ある満州引き揚げ者の手記(四)地獄
終戦、日本人の敗姿は地獄そのもので、下九台の方から逃げてきた人の話では満人たちに襲われて抵抗、人々たちは斧や鉈でたたき殺されたということである。
関東軍の兵隊さんたちがソ連の捕虜として貨物列車へつまれて北へ送られる時、私はどこであの姿を見たのか場所を記憶しないが、くやしくはぎしりし涙をこぼしながら軍服の襟章(軍隊の階級)をちぎりとってたたきつけた姿を、何とも云えない思いでみつめたものだった。この人たちどこへ連れていかれるのだろう殺されるのだろうかと見ていた。
そして毎日のように脱走兵が我が家にも逃げて来た。来る人の姿は泥沼の中をはいまわって来たような姿だった。目だけが光っていた。
母は父と兄二人の下着を買いだめというか、配給のものを大事に十枚づつ位あったようだ。
お風呂に入れてそのしまってある下着をタンスから出して全部着せ、上着も着せてごはんを食べさせた。頭を下げてお礼を言いながらどこかへ消えた人が何人だったろう。とにかく脱走兵を見つけるとすぐ殺されるので、かくまったりしてもみんながどんなになるかわからない状況だった。
次兄の病の上に母も倒れた。その頃吉林の町は、牡丹江の方より逃げてくる日本人の難民と表現した方がわかりやすい着のみ着のままの人、大切なものだけ持って逃げて来た人が多く、学校、映画館、色々な所へ集団で入った。
寒さも満州では九月中旬も終わりになると寒くなり、十月に入ると初雪が降る。
冬にむけて燃料食料と、日本人は街の中を動く時は満服を着て歩き、物がある人は品を売って食料を買った。ソ連兵が日本人の町に入ってくる時は女か物か、あらゆる所で日本人の男の姿も女の姿もそれぞれ地獄であった。
侵略者として入って来たとは言え、開拓団の人々義勇軍の少年達はせまい日本国よりもてはやされて、広々とした土地へ自分のものとなる大地へと、又女は開拓の花嫁としてみんな貧しい東北・中国地方の人々(長野、山梨)が多かった様に思う。
開墾してようやくものが作れる様になった土地を捨て、逃げて来た人たちは何とかなる、追われると子どもどころか一人逃げるのに精一杯の人もいた。
落ち着いて泣き狂う人、年頃の男は戦場へ出ていたのだから女老人子供の集団だった。村中で自決した所が多かったと聞く。吉林へ何十里何百里野宿しながら着く人々の姿は、日本人同士として着るもの食べるものを分け合ったが、戦時中配給配給だった生活なのだから続きはしない。
吉林満鉄道局に日本の旗が下ろされ中国の旗と変った。父はきびしい人だったが心のやさしい人だった。中国人を会社でも可愛がっていたのだろう、終戦後何かにつけて出入りして助けてくれた。
家ではよく古着や色々安く買いに来る満人のボロ買いの小父さんがいた。王さんと呼んでいて何時もニコニコした顔を思い出す。その王さんの子供さんが熱を出し肺炎となり、相談にきたのか私にはわからなかったが、父はその頃貴重なアスピリンを手に入れて来て分けて上げたのだ。熱は下がり命をとりとめた王さんの子供の様子に、大喜びした両親の姿を思い出す。その王さんが終戦になって引き揚げる日まで本当によくしてくれた。
新聞もなくラジオもなく人からデマばかり流れる毎日、コックリさんが流行した。「かえれるでしょうか、内地まで」?「かえれる」「かえれない」とか返事が文字の上にはしが動く。二人ではしを三本くくって軽くもって、五十音文字書いた紙の上に色々聞くと、返事ははしが文字の上に下がる。
何回か引き揚げだとデマがとぶ。その度に王さんは長期保存食のようなお菓子やお酒まで運んで来てくれた。
あちこちの学校、兵舎に日本人は固まって住んでいた。集団チフスで多くの人が死んでいった。
残された子ども達はまわりの人々で世話する。世話出来なくなると中国人に売って食糧を求める人も少なくなかった。百円二百円三百円など今犬を買う様なものだ。大切に育ててくれる人に買われた子どもは幸せだったろう。捨てられた子どもだって多く、両親兄妹逃げてしまって、それぞれ迷子で死んだ子もいただろうし、拾われた子どももいただろう。その子ども達が今日本人の血のつながりを求めて中国孤児四十歳前後の人々である。
我が家では次兄が肺結核で寝込んでいたし、母も引き揚げのリュックを家族五人分作って寝込んだまま起き上がる事が出来なくなった。
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