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2008/10/18

【思い出の落語家11】「あやつり踊り」八代目雷門助六

Kaminarimon_sukeroku落語家にとって踊りは必須科目で、得手不得手はあっても踊れない噺家はいない。最近の寄席では少なくなったが、かつては一日に一人は一席終えたあと踊りを披露していた。高座でしばしば踊りを見せてくれたのは八代目春風亭柳枝だ。
私の兄は、寄席で志ん生が踊るのを見たと自慢していたが、確かに珍しかったのだろう。意外のようだが、彦六の先代林家正蔵が時々踊りを披露していた。一度何かの機会に、正蔵一門が全員で「かっぽれ」を踊るのを見たことがある。
最近の落語家の中では志ん朝が上手かった。毎年恒例の「住吉踊り」で、志ん朝の踊りを見るのが楽しみだった。先代の三木助や馬生、圓生も名手だったそうだが、残念ながら見るチャンスが無かった。
現役では当代の金原亭馬生が上手いし、度々高座で踊る姿を見ている。
上手い踊りを見たければ、歌舞伎や舞踊家の舞台を見に行けばよい。落語家の踊りというのは、上手いだけでは駄目で、粋で色気と愛嬌がなくっちゃいけない。それさえ備わっていれば、多少下手でも構わないのだ。

噺を聞くより、どちらかというと踊りの方を楽しみにしていた落語家がいた。八代目雷門助六である。この人は一席終わると必ずといって良いほど、踊っていた。ご覧になった方もあるだろうが、「あやつり踊り」だ。糸あやつりの人形振りで、つまり操り人形と同じ動きで踊るのである。
人形振りといえば、歌舞伎の世界では「伊達娘恋緋鹿子」の櫓のお七が有名だが、あちらは文楽の人形振りで、助六のものは全く違う。

あまりお馴染がないかと思うが、日本の伝統的な芸能に「江戸糸操り人形」というのがある。現在も「結城座」という劇団が伝統を守っていると思う。
約370年の伝統も持つ芸能で、私が寄席に通い始めたころには、色物としてしばしば高座にかかっていた。歌舞伎の名場面などをあやつり人形で見せるという芸で、舞台の袖には美太夫語りと三味線弾きまで配置されていて、時々大きな茶碗でお湯を飲む仕種が実に可愛かった。舞台で瞬時に衣装が変わる「引き抜き」の芸などは極めて高度で、恐らく世界的にも最高の水準ではなかろうか。私は大好きだったが、高座で目にすることが無くなったのは残念だ。

先代の雷門助六は、この糸あやつりの人形振りを高座で見せてくれたが、これが実に見事なのだ。特に両足を大きく開いたまま、すっと足を閉じながら上半身が伸びてゆく場面では、いつも場内は拍手喝さいだった。子どものころ家に帰って真似してみたが、全く上手くいかなかった。当たり前だが、難しいのだ。
ちょっと目が奥に引っ込んでいて、垂れ目で、愛嬌のある芸人だった。
5才で高座に上がり、16才で真打になったというのだから、今では想像もつかない。一時期寄席を離れて、当時の芸名だった「雷門五郎一座」を率いて、軽演劇で全国を回っていた。一度「妾馬」を芝居にしたものを観たことがある。
その後高座に復帰し、「長短」や「虱茶屋」など所作の入ったネタを得意としていた。踊りは何をやらせても上手かったが、何といってもやはり助六は「あやつり踊り」につきる。
現在は、当代の助六が芸を継承している。

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