありますか?」
署長「そりゃお前、ここは大阪府警だろ。『府警』罪に決まってる。」

お後が宜しいようで。

祝!白鵬69代横綱昇進

Hakuho本日30日午前、大関白鵬の横綱昇進が正式に決まりました。
69人目の横綱となり、新横綱の誕生は朝青龍以来で4年4カ月ぶりです。
22歳2カ月での昇進は北の湖、大鵬に次ぎ史上3番目の若さです。

白鵬については入幕当時から注目していて、このブログでも過去2回記事にしています。
自分が注目し応援してきた力士が昇進するというのは、とても嬉しいことです。
今年の阪神タイガースの不振をしばし忘れられる快挙であります。

白鵬の父親はモンゴル相撲の横綱で、5年間一度も負けたことが無いという大記録を持っています。レスリング選手としても、オリンピックでモンゴルに初めてメダルをもたらした国の英雄ですから、正に「父子鷹」です。

白鵬は大相撲入門を目指して、2000年に数名のモンゴル人青年と共に来日しましたが、当時体重が軽くて、他の仲間が次々入門を決めた中で取り残されてしまいました。諦めていよいよモンゴルに帰国する数時間前に、モンゴルの先輩である旭鷲山の口利きで宮城野部屋への入門が許されました。
白鵬は後年、「数時間で人間の運命が変わることがあるんだ」と語っています。
こうした運も、実力の内なのでしょう。

以前、記者とのインタビューで、土俵に上がった時どんなことを考えるかという質問に対して、白鵬はこう答えています。
「目をつぶります。そうするとモンゴルの草原が浮かんでくるんです。そして、両親や苦しい稽古のこと、親方の言ったことを思い出す。その後は相手に集中します。」
なんと青年らしい、瑞々しい感性でしょうか。

外国人力士ばかり増えてと訝る声もありますが、どのスポーツでも国際化は避けられない。
日本人精神ウンヌンいうけれど、今時は外国人の方が却って、かつての日本人の精神を持っていたりしますから、これも気にしなくて良いでしょう。

白鵬に一つ注文があるとすれば、決して稽古が多いという方ではありません。むしろ素質の良さでここまで上がってこられたと言って良い。
昇進の口上で、「横綱の地位を汚さぬよう、精神一到を貫き、相撲道に精進致します」と述べましたが、今後はその気持ちを忘れずに努力して欲しい。
横綱土俵入りは両腕を伸ばしてせり上がる不知火型ですが、不知火型は悲劇の横綱が多いというジンクスを、是非打ち破って欲しいものです。

横綱朝青龍は以前から、「大関には琴欧州が先になるかも知れないが、横綱は白鵬が先になる」と言っていましたが、見事に的中しました。
ここの所、何かと悪役に回っている朝青龍ですが、その炯眼畏るべし。

2007/05/29

安倍総理は何を「恥じた」のか

Abe_shinzo_1安倍首相が松岡農相の自殺について、「慚愧(ざんき)に堪えない」と述べたことが報じられています。
言うまでもなく、「慚愧に堪えない」とは、「自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと」という意味です。
1970年ごろ学生言葉として、「恥ずかしい」の代りに「慙愧」と言うのが流行りましたね。

人間、唐突な事に出会うと思わず本音が出るものだそうです。
では、安倍総理は松岡農相の自殺について、一体何を「恥じた」のでしょうか。
総理の任命責任でしょうか、それともダービーの馬券的中でハシャギ過ぎたことでしょうか。

まさかそんな事は無いとは思いますが、言葉の意味を知らなかったとか。
それなら、こんな言語能力の無い人物を総理大臣にしてしまった我々国民こそ、まこと「慚愧に堪えない」。

松岡大臣の自殺と「日本ダービー」

Abe_husai昨日5月28日に松岡利勝農水大臣が自殺しました。
現職大臣の自殺は戦後初めてですが、現職国会議員となると7人目です。私の住む選挙区からも、1998年に新井将敬議員が自殺しています。
日本の自殺率は年間人口1万人当たり2.4人ですから、議員の自殺率は高いのでしょうか。

松岡氏の場合、疑惑が相次いでいた所に、官製談合をしていた緑資源機構からの多額の献金問題が追い打ちをかけました。
熊本県での捜査が始まった場合は、もう逃げられないと言われていましたから、決定的に追い詰められてしまったものと思われます。

私はもう一つ、自殺を決意するに至る契機として、27日に行われた日本ダービーがあったのではと推測しています。
皇太子が始めてダービーを観戦されるという事に加え、安倍総理夫妻も加わることになりました。ここの所支持率が急落した安倍首相にとり、かっこうの宣伝舞台としたかったのでしょう。
競馬は農水省の管轄ですから、担当大臣としては当然エスコートしなくてはいけない。
しかし松岡氏が、現在そうした晴れがましい舞台に登場するわけにはいかない。そこで2日前にドタキャンをしています。
松岡大臣として大いに面目を失ったであろうことは、想像に難くない。

一方で予想が的中してキャピキャピと喜ぶ安倍総理夫妻、もう一方は自死を胸に故郷に戻り墓参りを済ませた松岡大臣、人生の明暗がくっきりと分かれた瞬間です。

江戸時代に活躍した瓢水という俳人がいました。親交のあった淡淡という俳人の弟子が妓楼に通いだし、気の進まぬ太夫を大金積んで無理に身請けしようとした。
このとき瓢水が、その弟子をたしなめた句が有名な、「手にとるなやはり野に置けれんげ草」です。
今でも時折使われますね。小心であるが抜け目なく世渡りが上手で取り立てられ、トップに座った途端に能力のない事が明らかになったりすると、こう言われてしまう。

農水族議員として政策通でありキャリアを積んでいたにも拘らず、絶えず金にまつわる噂で大臣の椅子を逃してきた松岡氏。
そのまま野に置けば良かったのに、安倍首相が無理に手に取ったばかりに、悲劇的な結末を迎えてしまいました。

ひょっとしたら安倍首相自身も、「やはり野に置け」なのかも知れません。

2007/05/28

「光市母子殺害」裁判の弁護人への非難は不適切

Yasuda山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審の公判が、2007年5月24日広島高裁で始まりました。
この公判で行った弁護団の主張に対して、激しい非難が浴びせられています。
この事件に限らず、オウム事件のような凶悪犯罪に対する裁判でも、弁護人の言動が世間からバッシングを受けることが度々ありました。
これらの意見の中に、「ああいう悪い事をしたんだから死刑は当然。グズグズ言ってないで、早く処刑してしまえ。」としか聞こえない意見も散見されます。これだと、現行の裁判制度そのものを否定することになります。
全てを正しいか間違っているかで判断し、反対意見には耳を貸さないという、昨今の悪しき風潮の一つだと思います。

私自身は以前から主張している通り、死刑制度は必要であるという考えであり、「死刑制度維持派」です。
「死刑廃止」を主張するではなく、死刑になるような犯罪をいかに無くしていくかが大切だと思います。
今回の母子殺害事件についても、犯行の残虐さとその後の被告の言動からして、死刑が相当と判断しています。
その事と、公判での弁護活動への非難とは、全く別の問題です。

ご存知の通り、刑事訴訟法には次のように書かれています。
【第289条 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮にあたる事件を審理する場合には、弁護人がなければ開廷することはできない。】
弁護人がいなければ開廷できない、つまり裁判が出来ないわけで、誰かがその「悪役」を引き受けてくれないことには、被告を処罰することができない。これが前提です。

次に、弁護を引き受けた以上は、被告の利益のために刑の軽減を主張せざるを得ない。
本件の場合、最高裁が「殺害の計画性のなさや、少年だったことを理由とした死刑回避は不当」として、審理を高裁へ差し戻しているわけですから、まともに行けば死刑しかありません。
弁護団として死刑判決を回避するためには、
①刑法205条による傷害致死を主張する。
【(傷害致死)
第205条 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、3年以上の有期懲役に処する。】
②刑法39条による被告の心神喪失又は耗弱を主張する。
【(心神喪失及び心神耗弱)
第39条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。】
このいずれかしか方法がないと思われます。

弁護団の主張は、一見荒唐無稽に見えますが、他に選択肢が無かったのではないのでしょうか。
主張に対する批判の声はあっても、それならこう主張すべきだという意見は、なかなか見当たらない。
それとも弁護団が、「こいつは確かに悪いヤツだから、もう死刑にして貰うしかない。」とでも主張すれば良かったのだろうか。

弁護団の多数が死刑廃止論者だという指摘がありますが、この事件の被告を弁護する以上は誰がやっても、死刑の回避を主張するのは当然でしょう。
弁護団のメンバーの中に、過去に物議を醸しだした人物が含まれているとしても、弁護活動そのものを非難するのは妥当ではありません。

被害者遺族の感情を逆撫でするとの主張がありますが、遺族は死刑を主張しているわけで、弁護人の主張とは真っ向から対立するのは避けられません。
もし遺族の感情を尊重しろというなら、最初から弁護など引き受けないでしょう。

こうしたバッシングや非難が続けば、そのうち凶悪事件の弁護など誰も引き受け手がいなくなる。
裁判が開けなくなれば、最終的に困るのは私たち国民です。
弁護方針に対する意見は当然としても、弁護活動自体を非難するような論調は、誤りだと思います。

