フォト
2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007/08/30

文科副大臣にアノ松浪健四郎とは・・・

Kenshiro_matsunamiよりによって、エライ人物を文部科学副大臣にしたものだ。あの松沼健四郎議員のことだ。
8月29日に文科副大臣に就任した松浪健四郎氏が、朝青龍の処分問題で次のような発言を行った。
「日本とモンゴルの外交関係がおかしくならないようにうまく進んでくれればありがたい。またあの雄姿を見せてほしい」
「2場所の休場は長過ぎるのではないか。」
「朝青龍は日本人とは精神や思想が違う。この点に配慮があったか」
「相撲が国際化しているので、国際的センスを持って運営をつかさどってほしい」
「(協会は)伝統や歴史、文化を言う資格はない」
「協会が文科省の思い通りに運営されているのか、見直さなければならない」

一相撲ファンの意見であれば、何を言おうと自由だが、相撲協会を所管する文部科学省の副大臣の発言とすれば、聞き逃せない。
松浪氏は以前から朝青龍とは親しい関係で、今回の仮病騒動の真っ最中にも面会している。
松浪議員のあまりの朝青龍寄りの主張を聞くと、朝青龍のモンゴルにおけるビジネスだか利権だかに、何か関与でもしているのだろうかと、ついついあらぬ疑いすら抱いてしまう。

話はそれるが、モンゴル出身の先輩力士・旭鷲山が行っていたビジネスの利権を巡って、日本の暴力団員から恐喝されていた事件は記憶に新しい。
今回の朝青龍騒動の裏に、そうした影を感じるのは、私だけだろうか。

松浪氏は、朝青龍に対する協会の処分が重過ぎると主張しているが、もし協会が今までのような曖昧な姿勢をとっていたら、力士達の規律は更に緩み、モラルハザードを引き起しかねなかっただろう。
国技として数々の恩典に与っている相撲協会の、存立基盤を揺るがすことになりかねなかった。

朝青龍が日本人と異なった社会で育ち、異なった文化や価値観を持っていることは、松波氏に指摘されるまでもなく、誰でもが知っている。
しかし他国に出掛けていって、その国で成功を収めようとするなら、相手国の法や規範、習慣や文化を尊重することが前提だろう。
日本人選手が大リーグに行って、それでみんな苦労している。
どこの国の出身者だろうと、日本の相撲界で飯を食おうとすれば、そのシキタリに従うのは当然のことだ。

松浪副大臣は、相撲協会が文科省の思い通りに運営されているか見直すとの発言は、脅しとも取れる。
松浪健四郎氏といえば、2000年に本会議の壇上からコップの水を浴びせるという、憲政史上例の無い事件を起こし、25日間の登院停止処分を受けたことで知られる。
それだけではない。
2003年には、指定暴力団系企業に秘書給与を肩代わりさせていたこと、更に指名手配されていた暴力団員の依頼で、警察に捜査状況を紹介していたことが明るみに出た。
これらの不祥事で、議員辞職を求める声が強かったにも拘らず、チョンマゲを落としただけで逃げ切っている。

こういう人物に限って、権力の座に着くと、権威を振り回したくなるものだ。
どの様な考えで松浪氏を文科副大臣に任命したのか、安倍首相の真意が分からない。
少なくとも、教育上好ましくない人間であることは、確かだろう。

2007/08/29

【朝青る】【横峯る】新語辞典

【朝青る】仮病を使って自分の主張をゴリ押しすること。
【高砂る】何も出来ずにただオロオロすること。
【横峯る】自分が悪いのに被害者だと言い張ること。
【安倍る】責任は全て部下に押し付けて居座ること。
【麻生る】協力するふりをして上司の失脚を待つこと。
【小池る】利口そうに見えて愚かな行動を取ること。
【森る】頼まれもしないのにアレコレ口を出すこと。
【舛添る】昇進するとコロリと態度を変えること。
【前原る】味方より相手の言い分を強く主張すること。
【与謝野る】何となく元気が無いこと。
【谷垣る】正論を主張し過ぎて冷や飯を食わされること。
【黒川る・若尾る】夫婦揃って支離滅裂なこと。
【ブッシュる】いくら失敗しても懲りないこと。

こうして並べて見ると、あなたの周囲にも該当する人が沢山いそうですね。

2007/08/28

ノーモア・百合子

Hatoyama_kunio「ようやく安倍改造内閣の顔ぶれが決まったけど。」
「鳩山邦夫さんて、法務大臣より悪代官の方が似合うんじゃないの。『ふふ、娘、分かっておろう。』『あれぇ、お代官様、お許しを・・・』なんて。」
「前はお友達内閣で失敗したけど、今度はどうなるかね。」
「『仲たがい内閣』になったりして。」
「今度の内閣は短命だなんて、言われてようだし。」
「幹事長になった麻生太郎さんは、そんなこと口が曲がってもいえないって、そう言ってた。」
「それをいうなら、口が裂けてもだろう。あと、絆創膏大臣の後任になった、遠藤武彦農水大臣も大変だろうね。」
「会見で、私ならあの場合、バンドエイドを使うって言ってたな。」
「それじゃ、ちっとも変わんねえじぇねえか。閣僚から去っていった人もいたね。防衛大臣だった小池百合子さん、最後に『アイシャルリターン』なんて、ちょっと悔しそうだったけど。」
「それを聞いた自衛隊員が一斉に、『ノーモア・百合子』って叫んだらしいよ。」
「そんなこと、言ってねえよ。小池さんもわざわざアメリカまで行ったんだから、未練はあっただろうけどね。『私は日本のライスって呼ばれてます』なんて言ってたし。」
「それで、これからは私を『マダム・バタフライ』って呼んでくれって。」
「それじゃ、蝶々夫人じゃねえか。」
「あそうか、『マダム・渡り鳥』だったっけ。」
「『マダム・スシ』だよ。」
「そしたらライス長官が、『私を米(よね)と呼んで』って、答えたらしいな。」
「そんなわけ、ねえだろう。」
「後からブッシュが出てきて、私が『ヤブ大統領』だって。」
「ああ、ブッシュだから藪か。悪い事はみんなビン・ラディンのせいにしてるし。ヤブ医者みたいなもんだね。」
「そんなこと、アルカイダ。」
「ブッシュ大統領がヤブなら、安倍首相は竹の子かな。」
「どうして?」
「これから段々、ヤブになるでしょう。」

女子スポーツ界は美女の時代

開催中の世界陸上のTV中継を見ていると、女子(男子は見ていない)の種目に出場する選手、キレイな人が増えましたね。選考基準が「美女」になってるんでしょうかね。
テニスだったらシャラポア。普段テニスなんか関心がないお父さんたちも、シャラポアだと見てますからね。セリーナ・ウィリアムズ対リンゼイ・ダベンポートの試合なんか、絶対に見ない。
映像の時代とはいえ、スポーツまでルックス偏重になっているのは、考えモノではあります。

「最近、我が競技連盟の女子の種目が、どうも人気がパッとしない。客の入りもイマイチだし、TV中継もガクンと減ってしまった。その反面、やれビーチバレーだのバトミントンだの、子どもの遊びみたいな競技に人気が集まっているそうだが、君はどう思うかね?」
「理事長、今どきの女子のスポーツは、完全なビジュアルな時代に入りまして、可愛い選手がいないと人気が出ないんです。」
「可愛い選手か。それならウチにも一人いるぞ。ほら、『田村で金、谷で金、ベッドでもキン』とか言って、子供を作った・・・」
「古いですよ。そんなんじゃもう客は呼べませんよ。理事長はオグシオをご存知ですか?」
「知ってるよ、料理に入れるヤツだろう。」
「それはアジシオ。バトミントンの選手ですよ。こっちの背の高いのが小椋久美子で、こっちが塩田玲子、それで『オグシオ』って言うんです。」
Ogushio2


「ほう、二人ともなかなか可愛いじゃないか。首筋に光る汗が、ナントモ堪らんな。君は、どっちの方がいい?」
「そういう話じゃないでしょう。」
「ビーチバレーの選手で人気のある、ほら何とか言う。」
「えーと、こちらがビーチバレーの浅尾美和選手です。」
Asao_yumi6


「おうおう、この子なら良く知っておるぞ。ワシはこの子が乗馬マシーンに乗ったCMが大好きでな。あれ見ていると、変な気分になってきて・・・」
「理事長、ヨダレを拭いて下さい。こういう可愛い選手がビキニ姿で試合に出るから人気が出るんですよ。それも段々ビキニの面積を小さくしてるでしょ。あの協会のやること、エゲツナイ。」
「向こうはビキニか。それならこっちは、フンドシを締めてかからねばな。」
「ダメだ、こりゃ。」

