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2008/01/31

「能」と言える日本人

Noh_butai周囲に歌舞伎や寄席に行ったことがない人がいると、「東京に住んでいながら、芝居も寄席も行かないというのはモッタイナイ。」などと偉そうな事を言っていたが、恥ずかしながら「能」というものを見たことがなかった。大概の古典芸能には一度や二度接しているが、能楽だけは縁が無かった。
そこで今回初めて能を観賞すべく、1月30日国立能楽堂に赴いた。

先ず目を奪われたのは、劇場の立派なことだ。たっぷりとした敷地に建てられていて、他の国立劇場とは、金の掛け方が違う。
会場内には中庭や展示室があり、休憩所のスペースも広い。内装も風格がある。
同じ国立といっても、能楽―歌舞伎―オペラー寄席という厳然たる序列が出来ていることを実感。

客筋も違いますね。和服の女性客が多いのが目に付く。それと外国人の姿が多い。
そのためか、場内放送が英語でも流される。前の座席に液晶モニターが備えられ字幕が表示されるが、これもボタンで日本語/英語が切り替えられる。
何だか日本を代表する古典芸能を観賞しに来たという感覚が、ジワジワと湧いてくる。
平日の昼にも拘らず、600席余りの座席はほぼ埋まっていた。固定客がいるんですね。

この能楽堂で行われる公演の殆んどが、能と狂言の二本立てになっている。
当日の演目は次の通り。

【狂言】惣八(そうはち) シテ・山本則俊(大蔵流)
金持ちの屋敷に、元料理人の出家と、元出家の料理人が召抱えられるのが発端。主人から言いつけれた仕事を、二人が入れ替わって行ってしまうというストーリー。中世の日本で出家した人がたやすく還俗していたという風潮を諷刺したもの。
やあ、狂言はいつ見ても面白い。諷刺の精神こそ、笑いの基本であることが再認識させられる。

【能】難波(なにわ) シテ・田崎隆三(宝生流)
「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民の竃(かまど)はにぎわいにけり」という歌で有名な仁徳天皇の善政を偲ぶストーリー。
「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」と歌ったとされる、仁徳天皇即位の功労者・王仁の霊が主人公(シテ)の物語である。
開幕といっても幕は無いが、先ず楽器の演奏が始まる。
能楽の楽器は、笛、小鼓、大鼓、太鼓の4種類だが、この音が実に良い。聴いているだけで気持ちが和んでくる。
演者はすり足で静かに登場するが、まるでスローモーションを見ているような感じだ。演者の抑制された動きと、楽器演奏と地謡の声とが独特のハーモニーを構成していく。
音だけ耳から入ってくるが、時折演技は飛んでいる所を見ると、眠っていたのかも知れない。夢と現の間を行ったり来たりの時間は心地良い。
でも、途中休憩無しの約2時間は、正直言ってかなり退屈。来月もまた是非来ようと言う気分にはなれなかった。
近くにいた年配のご婦人同士が、「とても素敵でしたね」と会話を交わしていたが、そうした心境に達するまでには相当の距離がある。

それでも、今日から私も「能」と言える日本人。

2008/01/30

「再生紙」が環境を破壊する

Koshi最近多くの製紙会社が古紙の配合率を表示より低くしていたという「再生紙偽装」問題、一体何が悪いのか私にはサッパリ分らない。
例をあげるとすれば、国産牛肉を米国産牛肉と表示したようなもので、これは「偽装」とは言えないだろう。
第一この「偽装」には被害者がいない。偽装によって誰かが被害を受けてわけではない。
食品や建築の偽装とは、根本的に違う。

コスト面から見れば、バージンパルプの価格は古紙の数倍以上するので、本来は古紙を混ぜれば混ぜるほどコストが下がる筈だが、実際はそうではない。むしろ安い古紙を使うと、却ってコストが上がるというケースもある。
こいした現状を無視した再生紙の押し付けは、むしろ環境破壊を促進している。

我が家では再生紙トイレットペーパを一切使わないことにしている。
その理由は、以前に仕事の関係で再生紙の工場を見学して、果たして環境保護に役立っているのか疑問を感じ、さらに再生紙の危険性を感じたからだ。
再生紙は、新聞紙や雑誌、広告などに一度使われた後で回収された古紙が原料とする。
最初に水をいれた巨大なミキサーで撹拌し、どろどろのスラリーを作る。その後、ホチキスやフィルムなどの異物を除去する。取り除かれた異物は、多量に水を含んだ廃棄物となる。

