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2008/06/30

ルツェルン交響楽団&ニコライ・トカレフ演奏会

Tokarev6月29日は横浜みなとみらいホールのルツェルン交響楽団&ニコライ・トカレフ演奏会へ。初めて行ったのだが音響効果が優れたホールだった。JR桜木町からは10分以上歩くが、アーケードが続き、雨に濡れなくて済むのが助かる。
こうしたコンサートでは初めて一番安いB席を取った。2階席だったが左側だと舞台の3分の2しか見えない。特に中央付近は指揮者がようやく見える程度となる。又指揮者や演奏家が下手から出入りするため姿が見え難い。歌舞伎座と一緒で、左側の席は避けた方が良い。安いのには理由があるのだ。

当日の演奏プログラムは次の通り。
・メンデルスゾーン:劇音楽 「真夏の夜の夢」 序曲
・グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 Op.16
ニコライ・トカレフ[ピアノ]
~intermission~
・ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 Op.92
オラリー・エルツ[指揮]
ルツェルン交響楽団

ルツェルン交響楽団は、名前の通りスイスの都市ルツェルンを拠点に演奏活動を行っている。指揮者のオラリー・エルツはエストニア出身で、ラトヴィア国立交響楽団の首席指揮者などを務めている。共に初来日公演である。
ニコライ・トカレフはロシア出身の新進ピアニスト、こちらは14才の時に初来日したのを皮切りに、この10年間ほぼ毎年のように日本での演奏会を行っている。

お目当てはグリーグのピアノコンチェルトである。2年前にノルウェーに行った時、旅行の間中この曲の第一楽章が頭の中に浮かんでいた。それほど森と湖の美しい景観とメロディがマッチしているのだ。
冒頭のティンパニの連打からピアノが奏でる下降オクターブのガデンツァと、それに続く第一主題の調べは、一度聴いたら忘れられない。

ニコライ・トカレフとルツェルンの演奏だが、自宅で愛聴している[ピアノ]ディヌ・リパッティ、アルチェオ・ガリエラ指揮フィルハーモニア管絃楽団のCDと比べると、この協奏曲全編を覆う清冽な曲想に欠けているような印象を受けた。
それと他の曲を含めてだが、管楽器の音に不満が残った。

これは演奏家とは関係ないのだが、演奏が終了するや間髪を入れず掛け声と拍手を送る数名の「ブラボー男」がいた。これでは曲の余韻に浸る間がないのだ。
本人たちは「通」を気取っているのだろうが、コンサートの雰囲気を壊しているのに気が付かないのだろうか。
無粋としか言い様が無い。

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2008/06/29

「非婚・モテ格差」時代の凶悪犯罪

Akiba_kato娘から「お父さんはいい時に生まれた。今だったら一生結婚できない。」と言われた。実の子どもなのになんと言う言い草かと思う反面、当たっていそうなのが口惜しい。真面目に働いていても、なかなか結婚できない男性が多いのが昨今の現実だ。いわゆる「非婚」の時代である。
「モテ格差」という問題もある。モテル男にはあり余るほどの女性が集まり、モテナイ男はサッパリという現実である。
世の中には、東京都教育委員を8年間の務めた米長邦雄のように「千人斬り」を豪語するような人物もいれば、その陰にはガールフレンドが一人もいない男もいる。米長永世棋聖の愛弟子だった人の証言によると、婚約者を引き合わせたら目を付けられ、米長邦雄が自分の愛人にしてしまったというのだから、スケコマシの天才だ。教育委員にしておくにはモッタイナカッタ。
単純計算するなら、1000人斬りの男が一人いれば、その一方でで999人の男が泣いている。

6月8日に起きた秋葉原での無差別殺傷事件は社会に大きな衝撃を与えた。逮捕された加藤智大容疑者は25歳の派遣労働者で、人材派遣会社である日研総業に登録し、トヨタ系の自動車工場で働いていた。
容疑者は事件の以前から当日に至るまで、携帯の掲示板に心境を書き込んでいて、その中には家庭環境や仕事への不満と共に、「彼女がいない、この一点で人生崩壊」といった自分がモテナイ、女友達もいないという境遇に言及している。自分の容姿への劣等感も書き込まれていた。

これらのことが事件の動機にどれだけ関係しているのか、これから解明されるだろうが、若い男性にとって恋人やガールフレンドが一人もいないというのは辛いことだ。この点はよ~く分かる。
一昔前までだってモテナイ男性もいたが、それでも年頃になれば大半は結婚して家庭を持てた。つまり最低一人(一人で十分だが)のパートナーは得ることができた。
真面目にコツコツ働いていれば、嫁さんを貰えて、定年まで大過なく勤め上げることができたのだ。
「稼ぎに追いつく貧乏無し」という諺や、「先々の時計になれや小商人(こあきうど)」という川柳は、「勤勉」こそが美徳と言うかつてのパラダイムの反映である。
しかし、今や「勤勉」だけでは世渡りができない、結婚も約束されない時代になってしまった。

国立社会保障人口問題研究所というところが、5年に1回結婚と出産に関する全国調査というのを実施しているが、直近の調査は2005年6月に行われた。
18歳から34歳までの未婚の男女を対象にした調査結果だが、いくつか興味深い調査結果が示されているが、ここでは男性の調査結果を紹介する。

先ず、1年以内に結婚したい又は理想的な相手が見つかれば結婚したいとした割合は、次の通り。
自営業     60.5%
正社員     56.3
派遣・嘱託   41.0
無職・家事   34.6
パート・アルバイト 29.5
男性として結婚したくないという人は少ないだろう。職業によって結婚願望に差があるのは、実現性を加味した上での回答ではなかろうか。
派遣やアルバイトでは、経済的にも結婚が難しいという現実の反映だと思われる。

結婚に利点があると答えた男性も、差は縮まっているが同様の傾向が見られる。
自営業     72・0%
正社員     65.0
派遣・嘱託   62.1
無職・家事   54.5
パート・アルバイト 53.2
結婚感や結婚願望にも、就業状況による影響は如実に出ている。

結婚したいと思う交際相手がいる男性は20.5%で、一方異性の交際相手がいないと答えた男性は52.2%と半数を超える。

次に年齢別の性体験の有無だが、無いと答えた男性の割合は次の通り。
18-19歳  60.7%
20-24   33.6
25-29   23.2
30-34   24.3
数値で見る限りでは、24歳まで性体験の無い男性の殆んどは、適齢期と言われる25-34歳の間も経験しないまま過ぎていることが窺がわれる。
未婚の男性をめぐる現在の環境は、非常に厳しいと言わざるを得ない。

異性の交際相手もいないし結婚の希望も持てないとしたら、男としてこれほど辛いことはないだろう。
秋葉原の通り魔事件の動機にこの問題がどれほど係わっているかは不明だが、特に若い頃は、男というのは性的欲求が時に暴力として爆発することがある。よく犯罪の動機に「ムシャクシャしていたから」というのがあるが、その内のある部分は性的不満があるのではなかろうか。理由もなく若い女性が暴力を振るわれたり、傷つけられたりする事件も、背景の一部にはこの問題が横たわっているように思う。
オタクと呼ばれるバーチャルな世界に異性を求めるのも、現実の困難さからの逃避ではなかろうかと思ってしまう。
努力すればモテル、女性が寄ってくるというわけには行かない。元々が内気で自分から女性に接することができない、例えば私のようなタイプの男というのは、おいそれと性格は変えられない。

派遣労働の実態などは政治の問題として解決できる面があるし、就業状況が改善されれば、結婚できる人が増えるのは間違いないだろう。しかし恋愛や結婚というのは、それが全てではない。
かと言って、「男は所帯を持って一人前」とか「女の幸福は結婚」などという、昔のパラダイムに戻すことは不可能だ。
切実な問題でありながら、正解が見出せない、極めて難しい課題が突きつけられている。

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2008/06/28

【寄席な人々】あなたは長嶋タイプ?それとも村山タイプ?