2007/08/26

小泉前首相の三百代言「郵政民営化」

郵政民営化にあたり、当時の小泉首相は「サービスは低下させない」ことを国会で約束しました。しかし民営化を目前にした今、本当のサービス低下は起きていないのか、検証してみたいと思います。

現在、全国に郵便局が24,670局ありますが、この内郵便の集配業務を行っているのは4,705局です。
昨年6月に郵政公社は、約2割にあたる966局の集配業務を廃止し、近隣局に集約する方針が明らかにしましたが、今年3月までに全ての統合が実施されています。
統廃合の対象になったのは、多くが過疎地と呼ばれる地域です。
今年3月に集配業務が廃止されて地域の中には、少なからぬ郵便物が未配達になったり、誤配になったりしています。

Yubin_shuyaku


この他、全国2,564台の局外ATMのうち、約3割の738台のATMが撤去される方針で、そのうち624台についてはすでに撤去が始まっています。

Atm_tekkyo

また全国におよそ4,400ある簡易郵便局も、民営化を前に廃止が加速化しています。
Kani_yubinkyoku

郵便事業は、過去曲がりなりにも全国一律のユニバーサルサービスが行われてきました。
しかし郵政民営化の方向に動き出すと同時に、過疎地を中心にサービスが切り捨てられつつあり、地方格差が郵便事業においても拡大しています。
以上の動きは、民営化を先取りしたものであり、今後民営化が行われれば、こうした傾向は一層強まるものと推定されます。

もう一つ、日本郵政公社は、10月の民営化で郵便貯金を引き継ぐ「ゆうちょ銀行」が発足するのに伴い、口座振り込みなどの送金・決済サービスの手数料を改定すると発表しました。
ここでいう「改定」とは、値上げです。

民間金融機関に衣替えするにあたり、手数料を銀行の料金体系に近づけるもので、下表の通り最大10倍と、全体的にかなり大幅な値上がりとなっています。

表―ゆうちょ銀行送金手数料
        【金額:円】

現在 民営化以後
  取扱金額 料金 取扱金額 料金
定額小為替 一律 10 一律 100
普通為替 ~1万円 100 3万円未満 420
  ~10万円 200 3万円以上 630
  ~100万円 400    
通常払込み ~1万円 100 3万円未満 120
(窓口) ~10万円 150 3万円以上 330
  ~100万円 250    
通常払込み ~1万円 60 3万円未満 80
(ATM) ~10万円 110 3万円以上 290
  ~100万円 210    
電信払込み ~1万円 210 3万円未満 525
  ~10万円 340 3万円以上 735
  ~100万円 600    
通常現金払 ~1万円 60 一律 400
  ~10万円 150    
  ~100万円 310    
電信現金払 ~1万円 180 一律 630
  ~10万円 390    
  ~100万円 680    

小泉前総理の「郵政が民営化されてもサービスは低下させない」という公約は、やっぱりウソでした。
当ブログで以前から指摘して来た通り、民間企業になれば採算が重視され、サービス低下は免れないと警告した通りになりました。

銀行の合併や、それに伴う支店の統廃合で、町や村にあった銀行がなくなりましたが、これからは郵便局が、全国規模で統廃合されていくでしょう。
そして地域間格差は、確実に拡大の一途を辿るものと思われます。
よく考えれば、小泉前首相が、民営化後の郵政事業をコントロールできる筈はないのです。

騙した小泉純一郎が悪いのか、騙された国民が悪いのか。
郵政民営化を目前に、このまま進めて良いのかどうか、もう一度立ち止まって考える必要があるでしょう。

2007/08/25

池袋演芸場8月下席

Kitahachi仲トリが柳家三三で、トリが代演で柳家喜多八とあっては、これは是非行かずばなるまいと、8月25日は池袋演芸場下席昼の部へ。早めに並んだお陰で最前列の席を確保。

桂三木男「転失気」
三代目桂三木助の孫だとか。寺の和尚や医者がサッパリそれらしくなく、平凡な出来。
鈴々舎馬桜「?」
落語協会の中堅として、着実に力を付けてきている馬桜。演目のタイトルは不明だがチョット怪談風ショートショートを、軽く流して、踊りをオマケにという趣向。
三遊亭生之助「質屋庫」
多分初見だと思うが、最近では珍しい渋い噺家。昭和20-30年代の小津安二郎の映画を見ているような、懐かしい気分に誘われる。
ロケット団「漫才」
このコンビ、見る度に少しずつ面白くなっている。
春風亭小朝「桃太郎」
小朝は今やネームバリュウと人気だけで保っており、実力はすっかり並の落語家と堕してしまった感がある。小朝の高座だが、ここ10年位、感心して聴いた記憶がない。
柳家小満ん「浮世床」
高座での動作にムダが一切ない。抑制の利いた滋味あふれる一席。
柳家三三「壷算」
手堅い高座だが、何か今一つ物足りなさを感じた。
     -お仲入り-
柳家さん弥「えすぷれっそ」
実につまらない。高座で飛び跳ねたり大声を上げれば、客が喜ぶと思ったら大間違い。
古今亭志ん五「幇間腹」
独特のとぼけた感じと、「間」が良い。針が折れた後の若旦那の狼狽ぶりを、もっと強く出して欲しい所。
翁家勝丸「太神楽」
この芸人、こんなに下手だったかな。金を取って見せる芸じゃない。
柳家喜多八「死神」
このネタ、喜多八の良さが活きないのではなかろうか。
死神が神様らしくなく、最後の場面での、ヒヤッとする恐ろしさが伝わってこなかった。

出演者の出来不出来の差が大きく、全体に期待外れの感があった。

2007/08/24

これで小池防衛相は当確か「ブッシュ演説」

Koike_yuriko2アメリカ万歳、ブッシュさん大好きの安倍さん、麻生さん、小池さんたちが聞いたら、泣いて喜ぶような話題です。
ブッシュ米大統領が8月22日に、ミズーリ州カンザスシティーで行った演説で、次のように日本の戦後民主主義の成功体験を絶賛してくれました。
特に、ブッシュさんから「日本の防衛大臣は女性」とご指名を頂いた小池百合子さん、わざわざ米国まで売り込みに行った甲斐がありましたね。これで内閣改造後の防衛相も当確でしょう。先ずはオメデトウゴザイマス。


【米大統領演説の日本関連部分(要旨)】
ある晴れた朝、何千人もの米国人が奇襲で殺され、世界規模の戦争へと駆り立てられた。その敵は自由を嫌い、米国や西欧諸国への怒りを心に抱き、大量殺人を生み出す自爆攻撃に走った。
アルカイダや9・11テロではない。パールハーバーを攻撃した1940年代の大日本帝国の軍隊の話だ。最終的に米国は勝者となった。極東の戦争とテロとの戦いには多くの差異があるが、核心にはイデオロギーをめぐる争いがある。

日本の軍国主義者、朝鮮やベトナムの共産主義者は、人類のあり方への無慈悲な考えに突き動かされていた。イデオロギーを他者に強いるのを防ごうと立ちはだかった米国民を殺害した。
第2次大戦に着手した時、極東の民主主義国は二つしかなかった。オーストラリアとニュージーランドだ。日本の文化は民主主義とは両立しないと言われた。日本人自身も民主化するとは思っていなかった。
結局、日本の女性は参政権を得た。日本の防衛大臣は女性だ。先月の参院選では女性の当選が過去最高になった。

国家宗教の神道が狂信的すぎ、天皇に根ざしていることから、民主化は成功しないという批判があった。だが、日本は宗教、文化的伝統を保ちつつ、世界最高の自由社会の一つとなった。日本は米国の敵から、最も強力な同盟国に変わった。

我々は中東でも同じことができる。イラクで我々と戦う暴力的なイスラム過激派は、ナチスや大日本帝国や旧ソ連と同じように彼らの大義を確信している。彼らは同じ運命をたどることになる。
民主主義の兵器庫にある最強の武器は、創造主によって人間の心に書き込まれた自由を求める欲求だ。我々の理想に忠実であり続ける限り、我々はイラクとアフガニスタンの過激主義者を打ち負かすだろう。

「死刑廃止議員連盟」の抗議はスジ違い

8月23日に3名の死刑囚に対する死刑執行が行われましたが、この件について超党派の「死刑廃止議員連盟」(亀井静香会長)の議員が記者会見を開き、長勢法相が死刑執行命令書に署名したのは任期10カ月余りで計10人であり、議員らは内閣改造前の「駆け込み執行」に抗議しました。
この抗議の趣旨は、次のうち何だったのでしょうか。
①死刑は執行すべきでない
②10ヶ月で10名の執行が多過ぎる
③内閣改造前に執行したのが悪い
もし②の主張なら、どれだけの人数なら適正なのでしょうか。
③の主張なら、内閣改造後なら死刑執行はOKなのでしょうか。
どうも抗議の趣旨が判然としません。
①については、後述します。

