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2008/08/31

モリキド寄席「喜多八とその呑み仲間の会」

Kitahachi数ある地域寄席や落語会の中でも、一番高いのはこの会だろう。なにせ新宿住友ビルの47階で開かれたのだから。
柳家喜多八の熱烈なファンであるモリさんとキドさんが主催する「モリキド寄席」、第3回は8月30日に。会が終わってから、希望者は出演者と共に呑み会に参加できる趣向。150名の会場は満席。

私がまだ若かった頃、先代小さん門下に二人の有望な二ツ目がいた。柳家さん治、さん八だ。今はそれぞれ柳家小三治と入船亭扇橋という大看板になっている。今回その弟子である喜多八と扇遊が顔を揃えた。

・柳亭こみち「垂乳根」
二ツ目だそうだが、実力は前座並み。この程度のネタで2度もトチルようじゃ、先が思いやられる。サービスの踊りは良かった。
・柳家喜多八「小言念仏」
この10年くらいを振り返って、一番化けたのはもしかして喜多八かも知れない。かつては「虚弱体質」を売り物に、やけにテンションの低い噺家だなあという記憶が残っている。今や押しも押されもせぬ、人気落語家の一人となった。
マクラで師匠を小三治に選んだ理由として、「志ん朝は人気が有り過ぎた。立川談志は下品で、あれが良いと言う人の気が知れない。」に、場内から共感の声。
そうか、弟子は師匠を選べるが、師匠は弟子を選べないのだ。
少々壊れた念仏で、場内を沸かす。
・入船亭扇遊「明烏」
この会で、廓噺が二つ入れてあるのは、今年が赤線(もう死語か。淫売屋のことだ。)が廃止になって50周年だとのこと、そういえば50周年記念の催しだの、TVの特番だのが無い。
売春防止法はできたが、売春は一向に無くならない。一度吉原の街を車で通ったことがあるが、不夜城のようだった。警察も取り締まらないし、警官だって通っているのだから、有って無きがごとき法律なのだ。
いつもながらの扇遊の折り目正しい高座だったが、廓の女将に色気があり、良い「明烏」に仕上がっていた。甘納豆の食い方もドウに入っている。
欲をいえば、源兵衛と太助にもっと遊び人風情が欲しい。

~仲入り~
・柳家喜多八「付き馬」
最近の落語家にとって廓噺が難しいのは、当時の知る人がいなくなったためだろう。今の師匠連でさえ経験が無いのだから仕方がない。文楽と志ん生の世代でおしまいなのだ。
だから「妓夫太郎(ギュウ)」が、もうキャバレーの呼び込みみたいになってしまう。そこは目をつぶって聴くしかない。
テンポの良い「付き馬」だったが、客の男にもっと「粋さ」が欲しいところ。そうでないと、海千山千の妓夫太郎があそこまで騙されるという説得力に欠ける。
妓夫太郎と早桶屋とのやり取りは秀逸。

入場者に配られるプログラムが親切で、良く出来ていた。
他の会でも、是非見習って欲しい。

2008/08/29

だから工作員の証言は信用できない

Photo「亡命者の証言を信用するな」とは昔から言われていることだ。正確には「亡命者の証言を鵜呑みにするな」という意味だろう。内容を精査した上で、真偽を確かめよということだ。
亡命者の証言に気を付けなければいけない理由は、
1. 自分の地位や役割を過大に見せるために、経歴や実績を偽る。
2. 謝礼や職を得るために虚偽、あるいは不確かな情報を提供する。
3. スパイ活動として送り込まれ、撹乱を狙って誤った情報を流す。
だから、頭から信用してはいけないわけだ。
全てが虚偽だと信用されないので、一部は真実を含めることが多い。受け取る側は嘘と真を峻別して、事実だけを取り出さねばならない。

8月27日、韓国の捜査本部は、脱北者を装って韓国に入国し、スパイ活動をしていた北朝鮮女性工作員、元正花(ウォン・ジョンファ)容疑者(34)を国家保安法違反の罪で起訴したと発表した。
北朝鮮の工作員だったこの女は、2001年から脱北者として韓国に入国し、諜報活動を行っていた。要人の暗殺指令の任務も負っていたようだが、こちらは不成功に終わっている。
美貌を武器に、韓国の将校などと肉体関係を持ち、情報を引き出していた。
男ってぇのは、どうも美女に弱いのだ。そういえば我が国でも、元首相が大陸方面から派遣された美女と関係を持って・・・、という様なお話があったっけ。
その後の調べで、元正花が北朝鮮と韓国との二重スパイだったと報道されているが、これも大いにあり得ることだ。潜入先での身の安全を確保するために、二重スパイになる諜報員も多い。

元正花は日本へ3回入国していたが、これは驚きだ。北朝鮮の工作員だった人物をなぜ入国させたのか、理解に苦しむ。
脱北者といっても一様ではない。生活に困窮し北を脱出した人たちは別だ。問題は北朝鮮の政府機関に所属していた人物、特に工作員など治安や諜報機関にいた人物は、先ず疑ってかかった方が良い。任務を持って来た人間もいるし、事情が変われば再び北朝鮮へ帰国するつもりの者もいる。
一時期、日本のマスコミにも度々登場し、ある事ない事喋っていた感がある安明進(アン・ミョンジン)も又然り。
2007年7月に安明進は、北朝鮮で製造された覚醒剤を、韓国国内で売りさばいていたとして逮捕された。本人も事実を認め、一審で懲役4年6ヶ月の実刑判決を受けた。ところが控訴審判決では懲役3年、執行猶予5年に減刑され、釈放されている。韓国政府の意向が働いたか、あるいは何らかの取引があったのか。
いずれにしろ、いかがわしい人物であることに、変わりはない。