Murayama_minoruプロ野球全盛期に活躍したスーパースターに、長嶋茂雄と村山実がいる。片やミスタージャイアンツならもう一方はミスタータイガース、バッターとピッチャー、長嶋が華麗なら村山は熱血と、ライバル同士対照的なスタイルだった。
現役を引退して解説者になっても、長嶋は楽天的で選手の長所を褒め上げるのに対し、悲観的な村山は選手の欠点を指摘するタイプだった(村山を知らない方は野村監督に置き換えて下さい)。
作家・清水義範の短編小説「いわゆるひとつのトータル的な長嶋節」は、こうした対照的な二人が、一つの物事をどう評価するかというテーマで書かれていて、とても面白い作品である。

誉める長嶋、キビシイ村山、どちらも野球にかける情熱は同じだ。それぞれの人生観や性格に起因するものであって、どっちが良いか悪いかという問題ではない。
HPやブログで寄席や落語の評を書いている人も、大まかに二つのタイプがある。噺家の良い点を褒め上げて良かった面白かったと書くタイプと、欠点を指摘してメッタに誉めないタイプの人もいる。しかし、これを以って、誉める人は落語を愛していて、けなす人は落語ファンとはいえないと言うのは、違う。
どちらも寄席や落語が好きだが、表現の仕方が異なるのだ。

以前書いたことがあるが、子どもの頃よく寄席に連れて行ってくれた近所の女性は、寄席で笑ったのを見たことが無い。場内が大爆笑している時でも、隣の席を見るとニコリともしない。周囲から見れば何が面白いんだろうと思うだろうが、本人は寄席が大好きなのだ。実際に隣にこういう人が座ると、気にはなるが。
外観で人は判断できないと、その人を見て思った。

芸人と観客では立場が違う。芸人は芸を披露して生活の糧とし、観客はお金を払ってそれを観に行く。芸人は客を楽しませようと一生懸命に演じるが、客はそれを面白いと思うか、つまらないと思うかはそれぞれの判断だ。面白ければ面白いと感想を書き、つまらないと思えばそう書くだけのこと。愛情だの情熱だの関係ない。
他のサイトを見て、自分と異なる評価が載っていれば、ナルホドそういう見方もあるんだなと思うこともあるし、この人の評価は見当違いではないかと訝ることもある。それで良いのだ。
演者もそうだろう。そうした観客の反応を見て自信をつけたり、やっぱりもっと稽古をしなけりゃと反省したり、どちらにしても自身への励みとなるだろう。

あなたは長嶋茂雄タイプ?
それとも村山実タイプ?

<追記>
先日エントリーした“落語家に「師匠」付けはどうもネ”の記事に、予想以上のアクセスがありました。いくつかのサイトでこの拙文がとりあげられ、様々な論評が行われていて、それぞれ大変参考になりました。
この場を借りて、謝意を表します。

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2008/06/27

一風変わった株主総会

Suruga現在株主総会のピークを迎えていますが、昨日少々変わった企業の株主総会が横浜であったので紹介します。
この会社は5期連続の増収増益でしかも前期は最高益、経常利益が資本金の1.4倍と業績好調、自己資本比率は43%と財務体質もしっかりとしていました。ではなぜ一風変わっているかというと、この企業が総会の2日前に東京地裁に民事再生手続き開始を申し立て、同日付けで監督命令を受けた会社だからです。
その会社名は「スルガコーポレーション」です。

同社は1996年から古いビルを購入したうえ、権利関係を整理して売却し、新たな建物の工事を請け負う「不動産ソリューション事業」を始め、業績を伸ばしてきました。 しかし2008年3月、物件居住者との立ち退き交渉を依頼していた共同都心住宅と光誉実業の社長らが弁護士法違反の容疑で逮捕された。
この光誉実業という会社は、警視庁が山口組系暴力団に関係していたと見ており、そのことからスルガコーポレーションと反社会的勢力との関係が報道され、銀行からの資金調達や不動産の売却が困難になったというわけです。

こうした案件は、以前当ブログで “「立ち退き」ビジネスは儲かりまっせ”の記事で紹介したように、かつては専ら暴力団が行っていました。しかし暴対法の施行後、こうしたシノギにも支障が出てきました。そこで外資系ハゲタカファンドや国内の不動産企業を前面に出して摘発から逃れ、自らは「裏方」に徹して資金を得ていたものと思われます。
早くいえば暴力団などが居座ったり、権利関係がややこしくて売却が困難な物件を安く買い叩き、ある手段を使って立ち退かせ、キレイにして高値で売るという実にリーズナブルな商売です。それだけに早く解決を図ろうと焦れば、どこかで裏の力を借りることになります。
スルガコーポレーションも、気が付いたら深みにはまっていたというのが真相でしょう。
法令違反を犯し、それが社会的に明らかになれば、企業はあっと言う間に存続の危機に立たされる見本となった事件でした。

今回の総会に集まった株主にとっては、大事な財産(株券)が紙くずになってしまうリスクが高いわけで、相当もめるだろうと予測して出かけたのですが、総会屋の姿もなく、意外に平穏な結果となりました。
先ず冒頭に創業者である岩田一雄会長から事件の簡単な経過と、民事再生開始に至った経緯が説明され、謝罪が行われました。
しかし岩田氏の説明は、事件によりマスコミ(読売と日経)によって間違った情報が流され、信用が失われたという内容であり、自らの関与や監督責任に一切言及しないものでした。私が受けた印象としては、むしろ会社側は被害者であるとの認識に立っているように見受けられ、この人はどこまで真剣に今日の事態を受け止めているのか疑問を感じました。
株主の質疑もこの点に集中しましたが、岩田会長は最後まで非を認めることを避けていました。

もう一つの問題は、好調な業績を背景に、前期はかなり高額な配当を約束していたのですが、民事再生に絡んで無配とすることを急遽決定し、剰余金処分の議題を撤回するとしたことです。つまり無配となってしまったわけで、株主としては踏んだり蹴ったりの結果となっています。
この点も何人かから発言がありましたが、外注への支払いも滞り債務不履行の状態にあるという理由で押し切られた格好に終わりました。
経営者の責任を追及する発言には会場から拍手が起きるなど、個人株主たちの不満は鬱積していたようですが、攻め方が単調であったように思えます。例えば、配当を決める議案を会社側が撤回したのですから、株主側として改めて「剰余金処分」に関する提案を緊急動議で提出するなどしていれば、もう少し揺さぶることが出来たかと思われます。

大半の株主総会というのは、事前に大株主の了解を取り付けた上で、社員や取引先とその従業員などの会社関係者を動員して、場合によってはフリーの株主は数名という総会も珍しくなく、質問や意見が全く出ないものが多いのです。
スルガコーポレーションの総会はその点、活発な意見は出されましたが決め手を欠き、最後は会社提案が全て承認され、約1時間半で終了となりました。
会社の再建への道はかなり厳しいと思われますが、株主としてはここで激しく追及し、企業の再建に支障があるようではいけないという気持ちが作用していたのでしょう。

暴力団が関係している企業というのは世の中に沢山あるわけで、たまたま表沙汰になったスルガコーポレーションが一罰百戒のターゲットになったというのが、真相ではないかと思います。

