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2008/03/31

「せんたく」は泡と消える

Higashikokubaru全国の知事ら約150人の政策集団「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(せんたく)が3月30日、都内で「地方政府創造会議」の初会合を開いたそうです。
中心人物の東国原知事も出席し、「せんたく」のネーミングが、坂本龍馬の「日本を今一度せんたくいたし申候」に由来すると説明したとか。
政府の「道路特定財源」の宣伝係をしているような人間が、地方分権を口にするなざぁ、実にオコガマシイ。
だいたい坂本龍馬の名前を持ち出す人物というのは、政治家であれ芸能人であれ、ことごとくイカガワシイと思った方が良いですね。
知事を辞めた後に国会議員の座を狙っている東国原知事と、その東国原人気にあやかろうという議員たちの同床異夢、烏合の衆というのが実態です。

さて「せんたく」の未来は、名前の通り「そのまんま泡と消える」でしょう。

2008/03/30

通勤電車の中の「奇人・変人・暴人」

Tsuukin_densha_2サラリーマン時代、およそ40年間戦車通勤をしていましたので、往き帰りに様々な変わった人物に出会いました。さすがに朝の時間帯は滅多にいないですが、帰りの電車で奇人・変人を見かけました。
【股旅オジサン】回し合羽の三度笠、腰には長脇差を落とし差しという中年男です。最初はチンドン屋かと思うのですが、洋服を着ているしカツラも被っていません。何より片手にテープレコーダーを持って、ずっと股旅演歌を流しているのが特徴的です。何度か見たので、股旅マニアなのでしょう。
車内でもテープを流し続けるので、かなりウルサイのが欠点ですが、なにせ向こうは刀を持っているので誰も注意しません。苦笑しながら眺めているだけで、車内の空気が和むという効果がありました。
【キリストおばさん】未だ電車にエアコンが付いていなかった真夏の頃、車内の窓は全部開けたままです。始発駅から乗ると、60歳過ぎと見られる女性が乗り込んできて。その車両の窓を片っ端から閉め出しました。最初は呆気にとられていましたが、その内一人の男性客が「暑いんだから窓を閉めるなよ」と注意したところ、「あなた、そんなこと言うとキリスト様に叱られますよ」と一喝されてしまいました。キリストに叱られるのはチョット困るので、皆さん汗をかきながら大人しくしていました。
そのうちシートに正座し、カバンの中から聖書のようなものを取り出して、賛美歌を歌い出しました。もうこうなると、誰も手がつけられません。ただただ敬虔な気持ちで拝聴するだけでした。
【独白オジサン】朝の通勤時に、車内で大きな声で喋っている中年の男の人がいて、誰かと会話しているのかと思ったら、これが一人なんです。背広にネクタイ、膝にカバンを抱えていましたのでサラリーマンなのでしょう。独り言なら未だ良いのですが、架空の誰かとずっと会話しているので、気味が悪かったのです。もし会社員なら、どんな仕事に就いているんでしょうね。
【はるみオバサン】終電での乗り換え駅で連絡が悪く、待ち合わせに20分間以上かかっていました。その当時毎回のように出会う中年女性がいまして、反対側のホームで都はるみの「好きになった人」を歌うのです。恐らく水商売の人だと思います。決して美声ではありませんが、ホームの端から端まで踊りながら大声で歌うのですから、もうサービス満点です。1曲終わる度に、こちら側のホームで待っている乗客が一斉に拍手すると、何回でもアンコールを繰り返します。退屈しのぎにはモッテコイでした。
【ターンお兄さん】車内で乗客をかき分けて、車両の中を移動する人を見かけますが、この若い男性は変わっていて、車両の端に着くと、クルリと向きを変え、逆方向に戻ってきて、これを何回も繰り返すのです。最初は皆、訝しげに見ていましたが、その若者の顔が真っ青で長髪、目が泳いでいましたので、黙って見送っていました。
【車掌オジサン】ドアの近くで進行方向に向って立ち、車掌の車内放送を真似てしゃべり続ける男性です。次の停車駅の案内やら、「本日は雨のため傘のお忘れ物が多くなっています」とか、発車近くなれば「駆け込み乗車はお止め下さい」と注意があります。「発車いたします、次の停車駅は〇〇、〇〇」が駅名を間違えず、実にタイミング良く案内されます。少々うるさいことを除けば、なかなか便利でした。
【ガイド車掌】こちらは出張で乗った東海道新幹線の本物の車掌さんです。車内放送で沿線のガイドをしてくれるのですが、読書したり居眠りしたりしていると、これが邪魔なんですね。「ただ今右手に富士山が見えております」なんて言われなくたって、ちゃんと分りますよ。傑作だったのは関が原付近を通過している時、「戦国時代この関が原で徳川家康と豊臣秀吉による天下分け目の合戦が行われました」の説明があり、何だかヘンだなと思っていたら数分後に「先ほど・・・・・・・・と申し上げたのは誤りで、徳川家康と石田三成が決戦を行ったと訂正します」との訂正放送がありました。車掌さんとしてはサービスでしていたのでしょうが、あまり評判が良くなかったのか、その後一度も沿線ガイドに当たりません。

世の中には変わった人がいるもので、この程度であれば、面白いエピソードで片付けられますが、中には車内暴力に行き会った経験もあります。こちらは笑ってすまされない出来事です。

【暴力オジサン】目の前に止まった車両がガラガラだったので、ラッキーとばかり乗り込んだら、床に血を流した男性が倒れていて、その傍の座席に一人の男が座っていました。額から頬にかけて傷跡があり、よく漫画などでは見かけますが、実際にそういう人相の人を見たのは初めてでした。そのうち「オレは人を殺すことなんぞ何でもねえんだ」と語り始めたのですが、車内はその二人以外に乗っていたのは、私一人。車両が空いているワケです。
こういう時の人間の心理というのは、我ながら不思議なもので、別の車両に行けば良いものを、身体が固まって動かないのです。とにかく次の駅に着いたら降りて、駅員に連絡しようと思い、じっとそのまま座っていました。たかだか2分間位の時間なのに、とてつもなく長く感じました。ようやく次の駅に着いたら、前に誰かが連絡していたのでしょう、数名の警官と駅員が乗り込んできて、その男と倒れていた男性を連れ出していきました。あれは恐かったですね。

車内暴力ではこの他に、目の前で男が拳で、列車のドアの窓ガラスを割ったのを見たことがあります。ガラスの破片が飛び散り、あの時も恐い思いをしました。
ニュースなどで、「車内暴力に乗客は見て見ぬふり」などと書かれていますが、実際にそうした場面に立ち会うと、あの男らに立ち向かうのは命がけだなと思います。
もし立ち向かって怪我をしたり、場合によっては命を奪われたら、誰が補償してくれるのでしょうか。あるいは相手を負傷させた場合、免責が法律上定められているのでしょうか。
そうした法的な整備がないままに、乗客に制止を求めるのは、余りに酷だと私は思います。

幸い痴漢にだけは、一度もあっていません。
当たり前か。

2008/03/29

40%がスパムブログとは

先日、現役の時に在職していた会社の人に連絡することがありメールを出したところ、スパムメールと識別されて届くのが遅れたとの連絡を受けました。OBをナント心得るかと怒っても仕方ありません。スパムメール対策で拒否設定を増やしていたら、いつの間にか知人のメールまで自動削除されたことがあります。
こういうのは、正にスパムの二次被害といえるでしょうね。

ネットでブログを公開していると、日々スパムメールやスパムブログが送られて閉口しているという経験は、多くの方がされているでしょう。削除に手間がかかる上、あまりセキュリティを上げ過ぎると、必要なものまで拒否され、全く困り者です。法律で規制はあるものの、摘発を受けるのはほんの一握りなので、あまり効果が現れていないのが現状です。

どの位スパムブログが存在しているのかいう点について、3/26にniftyの調査結果が公表されました。ご覧になっていない方のために、以下に要約します。

先ずは【スパムブログの定義】で、次のようになっています。
(1)自動生成系
・引用スパム
他ブログやニュース記事、検索されやすいワードの検索結果スニペット(検索サイトでの結果ページで表示される、検索語が含まれるテキストの抜き書き)などの引用を自動的に取得して、記事を生成している。
・アフィリエイトスパム
商品写真とそのアフィリエイト(広告)リンクを大量に自動で掲載しているブログ。内容がほとんどない。
・ワードサラダ
文章をフレーズ単位で機械的に組み合わせて生成しているブログ。一見、人間が書いているように見えて、良く見ると文章の意味が通じていない。
・自動マルチポスト
同一記事を複数のブログに機械的に大量に投稿する。
(2)アダルト系
・わいせつ記事
・出会い系
・ワンクリック詐欺
こちらは解説不要ですね。

検索に示されているスニペットから本文にアクセスすると、似ても似つかぬ記事にぶつかることがありますが、あれが「引用スパム」なんですね。
同一の記事をアチコチのブログにアップする「自動マルチポスト」というのも、よく見かけますね。
「ワードサラダ」ですか。もっとも人間が書いたものでも、支離滅裂な文章になっているサイトもありますけど。
広告だらけのブログも見かけますね。当「home-9(ほめく)」では、ご覧のようにアフィリエイトを一切載せていません。まあ載せても誰も見ないでしょうけど。
私は個人的には、私的なブログなどには、アフィリエイトを載せるべきでないと考えています。もちろん用語辞典のような公的な性格を持っているサイトであれば、社会貢献の代償として一定の広告収入を得るのは当然ですが、こんな雑文を書いて収入を得ようなんざぁ、不届き至極でしょう。

実際には「アダルト系」が、スパムの大半を占めていると思われます。
おっと、当ブログでは「出会い系」を拒否キーワードに設定していますので、もしコメント送られる際はご注意を。

それではniftyが行った【国内のスパムブログの状況】調査結果ですが、次の通りです。
「BuzzPulse」(ニフティのブログ評判分析サービス)で分析対象としているブログ記事のうち、2007年10月~2008年2月の各月ごとにそれぞれ約10万記事をサンプリングして、スパムブログの割合を調査しました。その結果、5ヶ月間の平均で、約40%がスパムブログという結果が分かりました。

4割がスパムブログですか、ナルホド。あれやこれやを含めれば、おおよそ半分くらいが迷惑ブログに分類されるのでしょうか。
お金を儲けるのは自由ですが、是非他人に迷惑をかけぬ様、スパムブログやスパムメール管理者に強く要望したいと思います。
なに? お前のブログも迷惑だって?
放っといてくれ!