次に脱墨と呼ばれる、古紙に付着する印刷インクを除去する工程に入る。新聞紙で鼻をかんだ経験がある方ならご存知だろうが、鼻が真っ黒になる。インクを除かなければ、紙にはならない。
私が見た工場では、発泡剤を加えて泡立たせてインクの微粒子を表面に浮かせて除去する方法をとっていたが。紙の白度を上げるのは、この工程を繰り返すのだ。
もちろん、除去されたインク類は廃棄処理が必要となる。
古紙のスラリーには発砲剤が多量に含まれており、このままでは製紙工程に移れないので、消泡剤を添加して泡を完全に消す操作がいる。

製紙工程に入ると、古紙の大きな欠点として湿気を含むと極端に強度が落ちることだ。
製紙というのは紙が自身を引っぱりながら抄きあげて行くので、ある程度湿潤強度が求められる。そこで強度を上げるために添加剤が使われるのだが、これがかなり多量であったと記憶している。
この後、紙に必要なインクが滲まないようにするための添加剤、印刷した時裏写りが起きないような添加剤を加えて最終的に再生紙が得られる。

つまり再生紙というのは、実は「薬品漬け」の製品なのだ。
我が家のトイレットペーパーに再生紙を使わなくなった理由が、ここにある。
紙は通常、パルプ1に対して水を数百倍使う、製紙メーカーが自らの企業を水商売と呼ぶのも、このためだ。
工程が増えれば、それだけ使う水の量も増える。使用した水は必ず排水処理が必要だ。
こうした様々な理由で、古紙を使うと却ってコストが上がるという現象が起きるのである。
環境保護に貢献しているかどうかは、水や数々の添加剤、燃料使用量など総合的に判断する必要があり、単に古紙の割合さえ増やせば環境にやさしいなどと言うのは、妄信に過ぎない。

「偽装」の責任は製紙会社にあるのではなく、実態を無視した数字を押し付けた環境行政にあるのではなかろうか。

2008/01/29

お知らせ

現在「HOME-9(ほめく)別館」にて、イエメン旅行記を掲載中です。
かつてのアラビアの文化や習慣を、今も色濃く残しているイエメンの魅力を、文章と写真で紹介します。
興味にある方は、ご覧下さい。

2008/01/27

第334回花形演芸会@国立演芸場

Ippei1月27日は国立演芸場の「花形演芸会」へ。今年最初の花形とあって満員御礼の札が出る。
自宅から電車の乗換えが多いので、いつも最低区間を買っておいて精算するのだが、降車駅に駅員の姿が見えず、やむなくそのまま通過。次に券売機に200円入れて160円のボタンを押すと、どういうわけか540円のお釣りがきた。多分、日頃良い事をしているご褒美だと解釈して有り難く頂いた。
神様は、決して正直者を見捨てていない。

・前座は春風亭正太郎「初天神」
初見だが語り口がしっかりしているし、独自のギャグも入れて前座としては良く仕上がっていた。二ツ目が近いのだろうか。
・三笑亭朝夢「湯屋番」
とにかく下手、それだけ。
・春風亭栄助「マザコン調べ」
本日のお目当てだった栄助、「大工調べ」を現代風にアレンジした新作で、場内を沸かせた。大工の代りにマザコンとは意表をつかれたが、古典を踏まえたネタになっていて、とても楽しめた。
語り口が明快だし、芸風が明るく華がある。未だ二ツ目だが、将来が楽しみな芸人だ。
・ロケット団「漫才」
見る度に着実に進歩している。息がピッタリと合っているので、見ていて心地よい。
・橘家円太郎「棒鱈」
今日の顔ぶれの中に入ると、芸の年輪がさすがというしかない。
最近聴いた「棒鱈」の中では、出色の出来。一つ一つの語りや動作が非常に丁寧で、若手噺家の手本になるような高座だった。
―仲入り―
・カンカラ「時代劇コント」
いつの間にか女性が抜けて三人になっていた。ネタの出し方や芸風が「チャンバラトリオ」に似てきたが、彼らのキャラからいってこの路線が正解だと思う。
・鏡味仙志郎「太神楽」
太神楽の世界も若手で優秀な芸人が出てきていて、頭を抜けるのは大変だろう。芸は着実だが、もっと垢抜けして欲しいところ。
・トリは林家いっ平「悋気の独楽」
兄正蔵が襲名を迎えた頃から精進し始め、芸がしっかりとしてきたので、三平襲名が決まったいっ平がどう変わってゆくのか注目される。以前の浮ついた雰囲気が減り、落ち着きが出てきた印象だが、マクラはともかく、ネタに入ると未だ未だの感がある。
早く一人前の噺家になれるよう、いっそうの修行を期待したい。