この母子殺害事件は余りに残虐な犯行であり、ご遺族の本村洋さんの悲しみと苦悩は計り知れません。その点で、多くの方々がご遺族に感情移入されていることは、十分理解できます。
この裁判は、最終的には死刑判決が出るのは、先ず間違いないでしょう。
それまでの審理は、静かに見守って行きたいと思います。

2007/05/27

思い出の落語家⑦ 八代目桂文楽に見る「名人」の条件(下)

Bunraku_3名人・八代目桂文楽の名人たるユエンは、落語を現代化したことだというのが、私の結論になる。
芸術、芸能の世界では、興行時間は公演内容を作用する。歌舞伎の世界でも、朝から夕方まで通しで興行していた時代と、現在のように1日2部制になった時代とでは、当然演出が異なる。
二本立てが当たり前だった映画は、1本の上映時間が90分以内だった。今では2時間超すのがザラである。

「四つ時に出る幽霊は前座なり」という川柳があるが、四つ、つまり午後10時には未だ寄席は興行していたことになる。夕方から始まり、夜は遅くまで公演していた当時の寄席と今とでは、落語の演出も変わる。
昨今の寄席では、芸人一人当たりの口演時間は長くても15分、主任(トリ)の高座で30分前後が通例だ。
全ての持ちネタを、短いもので15分程度、長いものでも30分以内の収めた文楽の演出には意味があった。

八代目桂文楽は、1892年に生まれ、1971年に死去している。
丁度、日本が近代化し、戦後の高度成長を迎える時期と重なる。
落語もまた、時代と共に変わって行かざるを得ない。

文楽は、一語たりともオロソカにしない緻密な高座だったと評される。マクラの出だしの一言を聴けば、その日のネタが分かったとも言われる。
落語をサービス業とすれば、常に一定時間に一定の品質のものを客に提供するのは、現代の営業の基本である。
しかしそういう標準化されたものというのは、往々にして味気ないものになりがちだ。
そこをいかにして客を唸らせ、感動させる作品に仕上げるか、文楽が最も苦心した点ではなかろうか。

文楽が存命中は、得意ネタは遠慮して、他の噺家は一切高座にかけなかったと言われる。
文楽に敬意を表したという面はあるだろうが、それ以前に文楽の演出が最高であり、それも文楽自身が創りあげたものだといたことが、落語界共通の認識だったためと思われる。

初めて文楽の高座を見た人は、想像していたのとは違って、いたって艶っぽい人物なのに驚かされる。若い頃から女にマメで、晩年まで愛妾宅に通っていたとされる文楽、そうでなけりゃあんな色気のある高座にはならない。
常に羽織、袴を着けて、すべるように高座に現れ、座布団の上にきちんと座って、平伏のごとき低い丁寧なお辞儀し、「毎度いっぱいのお運びさまで、有り難く御礼申し上げます。」と挨拶する。
その姿は品があり、美しかった。

文楽の持ちネタでは、前回あげた5作品の評価が高いが、私がこれは文楽しか出来ないと思っているネタは次の2作品である。
「つるつる」
「よかちょろ」
吉原が活況を呈し、芸者、幇間(たいこもち)が活躍していた時代の空気を吸っていた、文楽のような芸人にしか演じられないネタだからだ。

この他に人物描写としては、「酢豆腐」の遊び好きの若旦那、「船徳」の船宿の女将、「明烏」の町内のワル源兵衛と太助、 「鰻の幇間」の野ダイコなど、性格描写が極めて優れており、これからも文楽を超える噺家は出てこないだろう。

文楽の主なネタは、多くの芸人に継承されている。
その中でも、古今亭志ん朝の高座は名演の評価が高く、文楽を凌ぐと思われる作品もある。今後も優れた演者の出現が望まれる。

文楽の得意とした演目に、盲人(メクラ)を主人公とした噺がある。
障害者を扱うネタということもあり、なかなか継承者が出なかったが、現在柳家喬太郎がいくつかを高座にかけている。
その中の「按摩の炬燵」は、文楽を凌ぐと思われえる出来なのは、大変喜ばしいことだ。
八代目桂文楽と柳家喬太郎、どちらもマゾっ気十分という共通点がある所が面白い。

2007/05/26

ツアーな人々(旅行の鉄人たち)

Eromana海外ツアーで一緒になった人と、挨拶代りに最初に交わす会話は、たいていが「どの位旅行されています?」です。
その「どの位?」は、渡航回数や訪問国の数を意味しますが、やはり興味の中心になるのは、過去にどの国へ行ったのかです。

普通にパッと頭に浮かぶ外国の名前をあげると、大体50-60ですから、60ヶ国程度訪問したとなると、ああ世界各国に行きましたねということになるわけです。
ここ1-2年のツアーで、訪問国が100ヶ国を超えるという人に数名会いました。ここまで来ると、名前を聞いたことあるなという程度の国も含まれてきます。
周囲も、やあすごいですねぇという反応になります。

仕事で頻繁に海外に行った人を除くと、普通は定年過ぎてから、あるいは子供が独立してからようやく自由に旅行できるようになります。
仮に定年60歳で、2ヶ月に1回、1ヶ国の割合で旅行に行ったとして、100ヶ国に達するのは17年間掛かりますから、容易なことではありません。
実際には、同じ国を何回も訪れたり、1回で数カ国訪問するケースもありますので、そうしたことが相殺され、100ヶ国超を達成した人の年齢は、概ね70代後半です。
男性の場合、その辺りで平均寿命に到達しますので、旅行の上がりが人生の上がりになるわけです。

費用も大変です。
1ヶ国平均20万円とすれば、100ヶ国では2000万円。夫婦で旅行していれば、倍の4000万円。ご夫婦でいつもビジネスクラス利用という人もいますから、旅行費用だけで1億円くらい掛かることになり、さてはご自宅に金の生る木でも持っておられるのかと、ついつい邪推してしまいます。

全世界制覇を目標にしている方も複数いました。
現在国連加盟国が192ヶ国なので、先ずはそれを目標にしようという意気込みですね。
しかし実現は容易ではないでしょう。
普通の旅行社が取り扱っているツアーだと、およそ140カ国位が限界だそうです。
そうなると、小回りの利く小さな専門旅行会社に企画して貰うことになりますが、最低6-7名の人数が集まらないと、ツアーが催行されません。
行き先がマニアックになってくるので、人集めが難しくなるようです。
それ以前に、今の時点でイラクやアフガニスタン、北朝鮮(経済制裁以前はツアーがありましたが)へどうやって行くかという問題があります。

そういう人々同士、結構情報交換をしているようで、現在192ヶ国制覇を目指している人の人数は日本全体で150名程度と推定されているようです。
つまり日本の人口当たり100万人に一人の割合、1ppmですから貴重な存在です。

しかし世の中、上には上がいるもので、例えば「世界制覇カウントダウン!」というHP(http://plaza.rakuten.co.jp/mugutoshi/)がありますが、この運営者は既に訪問国180ヶ国に到達しています。
更に、「荻野洋一のずんずん世界紀行」のHP(http://www.rom-in.jp/ogino/ogi_top.htm)で、荻野さんのプロフィールを見ると、
“1966年以来、現在までに訪れた国は日本を含め全ての独立国(194カ国)と地域で合計242。世界最多国訪問の日本記録を持つと同時に、世界のすべての国と地域(およそ250カ国)へ行くというギネスブックの世界記録にも挑戦中。”
と紹介されています。
この他、ご夫婦で世界204ヶ国を周ったというHPもあります。
ここまで来れば、鉄人と呼んで良いでしょう。

無論、訪問国数を追い求めるだけが旅行ではありません。本来は自分の楽しみで、行きたいところへ行くというのが本筋です。
旅行好きの方の中にも、特定の国しか行かないという人もいます。楽しみ方は、人それぞれですね。

この他、風変わりな旅行をしている方のサイト「世界の『珍』名所 大集合」(http://ankyo.at.infoseek.co.jp/chinmei.html)というのがあります。
世界には、「スケベニンゲン」とか「チンコ川」、「シリフケ」、「オナラスカ」といった、珍しい名前の場所があります。
国内にだって、「馬鹿川」とか「ヤリキレナイ川」といった珍名があるのですが、このサイト運営者は、そうした国内外の珍名の場所を個人で訪れて、その紀行文を書いているところがスゴイ。

特定のしかも観光地でない場所を、ピンポイントで訪問するのは、とても大変なことです。バヌアツ共和国にある「エロマンガ島」に行くなんて、フツーは誰も考えませんからね。
この方こそ、究極の酔狂な旅行者と言えるでしょう。

2007/05/25

社会保険庁の保険金詐欺

Matsuoka2サラリーマンを退職すると、いろいろな届出が必要になり、お役所に出向くことになります。
役所の各窓口の対応は、昔と比べるととてもサービスが良くなり、親切に対応してくれるようになりました。
唯一の例外は、社会保険庁の事務所です。
時期もあったのでしょうが、手続きの相談に行ったら2時間待たされました。係員に待ち時間が長過ぎると文句を言ったら、今日は未だ良い方で普段なら3時間待ちだと言われました。
今どき3時間も人を待たせて当然と思っている神経が、理解できない。

