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2007/07/18

宮本顕治氏の死に想う

Miyamoto_kenji7月18日、日本共産党の最高幹部であった宮本顕治氏が死去した。98歳というから、いわゆる大往生である。
既に党の役職や政界を退いて久しく、そういう意味では過去の人ではあるが、宮本氏の業績を改めて振り返って見たいと思う。

ソ連が崩壊して、あれだけ一世を風靡していたヨーロパの共産党がほぼ壊滅状態になったのは、ご存知の通り。
最大の原因は、殆どの共産党が旧ソ連から資金援助されていたことが明らかとなり、一挙に国民の信頼を失ってしまった。
その中で唯一例外的に生き残ったのは、日本の共産党だけと言っても良いだろう。
確かに中国などに共産党を名乗る政党はあるが、揃って羊頭狗肉であり、実態は我が国の自民党と体質が同類だ。
日本は20世紀に唯一成功した共産主義国家と評されることがあるが、共産党も又然りと言えよう。

戦前から戦後にかけて、日本共産党もソ連や中国から財政支援があった。
特定の幹部にその国の資金が渡るということで、その幹部がスポンサーである国の利益を代弁するという構図になっていた。
最高幹部がソ連のヒモ付きだとソ連寄りに、中国から資金を貰っていると中国の顔色を伺うという時期が、1950年代の半ばまで続いていた。その度に、路線は左右に大きくぶれていた。

宮本氏はこれではいけないと考えて、外国からの資金を一切絶つという方針を打ち出した。
当然、金を貰っていた幹部からは猛烈な反発があり、彼らとの間で暗闘が行われたが、最終的には宮本氏が勝利し、そうした幹部たちは一掃された。
しかし金が無くては政党の運営はできない。そこで自前の財政をどう確保するか、これが次の大きなテーマとなった。

そのためには党員と機関紙「赤旗」を増やして、事業資金を得ようと考えた。
党員は全員「赤旗」のセールスマンとなり、配達や集金という実務に携わることになった。
そうなると、かつて革命家と呼ばれていた闘士は陰を潜め、党員は市民生活に密着したスタイルが主流となってゆく。
柔軟路線、ソフト路線と評されるが、必然的にそうならざるを得なかった。

宮本顕治氏は、1958年に日本共産党の書記長に就任し、以来およそ40年間にわたり最高幹部として君臨した、
もし宮本氏がいなかったら、日本共産党はとっくに消滅していた、これだけは断言できる。
安倍政権のもと、何だか戦前の日本へ時計の針を戻そうという動きが強まる中、スジの通った主張をする党が一つ位はあって良い。
そういう意味で、宮本氏の功績は大きいと言えるだろう。
ご冥福をお祈りする。

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コメント

こんばんは

宮本顕治氏の死去は大往生でしたね。
それにしても共産党はどこへ行くんでしょうか・・・
今回の参議院選の戦略もまだるっこいし・・・
小泉純一郎じゃないが、はっきりと、自民党をぶっ潰すとでもいえばいいのに・・・

トラックバックさせていただきます。
なお、写真に映っている紅顔の美少年?は小生です。

dejavue様
コメントとTB、有難うございます。
そちらの美しいエントリー拝見しました。
宮本顕治として汚点と言えるのは、一つは共に最高幹部にあった野坂参三がスパイである事を見抜けなかったこと、もう一つはルーマニアの国情を見誤ったことです。
野坂参三という男は、ソ連、中国、米国CIA、そして日本政府の四重スパイだったと、私は見ています。
昭和の妖怪が岸信介なら、野坂参三は昭和の怪物です。
二人共に長州出身であるのも面白いですね。

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