2008/03/28

桑田選手に見るヒーロー像の変貌

Kuwata_masumi大リーグに挑戦していた桑田真澄選手が引退を発表したニュースは、各メディアで大きく扱われた。引退についての街の声では、「もっと続けて欲しかった」「挑戦する姿に励まされた」「巨人の時代からファンだった」など賞賛の声に溢れていた。いつの間にか、桑田投手は中年の星になっていたのである。

ジャイアンツの現役時代、特にエースとして活躍していた時代の桑田は、常にダーティなイメージがつきまとっていた。江川卓と同様に、入団の経緯からバッシングを受け、「投げる不動産屋」とか「投げる借金王」などと呼ばれ、漫画やイラストでは三白眼に多数の黒子という姿が描かれていた。
巨人では永年エースとして活躍し、通算で173勝をあげ、MVP、沢村賞など数々のタイトルと獲得しながらも、他のスター選手のような高い人気は得られなかった。その時代を知る者としては、昨今の桑田への賞賛は、苦笑するしかない。
いつの時点から、桑田は「偉い人」に分類されたのだろうか。

野球選手に限らず、いわゆる有名人に対する世間の評価など、所詮はイメージでしかない。本当の姿は家族や周辺の近しい人しか知らないわけで、世間は作られたイメージで判断しているわけだ。だから状況が変われば、評価も180度変化するのである。
この分でいけば10年後には、朝青龍は相撲史上に残る大横綱になっているかも知れないし、亀田が伝説のチャンピオン扱いされている可能性だってある。
本人に全く関係ないところで、持ち上げられたり落とされたり、付和雷同型のネット社会はそれを更に増幅している。情報化社会になって、却って本質が見失われる傾向が強まったのではなかろうか。
桑田選手の引退の記者会見の映像をみながら、ふと考えてしまった。

閑話休題。
いよいよ今日からプロ野球のセ・リーグが開幕する。今年の阪神タイガースだが、評論家などの下馬評では3位との予想が大勢を占めている。
この予想は恐らく外れて、今年こそ優勝だろう。
世間の人は知らないだろうが、阪神には育成枠に3人の「秘密兵器」が隠されていて、彼らがある日突然支配下登録され、一軍で大活躍するのだ。
名前は誰かって? 「秘密」だから言えません。

2008/03/27

大ボラ慎太郎の「捨て台詞」

Ishihara_shintaro3月26日東京都議会予算特別委員会は、新銀行東京への追加出資を、自民・公明両党の賛成多数で可決した。予想通りの結果である。
石原知事は、審議中こそ反省の言葉を口にしたが、可決されるやいなや一転して「世論調査を気にしていたら政治はできない」と言い放った。また「要するに、都民が議会以上のことを知っているわけないんでね」とも。
オレの言う事さえ聴いてりゃいいんで、馬鹿な都民どもの声になぞ耳を傾ける必要はないということ。いかにもこの男らしい捨て台詞だ。

それにしても、追加出資が可決された時の、自民・公明の議員連中のあのハシャギぶりはナンなんだろう。そんなに嬉しいのか。「苦渋の選択」だの「重い十字架」だのは言葉だけ。400億円が手に入って、嬉しくてしょうがないのだろうか。
1000億円の損失は、納税者たる都民にとっては大きな打撃だが、その一方でイイ思いをした人間もいるのは事実だろう。金は消えたわけではない、どこかに行っただけなのだ。
損した都民の多くは反対したが、得した人間は賛成した、実に簡単なことなのだ。
石原銀行から何億円借りようと、その企業を倒産させてしまえば、全てチャラ。濡れ手で粟の大金を掴んだ人間だって少なくない。

400億円がムダになったらという質問に、石原都知事は「責任を取らないといけない」と答えていた。
残念ながら、破綻がハッキリした頃には、石原慎太郎は知事の座にいないのだ。今回の400億円は、石原知事が在任中のつなぎ資金であり、責任を逃れるための金だからだ。
このままいけば、都議会本会議でも自民・公明の賛成で、法案は可決されるだろう。
賛成した議員たちの名前は、しっかり刻んでおこう。石原銀行が破綻した際には、都知事と共に連帯責任を負って貰わねばなるまい。

1000億円で損切りして、石原知事を辞任させる、これが都民として最も被害を最小限に食い止める良策だったと思う。

2008/03/25

それでも「北京五輪ボイコット」は間違いだ

Taiwan_sohto私は元々中国でのオリンピック開催には反対であった。何で北京での五輪開催を決めたのか、今でも疑問に感じている。しかしIOCで北京での開催を決め、準備が進められ、世界各国の選手たちも出場に向けて練習に励んでいる以上、開催を阻害するような動きは避けるべきだと思う。
ここ最近になって起きたチベットの暴動が引き金になって、一部に北京五輪ボイコットの動きが出ているが、中国のチベット抑圧は長い歴史があり、今に始まったことではない。大気汚染や食の安全また然り、とっくに分っていたことであり、そういう問題を含めて世界各国は北京での開催を認めたのではないのか。
直前になってイチャモンをつけるようなやり方は、好ましいとは思えない。

中国政府によるチベット弾圧に対して、特に欧米各国の政府やマスコミ、世論が熱くなっているようだが、我が国としては尻馬にのって、あまり軽々に動かない方が良いと思う。
一つには、チベット問題は中国の内政問題であり、中国の国民自身が決めることだ。小数民族問題や人種問題というのは、多かれ少なかれどこの国にも存在する。
二つ目は、チベットの独立問題をどう考えるかという点だ。
中国には漢族以外に、55の少数民族が存在する。仮にチベットの独立が実現したとして、それが引き金となって中国国内が群雄割拠の状態になり、少国が次々と分離独立を果たした場合、それが果たして日本にとってハッピーな結果になるかどうか、疑問があるからだ。
中国が旧ユーゴのようになれば、隣国である我が国に影響が出るのは必至であろう。対岸の火事を楽しんでいたら、こっちに火の粉が降りかかってきたという事にならぬよう、ここは慎重を期すべきと考える。

話はチョットかわるが、3月22日に台湾の総統選挙が行われた。私はこの選挙には大きな関心があった。オバマかヒラリーかということより、こちらの選挙の方がよほど重要だったと思う。
結果は国民党が勝利し、8年ぶりに政権に復帰した。
中国の内戦に破れ、大陸から逃れてきた蒋介石ら国民党が勝手に政府を作り、銃剣で台湾人を支配してきた歴史をふりかえると、民主化に逆行するのではなかろうかという危惧を持っている。国民党はルーツからして親中国であり、総統に選ばれた馬英九氏が選挙中、チベット暴動での当局による鎮圧を「横暴」と非難したり、北京五輪ボイコットの可能性にも言及したが、所詮は選挙用のポーズだったのではなかろうか。
民進党の下野により、少なくとも台湾が独立国として国連に加盟する道は、大きく遠のいたことだけは確かだろう。この点はとても残念に思っている。

中国でのチベット騒動、台湾の総統選挙での国民党の勝利は、これからの日本の平和と安全に影響が出てくる可能性があり、注視する必要があるだろう。

2008/03/24

五木ひろし「日本歌謡史100年―昭和編―」in国立劇場

Itsuki昨年「石川さゆり音楽会」で半世紀ぶりに歌謡曲(演歌が嫌いなので)歌手のコンサートに行った時、次は五木ひろしのコンサートと決めていた。
五木ひろしは、声量、歌唱力ともに現役歌手の中で傑出しており、歌詞を大事にし、ポップス調の歌もこなせるという特長を持っている。同時に「五木節」ともいうべき、独特の歌の世界を持っている稀有な歌手でもある。
彼は今年還暦を迎えたので、そろそろ声が落ちる前にライブを観ておきたかったというのが最大の理由だ。

昨年に引き続く「日本歌謡史100年」をテーマにした国立劇場での公演だが、今年は昭和編ということで、二部構成になっていた。
第一部「昭和の名曲を歌う」
第二部「伝統・古典とのコラボレーション」
対象となった昭和30-40年というのは、歌謡曲の黄金時代であった。
経済の高度成長期、沢山の若者が職を求めて都会に移動した時代だった。馴れない都会の生活と故郷への思い、ふるさとに残してきた両親や兄弟・恋人への思い、その一方ふるさとの家族・友人らの本人への思い、そうした心情は当時の日本人に共通していた。あの時代の歌謡曲は、そうした感情を共有した者同士の中で培われ、共鳴しえたのだと思う。
故郷を離れる時は、夜汽車の汽笛、駅のホームや波止場での別れがあった。これが歌謡曲の主な舞台となっていた。
その時代に名曲が数多く生まれたが、オリジナルの歌手の多くは第一線を退き、あるいは物故していて、今の人々はナマの歌を聴く事ができない。それを現役歌手が再現しようとするなら、ざっと歌謡界を見渡しても、五木ひろししかいない。つまり余人をもって代え難いのだ。

第一部は第一回レコード大賞を受賞した「黒い花びら」で幕を開け、「ふるさと」をテーマにした叙情歌謡、股旅もの、「夜空」をテーマにした作品など、五木の持ち歌を含めて様々なジャンルの歌を次々と歌い続けた。
「G.S.」をテーマにした時は、エレキギターの弾き語りを披露するなどサービス満点。
オリジナル歌手も水原弘、フランク永井、坂本久、三橋美智也、春日八郎、東海林太郎、三波春夫、村田英雄、ザ・タイガース、青木光一、田端義夫らで、当時の主な流行歌の歌手を総ナメにした感がある。
特に印象に残った作品として、「おさげと花と地蔵さんと」「一本刀土俵入り」(共に三橋美智也)、「柿の木坂の家」(青木光一)の歌唱が優れていた。