栄助と円太郎の高座が良かったので、まあまあの満足度。

2008/01/26

【ツアーな人々】ここにもアメリカの横暴

Entry先日ある旅行社の女性添乗員から聞いた話です。
彼女は主に中東方面を担当していますが、たまたま南米のツアーに添乗することになり、途中アメリカ国内の都市で乗り継ぎになりました。
アメリカ国内で航空機を乗り継ぐ場合、一度アメリカへの入国手続きをしなくてはなりません。入国といってもトランジット専用ですから、手続きが終わればそのまま空港内の待合室を通って、次の飛行機に搭乗するだけです。
この添乗員がパスポートを提示すると、直ちに別室に移され、係官から「入国は認められないから、日本へ帰れ。」と命じられました。理由は中東諸国への渡航が多いというだけのことです。
彼女は中東への渡航は添乗員としての仕事のためであり、私的な旅行ではないことを説明しましたが、取り合ってくれない。
ツアーのお客は既に全員手続きを終えて乗り継ぎの航空機に搭乗していて、ここで添乗員が日本へ引き返すわけにはいきません。必死に係官を説得したところ、「今回だけは許すが、次回からは絶対に入国させないからな。」と脅され、ようやく乗り継ぎができたということです。
この添乗員は今後、米国行きあるいは米国で乗り継ぐツアーには一切添乗できなくなったので、とても困っていました。

これとは別に、JTBの女性添乗員から聞いたところによりますと、彼女が担当したツアーで過去に2名の客が米国への入国を拒否され、日本へ帰されてそうです。
一人はやはり中東への渡航が多いという理由で、もう一人は全く心当たりがなく、強いていえば若いときに反米デモ(日本国内)で一度逮捕されていることしか思いつかないと言っていたそうです。これが事実なら、日本政府が国内の逮捕歴データを、米国に渡しているという事になります。

一体なぜこのような横暴が許されるのでしょうか。
友好国である日本人旅行者や添乗員が、米国を訪問したり、乗り継ぎだけでアメリカを通過するのに、中東への渡航が多いという理由だけで入国拒否されるのは、極めて不当です。
アメリカ人が日本へ入国する際に、特定の国の渡航歴だけで入国を拒否されることは有り得ないでしょう。
パスポートの第一頁には、次のことが書かれています。
「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」
アメリカの入国審査係官は、こうした日本政府の要請を拒絶したことになります。

百歩譲って、アメリカ政府が中東への渡航歴のある人間は入国させないという方針であるならば、そのことを関係国に通知すべきです。
そうすれば少なくとも、入国審査で追い返されるというような事態は避けられます。

日本の旅行者の多くは、相手国を分け隔てすることなく、友好的な立場で海外に出かけています。訪問したからといって、相手国の政府の方針を支持するわけではありません。
私は現在の米国政府の方針には批判的ですが、アメリカは好きな国です。
我が国の外務省も、日本人がアメリカ入国に際し不当な扱いを受けぬよう、米国政府に申し入れる必要があるでしょう。

2008/01/24

経済は「川上」支配の時代へ

Tosho昨年末に今年の経済を予測する記事“「良いお年を」と言いたいとこですが・・・”を掲載しましたが、年明けの世界同時株安などの状況を見ると、不幸にも予想が的中しそうな気配になってきました。
その昔「アメリカがクシャミすると日本が風邪を引く」と言われたものですが、この経済構造は全く変わっておらず、サブプライムローンに端を発した米国の景気後退が、今後ボディーブローのように我が国の経済に打撃を与えるでしょう。
何より私たちの生活にとって、景気後退と物価上昇が同時に進行する「スタグフレーション」が大いに気になるところです。

物価の値上がりの要因ですが、次の点が上げられます。
①化石燃料に代表される資源の枯渇を背景に、今後も原材料の価格が上昇する。
②メーカーのコストダウンもそろそろ限界に近付いていて、原材料高を製品価格に転嫁せざるを得ない。
③中国の「元」の実勢レートがあまりに低すぎることが問題化しており、「元」の為替レート切り上げ→輸出価格の上昇を招くことになる。

原油価格の高騰を背景に、昨年秋から国内各メーカーがいっせいに販売価格の引き上げを発表しましたが、年末年始を挟んで値上げが浸透してきたようです。
周囲のスーパーでも、年明けにカップ麺が実勢価格で1個20-30円値上げしました。これからも食料品を中心として物価値上げが続くでしょう。
価格破壊を担ってきた中国からの輸入品ですが、北京オリンピック終了後に中国「元」の切り上げが日程に上るようになれば、日本への輸出価格も上げざるを得ない。
今後、価格上昇圧力は上がる事はあっても、下がる要因は一つも無い(極端な円高が起きない限り)でしょうから、庶民の生活は苦しくなる一方です。