北朝鮮の工作員というのは、プロのスパイとして訓練されてきた者だ。その証言には、先ずは眉に唾して聞いた方が賢明だといえよう。
それから男性諸君、どうか向こうから近付いてくる美女には、くれぐれもご注意を。
私など、生まれてこの方注意しっ放しだから、誰も近付いてこない。トホホ・・・。

2008/08/27

太田誠一センセイに問う

Ota_seiichi太田誠一農水相の政治団体「太田誠一代議士を育てる会」が2005-2006の2年間で、当時政策秘書だった農相秘書官の自宅(東京都目黒区)を事務所として届け出て、事務所費など計2345万円の経常経費を計上していたことが発覚しましたが、センセイ、これは要するに架空計上でしょう。
過去のセンセイ方も最初は色々と言い逃れしてましたが、結局最後は事実を認めて、ある方は辞任し、ある方は自死されました。
むしろ気になるのは、架空にせざるを得なかったお金が、何に使われたのか、そっちに興味があります。
ある元大臣は愛人への手当てでしたし、別のある元大臣はアヤシゲナ女に手を出して脅し取られたものでした。
どうしても表に出せなかった裏金、さて太田誠一センセイの場合は、一体なんだったのでしょうね。

太田センセイは又、自民党人権問題等調査会の会長を務めるなど、積極的に人権擁護法案を推進しておられるとか。悪い冗談でしょうか。
女子大生に対する集団暴行事件で、「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」と発言された太田センセイが主張される「人権擁護法案」とは、一体どんな中味でしょうね。

もう一つ、太田誠一センセイは「日韓トンネル研究会」の顧問も務められていますね。この組織、悪名高い韓国の文鮮明と統一教会が推進してますよね。
確かに、日韓トンネルが掘られたら、統一教会の布教活動には便利でしょうな。
でもこのトンネルが出来たら、日本にとって何か良い事があるんでしょうか。
太田センセイ、教えて欲しいです。

2008/08/26

華美リンピックから地味リンピックへ

一昨日で北京オリンピックが終わったが、国威発揚と商業化がますます露骨になったと言える。もはやオリンピックはスポーツ競技大会というよりは、政治ショーの場と化した感がある。
何も中国だけのことではない。東京オリンピックの誘致についても、元々は石原都知事が進めてきた新銀行東京の乱脈経営による公金食いつぶしを覆い隠すために言い出したのだ。そういう意味からすれば、東京オリンピックも政治の道具として使われている。

大会前の聖火リレーで、チベット弾圧への抗議として聖火リレーを妨害する事件があったが、この中心となった国境なき記者団は、アメリカ政府が設立した全米民主主義基金と自由キューバセンターから資金提供を受けていた。何のことは無い、スポンサー向けの茶番劇だったわけだ。

ショーアップは同時に莫大な費用を要することとなる。資金集めのためにはスポンサー企業が必要だ。
水泳競技で、スピード社の水着を着用するかどうかでさえ、スポンサー企業にお伺いを立てねばならない。メダルを獲得して選手がインタビューを受けるとき、スポンサー企業の製品やマークを一生懸命カメラに向けている姿は、毎度お馴染の光景だ。

金が集まるところには、必ず利権が生まれる。オリンピック招致のために、候補となる国が使う費用とマンパワーは莫大なもので、これらは無駄としか言いようがない。
ウチでやりたいという国があれば、さあどうぞと譲れば済むことではないか。

オリンピックは国際スポーツ大会であり、それ以上でもそれ以下でもない。それなら純粋なスポーツ競技大会の姿にして、見世物的な要素は排除し、費用も出来るだけ節減すれば、もっとマトモな姿に戻れるのではないだろうか。

そこで、いくつか改善策を提案してみたい。
1. 聖火リレーはやめる。
聖火リレーを五輪の伝統行事と思われている向きもあるが、元々は1936年に開催されたベルリンオリンピックで、ナチスドイツが国威発揚の演出として始めたものだ。もういい加減にやめたらどうか。
2. 開会式や閉会式は選手の入場行進だけにする。
オリンピックの主役は選手であり、スポーツ競技大会らしくシンプルに、選手の入場行進だけで良い。
余計な演出をするから、口パクだのCG合成画像だのが出てくる。
3, 選手は全員、選手村で生活する。
全員が選手村で共同生活することも、競技大会の一部だ。外部のホテル住まいが必要だという競技や選手は、オリンピックに参加しなければ良い。
4. 競技種目の削減
私はプロ野球のファンだが、以前から野球をオリンピック種目とすることには反対だった。野球やサッカー、テニスのように単独でプロスポーツとして国際競技が定期的に行われている競技については、敢えてオリンピックに参加する意味がないのでは。
どうしても五輪種目に入れたいなら、アマチュア選手だけが参加できるようにすべきだろう。
それからこれは私見であるが、スポーツというのは一番速く走る人、一番高く跳べる人、一番遠くに飛ばせる人、一番重いものを持ち上げる人、一番強い人が勝つ、そういうものではなかろうか。選手の演技を第三者が採点して順位を決めるというのは、スポーツと言えるのだろうかという疑問を持っている。
子供の軽業みたいな競技をやるから、年齢詐称問題などが起きるのだ。