第二部ではオーケストラをバックに五木ひろしの持ち歌を中心に、美空ひばり、石原裕次郎、加山雄三、藤山一郎らのヒット曲を披露した。
ここでは邦楽、日舞などとのコラボレーションが行われ、華を添えていた。
フォークソングのコーナーで歌った、「心もよう」(井上陽水)の歌唱が特に優れていた。
自身のヒット曲は、一、二部を通して「よこはま・たそがれ」「ふるさと」「千曲川」「契り」「細雪」「長良川艶歌」「夜空」「山河」などが歌われ、CDやTVではお馴染の曲だが、はやりナマで聴くと素晴らしい。

今回のコンサートの良さは、五木ひろしの歌唱に尽きる。数えたわけではないが、恐らく40曲を超える歌を歌い続けたと思われるが、音を外さないのは流石である。強いてミスをあげれば、美空ひばりの「哀愁波止場」のワンコーラス目の中ほどで、間のとり方が少しずれた程度であった。
これは立派としか言い様がない。
しかも、どの曲を歌っても自分の歌の世界にしてしまう、大した技量である。
歌唱と楽器の音のバランスが良く、舞台の場面転換もスムーズであり、何より全体として舞台に高級感があった。

今回の公演は、日本人歌手のコンサートとしては、極めて質が高いものだったと思われる。
入場料が高くても、この内容であれば多くの観客は納得するのではなかろうか。
3月23日昼の部にて。公演は25日まで。

2008/03/23

「三三と菊志ん」@お江戸日本橋亭

Sanza江戸の時代、芝居は朝に開演し夕方まで上演されたので、女子供の世界だった。寄席は夕方から夜まで開かれたので、こちらは大人の男の世界と、相場が決まっていた。
処が、ここ最近の寄席は女性客が増えてきて、昨夜など前から2列までで男は私一人、段々肩身が狭くなってきた。一体男どもはどこに行ってしまったのだろうか。
その昨夜3月22日は、お江戸日本橋亭で「柳家三三と古今亭菊志ん」の会が行われた。共に落語界の次代を背負う素材であり、この二人、二ツ目時代から年に数回、二人会を続けてきた。独演会ももちろん大事だが、力が拮抗している同士が二人会をやるということは、互いに競い合って向上できる場になると思う。

古今亭菊志んは2007年に昇進した若手真打、芸風が明るいし高座もしっかりとした理論派の噺家だ。欠点はインテリ臭さが残っていることだろう。これが抜ければもう一皮剥けていくものと期待している。
一席目は「だくだく」。
マクラで噺家の評価は、仲間内と客では異なることを紹介。4パターンに分けて、
①人気はあるが仲間内の評価が低い。古今亭志ん輔と菊之丞の名が出ていた。
②仲間内の評価は高いのに人気が出ない。
③人気もあり仲間内の評価も高い。市馬の名が出た。
④人気もなく仲間内の評価も低い。ネタの中で鈴々舎馬桜の名がでたが、これは冗談だろう。
先日初めて、三三に誉められたが、今の調子を落としている三三に誉められても嬉しくないと、なかなか辛口のマクラ。
さて「だくだく」だが、壁に家財道具を描いてある家に入った泥棒が、色々なものを盗む「つもり」に、この家の住人がこれを捕らえる「つもり」と、粋な泥棒噺になっている。
菊志んは熱演であったが、全体にもう少し洒脱に演じて欲しいところ。また終盤の肝心なところで、槍を長刀と言い間違えたのは頂けない。

仲入り後は「兵庫舟」。
豪華客船の中で一席うかがっていたら、船酔いで気分が悪くなり、高座を中断してしまったことを話題に、三三の病気の話をマクラにふって、本題へ。
このネタは菊志んの十八番であり、現役の落語家の中では、恐らく菊志んが一番ではなかろうか。講釈がどんどん壊れていく箇所が、いつ聴いても面白い。

柳家三三、菊志んより1年前に真打に昇進した若手であるが、人気実力とも群を抜いている。今最も期待される若手だ。男前で様子が良いのも、人気にプラスしている。
一席目は「長短」。
気の長い泥棒が、これまた気の長い住人の家に盗みに入った小咄をマクラに本題へ。
長気と短気の男の対比の面白さを描くネタだが、これは三三に限らず、最近の噺家は気の長い男の喋りが早い。もっとゆっくり喋るようにした方が、より面白味が増すと思うのだが。
菓子を食べる仕草が良く出来ていた。

仲入り後は「花見の仇討」。
菊志んの高座をイジッタ後に、マクラで病気が「睾丸炎」だったことをカミングアウト。桜の開花の季節感を出しながら、本題へ。
面白かった。
登場人物の描写もしっかりと演じ分けていて、途中ダレルこともなく、最後まで緊張感を持続した良い出来だった。
菊志んは、最近の三三は低調だと評していたが、なかなかどうしての高座であった。

双方、ライバル意識を燃やした熱演が続き、満足した。

2008/03/22

「産経」の提灯持ち記事

Bush9【バース党独裁、スンニ派主流のフセイン政権は湾岸戦争で敗退後も国連安全保障理事会の度重なる決議を無視し、大量破壊兵器の廃棄検証義務を履行しなかった。フセイン政権の化学兵器による国内クルド人の5000人虐殺(88年)も取りざたされていた。前述の米軍報告書も、フセイン政権が体制維持のために自爆テロなどの訓練を行い、国内外のテロ活動を支援したと明記している。
何よりおぞましいのは、自分に逆らう政治家を名指しし、直ちに銃殺刑を執行するようなサダム・フセインの恐怖政治である。このような独裁者と無法国家の打倒に意味がなかったとはいえない。】

引用した記事はアメリカの新聞ではありません。レッキとした日本の新聞、アメリカの「幇間(おタイコ)」産経新聞の、イラク開戦5周年に関する主張の一部です。
「世界の平和を守る」ために戦うアメリカですか。ウルトラマンじゃあるまいし。今時こんなことを信じているノー天気ぶり。ブッシュ大統領が読めば泣いて喜び、ネオコンが裸足で駆け出しそうな論評です。

世界的に見れば、反対勢力を弾圧して、強圧的な政治体制をしいている国など、掃いて捨てるほどあります。中東諸国を見ても、アメリカの友好国サウディ・アラビアなど独裁の最たるものだし、いわゆる国際テロ組織のメンバーもこの国の出身者が多いのは、周知の通りです。
核兵器の保有を宣言し、しかも日本やアメリカを標的にしていると公言していた北朝鮮に、なぜアメリカは手を差しのべたのでしょう。
なぜイラク戦争だったんでしょうか。
理由はただ一つ、イラク戦争がアメリカの国益にかなうから、それだけです。

今も昔も、戦争の目的は資源の獲得であり、「大義」などというのはどうにでもこじつけられます。
開戦以来5年間で、イラク国民の死者はおよそ9万人とされていますが、これは正確な数字とは言えず、実際の被害はこの数字を大幅に上回ると推定されます。過去の戦争でも、やられた側の被害というのは、その時点では完全に把握できないからです。日本だって原爆を落とされた直後は、「被害軽微」でした。
米兵の死者は約4千人、こちらの方は正確な数でしょう。イラクに派遣される前の軍事訓練で、「その女を殺せ、その子どもを殺せ、殺せ、殺せ、全員殺せ!」を叫ばされ、遠い戦地に赴いて死んでいった米国の若者もまた犠牲者といえるでしょう。
産経新聞の主張で、フセイン政権がクルド人5千人を殺害したと非難していますが、それならブッシュ政権がイラク国民を9万人殺したことは正当化されるのでしょうか。

産経新聞が主張する「独裁者と無法国家の打倒」が事実であれば、イラクはさぞかし平和で民主的な国になった筈なんですが。
事実は宗派間の対立が激化し、お互いが報復のための殺戮をし合うという最悪な事態に陥っています。
さらに、犬猿の仲であった隣国のイランと関係が修復され、遂にはイランのアフマディネジャド大統領がイラクを訪問するまでになりました。ブッシュさん、「悪の枢軸」同士が手を結びそうですよ。

産経新聞へ、アメリカの提灯持ちもいい加減にしたらどうですか。

2008/03/21

刑法39条の廃止を

Kaorin2最近行われた刑事裁判で、被告の心神喪失による責任能力を問う裁判が2件あった。
一つは東京地裁で審理中の、夫を殺害、遺体を切断したとして起訴された三橋歌織被告の公判において、精神鑑定を行った医師二人(検察側、弁護側)が、ともに「心神喪失の状態にあった」との見解を示したものだ。このまま行けば、被告の刑事責任能力を問えないということで、無罪になる可能性が高まった。
三橋歌織被告が、犯行時に行動を制御できなかった、あるいは朦朧とした意識障害の状態であったとの所見である。
もう1件は岐阜地裁で、2006年6月6日に車の強奪や当て逃げを繰り返し、女性3人に重軽傷を負わせなどの罪で起訴されたイラン人・ジャムシッド・モハマディ被告の裁判の判決で、覚せい剤使用後に及んだ強盗などは、「覚せい剤の影響で心神喪失の状態にあった」と無罪を言い渡したものだ(不法残留などは有罪)。

被告の心神喪失及び心神耗弱について、刑法は次の通り定めている。
第39条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

ではその定義はどうなっているのだろうか。
【心神喪失】精神の障害により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又はそれに従って行動する能力(行動制御能力)が失われた状態をいう。
【心神耗弱】精神の障害により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又はそれに従って行動する能力(行動制御能力)が著しく減退している状態をいう。
つまり、犯行時における被告の責任能力を精神科医が判断するわけで、客観的な尺度があるわけではない。裁判でも、検察側と弁護側の鑑定が真っ向から対立することも珍しくないのは、判断があくまで医師の主観によるせいであろう。