かつては、物の価格は「川下」が握っていました。消費者に近い企業が価格を決め、原材料納入業者に対して一方的に納入価格を押し付けてきました。
国際的に見ても、永らく少数の先進国が潤い、開発途上国が多数を占める資源国が貧しい状態に置かれてきました。
この構図に変化が起きつつあり、これからは資源を持つ国の発言力が強まって経済的にも豊かとなり、その分先進国のウマミが失なわれてくる、そういう時代に移行しそうな予感がします。
我が国の外交方針も、資源の安定的確保に大きく舵を切る必要があると思われます。

2008/01/11

セコイ!「古紙持ち去り裁判」

Koshi_kaishu近所のごみ集積所で空き缶を回収していた男性と、町内会の役員らしき人が怒鳴りあいのケンカをしていた。区が資源ごみとして回収しているから、持ち去ってはいけないと文句を言ったのだ。
イイじゃないのか、それ位。
空き缶を回収している人はそれが生活の糧となっているのだし、最終的には資源として再利用されるのだから、これしきのことでそんなに目くじらを立てることも無いだろうに。
ナンだかセコイとなあと思っていたら、もっとセコイ話があった。

東京都世田谷区で、ごみ集積所から無断で古紙を持ち去ったとして、区の清掃・リサイクル条例違反罪に問われて、現在裁判が行われている。
12人が同条例違反で起訴され、1審の東京簡裁判決は5人を有罪としたが、7人については「条例はごみ持ち去りを禁じる『所定の場所』が明確でなく、刑罰を科すのは違憲」などとして無罪とした。
東京高裁は1月10日、1審で無罪だった古紙回収業者の男の控訴審判決で、無罪判決を破棄し求刑通り罰金20万円を言い渡した。
判決理由で須田裁判長は、「勝手な古紙持ち去りを放置すれば、高価に売却できる資源が虫食い的に持ち去られ、区の資源回収コストを引き上げる結果となる」としている。

そりゃまあ、法を厳密に解釈すれば違法なんでしょうよ。
だけど、ゴミとして出してある古紙を持って行かれてたとして、どれ程の損害があるというのだろう。古紙回収を生業としていた人にとっては、それこそ民業への圧迫ではないのだろうか。
私が住んでいる集合住宅では、以前から住民がゴミ集積所に古紙を出しておくと業者が回収して、買い取り金額に相当するお金を管理組合のポストに投入していてくれた。それを年間貯めて、僅かだが共益費への補助としていた。
それが、区が回収するようになってからは、管理組合に一銭も入ってこなくなった。これだって見方によれば、私たちの資産の横盗りではないだろうか。

まあ盗ったの盗られたのと、お互いにそんな細かいことは言いっこ無しにしようよ。要は資源が回収され、再利用されればそれで良いのだから。
私たちも区を訴えたりしないから、自治体もそんな古紙くらいのことで、裁判なんかやるのはミットモナイカラ オヨシナサイ。
古紙だけに、水に流そう。

悪質な「モンスターペアレント」には法的措置を

Mounster_parent2002年に焼身自殺した狭山市の市立保育所女性所長について、埼玉県は1月9日までに保護者の苦情対応によるストレスで発症したうつ病が自殺の原因として公務災害と認定したことを明らかにした。
自殺した保育所長は、園児同士のけんかで軽いけがをした男児の両親から約4カ月間にわたり、付きっきりでの保育を命じられたり、繰り返し苦情を受けたりしたという。
他人に理不尽な要求を繰り返す、いわゆる「モンスターペアレント」による脅迫であり、遺族代理人は「こうした保護者に自殺に追い込まれ、公務災害に認定されたケースは初めてではないか」としている。
問題の保護者からの謝罪は一切無いそうだ。

これは保育所での出来事であるが、現在全国の小中学校でこうした「モンスターペアレント」とよばれる自己中心的な保護者による理不尽な要求、例えば
・特定の児童は自分の子供と遊ばせるな
・クラス分けで特定の児童と同じクラスにするよう要求
・特定の教育方法を導入するよう要求する
・時間かまわず教師の自宅に電話をかける
などが、教育現場に深刻な影響を及ぼしている。
2006年に行われたあるアンケート調査によると、およそ78%の校長が「深刻な状況」と回答している。