死刑制度について存続論と廃止論があり、我が国の死刑制度を将来どうしていくかという議論は必要です。
国会議員や個々の国民が自らの信条に従って、死刑制度の廃止運動を行う事も当然の権利です。
しかしその事と、死刑執行の度に法務大臣に抗議することは全く違う問題です。

死刑制度は立法府の問題であって、刑法第9条(刑の種類)と刑法第11条(死刑)に定められています。
司法は、法律に基き個々の犯罪者の刑を確定します。
死刑の執行についても立法府により、刑事訴訟法第475条(死刑執行の命令)、第476条(死刑執行の時期)、第477条(死刑執行と立会)、第478条(執行始末書)、第479条(死刑執行の停止)それぞれ定められています。

執行は行政の責任です。
執行の命令は、死刑確定日から6ヶ月以内(再審請求などがあった場合は別)に法務大臣が行うことになっています。命令されてから5日以内に、刑は執行されなければならないと決められています。
もし今回の死刑執行が誤りだとするなら、刑事訴訟法のどの部分に違反しているのかを明らかにすべきです。
10人で2桁だから、内閣改造前だからケシカランとか、そうした主張は見当違いも甚だしい。

司法で定められた刑を、行政の勝手な判断で執行しないとなると、それは三権分立に反するのではないでしょうか。
例えば、懲役10年が確定したにも拘らず、収監しないまま放置していたら、どうなりますか。行政が司法の決定を無視したことになります。
死刑だろうと懲役刑だろうと罰金刑だろうと、行政は責任をもって実行しなければならない義務を負っています。
死刑だけ行政の責任放棄を迫るのは、スジ違いです。

人間誰しも好き好んで人を死刑になんかしたくない。これは裁判官だろうと法務大臣だろうと刑務官だろうと一緒です。出来れば自分の時は手を下したくないと思うのは人情です。
しかし、それでは法治国家としては成り立たない。
死刑を無くしたければ、法律を改めるか、裁判で死刑判決を出させないしか、方法がありません。

死刑が無い社会にしたいというのは、恐らく大多数の人の願いでしょう。
「死刑廃止議員連盟」の方々には、そうした観点での努力を望みたいと思います。

2007/08/23

「御殿場の婦女暴行未遂」事件そのものが架空では

Yanagiharaこのブログでも再三とりあげてきましたが、裁判所あるいは裁判官の判断というものは、私たちの世間常識と大きなズレがあるようです。
検察は検察で、メンツに拘るのか、一度主張したことは絶対に変えようとしない。
8月22日に開かれた富山の婦女暴行事件で、検察はかつて被告として服役した後に冤罪であることが明らかになった柳原浩さんに対し、無罪の論告求刑を行いました。
今回のように真犯人は現れなければ、柳原浩さんの冤罪が晴れることは無かったでしょう。
検察側は再発防止を検討しているようですが、裁判所側もなぜ間違った判決をだしてしまったのか、検証する必要があります。
マスコミの非難も検察にのみ向けられていますが、私は一番いけないのは裁判所だと思っています。

さて同じ22日に、もう一件注目されていた裁判の判決が出ました。
静岡県御殿場市で2001年、少女(当時15歳)を乱暴しようとしたとして、婦女暴行未遂の罪に問われた当時16~17歳だった元少年4人(22~23歳)の控訴審判決が東京高裁であり、
中川武隆裁判長は、1審判決を破棄した上で、4人全員に懲役1年6月の実刑判決を言い渡しました。

この事件の発端は、2002年9月16日に被害者とされる少女が「婦女暴行を受けた」として警察に訴えたことに始まります。
その時の女子高生の供述は、「犯行時間は当日の20時20分から23時頃。御殿場駅から出たら二人の若い男に公園へ連れていかれた。がっちりと両手を掴まれて、怖くて声も出せなかった。そのうち人数は10人ほどになって、リーダー格の男が『そろそろやっちまおうぜ』と言った。脅されて母にウソの電話を入れた。暴行は一時間あまり続き、24時過ぎに帰宅しました。」という趣旨のものでした。

この供述に従って、当時中3~高2の少年10人(15~17歳)が逮捕され、捜査段階では全員が犯行を認めました。しかし少年審判で5人が否認し、このうち4人が検察官送致(逆送)され、起訴されました。
別の1人は、刑事裁判の無罪に当たる「不処分」となったが、検察側が抗告。東京高裁、最高裁で不処分が取り消された後に起訴され、1審で有罪判決を受けて現在控訴中です。

処が、事件のあったとされる時間に、少女が別の人に携帯電話をしていることが判明し、少年の親たちがその通話相手である男性「Y氏」に会い確認したところ、Y氏 は「出会い系サイトでその少女と知り合って、9月16日(犯行当日)に会うことになっていました。」とのことでした。
19回目の公判にY氏は出廷し、「21時15分に少女と会い、最低でも3時間は一緒にいた」と証言し、更に、「その少女は、『親には遅れた理由を誰かのせいにする』と言っていた。婦女暴行されたとか、そういう言い訳をするという意味です」との証言を行っています。
少女はその後、9月16日にY氏と会ったことを認め、「門限を過ぎていて、親に怒られるのが怖くてウソをついた」と供述しています。

ここまでは世間よくあることで、女子高生が親に内緒で男性と数時間過ごし、帰宅してから適当にウソをついた。それが後々になってウソがばれてしまったということですね。
関係者には多大な迷惑を掛けたのですが、「ゴメンナサイ」と謝罪すれば、事件としては終結した筈です。

処が、この少女は「犯行日を間違えていました。本当は9月9日でした」と犯行日を変更したのです。
人間は記憶違いということはママあり、日にちを間違えることも起きます。
しかしこの被害者の場合、犯行があったとされる9月16日当日に警察に訴えていますので、いくら何でも当日と1週間前と間違えることは有り得ないことです。
普通、被害者がこんなことを言い出したら。警察はとりあってくれないでしょう。
処が、検察側は犯行日を同年9月16日から9日に改める、異例の訴因変更を行いました。
どうやら警察と検察のメンツにかけて、被害者に犯行日を変えさせたと推測されます。

不思議なのは、被告たちが自供したとされる供述調書では、犯行日が元のままの16日になっていることです。
仮に供述が正しいとすれば、被害者は9日の暴行されたと主張し、被告は16日に犯行を行ったとしているわけですから、被害者の供述通りであれば、被告の供述はウソになるわけです。
処が(今回多い)、昨日の高裁判決では、被害者がウソをついた点について「他の男性との交際を隠すためだったなどの理由は十分理解できる」とし、「被害自体が虚構だったとは言えない」と判断しています。

嘘つきの言うことは信用できない。
この事件余りに不自然なことが多く、被害自体が虚構であり、犯罪そのものが架空であったと考えるのが自然ではないでしょうか。
この事件上告となるでしょうから、最高裁が真実を見据えてくれることを期待したいと思います。

2007/08/22

警察のズサンな管理体制が誘発した「女性射殺事件」

Keikan警視庁立川署地域課の友野秀和巡査長(40)が国分寺市のアパートで、飲食店従業員佐藤陽子さん(32)を射殺して、その後拳銃自殺した事件が8月21日明らかになりました。
現職警官が勤務時間中に、所持していた拳銃で人を殺したこの事件は、社会に衝撃を与えています。

被害者および付近の住民の話によれば、以前からこの警官が女性に付きまとっていた形跡があり、いわゆるストーカー行為の末の犯行であったと推測されています。
生前、被害者の佐藤さんは周囲に、「(友野巡査長が)無断で自宅住所を調べ、勝手に来た」と語っていたことが判明しています。
一般に飲食店というのは、警察には弱いものです。もし何か訊かれれば、答えざるを得ない立場であり、そうした弱みに付け込んで女性の住所を訊き出したものと思われます。

二人の接点は店の従業員と客という関係からですが、40才にもなる男が、キャバレーのホステスのストーカーになること自体、実に情けない話です。
「遊女は客に惚れたと言い、客は来もせで又来るという」というのが水商売の世界、それを本気になって付きまとわれた日にゃあ、女性の身体はいくつあっても足りません。
まして相手は拳銃を持っているとなると、これぞキチガイになんとやら。
この警官の先輩や同僚に、諌める人間がいなかったのでしょうか。

見逃せないのが、警察の管理体制です。
経緯を追ってみましょう。
20日午後9時半頃 通報があって警官がバイクで交番を出る
   午後10時頃 犯行が行われたものと推定
21日午前5時頃  連絡が取れないことを同僚警官が署に連絡
   午前10時40分 現場で遺体を発見