私自身、あるいは私の周囲を眺めても、完全に正常な人間などいないのではないかと思う。誰もが皆、少しは異常な部分を持っている。問題はその程度がどうかということであり、どこかで線引きをすることになる。
完全に正常なものをゼロ、完全に異常なものを100とすれば、全ての人はこの線上のどこかに位置している。仮に、そのレベルが69以下なら正常、70~89なら心神耗弱、90以上なら心神喪失と、大まかにいえばそういうことになるのだろう。
凶悪犯罪の場合は、正常と判断されれば死刑、異常と判断されれば無罪となることになり、正に「板こ1枚下は地獄」の世界である。

もう一つ考えなければならないのは、殺人や強盗傷害のような凶悪事件を起こす際の人間の心理状態である。私は経験が無いので断定は出来ないが、恐らく異常な心理状態になっていることが多いのではなかろうか。何であんな事をしてしまったのか、本人が後になって考えても理解できない、あるいは夢中でよく覚えていないというのが、多くの犯罪者に共通しているのではないだろうか。
三橋歌織被告の犯罪にしても、犯行時に異常な精神状態だったであろうことは、素人の私でも推測はできる。普段からそれほど重度の精神障害であったなら、普通の日常生活は送れなかった筈だ。
それを犯行の時には責任能力を問えず無罪だというのであれば、それは被害者の遺族でなくとも納得がいくものではない。

岐阜のジャムシッド・モハマディ被告のケースは、もっと極端である。つまり自ら覚せい剤を使用していたにも拘らず、それにより心神喪失となり無罪になっている。
これでは、交通事故で飲酒運転の方が罪が軽くなるようなもので、極めて不合理である。
過去の判例では、アルコールの大量摂取や薬物などで故意に心神喪失に陥った場合、刑法第39条1項「心神喪失者の行為は、罰しない。」は適用されないのが通例であり、不当判決ではなかろうか。
もしこうした理屈が通るなら、犯行前に覚せい剤を使えば、全て無罪になってしまう。

刑法39条の精神は、重度の精神障害者を救済する目的で作られたものではないのか。
それを犯行時の精神状態や、薬物による意識障害にまで拡大解釈するのは、法の精神を捻じ曲げていると考える。
無罪とすべき心神喪失についてはもっと厳密な定義が必要だろうし、それが難しいのであれば刑法39条を廃止し、刑法66条の量刑により処理すれば問題がないと思われるが、どうだろうか。
(酌量減軽)
第66条 犯罪の情状に酌量すべきものがあるときは、その刑を減軽することができる。

2008/03/19

思い出の落語家9「落語ブームの立役者」三代目三遊亭金馬

Kinba戦後の落語ブームは、昭和26年の民間放送(ラジオ)開局がきっかけとなる。ちょうど戦後の混乱も収まり、人々が笑いを求めていた時期とも重なって、毎日のようにラジオ各局から寄席番組が放送されるようになった。当時どこの家庭でも茶の間に1台だけラジオがおかれ、家族全員が同じものを聴いていたわけだから、親が落語を聴けば子どもも一緒になって聴いていた。小学校でも前の日の寄席番組が話題となり、オマセな子になれば、同級生の前で一席うかがうこともあった。金馬の口調を真似て、「孝行糖、孝行糖、孝行糖の本来は・・・」などとやっていた。全国の大学にオチ研が次々誕生したのも、この時期だ。

今でこそ昭和の名人といえば、文楽、志ん生、圓生となっているが、当時で最も人気があったのは三代目三遊亭金馬である。落語ブームの最盛期とされる昭和34年に、金馬はラジオに113回、TVにも68回出演している。つまり2日に1回は金馬の落語が放送されていた勘定になる。フリーだった事を割り引いても、いかに金馬の人気が高かったを物語っている。
当時の落語ファンの大半は、金馬ファンだったと言っても過言ではない。小柄だが顔が大きく、ハゲ頭に乱杭歯がトレードマークだった。
昭和29年には電車にはねられ、片足を失ったが、それでも元気に高座をつとめていた。
三代目三遊亭金馬の名が全国に知れ渡ったのは、昭和4年に発売した「居酒屋」のレコードが大当たりになってからだ。昭和39年に死去したが直前まで高座に上がっていたから、通算すれば35年間落語界を支えていたことになる。
それまでの落語は寄席でしか聴かれない、東京や大阪に住むファンのものだった。ラジオやTVを通して全国区になったわけで、金馬の功績は大だ。

今回この記事を書くにあたって、改めて金馬の録音を30席ほど聴いたが、やはり上手い。「間」のとり方が絶妙なのだ。
若いときは講釈師をしていたせいか、口調がとても明快だ。人物の性格描写もはっきりとしていて、とにかく聴いていて分かり易い。特に「やかん」「転失気」「金明竹」など一連の前座噺は、落語のお手本と言っても良いだろう。
噺家も真打、大看板ともなると、いわゆる前座噺を高座にかけなくなる。大家が今さらそんなネタを・・・という面もあるだろうが、本当は上手く出来ないから、難しいから手を出さないのではなかろうかと、私は推測している。
だって、文楽の「金明竹」や志ん生の「やかん」など想像もつかないし、多分下手でしょう。

ラジオ番組の出演が多かったせいか、金馬の落語は15分前後の短いネタが多い。その一方人情噺にも長けていて、「唐茄子屋政談」「佃祭」など名品も数々ある。「高野違い」「万病圓」などは、金馬の死後、後を継ぐ噺家は出てこない。
創作意欲も強く、「勉強」は金馬の新作であり、「薮入り」や「居酒屋」を現在の形に改作したのも金馬の功績だ。マクラやネタの間に差し挟む薀蓄を聞いていると、この人が実に研究熱心だったという事が分かる。
先の「居酒屋」を始め「茶の湯」「小言念仏」などは金馬の極め付けであり、この人を越す高座にお目にかかったことがない。

残念なことに、金馬は当時の落語通とよばれる人たち、特に久保田万太郎や安藤鶴夫といった権威者にウケが悪かった。理由は恐らく次の点であろう。
①確かに噺は上手いのだが、観客の心を打たない。
②ネタの途中に入れるクスグリや薀蓄が、文士たちの眼からから見ると小賢しいとうつったのでは。
③多くのネタを放送用に15分前後に仕上げたのが、権威者から邪道と見えたのでは。
三代目三遊亭金馬は、「名人」とはいえなかったが、「名手」ではあった。純文学では無く、直木賞なのだ。そういう落語家はいつの時代でも必要であり、金馬への評価が低すぎるのはなかろうか。

余談だが、釣り好きの金馬が戦前通っていた釣具屋があって、そこの娘が東京大空襲で家と家族全員を失い、戦災孤児となっていた。それを聞いた金馬はその娘を自宅に引き取り、養女にして育て上げ、落語家に嫁がせた。その娘の名は海老名香葉子、林家三平の夫人であり、当代の正蔵、いっ平の母である。
金馬は人情家でもあった。

2008/03/18

【ツアーな人々】だからあなたは嫌われる

Tour海外旅行の団体ツアーというのは、グループの人数が少ない時で10名程度、多くなると40名近くになることがあります。そうした集団が1週間から2週間、一緒に行動するのですから、そこには小さな「世間」が生まれます。
どうせ一期一会、せめて旅行期間中は楽しくやって、いい思い出を残そうと思うのですが、なかなかそういきません。
面白いことに多くの場合、グループの中に必ずリーダー格の人が一人現れ、団体を仕切り始めます。仕切り役の人がいる方がグループがまとまるとい良い面もあるのですが、時にリーダー格が二人現れたりすると派閥が形成されて、食事のテーブルも完全に分かれてしまうことがあります。
人間ですから、どうも虫が好かないということは往々にしてありますが、中にはいがみ合いがエスカレートして、いい歳をしてつかみ合いのケンカにまでなり、ツアーの雰囲気をぶち壊す「困ったさん」も出てきます。
歳を重ねると人間ができてくるどころか、却って感情の抑制が利かなくなる人が多く、正に人間の「業」ですね。

団体ツアーの「困ったさん」はこの他に、自己チュウの人があげられます。他人の迷惑など一切おかまいなく、自分の楽しみだけで行動する人に出会います。個人旅行にすれば良いと思うのですが、こういう人に限って旅行の最終日に、「皆さんとお別れするの、寂しいわ。」などと言い出し、周りを呆れさせます。自覚していないのですから、救いようがありません。

団体ツアーで嫌われる人に、「自慢する人」があげられます。実はこの人たちが一番評判が悪いんですが、これがどのツアーにも、一人や二人、必ずいるんですね。
現役時代に一定の社会的地位にいた人又はその奥さんに、そういう方が多いんです。社会の第一線から退くと、なかなか自分の栄光を披瀝する機会がなくなります。そうするとツアーで出会った他人に、それを誇示したくなるのでしょう。
自慢話は、さらに子どもや孫にも及びます。有名校に通学している、一流大学を出た、海外留学した、一流企業に入社した、外資に就職している、企業で重要なポストに就いている、海外で勤務している、まあ次から次と自慢のタネは尽きません。下手をすると、旅行中に同じ話を何回も聞かされます。「前に聞きましたよ」とも言えず、いかにも初めて聞いたフリをするのも辛いものです。

「息子は結婚して家を建て、自宅にはお手伝いさんがいて、逗子に別荘を持っているんです。」などと聞くと、この息子、よほど悪い事をしてるんだろうと、ついつい勘繰ってしまいます。
「孫は、いつもファーストクラスを利用してるんですよ。」と聞かされ、それならエコノミーで旅行しているお婆ちゃんの方はどうなのよ。たまにはお婆ちゃんにもファーストクラスをプレゼントしたらと、そう思ってしまいます。
そんな話に毎日付き合わされていると、日本へ戻ったらそいつらの息子だの孫だのの所へ行って、横っ面を張り倒したくなりますね。

昔から、「自慢高慢馬鹿のうち」という諺があります。本人が自慢をすればするほど、周りからはバカにされるんです。何のことはない、自らの愚かさ加減を、世間に公表しているわけです。
これは団体ツアーに限ったことではありません。特に年配者は、心しなくてはいけないでしょうね。