近代オリンピックが始まった頃と比べると、現在のスポーツをとりまく環境は激変している。様々な国際競技大会が定期的に開かれているし、日常的な国際交流も行われている。
その中でオリンピック本来の在り方を、もう一度検証してみたらいかがだろうか。

2008/08/25

元禄めおと合戦―光琳と多代―@明治座

Fujiyama_naomi_28月24日は明治座へ。どうもこの小屋はやたら売店が多く、落ち着かないのであまり好きではないが、今回はナマ藤山直美を一度見たいと思って、「元禄めおと合戦―光琳と多代―」の芝居に出向く。
楽日の前日の日曜日ということもあって一杯の客席だが、8割方は中高年のご婦人で、何だか場違いの所に来たみたいで、どうも居心地が悪い。

主なスタッフとキャストは次の通り。
原作:保戸田時子 
脚本:金子成人 
潤色・演出:宮田慶子
【主なキャスト】
藤山直美:光琳の妻・多代 
中村梅雀:尾形光琳
岡本健一:弟・尾形乾山
西川忠志:その友人・源丞
大津嶺子:尾形家の女中・おらく
小西美帆:同下女・おさん
太川陽介:赤穂の浪人・鈴田重八
床嶋佳子:その妻・おしま
羽場裕一:幕府の役人・中村内蔵助 
松金よね子:物売り・お竹

ストーリーは至ってシンプル。才能はあるが放蕩のし放題で頼りない亭主と、しっかり者の女房という組み合わせで、それを梅雀と直美が演じるのだから分かりやすい。これに身持ちの堅い弟、忠義な女中、健気な下女とくれば、読者の皆さんの筋は大方見当がつくというもの。
味付けに元禄のバブリーな雰囲気と、赤穂浪士の討ち入りが絡む。
大いに笑わせ、時にホロリとさせ、最後はメデタシメデタシの大団円。
ベタな脚本だが、TVの水戸黄門と同じで、「お約束」のストーリーの方が、観客は安心して観ていられるのだろう。

出演者ではお目当てだった藤山直美の演技が断然光る。周囲の俳優とは段違いの演技力で、舌を巻いた。
先ず立ち姿が綺麗だ(スタイルは決して美しいとは言えないにも拘らず)。一つ一つの動きにムダがない。そして実に可愛らしい。台詞回しが良く、声が凛としてよく通る。つまり役者として言う事がない。
敢えて欠点として上げるなら、あれだけ個性的だと、どの役をやっても藤山直美になってしまうのではないかと。まあ、そう思わせるほど芸達者なのだ。

共演の中村梅雀は喉を痛めていたのか、声が割れるのが気になった。全体に精彩を欠いていたと感じたのは、気のせいだろうか。

助演の松金よね子の存在感が目をひいた。物売りの役だが、この女が背負ってきた過去が目に浮かぶような、奥の深い演技なのだ。役作りのお手本である。

他には、西川忠志が軽妙な演技を見せ、越後屋の主を演じた綱島郷太郎の慇懃無礼ぶりが光る。

この芝居、藤山直美の演技を観ただけで、元を取った気がする。

2008/08/24

桂文珍独演会in川崎市

Bunchin「丹波篠山山家の猿が アヨイヨイ 
花のお江戸で芝居する ヨーオイ ヨーオイ デッカンショ」
有名な「デカンショ節」の一節である。
丹波篠山の出身である桂文珍が、花のお江戸ならぬ労働者の街・川崎での独演会。8月23日の会場は川崎市教育文化会館大ホール。川崎は久々とか。
昨年1年間で180回以上の独演会を開いたというのだから、文珍は独演会の王者だ。全国を巡演しながら2日に1回の独演会というのは超人的である。ただ質的にどうかは、また別問題。

・桂楽珍「青菜」
開口一番に登場したが、文珍の一番弟子。キャリアからいえば、東京の落語家で言うと中堅の真打というポジションになる。それがメクリから座布団返しまでやるのだからチョット気の毒。文珍一門はよほど人手不足なのだろうか。
「青菜」という噺の勘所は、夏場広い庭のある家の縁側で、この家の主人と植木屋が世間話を交わす季節感だ。前半は涼風が吹きぬけるようなユッタリとした場面と、後半の暑苦しさとの対比が大事。楽珍の高座は前半から暑苦しく、特に主人の描写に風格が感じられない。これではダメ。
・桂文珍「マニュアル時代」
一応タイトルはついているが、マクラの小咄を集めたもの。何回も同じギャグを聞いているのだが、それでも笑える。ファストフードの店員から、謝罪会見の企業トップまで、全てがマニュアル化されている時代風潮に対する諷刺がこめられている。
・内海英華「女道楽」
「女道楽」というと放蕩のように聞えるが、そうではない。高座で三味線などを演奏するという芸で、今やこの人が日本でただ一人となったようだ。歌手もしているそうで、声が良い。三味線の曲弾きで見事なバチ捌きを見せてくれた。
・桂文珍「算段の平兵衛」
初めて聴いたネタ。ストーリーは次の通り。
何事も上手く算段する所から算段の平兵衛と呼ばれる男が、庄屋の妾をしていたお花と所帯を持つ。博打に明け暮れてスッカラカンとなった平兵衛は、女房お花に色目を使わせて庄屋を家に呼び込み、美人局で金をむしり取ろうと図るが、誤って庄屋を殺してしまう。遺体の始末に困った平兵衛は一計を案じ、死因をゴマカスと同時に、大金を手に入れる算段をする。
さて、その結末は・・・・、聴いてのお楽しみ。
人間の業をテーマにしていて笑いも少ないネタで、悪人が栄えるという結末から、一歩間違うと陰惨な噺になりかねない。文珍の演出はクスグリを随所に入れながら、平兵衛が悪人だけどどこか憎めないという人物設定にして、面白く聴かせてくれた。文珍の力量を示す高座となった。

