思い出の落語家⑤ 八代目桂文楽に見る「名人」の条件(上)
八代目桂文楽には、常に名人の名がつきまとう。
昭和の名人といえば、他に志ん生や圓生がいるが、このご両人はかなり晩年になって名人になったが、文楽の場合は、私が物心がついた頃には既に名人であった。
連想ゲームでいうならば「名人」といえば「文楽」、将棋の世界なら「永世名人」である。
上手い落語家というのなら他にもいるのだろうが、名人とは異なる。
芸が優れているというのは当然として、では落語の「名人」になる資格とはなんだろうか。
①ネタを自分なりに練って、仕上げていること。教わった通り喋るんでは能がない。文楽でいえば、噺の無駄な部分を刈り取って、完成させたといわれる。
②落語の中でも、様々なジャンルがあるが、少なくとも滑稽噺と人情噺の両方が出来ること。この点で、五代目柳家小さんは名人とは言えない。
③絶対的な十八番(オハコ)があること。志ん生なら「品川心中」、圓生なら「掛取万歳」。
④人気があること。言い換えれば、愛嬌があること。いくら噺が上手くったって、客が入らないことには話にならぬ。
⑤ご贔屓のスジが良いこと。私は、実はこれがとても大切な要素だと思っている。古典芸能の世界では、良い悪いは別にして、権威というものが幅を利かす。
ファンに政財界の大物や作家、権威のある評論家などがいることが大事である。文楽の贔屓スジには皇族もいた。
歌舞伎の世界でも、初代中村吉衛門が名優の誉が高いのは、贔屓スジが良かったことも要素の一つ。
⑥指導者としての才能を持っていること。良い弟子を育てれば、次は弟子達が師匠を持ち上げてくれる。
⑦適度に品があること。落語だからあんまり品が良くっちゃイメナイが、下品な芸人はダメ。
⑧名前が良いこと。落語家だって名前は大切。その点「桂文楽」はいいですね。「林家ペー」じゃ、いくら頑張っても名人にはなれない。
⑨出囃子の選曲が良いこと。「鳩ポッポ」や「デビークロケット」じゃ駄目。文楽は「野崎」、これなら文句なし。
⑩住んでいる地名が良いこと。文楽は「黒門町」、圓生は「柏木」、どちらもいい所に住んでいた。
やはり名人を目指す芸人なら「根岸」とか「池之端」とか、粋な地名に住みたい。
「名人」の条件、ざっとこんな所だろうか。
上記の要件は、志ん生、圓生もクリアーしている。
要は、「芸」+「様子」+「ステイタス」=「名人」 の方程式があるわけだ。
サラリーマンの世界だってそうだろう。一番仕事が出来る人が社長になるわけではない。
もう一つ、敢えて名人になる条件をあげれば、不器用な事だ。
文楽が芸人として不器用だったのは有名だし、志ん生や圓生も器用な落語家だったとは言えまい。
むしろ芸の世界では、あまり器用な人間は大成しないのが通例である。
この分でいけば、立川談志や春風亭小朝は、名人になるのはまず無理だ。
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