2008/03/17

「ベガーズ・オペラ」@日生劇場

Beggars_opera3月15日話題のミュージカル「ベガーズ・オペラ」を観劇。日本では2006年1月に初演で、その際は全日程即完売だった由。当日は貸切公演だったがもちろん完売。それでも早めに予約したせいか、舞台上手の袖付近ではあったが、中二階の最前列で役者の動きが良く見えた。
覚悟はしていたが、観客の8-9割は女性。男も若い人が多く、もしかしたら男子最高齢ではなかったかと。精神年齢が若いんだから、まあイッカ。

芝居の背景は18世紀のロンドン、当時のスラムは犯罪の温床で、警官はいるにはいたが薄給のためワイロがはびこり、治安は最悪。おまけに当時の官職は金で買えたため、金さえあれば希望の官吏になれた時代でもあった。
治安回復のために政府が行ったのは、窃盗でも死刑にするという厳罰強化であり、密告の奨励であった。つまり密告者には多額の報奨金を出し、犯罪人を捕まえては容赦なく縛り首にした次第。
処がドッコイ、こうした治安対策を逆手にとって、仲間同士をお互いに監視させ、悪党集団を束ねる盗賊支配者が現れる。この代表的人物がジョナサン・ワイルドで、「ベガーズ・オペラ」の主人公のモデルとされている。

ジョン・ゲイが原作を書いた18世紀は、イギリスでもイタリアオペラが全盛で、物語はもっぱら古典を題材にしたロマンチックなストーリー、終わりはハッピーエンドが定番だった。
その時代に、社会の恥部をテーマにした作品を作ったのだから反響は大変なもので、この作品は当時としては記録的な大当たりをとり、史上初のミュージカルとして名を残すこととなった。
第一、「ベガーズ・オペラ」つまり「乞食のオペラ」というタイトル自身が、かなり挑戦的ではないか。
この作品はその後ドイツに渡り、20世紀に入ってブレヒトの代表作「三文オペラ」に結実する。

日本公演の演出・脚色を担当したジョン・ケア―ドによる舞台作りは、原作の持つ社会風刺や、法的正義に対する原作者の鋭い目は極力おさえ、肩がこらずに楽しめるミュージカルに仕立てたようだ。
設定には工夫を凝らし、ベガーズ(乞食)のトムが書いた台本を老役者の計らいで、大劇場で1夜限り上演できる芝居としている。出演者は一人一人様々な過去を持ちながら、今は社会の底辺にいる人たちが、それぞれ劇中で、追いはぎ、盗賊、娼婦、密告者、警官、看守などの役を演じるという、いわば二重構造の設定。
ストーリーは至って単純。主人公の追いはぎマクヒースと、彼を巡ってのポリー・ピーチャムとルーシー・ロキットという二人のヒロインによる三角関係が軸になっている。そこに親子や夫婦の愛憎が絡み、裏切ったり裏切られたり、密告したり密告されたり、そんな物語が展開し、最後は・・・と、これは観てのお楽しみ。

主な出演者だけでも、内野聖陽(マクヒース)、髙嶋政宏(ピーチャム)、村井国夫(ロキット)、橋本さとし(トム/フィルチ)、近藤洋介(老役者)、島田歌穂(ルーシー・ロキット)、笹本玲奈(ポリー・ピーチャム)、森公美子(ミセス・ピーチャム)らの豪華キャスト。
「ステージサイドシート」と称する舞台の両袖に客席が設けられ、時にはそこの観客が舞台に参加させられる。上演中あるいは休憩時間に、出演者が客席を回り話しかける、フィナーレでは沢山の観客が舞台に上がり、一緒に歌い踊る。これらは原作の持つ俳優と観客のバリアを無くすという思想に基く、演出家の工夫によるもののようだが、こうした演出方法と、人気役者を揃えたところに、このミュージカルがヒットした大きな要因があると思われる。

反面、劇的なストーリー展開と物語の深みに欠けているため、例えば「屋根の上のバイオリン弾き」「ラ・マンチャの男」「レ・ミゼラブル」「オペラ座の怪人」などのブロードウエイミュージカルと比べると、遥かに感動が薄い。観終わった後で、余り印象に残らないのが欠点といえる。

出演者では、主役の内野聖陽は演技や歌は良いのだが、無骨なイメージが強く、大勢の女を手玉に取るというジゴロのイメージとはかけ離れている。シャレッ気が足りないのだ。ミスキャストではなかろうか。
歌では森公美子がさすが真価を発揮し、島田歌穂がすっかりミュージカル俳優としての貫禄が出てきた。
橋元さとしが軽快な演技を見せて、脇の女優陣では山崎直子(スーキー・トードリー)が妖艶さで、宮菜穂子(モリ―・ブレイズン/トム・ティップル)が体当たりの演技で、それぞれ魅せてくれた。
3月30日まで。

2008/03/16

「レジ袋」ファシズム

Rejibukuro「レジ袋」削減について、3月14日に二つの動きがあった。
一つは東京都町田市と同市の中堅スーパー三和、市民団体の三者がレジ袋を全廃して効果を調べる全国初の実験が始まったこと。
もう一つは、東京都杉並区議会は14日、全国初のレジ袋有料化推進条例案を賛成多数で可決し、4月1日に施行することが決まったこと。
レジ袋を減らしていこうという取り組みを行うのは自由だが、一方的に廃止したり、杉並区のように「有料化」を条例で決めるなどということは、正気の沙汰ではない。
こうした運動を進めている人たちを見ていると、環境保護のためには絶対にレジ袋を廃止しなくてはいけないとの思い込みに上に立っており、まんまと環境省の術中にはまっている。

当ブログで以前「レジ袋」有料化に異議あり!」に書いた通り、日本中からレジ袋を全廃しても、原油換算で0.08%、廃棄物の重量換算で0.06%しか寄与せず、その効果は微々たるものだ。さらにこの試算には次の点が無視されており、実際の効果は更にその数分の1になると思われる。
①我が家では家庭ごみの袋として100%利用しているが、こうした利用率を無視していること。
②レジ袋を廃止すれば、他の買い物袋などを使うことになるが、こうした代替品に係わる燃料の消費量や発生する廃棄物量を無視していること。

ではなぜ行政がこれほどレジ袋だけを目の敵にしているかといえば、最大の理由は
①この運動が行政や産業界、商店の腹を一切痛めることがない、リスクは消費者が一方的に負う仕組みになっている。
②効果が数量で現れ、眼に見えやすいので、行政側のPRにはもってこい。
③買い物袋の購入など、新たな需要が期待できる。
からであろう。
環境保護運動で注意しなくてはならないのは、効果が不明瞭のまま結局は環境ビジネスに利用されることだ。その典型が「バイオ燃料」であり、一方でこのビジネスで莫大な利益を上げている者があれば、その一方で穀物価格の上昇による貧困層の増大を招く結果となっている。
いま話題になっている「捕鯨禁止」運動なども、目的は牛肉輸出産業を保護するためだ。

環境保護は誰もが反対できないところから、行政が市民運動を巻き込んで思惑通りに進めやすい。問答無用になるのだ。よほど注意してかからないと、終わってみれば環境ビジネスにのみ貢献したという事になりかねない。
過去の責任は一切棚に上げ、現状の危機だけを煽って国民の側に一方的に犠牲を押し付ける。石原都知事と同様の手法を、環境保護の美名の下に推し進めるのであれば、これは環境ファシズムだといえる。

2008/03/13

アメリカ三題噺

【米国国営放送化するNHK】
家にいる時はNHKニュースを見ているが、必ず毎日放送するのは次の3つの出来事だ。
①米国大統領の予備選挙
②米大リーグのオープン戦
③三浦和義の米国本土移送
いずれも私たちの生活に影響が及ぶとは思われないニュースばかりである。
米国大統領に誰が就任するかは、日本人にとっても関心事だろうが、今はその候補者選びの段階であり、その選考経過をリアルタイムで報じるのは行き過ぎではなかろうか。
MLBにしてもリーグ戦が始まれば試合結果は気になるだろうが、今は練習、調整段階であり、誰それがヒットを打っただの、誰それが好投しただのと報じる事に、どんなニュース価値があるのだろうか。
三浦和義がサイパンで逮捕された件も、殺人罪としては我が国として無罪が確定している事件であり、「一事不再理」の原則からいえばこの逮捕は不当だろうし、日本として米国に身柄引き渡しを要求できると考える。しかしアメリカの法律に従って裁くのであれば、ただ経過を見守るしかない。
この場合の国際的ルールはどうなっているのか、あるいはルールはルールとして現在の日米関係からすれば、両国の司法当局間で話し合いや調整が可能かどうか、この辺りの肝心な問題に触れていない。
NHKニュースはワイドショーとは違うのだから、日本としてどうあるべきかという視点を忘れてはならないと思う。

【売春関与でNY州知事が辞任】
Newyorkかつて司法のトップにあって売春の摘発を指揮していた米ニューヨーク州のエリオット・スピッツァー知事(48)が、3月12日辞任を表明したのはまことに皮肉な結果だった。こういうのは一種の同化作用ともいうべきか。
知事が高級売春組織の顧客であるのがバレタのは、聖バレンタインデーの前日に買春したのがきっかけで、とんだ「聖夜」ならぬ「性夜」であったという次第。
面白かったのは4時間のサービスに4300ドル(約44万円)を支払ったという事だ。日本でも高級売春は行われており、例えば売れなくなったアイドルやタレント、モデルなどが相手をしてくれるそうだが、その相場は一晩で数十万円と聞いていたので、日米の価格差は殆んど無いようだ。
それにしても、買春告白の記者会見に夫人同伴とは、悪趣味にしか見えないが、どうも米国人の神経はよく分からない。