~仲入り~
・桂文珍「小言幸兵衛」
時間が急いていたのか、先を急ぐような展開で薄味の高座となり、不満が残った。

独演会では最後のネタの印象が大切なので、「算段の平兵衛」を後ろに持ってきた方が良かったのではなかろうか。
前座を出さずに、本人が三席という独演会のプログラムは評価できる。

2008/08/23

【こんなモノいらない】学校の夏休み

間もなく学校の夏休みが終わり、ホッとしている親御さんも多いと思う。なにしろ、何もすることがなく日長一日家でゴロゴロしている子供たちの存在は、本当に扱いに困るだろう。
以前から疑問に思っているが、学校の―ここでは義務教育である小中学校のことなのだが―夏休みって必要なのだろうか。どういう教育的効果を狙っているのだろうか、どうも良く分からない。

学期と学期の間を一定期間休ませるというなら、春休みや冬休みと同様せいぜい2週間程度あれば十分だ。夏休みも同じ趣旨で2週間程度の休みであれば納得がいく。問題はなぜ夏休みだけが40日間(地域により異なるが)必要なのかという点だ。
私が子どもの頃は、夏は暑くて勉強にならないので学校を休みにすると説明された記憶がある。しかし今はエアコンが普及し、夏場でも快適に授業が受けられる環境になった。

子どもたちがアウトドアで思いっきり遊ぶために、夏休みは必要だという意見もあるだろう。では現実はどうだろうか。夏場、日中に屋外で遊んでいる子どもが、どの位いるだろうか。
外は暑いし紫外線が強いし、家の中はクーラーがあって涼しいし、TVやゲームなど家庭内で遊ぶツールは豊富だしと、結局大半の子どもは家にいることになる。
家から出るときは、学校のプールか熟に行く位だ。それなら何も学校を休みにする必要はない。

もっと不思議なのは、宿題というヤツだ、学校は休みにするが、家では勉強しろというのは、どう考えてもおかしい。サラリーマンに例えれば、会社は休みだが仕事は自宅でしろということになる。これは休みとは言わない。
結局、学校も夏休みという制度は後ろめたいのだろう。だからエクスキューズとして格好をつけるために宿題を出す。それならいっそ授業にした方が良い。

親と一緒に過ごせるからという狙いもあったのだろうが、これも現実とは合わない、日本の多くの家庭では、子どもが就学すると、母親がパートなどで仕事に出るケースが多い。そういう共働きの家庭では、日中子どもだけが家にいることになる。
夏は2~3週間、家族でリゾート地に行きノンビリ過ごす、そんな家庭は日本では極めて稀なのだ。

「小人閑居して不善をなす」の例えあり。人間、暇になるとロクなことをしない。小学校上級や中学生で非行に走るのは、夏休みがきっかけとなる例が多い。
進学や進級で、ようやく学校生活に馴れた頃に、いきなり長期の休みに入る。どうしても生活のリズムが狂ってくる。朝寝坊と夜更かしのクセがつき、学校や親の目が行き届かない。条件が揃うのだ。
統計データがないのではっきりとはしないが、夏休みが不登校や引きこもりの引き金になるケースも多いと推定される。

それでも一定期間、子どもが学校を離れて行動するチャンスは必要だろう。親と一緒に旅行に出たり、部活や対外試合で授業に出られないこともあるだろう。
クラブ活動などは教育の一環だから、授業の一部として見做せば良いことだ。そんな意欲的な生徒なら、授業の遅れなど直ぐに追いつく。
仕事や勤務形態の多様化により、お盆や年末年始GWなどの時期に、まとまった休みを取れない親も多い。シーズンを外して子どもと一緒に帰郷したり旅行したりするケースでは、保護者の申請により生徒が学校を休めるという制度(年間定められた日数の範囲で休める)を作れば良い。

遊びは遊び、勉強は勉強、要はケジメのついた学校生活が送れるよう、知恵を出したらどうだろうか。
小中学校の夏休み制度の見直し、文科省でも検討する価値があると思われるが。

2008/08/21

太田誠一の「放言」麻生太郎の「方言」

8月10日のTV番組で、太田誠一農水相が食の安全について「消費者がやかましいから徹底する」と発言したことが問題視されていますが、一番イケナイのは言葉が足らないことです。より正確に、
「(やりたくないが)消費者がやかましいから(止むを得ず)徹底する」
と表現しておけば、もっと分かり易かったんです。
農水省の基本姿勢としては、これからも生産者側、企業側に立った行政を進めるという決意を表明したものです。彼らにとっては、消費者は「やかましい」存在でしかありません。だから発言を撤回しない。

