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2007/05/28

「光市母子殺害」裁判の弁護人への非難は不適切

Yasuda山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審の公判が、2007年5月24日広島高裁で始まりました。
この公判で行った弁護団の主張に対して、激しい非難が浴びせられています。
この事件に限らず、オウム事件のような凶悪犯罪に対する裁判でも、弁護人の言動が世間からバッシングを受けることが度々ありました。
これらの意見の中に、「ああいう悪い事をしたんだから死刑は当然。グズグズ言ってないで、早く処刑してしまえ。」としか聞こえない意見も散見されます。これだと、現行の裁判制度そのものを否定することになります。
全てを正しいか間違っているかで判断し、反対意見には耳を貸さないという、昨今の悪しき風潮の一つだと思います。

私自身は以前から主張している通り、死刑制度は必要であるという考えであり、「死刑制度維持派」です。
「死刑廃止」を主張するではなく、死刑になるような犯罪をいかに無くしていくかが大切だと思います。
今回の母子殺害事件についても、犯行の残虐さとその後の被告の言動からして、死刑が相当と判断しています。
その事と、公判での弁護活動への非難とは、全く別の問題です。

ご存知の通り、刑事訴訟法には次のように書かれています。
【第289条 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮にあたる事件を審理する場合には、弁護人がなければ開廷することはできない。】
弁護人がいなければ開廷できない、つまり裁判が出来ないわけで、誰かがその「悪役」を引き受けてくれないことには、被告を処罰することができない。これが前提です。

次に、弁護を引き受けた以上は、被告の利益のために刑の軽減を主張せざるを得ない。
本件の場合、最高裁が「殺害の計画性のなさや、少年だったことを理由とした死刑回避は不当」として、審理を高裁へ差し戻しているわけですから、まともに行けば死刑しかありません。
弁護団として死刑判決を回避するためには、
①刑法205条による傷害致死を主張する。
【(傷害致死)
第205条 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、3年以上の有期懲役に処する。】
②刑法39条による被告の心神喪失又は耗弱を主張する。
【(心神喪失及び心神耗弱)
第39条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。】
このいずれかしか方法がないと思われます。

弁護団の主張は、一見荒唐無稽に見えますが、他に選択肢が無かったのではないのでしょうか。
主張に対する批判の声はあっても、それならこう主張すべきだという意見は、なかなか見当たらない。
それとも弁護団が、「こいつは確かに悪いヤツだから、もう死刑にして貰うしかない。」とでも主張すれば良かったのだろうか。

弁護団の多数が死刑廃止論者だという指摘がありますが、この事件の被告を弁護する以上は誰がやっても、死刑の回避を主張するのは当然でしょう。
弁護団のメンバーの中に、過去に物議を醸しだした人物が含まれているとしても、弁護活動そのものを非難するのは妥当ではありません。

被害者遺族の感情を逆撫でするとの主張がありますが、遺族は死刑を主張しているわけで、弁護人の主張とは真っ向から対立するのは避けられません。
もし遺族の感情を尊重しろというなら、最初から弁護など引き受けないでしょう。

こうしたバッシングや非難が続けば、そのうち凶悪事件の弁護など誰も引き受け手がいなくなる。
裁判が開けなくなれば、最終的に困るのは私たち国民です。
弁護方針に対する意見は当然としても、弁護活動自体を非難するような論調は、誤りだと思います。

この母子殺害事件は余りに残虐な犯行であり、ご遺族の本村洋さんの悲しみと苦悩は計り知れません。その点で、多くの方々がご遺族に感情移入されていることは、十分理解できます。
この裁判は、最終的には死刑判決が出るのは、先ず間違いないでしょう。
それまでの審理は、静かに見守って行きたいと思います。

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コメント

home9さん

 こういった論理的(リーガルマインド)な感覚での記事、あまりblogではみかけませんね。
 ほとんど無意識と思いますが、どうも感情論で走る傾向が強いようです。
 以前書いた「近ごろの民族蔑視の風潮ってナンなんだろう」のコメントとかぶりますが、いわゆる「嫌韓」っていうんですか、あれなんかも感情が先に走っています。
 もっとも韓国人(在日より本国)っていうのも喜怒哀楽が激しい民族です。
 言語をはじめ日本人と韓国人っていうのは、基層部分で似通ったところがありますから「嫌韓」なんていうのもある種の近親憎悪っていう面もあると思うのですが、喜怒哀楽っていうことに関しては、「本音と建前」ということで、一応日本の方が抑制が効いている。
 ただどうもこのネット社会っていうのは、その匿名性から、建前というタガが外れて喜怒哀楽とまではいわないまでも感情でものをいう傾向があるように思います。

投稿: 柴田晴廣 | 2007/05/30 18:46

 TB並びにコメントありがとうございます。TBの方もきちんと届いていました。ただ、諸般の事情により一時保留にしているので、すぐに反映されなかったと思います。
 いくつかの点では私は違う意見を持っていますが、やはりあなたのように論理的に御自分の意見を述べる方は嬉しいですね。
 近々裁判員制度が導入されようとしています。その主な理由は裁判官と国民世論の意見の乖離が激しいという理由でした。しかし、わたしはほとんどのケースで裁判官の意見の方が妥当であり、国民世論の方が裁判を理解していないと思っていました。
 今回の弁護士に対する風当たりも同じですね。弁護士の中でもいろいろな意見があるでしょうが、今回の弁護人の主張も、選択肢のひとつであることは間違いないと思います。

投稿: M.FUKUSHIMA | 2007/05/30 21:26

柴田晴廣様
コメント有難うございます。
この記事を書こうと思った動機は、ネットでは余りに弁護人への非難一色で、突き詰めてゆけば裁判制度そのものを否定するかのような議論が眼につきました。
裁判の迅速化と被害者感情のみを重視するという先にあるものは、司法制度の否定でしかない。
これは大変危険な要素を孕んでいると考え、敢えてこの記事を書いた次第です。
当所、相当批判の意見が寄せられると覚悟していましたが、却って拍子抜けしているというのが、率直な感想です。

投稿: home-9 | 2007/05/30 21:32

FUKUSHIMA様
わざわざコメント有難うございます。
TBが重複していたようで、大変失礼しました。
光市母子殺害事件ですが、もし私が弁護士で弁護人を頼まれたら、恐らくお断りしたでしょう。
こんな金にならないし、面倒そうだし、勝ち目がない裁判など真っ平です。
でもそれでは裁判は開けない、誰かが引き受けてくれなければ、刑の確定ができない。
では引き受けた場合、どのような弁論が出来るのか、そう考えると、弁護団の主張はそれほど的外れとは思えません。
相手の立場に立って考えて見ること、民主主義社会の最も大事なルールであると思います。

投稿: home-9 | 2007/05/30 22:08

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