妻のケースですが、最初の手続きの際に、社会保険庁事務所側のミスで、年金支給額が少なくなっていました。
たまたま他の相談に行った際に、別の担当者がそのミスを見つけ、その場で訂正の手続きをとりました。
処が、既に支給された分は変更できないと言われ、妻は最初の事務所のミスに不満を述べたところ、その担当者は「あなたのためを思って訂正してあげたのに、そんなら元に戻しますよ」と怒り出したそうです。
社会保険庁側がミスを犯したにも拘らず、謝るどこころか、自分の責任ではないと開き直るのですから、呆れてモノが言えない。

こうした社会保険庁の態度からは、お上が下々に金を出してやるんだから、有り難く思えという姿勢が感じられます。
現在、社会保険庁が管理する年金保険料の納付記録のうち、約5000万件が該当者不明となっている問題が明らかになり、その解決方法をめぐって議会で論議が行われていますが、こうした事態を招いた原因は、社会保険庁の体質そのものにあります。
公的年金は強制加入ですから、それで所定の保険金を支払っていないなら、保険金詐欺と言われても仕方がない。

更にここで指摘しておきたいのは、こうした官庁の姿勢というのは、全て政府の方針の反映でもあるという点です。
年金制度に根本的な改革を行わず、ドロナワ式な手直しを繰り返してきたことから、制度が複雑になり、支給対象者が把握できなくなっていたという事情があります。
歴代政府が、保険料の徴収には関心を示すが、肝心の年金が正確に支給されるかどうか、全く意に介さなかった事が根本原因です。
「ヤラズ、ブッタクリ」の政府方針こそ、責任が問われるべきでしょう。

今年、民間の保険会社でも多額な保険金不払い、未払いが明らかになりました。
生命保険業界が44万件で359億円、損害保険業界が38万件で294億円です。
保険料は熱心に集めるが、支給の段になるとアレコレ難癖をつけて保険金を払わない、こちらも保険金詐欺です。
基本構造は、公的年金未払いと全く同一ですね。
しかし民間保険は本人の意思ですが、公的年金は強制だけに、より悪質です。

現在、社会保険庁の改革あるいは解体が議論されていますが、いずれにしろ、政府のこうした基本的な方針が変わらなければ、問題解決にはなりません。


話は変わりますが、「緑資源機構」の官製談合事件で、幹部の逮捕と強制捜査が行われましたが、24日この件で松岡利勝農水相が「誠に遺憾」と言ってましたね。
松岡大臣は、緑資源機構の企業から政治献金を受けていて、事件発覚に伴いコッソリと返していました。
するってぇと、あれかい。
世の中金さえ返せば、悪事はみんなチャラになるってことかい。
この松岡利勝という男、どこまで手が汚れているんだろう。
イカンなのは、お前じゃあ~。

2007/05/24

「アホウ」外務大臣殿のマンガ狂い

Rosen子供たちが小学生のころ、「マンガばかり読んでいると、バカになっちゃうぞ。」とよく注意していたが、これから孫たちには、「マンガばかり読んでいると、麻生太郎みたいになっちゃうぞ。」と言わなくてはなるまい。
我が国の外務大臣、いよいよ病膏肓に入る。

麻生太郎外務大臣が5月22日に行った記者会見で「国際漫画賞」を創設すると発表した。ナンでも漫画のノーベル賞に位置付けると意気軒昂だったとか。
真に天下泰平、国家安泰、士農工商ノー天気。

麻生センセイのマンガ好きは夙に知られており、移動中の車の中でも読んでいて、毎週10~20冊読破しているそうだ。
子供の頃から『のらくろ』や『冒険ダン吉』を読んでいたそうだが、それは当時の子供たちも皆そうだった。
ただ違うのは、通常は成長と共に児童文学や詩歌に少しずつ関心が移り、やがて文学書や哲学書を手にするようになり、仕事や学業に関係した専門書やビジネス書を読み、そして大人になってゆく。マンガも眼にすることはあるが、たまである。
これが麻生氏や私たちの世代の、一般的な成長過程だ。

稀に、長じてもマンガに夢中という人間もいたが、少なくとも公衆の面前でそれを自慢げに口にする者はいなかった。
なぜなら、そこに「恥の文化」があったからだ。
麻生氏本人は、「若者ウケ狙いのパフォーマンス」のつもりかも知れないが、こういうのを「アホーマンス」と言う。

麻生太郎氏の著書には、「日本の産業用ロボットの技術、普及率が世界最高なのは『鉄腕アトム』『ドラえもん』という名作があったためだ」と書かれているそうだ。
勿論ジョークでしょう。
だが、もし本気でこんな事を信じているとしたら、一度病院に行って専門医に診察してもらう事をお勧めする。

知人にマンガ作家がいたが、数年前に会った時、マンガ本の売れ行きが落ちていて、今やマンガ業界は不況産業だと嘆いていた。
マンガ文化を育成する必要性はあるだろうが、外務大臣のやるこっちゃない。

ネットで見ると、麻生氏に「ローゼン閣下」という渾名がつけられている由。麻生大臣が車の中で「ローゼンメイデン」を読んでいた、という噂からきている。
調べてみたら、このマンガは左上のような美少女キャラが活躍しているらしい。
麻生太郎といえば、次期総理の声もある人物である。
噂であることを信じたい。

麻生センセイ、顔までマンガにならぬよう、ご注意ください。

2007/05/23

機内へのナイフ持ち込みは犯罪なの?

Obayashi_1以前の記事で、出入国や航空機搭乗の際の保安検査がズサンであることを指摘しましたが、これを実証するような事件がおきました。
鹿児島県警は5月22日までに、ナイフを持って日航機に搭乗したとして、航空法違反の疑いで川崎市のパソコン技能講師の男性を書類送検しました。
男は空港の保安検査がずさんなことを示そうと、到着した鹿児島空港で降りる間際、客室乗務員にナイフを一瞬見せて立ち去っていました。

私がツァーで出会った男性も、常に柄の長いハサミを機内に持ち込んでいましたが、過去1回も空港の保安検査に引っ掛かったことがないそうです。
あの保安検査というのは、一体何のためにやっているのか、サッパリ分かりません。

その反面、ポケットのコインやベルトの金具まで警報が鳴り、時には下着姿にさせられたり、パンツの中まで手を入れられたりするのにです。
検査が煩雑になり、やたら長時間待たされるのも迷惑です。
対テロ対策だかナンだか知らないが、市民生活には不便を強いておきながら、抜け穴ばかりの警備、これは空港の警備体制だけではありません。

銃器を所有することが法律で禁止されているのに、暴力団の銃は野放しにしている警察も同様です。
元山口組の暴力団員が起こした立てこもり事件にしても、犠牲となった警察官は真にお気の毒ですが、それ以前に警察が真剣に銃の取締りをしてこなかったことが、事件の根本原因です。
殉職された警官への同情で、警察の失態を帳消しにしてはいけない。

「2児拉致事件」でもそうです。
事件にかかわった北朝鮮工作員が、自衛隊幹部と頻繁に接触し、金品を渡して情報を得ていたと証言しているのに、なぜ警察は捜査しないのでしょうか。
捜査を進めると、何か不都合なことでも起きるのかしらん。

機内にナイフを持ち込んだ男性、確かにあまり誉められた行為とは言えませんが、罪に問うのは筋違いでしょう。
むしろ、見逃した保安検査体制こそ責任が問われるべきです。

警察は、こんなツマラン事に関っていないで、もっと大事な仕事をして下さい。

2007/05/22

「半井小絵」午後7時28分の恋人

Marukawa今年の夏の参院選に、東京選挙区から自民党公認で、テレビ朝日アナウンサーだった丸川珠代が立候補することが、正式に決まったそうですな。
「誰それ?」と思いましたが、写真を見て思い出しました。
以前からTV朝日の女子アナで、感じの悪いのが二人いたのですが、その内の一人でした。
自民党も散々候補者選びに奔走し、ウヨ曲折した揚句が丸川珠代ですか。ナンダカナー。
どうせ私は投票しないですから、どうでも良いですけど。

世間には、朝日から自民党かよと訝る声があるかも知れませんが、昔から新聞社や放送局の記者、アナウンサーから政界に転ずる人は、殆どが自民党です。
その他、TVに良く出てくるタレントやスポーツマンなど、いわゆるマスメディアを利用して政界に入る人物は、自民党が圧倒的です。
商売柄、時に政府を批判することもありますが、マスコミに登場する人間というのは大体が権力寄りです。

一般に読売は政府寄り、朝日は反政府寄りなどと見られがちですが、それは俗説です。
同じグレーでも、コッチは多少黒っぽいが、ソッチはやや白っぽい程度の差しかありません。所詮は似たりよったりです。
そうでなければ、皆揃って自民党へなどと言う事になる筈がない。

ネットでニュースを見る際は、産経(SANKEI WEB)を頻繁に見ています。
サンケイ新聞は自民党の機関紙なので、というと反論があるかも知れませんが、これは私が言ってるんじゃない。かつて自民党の幹事長がそういって、全国の支部にサンケイの拡販を指示したことがあり、まあ自他共に認めるところでしょうね。
サンケイを見ていると、政権党である自民党が何を考えているか、どういう方向に日本を持って行こうとしているのかが、良く分かります。
過去このブログの記事で参考にしたニュースの大半は、サンケイが情報源です。