自民党役員会で、太田農水相の発言を擁護する意見が多かったようですが、これも自民党の姿勢としては当然です。
やれ「国民目線」だの「消費者保護」だの言っているが、そんなことはあくまで目先の選挙対策であり、産業側の番犬であるという本質はこれからも変わらないでしょう。
いくら福田首相が強調したところで、「どうせ直ぐに代っちゃうしな」とタカを括っているのでしょう。「次の総裁はオレだから」と、最近の麻生幹事長の言動には、そうした思いが表れています。
もっともそんな事、ご本人は「口が曲がっても」言えないでしょうけど。

ただ19日の麻生幹事長の記者会見は、頂けないですね。
太田農水省の発言に対して、「関西以西では、やかましいって、みんな言うだろうが。うるさい、騒々しいという意味じゃない。『あの人、選挙にやかましいもんな』って言ったら、くわしい、プロ、そういったのをやかましいと言う。『よく知っている』という意味だ」という内容でしたが、これは変です。
関西以西でも、「やかましい」は「うるさい」と同義語で使われます。「やかましい=よく知っている」という訳ではありません。「方言」のせいにするのは、いかにも姑息では。

ちなみに「大辞林」では、「やかましい」「うるさい」の意味を次のようにしています。いずれも誉め言葉としては使われない。
【やかまし・い】
(1)音や声が大きすぎて、不快に感じられる。さわがしい。
(2)世間で人々が口々に言い立てている。
(3)手加減なく相手を拘束しようとするさまである。きびしい。
(4)自分の趣味に固執してあれこれ言い立てるさまである。好みがむずかしい。
(5)煩わしい。面倒だ。
【うるさ・い】
(1)音が大きいのがじゃまになる。音が大きいのでやりきれない。やかましい。
(2)しつこくて、やりきれない。
(3)小さいことまで、いちいち文句を言うのでいやだ。口やかましい。
(4)物事に対して見識をもっていて、細かいところまで気にするさま。
(5)面倒くさくて、いやだ。わずらわしい。
(6)いやになるほどに優れている。完全で親しみが持てない。
(7)技芸が優れている。うるせし。
(8)わざとらしくて、いやみだ。きざっぽい。

麻生幹事長、マンガも結構ですが、たまには日本語の辞書を開いて見ることをお薦めします。

2008/08/20

松尾和子さんのこと

Matsuo_kazuko_3松尾和子が亡くなって間もなく満16年が経とうとしている。時々TVの歌番組などで彼女の映像が流されるし、ヒット曲の一つ「東京ナイト・クラブ」は今でもカラオケデュエット曲の定番だ。「再会」が好きで、持ち歌にしている人も多いだろう。未だに根強い人気に支えられている。
松尾和子が無名のクラブ歌手だった時期からレコードデビューするまで、家が隣同士だった関係で、彼女には特別の感慨がある。

松尾家は祖母と母親と和子本人という女系家族だった。彼女の年譜には東京・蒲田生まれ箱根育ちとあるが、和子の母から聞いた話では、終戦は満州で迎え、日本へ引揚げてきたということであった。
一家が、中野にあった我が家の隣に越してきたのは、1957年頃だった。
父親は戦死したようで、自宅の仏間には軍服を着た(将校だったように記憶している)遺影が飾られていた。
生活に困っていた一家は、たまたま和子がジャズが好きだったということもあって、中学を出ると直ぐにジャズ歌手となり、進駐軍やクラブまわりをしていたようだ。15歳の少女が、一家の家計を支えていたわけだ。

松尾和子が20歳を過ぎた年齢の時、私は中学生で、そりゃ隣に綺麗なお姉さんが越した来たのだから、胸がトキメクのも無理は無い。
彼女は深夜の仕事なので、普段はメッタに顔を合わせることはないが、休日はしばしば姿を見かけた。
その頃の彼女は華奢で、美人で、色が抜けるように白く、当時珍しかった短パン姿を見かけると、クラクラっとしたものだ。性格は気さくでサッパリとしており、会うとニコニコしながら私の名前をチャン付けで呼んでくれた。少年だった私は、それだけでもう舞い上がってしまった。
後年、TV番組などで悪女のようなイメージで売られていたが、その当時の姿からは想像もつかない。

松尾和子はやがて実力が認められ、赤坂のクラブ・リキ(力道山が経営していた)の専属歌手となったということは、母親から聞いた。当時のクラブ・リキには多くの芸能人が集まっていたようで、母親から常連だった石原裕次郎などスターの裏話を聞かされた。少年としては、こういう話題は興味津々なのだ。早速学校に行くと、「本当はこうなんだぜ」とか言いながら、級友に自慢していたことを覚えている。

彼女の伴奏をしていた楽団のバンドマスターが大野という人で、二人は結婚し、自宅を建て増しして彼女の家族と同居するようになる。
私の幼少期に、東京・中野で両親が喫茶店を経営していた。戦後間もないころだったせいか、客の大半はヤクザかミュージシャン(当時はバンドボーイと呼んでいた)だった。上から下まで白ずくめの格好で、全員が店でヒロポンを打っていた。だから私の中のミュージシャンというのは、ヤクザと同類だった。
ところが大野という人は全く印象が異なり、真面目で誠実な性格だったと記憶している。近所の評判も良く、「和チャンさんは良い人と結婚したね」と祝福されていた。