こうした保護者の行為により、教師が精神を病んでしまったり、場合によっては自殺に追い込まれるケースもある。この結果、他の生徒に対する教育にも支障が出る。
教育の場に司直の手を持ち込みたくは無いのだが、自殺にまで追い込むような極端な保護者の脅迫に対しては、教育(保育)側としても毅然と法的措置を取るべきではなかろうか。
非常識な相手には、法的な手段での対抗しかないだろう。

保護者が学校の運営や教育の進め方に意見や要望を出すのは当然の権利だが、教師を指弾したり脅迫したりする権利は無い。

最近の親は、子どもの問題⇒学校への要求、と考えているフシがあるのではなかろうか。
子育ては親が責任を負うのであって、学校は教育機関に過ぎない。
私事になるが、子どもの頃学校からいじめられて帰ってくると、母親から「今から相手の家へ行って、やり返してこい。男だろ、それ位出来なくてどうする」とハッパをかけられた。
親友の一人は学校でケンカして怪我をし、血だらけで帰宅したら、父親から「ケンカには勝ったのか?」と訊かれ「勝った」と答えたら、「それでいい」と言われていた。
余り良い例ではないが、要は過度に学校に頼らぬことだ。

学校は教育機関であり、決してサービス産業では無いということを再確認しておこう。

2008/01/09

「3幼児死亡事故」世間のジョーシキ裁判の非ジョーシキ

Kiken_unten2006年におきた元福岡市職員の、飲酒運転による福岡市の3幼児死亡事故で、1月8日の福岡地裁判決は、危険運転致死傷罪の適用を見送り、脇見による業務上過失致死傷罪と認定し、懲役7年6月を言い渡した。
この結果、検察の求刑に対して量刑は3分の1以下となった。

この事件をきっかけに制定された危険運転致死傷罪については
(1)飲酒などの影響で正常運転が困難な状態で走行
(2)制御困難な高速走行
(3)赤信号をことさら無視した高速走行
などを「故意」に行った場合に適用される。
今回の判決はこのうち、「正常運転が困難な状態で走行」していたかどうかが争点となっていた。

この法律は制定してから間が無く、適用例も少ないので法の解釈が定まっていないという点を考慮しても、多くの人にとって割り切れない判断だったのではなかろうか。
判決理由によると、被告は飲酒して制限速度50kmの道路を、時速100kmで走行し、事故現場の直前には12秒間脇見運転をしていたという事実を認めている。しかしそれは「危険運転にあたらない」としている。
時速100kmで12秒間というと、実に330m脇を見たまま走行していたことになる。これは誰が考えても危険運転であり、もしこれが危険でないとするなら、この法律を作った意味が薄れるのではないだろうか。

もう一つ、事故後に被告が友人に携帯電話で身代わりを頼んだり、水を持ってきてくれるように頼んだりしたこと、友人が「弟を身代わりに連れて行こうか」と提案したのを断ったことを認定している。
しかし判決では、こうした被告の行動が「相応の判断能力をうかがわせる言動」として、正常な運転が困難な状態とは言えないとしている。
事故を起こした被告が、友人を身代わりに仕立てようとしたり、事故後に水を多量に飲んで飲酒の証拠を隠滅しようとしたことが、正常な判断と評価されてしまったことになる。
これでは悪質なことをするほど刑が軽くなり、法の精神と矛盾するのではなかろうか。

判決では事故48分後に行った呼気検査で「酒気帯び」の状態にあり、酒酔いの程度は大きくなかったと判断している。
これは被告が友人に頼んで水を運ばせていたことを考慮するなら、事故発生時のアルコール量とは数値がかけ離れていた可能性が高い。
ひき逃げの「逃げ得」を許すような判断は、納得がいかない。

法律学者の「最近は結果の重大性を重要視する傾向が強いが、行為者の責任を問うのが刑法の大原則だ」という見解も分らないではないが、一方危険運転をしても事故を起こさなければ罪に問われないのだから、3人の幼児を死亡させるという重大事故に対して厳罰が求められるのは当然ではなかろうか。
悪質な飲酒事故を減らそうと努力している社会の風潮に、逆行する判決に思える。

2008/01/08

【寄席な人々】熟睡し続ける客

Yose寄席で寝る、これは誰でも経験のあることで、仕事や会合の帰りに寄ろうもんなら居眠りの一つくらいは出るのは仕方がない。コックリコックリ居眠りならご愛嬌です。
ところがハナからシマイまで殆んど寝ている、というよりはグッスリ熟睡し続けている人に出会うことがあります。不思議に目を覚ましている時があり、それは仲入りとよばれる休憩時間になると起きてくるんです。そして高座が再開すると、また寝込む。
中には、一席終わり拍手が起きる度に目を覚まし、次の芸人が出てきて噺を始めると途端に寝込むという器用な客もいます。