【小浜市がオバマ支持】
福井県小浜市の「オバマ候補を勝手に応援する会」のイベントなるものが報道されていたが、こんな事をして恥ずかしくないのだろうか。それなら「薮」さんはブッシュ大統領を応援しなくちゃいけない。
最近、地方自治体がニュースになるのであれば何でも飛びつき、話題作りに励んでいるのは実に見苦しい。地方自治の本分を忘れているようだ。この点は、東国原知事フィーバーの悪しき影響なのだろう。
その東国原知事だが、近頃はすっかり「道路特定財源」のPR係に堕したようだ。
タレントが政治家になると、ロクな事をしないという見本である。

2008/03/12

大ボラ慎太郎の言いたい放題

Ishihara01「最初から私が社長だったら、もっと大きな銀行にしてました」。3月11日に開かれた東京都議会予算特別委員会で、石原知事はこう大見得を切った。上等じゃないか、やって貰いましょうよ。石原慎太郎さん、直ちに都知事を辞職して、新銀行東京の社長とやらに就任して下さい。そして立派な大銀行に育て上げることが、都民に対する唯一の責任の取り方です。
元々そんな気などサラサラ無いのに、あいもかわらずの「引かれ者の小唄」。広沢虎造の名セリフじゃないが、「馬鹿は死ななきゃ治らない」か。

委員会の議論を見ていると、400億円の追加融資に自民党は賛成の立場をはっきりさせていた。石原銀行が1000億円の赤字になっても、一方でイイ思いをしている者もいるという現実がある。
例えば3億円の融資を受けて2ヵ月後に倒産した企業があり、こういう会社の経営者や融資の口利きをした議員や都の幹部連中は、さぞかしほくそえんでいるのだろう。誰だって3億円貰っていれば、追加融資に諸手を挙げて賛成するさ。
都側の説明で、新銀行が破綻してペイオフが発動されると、預金者に計477億円が戻らないとの見通しだそうだ。成る程、大口預金者に損をさせないように、都民の税金から400億円補填させようという魂胆か。

新銀行東京への追加融資、最終的には都議会与党の賛成多数で承認されるのだろう。センセイ方、自分の腹は痛まないのだからお気楽なものだ。
賛成も結構。それほど銀行の再建に確信があるのなら、石原銀行の連帯保証人になってから賛成して下さい。

2008/03/10

「ガソリン」がコンパニオンに化ける

Fuyushiba「道路特定財源のムダ使いが問題になってるね」「ガソリンだけに”油”水の如く使ったさ」。
正式には「揮発油税及び地方道路税(これも国税)」、ひとよんで「ガソリン税」。なにせ、国民がガソリン1リットル使うごとに今の暫定税率では、
【揮発油税48.6円+地方道路税5.2円】
が政府のフトコロに入ってくるのだから、これはコタエラレナイ。
金はジャブジャブ入ってくるけど、そんなに道路は造ってもしょうがない。その結果資金がダブツイテきた。それなら足りなくて困っている所へ予算に廻してやれば良いものを、これは「特定財源」だからヨソにはあげられない。
かくして、
・公共交通機関のインフラ整備
・鉄道との立体交差
・幹線道路の光ファイバー網整備
・まちづくり総合支援
・ETC車載器リース制度
・駐車場への貸付金、
・ミュージカルやCDの制作
・カラオケセットやアロマテラピー器具の購入
などなど、大盤振る舞いとなった。

これらも氷山の一角だろう。表に出せないお金に横流ししていることは容易に想像できる。「特定財源」だが「使途自由」なのだからワケが判らない。
その一つに、国交省所管の財団法人「公共用地補償機構」職員の大名旅行がある。1泊2日で一人8~9万円費用をかけているとしたら、一部の元職員が白状しているようにコンパニオン代でしょうな。宴会が終わって延長にすれば、数万円くらい直ぐにすっ飛ぶ。
コンパニオン代はホテル経由で支払われるため、宿泊代の中にコミコミになるので、領収書だけでは分からない。これが民間企業なら上限が決まっているので、超過分は自己負担になってしまうが、国交省関係は青天井なんだろう。
まあ想像だけど、宴会はこんな具合だったんだろうね。

「オー、こりゃまたカワイ子ちゃんのお揃いだね。幹事デカシタ。さあ一人はこっち、ボクのお隣よ。名前は?萌チャン! いい名前だね、じゃぁ今夜は萌チャンとモエ~なんてね。キミ、胸大きいね、身体細いのに。サイズ当ててみようか。エート、Eか,Fだなきっと。エッ、Gカップ! 中味ちゃんとつまってるんだろうね。ちょっとカクニン。あ、ダメですか。普段は何してるの? 女優の卵? そう、どおりでカワイイと思ったよ。TVは? 先週の“火サス” に、出てた? ああ、そう。あれ、ボク毎週見てるんだけど、萌ちゃん出てたかなぁ。水死体の役? アー、それじゃ気がつかないや。
幹事~、せっかくカワイ子チャンが来てるんだから、何か面白いことやれよ。そうだ、野球拳なんかいいんじゃない。ジャンケンで負けたら1枚づつ脱いでいくっていう、アレよ。じゃあ萌チャンと、相手は山田、お前やれ。いいか上司の命令であるぞ、必ず勝てよ。審判はオレがやろう。
♪野球ゥすゥるなら ・・・ アウト セーフ ヨヨイノヨイ♪(くり返し)
こら山田、お前負けてばかりいるじゃねえか。お前の全裸見てもしょうがねえんだよ。萌チャンなんか、靴下しか脱いでねえじゃないか。ダメだ、こりゃ。もうヤメヤメ。ここの1階にクラブがあったよな。じゃあ、これから二次会だ。カラオケで盛り上がろうぜ。萌チャンたちも一緒だぞ!」

故事に「小人玉(たま)を懐(いだ)いて罪有り」。こういう連中に余分な金を持たすと、ロクな事をしないという見本だ。
ガソリン税などさっさと一般財源化して、道路建設を含め公正な予算配分をすべきだろう。

2008/03/09

お懐かしや!内藤陳”DOGA DOGA+第3回公演”

Naito_chin劇団「ドガドガプラス」の第3回公演「贋作・伊豆の踊り子」が、浅草東洋館で行われていますが、3月8日つまり千秋楽の前日に観劇。なぜ観に行く気になったかといえば、ナマ内藤陳を一目見たかったからです。
内藤陳、かつて「トリオ・ザ・パンチ」というグループを率いて、「ハードボイルドだど!」というギャグで一世を風靡した伝説的なコメディアンです。その後はお笑いの舞台に立つことは少なく、映画に出演したり、新宿ゴールデン街にある「深夜+1」という店を経営する傍ら、日本冒険小説協会会長をつとめるなど、書評家として活躍しています。

劇場である浅草東洋館ですが、ここはかつての浅草フランス座であり、ストリップの殿堂でした。同時に渥美清や三波伸介など戦後に活躍したコメディアンの大半が、ここを舞台として飛躍したコメディアンの殿堂でもありました。もちろん内藤陳もその一人です。そうそう、作家の井上ひさしも、ここフランス座の出身でしたね。
また劇団の「ドガドガ」は踊り子をモチーフにした画家ドガからとっており、名前の通り踊り子(衣装は着けていますので間違えないように)が中心の劇団であり、旧フランス座で公演するというのも意義のあることなのでしょう。

さて当日、早めに着いたので無事かぶりつきの席を確保。補助席も出る満員でしたが、劇団や主演者の関係者が多かったようで、私のような一見の飛び込みは少数だったと思われます。客は若い人が多く、もしかして最年長だったかも。

本家の「伊豆の踊り子」ですが、随分と昔に読んだので忘れましたが、旧制高校生・私(川端康成自身がモデル)が、伊豆の一人旅で旅芸人の一行と出会い、その中にいた踊り子・薫に惹かれ、彼女たち一行と旅を共にする。
温泉で薫の全裸を見て嬉しくなったりと色々あって、最後は再会を約束して別れる。
こうして粗筋だけ書くと、何だかミもフタもないことになります。

満年齢なら男は19歳、踊り子は13歳というから中学2年生位の年齢で、主人公にややロリコンの傾向が見られます。一行の後を追い続けていたのは、追っ掛けかストーカーみたい。風呂場で裸を見たときは、「萌え~」の気分というところでしょうか。
川端センセイの原作では、想いを寄せる男の方の感情は描かれても、想いを寄せられた踊り子の側はどうなのよという疑問もあります。
「贋作」の舞台、作・演出は望月六郎ですが、どうやらこの辺りの視点からパロディに仕立てたと思われます。
踊り子の話が、伊豆下田つながりからいつのまにか「唐人お吉」の話に変わっていったり、明治維新というのは日本が西洋に負けたということ事ではないかという問いかけがあったり、秋葉系オタクの3人組が「オズの魔法使い」だったり、様々な仕掛けが入れ込んでありました。
歌と踊りが入るミュージカル仕立てになっていて、そこそこ楽しめる舞台だったかと思いますが、作者がいわんとする意図がよくみえなかったし、踊りが単調だったと思います。
出演者では、戸田佳世子が品の良い色気を見せ、崔哲浩がハマリ役でした。

幕間にお目当ての内藤陳率いる「トリオ・ザ・パンチ2008」のコントが演じられましたが、やあ内藤陳、年は取りましたが相変わらずカッコウイイ! ちょっと身体を反らした立ち姿は男の色気に溢れ、ほれぼれします。
私はかねがね、「ルパン3世」のモデルは内藤陳だと確信しています。
昨年ガンから復帰した「永久のガンマン」、これからも元気な姿で私たちを楽しませてください。

本公演は今日が千秋楽ですので、内藤陳見たい人、急いで浅草東洋館へ。

2008/03/08

笑止千万!慎太郎の「石原銀行」批判

Isiharatochiji一体、石原慎太郎という男はどんな神経をしているのだろうか。
ここのところ新銀行東京の経営陣に対して批判を強めているが、今さら何を言っているのやら。
400億円の追加融資に反対の声が多いと聞くと、都民は銀行の詳細を知らないからだと居直っている。正にその通り、詳細を知っていたのはあなた、石原慎太郎さんだけですよ。
手柄は自分の功績、失敗は全て部下に押し付ける、実に品性下劣な人間であることを証明している。

