不可解な善光寺の対応
北京五輪聖火リレーの国内唯一の開催地、長野市で26日に行われる聖火リレーで、善光寺が出発地の返上を聖火リレー市実行委員会に申し入れた。
会見の席上、若麻績(わかおみ)信昭・寺務総長は「私たちは北京五輪開催を支持しないわけではない。五輪は開いてほしい」と語った。
善光寺が北京オリンピックに反対なので、聖火リレーに協力しないというなら、筋は通る。しかし支持はするが出発地を返上するというのは、理屈が通らないではないのか。
善光寺側は今回の措置について、チベットの人権問題をあげているが、これもおかしい。中国政府によるチベット弾圧は半世紀以上に及んでいる。私がこの事実を知って、あまりの酷さに衝撃を受けたのは、1950年代だ。
もし善光寺が、同じ仏教徒として黙って見過ごせないというなら、なぜもっと早く声を上げなかったのか。
そもそも最初から聖火リレーの出発地など、引き受けねば良かったのだ。
理由の一つとして、抗議行動により国宝や参拝者の安全が脅かされるというのも妙な話だ。これではまるで、チベット人やその支援者を暴徒扱いしているようなものだ。
チベットの弾圧に対して抗議するデモンストレーションを行うことは、当然の権利だ。
しかしチベット支援を口実にして、聖火ランナーに襲いかかり、火を消そうとする人間の多くはいわゆるプロで、派手なパフォーマンスによる売名行為が目的である。こいう連中は断固排除するしかない。
それとも、日本の警備力を信頼できないのだろうか。
東京都の石原知事は、この件で善光寺の対応を評価していたが、その一方今年1月の都議会では、「友好都市である北京の五輪成功を祈る」と、北京五輪を支持する発言をしていた。
相も変らぬ「口先だけ男」ぶりである。
話は変わるが。
東京墨田区のコンビニ「セブンイレブン」の店長が、万引き犯の顔を殴り、持っていた現金を取ったとして、強盗致傷の疑いで逮捕されたが、実に気の毒だ。
悪事をとめようとすれば、相手に多少実力を行使せざるを得ない。本当は「民間逮捕」で表彰しても良いのではなかろうか。少なくとも「強盗」という罪名はひどい。
こういう事をしているから、誰もが「見て見ぬふり」になってしまう。
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全くその通リです。いったい日本人の何人が、チベットの惨状をわかっているでしょうか。そもそも、日本の仏教人(全ての宗派を問わず、新興宗教の創価学会や、立正立正佼成会等々)が、これまで、チベット問題について、何の発言もしていないし、もっともらしい文化人なる人種(テレビのコメンテーターや知識人なる連中)や、所謂、人権団体なるものたちなどに至っては全く黙して語らず。かつて、北朝鮮による拉致事件に対処した彼らの姿勢から、何ら変わっていないのです。こと日本や欧米でのことになると敏感に反応するのに、何たる矛盾と欺瞞でしょうか。この風土は、かつての共産主義や社会主義国家を讃美してきた、一連の発想が全く変わっていないということです。そして、最も許し難いことは、政治家に至っては、このことに関して全く無知であり、無関心なることです。そしてまた、中国の本質はチベット問題に限らず、都市戸籍から排除された、16億の人口の80%近い農民戸籍と言われる農民に対する、苛斂誅求・圧政、人権無視の問題です。民主党の小沢一郎を始めとして、朝貢外交よろしく、北京詣でをして、北京の顔色を伺う政治家達。彼らにチベット問題などや、こういった北京政府の抱える矛盾には、何の関心がある訳けでもなく、未だ律令国家の域を脱しない、北京政府に対しての首脳外交なるものは、利権漁り以外の何ものでもない事実です。
あなたの主張は、これらに対する痛撃です。しかし、善光寺がこのことに踏み切ったことは、世界に一定のメッセージを発信することになると思いますし、青い軍団(聖火防衛隊なるもの)を毅然と拒否した町村官房長官の談話は評価すべきで、幾分救われる所があると言えましょう。
投稿: 千葉 昇 | 2008/04/19 16:17
千葉昇様
コメント有難うございます。
以前ミャンマーに観光ツアーで行った際に、日本人戦没者慰霊碑がありましたので、私たち一行が花を捧げ手を合わせていると、近くの寺院の僧侶が線香を持ってきてくれました。お参りが終わると僧院に上げてくれて、お茶とお菓子を出してくれました。もちろん、謝礼など一切受け取りません。ミャンマーで僧侶が国民の尊敬を集めている理由が分りました。
翻って日本の寺院や僧侶はどうでしょうか。大多数は「仏教」を名乗る事さえ恥ずかしいのが実情でしょう。
「チベットの人権」うんぬんも、俄か仕立てにしか映りません。
投稿: home-9 | 2008/04/20 04:03