松尾和子の周辺が慌しくなったのは、1958年ごろだったと思う。先ず帰宅時間が、深夜だったのが時に早朝近くになり、既に結婚していた和子の実姉が家の手伝いに通って来るようになった。
クラブ・リキに来店していたフランク永井に認められスカウトされて、ビクターレコードに入社したと知らされた。
早速地元商店街が中心となって後援会が結成されるなど、周囲も慌しくなっていく。
ただ当時の新進女性歌手が全てそうであったように、既婚と言う事実は隠され、世間には独身ということで通すことになる。

そしてレコードデビューが決まり、1959年「グッド・ナイト/東京ナイト・クラブ」が発売される。何しろ作曲が吉田正、「グッド・ナイト」は和田弘とマヒナスターズ、「東京ナイト・クラブ」はフランク永井との共演というのだから、当時のビクターがいかに松尾和子の売り出しに力を入れていたか分かる。
哀愁を帯びた甘いハスキーボイスという彼女の歌唱は、従来の日本人歌手にはないもので、翌年には「誰よりも君を愛す」でレコード大賞を獲得する。

レコードデビューして間もなく、私の隣にあった家は姉一家に譲り、松尾和子夫妻と母、祖母の4人は大きな家を買い、引っ越して行く。しばらくすると、夫妻だけで更に別の家に移ったと聞いて、流行歌手になるとすごいお金が入るもんだなと感心した記憶がある。
転居してからは、隣に住むことになった彼女の実姉を通して、たまに噂を聞く程度となり、以後の消息は新聞やTV、週刊誌などで知るところとなる。

ヒットが途絶えた後の松尾和子は、主にバラエティ番組などに出演したり、TVドラマや映画に出たりしていたが、1966年の離婚に続き、1991年には長男が覚せい剤法違反で実刑判決を受けるなど、個人的に不幸が重なる。同時に芸能界からも姿を消すことになり、1992年に自宅の2階階段から転落し死亡した。享年57歳であった。
仮定の話をしても致し方ないが、もし松尾和子がレコードデビューなどせず、クラブ歌手のままでいたら、もっと幸せな人生を送れたのではないだろうかと、思うことがある。

歌手としての松尾和子だが、主なヒット曲はデビューとその翌年に集中し、しかも「再会」を除くと、フランク永井やマヒナスターズとの共唱である。そういう意味では、大歌手になれずに終わったといえる。
ちょうど、ビクターレコードのムード歌謡路線が終焉する時期とも重なっていた。

多くの視聴者にとり松尾和子の姿は、TV録画で見る「熟女」のイメージであろうが、私の脳裏には若い頃の、あの輝けんばかりの美しい彼女の姿が、いつまでも脳裏に焼きついている。
(文中敬称略)

2008/08/17

成功的五輪

China_2

成功的五輪

民族的抑圧
統制的言論
迎合的報道
暴力的拘束
詐称的年齢
合成的映像
吹替的歌唱
居直的反論
熱狂的応援
威嚇的非難
拡大的格差
蓄積的不満
爆発的抵抗
崩壊的社会

2008/08/16

志の輔らくご「ひとり大劇場」@国立劇場

Shinosuke3立川志の輔が国立劇場で独演会、3回公演の最初の会へ8月15日に出向く。永田町の駅から劇場に向かうと、地図を確かめる人や最高裁の守衛に道を尋ねる人。果ては間違えて国立演芸場に入って行く人まで。普段あまり寄席に来た事のない人が多いのか、それも志の輔の人気のお陰だ。マスメディアへの露出で、今や談志を知らなくても、志の輔を知らない人は先ずいないだろう。

志の輔の特に古典落語は、決して初心者向きとは言いがたい。古典の本筋を辿りながら、独自の解釈を加えての高座となるため、オリジナルを知っていないと、本当の面白さが理解し難いこともある。この辺り、分かり易さとどう両立させていくか、演者の腕の見せ所だ。
タイトルに偽り無しで、前座もゲストもなく、志の輔一人だけの番組となった。やっぱり独演会は、こうじゃなくっちゃ。

1席目「生まれ変わり」
自作と思ったら、桂三枝の作だったようだ。それほど良くこなれていた。志の輔は古典と新作の二足の草鞋で通しているが、両方成功している数少ない一人だ。
2席目「三方一両損」
大岡政談ものだが、落語とはいえ不自然な点が以前から気になっていた。
①二人の係争に、奉行が金を出して解決するのは不自然。
②白州での裁きが終わってから、紛争当事者の二人に食事を振る舞うシーンはいかにも変だ。これは「大岡(多くは)食わねぇ」「たった越前(一膳)」のサゲのために無理矢理入れ込んだのだろう。
志の輔の演出は、このネタの矛盾点を衝きながら、独自のオチを加えた。これを新鮮な解釈と見るか蛇足とみるかは、受け取る側の問題だ。

〜仲入り〜
3席目「中村仲蔵」
国立劇場は普段歌舞伎を上演している小屋であり、ネタの選定としてはドンピシャである。歌舞伎を知らない客に花道を教えるのだって、場内に実物があるのだから分かり易い。1時間をユウに超える熱演であったが、先ず苦言から。
①この話、夫婦愛と師弟愛がテーマの一つだが、仲蔵の師匠(団十郎は師匠ではない)である中村伝九郎の陰が薄かったし、肝心の師弟愛が描かれていない。
②成功した仲蔵に、役者仲間が金を出し合って届ける場面は不要だ。観衆が感動し座頭の団十郎が評価してくれれば十分だ。
では、良かった点は次の通り。
①他の演者では省略されている親方・市川団十郎が仲蔵を評価し取り立てていく過程が丁寧に描かれていて、説得力があった。
②中村仲蔵とその女房との夫婦愛、特に新たな役作りに挑戦する仲蔵を励ますシーンは、ジーンときた。
③仲蔵が役作りに思い悩む場面での「間」のとり方が絶妙。