3月7日の定例記者会見でも、石原都知事は銀行の経営陣が
①融資拡大路線に固執した
②企業の財務データから融資の可否を自動的に決めるスコアリングモデルに過度に依存した
などとして、場合によっては法的責任を追及するとしている。
しかし、
①については、杜撰な経営計画により経費が増大し、経営を維持するために融資拡大に走らざるを得なかった
②については、スコアリングモデルは東京都側が作成したもので、銀行はその方針に従っただけ
であり、いずれも東京都の責任は免れない。
経営陣の法的責任追及も結構だが、先ずは石原知事自身が「全て私が悪うございました」と「自首」したらいかがだろうか。

新銀行東京の経営陣は「半年つぶれない会社だったらどんどん貸せ」と号令をかけ、融資実行の件数や額に応じて行員には最大200万円の報奨金が支給された結果、質の悪い融資が膨らんでいった。
そうした事が続けられてきたのも、元を正せば石原知事の示した基本方針に従ったものではなかったのか。
新銀行東京の経営実態は、石原知事がオーナーの都営銀行だったといえる。
なぜか都民の支持率が高かった石原都知事と、共産党を除けばオール与党だった都議会は事実上ノーチェック、そうなれば後はやりたい放題だった。
分かり易くいえば、自分のフトコロが一銭も痛まない連中が寄って集って、都民の資産をむしり合いをしたということだ。
今ごろになって石原知事、「石原銀行」の経営を批判してみせたり、都民は実態を知らないと居直ったり、正に笑止千万!

2008/03/06

「ブッシュ、御用だ!」久々明るい話題

Bush1ここのところ暗いニュース、嫌な出来事ばかりで気分が滅入っていましたが、久々の明るいニュースです。
ロイターが伝えるところによれば、米バーモント州の2つの町で、ブッシュ大統領とチェイニー副大統領を逮捕するよう地元警察に指示する条例が、住民投票で成立したそうです。
条例では「憲法に対する犯罪」でブッシュ大統領らの訴追が可能な機関に、2人を引き渡すよう警察に求めています。他国のこととは言え、実にすがすがしい気分になりますね。
もし逮捕となれば、不肖この私めも十手と御用提灯を持って、バーモント州やらに馳せ参じる覚悟であります。

ただ残念なのは、この条例には法的拘束力のないので、実現しそうにありません。
しかしアメリカという国、なかなか粋なことをやるじゃありませんか。
東京のどこかの自治体でもやりませんかね。「石原銀行」の放漫経営で、都民に1000億円近い損失を与えた罪で、石原都知事を逮捕する条例なんか、どうでしょうかね。
その位やらないとあの男、堪えそうにありません。

検察はオソマツ過ぎる

Muzai3月5日に行われた、一つは北九州の放火・殺人でも無罪判決、もう一つは岩国基地米兵の日本人女性集団強姦事件での米軍による軍法会議の決定、いずれも我が国検察のオソマツぶりを露呈する結果となった。

先ず、2004年3月に無職古賀俊一さんが全焼した自宅の焼け跡から遺体で見つかった事件で、妹の片岸みつ子被告が殺人、放火罪などに問われた事件の判決公判だが、福岡地裁小倉支部は無罪の判決を出した(窃盗罪などは有罪)。
この事件は物証が無く、片岸みつ子被告と留置所で同房だった女の証言だけで起訴したもので、元々無理があった。
この女と片岸みつ子被告の二人だけで約3ヶ月間同じ房で過ごしたというのは余りに不自然だ。証言も警察の意向に沿ったものであり、証言の前後から女が捜査に手心を加えられていることなどから、明らかに警察のスパイとして送り込まれた可能性が高い。
警察としては、兄の口座から預金をひき出した妹を強引に殺人犯に仕立てたかったのだろうが、こんなミエミエの手は、検察が見抜けなくてはいけない。

判決ではこの点を、「捜査機関は、被告の収容先の留置場に別事件の被疑者を意図的に同房にして、被告人の供述を得ようとするなど、虚偽供述を誘発しかねない不当な捜査を行った。被告が同房者に語った犯行告白は信用できず、犯人と認定することはできない」と、厳しく指摘している。
また、同房の女の証言についても、「自身も捜査機関に処分を委ねている身だから警察に無意識に迎合する恐れがある。実際には警察の取調官としての役割を果たした。捜査側に伝えることを隠して被告から聞き出しており、証言は任意性がなく、証拠能力もない」と断じた。

これほど明らかなでっち上げを見抜けなかったとしたら、検察の目は節穴だったのだろうか。

一方、2007年10月14日に起きた、岩国基地所属の米海兵隊員4人による日本人女性集団強姦事件だが、以前当ブログにも書いた通り、日本の検察は不起訴としていた。
恐らく、検察は被害にあった日本人女性の素行に問題ありと判断、女性の証言を信用できないとして、不起訴としたものと思われる。
しかし米軍側はこの事件について、昨年12月この4人を性的暴行や窃盗、命令への不服従などの罪で訴追した。
今年の2月14日と15日に軍法会議にかけるかどうか判断する予備審問を開き、この場で被害者の女性が「4人に暴行された」と訴え、弁護側は「事件は女性のでっちあげだ」と主張していた。
この結果、米海兵隊司令官は5日までに、4人を軍法会議、それも最も重い罪を適用される高等軍法会議にかけることを決定したものである。

こちらの事件は、日本の検察が被害女性の訴えに耳を貸さず、証言が信用できないとして米兵を不起訴としていたもので、我が国検察は明きメクラなのか。
日本と米軍とでは法律の違いはあるものの、日本の捜査当局が米兵を不起訴にした後、米軍が軍法会議にかけるのは異例であり、検察の鼎の軽重が問われる。

2008/03/05

「立ち退き」ビジネスは儲かりまっせ

Suruga不動産を買ったのは良いがそこに入居者がいて、住むことも出来なければ取り壊しもできないし、転売しようにも買い手がつかない。この人さえ退去してくれれば、一気に資産価値があがる。普通は転居費用をはずんで立ち退いて貰うのですが、それでもダメな場合は、そのスジの人にお願いする。まあ世間よくあることですね。
東証2部上場の「スルガコーポレーション」(岩田一雄・会長兼社長)が取得した不動産を、大阪市の不動産会社「光誉実業」社長・朝治博容疑者に依頼して入居者を立ち退かせ、解体して転売していたことが発覚しましたが、正に典型的な例ですね。
所有者は転売して儲け、間に入った不動産業者には手数料が入り、暴力団には金が渡され、入居者は多額の立ち退き料が支払われる。かくして関係者全てがハッピーとなり、メデタシメデタシとなるとは限りません。違法な手段で立ち退かせれば立派な犯罪です。

私のサラリーマン現役時代の取引先に、不動産業者がいました。と言っても、社長一人だけの会社ですが。
この人、裁判所の職員と通じていて、適当な競売物件の紹介を受けます。資産価値があるのに入居者がいるため買い手がつかない、そういう問題物件です。
連絡を受けた社長は、その物件を格安で落札します。その後、地元の暴力団に入居者の立ち退きを頼み、無事退去して貰ってこれを転売する。暴力団に手数料を払い、残りが自分の取り分になります。そうそう、情報を流してくれた裁判所職員にも、お礼をせねば。
1年間に2件の物件を扱えば、十分食べていけるそうですから、ボロイ商売ですね。

なかには競売を妨害する目的で、暴力団が入居者を送り込んでくるケースもあります。法外な退去費用をふっかけてくるわけです。
そういう人間を立ち退かせるのも暴力団、つまり攻めるも守るもヤクザということで、何のことはないマッチポンプですね。
こんな事が全国で、日常的に繰り返されているというのが実情でしょう。
だからいつまで経っても、不動産業界や建設業界は暴力団と手が切れない。

不動産の所有権をめぐる法律の盲点、これを改正しないと、これからもこうした不法行為は絶対に無くならないでしょう。

2008/03/03

「環境保護」という名の「海のギャング」

Sea_shepardo又しても米国の「環境保護団体」が、日本の調査捕鯨に対し無法な行為を行った。
2月3日午前7時10分ごろ、オーストラリア・メルボルンの南南西約2960キロの公海上で、環境保護団体シー・シェパードの所属船「ステープ・アーウィン号」(1000トン)が、日本の調査捕鯨船「日新丸」に対し、1時間にわたり船橋後方甲板に酪酸入りの薬瓶と白色粉末状のものが入った茶色の紙包みを投げ込む妨害活動を行った。
投げ込まれた酪酸などが乗船していた海上保安官2人、乗組員2人の計4人にかかり、うち3人が受傷し医師の手当てを受けたと報じられている。

実はこのシー・シェパードという団体、1年前の2007年2月9日、同じ「日新丸」に対して船2隻が接近し、今回と同様の手口で酪酸入りの瓶を投げ付ける事件を起こしている。
この時も日新丸乗組員2名が負傷している。
その際、シー・シェパード側の米国人二人が海に落ち行方不明になり、何と日本側に救助を要請、日新丸がこの二人を救助したというオマケ付きだ。
恩を仇で返すたぁ、実にふてえ野郎どもである。

シー・シェパードは過去に、捕鯨船を爆破したり発砲したり照明弾を投げ込んだりと、やりたい放題の無法行為を繰り返している。一体これらの行為のどこが環境保護なのだろう。むしろテロリスト、あるいは海賊と呼ぶのが相応しい。
もう一つ、アメリカ政府はなぜ彼らの行為を取り締まらず、放置しているのだろうか。それともアメリカ人が行うテロ行為は見逃すというのが基本姿勢なのだろうか。