つまり7時間半もの間、勤務中の警官の行方が分からなくなっていたのに、放置されていたことになります。
通報があって出動したとあれば、事件に巻き込まれていた可能性だってあるわけで、この警察の対応は驚きです。
なぜ放置したのかという件について、この友野巡査長が、これまでにも職務質問に出た際、しばらく連絡が取れなくなったこともあって、最初のうちは不審に思わなかったということですが、開いた口が塞がらない。
普通の企業でも深夜勤で、従業員が数時間行方が分からなくなっていたら、大騒動です。
一体警察の管理体制はどうなっているのでしょうか。
こういうズサンな管理体制が、今回のような事件を誘発したと考えるべきでしょう。

余談になりますが、一部のマスコミでこの事件を「無理心中」と呼んでいましたが、これは見当違いも甚だしいし、第一被害者の方に失礼です。
加害者が一方的に射殺し、その後自殺した事件であり、今後もこの手の事件に「無理心中」という表現を使うべきではありません。

2007/08/21

協会に「朝青龍」復帰のシナリオがあるのか

Sumo_ishiここの所「朝青龍」問題の迷走が連日報道されていますが、一番大切なことは、やがて処分が終わり復帰してくる朝青龍を、果たして相撲ファンが受け容れてくれるかどうかです。
日本相撲協会の動きを見ていくと、そうした観点が欠落しているとしか思えません。

協会側の朝青龍処分の基本は当初、
①興行面と対モンゴル政府との関係から、朝青龍は引退させない。
②形の上では厳しい処分を出して、ファンを納得させる。
③記者会見を開き、本人から謝罪させる。
③謹慎については、本人の意向を聞いて弾力的に運用する(モンゴル帰国は認める)。
を想定していたと思われます。

処分発表早々に、朝青龍の家族はモンゴルに帰国しましたが、この時点で協会は本人の帰国は認める腹だったと思われます。
協会のシナリオが狂ったのは、朝青龍が謝罪の記者会見に応じなかったことです。
本人は何も悪い事をしていないと思っているのですから、謝罪は拒否し、最後はダンマリを決め込むという戦術に出たわけです。
どうせ引退勧告など有り得ないと確信していますから、いわばケツをまくったわけです。

膠着状態に悩んだ協会側の次の一手は、何かしら適当な精神的な病名を付けて、モンゴル帰国を認めよう。人の噂もナントヤラで、時間を稼いで沈静化を図ることでした。
先ず色々な医師が入れ替わり立ち代り接触して、朝青龍の「心の病」を印象づけました。
19日には相撲診療所の吉田博之所長が本人を診断した結果、「横綱は解離性障害の可能性が最も高く昏迷(こんめい)状態にある」とし、「今後は横綱が望む治療環境を最優先させるべきだと、精神科医も私も考えており、帰国が最良だと思う」との所見を述べています。

勿論、これは協会の意向に沿った診断であることは、言うまでもありません。団体の顧問医師などは、所詮そんなものです。
これを受けて20日、北の湖理事長は「理事会の決定事項があるが、治療については医師の意見を聞き、指示に従って適切に対応したい」と語り、モンゴルでの帰国治療を容認する方向を示唆しています。
ここから先は、朝青龍をモンゴルに帰国させ、適当な時期を見計らって謝罪の記者会見を開き、一件落着させる算段でしょう。

プロスポーツである以上大事なことは、相撲ファン、特にお金を払って本場所に足を運んでくれる観客が、このシナリオを納得してくれるのか、来年早々に復帰する朝青龍を温かく迎えてくれるのか、ここが最大の問題です。
私は、現状のままで行けば、ファンの多数は拒絶するのではないかと想定しています。
その時に協会は、朝青龍は、どうする心算なのでしょうか。
引退しか、道が無くなるでしょう。

協会と朝青龍が、もしこのまま相撲ファンを無視し続けるなら、必ずしっぺ返しがきます。

2007/08/20

第18回鈴本夏まつり・夜席

Gontaroお盆には鈴本演芸場の8月中席「鈴本夏まつり」夜席に行くのを、ここ10年くらい恒例にしている。
志ん朝が健在だった頃は、浅草演芸ホールで住吉踊りを見て、こちら鈴本というコースだったが、最近はここ1本だ。
お目当ては、権太楼とさん喬のツートップが交互にトリを務める番組で、二人の2席がタップリが聴けるからだ。
19日は日曜日とあって開場40分前だがかなりの行列、それでも運良く最前列の席を確保。

柳家我太楼「動物園」
本人が「真打ちです」と自己紹介していたが、そう言われなければ客は気が付かない。未だ実力は二ツ目程度か。

翁家和楽社中「太神楽」
いつ見ても見事な芸に感心する。

古今亭菊之丞「紙入れ」
未だ30代前半なのに、菊之丞のこの落着きぶりは何なのだろう。「噺家」が身体に染み付いているところがスゴイ。色っぽく艶笑譚風に「紙入れ」を。

昭和のいる・こいる「漫才」
最近気になっているのだが、この二人、高座で本人たちが余り楽しそうでない。

柳亭左龍「真田小僧」
この人は「顔」で得をしている。サラリと「真田小僧」を。

柳家喬太郎「路地裏の伝説」
今日は新作で来るなと予想していたら、その通り。夏向きの少しミステリアスなネタを持ってきた。
今日の会の役割を考えてか、抑え気味の演出。

三増紋之助「曲独楽」
伝統芸を守っている数少ない芸人。本人の汗もすごいが、観ているこちらも汗をかいた。

林家正蔵「お菊の皿」
これも夏向きに怪談噺風なネタ。お菊が見栄を切りながら、皿を数えるという演出で楽しませた。

仲入り後。
江戸家子猫「ものまね」
客のリクエストに応えての動物物真似。当意即妙な応対は芸歴を感じさせる。
余談だが、父親の猫八は噺も上手かった。晩年の国立演芸場の中トリでの人情噺でジーンときて、泣いたことがあった。

柳家さん喬「抜け雀」
良い出来でしたね。さん喬のユッタリとした時間の流れが、このネタに活かされていた。
ここ数年聴いた「抜け雀」では、このさん喬の高座がベスト。

さん喬と権太楼の寄席の踊りを挟んで。
アサダ二世「奇術」
本人が冒頭に宣言した通り、「今日はちゃんと」演っていた。

トリは柳家権太楼「居残り左平治」
締めに相応しい大ネタをタップリと。
権太楼持ち前の明るい芸風と腕力で、「居残り」をねじ伏せた。

権太楼とさん喬の熱演が高座を盛り上げ、充分満足した。

2007/08/18

「言わんでよろしい」とは無礼な

Koike_shimabukuroこのブログを続けて見て下さっている方はお気付きかと思いますが、参院選が終わってから、安倍首相を批判する記事を殆ど掲載しておりません。
理由はただ一つ、私には弱い者イジメが性に合わないからです。
批判する気にもなれないというのが、率直なところです。

一番嫌いなのは、金持ちと尊大な態度の人間。偉そうな態度をとる人物を見ると、とにかく腹が立ってくる。その典型が、石原慎太郎都知事です。
偉い人は尊敬しますが、偉そうな人には反発する、これは性分ですね。
今ならさしずめ、小池百合子防衛相になりますか。

16日に沖縄を訪問した小池大臣ですが、同席した島袋吉和名護市長との写真撮影の際に、次のようなヤリトリがありました。
一部のTVニュースで映像が出ていましたが、新聞では報道されていないようなので、ご紹介します。
記者「市長と大臣、握手してもらっていいですか?」
小池大臣「じゃあ、ツーショットいきましょうか。」
島袋市長「いろいろマスコミをにぎわすから・・・。」
小池大臣「細かいこと、言わんでよろしい。」

この「言わんでよろしい」というフレーズですが、サラリーマンを経験した私から見ると、かなりの目下の人間に対して使う表現になります。
いかに大臣といえども、自治体の首長に対して使う言葉ではない。
私が島袋市長なら、席を蹴って帰りましたけど。
私の周囲でも、今まで小池百合子に対して好意的だったのが、このTV映像を見てすっかり嫌いになったという人がいます。
米国に行っても「次期総理」扱いで、舞い上がったのは致し方ないとして、思い上がってはいけません。

防衛次官の人事は一応の決着を見たようですが、この件での一連の言動により、防衛大臣指定席は危うくなってきました。
アノ森元総理からも、「たしなみがないなという感じがする。」と批判されてしまった小池大臣、そろそろこのブログの対象から、外れていきそうな気配です。

2007/08/17

これは実刑だろう「解同元幹部による職務強要事件」

Kaidou部落解放同盟の幹部であった元奈良市職員が、奈良市の幹部を脅した職務強要事件の判決が17日行われ、中川昌史被告に対し懲役1年6ヶ月、執行猶予3年が言い渡されました。
中川被告は市の職員という立場にありながら、永らく市が発注する公共工事の談合を仕切ってきました。昨年8月に市が入札制度を導入しようとした際に、このままでは自分の利益が損なわれると思い、奈良市幹部を脅迫して制度の延期させたものです。