TVニュースは、NHKです。
何せ政府広報番組ですから、毎日眺めていると安倍政権が何を企んでいるかが段々見えてきます。
今度、安倍晋三さんに近い古森重隆氏がNHKの経営委員に就任するそうですから、ますます宣伝色が濃くなるだろうなと危惧はしています。

天気予報は絶対にNHK,それも月―金の午後7時27分からの、半井小絵さんの予報しか信用しないことにしています。他の予報士ではダメ。
半井さんが「明日は晴れ」と言って翌日晴れたら、やっぱり半井さんの予報は良く当たると喜び、もし雨になっても、半井さんだっら許せます。

最後は脱線。

Nakarai21


思い出の落語家⑥ 八代目桂文楽に見る「名人」の条件(中)

Bunraku_2文楽が名人とされていることに異論を唱える向きもある。
その代表格が立川談志だろう。他にもそう思っている噺家はいるだろうが、談志以外はなかなか口に出せない。談志の異論は、次の点に集約される。
①持ちネタの少なさ
②その中でも出来不出来の差が大き過ぎる

手元にある「桂文楽落語全集」に収められているネタは27席、CDで9枚、これが持ちネタの殆ど全てといって良いのだから、志ん生、圓生はもとより、並の落語家と比べても確かに少ない。
文楽といえば、噺の無駄な部分を削り落とし、細部に至るまで徹底して作り込んだと言われているが、同時に高座にかけるネタの数も絞り込んでいたわけだ。

今回は、八代目桂文楽が一席にどの位の時間、口演時間を費やしたかにに着目してみたい。
落語はライブなので、一つの音源だけでは判断が狂うこともあるが、八代目文楽に限っては通なら文楽の最初の一語を聞いただけでその日のネタが分かったとされているので、時間も変らないものとした。

文楽のネタで最も時間が長いのは「星野屋」(意外!)の28分58秒、最も短いのは「大仏餅」の11分25秒となっている。
つまりどんなに長くても30分未満に収めているという点が、志ん生や圓生らとは大きく異なる。

若い頃には文楽も色々なネタに取り組み、その中から取捨選択していた。その試行錯誤した録音の一部は現在も残っている。
だが、「文七元結」「子別れ」「三軒長屋」「居残り佐平治」などの長講の演目には、取り組んだ様子がない。
「怪談噺」に手をつけなかったのも、時間が長いから避けたのではなかろうか。
どうもハナからそうした長編は対象にしていなかったと思われる。文楽の「子別れ」、きっと良かったと思うのだが。

さて、その30分以内の持ちネタだが、最近の落語家はどの程度の時間をかけているのか、比較してみよう。
文楽の持ちネタの中で、ファンが選ぶとしたら恐らく下の5つがベスト5に入るだろう。
同じ演目で、文楽と古今亭志ん朝の口演時間を比較すると、次のようになる。
数字はいずれも〔分:秒〕。
       文楽   志ん朝
「船 徳」  20:40    32:27
「富 久」  26:16   51:22
「寝 床」  25:38   37:10
「明 烏」  26:22   35:40
「愛宕山」  20:05   40:03
志ん朝の口演時間は、文楽に比べ少ないものでも3割、多いものではおよそ2倍の時間がかかっている。
志ん朝は理論的で、噺の中味を丁寧に説明する傾向があるにしても、時間の差は歴然としている。

今度は短いネタで、他の演者と比較してみよう。
先ずは柳家小三治、マクラが長いので、本題に入ってからの時間だけをカウントした。
         文楽   小三治
「かんしゃく」  13:25    22:21

次は三遊亭圓楽。
            文楽   圓楽
「悋気の火の玉」  12:45   19:43
どちらの場合も、文楽に比べ6-7割がた時間が長くなっている。

最近の落語家の噺が長目になっている傾向も指摘されているとはいえ、あの「船徳」や「愛宕山」を20分そこそこで演じる文楽の構成力は驚異的である。
この辺りが、文楽の「ムダを省いて・・・」と評される所以なのだろう。

文楽が全てのネタが30分を切っている理由としては、次の事が考えられる。
一つは、文楽自身の意思が考えられる。「愛宕山」一席伺うと、回復に楽屋で1時間横になっていたと言われるほど、一つ一つの噺にエネルギーを使うため、30分以内に収めたのではなかろうか。
第一聞き手の観客だって、あまり長時間になればダレル。同じネタを短くやれるものなら、それに越したことはない。

もう一つは、ラジオ放送が頭にあったのではなかろうかという可能性。
戦前、寄席が危機に陥った際に、落語のラジオ放送が救ったというエピソードが残されている。
戦後の落語ブームも、1951年の民間放送開局による寄席番組が火をつけている。
大御所の文楽が、これに関心を持つのは当然だろう。
現に、戦前初めてラジオで落語が放送された際に、文楽は出演している。
又、戦後の民放開局に伴い、当時のラジオ東京と専属契約を結んだ中の一人が文楽だった。

ラジオ放送の寄席番組の大半は30分番組だった。文楽の主なネタは、CMを入れても30分で収まるし、短いネタなら他の芸人も出演できる。
文楽がラジオに出る時は、必ず当日にネタをおさらいし、弟子が何分何秒と時間を計って局に連絡、局が残りの時間を割り出して共演者に伝えたそうである。

統計データは無いが、私の記憶の範囲でいうと、ラジオ番組で最も頻繁に聴けたネタと、その時間は下記の通り。
「松山鏡」 13:30
「大仏餅」 11:25
文楽の持ちネタの中では駄作に近いと思われる「大仏餅」が頻繁にかけられたのは、ラジオの放送時間に都合良かったためだろう。

将来のラジオ放送をにらんで、口演時間をコントロールしていたとしたら、やはり文楽は「名人」だ。

2007/05/21

前進座5月国立劇場公演

Tatugoro前進座が毎年1回行う国立での公演ですが、ここ数年観劇するのを恒例としています。
プログラムが意欲的で、今年も歌舞伎十八番の『毛抜』と、前進座が得意とする演目で、31年ぶりに出演者全員が初役という『新門辰五郎』の組み合わせでした。
5月19日の夜の部を観に行きました。

今年から前進座友の会に入会し、通常発売日より1日早く予約が取れたもので、前から7列目の花道脇と、良い座席が確保できました。
年会費は払いますが、チケットの割引とプログラム半額サービスで、直ぐに元が取れる仕組みです。
花道の役者と目が合うと感じるほどで、やはり芝居は良い席で観たいですね。

『毛抜』 
―配役―
粂寺弾正      嵐 圭史
小野左衛門春道  山崎 辰三郎
小野春風      瀬川 菊之丞
八劒玄蕃      山崎 竜之介
数馬         中嶋 宏幸
秦民部       小佐川源次郎
秀太郎       嵐 広也
桜町中将清房   武井 茂
百姓万兵衛    藤川 矢之輔
実は石原瀬平
錦ノ前        山崎 杏佳
侍女 巻絹     河原崎 國太郎

『毛抜』の粂寺弾正は、歌舞伎界きっての異色のヒーローです。
脅し賺(すか)しにハッタリかまし、男女別なく美形と見れば言い寄る両刀使い。それでいて医学に通じ、イザとなると名探偵ポアロのような見事な推理を働かせて難問を解決し、一方で悪人の首を打ち落とす腕前も披露する。
正にスーパーヒーローです。

古典歌舞伎には珍しく喜劇的な要素が強く、それだけに粂寺弾正役はとても難しいと思われます。
豪快な面と洒落た面、両者を併せ持つ大らかな演技が要求されますが、嵐圭史が見事に演じきりました。
口跡が良く、風格もあり、特に花道の引っ込みの場面での、なんとも言えぬ愛嬌が良い。
脇も、小野春風役の瀬川菊之丞、錦ノ前役の山崎杏佳に品があり、好演。
難を言えば、敵役の藤川矢之輔が、力を入れてセリフを言う時に声が割れること。この点は後の『新門辰五郎』の芝居でも同様でしたので、注意して欲しいところ。

『新門辰五郎』
―配役―
新門辰五郎    中村 梅雀
花川戸の小竹   武井 茂
海苔屋の久次   山崎 辰三郎
金看板の源次   益城 宏
山谷掘の彦造   嵐 広也
秋葉屋お六    河原崎 國太郎
九紋竜の定五郎 山崎 竜之介
黒部六之進    志村 智雄
三春の猪之吉   小佐川 源次郎
会津の小鉄    藤川 矢之輔
八重菊       瀬川 菊之丞
絵馬屋の勇五郎 中村梅之助

『新門辰五郎』は真山青果の原作で戦前発表された作品ですが、戦時中に前進座により初演されています。
戦後になって何回か再演されましが、辰五郎が当たり役だった中村翫右衛門の死去以来、上演が途絶えていたものが、この度の復活の運びとなりました。

時は幕末、騒然とした空気の京都の街。
将軍上洛のお供人足として子分を引き連れ京都に入った新門辰五郎、ひょんな事から義理のある水戸藩の武士をかくまってしまいます。
一方京都守護職の会津藩主・松平容保の警備にあたる見廻り組の中間・小物の中には、権威をかさにきて乱暴狼藉を働く者たちがおりました。その組頭が会津の小鉄です。
いつしか権力闘争に巻き込まれていく彼らと、辰五郎と小鉄の対決と意地の張り合いが、この芝居の見所となっています。