三浦和義を捕まえているヒマがあるなら、彼らのような無法者こそ取り締まるべきではないだろうか。

第346回花形演芸会@国立演芸場

Yuujaku3月1日の夜の部は花形演芸会。ビールを飲んで軽い食事をとり、再び国立演芸場に戻る。

・柳家初花「反対俥」
若いうちは変に「受け」狙いで小細工せず、真っ直ぐに行った方が良い。
・一龍斎貞橘「笹野名槍伝 海賊退治」
講談の大半は英雄豪傑伝だが、時代とかけ離れてきているのだろうか、聴いていても今一つピンとこない。
・鏡味正二郎「太神楽」
和傘の上で茶碗を回す芸は、いつ見ても感心する。
・林家彦いち「厩火事」
マクラで蘇民祭の参加した時のエピソードなどを披露していたが、確かにこの人、そのスジから人気がありそうな風貌だ。
マクラが長引いて、端折った「厩火事」になってしまったが、全体にもう少し丁寧に演じた方が良い。それと、女房おさきに色気が足りないのが致命的。

―仲入り―
・三遊亭円馬「蛙茶番」
典型的なバレ噺(艶笑噺)だが、円馬は終始丁寧に演じていた。この手のネタは、演者が照れてしまうと下品になり、面白くなくなる。正統派の「蛙茶番」となった。
・柳家紫文「俗曲」
師匠である柳家紫朝は実に良い喉をしているが、病を得てから高座に上がる機会が減ってしまい、とても残念だ。以前、新内の「蘭蝶」を聴いたことがあるが、ウットリとして聴き入ってしまった。それなのに、この弟子のテイタラク。師匠が「蘭蝶」なら、弟子は「乱調」。

トリは三遊亭遊雀で「御神酒徳利」。
とても面白かったが、評価は分かれると思う。
遊雀の演出は、オリジナルをかなりカットして、テンポの良い噺に変えていた。時間も10分以上短縮していたと推定される。その分ストーリー展開はスピーディーとなり、間然とするところがない。適度に入れられるクスグリも、会場を沸かしていた。
その結果、他の演者に有り勝ちのダレルこともなく、楽しい「御神酒徳利」となった。

反面、辻褄が合わない部分も出てきて、オリジナルの持つ風格を欠くという評価もあるだろう。
長いネタなので、まともに演じると普通の定席では掛けられない。かと言って時間に迫われると、筋だけを追うことになり、無味乾燥な出来になってしまう。
遊雀の試みは、それに対する一つの回答を示していると思われる。

通算すると8時間半、最後まで辛抱できたのは我ながらエライ。

2008/03/02

“当たり”の喬太郎「竹の水仙」

Kyotaro53月1日は国立演芸場の昼夜ぶち抜き。末広亭や池袋演芸場では経験あるが、国立では初めて。先ずは昼の部、3月上席初日から。

・入船亭扇里「一目上がり」
・ロケット団「漫才」
面白さに磨きがかかってきた。4文字熟語の「三浦和義」で会場を沸かせた。二人の息がピッタリだし、「間」が絶妙。
・桃月庵白酒「転宅」
地味ながら確実に実力を付けてきている。気の弱い泥棒と、鉄火な妾の人物描写も良くできていた。芸に色気が出てきた。
・翁家勝丸「太神楽」
・三遊亭吉窓「そば清」
圓窓の弟子らしく、楷書の芸。そばの食いっぷりが良い。
―仲入り―
・だるま食堂「コント」
もし年配の方で、この人たちの芸を観たことがない人がいたら、早く観て。空前にして絶後、冥途の土産にピッタリ。ただし小さなお子さんは、夜うなされるといけないので、止めた方が良い。
・三遊亭金八「三方一両損」
初見。しっかりした芸だが、金属的な声が個人的には苦手。
・柳家亀太郎「三味線漫談」
寄席芸人の中で、昔と比べてレベルが落ちているのに音曲師がある。特に現役で寄席に出ている男の音曲芸人が、揃いも揃って声が悪いには嘆かわしい。唄を生業とする者は、一に声である。
亀太郎は初代柳家三亀松の孫弟子にあたるが、三味線はともかく唄が(ミキマツではなく)オソマツ。

さて、お目当てのトリ柳家喬太郎だが、当日は「竹の水仙」。
これが実に良かった。
私が観た喬太郎の高座でも、3本の指に入る出来だと思う。後の二つは「按摩の炬燵」「三味線栗毛」で、そういえばいずれも国立演芸場のトリの高座である。偶然なのか、それとも喬太郎自身、国立のトリには特に入れ込むのだろうか。
このネタは、「三井の大黒」「ねずみ」と並ぶ左甚五郎モノの代表的作品だが、ストーリーからいくと「抜け雀」に近い。いずれも演者の力量が問われる作品で、一歩間違うと平板で退屈な出来となる。

喬太郎の演出は、いかにもこの人らしく、「けれん」あり、「くすぐり」あり、権太楼のモノマネありと大サービスだ。
しかし、お人好しの宿の主人の真情に打たれて甚五郎が「竹の水仙」を彫るくだり、この品物に目を留めた大名の屋敷に呼ばれる時の亭主の不安感、百両で売れた時の喜びを爆発させるくだりといった、この噺のカンドコロはきちんと押さえている。
宿の女将さんや宿場役人、大名の家臣などの脇役も、見事に演じ分けていた。

ここの所、“ハズレ”の喬太郎が続いていたが、久々に“アタリ”の喬太郎をひき、満足した。

2008/03/01

沖縄米兵少女暴行事件の「薮の中」

<お断り>
ここ数日この記事に対するアクセスが急増しているようだ。
おそらく12月1日に一川防衛大臣が国会で、1995年に沖縄で起きたアメリカ兵による少女暴行事件について聞かれ、「詳細には知らない」などと答弁したことに関連したものと思われる。
しかし以下の記事は、上記の問題となっている事件とは無関係の2008年に起きた別の事件を取り扱っている。
その点、混同されぬようご注意願いたい。
(2011/12/2 追記)

お気付きの方もおられるでしょうが、当ブログでは2月に起きた沖縄県の米兵による少女暴行事件について、これまで一切触れずにきました。
この理由は事件の経緯に疑問があり、先ず事実を確認する事が先決と判断したからです。
以下に事件の第一報を、産経ニュースより引用します。

沖縄県警沖縄署は2月11日、中学3年の少女(14)を暴行したとして、強姦の疑いで米海兵隊キャンプコートニー所属の2等軍曹、タイロン・ハドナット容疑者(38)=同県北中城村島袋=を逮捕した。「押し倒したりキスしたりしたが、暴行していない」と容疑を否認している。
調べによると、ハドナット容疑者は10日午後10時半ごろ、同県北谷町北前の公園前路上に止めた車の中で少女に暴行した疑い。
同署によると、ハドナット容疑者は同8時半ごろ、沖縄市の繁華街で、アイスクリーム店から出てきた3人連れの少女たちに声を掛け、5分ほど会話した。うち1人の少女が自宅へ送ってもらえると思いバイクに同乗したが、基地外の容疑者宅へ連れて行かれ、キスやわいせつな行為を迫られた。
怖くなって泣きだした少女を、ハドナット容疑者は「家に送ってあげる」と車で連れ出した後、車内で暴行したという。
途中、心配した友人が何度も少女に電話したところ、「助けて」と短く答えて電話が切れたため、午後10時20分ごろ沖縄署へ通報。同署が行方を捜していた。少女は車を降りた後、友人の母親に電話し、現場近くで署員に保護された。
少女の話から、署員が自宅前で車の中にいたハドナット容疑者を発見、任意同行を求め、11日未明に緊急逮捕した。
(2008.2.11 11:26 産経ニュース)

この記事を読んで、私が不自然だと感じたのは次の点です。
①米兵が一度自宅へ連れて行ってから、その後車内で強姦したことになっているが、自宅を見せれば被害者が覚えていて、後で捕まることは予測できたと思われること。
②米兵が容疑を否認していたこと(検査すれば真偽が分かる)。
③少女が車を降りた後も、米兵がそのまま車中にいたこと。
総じて言えることは、容疑者である米兵に一貫して罪の意識が無いことです。
今後の取調べと捜査により、まず事実を確認することが先と考えたわけです。

この事件は、2月29日那覇地検が、米海兵隊のタイロン・ハドナット2等軍曹を不起訴処分とし、釈放しました。被害者の中学生が告訴を取り下げたためとされています。
記者会見した那覇地検の山舗弥一郎検事正は、「被害を受けた中学生が『もう、そっとしてほしい』と思っている。親告罪以外の罪を適用して起訴することも、被害者の感情を考えれば適当ではないと判断した」と述べています。

告訴取り下げは、米軍や警察、検察などの圧力というのは考え難いので、被害者本人あるいは家族の意向であろうと思われます。
今回の不起訴で心配なのは、被害者への非難と中傷が激しくなると予想されることです。
しかし容疑者とされた米兵は「押し倒したりキスしたりした」したことは認めており、少女が何らかの被害にあったことは事実でしょう。
未だ事実が明らかになっていない段階ですから、被害者に対して二次被害を与えるような言動は、慎むべきです。

今後この事件は、米軍当局が捜査を行うことになっています。
今回の米兵釈放に関して、米大使館のマークス報道官は29日夜、「釈放されたにせよ、極めて遺憾な事件だと受け止めている。日本側が優先的な裁判管轄権を行使しないのであれば、米軍当局が証拠を再検討したうえで独自の捜査を継続し、今後の対応を決める」と述べました。
今後は米軍として、軍法会議などを視野に捜査する考えを示したものと解釈されます。

アメリカ側が公正な捜査(註)を進め、事件の真相が明らかになることを希望します。
(註)
昨年11月に、米軍岩国基地の海兵隊員4名が、日本人女性を集団で強姦したとされる事件があった。この事件、被害者の女性の証言がアイマイだということで、広島地検は不起訴処分とした。
処がこの4人について米軍が、統一軍事裁判法違反の罪で訴追していることが判明した。
2月14日に岩国基地内で行われた予備審問では、被害を訴えている女性が証人に立ち、時おり涙を流し声を震わせながら「四人に暴行された」と訴えたと報じられている。
もしこの事件で、米軍が軍法会議にかけることを正式に決めた場合、日本の検察と判断が分かれることになる。

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