今全国の自治体が、従来不透明であった随意契約方式を改め、入札制度に変えて行こうとしている時期に、これを脅迫により妨害し、延期させるというのは、極めて悪質な犯罪です。
更に、この中川被告が市の職員であったことも見逃せません。
中川被告は一方で6年半の間にわずか10回しか出勤せず、給料を受け取っていたという事件も起こしています。

こうした部落解放同盟幹部による不正は、特に関西地域では以前から顕著であり、暴力と脅迫による行政への介入は後を絶ちません。
しかしこうした不正が表沙汰になることは滅多になく、起訴され裁判になり、有罪判決を受ける例は極めて稀だといって良いでしょう。
これは行政側が、警察や検察を含めて、部落解放同盟の暴力行為を見逃してきたためです。

いささか私事になりますが、20年ほど前に私の兄が国税調査官になりました。その最初の日の幹部からの訓示で、「同和関係には手を出すな」と指示されたそうです。
部落解放同盟など同和団体関係の不正は、税務署といえども手が出せない、これが行政の実態です。
今回の事件でも、ズル休みしていた被告の悪いのは当然としても、ニセ診断書を書き続けた医師、ズル休みを黙認していた上司、被告に脅されて入札制度を遅らせた市の幹部、これらは全て同罪だったといえます。

言い換えれば、それだけ解同幹部による脅迫が恐ろしく、実際に糾弾や脅迫を受けた人の中には、時には生命の危険性さえ感じたとの証言もあります。
今回の事件を契機に、今後二度とこうした事が全国の自治体に起きぬよう、厳しい判決が求められていました。
今回の裁判の判決文でも、「行政対象暴力が社会問題になる中、解放同盟における自己の立場を背景に行政施策の遂行を暴力でゆがめ、信用を棄損した行為は強く非難されるべきだ」と指摘されています。
それなら求刑通り実刑判決を出すべきでした。

二重、三重の意味で悪質だった今回の事件、執行猶予付きは甘すぎる判断でした。

2007/08/16

小池百合子防衛大臣の解任を求める

Koike_yuriko2防衛次官人事をめぐる小池百合子防衛相と守屋武昌防衛事務次官とのバトルは、ミッチー・サッチー騒動以来の大ゲンカとなり、お盆休みでニュースのネタが切れる時期にはモッテコイの話題を提供している。
朝青龍の「うつ病」疑惑と北海道「黒い恋人」と共に、「小池騒動」はTVの三題話となっている。

小池大臣も守屋次官、どっちもどっちであり、ヤジウマとして見てる分には他愛ない話題であるが、これは見逃してはいけないと思うことがあった。
小池防衛相の15日の記者会見での次の発言だ。
「携帯に夜電話しても返事が翌朝というのは、危機管理上どうなのか」
守屋氏を退任させるべく6日夜に連絡したのに、コールバックが7日朝になってからだというものだ。その間、全く連絡が取れなかったというわけだ。

チョット待って欲しい。
防衛省のトップとナンバー2との連絡が携帯電話で行われ、前日の夜から翌朝まで連絡がつかなかったと、小池大臣は主張しているのだ。
これは実に重大なことで、国防を与る防衛省の指示命令系統は、有事の際の緊急連絡体制は、自衛隊のシビリアンコントロールは、など我が国の安全保障の根幹にかかわる問題だ。

もしこのことが事実とすれば、小池百合子氏の防衛大臣としての危機管理能力がゼロということになる。
「危機管理上どうなのか」などと、他人事みたいに喋っている場合ではない。
この話を記者会見で得々として披露する小池大臣を見ていると、つくづく愚かだなぁと思うと同時に、やはりこういう人物は防衛大臣にふさわしくないと判断せざるを得ない。

安倍首相は、小池人気(気が知れないが)にあやかって支持率低下に歯止めをかけるべく、防衛大臣は指定席としていると聞く。
一大臣の人気にすがって政権の延命を図るとしたら、もはや哀れとしか言い様がない。

2007/08/14

「塩崎」立てれば「小池」が立たず

Koike_yuriko2アメリカ訪問で米首脳部を総ナメにして、凱旋帰国した小池百合子防衛相だが、帰国早々の8月13日、防衛事務次官の人事で立ち往生している。
発端は、小池防衛相が長期在任を理由に守屋武昌防衛事務次官を退任させ、代りに警察庁出身の西川徹矢防衛省官房長を昇格させる人事を、一方的に内定していた。

ここまでは世間ではよくある話。
中小企業なので社長が代替わりすると、昔の番頭さんは退けられ、新社長のお気に入りを据えるのは、しばしば見かけられる。
しかし官僚の世界、特に事務次官といえば省庁の事実上のトップ。幹部は大臣より事務次官の顔色を窺って仕事をしている。
そうした人事には、おのずからルールが存在する。

今回の小池防衛相の手法は、6日に西川氏に事務次官への就任を伝え、7日になって守屋次官に退任を伝えている。
新聞報道で自分の人事を聞かされたとされる守屋次官が、怒るのは当然だ。
通常は、大臣が先ず現職次官と相談して大筋の人事を決めるのがルールであり、小池氏のやり方がルール違反だと言われても止むをまい。

もう一つ、事務次官の人事は、正副官房長官による人事検討会議の了承を得て閣議で決定するのが慣例となっている。
今回の人事について、塩崎官房長官に対する事前相談がなされていなかった。
こうした不手際から小池人事構想は当面凍結され、内閣改造後に改めて決定するという仕切り直しになるようだ。

以上は表向きの話であり、裏はもう少しドロドロしている。
第一は、以前から不仲とされる塩崎長官と小池大臣のサヤ当てという側面。
改造内閣では「指定席」とされていた小池防衛相に対し、党内でも交代論が強まっている塩崎官房長官、面白かろう筈がない。
小池百合子サン、恐いのは男のメンツと嫉妬だと、心得られよ。
第二は、警察庁出身者を防衛事務次官に据えるという人事に対する、防衛省内の反発がある。省益という批判もあろうが、省内の幹部の協力抜きには、大臣は務まらないのも事実。

次官の人事でつまずき、大臣を更迭された田中真紀子元外相の前例もある。
アメリカで持ち上げられてはしゃぐのも良いが、小池防衛大臣殿、先ず自らの身を防衛するのが先決かも。

塩崎立てれば小池が立たず
小池立てれば塩崎立たず
両方立てれば我が身がもたず
進退ここに窮まれり
(安倍首相の心境を詠める)

2007/08/13

「終戦の日」は8月15日だろうか?(上)

8月15日は「終戦の日(終戦記念日)」とされていますが、戦争が完全に終結した日かというと、そうでもありません。話はもう少し複雑になります。
1945年2月に英米ソ3国首脳によるヤルタ会談が行われ、2月11日にその合意文書(密約)に署名がなされました。
我が国に関係する部分としては、日ソ中立条約を破棄しソ連が対日参戦するという米国の要求にソ連が同意し、その見返りにソ連が要求した南樺太と千島の引渡しを米国が同意する、というのがその骨子でした。
日本の終戦から戦後処理に至る枠組みが、ここで決まってしまったと言えます。

ではなぜアメリカが、ソ連の対日参戦を強く望んだかということですが、当時中国大陸に駐留していた関東軍が、世界でも有数の精鋭部隊として認識されていたからです。
アメリカとしては日本本土への攻撃で手一杯なので、関東軍はソ連に任せようというのが、当時の米国の戦略でした。だから領土問題は、ソ連の要求通りになってしまったのです。
一方スターリンは、これで日露戦争の屈辱を晴らすことが出来ると考え、この点で米ソの利害がピタリと一致します。

6月に入ると、ドイツの降伏を受けて、日本政府は密かに終戦に向けての工作を始めます。
処が、事もあろうに講和の仲介を、ソ連のスターリンに頼むことを決めてしまいます。
スターリンに仲介を依頼するとは、正気の沙汰ではありません。
既に対日参戦を決めているソ連にとっては、正に飛んで火にいるナントヤラでした。
当時の戦争指導者たちがいかに愚かであったか、典型的な例といえます。

終戦工作が進められていたその時期、沖縄戦は最終段階を迎えていました。
3月末から始まった沖縄の地上戦は死者およそ19万人という犠牲を出して、6月23日日本軍の組織的戦闘は終わります。
沖縄で戦っていた人々は、まさか政府首脳部が終戦工作を開始していたとは、想像もできなかったでしょう。