江戸町火消しの組頭という辰五郎、颯爽と威勢の良い所を見せると同時に、小鉄らとの対決場面では腹のある演技が求められ難役です。
前進座が31年も上演してこなかったのは、辰五郎を演じる役者がいなかったためと思われます。
主演の中村梅雀ですが、初役にもかかわらず、見事にこの大役をこなしました。
先ず口跡が良い。凛としたセリフが舞台を締めます。腹の据わった演技で、改めて梅雀の成長を窺わせてくれました。

二つの組の立ち回り場面は迫力があり、火事場に向かう勢揃い場面は感動的でした。「木遣」も結構でした。
この辺りは、前進座のアンサンブルの優れたところです。
小鉄役の藤川矢之輔は押し出しが良く、貫禄を示しましたが、口跡が良くないのが難点。
八重菊役の瀬川菊之丞に気風(きっぷ)の良さがあり、秋葉屋お六役の河原崎國太郎は最近色気が出てきました。

絵馬屋の勇五郎役の中村梅之助は、出だしに少しセリフがもつれ衰えを感じさせましたが、途中から立ち直り、酸いも甘いも噛み分けた男の姿を見せたのは、さすがです。

ただ寄席前の喧嘩場で、三春の猪之吉役の小佐川源次郎が啖呵を切るシーンで、セリフを咬んだのは頂けない。せっかくの見せ場に水を差してしまう。
それと芝居とは直接関係ありませんが、プログラムの「あらすじ」の書き方が不親切過ぎる。この程度では、HPの解説と変らない。一考を要します。

全体としては、ここ数年の前進座国立劇場公演で、最も充実した舞台でした。

2007/05/18

「少年」の親を責めるのは、もうやめよう。

Syonen福島県会津若松市の母親殺害事件で、逮捕された少年の父親が5月17日、報道機関に文書を公表しました。
文書は「被害者の夫より」として、事件で近所や世間に迷惑を掛けたと謝罪した後、メディアの報道で傷ついていると訴えています。「息子の学校や世間の皆様に大変なご迷惑をお掛けしていることも大きな悩みです」として、関係者への取材を控えるよう要請しています。

息子によって、自分の妻を殺されたこの男性の心境は、いかばかりか。
誰がこの父親を責めることが出来るのでしょうか。

こうした猟奇的、あるいは凶悪な「少年」(または「少女」)犯罪が起きると、マスコミは興味本位に事件をとりあげながら、一方で家庭環境をあれこれ分析して、両親の教育方針や、しつけが悪かったと結論づけます。
宮崎勤事件、神戸の少年事件、みなそうです。
しかし、我が家の子供だけは絶対にああした事件を起こさないとか、こう言うしつけをすれば、絶対に子供が犯罪を起こさないと断言できる人がいるなら、是非教えて欲しい。
私には、断言できません。
複数の子供を育て、たまたまその中の一人がこうした事件を起こす、一番悩み苦しんでいるのは親です。 

世の中には、誰の責任でもないのに、とんでもない悪い事をする子供というのがいます。
私が小学生の時の経験で、近所に5才くらいの可愛い女の子がいました。両親共にしっかりとした人で、その子も言葉は丁寧だし、きちんと挨拶するし、とても良い子に見えました。
処が、性格が残酷なのです。
周囲に大人の目がないと分かると、赤ん坊を棒で殴ったり、よちよち歩きの幼児を突き飛ばしたり。ある時は三輪車に乗っていた男の子の背中を強く押して、電柱に頭をぶつけさせたこともありました。
見かねた近所の人が母親に注意すると、とても驚いていました。

これも小学生の時に見たのですが、7-8才の男の子が、3-4才の幼児の後頭部に、いきなり大きな石を両手で抱えて投げつけ、怪我をさせた事があります。
幼児の男の子の肛門に棒を突っ込むという性的イタズラを繰り返す、小学校低学年の子供もいました。

これらは全て親の責任なのでしょうか。育て方が悪かったせいなのでしょうか。
私は、その子本来が持つ性格によるものだと思います。
あるいは何らかの病原があるのかも知れません。

TVでいい加減なコメントを垂れ流している人々に、是非訊いてみたい。
もしあなたが、そういう子を持ったなら、一体何が出来ますかと。近所にもしそういう子がいたら、あなたは何が出来るのかと。
先ずは、苦しんでいる人を鞭打つのは、直ちにやめてほしい。

「親の顔が見たい」と思ったら、自分の顔を鏡に映しましょうよ。

2007/05/16

スパム・迷惑メール対策の妙案は?

Ikeuchi_hiromi心配していた通り、dejavue様のコメントとTBがスパムではねられたとのご指摘があり、申し訳ありません。
他にも同じように嫌な思いをされた方がおられるかと、この場を借りてお詫び申し上げます。
自分で投稿したコメントまで、「これはスパムです」と拒否されたような次第で、実にお恥ずかしい。
又、メールの拒否設定がそのままトラックバックにも適用されていたようですが、これは想定外でした。

連日のようにスパムTBと、スパムコメントが入ってきていて、その度に相手のURL、メールやIPアドレスを拒否設定に加えるのですが、敵はアドレスを変えながら次々打ってくるので、全く効果がありません。まるで「モグラ叩きゲーム」です。
次は相手の共通項を見つけ出して、網を少しずつ広げていってる内に、ある時からパッタリとスパムが止まりまして、これは大成功と喜んでいましたら、この有り様です。
今回取り敢えず、拒否設定を解除しましたが、根本的な解決にはなりません。

スパムとそうでないものを完全に峻別する何か良い方法がありましたら、是非ご教示ください。

この他に、個人のメールアドレスに入ってくる迷惑メール、これも結構悩まされますね。
私の場合、迷惑メールのドメインがほぼ100% ”yahoo.com” です。彼らの特質が無差別・大量の送信ですから、プロバイダー側でコントロールが出来ないものでしょうか。

これらとは全く別ですが、特定のサイトに対して、主にイヤガラセを目的としたメールを集中させる、「アラシ」などと呼ばれる迷惑メールがあります。
それが原因でサイトを閉鎖するケースも多く、社会的影響は無視できません。

医師の勧めで病気の治療のためにブログを書いている方がいますが、以前そうしたサイトにイヤガラセメールをネチネチと送っている人間がおりました。
ブログの管理人が、日に日に激情にかられていくのを、楽しみにしている様子でした。
完全な愉快犯で、放火して燃え上がるのを楽しむのと、同じ心理ですね。
こうなると犯罪と言っても過言ではありません。

犯罪といえば、先日評論家の池内ひろ美に対し、2Ch掲示板に脅迫的な書き込みをしたという容疑で、男が逮捕され初公判が行われました。池内氏のブログの記事に、気に入らないことが書かれていたというのが、犯行の引き金のようです。
池内氏の講演会場が血の海になるとか、灯油をまいて火をつけるといった書き込みを掲示板に行い、講演会を中止に追い込んだ、実に卑劣な手口です。

面白いのはこの男の人物像です。40才で無職、4年前に自己破産し、今はアパートで一人暮し。年金生活の両親から毎月20万円を受け取って、借金返済や風俗店への支払いにあてていました。
こういう情けない人間も、世の中にはいるものですね。
2Chへの書き込みは、1521回だったそうです。
勇ましい言葉とは裏腹に、素顔はショボクレ男だったわけです。

イヤガラセメールを送ったり、脅迫めいた書き込みをするような連中は、暇があって社会性に乏しい人間と推量していましたが、この被告の姿は、あまりにベタです。
こうしたヤカラが跳梁跋扈するネット社会というのは、あまり健全とはいい難いですね。

2007/05/15

お知らせ

毎日スパムコメントがしつこく入って来ていましたので、拒否設定を厳しくしましたら、自分のコメントまで拒否されてしまいました。
設定を解除しましたが、この間コメントを投稿した頂いた方には、不快な思いをさせたかと案じております。
もし失礼があったら、お詫び致します。

2007/05/13

刑務所の民営化

Keimusho13日、建設と管理・運営の一部を民間委託した山口県美祢市の刑務所「美祢社会復帰促進センター」の開所式が行われました。
これからどんどん刑務所も民営化すると、サービスも向上していくのでしょうね。

刑務官「いらっしゃいませ。私はお客様が退所されるまで、身の回りのお世話をさせて頂く田中と申します。早速ですが、滞在のご予定はいつまででしょうか。」
受刑者「懲役3年だからよぉ、3年間になるんじゃねぇか。」
刑「さようでございますか、それはご苦労様です。早速ですが、本日の予定を申し上げます。これから新入受刑者の入所式がありますので、会場の方へご案内いたします。」

刑務所長「皆様、本日はご入所おめでとうございます。数多くの施設の中から当刑務所をご指定頂き、厚く御礼申し上げます。また次回ご利用の節も、是非当所をご指定頂くよう、所員一同心よりお待ち申し上げております。」