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2008/06/25

食品業界の懲りない面々

Maruaki岐阜県養老町の食肉卸売会社「丸明」による「飛騨牛」偽装問題で、6月24日吉田明一社長が岐阜県や農林水産省の調査に対し、ブランド要件を満たさない格下の牛肉を飛騨牛として売るよう従業員に指示したことを認めた。最初は否定し最後は不正を認めて謝罪という、相も変らぬお定まりのパターンの繰り返しだ。どうせバレルのだから始めから不正を認めりゃ良いものを、学習能力が無いというか、往生際が悪いというか。

ここ数年に起きた国内食品業界の不正事件だが、主なものだけでも下記の通りで、中国からの輸入食品の不正事件など加えれば、この数倍に達する。
2002年1月  「雪印食品」の牛肉偽装
2002年6月  「日本食品」の牛肉偽装
2002年8月  「日本ハム」の牛肉偽装
2004年5月  「ハンナン」の牛肉助成金詐取
2004年10月 「フジチク」の同上
2007年1月  「不二家」の賞味期限偽装
2007年6月  「ミートホープ」の牛肉偽装
2007年8月  石屋製菓「白い恋人」の賞味期限改ざん 
2007年10月 「赤福」の消費期限不正表示 
2007年10月 「比内鶏」の偽比内地鶏 
2007年10月 「船場吉兆」の菓子の賞味期限偽装
2007年11月        牛肉・鶏肉の偽装
2008年5月         食べ残し料理の使い回し
2008年6月  「丸明」の飛騨牛偽装

なぜ食品業界にこう不正が多いのか、理由を考えてみたい。
①企業体質 食品業界というのは名の知れた大手といわれる企業でも、一般に品質管理などがズサンであり、企業体質が脆弱な会社が多い。
②利権構造 不正事件の中でも食肉偽装に関する不正が多いのは、それなりの理由がある。
BSE(牛海綿状脳症)対策の国産牛肉買い上げ事業をめぐる不正で逮捕された「フジチク」グループ会長の藤村芳治と「ハンナン」会長の浅田満は、それぞれ全国同和食肉事業協同組合連合会(全同食)の副会長と専務理事だった。両者は共謀して農水省の担当を抱き込んで助成金を詐取していた。
全ては利権のためで、消費者の安全など二の次三の次だったのだ。
③消費者のブランド偏重 消費者の一部に、味の良し悪しよりブランドを有り難がる傾向がある。味覚というのは主観的なもので、元々個人差が大きい。「ミシュラン」騒動に見られたように、専門家を自認する人間でもアテにならない。
④不正が発覚し難い 他の商品と異なり、食品は使用(摂取)した段階で消えてしまうため、不正がみつかり難い。

これは食品業界に限ったことではないが、およそ不正に一切係わったことがない企業などというのは皆無だろう。多かれ少なかれ、スネにキズを持っている。企業の不正が明るみになるきっかけは、殆んどが内部告発だ。
では、なぜ最近になって内部告発による不正の発覚が増えたのかという理由だが、主に次の点があげられるだろう。
①企業がコストダウンのために、従業員の終身雇用制度を事実上やめてしまった。この結果、会社に対する忠誠心が薄れ、内部告発が出やすくなった。
②ネット社会になって、今まで秘密にしてきた情報が、ネットを通して瞬時に大量に伝わるようになった。
不正が明らかになれば、企業の信用が失われるだけでなく、時には会社が倒産や廃業に追い込まれるケースも少なくない。
だけど、分かっちゃいるけどヤメラレナイのだ。

こうした環境の変化に気付かず、いつまでも従来通りの姿勢を続ける企業経営者がいる限り、これからも「不正は続くよ、どこまでも」。

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2008/06/24

児童買春の「深層」

私が生まれて8才まで育ったのは東京中野の新井薬師の近くで、当時まだあの辺りには花柳界というのが存在していた。小学校1,2年で一番親しかった同級生の家に遊びに行って驚いた。お化粧をしてきれいな着物を着ている若い女がズラリと部屋に座っていたのだ。彼の家は芸者置屋をやっていたのである。ああして女性に囲まれて暮している友人の姿は、子どもの私でさえチョッピリ羨ましかったものだ。

そんな子どもの頃の情景を思い出せる文章にぶつかった。雑誌「図書」6月号の掲載されている、作家・色川大吉の「フー老のヰタ・セクスアリス」である。
時代は戦前の満州事変から日中戦争に至る間の時期。著者の祖父というのが大変な道楽者で、芸者置屋の主であり、「検番(見番)」の社長をしていた。家が近かったもので著者は学校帰りなどの、ちょくちょく置屋や検番寄っていた。私同様に、男の子にとって若い女性が沢山いる所というのは、興味津々なのだ。

置屋には芸者以外に半玉といわれる見習いの少女たちがいた。地方から売られてきた子たちである。そうした少女たちが13、14才になると「水揚げ」されてと聞いて、著者は衝撃を受ける。「水揚げ」の意味が分からず兄に訊くと、「ほら、魚屋で見たろ。生きている魚を水から揚げて、まな板の上で包丁を入れるアレさ。カヨ(少女の名前)もそうされたのさ。」と教えられる。
お座敷の出る前に、一本になるご祝儀だといって特別の水揚げ料金を取って、売春を強いたのだ。その客たちというのは、町会議員や医者だったと著者は記している。
泣く泣く「水揚げ」を強いられた少女は歩くのも困難になり、2,3日は這って便所に行っていたという。
少年だった著者はそれを聞いて、客になった男達を嫌悪し、祖父もいっぺんに嫌いになる。このことがきっかけになって、彼は祖父の家に寄り付かなくなる。

戦前に13、14才というのは数えだから、今でいえば12、13才ということになり、小学6年生から中学1年位の幼い少女たちである。こういう少女たちが「水揚げ」という名の下に客に提供され、名士や金持ちの男らが法外な金を払って買春をしていたわけだ。
この風習は恐らく、1958年に売春防止法が施行されるまで公然と続けられていたのだろう。
こうした記録を見ていくと、外国ではこの様な風習があったかどうか分からないが、少なくとも日本の男性の一部に、少女買春への根強い要求があったのは確かだ。

ネットのニュースなどで、毎日のように児童買春事件が報じられ、いい歳をした社会的地位も名誉もあるような立場の人間が捕まっている。
大きなリスクを負うことが分かっているのに、少女買春が止められないという背景は、この「強い欲求」にあるのだろう。
法律だけでは人間の欲望というのは、なかなか制御しづらい。児童買春を根絶する取り組みの難しさは、この辺りにある。

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2008/06/22

愚者は侮り賢者は学ぶ

中国・四川大地震で、四川省に次ぐ被害を受けた甘粛省の馮健身副省長が6月16日の会見で、岩手・宮城内陸地震について「(四川大地震ほど)死傷者が多くないことに注目している。地震予報、耐震建築、救急体制の面で差がある。レベルを上げ、住民の安全を守るために最大限努力したい」と述べた。
四川省での学校の倒壊に抗議する住民の映像がニュースで流れていたが、「災害は天災だが被害は人災」と書かれたプラカードが目に付いた。
中国の人々から見れば、人命第一を貫いている日本の救助、救援活動からも学ぶことが多いはずだ。
中国の故事に「殷鑑(いんかん)遠からず」という言葉があるが、こうした人々が多数を占めるようになれば、やがて中国も良い方向に向かうのではなかろうか。