英米ソの3国首脳が再び集まったのは、7月に開かれたポツダム会議です。
会議の最中、スターリンは米国トルーマン大統領と面談し、講和の仲介についての昭和天皇からの親書を見せます。
どう扱うかを尋ねたスターリンに、トルーマンは親書を黙殺することを提案します。
アメリカとしては日本政府が講和に動き出したことと、無条件降伏の意志が無いことを知っただけで、十分でした。
7月25日トルーマン大統領は、8月3日以降に日本に原爆を投下することを命令します。

翌日の7月26日に米英と中国(重慶政府)3首脳の名で、日本軍の無条件降伏を求める、いわゆるポツダム宣言が発表されます。そこにソ連の名前はありません。
会議には参加していたソ連が、宣言から外されたのは、ルーズベルトの急死で後継者となったトルーマン米国大統領が、ソ連に対して強い警戒感を持ったためです。
この時点から、東西冷戦は始まっていたのです。
しかしポツダム宣言にソ連が加わらなかった事が、日本の戦後処理を複雑にしてゆきます。
(この項続く)

写真はヤルタ会談の3首脳、左から英国チャーチル、米国ルーズベルト、ソ連スターリン。
Yaruta


2007/08/12

小池百合子「回転寿司」大臣が狙う総理の椅子

Koike_yuriko2訪米中の小池百合子防衛相が、8月9日現地で講演を行い、「私を日本の“ライス”(米国国務長官)と呼ぶ人がいる。私をマダム寿司と呼んで。」と、ショーもない親父ギャグをかまして、出席者の失笑を買っていましたね。
何もアメリカに、わざわざ恥をかきに行かなくても、ねえ。
第一、小池百合子サンのことを、誰も「日本のライス」だなんて言っていませんけど。
究極の「勘違い女」ですな。

まあ、「政界渡り鳥」の異名をとる小池百合子サンのことですから、寿司は寿司でもクルクル回る「回転寿司」といった所でしょうか。
今回の訪米、自民党内からも「なぜこの時期に」という疑問の声が上がっていますが、理由ははっきりしています。
米国首脳に対し、次期首相としての売り込みに行った、これしかありません。

クールビズ以外は政治家としてこれといった実績もなく、時の権力者へすり寄る政界遊泳術とパッと見だけで、ここまでノシテきた小池百合子サンですが、総理の座を本気で狙い始めたのでしょう。
渡り鳥が、いよいよ最後の止まり木を見つけたんですね。

時々の日本の最高権力者を次々とコロガシてきた小池百合子サン。
さて、次は誰をコロガスつもりかな。

2007/08/11

夏休みこども寄席@横浜にぎわい座

Kikunojo_28月11日の横浜にぎわい座有名会は、「夏休みこども寄席」。小3の孫を引き連れて出向いたが、驚いたのは満席だったこと。しかも開場(開演じゃないですよ)10分前に着いたら、既に1階は8分の入り。一体いつ開場したんだろう? やむなく2階席へ。

でも良いことですよ、子ども寄席が満席になるってこたぁ。最近普段の寄席に、子どもの姿が増えてきたのも、嬉しいね。
第一、寄席が好きな子どもは、非行に走らない。
周囲にいた落語好き少年で、不良になったヤツは一人もいなかった。
もっとも、出世したヤツもいなかったけど。
そんなワケで、全国の親御さん、子どもをどんどん寄席に連れて行ってください。
落語協会会長に成り代わってのお願いです。

開口一番は、古今亭菊六「転失気」
昔、コロムビアトップ・ライトの漫才ネタでこんなのがあった。
「学校はどちらで?」「学習院。」「学部は?」「土木科。」でウソがばれる。
学習院を出て、何も落語家になるこたぁないだろうと思うけど、大きなお世話か。
前座噺の典型だが、二ツ目クラスがやると、やはり面白い。
語り口が明快なのが良い。

宮田昇・陽「漫才」
この二人、着実に進歩している。
子ども向けネタでも充分笑わせてくれた。

柳家蝠丸「幽霊タクシー」
芸術協会の中堅どころだが、この人いつもイマイチと感じるのは、落語家として品が良過ぎるせいだろうか。

仲入り後、三遊亭遊雀「初天神」
この日の演出は子ども向けだろうか、金坊の駄々のこね方が尋常じゃぁない。親父のセリフ「この野郎、周りをみんな味方につけやがって。」が可笑しかった。
親父が餅のミツをなめる場面で、場内の子どもたちは大爆笑。

マギー隆司「奇術」
文字通り、子ども騙しの手品を披露。客席は結構喜んでいた。

トリは、古今亭菊之丞「元犬」
この人の色気は落語会トップクラス。よほど女性修行を積んできたのだろう。
マクラで落語の基本を解説していたが、寄席が初めての子もいるので、これは良かった。
菊之丞には珍しい、女性が出て来ないネタ。
あっさりとした「元犬」、結構でしたよ。

子ども寄席ということで、いつもより時間が短かったが、大人もそこそこ楽しめた。

柳家喬太郎「牡丹燈籠」後編@横浜にぎわい座

Kyoutarou8月10日は前月に引き続き柳家喬太郎の「牡丹燈籠(ぼたんどうろう)」後編である。
「牡丹燈籠」の通しでの口演、戦後ほとんど例がないとされているのは、恐らく次の理由からだろう。
①全編を通しで行うとすると、およそ5時間近くかかるので、興行にのりにくい。
②実力が無ければ高座にのせられないが、年配になってからだと体力が続かない。
③物語として、それほど面白い話ではない。

つまり演者側からすれば、極めて演りにくいネタということになる。
しかし三遊亭圓朝の代表作とあれば、落語界としてはこれを継承しなくてはならないだろう。
公演の内容うんぬん以前に、先ずこの通し口演に果敢に挑戦した柳家喬太郎の姿勢に拍手を送りたい。

先ほど、この話はそれほど面白くないと言ったが、度々映画や芝居になっているではないかとの反論があるだろう。
「牡丹燈籠」という物語は、二つのテーマが裏と表の関係になって、全体のストーリーが展開する仕組みになっている。
一つは、黒川孝助をめぐる敵討ち。こちらがメイン。
もう一つは、伴蔵が行う数々の悪事。
落語、芝居、映画やドラマでとりあげるのは専ら後者の怪談話で、特に「お札はがし」と「栗橋宿」に集中している。
前者の物語は忠義・孝行がテーマとなっているため、特に最近の人にとっては面白いものではない。

さて喬太郎の高座であるが・・・。
開演前に一つ気になったのは、演者の風邪。特に喬太郎の場合、喉をやられて咳き込むという症状が顕著になる。
このネタ、途中で咳が出ると(幽霊が咳をしたら変だろう)ぶち壊しになることもあり、聴き手のこちらがハラハラしていた。
約2時間の高座で咳は2回、それもそれほど支障のない場面だった。
妙な誉め方だが、この辺りの集中力はさすがだと思った。

仕上がりは、前編より後編の方が全体に良いと感じた。
特に仲入り前の「栗橋宿」は、緊張感でゾクゾクする位良い出来だった。
嫉妬に狂う女房おみね、居直り、なだめすかした挙句おみねを斬殺する伴蔵、両者の対比が見事だった。

仲入り後、さすがに演者に疲れが出たのと、ストーリーが複雑になっていたことから、多少ダレ気味の部分もあったが、要所要所で話を締めて、最後かで観客を引き込んだ。
特に喬太郎の、伴蔵の徹底したワルぶりが良かった。伴蔵の冷酷、残忍な性格描写は実にリアル。
喬太郎自身に、多少そのケがあるのだろうかと思わせるものがあった。

細部には注文もある。
恐らく喬太郎自身も満足はしていないだろう。
もし再度チャレンジする時は、もっと完成度は上がっていると思う。
しかしこのネタ、生涯に何回も演じられる性質のモノではない。
夏休み直前のウイークデイという日程もあっただろうが、空席があったのは残念だ。
もしかしたら、将来の語り草になる高座だったかも知れないからだ。

他に、柳家さん弥「もぐら泥」。
泥棒が真面目過ぎる。とぼけた味が出ないと、このネタは生きない。

「牡丹燈籠」の通しだが、以前春風亭小朝が挑戦したいと語ったことがある。
それから10年近く経ってしまったが、是非実現して欲しいところだ。

2007/08/08

田原総一朗様、いつ後を追うんですか?

