ヤクザの一分
こう言うとお叱りを受けるかも知れないが、ヤクザは世の中にとって必要な存在だと私は思っています。ヤクザが社会的責務を自覚して行動してさえしていれば、周囲のカタギの人と共存できる筈です。
以前、銀座のバーのママから、こんな話を聞きました。
彼女が若い頃勤めていたクラブでは、客のツケはホステス持ちになっていた。客の支払いが滞納するとホステスの給料から差し引かれるというシステムだった。高級店になるとツケが月100万円という客もいて、彼女の客で1000万円ツケが溜まったケースがあった。
何度も催促したが埒が明かず、結局地元のヤクザに500万円で債権譲渡した。ヤクザが取り立てに行ったら即刻1000万円支払ってくれたそうだ。
彼女は債権の半額500万円を回収でき、ヤクザは手数料として500万円懐に入れて、双方メデタシメデタシになった。
また、水商売をやっていると性質の悪い客がトラブルを起こして、他の客に迷惑を掛けることがある。そういう時にヤクザに頼むと、彼らは直ちにトラブルを解決してくれ、他の客も嫌な思いをしなくて済む。
ミカジメ料は払っているが、必要経費だと思っている。
飲み屋のツケとなると裁判で取立ては難しいし、かと言ってホステスや店側が全額かぶるのも辛い。
酔客のトラブルにしても、事件でも起きなければいちいち警察を呼ぶわけにもいかない。警官から事情を訊かれたりすれば、お客も嫌な思いをすることになります。
こんな事を引き受けてくれるのはヤクザだけだから、大いに助かるという事なのでしょう。
警察は民事不介入が原則ですから、上のケースはヤクザが民事警察(但し有料)の役割を果たしたということになります。カタギに迷惑は掛けていない。
そんなヤバイ所に近付かなければ良いという意見もあるでしょうが、品行方正ばかりとは限らないのが世の常でもあります。
ヤクザの歴史を紐解いてみると、「博徒」と「的屋」(香具師)に行き着きます。
博徒は文字通り博打打ちで、起源は平安時代に遡るのだそうです。
また、的屋(香具師)の起源は、「古事記」に出てくる火之加具土神(ほのかぐつちのかみ)という説もあるようですから、いずれにしろ古代から存在しているのは確かでしょう。
江戸時代には寺社の境内で賭博を開帳し、収入を得ていました。今でもギャンブルの世界で「テラ銭」という言葉を使いますが、元々は寺で得た金ですから「寺銭」が語源です。
彼らは又、寺社の境内で縁起物を売り手数料を得ていましたし、祭礼の時は会場整理から露天商の取りまとめまで仕切っていました。
そう考えると、江戸時代のヤクザは神社や仏教寺院の経営に貢献していたわけで、日本の伝統的宗教を陰から支えていたことになりますね。
近代において、ヤクザが社会に貢献した例の一つは、戦争直後の新宿の焼け跡闇市でしょう。
終戦から3日目の新聞に、こんな広告が出たそうです。
「転換工場並びに企業家に急告! 平和産業の転換は勿論、その出来上がり製品は当方自発の”適正価格”で大量に引き受けに応ず・・ 新宿マーケット 関東尾津組」
中心人物だった尾津喜之助は、「光は新宿から」というスローガンを掲げて、終戦の8月20日(日にちには異説あり)には、新宿駅周辺の焼け跡にマーケットが立ち並びました。
また、当時無力となっていた警察の代りに新宿の治安を引き受けました。
もちろん不法占拠ですから、東京が復興すると共に小津組も新宿を追われることになりますが、終戦直後の混乱の時期に、「市」を立ち上げ運営できたのは彼らの力に拠るものです。
その後新宿が、東京の商業と文化の中心地として発展したのは、ご承知の通りです。
しかし最近のヤクザは、何たるテイタラクであろうか。
銀行強盗だの偽札作りだの、単なる犯罪集団と化してしまいました。
11月8日に佐賀県武雄市の病院で、入院患者が何者かに射殺される事件が起きました。明らかに暴力団の抗争による人違い殺人と見られていますが、1週間経っても犯人が名乗り出てこない。人間として一片の良心が残っているのなら、直ちに出頭すべきです。
ヤクザの一分、矜持はどこに行ったのか。
こういう世の中に何の役にも立たない、反社会的な存在に成り下がったヤクザ連中には未来はありません。
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