受「あの入所式、やけに人数が多かったなあ。」
刑「ハイ、お蔭さまで、本日同期に入所された方は57名です。同期会を作って、出所後も交流を深めておられるケースもあるようです。」
受「フーン、でこれからの予定はどうなってるんだ。」
刑「ただ今より、各房に挨拶まわりをして、その後は休憩と昼食です。お客様は懲役刑ですので、午後からは作業に入って頂きます。夕方からは新入受刑者歓迎パーティがあります。」
受「なんだ、そんなことまでやるのか。」
刑「宴会場でカラオケ大会です。盛り上がりますよう。それから月に一度ですが、女性受刑者との合コンがありまして。」
受「へえー、女と逢えるのか。そいつぁ楽しみだなあ。」
刑「お客様は独身ですよね。きっと良い伴侶とめぐりあって、出所後にはめでたくゴールインってなことに。も~う、この色男!」
受「おう、TVの『新婚さん、いらっしゃい』に出たりしてよ。桂三枝もビビるだろうな。そうなったら夫婦共稼ぎで、またイッチョでっかい事、やらかそうじゃねえか。」

刑「お部屋でございますが、8人部屋、4人部屋、個室と分かれておりますが、いかが致しましょうか。」
受「そりゃおめえ、個室が良いに決まってらぁな。」
刑「はい、かしこまりました。特別料金は1泊5千円でございますが、宜しいでしょうか。」
受「1日5千円、そりゃ高すぎるぜ。」
刑「でも、バス、トイレ、TV、冷蔵庫付きですし、勿論エアコンも完備してますから、少々お高いのは止むを得ないかと。」
受「オレそんな金、持ってねえよ。」
刑「ご冗談を。お客様は銀行強盗でしょ、未だたっぷりと資金を、隠していらっしゃると伺っていますよ。」
受「何でも調べてやがるぜ。じゃぁ、しょうがねえ、個室で頼む。」

刑「お部屋の住み心地はいかがでしょうか。」
受「悪くはねえけど、あの部屋の中に取り付けている監視カメラ、ありゃ何とかならねぇのかよ。」
刑「ハイ、あれだけは何ともなりません。だってここは刑務所ですから、衆人環視(囚人看守)です。」

お後が宜しいようで。

思い出の落語家⑤ 八代目桂文楽に見る「名人」の条件(上)

Bunraku八代目桂文楽には、常に名人の名がつきまとう。
昭和の名人といえば、他に志ん生や圓生がいるが、このご両人はかなり晩年になって名人になったが、文楽の場合は、私が物心がついた頃には既に名人であった。
連想ゲームでいうならば「名人」といえば「文楽」、将棋の世界なら「永世名人」である。

上手い落語家というのなら他にもいるのだろうが、名人とは異なる。
芸が優れているというのは当然として、では落語の「名人」になる資格とはなんだろうか。
①ネタを自分なりに練って、仕上げていること。教わった通り喋るんでは能がない。文楽でいえば、噺の無駄な部分を刈り取って、完成させたといわれる。
②落語の中でも、様々なジャンルがあるが、少なくとも滑稽噺と人情噺の両方が出来ること。この点で、五代目柳家小さんは名人とは言えない。
③絶対的な十八番(オハコ)があること。志ん生なら「品川心中」、圓生なら「掛取万歳」。
④人気があること。言い換えれば、愛嬌があること。いくら噺が上手くったって、客が入らないことには話にならぬ。
⑤ご贔屓のスジが良いこと。私は、実はこれがとても大切な要素だと思っている。古典芸能の世界では、良い悪いは別にして、権威というものが幅を利かす。
ファンに政財界の大物や作家、権威のある評論家などがいることが大事である。文楽の贔屓スジには皇族もいた。
歌舞伎の世界でも、初代中村吉衛門が名優の誉が高いのは、贔屓スジが良かったことも要素の一つ。
⑥指導者としての才能を持っていること。良い弟子を育てれば、次は弟子達が師匠を持ち上げてくれる。
⑦適度に品があること。落語だからあんまり品が良くっちゃイメナイが、下品な芸人はダメ。
⑧名前が良いこと。落語家だって名前は大切。その点「桂文楽」はいいですね。「林家ペー」じゃ、いくら頑張っても名人にはなれない。
⑨出囃子の選曲が良いこと。「鳩ポッポ」や「デビークロケット」じゃ駄目。文楽は「野崎」、これなら文句なし。
⑩住んでいる地名が良いこと。文楽は「黒門町」、圓生は「柏木」、どちらもいい所に住んでいた。
やはり名人を目指す芸人なら「根岸」とか「池之端」とか、粋な地名に住みたい。

「名人」の条件、ざっとこんな所だろうか。
上記の要件は、志ん生、圓生もクリアーしている。
要は、「芸」+「様子」+「ステイタス」=「名人」 の方程式があるわけだ。
サラリーマンの世界だってそうだろう。一番仕事が出来る人が社長になるわけではない。

もう一つ、敢えて名人になる条件をあげれば、不器用な事だ。
文楽が芸人として不器用だったのは有名だし、志ん生や圓生も器用な落語家だったとは言えまい。
むしろ芸の世界では、あまり器用な人間は大成しないのが通例である。

この分でいけば、立川談志や春風亭小朝は、名人になるのはまず無理だ。

安倍政権の拉致問題解決への「フリ」

Abeshinzo米国ブッシュ政権は、昨年の中韓選挙敗北と泥沼化がいっそう深刻になっているイラク戦争への対応のため、対北朝鮮の核問題での具体的な成果を求められ立場に追い込まれてきました。
政策の主導権は、ネオコンからライス国務長官、ヒル国務次官補のラインに委ねられています。
兆しは昨年末から始まり、今年2月に行われた6カ国競技の中で、米国の姿勢はさらに鮮明になりました。

4月末に行われた日米首脳会談で、安倍首相が「拉致問題の解決をテロ支援国家指定解除の前提条件にして欲しい」と要請したのに対し、同席したライス国務長官が、指定や解除の根拠となる国内法に照らして判断すると説明したうえで「米国民が直接(拉致の)被害にあったわけではない。前提条件にはならない」と述べたと伝えられています。

もう一つあります。
この首脳会談の直後に米国務省は06年版のテロ年次報告書を発表しましたが、拉致の記述が大幅に減り、米朝がテロ支援国家の指定解除に向けた作業を始めることが新たに記されているそうです。ヒル国務次官補は4月に来日した際、外務省幹部に報告書の拉致問題の記述を弱めないよう求められた際に、「どう書くのかは我々が決める」と答えたそうです。

よその国に拉致問題など構っちゃいられない、これが米国の本音でしょう。
私たち自身振り返ってみれば、過去に他国で起きた人権問題にどれほど真剣に心を痛め、その解決のために協力してきたでしょうか、胸に手を当てて考えれば分かります。
一般的には同情するけれど、身を犠牲にしてまで尽力する人は少ない。
所詮は、他人事なんです。

こうした米国の方針は、もちろん我が国にも伝えられており、政府も承知はしていた。
しかし安倍政権としては、拉致の解決を重要課題としており、担当の総理補佐官までおいているわけですから、国内向けには真剣に取り組んでいる姿勢だけでも見せなくてはいけない。
私が最初に気付いたのは、NHKニュースです。
今年の初めころから、連日のように拉致被害者の家族の活動を報道するようになりました。民放ならニュースにしないような事柄まで、積極的に取り上げていました。
NHKというのは極めて政治的ですから、ニュースの内容をチェックしていると、政府がどの方向で動こうとしているか、予想できます。
私はいつもNHKニュースを、国営放送の政府広報番組として見ています。だから受信料を取られることに腹が立つ。

家族会の関係者と米国高官との面談で、高官たちは必ず「拉致問題の解決抜きに、北朝鮮への支援を行うことはない」と言明していますが、あれも恐らくは“エクスキューズ”ですね。
ニュース画面での安倍総理の決意表明や勇ましい言葉は、「フリ(pretend)」にしか見えないのですが。

私は小泉前総理に対していつも批判してきましたが、北朝鮮に自ら乗り込み、拉致の事実を認めさせ金正日に謝罪させたことは、大いに評価しています。
拉致被害者とその家族の方々、それは一部であったかも知れませんが、とにかく日本に連れ帰ったのは、快挙と言っても良いでしょう。

しかし残念なのは、当時の関係者たち、特に窓口となって動いた外務省の田中均氏が、その後大きな批判にさらされたことです。
確かに拉致被害者の家族の方の歯がゆい思い、なぜもっと強く主張してくれないのかという思いはあると思います。
しかし相手は、正面から帰せと迫って、ハイそうですかと帰すタマではない。
様々な外交ルートを使ったり、時には手練手管をろうすることも必要だったでしょう。
それに彼ら行政官は、政府首脳の命を受けて動いたわけで、彼らを一方的に非難するのは、フェアーでない。

まして田中氏宅に爆弾が仕掛けられたり、これに便乗した口先男の某都知事は、「爆弾を仕掛けられて当然だ」とか、「昔なら一刀両断された」とか、言いたい放題。
それに対して、政府は抗議すらしなかった。
これでは担当者は浮かばれない。
こんなことを許しておけば、これから北朝鮮問題に真剣に取り組むような担当者は、出てこなくなります。