金を払って入場しているんですから、寝ようと起きようと本人の自由ですが、たまたま隣り合わせに座っていられると、どうも気になって集中力を欠くことになります。
スースーと小さな寝息を立てているなら未だしも、大概こういう人はイビキをかく場合が多い。
音の大きさは距離の二乗に反比例しますから、噺家の声より隣のイビキの方が音が大きかったりすると、これは困ったもんです。入場料払ってイビキを聞きにきたんじゃねえや、と啖呵を切りたくなります。
今年の国立演芸場初席でも隣がイビキ客で、連れがいたから気を利かして注意くれるかと覗いてみたら、その連れも寝入っていて役に立たず。
昨年の池袋演芸場では、直ぐ後ろの席の客が大イビキで周囲から迷惑がられた時は、さすがに高座の落語家が注意して、演芸場の係員が退場させていました。
立川談志の高座なら、裁判になる所でしたね。

イビキが無くても最前列の隣席で熟睡されると、やはり気になります。以前、これも国立で最前列中央に座ったら、隣の年配のご婦人が開演から終演まで寝続けていて、妙に責任を感じて居づらい思いをしました。
このご婦人は、翌々月もやはり最前列で爆睡しているのを見ましたが、あれはもう嫌がらせですね。
横浜にぎわい座では、桟敷席の隣の男性が本を読み続けていたのも、気になりました。勿論、本は目で読み、落語は耳から聴くと言ってしまえばそれまででしょうが、一切顔を上げずに読書を続けるというのは、いかがなものでしょうか。

寄席、落語という芸能は、芸人と客が共同で創りあげるという特質があります。他の芸能舞台と異なり、会場を暗くしないのも、観客が共演者だからです。演者は客の反応を見ながらネタを考え、演出を工夫していきます。
噺がつまらなければ、芸が下手だと思ったら、笑いも拍手も要りません。それが客の反応として噺家に返され、彼らの成長を支えてゆきます。
しかし頭から噺を聴かないというのは、マナーに反すると思います。

2千円、3千円払ってヒタスラ眠るという贅沢に水を差したくはありませんが、後ろの方の席で静かにお休みになるよう希望します。

2008/01/07

「プール天井材落下」は設計ミス

Tenjo1月6日愛知県豊田市、豊田スタジアムスポーツプラザ内にあるプールの天井の石こうボードが落下した。
落下したのはアーチ状に取り付けられていた天井の石こうボードで、長さ20メートル、幅4メートルにわたって、約8・2メートル下の子ども用流水プールなどに落ちた。重さは1・5-2トンほどになるという。
たまたま営業開始前だったのが幸いしたが、利用者がいたら大惨事になるところだった。

今回の事故は、はっきり言えば設計ミスだろう。温水プールの天井材に石膏ボードを使うのは、常識外れだ。
石膏ボードの特長は、火に強く、施工が楽で、価格が安いことだ。
一方欠点は何かといえば、一番は水にとても弱いことだ。湿気を吸いやすく、水分が多くなると極端に強度が落ちる。また石膏ボードは表面に紙がついているが、水分が多くなると紙と石膏が剥がれてくる。
住宅や店舗、オフィスの壁や天井に幅広く使われているが、風呂場の壁や天井には絶対に使用しないのはそのためだ。
プールに石膏ボードを使うのは、元々が間違っている。
担当者によると、温水プールで生じる水蒸気は、普段はエアコンで除湿しているが、年末年始は休業のためエアコンはかけていなかったそうだ。
除湿に頼っているとそういうことになる。

豊田スタジアムは、故黒川紀章氏の設計だが、建築の大家がなぜこんな初歩的なミスをしたのだろう。
やはり、「麒麟老いれば駄馬のごとし」だろうか。

もう一つ指摘しておきたいのは、施主や管理者がこの天井の材料や施工方法にどれだけの関心があったかということだ。
今回事故のあった天井はいわゆる「吊り天井」方式だったが、2005年の宮城沖地震の際に仙台市内の室内プールの天井ボードが落下して、35人が重軽傷を負う事故があり、国は天井が500平方メートル以上の建物のつり天井の耐震強度などを点検するよう指示をしていた。
処が、豊田スタジアム側は「吊り天井」だという認識がなかったため、点検をしていなかった。
建物や設備を管理する側が、使われている材料や施工方法に関心がないと、これからもこうした事故は避けられない。