全体としては好演で、観客席全体が噺に引き込まれているのが良く分かった。
先代の正蔵や圓楽とは違う、志の輔の「中村仲蔵」を見せてくれた。

2008/08/15

鈴本夏まつり「吉例夏夜噺」

Gontaroお盆には毎年ここ鈴本演芸場の中席夜の部に来るのを恒例としている。「鈴本夏まつり」は、権太楼とさん喬の二枚看板が交互にトリを取るのも恒例。今年は8月14日に出向く。
今の寄席、特に落語協会については権太楼とさん喬が屋台骨を支えている。鈴本でこの二人が顔を見せない日は少ないだろうし、大看板になっても浅い所でも出演する。以前国立演芸場で、さん喬が開口一番に登場したのには驚いた。
落語芸術協会には、この二人に匹敵する芸人がいないところが辛い。

切符売り場の前で、フリーで来た客と案内係が押し問答。「全て前売りなので、ここでは売っていません。」「前売りなら買えるのか。」「はい。」「そんなら前売りで買うよ。」「でも、前売りは売り切れています。」
何だか落語の小咄みたいだが、全数「ぴあ」に丸投げというのも、どうかとは思う。
かくして当日の客は立ち見となる。

鈴本の特別興行は前座を上げず、開演後は二ツ目から登場する。
・柳家我太楼「桃太郎」
この噺、マセた子どもの口調が大人にしか見えないと面白くない。生意気な口をききながら、子どもらしさを表現するところが勘所だが、我太楼の高座はそこがダメ。
・鏡味仙三郎社中「太神楽」
女性の芸人がジャグラーでバチを落としたのはお粗末。太神楽のような芸は、完璧に出来て当たり前。
・柳亭市馬「粗忽の釘」
底の抜けたタライでチンチン電車のギャグは圓菊流か。隣家に上がりこんで、いきなり夫婦の馴れ初めを語り出す亭主が秀逸。ダレ気味の高座を市馬が締める。
・ロケット団「漫才」
大袈裟に言えば、観るたびに少しずつ進歩していると思えるほど、このコンビは面白くなった。会話の「間」が絶妙で、喋くり漫才の基本を行っている。
・柳家甚語楼「不精床」
サゲが「耳を食べる犬」バージョンで、こちらは志ん生流か。不精で強面の床屋と、気の弱い客の対比が面白く描かれていた。
・春風亭一朝「牛ほめ」
東京の落語家だけでも真打が推定で250名くらいいると思われる。その中で生き抜いて行くのはさぞかし大変なことだろうなと、一朝の高座を観ながらふと考えてしまった。
・ダーク広和「奇術」
客を高座に上げての手品が、何を意図したのか不明。中途半端な芸に終わる。
・中トリは柳家喬太郎「ハンバーグが出来るまで」
38歳のバツイチの男ヤモメと、別れた元妻との、ちょっと切ないラブストーリー。別れて初めて相手のことに気付くこともある。それを、男が嫌いだったニンジンを意を決して食べて、「なんだよ、ニンジンって美味しいじゃないか」で表現させた。
シンミリとした男女の会話と、商店街の人たちの過剰なギャグのバランスが良かった。

~お仲入り~
・ホームラン「漫才」
2年前に協会に入ったので新人と思いきや、旧人だった。少々アクの強い芸ではあるが、なかなか面白く見せていた。
・柳家さん喬「不動坊」
さん喬と権太楼、陰と陽、静と動、緩と急、あらゆる面で対照的だが、そこが又良いのだろう。さん喬はユッタリとしたテンポで好演した。
ただこのネタは、本来が上方落語を東京に置き換えたものだが、婚姻も幽霊を追い払うのも全て金で解決というのが、どうも江戸落語に馴染まない。オリジナルの方が面白いのだ。
それにしても、さん喬は年を取らないねえ。
・林家正楽「紙切り」
・トリは柳家権太楼「鰻の幇間」
「面白うてやがて哀しき」の典型的なネタであり、その得意の絶頂から一気に絶望に至る落差が聴かせどころとなる。
権太楼の、客に逃げられてボヤク幇間(たいこ)のセリフに、独自にクスグリを織り込んでの熱演だった。会場はしばし爆笑に包まれた。
ただ幇間の元気が良すぎて、哀愁を感じる部分が薄く感じられたが、この辺りは評価が分かれるかも知れない。

好演、熱演が続き、充実の寄席であった。

2008/08/10

ほほ染めし一夜のちぎり綿の花

昨年9月の中央アジア旅行のおり、ウズベキスタン・ブハラの郊外で綿摘みを1時間ほど手伝いをして、その際綿の実の種を持ち帰りました。
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家人が春先にベランダの鉢にその種を植えて育てていたら、8月上旬の朝、薄い黄色のきれいな花が咲きました。
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筆で受粉させ、夕方になると花の色がわずかに赤みを帯びてきます。
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一夜明けると、花全体が美しいピンク色に変わっていました。
そして散ってゆきます。
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こう見ていくと、綿の花というのは何かとても艶かしいですね。
そこで1句。
生まれて初めての句なので、デキは勘弁してください。

