落語教育委員会@中野ZERO小ホール
定期的に行われている喜多八、歌武蔵、喬太郎の三人会「落語教育委員会」、9月6日は「なかのZERO小ホール」での公演、寄席とホールの中間くらいの規模の劇場である。
このホールがある「もみじ山文化センター」はかつての中野公会堂の跡地だ。児童劇「森は生きている」を初めて観たのも、中学の卒業式も、そして中野区の中学校弁論大会で堂々第二位に入賞したのも(もっとも参加者4名だったが)、この場所だ。
当時の中学の卒業式は、卒業生と担任の教師とは、式の当日顔を合わせないようにしていた。教師が殴られるからで、日頃受けた暴力の仕返しを生徒がするのだ。会場には警官も来ていた。だから学校を使わず、こうしたホールで卒業式をして、そのまま解散した。
荒れる学校なんて言ったって、昔の方がずっと凄かった。恐喝や障害は日常的だった。今の方が遥かに大人しい。
私たちの「教育・イインカイ」の話でした。
この会は恒例で、冒頭に出演者のコント風の掛け合いがある。歌武蔵と喬太郎がオリンピックなどを話題にしていたが、二人ともパソコンをやらないとは意外だった(少なくとも喬太郎は)。ネットでの落語評も話題にのぼったが、会が終了して間もなく、記事がアップされているケースがある。帰宅の電車の中で入力して、そのまま送信するのだろう。それが結構まとまっていて、スゴイ才能だと感心させられる。
当方はと言えば、ボチボチと。
・三遊亭窓輝「洒落番頭」
喋りがソックリだと思ったら、圓窓の息子さんだとか。会場が盛り下がるような退屈なマクラを振って、これは珍しい「洒落番頭」。若手が果敢にこういうネタを掛けるのは良い事だ。
師匠・圓窓の作品解説によると、こうなっている。
《原話は小咄の[庭蟹]であるが、古い速記本にそれを膨らませて[洒落番頭]と題した作品があったので、それを脚色したのが、この[洒落番頭]。
主人の洒落のわからなさぶりは、演者の呼吸、聞き手のセンスで受けたり受けなかったりする難しい話でもある。
狂言に〔秀句傘〕という曲(作品)があるが、これがまさに[洒落番頭]。》
この日の客のセンスはどうだったか分からないが、窓輝は丁寧な演出でまとめていた。スジは良さそうだが、もう少し愛嬌が欲しい。
・柳家喬太郎「頓馬の使者」
監督の山田洋次が書いた新作で、五代目柳家小さんの録音がある。熊の女房お菊が急死したことを、友人の八五郎が別居中の熊に知らせに行く、それだけのストーリーで、専ら演者の力量だけで聞かせる噺である。
喬太郎の演出は、なかなか用件を切り出せない八のうろたえ振りと、気の弱い熊の動揺を対比させ、観客を惹きつけた。さすがである。
調べたわけでは無いが、現役では喬太郎ぐらいしか演じ手がいないのではなかろうか。
仲入り
・三遊亭歌武蔵「馬のす」
枝豆を食いながら、相撲界の大麻事件だとか、オープニングのコントの内輪話をアンコに挟んで、軽く演じる。
・柳家喜多八「千両みかん」
志ん生の録音を聴くと、このネタについて「損な噺」と言っている。演じ手にとっては難しいにも拘らず、客に受け難いというのだ。みかんを食べたくて死ぬほどの患いをするということ、みかん一つが千両(今の金に換算すれば1億円くらいだろうか)というのが、いかにもリアリティに欠ける。そこを聴き手に納得させねばならないから難しいのだ。
喜多八の演出は、番頭が主人に主殺しで磔にすると脅かされ、次第にエクセントリックになっていく過程を中心に描いた。
若旦那が余命あと数日という割には、元気が良過ぎた。サゲの部分で、番頭のあと一言いわせた方が(志ん生なら「ままよ。」)、聴き手が納得するのではなかろうか。やや唐突な終わり方という印象だった。
全体に薄味だったが、珍しいネタを二本聴けたのでマアマアか。
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