Tahara_soichiro田原総一朗様、あなたは2001年に「私たちの愛」という本を出版なさいましたね。
当時乳ガンと闘っておられた奥様節子さんとの40年間の愛の記録、素晴らしいご本でした。
なかでも感動したのは、この本の副題ともいうべきあなたのお言葉、
「ぼくは君が死んだら、すぐに後を追うよ」です。
TVで拝見する外見からは想像もつかない、純粋なあなたの姿を、そこに見ることができました。

本が出版されて3年後に、ご不幸なことに奥様はお亡くなりになりました。
私たちは、田原総一朗様の「ぼくは君が死んだら、すぐに後を追うよ」という決意を信じて、毎日新聞の記事に眼を通して参りましたが、未だにその兆候が見られません。
これは一体どういうことなんでしょうか。
まさか、病床にあった奥様に対する、その場しのぎのセリフだったんじゃないでしょうね。
それじゃあまるで、落語の「三年目」です。
あなたに限ってそんな事は絶対に無いと、私たちは固く信じています。

「すぐに・・・」という時期はいささか失した感がありますが、田原総一郎様のお人柄からして、奥様とのお約束を必ずや実行して下さるものと、国民一同固唾をのんで見守っております。

2007/08/07

「イスラム過激派」という名のゴロツキ集団

Tariban先日、当ブログへの書き込みに、次のような文章が紹介されました。
「俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者ができたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては発狂する者ができたりして、四代法華、五代法華と誇っている家ほど悲惨な生活をしているのである。」(池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」)
ナルホド、我が家は先祖代々の日蓮宗ですから、私がいくら努力しても報われないのは、そのセイか。
でも未だ発狂はしていないぜ。

他の宗派の方がこれを読んだら、創価学会っていうのは、何てひどいことを言うのだろうと思われるかも知れませんが、宗教的には間違ってはいないでしょう。社会通念上からいえば、クレージーですけど。
こうした考えをトコトン突き詰めていったのが、オウム真理教です。
普通の人から見れば、人を殺しておいて何が救済かと思われるでしょう。彼らからすれば、不幸になることが分かっているなら、命を絶つことが人助けという理屈になります。

宗教に名による殺人は、なにもオウムの専売特許ではありません。
中世ヨーロッパの宗教戦争、中でもキリスト教のカソリックとプロテスタントの争いは、正に血で血を洗うような凄惨なものでした。
例えばフランスでは、16世紀末のナントの勅令によりようやく宗教戦争は終結するのですが、パリの市民が半分になったと言われる大きな犠牲を払った末のことです。

最近でいえば、イラク開戦前のブッシュ大統領による十字軍発言、何だか中世の時代に逆戻りしたような気分ですね。

我が国だって例外ではありません。
明治政府によって行われて神道の国教化により、廃仏毀釈と呼ばれる仏教弾圧が全国で引き起されました。
この時に抵抗する僧侶が井戸に投げ込まれたり、多くの重要文化財が破壊されたりしました。

こうして見ると、宗教により救われた人と、不幸になった人、一体どっちが多いんでしょうね。
差し引きゼロ以下なら、宗教なんか要らないということになりますが。

ここから本日のネタに入ります。「宗論」です。
マクラがちょっと長過ぎましたかね。これじゃまるで柳家小三治だ。

アフガニスタンで韓国のキリスト教関係者23名がタリバンに拉致されて人質となり、既に二人の犠牲者が出る悲劇を生んでいます。交渉は膠着状態にあり、残る人たちの安否が気がかりです。
この事件に関するネットの論調ですが、今時アフガニスタンに行くほうが悪いとか、布教活動をする方が間違っているとか、自己責任論が根強いようです。
しかしこうした主張は、タリバンの蛮行を免罪していることになります。
痴漢にあった女性に、「そんな短いスカートを穿いているからだ」と説教するようなもんですね。

タリバンはこの事件以外にも、ドイツ人やフランス人などの外国人を人質にとったり、射殺したりしています。日本人の中学教諭二人も殺害されています。
イラクにおいても同様の事件は日常茶飯事ですが、アフガニスタン同様に、標的とされるのは民間人、それもジャーナリストだったり、ボランティアであったり、どちらかと云えば、現地を支援する側の人々が多数犠牲になっています。
それもいきなり拉致し人質にして、仲間の釈放や金品を要求し、受け容れなければ殺害する、これでは強盗と同じです。
そこには何の正義もありません。

9・11事件を思い起こして下さい。
あの事件を起こして、イスラム教国にとって何か良い事があったでしょうか。何一つ無かった。
ブッシュを勇気づけ、アフガニスタンやイラクへの侵入の口実を与えただけです。
だから未だに、米国の陰謀説がくすぶっているのです。
もしウサマ・ビン・ラディンの犯行だったとするならば、彼こそ天下の大馬鹿者です。そうでなければ、ブッシュの手先か、そのどちらかです。

私はアメリカのアフガン戦争、イラク戦争は侵略戦争であり、間違っていると思います。
従って、自国を侵略された国民が、抵抗運動を起こすのは当然の権利です。
しかし現在のイスラム過激派の手口は、抵抗運動にも値しない、テロリストと呼ぶのさえ恥ずかしい、単なる強盗集団、ゴロツキ集団でしかありません。

もしビン・ラディンやイスラム過激派の連中が、こうした蛮行を神の名の下に行っているとしたら、一体イスラム教とはナンなのでしょうか。
宗教といえども社会的存在です。
法律や社会的規範を無視するような教義は、許される筈がない。

こんなこと言ってると、今度はイスラム教からバチがあたるかな。

2007/08/06

原爆の日にあたり「久間発言」を振り返る

Hirosima05_2久間前防衛大臣が「原爆投下しょうがない」発言の責任をとり、7月3日辞任しました。世間ではなぜあのタイミングでという疑問の声がありますが、私は単に普段から思っていることをそのまま口に出したのだと思います。
昨5日に安倍首相が広島で、原爆症基準の見直しに言及しましたが、これも久間発言に対するエクスキューズなのでしょう。

さてその久間発言ですが、問題箇所の全文は次の通りです。
「日本が戦後、ドイツのように分割されずに済んだのはソ連が侵略しなかったからだ。当時、ソ連は参戦準備をしていた。米国はソ連に参戦してほしくなかった。米国が勝つのは分かっているのに日本がしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性があるので、あえて原爆を落とし、終戦になった。長崎への原爆投下によって日本も降参し、幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまっていた。長崎への原爆投下によって悲惨な目に遭ったが、日本も降参した。あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている」

久間発言の裏には、こうした考えを持つ保守政治家は自民・民主を問わず、むしろ多数派なのではないかと窺わせるものがあります。
ただ口に出すと差し障りがあるから、公の場では言わないだけなのでしょう。
当時、同僚議員からの批判も、専ら被爆者の感情を逆撫でした暴言に焦点が当てられ、発言の根底にある認識そのものを批判する声は少なかったように思います。
広島・長崎への原爆投下に、日本政府は過去一度も米国に抗議していないのはもちろん、物言いしたことすらないのは、その何よりの証拠です。

久間発言の根底にある歴史認識(久間歴史観とする)を検証するために、1945年の終戦に至る動きを見てみましょう。 

2月    ヤルタ会談。英米ソがヤルタ秘密協定。ドイツ降伏3カ月後にソ連が日ソ中立条約を破棄して参戦する代わり、南樺太、千島列島をソ連に引き渡すと密約

5月9日  ドイツ無条件降伏

6月    日本、スターリンに講和の意思を伝え米英への仲介を依頼

7月25日 米国トルーマン大統領が日本への原爆投下を指令

7月26日  ポツダム宣言発表、日本へ無条件降伏を要求

7月28日 日本ポツダム宣言を黙殺、戦争に邁進と言明

8月6日  米国広島に原爆投下

8月8日  ソ連、日ソ中立条約を破棄

8月9日  米国長崎に原爆投下
      ソ連軍、満州・南樺太に侵攻

8月14日  日本、ポツダム宣言受諾

8月15日  日本、終戦の詔書

8月16日  スターリン、米国に北海道北部をソ連軍への降伏地域に含めるよう要求

8月18日  米国、スターリンに拒否回答

8月27日  スターリン、北海道上陸占領作戦を断念

8月28日-9月2日  ソ連軍、北方4島占領

9月2日   日本、ミズーリ鑑上で降伏文書に調印

先ず久間歴史観が言っている、原爆の投下と日本の降伏との因果関係ですが、トルーマン大統領はポツダム宣言の前日に原爆投下を指示しています。日にちも8月3日以降と指定していますから、米国は予定通りに原爆を落としたに過ぎません。

米国がソ連に参戦してほしくなかったというのも、事実とは異なります。
ソ連の対日参戦は米国が強く望んだもので、そのためにルーズベルト大統領は病身(車椅子だった)をおして、わざわざ当時ソ連領だったヤルタまで出向いています。ルーズベルトは会談2ヵ月後には死去しているので、彼の決心は相当なものだったと推測できます。
日ソ不可侵条約を破棄しソ連が参戦すること、その後の領土の枠組みもこの会談で決まっています。
ソ連は会談での約束通り、ドイツ降伏3ヵ月後に満州に侵攻しました。
ソ連の参戦は、米ソの利害が一致していたからです。