阪神大震災の直後に台湾に行った時、現地の人々の多くが震災後の映像をTVで見て、日本人の行動が実に整然としていて感動したと言っていた。
被災は大変不幸なことだが、災害に合って初めて気付くことが多いのも、一面の事実だろう。

先日の当ブログの記事で、ハイウッド女優のシャロン・ストーンが四川大地震について「チベット弾圧の報い」という意味の発言をしたことを紹介したが、我が国でもブログや掲示板の一部に「ざまを見ろ」などと書いていた者がいた。
言うまでもないことだが、中国政府の失政やチベット弾圧と今回の地震発生とは何の関係もない。地震国であれば明日は我が身の問題である。
精神の貧困としか言い様がないし、同じ日本人として恥ずかしい。

中国で学校の校舎が倒壊し、多くの犠牲者を出したことに鑑み、日本政府も早速全国の小中学校の建物の耐震性調査を行った。その結果文科省の推計で、震度6強で倒壊する危険性が高い施設が、1万656棟に上ることが判明した。
最近ではどうか知らないが、かつて日本でも公共工事に手抜きが行われていたことは周知の事実だ。地震による学校の倒壊は、決して他人事ではない。

企業でもそうだが、他人の悪口ばかり言っているような社員に優秀な人間はいない。賢い人は、他人の失敗や欠点を自分の教訓として、長所は採り入れる。
これは国と国との関係でもいえることだ。
我が国の諺でいうなら、「人の振り見て我が振り直せ」である。

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2008/06/21

【寄席な人々】落語家に「師匠」付けはどうもネ

ブログで寄席や落語をテーマにしているものが増えたが、落語家の芸名に敬称として「師匠(師)」を付けるのが流行っているようだ。私のように呼び捨てにしているのは今や少数派である。これがホームページとなると、私同様に呼び捨て派が多数であるところが面白い。

全ての落語家に付けているかというと、そうではない。傾向としては真打にのみ「師匠(師)」を付け、二ツ目以下は「さん」付けにしている。
こういうのは趣味の問題だが、私はどうもこれに抵抗がある。二人称の場合は、呼び捨ては失礼になるから敬称を付けるのは礼儀だが、三人称の場合は不要ではなかろうか。

「師匠」というのは先生と同義であるが、それがお稽古ごとを教えてくれる人を指すようになり、転じて落語家の敬称になったが、本来は弟子が指導者を指す言葉だ。
三人称で語る場合、例えば柳家喬太郎がさん喬を師匠、先代の小さんを大師匠と呼ぶのは当然だが、同業や弟子でもない人が、芸名に敬称を付ける必要があるのだろうか。

そういうブログを見ると、他の古典芸能の芸人は呼び捨てにしている。落語家に師匠を付けるなら、歌舞伎役者には「丈」を付けねばならず、講釈師や浪曲師には「先生」を付けねばなるまい。
漫才師、曲芸師や狂言師などはなんと呼んだら良いのか、そんなこと考えていると頭が痛くなるから、いっそ全て呼び捨てにするのが公平というものだろう。

古典芸能の世界では、大向こうと言われる掛け声も全て呼び捨てだ。
歌舞伎では「成田屋!」と屋号を呼び捨てだし、新派は「水谷!」と苗字を呼び捨て。新国劇も「島田!」(なぜか最初の“し”を強音にするのが慣わし)であり、決して「音羽屋さん!」とか「喜多村さま!」とは言わない。第一、「水谷さま」ではその後に「お薬できました」と言いたくなってしまう。締まらないのだ。

教員や議員、弁護士の集まりに行くと、全員がお互いに「先生」という敬称で呼んでいるが、あれは異様だ。生徒や弟子がいるから先生なのであって、双方が先生と呼び合うのは異常な世界としか思えない。
「先生と言われるほどの馬鹿でなし」である。

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2008/06/18

反日に舵を切った台湾政府

Photo今更ながら日本のマスコミや政治家というのは、どうしてこうノーテンキなのだろう。年明けからごく最近に至るまで、米国民主党の大統領候補指名争いだけが大きく扱われ、3月に行われた台湾の総統選挙についてあまり関心が向けられなかった。オバマかヒラリーか、私たち国民の生活にはなんの関係も無いことだ。しかし台湾の政権交代は、日本の安全に直接係わることだった。

この件で、当ブログの3月25日付の記事で、次のように書いている。
「3月22日に台湾の総統選挙が行われた。私はこの選挙には大きな関心があった。オバマかヒラリーかということより、こちらの選挙の方がよほど重要だったと思う。
結果は国民党が勝利し、8年ぶりに政権に復帰した。
中国の内戦に破れ、大陸から逃れてきた蒋介石ら国民党が勝手に政府を作り、銃剣で台湾人を支配してきた歴史をふりかえると、民主化に逆行するのではなかろうかという危惧を持っている。国民党はルーツからして親中国であり、総統に選ばれた馬英九氏が選挙中、チベット暴動での当局による鎮圧を「横暴」と非難したり、北京五輪ボイコットの可能性にも言及したが、所詮は選挙用のポーズだったのではなかろうか。
民進党の下野により、少なくとも台湾が独立国として国連に加盟する道は、大きく遠のいたことだけは確かだろう。この点はとても残念に思っている。」

この記事を書いた動機は、当時、国民党政権が生まれても対日政策には殆んど影響がないと、日本政府もマスコミは揃ってタカをくくっていた。
果たせるかな、国民党政権は一方で中国との和解を進めながら、6月10日に起きた尖閣諸島沖の領有権対立のある海域で、台湾の漁船が日本の巡視船と接触して沈没した件に関し、台湾政府はかつてなく強硬な態度を示している。東京の駐日代表処の代表を召還し、事故に抗議する目的で台湾の巡視船が日本の領海に入ったり、軍艦の派遣まで口にし始めている。それに呼応するかのように、台北では市民の抗議行動が行われた。

この件では日本の海上保安庁の不手際もあった。当初は台湾の漁船に一方的な過失があったと発表したが、その後日本の巡視船側にも落ち度があったことを認めている。国際間の問題で、こうした誤った情報を流していた海上保安庁幹部に対して、日本政府は厳正な処分をすべきだろう。

それにしても、この問題での台湾政府の対応は異常である。対日関係の断交や軍事行動まで論じられているのは穏やかではない。
台湾国民の反中国感情は根強い。馬英九国民党政権は中国への接近政策を進めるためには、国民の間に反日感情を煽る必要がある。今回の一連の対応はその反映だろう。
アジア諸国の中でも、台湾人は元々親日感情が強い。国民党政権の本質を見誤り、甘く考えていたツケが今回ってきている。

昨年秋に台湾は国連加盟を目指し、国民投票を準備していた。処が、アメリカ政府がこれに反対し、国民投票を行う事にも反対した。日本政府も米国に追随して国連加盟には反対の立場をとった。
この件について、当ブログの昨年9月7日付の記事で、こう記している。
「我が国の外交政策は、一から十までアメリカの顔色を窺って、それに追随している。
外国との関係は、それぞれ歴史的経過があり、独自の判断があってしかるべきだ。
台湾は、東南アジアで最も親日的な国民性を持っている国だ。そうした関係は大事にしなくてはならない。
かつての宗主国の責任においても、台湾国民の「自決権」を尊重する必要があるだろう。」
結局今年3月に投票が行われたが賛成が過半数に達せず、加盟申請は見送られ、同時に馬英九政権が誕生したのはご存知の通り。

政治のプロより、私のようなド素人の観測の方が当を得ていたということでは困るのだ。

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2008/06/16

志らくさん、良かったです!「あした ~愛の名言集」

Shiraku先日当ブログで立川志らくのシネマ落語について批判的なことを書いたら、ご本人から「シネマ落語は駄目かもしれませんが、是非、6月の紀伊国屋の私の芝居「あした」を観てください。また評価が変わるはずです。」とのカキコミがあった。
ここで行かなきゃ男が廃る、止めてくれるなおっかさん、背中のタトゥが泣いているとばかり、6月14日紀伊国屋ホールへ。昼の「恐竜と隣人のポルカ」を見終えて渋谷から新宿へ移動という、変則ダブルヘッダーと相成った次第。

さて、「あした ~愛の名言集」は立川志らく劇団「下町ダニーローズ」の最新公演。
ポスターには、
脚色・演出:立川志らく
大林宣彦監督作品映画 「あした」より
原作:赤川次郎「午前0時の忘れもの」
とあり、赤川次郎の原作を大林宣彦監督が映画化し、それを志らくが芝居の舞台用に脚色し演出たものだ。原作も映画も観ていないのだが、志らくの脚本はかなりかけ離れた内容に仕上がっているものと想定される。
作者本人の解説でこう述べている。
「舞台を現代から昭和33年に変え、登場人物もキャラを喜劇的にし、志らくワールドとしての『あした』をつくりました。愛する大林宣彦監督の大事な映画を、狂った志らくがどこまで舞台で描けるか。オマージュであり、新作であり、そして芝居であり映画であり絵画であり落語でもあるという『あした』、堪能していただけたら幸いです。」

主なキャストは次の通り。
立川志らく:池之内勝
森口博子  :池之内歌子
須藤温子  :原田法子
細山田隆人 :大木貢
なべおさみ:金澤弥一郎
入江若葉  :金澤澄子
北原佐和子:森下美津子
柳家一琴  :笹山剛
酒井莉加  :綿貫ルミ
原武昭彦  :神様
入月謙一  :森下徹(宝玉)
柴山智加  :一ケ崎布子
宇賀神明広:永尾要司
岩間沙織  :小沢小百合
ロリィタ族  :朝倉恵
山田貴久  :笹山哲
山本良也  :船頭
寺尾由布樹 :高柳淳
橘ゆかり  :永尾厚子
竹川美子  :安田沙由利
中村康介  :唐木幻詩

場内に入ると既に幕は開いており、舞台には大きなセットが置かれている。渡し舟の船着場だが、実に見事なデザイン(舞台美術:佐藤さい子)で、先ずこれに感心した。このセットを見ただけで期待を抱かせ、この芝居が一幕ものであることを暗示している。
ストーリーは昭和33年に渡し舟の転覆事故があり、乗客一人が救助されるが、他の乗客6名と船頭が死亡する。一月後にこれを哀れと思った神様が、一日だけこの世に生き返らせ、愛する人と対面させるというもの。
全ての関係者がこの船着場に集まり、それぞれが再会を喜び会う中で、生前明らかにされなかった真実もまた露わにされてゆく。最初は家族同士はお互いバラバラであったのが、次第につながって行くようになる。そして約束された一日が終わり、死者は再びあの世に帰って行くのだが・・・。

作者の「狂った志らくが」という言葉とは裏腹に、芝居は極めてオーソドックスな展開を見せる。死者とその関係者6組の個別の物語が、やがて相互に関連し始め、群集劇へと発展してゆく。
親子、夫婦、恋人、師弟、親分子分、それぞれの愛憎劇が一つに収斂し、ラストシーンを迎えて行く。
全体をコミカルに仕立てながらホロリとさせる場面を差し挟み、そして古今東西の名言や映画の名セリフを随所にちりばめてゆく演出、実に見事だ。
脚本家、演出家としての志らくの力量を示すものだ。

出演者個々では演技のレベルに差が大きく、アンサンブルも完璧とはいえない。せっかく落語家が演出しているのに神様のキセルの使い方がなってないし、幇間はさっぱり幇間らしくなく、粗さも目立った。
しかしこの舞台では、演出家や出演者の芝居に対する情熱や意気込みが感じられ、そうした個々の欠点を吹き飛ばしていた。
芝居の最大の魅力は舞台の熱気であり、それがあるから名優の揃った大舞台でも、素人が演じる小劇場でも、観客は等しく感動するのである。

役者では、なべおさみの演技力、存在感には舌を巻いた。正直、これ程上手い人とは思ってもみなかった。
原武昭彦がヌーボーとした良い味を出していて、志らくとの掛け合いは場内を沸かせていた。
女優陣では森口博子が堅実な役作りを見せ、北原佐和子が舞台に華を添え、ロリィタ族の熱演が光る。

志らくさん、とても良かったですよ。

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2008/06/15

「恐竜と隣人のポルカ」は駄作

Terawaki6月14日渋谷パルコ劇場にて「恐竜と隣人のポルカ」を観劇。キッカケは評判の後藤ひろひとという作家がどういう芝居を書いているのか、一度観ておきたかったからだ。
作者自身の作品解説によれば、常に複数の要素を組み合わせて作品を書いており、今回は恐竜への興味と、マンションの理事を経験したことを機に隣人、そしてグラミー賞にポルカ部門があると分かったことから、この三つのキーワードを組み合わせて作劇した由。
さて、どんな展開になるのだろうか。

主なスタッフとキャストは次の通り。
後藤ひろひと;作・演出・柴栄博士
寺脇康文  :戸田幸夫
手塚とおる :熊谷柿一郎
水野真紀  :戸田千春
森本亮治  :戸田翔太
大和田美帆 :熊谷桃子
竹内都子  :熊谷亜矢子
兵動大樹  :島之内(ディレクター)
石野真子  :石野真子(本人)

ストーリーは、
タウンハウス(舞台設定ではそうなっている)に隣り合う同級生同士が、ある時一方の戸田家の庭から恐竜の骨が発見され、隣家の熊谷家に内緒で一儲けを企んだ所から両家の間に大騒動が持ち上がり、家族は勿論、恐竜博士やTVディレクター、果ては戸主二人の共通のアイドルだった石野真子まで巻き込み大混乱という物語。

作者が解説で書いている「感動ゼロ」「理屈ゼロ」、アンコールで作者が言っていた「筋は渋谷駅に着く頃は忘れている」、いずれもその通り、実に他愛ないお話だ。
コメディの基本は「アリソデ・ナサソ」であり、設定のどこかにリアリティが求められる。今時、自宅の庭から恐竜の骨が出てきたといって、大儲けできると考える人は誰もいないだろう。
むしろ敷地から文化財が発掘されてしまったり、所有する家財が文化財に指定されてしまったりすると、実際には大変な負担になるのだ。
そういうカンドコロを外してコメディを作ると、これはもうドリフのコント並になってしまう。いや、ドリフのコントの方がまだ設定にリアリティがあるだろう。
かといって荒唐無稽にしては中途半端だ。
アイドル石野真子の扱いも月並みで、工夫が感じられない。
要は、作者のメッセージが観客に伝わってこないのだ。
芝居を観ている最中はそれなりに面白いのだが、笑いの底が浅いのだ。
後藤ひろひとの過去の作品は全く知らないが、この作品に関しては駄作だと思う。

出演者では手塚とおるの怪演が光っていた。軟体動物のような身体の動きは存在自体がオカシク、この人は別の舞台で見てみたい。
森本亮治と大和田美帆が堅実な演技を見せていたが、竹内都子と兵動大樹についてはキャスティングの意図が分からない。コメディだからお笑い系を連れてきたのだろうか。

7月6日まで各地で巡演。

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2008/06/14

【ツアーな人々】マナーの悪いHISの添乗員

Tour以前とりあげた旅行会社についての記事で、それぞれ一長一短あり優劣はつけられないと書きましたが、ツアーに参加したことはありませんが、印象の悪い会社が一社あります。それはHIS社です。
昨年秋中央アジアからの帰国便で、HIS主催のツアーと一緒になりました。満席だったためか、私たちのツアーもHISのツアーも参加者の座席がバラバラになっていました。こうした場合、同行者と席が離れた人同士が譲り合って席を交換することは良くあることです。これが座席の条件が似ていると良いのですが、片方は通路側でもう一方は中央部などという場合は、条件の悪い方の席に移動して貰うのは遠慮して避けるのが普通です。

私たちのツアー参加者の一人が通路側の席に座っていると、HISの30代位の男性添乗員がきて、友人同士の席が離れてしまったので、席を換わって欲しいとのお願いです。あいにく相手の席は窓際で、満席の機内で長時間移動の場合は通路側が良いのです。しかし頼まれたことでもあり、席換えに応じようとしていましたが、次の一言で断りました。
そのHIS添乗員はこう言ったのです。「本当はこの席、私たちのグループの席なんですよね。」

添乗員が事前に航空会社に座席のリクエストを出すことはありますが、特に満席の場合要望通りに席が確保できません。私はいつも通路側を希望していますが、希望通りになるのは2回に1回です。
それを希望通りに席が取れなかったといって、席に座っている人に「ここは私たちの席」と言うことは、嫌み以外の何者でもありません。
頼んだ方も断った方も、お互い気まずい思いをしなくてはなりません。
一体HISはどういう添乗員教育をしているのでしょうか。

添乗員が自分の客を大事にするのは当然ですが、他のグループの人に対しても、悪い印象を持たれないことも大切です。
契約社員の添乗員が多いとしても、旅先では添乗員は旅行会社の顔です。私も、たまたま旅先で見た添乗員の印象が良かったので、次の時はその旅行会社を選んだことがあります。
私の経験では男性添乗員にハズレ無しですが、どうもこのHISだけは例外だったのでしょうか。

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2008/06/13

【ツアーな人々】女性客の黒装束

Tour江戸時代の俳人・去来の句に「何事ぞ花みる人の長刀」があります。侍は花見にも帯刀して来るなんて、なんとまあ無粋なことよと、町民が武士を嘲笑ったものです。
どこでどんな格好をしようと自由ではありますが、夏季の海外ツアーでの日本人女性客の服装はどうも頂けません。
夏場、多くの女性観光客は帽子にサングラス、長袖のシャツにスラックスと手袋、更には傘をさす人もいます。これが明るい色なら未だしも、全身黒装束という女性も少なくありません。ホコリを嫌ってかマスクまでしていると、まるで強盗にはいるのかと訝るような姿です。あのまま銀行に入ろうものなら、捕まりますね。
なにか見ているだけで暑さが増して、クラクラしてきます。
こういう姿が集団で歩くのですから、あちらの方からは随分と奇異に映るでしょう。

ヨーロッパの現地ガイドに夏に傘をさしている人がいるかと訊いたら、大半が日本人で時々韓国人がいる程度だということでした。
紫外線防止が目的なのでしょうが、紫外線は日本人だけ当たるわけではありません。どこの国の人にも平等に当たりますし、むしろ紫外線のリスクは白人に比べアジア人は小さい。

紫外線について、最近余りにもリスクばかり強調され、効能が無視されているような気がします。紫外線には殺菌作用、ビタミンDの形成作用、骨や歯を強化する作用などがあり、治療にも使われています。
反面、皮膚がんや白内障を引き起す原因にもなり、要は「ほどほど」が大事でしょう。
私が子どもの頃は、家庭でも学校でも天気の良い時は屋外でできるだけ日光を浴びることが奨励され、就学前なら男の子も女の子も、パンツ一丁で表を飛び回っていました。その当時育った人が、とりわけ紫外線の健康被害を強く受けたという症例を聞いたことがありません。
1週間や10日程度の旅行で日光を浴びたからといって、リスクだけが増大するとは到底思えません。

紫外線に対する極度の警戒心は、どうも化粧品会社などによる広告宣伝に乗せられている、つまり洗脳されているのではないでしょうか。「色白美白」が美人の条件などと信じ込まされて。
「水道水が危ない」などと吹き込まれて、せっせとミネラルウォーターや浄水器を買わされているのと同じです。そんなに水道水が危険だったら、今のお年寄りはとっくに死んでいます。日本の水道水の品質基準はとても厳しく、ミネラルウォーターの基準の方がはるかに緩い。衛生面からいえば、水道水を飲んでいる方が安全です。

郷に入っては郷に従え、海外の短期の旅行の時ぐらい完全武装は止めて、涼しげな夏姿で観光したらいかがでしょうか。

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2008/06/09

アンネ=ゾフィー・ムターを聴きに行く

Anne_sophie_mutter6月8日サントリーホールで行われたアンネ=ゾフィー・ムターのバイオリン演奏会に出向く。ガラじゃないというご批判もあろうが、今年後半はいくつかのクラシック・コンサートを聴きに行く予定を立てている。昨年の内田光子ピアノ・リサイタルに行き、音楽というものは聴くのではなく、観るものだと悟ったためだ。
特にムターのファンということではない。要は一流といわれるバイオリニストの生演奏を、サントリーホールで聴きたかった。

アンネ=ゾフィー・ムターというと直ぐに頭に浮かぶのは、帝王カラヤンに見い出された天才少女という称号である。当初は名誉な称号だったのだろうが、カラヤン亡き後も未だにそのイメージを引きずられているとすれば、ご本人としては不本意だろう。
13歳でコンサートデビューし、14歳にしてベルリン・フィルにデビュー、翌年には最初のアルバムを出しているのだから天才少女の名に恥じないのだが、その彼女も今年で45歳になる。30年間もの間、世界の第一線で活躍し続けた実績には、文句のつけようがない。

今回の演奏会はトロンハイム・ソロイスツという室内アンサンブルとの共演である。
当日のプログラムは、次の通り。
・バルトーク「弦楽のためのディヴェルティメント」
・J.S.バッハ「ヴァイオリン協奏曲第2番、ホ長調」
・ヴィヴァルディ「ヴァイオリン協奏曲集『四季』」
トロンハイム・ソロイスツというのは、トロンハイム音楽院の弦楽器奏者育成の場として生まれ、現在はアンサンブルとして演奏活動を行っている。構成はヴァイオリン(第一、第二)、ヴィオラ、チェロ、ダブル・バス、ハープシコードであり、チェロ奏者で芸術監督のオイヴィン・ギムセを除くと、比較的若い奏者が多い。

バルトークの作品のみトロンハイムの演奏で、バッハ、ヴィヴァルディの作品はムターとの共演であり、いずれもムターの弾き振りだった。後者の2曲ともに既にアルバム発売されており、今回のプログラムはいうなれば自家薬篭中の作品を選定したということだろう。
バッハは3曲のヴァイオリン協奏曲を残しているが、この第二番は特に第二楽章の旋律が美しい。
「四季」については解説するまでもないだろう。

エメラルドグリーンのロングドレスで登場したアンネ=ゾフィー・ムターは、舞台中央に立ち、まるで舞うかのように身体を前後に揺らし、華やかな演奏スタイルを見せていた。ヴァイオリンという楽器はこれほど美しくも甘美な音色を響かせるものかと、ウットリと聴き惚れてしまった。
クラシック演奏家といえどもパフォーマーであり、姿・形が美しいというのは大事な要素だ。この点、ムターは申し分ない。
「四季」の演奏に関していえば、我が家にはカラヤン指揮のウィーン・フィルと共演したムターのアルバムがあるが、平凡な印象しか受けなかった。今回の演奏はこれとは全く異なり、心を打つものだった。

アンコールで舞台に再登場すること9回、3曲の演奏を行い、2曲は「四季」のサワリだったが、もう1曲はバッハの「G線上のアリア」をご愛嬌に。
十分満足のいく演奏会であった。
クラシックも悪くないですよ。

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2008/06/07

算数ができない財務官僚

Nukaga中央省庁の役人がタクシーを利用した際に、運転手から金品という名のワイロを受け取っていた問題が6月5日明らかになった。内訳は財務省383人、それ以外の12省庁で合計114人がワイロを受け取っていた勘定になる。
今回公表されたのはあくまで内部調査であり、自己申告によるものだ。見方によっては公表した方はまだ正直だと言える。
刑事告発を受けるような本当に悪質な事例は隠されていると考えたほうが良い。実態はその数倍であろうし、該当者ゼロと発表している省庁はハッキリ言って嘘つきである。

この構図は手に取るように分かる。仕事で深夜0時半を過ぎると、タクシー券の利用ができる。そんな時間に残っている人は稀だろうから、誰もチェックのしようがない。そうなると、残業で遅くなればタクシーで帰宅ということになる。誰だって満員電車で帰るよりは、タクシーでユッタリ帰りたい。
本当なら10時に終わるとしても、ダラダラ仕事をして時間になるのを待てば良い。
タクシーの中で一眠りしようとすると、自宅の場所を心得ている運転手に頼むことになる。だから運転手をご指名することになる。やがて長距離の常連客となり、金品の接待を受けることになる。
タクシー券は客が金額を書き込むので、2-3千円多めに書いておいて、その文を現金でバックして貰うこともできる。
かくして役人とタクシー会社はお互いにハッピー、損をするのは何も知らないで税金を払っている国民だけ。

新聞報道を見ると、ある財務省の係長は年間およそ150回、一回につき2-3千円のワイロを受け取っていたという。5年間で約150万円にのぼる。
驚くのはこの先で、この役人は2万5千円のタクシー代をタクシー券で支払っていた。1年間で150回金品を受け取っていたとすれば、この人は毎晩のようにタクシーでご帰宅していたのだろう。
仮に申告通り年間150回として、1回に2万5千円使っていれば、
25,000X150=3,750,000
つまり毎年400万円近いタクシー代を一人で使っていたことになる。5年間なら2千万円(ワオ!)。
自宅がどこにあるのか公表されていないが、霞ヶ関から2万5千円というと、かなりの遠距離だ。ほぼ毎日のように深夜まで残業しているとなれば、近傍の公務員宿舎を利用して貰うか、それも無理ならビジネスホテルに宿泊して貰った方がよほど安上がりだ。
こんな計算は小学生でもできる。
国の予算を管理している財務省という組織は、この程度の算数さえ出来ない人間が集まっているのだろうか。

先ずはタクシー券を廃止し、タクシー代は立て替え払いにすれば良い。これだけで、こうした不祥事は一掃される。

公務員が管理職でなければ、当然残業代も発生する。一時的ならともかく、慢性的に深夜まで毎日残業させているというのは、一体どういう労務管理をしているだろうか。
本当に仕事が忙しいのか、それとも連日の残業で能率が落ち、悪循環に陥っているのかを検証しているのだろうか。
仕事の仕方に工夫の余地がないのか、人員配置やワークシェアリングは最適なのか。いかに最小のコストで最大のアウトプットを得るか、財務省はそういう検討をしているのだろうか。
財務省は常に他の省庁や地方自治体に対してコストミニマムを要求している筈だが、お膝元がこのテイタラクでは話にならない。

自己には甘く他人は厳しく、これが財務官僚の本分だとしたら、呆れてモノも言えない。

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2008/06/05

石原慎太郎よ!「五輪招致」で浮かれている場合か!

Ishihara_shintaro久々に石原慎太郎の浮かれている姿を見て、すっかり気分を害した。オリンピックなんかどうでも良い。それより、都民の資産を1000億円食い潰し、更に400億円の血税をドブに捨てつつある石原銀行(新銀行東京)の始末を、彼は一体どうつける心算なのだろうか。
石原知事に人間の血が流れているなら、先ずは自分の全資産を投げ出し、都知事の座を辞任して自らの責任を取るべきなのだ。

都知事として失政の連続。それを覆い隠すなための眼くらましとして、ある時は新銀行東京の設立をぶち上げ、その破綻が明白になれば、突然東京オリンピックを打ち出す。その間、この男のために都民はどれだけの損失を重ねてきたか。もうバカ殿のムダ使いにつきあうのは飽き飽きだ。
石原知事はかつてあれだけ激烈な中国批判を繰り返したにもかかわらず、いち早く北京オリンピックの開会式への出席を公言した。個人の利益のためなら、信条など投げ捨ても何ら痛痒を感じないのがこの男だ。

オリンピック招致活動などと聞えは良いが、実態は支持の票を金で買うとことだ。金をいくら積んだかが、勝敗の分かれ目である。その何よりの証拠が北京オリンピックであり、中国は札びらでIOC委員の横っ面を叩くようなやり方で誘致に成功した。石原慎太郎は、その中国と同じ道を辿ろうとしている。
例によって、超党派の国会議員の連中が、東京五輪実現を目指して集まってきているらしい。それはそうだろう。オリンピックが実現すれば膨大な公共工事が行われ、その利権がらみで多額の政治献金やら裏金が手に入る。それが彼らの何よりの魅力なのだ。

魑魅魍魎の蠢く五輪誘致など、国民にとって百害あって一利なしである。

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2008/06/04

「柳家三三・三づくし独演会」第二夜

Sanza柳家三三の「三三 三三歳 三夜 三席 三宅坂」と題する国立演芸場での三日連続の独演会。2日目は、六月三日で座席番号が三番とくれば、全てが三づくし。菊志んが客は三三人だろうと言っていたが、どうしてどうして満員御礼である。
最初の頃は、メクリが出ると一の字が六つ並んでいて変な名前だと思っていたら、割り箸みたいに痩せたお兄ちゃんが出てきてどうなるかと心配していたが、今では押しも押されもせぬ若手落語家の一番手になってしまった。
伸び盛りの芸人には勢いがあり、多少のキズは力でねじ伏せて客を納得させる。今の柳家三三はそういう状況にある。
芸名に因んだ三づくしの会が出来るのも、長い人生の中でこの瞬間しかない。観客もその瞬間を立ち会うことになる。そういう独演会であった。

「道灌」
代表的な前座噺で、三三も最初に覚えたネタだと言っていた。師匠・柳家小三治に憧れて18歳で入門したが、一度も師匠から稽古をつけて貰ったことが無いのだそうだ。それでも三三を見ていると、ちょっとトボケタ感じや間の取り方などに小三治の影響を見て取れる。落語家の師弟関係というのは、そういうものなのだろう。
真打が前座噺をやるのは意外に難しいんだと思う。基本を崩してはいけないし、前座とは格段の差を見せ付けなくてはいけない。
三三の高座は、その辺りを程よく仕上げていた。