天井材落下は、設計と管理のミスが原因であり、人身事故にならなかったのは不幸中の幸いだった。

2008/01/06

【ツアーな人々】消えた添乗員

Tenjouinもう3年経ったので時効でしょうから、旅行会社は実名で「クラブツーリズム」。添乗員がツアー途中で消えたというミステリーです。
他の旅行会社の方に訊くと「あり得ない」そうですから、珍しい出来事のようです。

あるパッケージツアーで、女性添乗員も現地ガイドも手際が良く、ツアー自体とても充実していて二重丸の旅行でした。
帰路は途中バンコクでトランジットとなり、後はバンコクー成田の飛行で帰着という段階でした。
伏線は少しありました。バンコク空港で添乗員が挨拶したのですが、終わった後女性客の一人が「なんだかお別れの挨拶みたいだったわね」とつぶやきましたが、私もそういう印象を持ちました。

搭乗時刻になって出発ゲートに参加者全員が揃ったのですが、肝心の添乗員の姿が見えません。搭乗が始まったので、遅れてくるのかと思って私たちツアー客は先に搭乗しました。
たまたま私の隣のシートが添乗員の席だったのですが、空いたままで飛行機が離陸し始めたのです。別の席に座っていたという可能性はありましたが、このフライトは満席と聞いていたので考えにくい。
それでも相手はプロですから、きっとどこかにいるんだろうと思いつつ、成田空港に着陸となりました。

海外ツアーでは、成田到着の1時間前くらいになると、必ず添乗員は参加者のアンケート用紙の回収と、到着後の注意を行うために回ってきます。
またこのツアーでは、ガイディングレシーバー(添乗員やガイドの説明をイヤホンで聞ける器具)が配られていたので、その回収が行われる筈でした。失くした場合は7千円支払うことになっていたので、この回収は絶対に必要なことです。
結局着陸まで添乗員の姿はなく、預け入れ荷物(スーツケース)を受け取るバッゲージクレームや、通関の場所にも彼女は現れなかったのです。
参加者が集まって、何か事情があったのだろうから後日連絡があるでしょうという事で、そのまま解散となりました。

この添乗員がバンコクから搭乗しなかったことは明白で、それも予定行動だったと推定しています。
バンコクでの搭乗時に空港で呼び出し放送が無かったところを見ると、事前に予約をキャンセルしていたと思われます。
どんな事情があったのか分りませんが、職務放棄であるのは間違いありません。

その後、添乗員本人から何も連絡がなく、もっと不思議なのは旅行会社「クラブツーリズム」からも全く説明や連絡が無かったことです。
ツアーが終了したのに、アンケート用紙もガイディングレシーバーも回収されていないのですから、旅行会社は気付く筈です。
こちらから連絡する筋のものではないので、今日に至るまで一切連絡を取っていません。

国内海外を含め「クラブツーリズム」を利用してきましたが、この件があってから同社の管理体制に多少疑問を感じています。
結果的には、その後同社のツアーには参加していません。

2008/01/03

諸悪ノ根源ハ「小沢一郎」ニアリ

Ozawa1990年代に権力の中枢にいた小沢一郎が、自民党を出て新生党を結成した真の狙いは、今日に至るまで明白になっていない。
一つだけはっきりしているには、当時「政治改革」を標榜していたことだけである。
小沢が目指した「政治改革」とは、
①衆院選挙における小選挙区制の導入により、政権交代が可能な二大政党制を目指す
②政治腐敗の温床となっている企業・団体からの献金を廃止し、政党活動費用を税金でまかなう「政党交付金(政党助成金)」制度を作る
の2点に集約される。

小沢一郎は細川、羽田両内閣で主導権を握り、1993年に衆院に小選挙区(比例代表並立)制の導入、1994年には政党助成法を成立させる。
ここに小沢の念願であった「政治改革」が実施されたわけである。
しかしこうした制度改正により、本当に日本の政治は良くなったのだろうか。

議会制民主主義の基本は代議員制であり、国民の意思ができるだけ議会に公正に反映される事が望ましい。処が定数1名の小選挙区が大勢を占める現在の衆院選では、多数となった一つの政党の主張のみが議会に反映され、他の少数意見は切り捨てられることになる。
現にこの選挙制度が繰り返される中で、衆院の構成は自民党と民主党に集約され、その他の少数政党の大半は衰退又は消滅の道を歩んでいる。

