柳家喬太郎「牡丹燈籠」後編@横浜にぎわい座
8月10日は前月に引き続き柳家喬太郎の「牡丹燈籠(ぼたんどうろう)」後編である。
「牡丹燈籠」の通しでの口演、戦後ほとんど例がないとされているのは、恐らく次の理由からだろう。
①全編を通しで行うとすると、およそ5時間近くかかるので、興行にのりにくい。
②実力が無ければ高座にのせられないが、年配になってからだと体力が続かない。
③物語として、それほど面白い話ではない。
つまり演者側からすれば、極めて演りにくいネタということになる。
しかし三遊亭圓朝の代表作とあれば、落語界としてはこれを継承しなくてはならないだろう。
公演の内容うんぬん以前に、先ずこの通し口演に果敢に挑戦した柳家喬太郎の姿勢に拍手を送りたい。
先ほど、この話はそれほど面白くないと言ったが、度々映画や芝居になっているではないかとの反論があるだろう。
「牡丹燈籠」という物語は、二つのテーマが裏と表の関係になって、全体のストーリーが展開する仕組みになっている。
一つは、黒川孝助をめぐる敵討ち。こちらがメイン。
もう一つは、伴蔵が行う数々の悪事。
落語、芝居、映画やドラマでとりあげるのは専ら後者の怪談話で、特に「お札はがし」と「栗橋宿」に集中している。
前者の物語は忠義・孝行がテーマとなっているため、特に最近の人にとっては面白いものではない。
さて喬太郎の高座であるが・・・。
開演前に一つ気になったのは、演者の風邪。特に喬太郎の場合、喉をやられて咳き込むという症状が顕著になる。
このネタ、途中で咳が出ると(幽霊が咳をしたら変だろう)ぶち壊しになることもあり、聴き手のこちらがハラハラしていた。
約2時間の高座で咳は2回、それもそれほど支障のない場面だった。
妙な誉め方だが、この辺りの集中力はさすがだと思った。
仕上がりは、前編より後編の方が全体に良いと感じた。
特に仲入り前の「栗橋宿」は、緊張感でゾクゾクする位良い出来だった。
嫉妬に狂う女房おみね、居直り、なだめすかした挙句おみねを斬殺する伴蔵、両者の対比が見事だった。
仲入り後、さすがに演者に疲れが出たのと、ストーリーが複雑になっていたことから、多少ダレ気味の部分もあったが、要所要所で話を締めて、最後かで観客を引き込んだ。
特に喬太郎の、伴蔵の徹底したワルぶりが良かった。伴蔵の冷酷、残忍な性格描写は実にリアル。
喬太郎自身に、多少そのケがあるのだろうかと思わせるものがあった。
細部には注文もある。
恐らく喬太郎自身も満足はしていないだろう。
もし再度チャレンジする時は、もっと完成度は上がっていると思う。
しかしこのネタ、生涯に何回も演じられる性質のモノではない。
夏休み直前のウイークデイという日程もあっただろうが、空席があったのは残念だ。
もしかしたら、将来の語り草になる高座だったかも知れないからだ。
他に、柳家さん弥「もぐら泥」。
泥棒が真面目過ぎる。とぼけた味が出ないと、このネタは生きない。
「牡丹燈籠」の通しだが、以前春風亭小朝が挑戦したいと語ったことがある。
それから10年近く経ってしまったが、是非実現して欲しいところだ。
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