原爆投下が、ソ連の北海道占領を阻止したというのも、事実と違います。
スターリンが北海道北部を支配したいと言い出したのは、原爆投下の後です。
ソ連の首脳内部では、フルシチョフが北海道侵攻を主張したのに対し、ジューコフ元帥、モロトフ外相、ヴォズネセンスキー国家計画委員会議長らが強力に反対し、最終的に侵攻を断念しました。その代りに北方4島を占領しています。

最近はやれ被虐だ加虐だと歴史観について喧しいですが、それ以前に先ず国会議員たるもの、現代史をしっかりと勉強しましょうよ。
失言が問題なのではない、その底にある歴史認識に問題がある、私はそう思います。

2007/08/05

桂三枝一門会@横浜にぎわい座

Sanshiナマ三枝を見たいという妻の要望で8月4日、「桂三枝一門会」(昼の部)へ。
横浜にぎわい座の第14回上方落語会として行われた。
前回はGWの真っ最中に開催されたが、その時の記事で上方落語界の中堅どころの層の厚みに感心したのだが、今回はがっかりした。
三枝の弟子が4人出演したが、前座の三幸、三四郎は仕方がないとしても、枝三郎、三扇の二人が実につまらない。
枝三郎が冒頭に「今日は一門会になっているが、実際は三枝の独演会」と言っていたが、面白くないのは本人たちも自覚していると云う意味だろうか。
下手じゃないけどツマラナイ噺家は、聴いていて辛い。

桂三枝は、仲入りを挟んで2席。
「ぼやき酒屋」
三枝を久々に見たが、老けたなというのが第一印象。60代半ばの筈だが、パッと見70才近くに見える。
熱でもあるのか、顔が随分と赤く見えた。
三枝は古典を一切やらず、新作(本人は創作落語という)それも自作に限っている。
これが例外なく面白い。それに以前に作ったものでも、古臭さを感じさせない。
三枝は台本家としても、非常に優れている。他の噺家が競って、三枝の作品を高座にかける理由が分かる。
このネタも、庶民の日常を描いたもので、中年男が一杯飲み屋に入って、一人で家族のことをボヤク、ただそれだけの事だが、三枝の絶妙な語り口で楽しませてくれた。
余談だが、枝豆の食い方は入船亭扇橋が絶品。指先で皮をぎゅっと潰して、豆を口の中に放り込むしぐさが見ていて心地よい。

「誕生日」
大阪の繁昌亭に掲げている額を、桂米朝に揮毫して貰った話をマクラに。
80才を超えた米朝、最近は高座に上がっていないようだが、この人の高座は面白かった。何より芸に色気と風格がある。もしチャンスがあったら必見です。
家族が集まって、お爺さんの米寿の誕生祝いをする話だが、ドラマの一編を見ているような気持ちがしてくる。呆けているようでも、時々ハッキリしてくる老人の様子にリアリティがあった。
何だか小津安二郎の映画を見ているような、懐かしさを感じるストーリー、これぞ三枝ワールドという高座だった。

落語家になりながら、永らくTVの世界で活躍した三枝、そうしたキャリアを芸の肥やしにしているのはさすがである。
ただ、数年前に比べパワーが落ちている感じを受けたが、やはり年齢のせいなのだろうか。

2007/08/03

似たもの横綱「前田山と朝青龍」

Asasyouryuu日本相撲協会は8月1日、腰骨の疲労骨折などを理由に夏巡業の休場を届け出ながら、モンゴルに帰国しサッカーをしていた横綱朝青龍(高砂部屋)に対し、秋場所(9月)と九州場所(11月)の出場停止と4カ月間の30%減俸とする処分を決めました。
世間では、ヤッパリ外国人力士はマナーがという声もありますが、実は日本人横綱であり高砂部屋の大先輩にも、今回のケースとよく似た不祥事がありました。
それは戦前から戦後にかけて活躍した第39代横綱・前田山英五郎の「シールズ事件」です。

年配の方はご存知かも知れませんが、戦後間もない1949年、オドール監督率いるサンフランシスコ・シールズが来日し、日本のプロ野球全日本チームと交流戦を行いました。
シールズは3Aチームであり、我が方は当時のスタープレヤーを集めた選抜チームだったのですが、これが全く歯が立たない。確か全敗した筈です。
戦争で負けた上に、野球でも日米の力の差を見せ付けられ、屈辱的な思いをした日本人も多かったと記憶しています。

横綱前田山は大の野球好きで、本場所を休場中だったのにも拘らず、後楽園で行われた交流試合を見に行きました。
間が悪い時はしょうがないもので、横綱が見に来ているというので、オドール監督と握手したのですが、これが写真に撮られて新聞に掲載され大騒ぎとなりました。
この時は相撲協会からは特段の処分は無かったのですが、前田山自身がその責任を取り、そのまま引退しました。
これが「シールズ事件」で、引退後は高砂親方として横綱朝潮太郎を始め多くの弟子を育て、特に外国人力士第一号となる高見山をスカウトした事でも知られています。

前田山と朝青龍、およそ60年の時を隔てていますが、構図はそっくりです。
本場所が巡業に、野球がサッカーに、オドール監督が中田英寿に、後楽園がモンゴルに変わっただけです。
共に高砂部屋の横綱というのも共通してますね。あまり人気がないところも一緒です。
前田山が三代目朝潮を育て、四代目朝潮の弟子が朝青龍というのも、妙な因縁を感じます。

前田山はそのまま引退しましたが、朝青龍はどうするんでしょう。
力士も人気稼業ですから、復帰は難しいと思いますが。

2007/08/01

赤城農水大臣辞任

Akagi_norihikoついに「赤城のクビも今宵限り。」となりました。赤城大臣辞任です。
参院選での自民党惨敗の責任を取るのだそうです。
大臣に就任して丁度2ヶ月。
一体あの赤城徳彦という人、何のために大臣になんかなったんでしょうね。
批判の集中砲火を浴び、挙句が事実上の更迭です。
サンドバッグのごとく、打たれ続けた2ヶ月でした。
マゾ趣味でもあるのかしら。

それにしても、周囲がみな責任を取って辞めて行くのに、
肝心のアノ人だけは辞めないんですね。
何だかナア。

参院選、もう一つの歴史的敗北

Shii_kazuo今回の参院選は自民党の歴史的敗北となりましたが、ここ東京の選挙区ではもう一つの歴史的敗北がありました。
それは日本共産党が過去50年間保持してきた参院東京選挙区の議席を、今回失ったということです。半世紀ぶりということになりますので、やはり歴史的敗北と言ってよいでしょう。
なぜ共産党が後退したのか、いくつかの原因を探ってみたいと思います。

今回の東京で共産党候補が落選した大きな要因は、候補者の問題があげられます。
党の幹部でもないし知名度もない、議員としての実績もない田村智子という候補者を立てたのが、そもそもの間違いでしょう。有権者から見ると、本気度が感じられなかったということです。
川田龍平より上にならなければ当選できないわけですから、それ相当のタマが必要でした。
例えば、都知事選で予想以上に善戦した吉田万三を立てるのも、一つの選択肢だったと思われます。

より根本的には、共産党自体の足腰が弱ってきているという問題があります。
党員の老齢化です。
現在活躍している党員の多くは、60年安保から70年前後の学生運動高揚の時期に入党した人々です。この年代の人は殆どが60歳を超えています。
一般企業でいえば、定年を過ぎた人々が主力部隊となっています。

70年代以降、若い人の入党が激減し、年齢構成がすっかり逆ピラミッドになってしまいました。
その頃から、党員の最大の供給源であった日本民主青年同盟が縮小し、それに対する有効な手段がとられぬままに、ツケが回ってきたわけです。
ソ連の崩壊という事態の影響も見逃せません。
ソ連型社会主義は失敗だったという主張はその通りでしょうが、それに対抗する新しい社会への見取り図が描けなければ、若者たちを惹き付けることが出来ない。

政党がどのような経済的基盤の上にたっているか、これが最も重要なことです。
我が国には「政党助成金」制度という、他国ではおよそ類例をみない天下の悪法があります。
国民の税金で政党が活動する、考えてみればこれほど不合理な話はありません。与党であれ野党であれ、政党の活動というのは、国家権力から本来自由であるべきものなのです。
貰えるものなら誰彼相手かまわず何でも貰う、こういうのを古来「乞食根性」という。
政府から資金を貰って平気でいるような政党を、私は信用できない。
この一点において、日本共産党は評価できると思います。

50年前といえば、共産党が事実上の分裂を解消し、ようやく統一した時期です。
そして宮本顕治が、主導権を握った時期でもあります。
その宮本顕治が死去した年に、50年前の状態に戻ってしまったというのは、一つの時代の区切りを感じます。
このまま共産党が後退し続けるのか、ここから巻き返しを図れるのか、注目したいと思います。
(文中敬称略)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »