【寄席な人々】あなたは長嶋タイプ?それとも村山タイプ?
プロ野球全盛期に活躍したスーパースターに、長嶋茂雄と村山実がいる。片やミスタージャイアンツならもう一方はミスタータイガース、バッターとピッチャー、長嶋が華麗なら村山は熱血と、ライバル同士対照的なスタイルだった。
現役を引退して解説者になっても、長嶋は楽天的で選手の長所を褒め上げるのに対し、悲観的な村山は選手の欠点を指摘するタイプだった(村山を知らない方は野村監督に置き換えて下さい)。
作家・清水義範の短編小説「いわゆるひとつのトータル的な長嶋節」は、こうした対照的な二人が、一つの物事をどう評価するかというテーマで書かれていて、とても面白い作品である。
誉める長嶋、キビシイ村山、どちらも野球にかける情熱は同じだ。それぞれの人生観や性格に起因するものであって、どっちが良いか悪いかという問題ではない。
HPやブログで寄席や落語の評を書いている人も、大まかに二つのタイプがある。噺家の良い点を褒め上げて良かった面白かったと書くタイプと、欠点を指摘してメッタに誉めないタイプの人もいる。しかし、これを以って、誉める人は落語を愛していて、けなす人は落語ファンとはいえないと言うのは、違う。
どちらも寄席や落語が好きだが、表現の仕方が異なるのだ。
以前書いたことがあるが、子どもの頃よく寄席に連れて行ってくれた近所の女性は、寄席で笑ったのを見たことが無い。場内が大爆笑している時でも、隣の席を見るとニコリともしない。周囲から見れば何が面白いんだろうと思うだろうが、本人は寄席が大好きなのだ。実際に隣にこういう人が座ると、気にはなるが。
外観で人は判断できないと、その人を見て思った。
芸人と観客では立場が違う。芸人は芸を披露して生活の糧とし、観客はお金を払ってそれを観に行く。芸人は客を楽しませようと一生懸命に演じるが、客はそれを面白いと思うか、つまらないと思うかはそれぞれの判断だ。面白ければ面白いと感想を書き、つまらないと思えばそう書くだけのこと。愛情だの情熱だの関係ない。
他のサイトを見て、自分と異なる評価が載っていれば、ナルホドそういう見方もあるんだなと思うこともあるし、この人の評価は見当違いではないかと訝ることもある。それで良いのだ。
演者もそうだろう。そうした観客の反応を見て自信をつけたり、やっぱりもっと稽古をしなけりゃと反省したり、どちらにしても自身への励みとなるだろう。
あなたは長嶋茂雄タイプ?
それとも村山実タイプ?
<追記>
先日エントリーした“落語家に「師匠」付けはどうもネ”の記事に、予想以上のアクセスがありました。いくつかのサイトでこの拙文がとりあげられ、様々な論評が行われていて、それぞれ大変参考になりました。
この場を借りて、謝意を表します。
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