「三軒長屋」
今回の独演会は、三夜全てに「三」に因んだネタを入れており、この日はこの「三軒長屋」である。
口演時間が40-50分掛かる上に、劇的なストーリー展開がなく、その分笑いが取り難く、その割に登場人物が多いという、大ネタの中でも厄介な大ネタの部類に入る。普段の寄席では先ずお目にかかれない演目である。この大ネタに三三がどう挑むのか注目された。
先ず欠点だが、鳶の頭・政五郎に粋さ、剣術指南・楠運平橘正友に無骨さが欠けているなど人物描写に不満が残った。しかし噺の細部に三三独特の工夫がされており、途中ダレルこともなく最後まで緊張感を保ったのは立派だ。
完成度が低いと言うのは、それだけ伸びシロがあるということでもあり、年齢を重ね稽古を積んでいけば、名演の領域に近づけると思う。

―仲入り―
「崇徳院」
百人一首を題材にした落語には、他にも「千早ぶる」などのネタがあるが、この「崇徳院」の方は滑稽な中に品の良さが要求される難しい演目だ。三代目桂三木助が極め付けである。
三三の高座は冒頭で「熊さん」を「頭」と言い間違えたり、人物描写も大旦那に風格が欠け、床屋の親方の口調が「頭」のような口の利き方になるなど、人物描写が粗い。三三本人もプログラムで言っている通り、師匠から「みやびな空気が毛ほどにも感じられない」と酷評されたようだが、まだまだ仕上げが必要だろう。
その一方、話の中に当日のネタであった「道灌」や「三軒長屋」のクスグリを入れるなど演出が工夫されていて、観客を喜ばせていた。

ネタの選び方にやや背伸びを感じる向きもあるだろうが、果敢に大ネタに挑戦する姿勢は大いに評価できる。全体としては現在の柳家三三の力を示す、恰好の独演会となった。

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2008/06/03

【四川大地震】「宗教的に正しい」シャロン・ストーン発言

2ハリウッド女優シャロン・ストーンが中国の四川大地震に対して行った発言が物議を醸し出している。シャロン・ストーンは、彼女がモデルを務めるクリスチャン・ディオールを通じて謝罪声明を発表したとされていた。しかし米ニューヨーク・タイムズ紙によると5月29日夜の彼女とのインタビューでは、謝罪声明は勝手に書き換えられたもので、「ディオールの幹部には『私は何も悪いことはしていないし、私は謝らないわよ』と伝えていたのに」という。
今でも発言は正しいと確信しているのだろう。

問題のシャロン・ストーンの発言は、カンヌ映画祭の会場で次のようになされた。
「中国のチベットに対する扱いに不満を持っている。ダライ・ラマは私の友人。地震が起きて『これはカルマか?』と思った。良くないことをすれば、悪いことが起きるでしょ?」
「カルマ」とは、オウム真理教によるサリン事件の時に散々聞かされていたので思い出すと、「善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうく」といった様な意味だったと理解している。
彼女の主張によれば、チベットを弾圧した報いが四川大地震だということになるのだろう。
結論だけ見れば、日本の一部のブログが主張している「天罰」と同じ見方である。

しかしよく考えると、彼女の主張は変だ。もし因果応報であるなら、チベット民族を弾圧した張本人が被災する筈であり、決してそうなってはいない。実際には弾圧に係わっていなかった人が大きな被害を受けている。第一、四川省は元々チベット族の人が多数暮している。神だか仏だかが罰を与えるのなら、少なくともチベット族のいない地域に地震がおこりそうなものだ。
関係ない人々を巻き込んでおいて、「カルマ」という言い方は無いだろうと思う。
こういう理屈が通らないのが、宗教の恐ろしいところだ。

もう数十年前になるが、職場の友人に創価学会の熱心な信者がいて、3ヵ月ばかり聖教新聞をとらされてことがあった。その時期に国鉄(当時)鶴見事故と言う惨事があり、大勢の方が亡くなった。新聞を読んでいたら、乗客の中で創価学会の信者は助かったという記事にぶつかった。私は友人に、この書き方は信心をしていなかったから死んだという意味に取れ、おかしいではないかと食って掛かった。友人の答えは、宗教の信者からすれば当然の見方であり、正しいというものだった。信仰していない人間には分からないよというのが、その友人の見解だった。
要は、ある宗教を信仰していない人間は、いつかは報いを受けるという事を言いたいのだ。

シャロン・ストーンの発言は、きっと「宗教的には正しい」のだろう。しかし社会常識とは遊離している。
「信ずる者は救われる」なら「信じない者は救われない」のだろうか。
こんな宗教なら、コチトラァ真っ平ご免である。

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2008/06/01

特選落語会「あの人のあの噺」

Hayashiya_shozo5月31日よみうりホールで、《夢空間》特選落語会其の一「あの人の、あの噺が聞きたい」という長いタイトルの落語会があった。要は旬な噺家4人それぞれに最も得意とするネタを披露して貰うという企画である。
開幕直後に正蔵と三三の二人が揃って出てきて、会の趣旨説明みたいなものをしていたが、時間稼ぎだったのだろうか。あまり意味があったとは思えない。

柳家三三「五貫裁き」
近ごろの三三は、このメンバーの中に入っても引けをとらない。貫禄のようなものが付いてきた。
ネタは大岡裁きの中の一つ、本来は講談ネタで落語では「一文惜しみ」の題が使われてきたが、最近は講談と同じ「五貫裁き」のタイトルが使われている。
主な登場人物は店子・初五郎、家主・太郎兵衛、因業な質屋・徳力屋万右衛門とその番頭だが、この噺の実質的な主役は大家だが、三三の人物描写がやや甘く、その分薄味に仕上がったようだ。やはり志の輔や談春のものが断然面白かった。

林家正蔵「子別れ(下・子は鎹)」
複数の噺家が出る落語会では、得てして正蔵は手抜きして軽い噺にする傾向があるが、今回は違った。子別れの下をたっぷりと演じたが、とても良い出来だったと思う。
この噺は母と子、別れた父と子、それに夫婦愛が絡む実に良く出来た人情話だが、それだけにそれぞれの人物の性格描写をしっかりやらないと聴いている方がダレる。
正蔵は大工の熊五郎、息子の亀吉の人物描写が優れていて聞かせてくれた。
本ブログで、初めて当代の正蔵を誉めることとなった。

―仲入り―
柳亭市馬「片棒」
市馬の十八番(オハコ)である。片棒という噺は親父が死んだ時どういう葬式をあげるかを、三人の息子それぞれがアイディアを出すという、落語としては風変わりなネタである。聞かせ所は、上の二人の息子のアイディアをどう面白く見せるかであり、ここが演者の工夫のしどころとなる。
このネタは九代目桂文治が得意としていて、文治の演出は次男の時に囃子や山車を出してお祭り騒ぎにするという趣向にしていたが(これは想像だが、八代目桂文治が「祇園祭」を得意としていた影響ではないかと思う)、市馬もこの演出を踏襲している。ただ得意の喉を披露するために、「木遣り」や「お祭りマンボ」を挟むなどして、サービスたっぷりに仕上げている。
こういう演目をやらせたら、市馬の独壇場である。

柳家喜多八「鰻の幇間(たいこ)」
落語には幇間(たいこもち)の悲哀を描いた作品が多いが、その中でも代表的作品である。
眼目は、ようやく上客をつかめたと思った幇間の安堵と、食い逃げされたと分かった後の悲哀の落差である。後悔と落胆がないまぜになり、オレはやっぱり芸人に向かないんだと自己嫌悪に陥る一八の姿。鰻屋の女中のあれこれ文句を言うが、それも自分自身への愚痴なのだ。
喜多八の演出は、そうした幇間の哀しみにやや欠けていて、不満の残る高座だった。

全体としては四者四様それぞれも持ち味を出して、充実の会となった。

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