2007/05/09

総理大臣の黙秘権

Abe_shinzo安倍晋三首相は、5月8日の記者会見で、靖国神社へ供物を奉納したのかどうか訊かれ、「参拝をするしない、またお供え物を出した出さないということについては申し上げない。」と答えました。
やったのか、やってないのか、一切答えないというのは、犯罪の取調べの時の黙秘権に似ていますが、果たして総理大臣に黙秘権はあるのでしょうか。
法律の専門家に訊いてみたいですね。

これから重要課題について、首相の黙秘権が認められるならば、まともな国会審議など出来ない。
最高責任者というのは、常に批判を受けなければならない立場にあります。その批判が恐くて、何も言わないというのなら、さっさと総理をお辞めなさい。
自らの行動について答えないというのは、一国の宰相として非常識であり、卑劣と言っても良いでしょう。

従軍慰安婦問題についても、安倍総理はかつてその存在を明確に否定していました。
処が、4月27日の米国ブッシュ大統領との会談で、「人間として総理大臣として心から同情している。慰安婦の方々がそういう状況に なったことに対して申し訳ない思いだ」と謝罪を表明しました。
これに対して、大統領は「首相の謝罪を受け入れる」と応じています。
従軍慰安婦の問題で、なぜブッシュ大統領に謝る必要があるのか、サッパリ分かりません。
もし謝罪するのであれば、相手が違うでしょう。

仲間内では勇ましいことを言い、エライ人の前に出ると途端に卑屈な態度を見せる。
自らが責任を負わねばならない問題に遭遇すると、口を閉ざしてしまう。
サラリーマン社会でも、こういうタイプの人間というのは存在しますが、とうてい総理の器ではない。
こうした安倍首相の態度について、一部では賢明であるとの評価もされているようですが、私にはずる賢い男という姿にしか見えません。

2007/05/08

「ビーチバレー」狂想曲

Asaomiwa先日の旅行の際に、パナマシティの空港で航空機の出発が遅れ、待合室で2時間以上TVを見るはめになった。
大形スクリーンではその間ずっとビーチバレーの試合の様子が流されていて、殆どの客は食い入るように熱心にモニターを見つめていた。
むろん女子ビーチバレーの試合である。
男子の試合なら、見る人はいないだろう。

私は、ビーチバレーの試合と言うのを始めて見た。
小さなビキニ姿の女子選手が、砂浜の上を駆け回り転げ回る姿は、とりわけ多くの男性にとっては魅力的な映像だ。
純粋な気持ちでスポーツを観戦しているとは、とても思えないけど。

中学校のプールの隣が民家の庭だったが、そこの主というのが定年を過ぎたオヤジさんだった。
なぜ知っているかといえば、学校の体育の時間でプールが始まると、必ずそのオヤジが庭の手入れをやりだす。
真夏の炎天下にご苦労様なことだが、実はチラチラと女生徒の水着姿を観察していた。
視線の先が、男子に向けられたことはない。
恐らくこのオヤジにとって、人生最大の楽しみだったのではなかろうか。
かくも、男の品性と言うのは下劣であり、そこが本質でもあり、悲しい“性(さが)”でもある。

人気スポーツに女子のフィギュアスケートがあるが、あれを単なるスポーツとして見ている男は、100人に一人だろう。99人はイヤラシイ目で見ている筈だ。
いやオレは純粋に競技を見ている男がいたら、あなたがその残った一人だ。
私が若い頃は、圧倒的に女子の体操が人気だった。チャスラフスカやコマネチというスター選手が活躍した時代だ。
それがすっかり人気凋落してしまったのは、競技がすっかり「子供の軽業」になって、観るに堪えなくなったからだ。

これも以前、イスラムの国のホテルに数日滞在したことがあって、TVをつけるといつもジェーン・フォンダのエアロビクスビデオ『Jane Fonda Workout』を流していた。
恐らくは朝から晩まで、一日中やっていたのだろう。
肌の露出した女性の姿が禁じられているこの国の男性にとって、唯一のお色気番組だったと思われる。
どこの国の男も変らないのである。

我が国でもここ最近、女子ビーチバレーの人気が高まっているそうである。
浅尾美和という美形の選手を目当てに、多くのファンが会場に押しかけ、その結果写真を撮ったの撮らないのと係員との間でトラブルがおき、時には警官まで出動する騒ぎになっているとのことだ。
ネットのニュースでも、浅尾選手の画像が常に人気の上位にランクされている。
浅尾美和自身もDVDを出したり、CM(大きな声では言えないが、その乗馬マシーンのCMは大好き)に出て文字通り「露出」を増やしていることも、混乱に拍車をかけている。

選手たちのユニフォームを見れば、競技団体側も人気を高め、観客を増やして収益を上げるために、男性の下劣な品性を多いに利用している意図は明白だろう。
選手たちが必死で競技をしていることは疑いないが、果たしてこれがスポーツなのだろうか。
とはいえ、確かに浅尾美和選手の姿は美しく、この点に異存はない。

Asao_miwa


2007/05/06

2児「拉致事件」と金大中事件

Photo_21973年に日本に在住していた朝鮮国籍の高敬美ちゃん(6=当時)と高剛ちゃん(3=当時)が、母親渡辺秀子さん(32=当時)と共に失踪していた事件で、関係者らの証言で1974年に子供二人が北朝鮮に連れ去られ、その際母親の渡辺秀子さんが殺害された疑いが濃厚となりました。
なお父親の高大基(79)は北朝鮮の工作員で日本でスパイ活動をしていて、現在は北朝鮮にいると見られています。

この事件で主犯格と見られる木下陽子容疑者(59)の逮捕状をとり国際手配して、居住していると見られる北朝鮮に身柄の引渡しを要求しています。
また警視庁は、父親や木下容疑者らが関係していた団体や朝鮮問題研究所、容疑者や実行犯の自宅などを家宅捜索しました。
失踪が明らかになってから、34年の歳月が流れています。
我が国の警察は、この間一体何をしていたのでしょう。

現在までの調べでは、木下容疑者は1974年6月、埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)に居住していた2児を福井県小浜市まで運び、潜入していた北の工作員に引き渡し、工作船で北朝鮮へ連れ去った疑いが持たれています。
それに先立つ3月に、母親の渡辺秀子さんは木下容疑者らに殺害されたと推定されています。
木下容疑者は1979年に北朝鮮へ出国したため、公訴時効は成立していません。
実行犯の女(55)は、工作船に同乗し2児を北朝鮮へ送り届けた後日本へ帰国したため、時効が成立しています。

今回の事件の経緯を見て気がつくことは、この当時日本への密入国や密出国はそんなに自由だったのだろうかという疑問です。
我が国の警察の捜査能力がよほどお粗末だったのか、それとも何らかの理由で見逃してきたのか、理由はそのいずれかでしょう。
私は後者の疑いが濃厚だと思っています。警察は100%政府の方針で動くからです。
こうした状況が、多数の拉致被害者を生んだ原因であり、またつい最近まで日本政府が、拉致被害者の家族に冷たい対応をしてきた原因ではなかろうか、そう考えます。

1973年といえば、もう一つ我が国を舞台に、重大な拉致事件が起きていました。
それは、金大中(キム・デジュン)事件で、韓国の政治家であり後に大統領となる金大中氏が、韓国中央情報部(KCIA)により、東京都千代田区のホテル・グランドパレスから拉致されて、ソウルで軟禁状態に置かれ、5日後ソウル市内の自宅前で発見された事件です。

朝鮮戦争が終わって、韓国は長いあいだ軍事独裁政権が続きますが、1971年になってようやく朴正煕大統領(当時)の対立候補として民主化を掲げた金大中氏が現れました。
選挙結果は97万票の僅差で朴正煕大統領が勝利するのですが、危機感を持った大統領側は、金大中氏の暗殺を策し、そのため股関節の障害を負わせることになります。
生命の危機を感じた金大中氏は日本に亡命し、民主化を訴えていました。
当時の日本国内の雰囲気としては、韓国の独裁政治を嫌悪し、民主化を求める金氏に好意的でした。

余りに有名な事件なので詳細は省きますが、午後1時過ぎに千代田区のホテルから拉致された金大中氏は、車で神戸に運ばれ、その後工作船に乗せられて韓国の釜山に運ばれます。その際足に錘をつけられたので、海に投げ込まれ殺されると覚悟したと本人は語っています。
処が、自衛隊の航空機が工作船を追跡し、威嚇のために照明弾を投下したため、犯人側が殺害を断念したとされています。

大物政治家が白昼拉致され、乗用車で東京から神戸まで運ばれていたのに気付かなかったのに、なぜ海上で工作船が追跡でき、かつ被害者の殺害計画を察知して威嚇まで行えたのか、どうもここが腑に落ちない。
米軍からの通報ということになっていますが、それでは米軍はどの段階でこの拉致の実行を察知したのでしょうか。
日本国内で起きた事件でも、日本の警察より米軍の方が詳しい情報を握っているんだって、そんなバカな。
最初から警察は拉致を察知しており、韓国への送還は折り込み済みだったのではないかと、私は推定しています。
しかし殺害計画を知った段階で、これだけは阻止しようという方針になり、自衛隊の手を借りたのではないでしょうか。
当初からの犯人の行動をフォローしていなければ、海上でいきなり小さな船を発見・追跡するのは不可能でしょう。