もう一つの政党助成金制度であるが、政党の活動費に税金を投入するという世界でも例が無いと思われる悪法である。
政党の活動資金は、党員や支持者からの個人献金と、政党自身が行う事業によりまかなうべきであり、国家権力から自由であるべき政党が、政府から資金を貰うなどという事は自殺行為に等しい。
それでも当初の約束通り企業献金が廃止され、政治の腐敗が無くなれば未だ評価はできる。しかし現実は全く異なり、相変わらず企業や団体からの献金は続けられ、政治の腐敗は一向に改まらない。

この制度が発足した1995年度から2008年度までに各政党(日本共産党は受け取りを拒否しているため交付されていない)に交付された総額は実に3756億円に達している。ドブに捨てたも同然である。
この内、離合集散により消え去った政党に対して交付された金額は578億円であり、これらの金の行方にさまざまな黒いウワサが飛び交っているのはご存知の通り。
政党助成金制度は政治を浄化するどころか、ますます腐敗に拍車をかけている。百害あって一利なし、直ちに廃止すべきである。

小沢一郎が目指した「政治改革」は結局のところ、どちらがどちらだか分らないような「二大国営政党」を誕生させる一方、政治の腐敗は継続するという結果を導いた。
余談だが、小泉元総理は「民でできることは民で」というスローガンの下で「改革」を標榜したが、5年間の任期中に政党の民営化を口に出すことは一度も無かった。国会議員の既得権には、一切手を付けようとしなかった。その気にさえなれば、明日からでも実行できる政策であったにも拘らずである。
この1点をもってしても、小泉「改革」がニセモノであったと断言できる。

それでは政権交代可能な二大政党ができて、小沢一郎は何をしようとしているのか。
一つは社民党の傘下の労組に対して、社民党が民主党に合流するよう働きかける要請を行っている。
既に国民新党とは共同会派を作ることが合意されており、共産党を除く少数野党は民主党に一本化されようとしている。
その先にあるのが「大連立」構想だ。

自民党と、一本化された民主党とが「大連立」を組めば、公明党と合わせて議会の95%以上が与党ということになる。もし共産党が議席を失えば、100%与党も可能になる。
憲政史上例の無い「二党独裁政治」が誕生することになる。
今後の選挙で自民党が勝とうと民主党が勝とうと、オール与党であれば政権交代は起こらず、政局は安定する。財界が歓迎するのも当然である。
同時に、オール与党の「大連立政権」が誕生したならば、日本の政治はどのようになって行くのだろうか。
①全ての政策は与党内の協議で決まってしまうため、議会が形骸化する
②オール与党になればチェック機能が失われ、不正がますます横行する
③選挙での選択肢が狭められ、投票率の低下と国民の政治離れに拍車がかかる

小沢一郎が標榜した「政治改革」、即ち二大政党制と政治腐敗防止の行き着く先は、二大国営政党によるオール与党体制、早く言えば「オール自民党化」である。
1990年代になぜ小沢一郎が自民党を離れ、対抗する政党を創っては壊してきたか、その狙いがようやく見えてきつつある。
一人の男の野望のために、国会を死なせてはいけない。
日本の議会制民主主義にとって「失われた10年」にならぬよう、私たち国民は賢明な選択をする必要があるだろう。

2008/01/02

国立演芸場初席へ

Koyuza2008年最初の寄席は1月2日国立演芸場へ。ここは元旦が休みなので、2日昼の部が初日となる。前売りは完売だが立ち見はチラホラ、やや寂しい初席の感があった。
お正月らしく劇場の玄関で樽酒がふるまわれ、開演は獅子舞い、終演は手締めと華やいだ雰囲気だ。

開口一番が柳家さん喬とは又贅沢、ネタも正月らしく「初天神」で。さん喬の落ち着いた静かな語り口、いつ聴いても良いネエ。
神田紅は講談「春日局」を手堅く。
三遊亭圓歌は12時に登場、本人もこんなに早く高座に上がったのは初めてと言っていた。79歳はまだまだ元気。
江戸家子猫の「動物物真似」の後は、
中トリの五街道雲助「壷算」、地味ながら確実な芸を見せる。
(仲入り)
北見マキ「奇術」は正月らしい装いで。
柳家小さん「長短」は、気が長い方のセリフはもっとユックリ喋って欲しい。
あした順子・ひろしの「漫才」、同じネタを何十回聴いても面白さが変わらない。86歳のひろしの芸は年を感じさせない。
トリは三遊亭小遊三「浮世床」。持ち味である軽妙な芸を十分に発揮して、会場を爆笑で包んだ。

お目出度い初席、あまり難しいことは言わずにと言うことで、これにて。

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