原爆の日にあたり「久間発言」を振り返る
久間前防衛大臣が「原爆投下しょうがない」発言の責任をとり、7月3日辞任しました。世間ではなぜあのタイミングでという疑問の声がありますが、私は単に普段から思っていることをそのまま口に出したのだと思います。
昨5日に安倍首相が広島で、原爆症基準の見直しに言及しましたが、これも久間発言に対するエクスキューズなのでしょう。
さてその久間発言ですが、問題箇所の全文は次の通りです。
「日本が戦後、ドイツのように分割されずに済んだのはソ連が侵略しなかったからだ。当時、ソ連は参戦準備をしていた。米国はソ連に参戦してほしくなかった。米国が勝つのは分かっているのに日本がしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性があるので、あえて原爆を落とし、終戦になった。長崎への原爆投下によって日本も降参し、幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまっていた。長崎への原爆投下によって悲惨な目に遭ったが、日本も降参した。あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている」
久間発言の裏には、こうした考えを持つ保守政治家は自民・民主を問わず、むしろ多数派なのではないかと窺わせるものがあります。
ただ口に出すと差し障りがあるから、公の場では言わないだけなのでしょう。
当時、同僚議員からの批判も、専ら被爆者の感情を逆撫でした暴言に焦点が当てられ、発言の根底にある認識そのものを批判する声は少なかったように思います。
広島・長崎への原爆投下に、日本政府は過去一度も米国に抗議していないのはもちろん、物言いしたことすらないのは、その何よりの証拠です。
久間発言の根底にある歴史認識(久間歴史観とする)を検証するために、1945年の終戦に至る動きを見てみましょう。
2月 ヤルタ会談。英米ソがヤルタ秘密協定。ドイツ降伏3カ月後にソ連が日ソ中立条約を破棄して参戦する代わり、南樺太、千島列島をソ連に引き渡すと密約
5月9日 ドイツ無条件降伏
6月 日本、スターリンに講和の意思を伝え米英への仲介を依頼
7月25日 米国トルーマン大統領が日本への原爆投下を指令
7月26日 ポツダム宣言発表、日本へ無条件降伏を要求
7月28日 日本ポツダム宣言を黙殺、戦争に邁進と言明
8月6日 米国広島に原爆投下
8月8日 ソ連、日ソ中立条約を破棄
8月9日 米国長崎に原爆投下
ソ連軍、満州・南樺太に侵攻
8月14日 日本、ポツダム宣言受諾
8月15日 日本、終戦の詔書
8月16日 スターリン、米国に北海道北部をソ連軍への降伏地域に含めるよう要求
8月18日 米国、スターリンに拒否回答
8月27日 スターリン、北海道上陸占領作戦を断念
8月28日-9月2日 ソ連軍、北方4島占領
9月2日 日本、ミズーリ鑑上で降伏文書に調印
先ず久間歴史観が言っている、原爆の投下と日本の降伏との因果関係ですが、トルーマン大統領はポツダム宣言の前日に原爆投下を指示しています。日にちも8月3日以降と指定していますから、米国は予定通りに原爆を落としたに過ぎません。
米国がソ連に参戦してほしくなかったというのも、事実とは異なります。
ソ連の対日参戦は米国が強く望んだもので、そのためにルーズベルト大統領は病身(車椅子だった)をおして、わざわざ当時ソ連領だったヤルタまで出向いています。ルーズベルトは会談2ヵ月後には死去しているので、彼の決心は相当なものだったと推測できます。
日ソ不可侵条約を破棄しソ連が参戦すること、その後の領土の枠組みもこの会談で決まっています。
ソ連は会談での約束通り、ドイツ降伏3ヵ月後に満州に侵攻しました。
ソ連の参戦は、米ソの利害が一致していたからです。
原爆投下が、ソ連の北海道占領を阻止したというのも、事実と違います。
スターリンが北海道北部を支配したいと言い出したのは、原爆投下の後です。
ソ連の首脳内部では、フルシチョフが北海道侵攻を主張したのに対し、ジューコフ元帥、モロトフ外相、ヴォズネセンスキー国家計画委員会議長らが強力に反対し、最終的に侵攻を断念しました。その代りに北方4島を占領しています。
最近はやれ被虐だ加虐だと歴史観について喧しいですが、それ以前に先ず国会議員たるもの、現代史をしっかりと勉強しましょうよ。
失言が問題なのではない、その底にある歴史認識に問題がある、私はそう思います。
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TBいただきました。大変参考になりました。実は事実関係については参考文献の心当たりもあったのですが、面倒なので調べなおしませんでした。お恥ずかしい^^;。
終戦における事情の再確認にも大変役にたちました。ありがとうございます。
投稿: M.FUKUSHIMA | 2007/08/08 21:50
M.FUKUSHIMA様
コメント頂き恐縮です。
終戦の年の出来事を年表にして整理して見ようと思い立ち、自分自身のメモとして記事にしたものです。
歴史認識の第一歩は、事実関係の確認が先決だと考えます。
少なくとも国務大臣たるもの、日中戦争開始から太平洋戦争終結に至る経緯くらいは、正確に理解しておくべきでしょう。
投稿: home-9 | 2007/08/09 04:54