私は1980年代、ある学術団体の学会長と面談する機会がありました。その時に会長から次のようなエピソードが紹介されました。
以前は、国際会議で韓国の学者が来日すると、必ずKCIAの連中がついてきて行動を逐一監視していた。
いつ、どこで、誰と、どんな会話をしたかまで全て記録し、本国へ報告する。もし会話の中に少しでも政府批判が含まれていれば、帰国後逮捕されることがある。
だからプライベートに会う時は、必ず相手を会長の自宅に招くことにしていた。その自宅の敷地内は大きな林に囲まれており、さすがにここまではスパイは入り込めない、だから安心して話ができた。韓国はひどい国だ、そういうお話でした。

つまり当時の我が国は、KCIAなどのスパイがウヨウヨいて、自由に諜報活動を行っていたということです。
まさか優秀な日本の警察がこれを知らないわけがない。きっと黙認していたのでしょう。

韓国のスパイたちが我がもの顔で、日本国内を跳梁跋扈できたのはなぜでしょうか。
この謎を解く鍵は、現在の安倍晋三首相の祖父にあたる岸信介ら当時のコリアン・ロビーの暗躍があったと思われます。
岸信介は総理退任後も永らく隠然たる力を誇示していましたが、岸は戦前「満州国の統治者」と呼ばれていた男です。
一方韓国の独裁者朴正煕大統領は、その当時満州国将校として腕を振るっていた間柄でした。
そうした人脈にプラスして、経済協力の名の下に莫大な利権が日韓双方に生まれていました。
こうした背景が、KCIAら韓国人の密入国、密出国をお目こぼしてきたのではないかと、考えます。
そこに北朝鮮の工作船や工作員も紛れて入り込んできた、そう考えれば拉致事件と金大中事件もあながち無関係とは言えないでしょう。

もう一つ、2児拉致事件の当事者である父親の高大基ですが、北朝鮮の工作員として日常的に自衛隊幹部に金品を渡し、国防の秘密情報を受け取っていたことは関係者の証言ではっきりしています。
ならば日本政府は、なぜこの点を捜査しないのでしょうか。
私は2児拉致事件よりも、こちらの方がより重大な問題だと思います。
この問題で沈黙しているマスコミの対応も解せない。

2007/05/04

第13回上方落語会@横浜にぎわい座

Tsurube鶴瓶が出るということで、ようやく前売りチケットを手に入れて、5月3日満員の横浜にぎわい座へ。席は2階席2列目の中央と言う好位置だった。

かつて大阪落語は、東京人には概して不評であった。あのアクの強さがハナにつくのである。早口の関西弁の落語にも違和感があった。
それと昔の東京落語というのは、そんなに笑わせなくても良いという風潮があった。客にクスリと笑わせるのが上手い噺家だということ。
だから寄席に行く時も、「ちょっと噺を聴いてくる」と言って、出かけていたもんだ。

処が、東京の落語も笑いを第一に求めるようになり、大阪とベクトルが一致してきた。
加えて大阪の芸人が、東京のメディアに頻繁に出るようになって、関西弁に対する抵抗感がなくなり、話も聞き取り易くなってきた。それに関西弁自体も、マイルドになった気がする。少し標準語と同化してきたのだろうか。
現在は、観客にとっては東京・大阪の垣根が消滅していると言って良いだろう。

それでも東京と比べ、上方の落語家というのは共通した特徴がある。
第一に、笑わせる事に貪欲である。出演者の一人が言っていたように、会場の客が「さあ、笑わせえ」と待ち構えているというのが、大阪の寄席だそうである。
それに応えて、芸人の方も「笑わせてナンボ」ということになる。
第二は、サービス精神が旺盛なこと。金を払った分だけは楽しませようという精神で、これは上は米朝のような大看板や三枝のような人気者から若手に至るまで、共通している。
第三は、ハイテンションであること。大阪の観客のエネルギーに負けないようにと、芸人もまた目一杯のハイテンションをかけることなる。

前フリはこれ位にして、演者と演目を紹介する。

桂しん吉 「犬の目」
眼医者に行った患者が、人間の目の代りに犬の目を入れられてしまうという他愛のないネタであるが、何とか面白く聴かせようという熱意は伝わってくうような高座だった。
しん吉は今回の主演者の中で最も若いと思われるが、東京の若手も、こうした上方芸人のハングリー精神は学ぶところがあるだろう。
笑福亭銀瓶 「宿題」
かつて三代目三遊亭金馬がよく「勉強」というネタを高座にかけていたが、これはその現代版であろうか、桂三枝の作とのこと。
子供の宿題を解けずに親が四苦八苦するというテーマだが、これが良く出来ている。
小学生の算数の文章題というのが、理屈上からいうと変な問題なのに、計算が結構ヤヤコシイという点を捉えたもので、客席を湧かせていた。
銀瓶はオロオロする父親の描写が良い。
桂三風 「テレショップパニック」
毎日TV画面から流れるあテレショップ番組、あのバカバカしさを諷刺したような新作で、熱演だった。
観客を噺に参加させるという手法も、東京では新鮮である。
桂都丸 「替り目」
仲トリらしく、前半を古典で締めた。
このネタは、通常お上さんがおでんを買いに行く所で切るのだが、都丸は珍しく最後のオチまで演じた。
その分長くなったが、途中ダレルこともなく、最後まで客をひきつけていた。芸の確かさである。

仲入り後
桂蝶六 「ぜんざい公社」
お役所仕事を諷刺しつたものだが、現在の状況とはズレが出てきたネタである。
それでも客をダレさずに聴かせたのは、演者の力量なのだろう。
笑福亭鶴瓶 「青木先生」
お目当ての鶴瓶、今回は自作で、私落語だそうだ。
ハッキリ言って、そう面白いネタではない。
そこはネームバリューと、独特の間と、しぐさの面白さで聴かせた。
多くの客は、ナマ鶴瓶を見ただけで、満足したと思われる。

今回の上方落語会を聴いて感じたのだが、中堅落語家たちの層の厚みである。
昔のように、漫才は大阪、落語は東京などとオサマッテはいられない。
東京の落語家たちもあんまり安閑としていると、その内落語も大阪になりかねない。
全体に充実した上方落語会であった。

2007/05/03

春風亭小朝の会@横浜にぎわい座

Koasa5月上旬の横浜にぎわい座は、開場5周年記興行念ということでズラリ人気者を並べ、前売り完売が続く文字通りのにぎわいとなっている。
5月2日は「春風亭小朝の会」、小朝の独演会をこの広さの会場で聴けるのは珍しく、補助イスの出る満席だった。

当方は以前、小朝の独演会で漫談を2席聴かされてガッカリしてから、しばらくこの人の独演会には遠ざかっていたので、久しぶりである。

前座は春風亭ぽっぽ「平林」
学園祭だったら大受け間違いなし。女流の噺家は妙に上手いと、かえって痛々しい。

春風亭小朝「たがや」
小朝の売り物の一つは、現在の風俗を題材にしたマクラだろう。ここで大爆笑させて本題に入るというパターンだ。
しかしここが、最近微妙にずれて来ている。時代の空気を捉える能力というのは、人間誰しも歳と共に落ちてくるが、小朝のマクラにもその影響が見られる。
志の輔や志らくに見られる、世相観察への鋭さがない。
本題の「たがや」、江戸時代の両国花火時分の情景描写はさすがである。小朝自身の時代劇出演の経験を織り込んだ立ち回りシーンも良かった。
だがもう一つ胸に迫るものがない。
恐らくは、侍から打ち首にされようとしている「たがや」のが、助命を願う場面での必死さが足りないせいだろう。ここに観客が感情移入できないと、この作品は物足りなくなってくる。

仲入り後、
五明樓玉の輔「マキシムド呑兵衛」
玉の輔は、二ツ目のあさ市の頃から期待していた若手であったが、その後すっかり伸び悩んでいる。マクラも古臭いし、芸の修行を怠っているとしか思えない。
この辺りで奮起しないと、パッとしない中堅落語家で終わってしまう。
この「マキシムド呑兵衛」、よく高座にかかるのだが、私にはこのネタの面白さが理解できない。

春風亭小朝「浜野矩随」
義弟の林家正蔵の脱税事件のエクスキューズをマクラにして本題へ。
近ごろ、芸能界でも二世をサラブレッドと呼ぶ習慣があるが、小朝が「親が駄馬で、子が駄馬、こういうのはサラブレッドとは言わない」と語っていたが、同感である。こういうのは「バカ息子」と呼ぶのが正解。
さて肝心の「浜野矩随」、小朝という落語家は器用で、何をやらしても上手い。これほどあらゆるジャンルの演目を上手にこなせる噺家というのは、過去にも類例がないのではなかろうか。
しかし心を打たない。寄席を出てしまうと、残らないのだ。
このネタは三遊亭圓楽がオハコにしていたが、圓楽の高座は心に沁みるような思いがした。
小朝には、それが足りない。ここが惜しい。

志ん朝が世を去り、圓楽が引退し、談志が衰えた今、落語会の第一人者は小朝だと言って良い。
しかし小朝の代表作はナンだろうと訊かれると、多くの落語ファンは答に窮するだろう。
小朝が落語界全体を盛り立てるための努力をしていることは評価するが、そろそろ自身の型を築いても良い頃ではなかろうか。

小朝にはいつも厳しい評価をしているが、それは期待の大きさの反映である。

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