ほほ染めし一夜(ひとよ)のちぎり綿の花  ほめく

2008/08/09

【寄席な人々】独演会に「前座」を出演させるな

以前から不思議に思っていたのだが、独演会や落語会の開口一番になぜ前座を出すのだろう。全てではない。例えば立川志らくは前座を使わないし、立川談春もつい最近まで前座を出さなかった。
前座を出しても良いが、それなら寄席(定席)に習い、開演前に出すべきだろう。前座はまだ一人前の芸人になっていないので、お金を取って客に見せるわけにはいかない。稽古の一環として開演前に喋らせている。
まして独演会などの落語会は、客は特定の噺家を観にくるわけで、開演後に前座を出演させるのは失礼ではなかろうか。

寄席に行く時は必ず開演15分前には会場に入り、前座の高座から観るのを楽しみにしている。これは見込みがあるなと思っていた芸人が売れてくると、こちらも嬉しくなる。しかしそれとこれとは別問題である。
公演にはケジメが必要だ。

こう考えた理由の一つに、半世紀ぶりに観た歌謡曲歌手のコンサートがある。
かつての歌謡曲歌手のコンサートというのは、どの歌手でもパターンが決まっていて、先ず司会者が出てきて「1週間のご無沙汰です」とか何とか言いながらお喋りをする。次いで前座歌手というのが出てきて、何曲か唄う。ようやくお目当ての本人が登場して歌を披露するが、その途中にゲストが登場して時間をつなぐ。結局ご本人が唄う時間は全体の半分程度になっていた。
しかし昨年から今年にかけて観た石川さゆりや五木ひろしのコンサートでは、最初から最後まで本人しか出演せず、一人で3時間以上のステージをこなしていたのである。これには驚いた。
何せ半世紀ぶりだから、いつの頃からこうした形式に変わったのか、あるいは別の歌手のコンサートでは異なったスタイルで行っているのか詳らかでないが、要は変えようと思えば変えられるということだ。
落語界でも出来るはずだ。

大半の独演会がこうした番組構成になっている。
1、前座
2、弟子(二ツ目以上)
3、本人
仲入り
4、ゲスト
5、本人
これを前座は開演前に出すようにして、必要に応じて弟子やゲストを出演させる。その分ご本人がタップリと時間をかけて口演してくれれば、全体が充実した独演会や落語会になると思うが、どうだろうか。

2008/08/04

天下たい平vol.28@横浜にぎわい座

Taihei横浜にぎわい座で定期的に開かれている林家たい平独演会「天下たい平」、8月3日の今回が数えて28回目、この小屋の呼び物としてすっかり定着しました。“笑点”レギュラーとしての人気もあるのでしょうが、客席は補助椅子も出る盛況ぶり。やはり、継続は力なりです。マスメディアで売れても修行を怠らず、地道な努力を続ける林家たい平の姿勢には好感を持てます。
かつてTVの寵児としてもてはやされ、人気に溺れているうちに、気が付いたらイイ年になってもマトモな噺一つできず、相も変わらず漫談でお茶を濁している協会幹部たちが反面教師です。

1席目は「たがや」
高座に登場して気になったのは、たい平の顔色の悪さでした。どこか体調でもすぐれなかったのでしょうか。客席で手拭いをかざしていた客に注意したり、ちょっとナーバスな印象を受けました。
免許証が失効したので、再チャレンジしているネタで若者の生態をマクラにふりましたが、浴衣の着付けを実演してくれたのは親切でした。着物というのは、着付け自体も色気が必要なんですね。
噺家か中元を持参して届けるというのは、参考になりました。中元も歳暮も本来は双方が顔を合わせることに意義があったのでしょうから、現在の形式だけの贈答は無意味になりつつあります。
季節感を織り込んでの「たがや」、たがやの啖呵の切り方はもう少し颯爽として欲しいところです。旗本が槍を構えるところは、旗本らしい風格が欲しい。全体に平板な印象を受けました。
決着が普通の形と異なっていましたが、ここは賛否があるでしょう。

ゲストの色物は「ふくろこうじ」。帽子、ステッキ、シガーボックスを使ったコメディジャグリングとパントマイムを織り交ぜたパフォーマンスでした。
初見ですがなかなか見事な芸でした。大道芸の出身かも知れませんが、劇場での演出にはもっと見せる工夫が必要でしょう。

2席目は「薮入り」
マクラで師匠こん平の内弟子を6年半やったことを紹介していました。芸名も最初は「たいぺい」だったのが、女将さんの口添えで「たいへい」に変わったというのも初めて聞きました。
落語家の前座修行は、最近出版されて話題になっている立川談春の「赤めだか」に詳しく書かれていますが、想像以上に大変ですね。この本を読むと、噺家が個人事業主であることが良く分かります。
落語家は昔から「馬鹿じゃできない、利口はやらない。」と言われてきましたが、今や利口でないと出来ない職業になりました。
さて「薮入り」。熱演でしたが、父親に無骨さが足りません。
このネタに限らず、たい平の演じる人物像は、全体にマイルドです。そのためか、噺の奥行きが浅く感じられます。
人柄が良すぎるのでしょうか。

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