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2007/05/27

思い出の落語家⑦ 八代目桂文楽に見る「名人」の条件(下)

Bunraku_3名人・八代目桂文楽の名人たるユエンは、落語を現代化したことだというのが、私の結論になる。
芸術、芸能の世界では、興行時間は公演内容を作用する。歌舞伎の世界でも、朝から夕方まで通しで興行していた時代と、現在のように1日2部制になった時代とでは、当然演出が異なる。
二本立てが当たり前だった映画は、1本の上映時間が90分以内だった。今では2時間超すのがザラである。

「四つ時に出る幽霊は前座なり」という川柳があるが、四つ、つまり午後10時には未だ寄席は興行していたことになる。夕方から始まり、夜は遅くまで公演していた当時の寄席と今とでは、落語の演出も変わる。
昨今の寄席では、芸人一人当たりの口演時間は長くても15分、主任(トリ)の高座で30分前後が通例だ。
全ての持ちネタを、短いもので15分程度、長いものでも30分以内の収めた文楽の演出には意味があった。

八代目桂文楽は、1892年に生まれ、1971年に死去している。
丁度、日本が近代化し、戦後の高度成長を迎える時期と重なる。
落語もまた、時代と共に変わって行かざるを得ない。

文楽は、一語たりともオロソカにしない緻密な高座だったと評される。マクラの出だしの一言を聴けば、その日のネタが分かったとも言われる。
落語をサービス業とすれば、常に一定時間に一定の品質のものを客に提供するのは、現代の営業の基本である。
しかしそういう標準化されたものというのは、往々にして味気ないものになりがちだ。
そこをいかにして客を唸らせ、感動させる作品に仕上げるか、文楽が最も苦心した点ではなかろうか。

文楽が存命中は、得意ネタは遠慮して、他の噺家は一切高座にかけなかったと言われる。
文楽に敬意を表したという面はあるだろうが、それ以前に文楽の演出が最高であり、それも文楽自身が創りあげたものだといたことが、落語界共通の認識だったためと思われる。

初めて文楽の高座を見た人は、想像していたのとは違って、いたって艶っぽい人物なのに驚かされる。若い頃から女にマメで、晩年まで愛妾宅に通っていたとされる文楽、そうでなけりゃあんな色気のある高座にはならない。
常に羽織、袴を着けて、すべるように高座に現れ、座布団の上にきちんと座って、平伏のごとき低い丁寧なお辞儀し、「毎度いっぱいのお運びさまで、有り難く御礼申し上げます。」と挨拶する。
その姿は品があり、美しかった。

文楽の持ちネタでは、前回あげた5作品の評価が高いが、私がこれは文楽しか出来ないと思っているネタは次の2作品である。
「つるつる」
「よかちょろ」
吉原が活況を呈し、芸者、幇間(たいこもち)が活躍していた時代の空気を吸っていた、文楽のような芸人にしか演じられないネタだからだ。

この他に人物描写としては、「酢豆腐」の遊び好きの若旦那、「船徳」の船宿の女将、「明烏」の町内のワル源兵衛と太助、 「鰻の幇間」の野ダイコなど、性格描写が極めて優れており、これからも文楽を超える噺家は出てこないだろう。

文楽の主なネタは、多くの芸人に継承されている。
その中でも、古今亭志ん朝の高座は名演の評価が高く、文楽を凌ぐと思われる作品もある。今後も優れた演者の出現が望まれる。

文楽の得意とした演目に、盲人(メクラ)を主人公とした噺がある。
障害者を扱うネタということもあり、なかなか継承者が出なかったが、現在柳家喬太郎がいくつかを高座にかけている。
その中の「按摩の炬燵」は、文楽を凌ぐと思われえる出来なのは、大変喜ばしいことだ。
八代目桂文楽と柳家喬太郎、どちらもマゾっ気十分という共通点がある所が面白い。

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